第三十六話「突き進め」



自分の体が引き裂かれそうになったという体験をした者は、まず居ない。肉体を文字通り引き裂かれそうになったのであれば、それは死と同義と言っていい。精神を比喩として引き裂かれたというのなら、それは精神崩壊と言っていい。
いずれにせよ引き裂かれた者が生存する確率は極めて低いだろう。それでも、稀に立ち上がる者が居る。頑強な肉体の賜物で無く、それは強い意志の導きじゃ無く、ましてや運などでは無い。
引き裂かれて尚、立ちあがる者が居るとすれば、それは支えてくれる仲間を持っているという事だ。一人では死んでしまう傷でも、一人では眼と耳を塞いでしまいそうになる出来事でも、支え合える仲間が居ればどうになかるさ。例えこの身が縦に真っ二つ、両断されたとしてもあいつなら支えてくれる。この半身を支えてくれる。そういった酔狂みたいな頭のおかしな信頼。どんな無茶苦茶でも、叶えられるパートナー。
それを、知らず知らずの内に手に入れる者もいる。






高町なのはは決戦へ向けて準備を進めていた。準備とはいっても、特別な道具類を用意する必要はないので心の準備なのだが。深く息を吸い、ゆっくりと吐き出して、つい先程の光景を思い出す。
「あの人が、フェイトちゃんのお母さん」
プレシア・テスタロッサ。時の庭園という場所に居て、ジュエルシードを集めている、今回の一件の大本とも言える人物。優しそうだったとはお世辞にも言えない表情、その言葉。どれをとっても、気に入らないとしか言えない。
空に時の庭園が現れて、そこから魔法による攻撃が行われた。それはプレシアの娘であるフェイトをも巻き込み、無差別に吹き荒れた。その攻撃で負傷したフェイトをなのははアースラへと招き入れた、そこまでは良かった。だが、その後が問題だった。
「フェイトちゃんは実の娘じゃなくて、実の娘を真似て生み出されたクローンみたいなもの、そんなのってないよね」
戦闘での疲弊と負傷で意識が朦朧としていたフェイトの眼を覚ましたのは母親からの通信。そこでプレシアはこう告げた。

――ジュエルシードさえあればお前はもういらない。

あんまりじゃないか。いくらフェイトが実の娘じゃないからって、ジュエルシードで娘を生き返らせるからって、これまでプレシアを母親だと思っていた、今も思って慕っているフェイトに対しての吐き捨てる様な言葉。そんなの、認められる訳が無い。
ジュエルシードの約半数はなのはが持っている。だというのに死んだ筈の娘を生き返らせる。そう推察させる言葉はあきらかにおかしい。なのはの持っている分のジュエルシードが必要無いのならそれはもうとっくに行われていてもいい筈だ。
余りにも不可解。だけどアースラの中ではそれを確かめる術は無くて、先陣を切って時の庭園に攻め入った管理局の魔導師達はプレシアに一蹴されたと聞く。
フェイトに対する言葉を撤回させ、そのついでにジュエルシードを回収し、さらにそのついでに不可解な行動に対する問いの答えを手に入れよう。
「行こうか、レイジングハート」
All right――
戦友は躊躇う事無く賛同し、魔法という出会いをくれた少年は何も言わずとも着いて来てくれている。
「ユーノ君、フェイトちゃんの様子は?」
「眠ったみたいだ。やっぱり精神的なショックが大きかったんだろうね、随分疲れた感じだった」
「そう」
どんなに疲れ果てていようとも、眠れているのなら一安心。心が休息を求めるくらいの余裕はあるという事だ。
「なら、フェイトちゃんが起きるまでにあの言葉を無かったものにしないとね」
どうやるかなんて考えていない、それで何が変わるかなんて分からない、けれどやるべき事はただ一つ。これが自分勝手な思い込みでも、友達を救うんだ。
レイジングハートとユーノと共にアースラの通路を歩く。少し進むと真っ直ぐな通路の先にクロノの姿が見えた。
「準備は出来たかい?」
「うん、大丈夫」
「何時でも行けるよ」
クロノは二人の返答に頷きで返し、二人と並んで歩く。そのリンディの待つブリッジへと向かう道中に今回の作戦の説明を受けた。
内容は難しくもなんともない。クロノが囮になって敵の注意を引き付けるから、なのははプレシアの居るであろう最奥の部屋を目指し、プレシアが持っているジュエルシードを奪えばいいのだ。ユーノはなのはがプレシアの元へ辿り着くまで消耗し過ぎない様にサポートに回る。下手にあれこれ考えるよりずっとよさそうな思い付き作戦。






「バルディッシュ、居る?」
Yes sir――
「ねぇ、母さんにとって私は邪魔なのかな?」
アースラの医務室、そのベッドに横たわるフェイトは、自分以外誰も居ない部屋の中、バルディッシュに問い掛ける。だが彼は二つ目の問いには答えようとはしない。
「私はね、どうすればいいのか分からない」
フェイトは答えを期待せず、ただ一人で話し続ける。自分はプレシアにとってなんだったのか?娘…………だったとしたらあの言葉は、“いらない”という言葉はなんだったのか?その言葉が意味する事は明白で、だからこそ信じたくない。それに何より、自分が定まらない。
「私は母さんの本当の娘じゃ無かった」
それはフェイト自身の崩壊だ。これまでただひたすらに母の為に頑張って来た自分が、無意味なものになる。そんなの嫌だ。
「けど私はそれを信じたくないから、確かめに行こう」
プレシアの言葉を聞いて落胆して、怪我の治療の為医務室に運ばれる時、なのはが言っていた。とても小さな声だったけど、性質の悪い耳鳴りの様にこびり付いて離れない。

「フェイトちゃんはいらなくなんかない」

母にいらないと言われたけど、自分は本当の娘じゃないと知ってしまったけど、一度だけ信じてみよう。散々戦って、時には憎みもしたけれど、“いらなくなんかない”その言葉が嬉し過ぎて思わず泣きそうになったから、まだ自分で居たいって思ったんだ。絶望するには、早過ぎるって感じたんだ。
「行こう、バルディッシュ」
Yes sir――
医療服を着せられていたフェイト、その着衣が変化する。漆黒色をした薄手のバリアジャケット、手には戦斧となったバルディッシュが握られる。
「さあ、飛ぼう。母さんの元へ」






時の庭園、固い岩肌の地面に断つ三人の魔導師の前。鎧を身に纏った兵士の、人間の部分だけを抜き取った様な敵。成人男性の2倍か3倍はありそうな大きな体をした敵。それどうやって使うの?そんな疑問を持たせる、ゲームでしか見た事の無いような不思議な形の武器を持った敵。それぞれが呆れるくらい大勢で、わらわら夏場の藪蚊の如く出て来るもんだから、こんなこともあろうかと、とか言ってクロノが秘密兵器を出してくれる事を期待した。

ああ、くだらない。

どうでもいい考えに取り付かれぬ様、なのはは頭を振って自身を整える。でもちょっとやそっとの妄想もしたくなるさ、それだけの数の敵が居る。ざっと見渡した限りで300弱。現在進行形で増えるそいつらはまだまだこの倍は居るって雰囲気だ。
「クロノ君、ユーノ君!道を開けて!」
いちいち相手になんかしていられない。一点突破、その他は完全無視。目指す場所は一つだけ。
「君も大分無理を言うね」
なのはの要求に呆れるクロノ。それもその筈で、なのははほんのついさっき説明した事を忘れているんじゃないだろうかと問い掛けたくなる。一応はクロノが囮として動く筈なのだが、中央突破なんてすればその意味はまるで無い。
「クロノ、あの兵士達の中央に穴を開けられる?それが出来れば後は僕がなのはの通り道を作るから」
そしてこの少年も忘れている。自ら進んで忘れてしまっているんだろう。
嘆息していてもしかたない、そうクロノは頭を切り替えて、二人を説得するよりも二人の考えに乗った方が良さそうだという考えに至るまで、時間はいらなかった。
「準備が出来るまでは二人で相手を頼むよ」
「うん」
「任せて」
クロノは静かに眼を閉じて意識を集中させる。リンカーコアに呼びかける。強く、速く、この身に魔力を満たせと。
ユーノは両掌に魔力を集め、小規模の結界を発生させる、踏み込み、駆け、腕を振り抜く。掌に創造された小規模結界が兵士にぶつかり圧殺する。結界一つで兵士を一体。なんとも分かりやすい計算式で走りながら攻撃を繰り返す。一つ一つ確実に兵士を押し潰し、乱舞する。やがて、とはいっても時間にして1分も無いが、そうしている内に兵士がユーノの周囲に集まって来る。完全に包囲してしまえば両掌から繰り出す攻撃だけでは対応出来ないと踏んだのだろうが、それは彼の思う壺でしか無い。
「点、線、面」
発するは三言。成すは三行程。起きるはただ一つの現象。
極薄の結界によって張り巡らされる空間の分断。それは雑多な兵士程度に耐えうる鋭利さでは無く、ユーノの頭上から横殴りの雨の様に斜め方向に発せられたそれは兵士を数十単位で葬る。地面まで深々と切り裂いてしまったが、見ない振り。
ついでに、ここってフェイトの家だよね?じゃあ床を切っちゃったって事?でも下は地面だしなぁ…………なんて思考は無かった振り。



「ブレイド!」
mode――
なのはの声、レイジングハートの声、呼応して杖は刃へと。変化する過程において振り上げられた杖は、振り下ろされる頃には刃へと変わっている。
薙ぐ、薙ぐ、薙ぐ。視線を巡らせる度に三度。一定のリズムで、一定のステップで、兵士の攻撃を避け、凹凸の激しい立ち回り辛い足場を避けて、薙ぐ、薙ぐ、薙ぐ。視線を巡らせる度に六度。一定のリズムで、一定のステップで薙ぐ毎に、それは数を増していく。
草の葉枝の葉を傘で散らす子供の様に兵士を散らせていくなのは。ふと、その頭上に影が差す。見なくても理由は分かっていて、大きな兵士が近付いて来たんだなぁと思った。
ずしん、ずしんとお腹に響く音を鳴らして近付いて来るから、こいつは重いんだと判断した。思いっきり地面を踏み付けた。
「ディバインバスター・パニッシュ!」
炸裂する魔力。本来砲撃に使われる分の魔力を丸ごと肉体の一部に纏わせてぶつけるこの魔法を地面に向けて使うという事は、地面に亀裂を走らせ、脆くするっていう事。
まるで観光地の展望台みたいな、周囲の兵士から抜き出た高さと大きさと重さを持つそいつが立つ場所が脆くなれば、まぁ崩れるのは仕方の無い事だ。
「オオォ!!」
呻き声とも悲鳴ともつかぬ奇怪な声を発して動揺を現した兵士達は、次になのはが視線を巡らせた時に一掃された。



「二人共、準備が出来た!用意してくれ!」
クロノの声を合図になのはとユーノはお互いを見るでもなく、声をかけるでもなく、全く同時のタイミングで一ヶ所に集う。
それを見たクロノは二人の準備は整っているのかなどというどうでもいい確認はせず、二人が行ってしまえば自分一人で大量の敵を相手にしなければならないという事に躊躇いもせず、道を開く。
「ブレイズキャノン!!」
群がる邪魔者共は大熱量の砲撃によって取り払われ、先へと続く道が開かれた。だがそれだけでは少し足りない。このままではすぐに兵士によって道は塞がれてしまうだろう。何せ300を超えるだけ居るんだ、たかだか数十程度が居なくなったくらいでは痛みは無い。だからユーノが舗装しなきゃならない。
「点、点、点!線、線、線!面、面、面!!」
クロノが作った道を結界で舗装する。極薄結界で建造するのは角ばったトンネル。次へ進む道まで一直線を成す。なのはの通り道に誰も入って来れない様に、二重三重に結界を張り強化する。
それを確認するやいなや、ユーノの手を掴んで走り出すなのは。フライアーフィンを全開にして駆け抜ける。
後に残ったのは、今まで倒した分を差し引いたのに200は軽く超える兵士の数々。しかもまだ増えていると来たら笑うしか無い。
「取り敢えず、長期戦覚悟でやろうか」
管理局の執務官としては、事件の命運を民間の協力者に委ねるというのは問題大有りなのだが、彼女の方がうまくやってくれそうなので良しとしよう。
「言っておくけど、僕は弱くないぞ」
己を鼓舞し、兵士の群れに相対する。






「フェイトちゃんのお母さん、居るかな」
呟きは誰に対する者でも無く、それが分かるからレイジングハートも何も言わない。クロノとユーノによって作られた道を通り、道中の敵を全てユーノに任せ、なのはは単身で最深部に辿り着いた。ユーノと別れてからこの場所に来るまで誰とも会わなかった。どうやら兵士が配置されたのとは違う道を通って来たらしい。けど最深部に繋がる道に穴があるというのは防犯上どうなのだろうとか思う。そもそもこんな侵入し辛い場所へ入る人間はそういないが。
フェイトの母に会うのが怖い。誰かの家族に会おうという時に、そう思ったのは初めてだろう。なのはは努めてこれから起こる事を考えずに扉を開き、部屋の中へと進む。そこに待っていたのは、考えないようにしていてもどうしても頭を過ぎる悪い事や、もしかしたらと想像する良い事のどちらからもかけ離れていて、ただただ混乱するしか無い様な状況だった。
「ジュエルシード…………どうして」
かつてプレシアとフェイトが何度も会っていた部屋にはジュエルシードが浮遊しているだけだった。そこにプレシアは居なくて、ジュエルシード以外に特別な物は見当たらない。
これはとても不思議な事だ。ジュエルシードとはプレシアが求めた物。実際にはプレシアは既に事故死していて、求めていたのは死んだ筈のアリシアではあるのだが、それをなのはもフェイトも知らないし、どちらにしても折角集めたジュエルシードを放置するというのは不思議を通り越して意味不明な事だった。

ィィィィィィィィィィィ――

「っ!」
突然の不快な耳鳴り。ジュエルシードの震動、巨大な魔力の高まり。それら全てがなのはの心に警鐘を響かせる。
「此処に、集え」
ジュエルシードからくぐもった声が聞こえる。その途端に、封印されてなのはが所持していたジュエルシードが、現れた。
「なっ!」
ジュエルシードが声を発した事に対して驚きはしない。声を発するジュエルシードというものを、なのはは既に見ているから。それよりも問題なのは、なのはの所持していたジュエルシードの封印が解かれ、この部屋に既にあったジュエルシードの元へ飛んで行ったという事だ。
赤い光が眩く広がる。その眩しさに眼を細め、光の中心を見詰める。光が収まった時、そこに存在していたのは宝石の形をしたものではなかった。
「魔導師、何を願う?」
声と共に点が迫る。なのはからは点に見えたそれは、別の視点から見れば鋭く尖った触手に見えただろう。その速度は凄まじく、直前の赤い光で視界が不明瞭だった事と不意を突かれた事があり、反応出来なかった。
とっさにレイジングハートが展開した障壁もやすやすと貫き、触手はなのはの額を貫こうと迫る。



第三十六話 完


『似た者同士』





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