第三十五話「ウイルスとワクチン」



「おいおいおい、これはどういう事だ?」
「閉じ込められたんじゃない?」
時の庭園の中の一室、ほんの十数分前まではこの一室のソファーで割と殺伐としたやり取りが繰り広げられていた。
むーっ、と唸ってのんびり考え込むローグを尻目にアルフの胸中は混乱しっぱなしだった。プレシアは既に死んでいて、エーティーと名乗った少女の正体はアリシアだった。これはどういう事だ?誰かに説明を求めたくても、それを理解する自信が無い。難解な話を理解するくらいなら嫌いな食べ物を山盛りで出されて、問答無用に食わされた方がマシだ。
「マシ…………なのかな?」
むーっ、微妙。
「ねぇローグ、嫌いな食べ物と難解な話だとどっちが好き?」
「おぉ、またよく分からん質問だな」
「いいから答えてよ」
「俺はどっちも嫌だな。同じくらい嫌いだ」
「それじゃ選択にならないじゃんか」
「いや、俺は好き嫌いを聞かれはしたがどっちかを選べとは言われて無いぞ」
「この揚げ足取りめ」
などとのんきなやり取りをしていると、締め切られた扉の向こうから声が聞こえた。ここ最近で妙に聞き慣れてしまった、イリスの声。
「やぁヌシ、元気か?」
またこいつだ。ちょっとだけ嫌になりながらも、彼は答える。
「体調面で言えば元気。精神面で言えばどうだろうな?あんたがまた何かやらかすんじゃないかと冷や冷やものだ」
「おっと、それは嫌われたものだな。ところで、もう30分ばかりそこで時間を潰していてくれ」
「良く言う。自分で閉じ込めて置いて時間を潰せなんて」
「私はあの出来損ないと話があるからな、チェスやオセロならそこらへんにある筈だから犬っころを相手にやっているといい」
どうしてここに地球のゲームがあるんだとかいう疑問も、どうしてイリスがそれがこの部屋にある事を知っているのかという疑問も無視だ無視。どうせ全部こいつの筋書き通りなんだから。
「分かったよ、ここで事を荒立てても疲れるだけだしな。それより、30分経ったらちゃんと開けに来いよ」
「心配するな、時間がくれば自動的に開く」
「便利だな、最近の鍵は」
「うむ、科学の勝利だな」
訳が分からん。まともに相手すると疲れるので棚を漁ってみると、本当にチェスが出て来たのでアルフを促してソファーに座る。
「私ルール知らないんだけど。っていうか、こんな事してていいの?」
「いいんだよ。少なくとも30分以内にアリシアがフェイトに危害を加える事は出来ないだろ」
「そりゃそうだろうけどさ」
「いいから、ルールはやりながら覚えろ。それと、アリシアとプレシアの事を簡単に説明するから。けど俺も詳しくないから期待しない様に」
そう言いながらローグはチェスの駒を並べていき、アルフはそれをボーッと眺めている。
「ビショップとナイトって、どっちが内側だっけ?」
「ん」
アルフは説明書を差し出した。






「フェイト、私にお前はもう必要ない。求められた形になれなかったお前は、私の娘じゃない」






「やぁ、出来損ない。また会ったな」
「私は会いたく無かったわ」
時の庭園の中にある巨大な部屋、大きなモニターの据えられたそこで二人は何時ぞやの夕刻以来の再会を果たす。
「なんだ、通信していたのか?」
「ええ、母さんの振りをしてフェイトにちょっとね」
「プレシアは、アリシアの母だろ」
「私はアリシア・テスタロッサ本人だ」
「出来損ないのな」
口の中で笑いを噛み殺しながら言うイリスの言葉に、表情を硬くするアリシア。その鋭い眼光はひょっとしたらそれだけで人が殺せるんじゃないかって思えて来る。
「それで、何故そんな事をした?」
「フェイトにはもう時の庭園に来て欲しくないの。私がローグと戦っている間にこられたら、母さんの振りが出来ないからね」
「母が生きていると偽る必要はあるのか?」
「昨日まで生きていると思っていた家族が、実はもうとっくの昔に死んでいましたなんて言われたら鬱どころじゃないでしょ。だからよ」
アリシアはそう言うとモニターをじっと見詰めた。まるで先刻フェイトに伝えた言葉を後悔する様に。
それを見て、イリスが素直な感想を口にする。
「そんな顔をするなら、やらなければよかっただろうに」
「五月蠅いわね、いいのよ。フェイトには生きていて欲しいから、万が一フェイトが母さんの死に気付いても、母さんを憎む気持ちが生きる糧になるかも知れない。これは私が居なくなった場合の、母さんを偽る事が出来る者が居なくなった場合の保険でもあるんだから」
「なるほど、出来損ないでも姉は姉、妹の幸せの為という事か。私にはそんな、母をダシにするという外道な考えは出来ないな」
一々癇に障る女だ。アリシアは何の思考も挟まずにそう思った。
今すぐ撃ち殺してやりたいけど、絶対に勝てないって知っているから、彼女はその衝動を抑え込む。
「ああ、毎回毎回反応するのは疲れるか?ならしばしの間、お前を本物扱いしてやろう」
「それはどうも」
「それで本題だが、お前はヌシに、ローグウェルに何の用があるんだ?」
これまでのアリシアの行動の中、不可解なのはその一点。この時の庭園にローグウェルを呼び込む事にメリットは感じない。で、あれば一体何が目的なのか?それがイリスは知りたかった。
「最初私は、ジュエルシードを使ってこの体を維持しようとした。けど、その成功確率はとても低く、危険なものだと分かった」
それを聞いた時、イリスの中である考えが浮かんだ。その考えは前々から可能性の一つとして挙げていたものだけど、余りに馬鹿馬鹿しくてまともに意識していなかった。
「なるほど、そこで眼を付けたのが完全なる不老長寿、魔力構成体。最も不死に近い存在か」



―――――――――――


今現在のこの時より遡り、なのはが初めてジュエルシードに触れた日、さらにその少し前。
時の庭園で実験が行われていた。
プレシアは死んでしまった娘、アリシアを生き返らせる為の力としてジュエルシードを求め、苦節の末2つだけ手に入れる事に成功した。この日はその初実験だ。ジュエルシードの魔力を利用して生命を、死した肉体に命を吹き込む装置。その理論はおよそ常人が理解出来るものでは無く、ある種の異常だった。
それを使った実験。結論だけを言うならば、この実験は成功した。
膨大な魔力を使用した末にアリシアは蘇り、死ぬ以前の記憶を維持したまま地に足を付けた。
だが、そのアリシアが最初に見たものは母の死体だった。
膨大な魔力によって活性化した生命の溶液、それを使用してアリシアの命を生み出す装置。その装置が激しい駆動の不可に耐えきれず暴発、爆破。鋭利な破片をそこいらじゅうにまき散らして黒煙を上げていた。この程度の事、普段のプレシアであれば何の問題も無い。魔力で障壁を張ってやり過ごすだろう。だがこの時ばかりは違った、喜びに打ち震えていた、歓喜に浸っていた。心に、隙間があった。
眼の前で、溶液の中で確かに瞼を開き、自分を見て微笑むアリシアの姿にプレシアは心を震わせた。愛しい娘が、もう二度と逢えないかも知れないと思っていた娘が自分を見て微笑んでくれた。どれだけの喜びだろう?きっと体験した者以外には分からない至上の喜びで、暴発寸前の装置の異音も異臭も高熱も気にならない程の心の高揚。だから彼女は普段通りの行動が取れずに命を落とした。
だから、立ち尽くすアリシアの視線は母の死体に釘付けだし、装置の暴発によって何処かへと飛び去ったジュエルシードシリアルは異常をきたしたし、アリシアの足元に転がるジュエルシードも何処か異様だった。
この時から、アリシア・テスタロッサの、プレシア・テスタロッサとしての日々が始まった。



―――――――――――



「アリシア、お前は確かに生まれ落ちた。ただ、体にバグを残したままでだがな」
「そう、私の体はバグに塗れている。私の体は細胞は時間経過に比例して脆弱化し、朽ちて行く。今はただそれを魔力で補って誤魔化しているだけ」
「だからお前は近い内に死ぬ。朽ちて、死に行く先に生じる細胞同士の隙間、肉体の衰退。それを魔力で補い埋める行為には限界がある。その限界は、残り一週間程度といったところか?」
「ご名答よ。この事を知った当初、私は絶望に暮れたわ。だって細胞が常人の数十倍の速度で弱って行くなんて、ただ潰えていくだけの人なんて、死ぬしか無いじゃない。だから私は考えた、もう一度生命の溶液に浸り、そこにジュエルシードの力を加えれば私は完全になれるんじゃないかって」
「だがお前はその過程でそれ以上の完全を見付けた。だから本当はフェイトがヌシを殺した夜に、ジュエルシードの探索は終わっていたんだろう?」
「ええ、そうよ。私が生き続ける方法としてはね。魔力構成体になる為の手段は人の意思。それにジュエルシードは必要ない。けどそれを続けていた理由の一端はローグの成長を促す為。彼により強力な魔力構成体になって貰い、その体を調べればより確実に成る方法が分かると思ったから」
「何故そこでローグの体を調べるなどという手段を選んだ?私に請えば済むじゃないか、後はお前次第だぞ」
「貴女は絶対に私に協力しない」
「それは何故だ?」
「私は王じゃないから」
「ふむ、正解だ。私は月天物語の持ち主、月天王以外に興味は無い。他のものは全て暇潰しか何かだ」
「だから私はローグと戦い、勝利し、彼を手に入れる。そして生きるんだ、母さんが繋いでくれたこの命を残すんだ」






アリシアが生き返った時、フェイトはアルフと共にプレシアと暮らしていた。プレシアはアリシアを生き返らせる為の研究に熱意を注ぎ続け、これまでフェイトの事を放ったらかしにし続けていた。フェイトは、アリシアになれなかったから。
だけどフェイトにとってプレシアは間違い無く母親だ。例えプレシアがフェイトの事を大して気にかける事の無い日常を送り続けていたとしても、フェイトは母の事を忘れた日は無い。
そんな母が死んだと知れば、フェイトは悲しむだろう。眼の前で死ぬ様を見せ付けられ、半ば強制的に認識させられ、受け止めなければならなかったアリシアと違い、フェイトには受け切れない大きなショックの筈だ。しかも自分がアリシアのクローン、アリシアになれなかった存在だと知れば、どうなるか?そんな重いものを一気に二つも持たされた人は潰れるだろう。だからアリシアは幻術を使ってプレシアを装い、フェイトを騙し続けていた。
だから、せめてプレシアは自分が生き返らせようと、自分も生きようとジュエルシードを集める事にした。それが願いの筈だった。






「ジュエルシード探索を続けていた理由の一端、それはヌシの成長を促す為だと言ったな」
「そうだけど、それが何か?」
「いや、それに関しては別に。だが、理由の一端という事は他にも理由はあるんだろう。それは、プレシアを生き返らせる為か?」
「その通りよ。別にローグに魔導師として成長して貰うならジュエルシードは必要ない。ジュエルシードが欲しかったのは母さんを生き返らせる為」
「分からんな。お前は一方で自分の命の為、それと同時に母親の命の為に戦った。だがもう一方では妹に母を憎ませる。これはどういう事だ?」
「保険だって言ったでしょ。母さんが生き返るとは限らないからね、その時の為の保険。まあ、フェイトには良さそうな友達が出来たから必要無いかも知れないけど」
「そうか、大体分かったよ。」
イリスは知りたい事は全て聞いた、後は勝手にしろといった態度で投げやりな言葉を吐き出す。そのちょっとした仕草が、絶対的優位に立つ者の余裕に見えて仕方ない。
「では存分に殺し合いをしてくれ、ウイルスとワクチン同士でな」
「ウイルスとワクチンですって?どういう事よ」
明らかに挑発と分かるその言葉を、アリシアは聞き流す事が出来ない。例え自分を苛立たせる為だけのイリスの遊びの様な言葉でも、あいつの口を付いて出る事が許容出来ない。
「なんだ、お前は自分がこの世界にとって自然なものだとでも思っていたのか?これはな、とても異常な事なんだぞ」
物語とは、プログラムの正常な動作によって成立する。
正常な動作とは予定調和の中の登場人物が、想像の範疇内の行動を取る事だ。あらかじめその世界に配置された登場人物が、その世界に配置された出来事と向き合う事で世界は動く。それが本来の高町なのはとフェイト・テスタロッサが紡ぐ予定だった物語。けれどそこにウイルスが混ざり込み、予定外の登場人物が現れた。
アリシア・テスタロッサ。この時代のこの場所に存在しえない人物、それによって物語は軌道を変える。
予定されていたなのはと魔法の出会いは改変され、なのはは狂気に侵される可能性を持ってしまった。だからワクチンが必要だった。ウイルスの出現によって変わった軌道を修正する為の存在、その為の登場人物。
ローグウェル・バニングス。この時代に存在したかもしれない、この場所に存在しえない人物。軌道修正の為の手段。
アリシアによって変わり行く世界を正す為、アリシアの悉くを排除する為の存在。アリシアが世界の物語を変えるRPGのプレイヤー、勇者であれば、ローグは世界をプレイヤーの介入から切り離そうとするラスボス、魔王だ。そんな二人の直接の戦いは、ウイルスとワクチン。相反する者同士の戦い。
「お前が生き返ったから、ヌシは表舞台に引き上げられたし、お前が戦いに加わったから、なのは達はありもしない力を手に入れた」
ただし、RPGに登場するのはプレイヤーとラスボスだけでは無く、敵や味方として様々な別の存在が登場する。それは村人Aだったり、フィールドでランダムエンカウントするザコ敵だったり様々だ。そしてその中で特別なのが高町なのはとフェイト・テスタロッサ。二人は最も物語に影響力を持つ存在で、物語の主要人物。故に特に強力な力を持っている。だがプレイヤーはそれ以上の力を持っているかも知れない。だからワクチンが持つ書が、月天物語が二人に予定以上の力を与えた。
それがレアスキル、継ぎ足し削ぎ落とす者―カスタマイザー―と魔竜眼―イヴィルアイ―だ。
「全ての異変はお前が生き返った事を起源に行われている」
「あっそ、それで?」
「いや、それだけだ」
「じゃあ言わないでよね。他人がどうなろうと関係無い、私に必要なのは私の幸せに関わる近しい人物のみ。フェイトは確かに近しい人物だけど、レアスキルを持ったくらいで何も変わりはしないじゃない」
「いや全くその通り。それじゃ、そろそろ時間なんで私は退散するよ」
「見て行かないの?愛しの月天王様の戦い」
「同時になのは達の暴れっぷりも見たいと、私の欲望が疼いている。庭園全体を見渡せる高い場所から、文字通り高みの見物をさせて貰う」
「そう、お好きに」
背を向けて歩くイリスと、立ち尽くすアリシア。お互いが同じ人物を求めていた。
一人は長い間望み続けた末の到達点として、一人は己の存在に関わる者として。イリスのそれは執念に似た求め方で、アリシアのそれは恋に似た求め方の様に思える。
けれど、三者がこの舞台で集う事は無く、求める人物と相対するのは、恋焦がれる形に似た求め方をした者、アリシア。
イリスが部屋から出て行くと、入れ違いにローグが現れた。アルフの姿は無い。
「いらっしゃい、ローグ。犬は?」
「部屋で待って貰ってる。本気のやり合いに割り込ませるような真似はしないさ」
その言葉に満足したアリシアは首の動きで着いて来いと促し、ローグはそれに黙って着いてくる。真っ直ぐな通路、曲がりくねった通路、大きな扉、小さな扉、様々な道を通ってアリシアは目的の場所へ辿り着き、足を止める。
「ここは?」
「かつての実験室。私が、二度目に生まれた場所」
実験室というには妙に殺風景な、物の全く置かれていない部屋。広さだけは一級品で、まるで野球のスタジアムみたいだ。
「実験室っていうのはもっとごちゃごちゃしたものだと思ってたんだがな」
「言ったでしょ、かつての、って。今は使ってないのよ」
パワー自慢のプロ野球選手でもこの実験室の端から端までホームランを飛ばす事は難しいだろう部屋。そこで起こる出来事は平和的話し合い。
そんな筈は無い。
ただ二人が望むもの、それはどちらも単純明快だから。正面切って戦うしかない。
「ちょっと聞いてもいい?」
「なんだ、突然だな」
「どうして私がアリシアだって気付いたの?」
「読める人が居るんだ。どんな難解な文字もひらがなみたいにすいすい読んじまう人が。その人が言っていた。夕方の図書館でたまに見かける人は、まるでこの世界の人じゃないみたいだって」
ローグの要領を得ない答えに、アリシアは不満を漏らす。答えを一部分だけ開示するなんて、意地が悪い。
「もうちょっとはっきり教えてくれない?」
「八神って奴が偶然お前を見かけて俺に教えてくれたんだ。アリシアっていう、何処か不思議な人が居るって。後はアルフから聞いた話を合わせればそれで終わり」
「なんか訳分かんなくなって来たからもういいや」
「勝手な奴だな」
どっちも気楽に言葉を交わして少しだけ笑う。要領を得ない、内容のあやふやな会話なのに少しだけ嬉しいと感じた。多分、最後の穏やかな時間だから。
「さぁ、始めましょう。私とあなたの戦いを」
ただ純粋に生きたいと願った。母と居たいと願った。自らの延命の為にローグという情報を求めて、母の命の為にジュエルシードを求めた。
「それがお前を止める方法なら、やろう」
ただ純粋に幸せであって欲しいと願った。それは欲望に塗れた純粋だけど、だからこそ人らしい、大切な人の為の自分を創る。
「アルアイニス!」
「ソウガ!」
ここに、決して表に出る事の無い決戦が始まる。
「「セットアップ!!」」



第三十五話 完


『突き抜けろ』





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