最終話「不公平だからね」



その日の彼の目覚めは極めて普通だった。朝起きて顔を洗うという行為が普通であれば朝食を取る行為も普通。朝食の席で当然ながら巻き起こる大好きな少女との掛け合いは幸せに溢れていて、一週間程前の出来事が嘘の様に感じられる。
「アリサ、ちょっと出て来る」
「いいけど、なのはとの約束の時間までには戻りなさいよね」
「ああ、分かってるよ」
彼、ローグウェル・バニングスは時の庭園からの帰還を果たした。アリシアとの戦闘を終え、アルフを残して自分の住まいへ辿り着く頃には、アリサに告げた約束の日の深夜になってしまったが、一応は約束の通りになった。
もう少し余裕を持って帰って来い。なんてアリサのお怒りを買う始末だったが、ぎゅって抱き締めて動きを封じたらあっさりと大人しくなってしまった。本当に可愛いと、ローグは実感した。
それから数日、なのはも無事に家族の元へ帰って来て、学校にも行って、普段通り相違無い生活をしている彼の元へちょっとしたニュースが届けられた。それを、ローグは見届けに行く。






「うわっ!もう時間無いよー!」
ベッドから転げ落ちた痛みを我慢しつつ着替えをする少女。高町なのはは大層慌てた様子だった。それもその筈、この日はとても大事な約束がある日。時の庭園で負った傷がまだ癒え切らないその体をフルに動かして急ぐ彼女の顔は、とても輝いている。
「行って来まーす!」
起きて着替えてすぐさま飛び出す。朝食も洗顔も無し、そんな事の為に割く時間は無い。女の子としては少々どうかと思われる行動かも知れないが、ご飯食べてて遅れましたなんて絶対に言えない。何せ、今日はフェイトに会える日だから。






「もうすぐなのはが来るだろう。僕とアルフは向こうに居るから」
「見張って無くてもいいの?」
「君は逃げ出す様な人じゃないだろ、それくらい分かるよ」
クロノの言葉にフェイトは少々の驚きを見せる。時空管理局の執務官が、あれだけの事件の渦中に居た者をここまで信用する事が不思議でならなかった。不思議だったけど、信じてくれているという事実が、素直に嬉しかった。
「うん、ありがとう」
フェイト・テスタロッサは時空管理局の元、今回の事件に対する責任の処遇を問われる事となる。ジュエルシードを発端に起きたこの件、時の庭園で消えたプレシア・テスタロッサについても話さなければいけない。
「母さん」
クロノとアルフが離れた後、フェイトは誰に言うでも無く呟いた。それは自分の知らぬ間に居なくなってしまった母への想い。自分を必要のない存在だと言い、その真意を確かめられなかった虚しい想い。
時の庭園での戦闘は、プレシアの行方不明とジュエルシード全ての封印という結果によって終息した。プレシア・テスタロッサの死体は確認出来ず、また戦闘が起こった際に時の庭園に居たという事も確認出来ず、行方不明扱いとなっている。ジュエルシードに関してはなのはとフェイトの活躍により最後の一つまで残さず封印を完了。ただ、時の庭園最奥の部屋で何者かによる戦闘行為の痕跡が見られたという事があったのだが、何時のものか判別が出来ないくらいの壊滅状態だった為、見送りとなっている。
確実に決着が付いたとは言い難いこの事件だが、災いの根源が押さえられた事で終わったという事実は変わらない。それを受けて、フェイトは時空管理局へ出向く。
「フェイトちゃーん!!」
本来はやる事が山積みでとてもなのはと会っては居られないのだが、もうすぐ裁判が始まり、そうなるとどれだけの期間外部と連絡が取れなくなるのかが分からない。そういった理由から、今回クロノが特別に取り計らってくれたのだ。
「あ…………」
なのはの声に振り向くフェイト。一瞬眼が合って、けれど恥ずかしかったからすぐに逸らした。
「フェイトちゃん、久し振りだね!」
久し振りなんていっても、まだそんなに経っていない。そう思っても口には出さず、フェイトは応える。
「うん、そうだね」
それっきり、しばらく言葉が途切れる。二人共何を言っていいのか分からない。あの後どうなった?だとか、体の方は平気なの?とか、これから大変だねとか、言いたい事は山積みなのに、どうしてか言葉が出て来ない。
そんな時、ふとフェイトが呟いた。
「私ね、不安なんだ」
「不安…………それって管理局での事?それなら、クロノ君が居るからきっと大丈夫だよ」
「確かに、それもなんだけどね。私にはもっと不安な事があるの」
「もっと不安な事って、何?」
なのはの言葉に、フェイトはすぐに答えない。慎重に言葉を選んでいる様な、言い出す事を躊躇っている様な表情。
「私は、怖いんだ。誰かに忘れられる事が」
「忘れ……られる?」
「そう、私は怖い。誰の心の中にも残らないかも知れない自分、忘れられるかも知れない事が」
フェイトは母を失った。それは死という絶対的なものとしてでは無いけど、行方不明とはそれに極めて近いもの。そして行方が分からなくなった事は、母の意思とは思えない。だからフェイトは、プレシアは何らかの事故の様な形で何処かに消えてしまったんじゃないかと考えた。それは、とても怖い事だと気付いた。
「私は、小さい頃から魔導師になる訓練をしてきた。友達を作る暇なんて無くて、何時も一人だった」
「フェイトちゃんにはアルフさんが居るじゃない」
「うん。確かにアルフは私の傍に居てくれる、私をずっと覚えていてくれる。けど、不安なんだ。もしも母さんみたいに突然消えたらどうしようって」
それは尽きない不安。命を持つ生物全てに降りかかるかもしれない最大にして最悪の可能性だ。やがて訪れる絶対的な死の前に訪れる、唐突にして理不尽な死、あるいは消失。理由はなんだっていい、重要なのは夜眠りについて朝目覚めた時、自分を覚えていてくれる人が、大切な人が消えてしまう可能性があるという事だ。
本来は考え出せばキリが無いそれを、考えてもどうしようもないそれを考え、意識し、怯える。それは母がそうなったという事実からの恐怖。
「じゃあさ、フェイトちゃんが守ってあげればいいんだよ。アルフさんにもしもが訪れそうになったらフェイトちゃんが助けて、フェイトちゃんにもしもが訪れそうになったらアルフさんが助ける。それなら、きっと大丈夫だよ」
「それは私も考えたよ、けどそれでも不安なんだ。もしもの話なんてしたって意味が無い事は分かってるけど」
「意味が無い事なんて無いよ。もし二人で不安なら、私も一緒になるから」
言って、なのははフェイトの手を握る。
「え…………」
「二人が不安なら、三人でお互いを守り合おう。三人が不安なら、四人でお互いを守り合おう。それでも足りなければ、フェイトちゃんの恐怖が無くなるまでお互いを守り合える人をどんどん増やしていけばいいんだよ」
強く、強く手を握る。フェイトの手は震えていて、なのはの手も震えている。
「けど、私にはその方法が分からない。どうすればお互いを守り合える、そんな関係になれるのか」
「そんなの簡単だよ。友達になればいいんだから」
なのはの言葉に、フェイトが眼を伏せ、暗い表情が覗く。
「友達…………どうすればなれるのかな?」
「名前を呼んで。私の名前を呼んでくれたら、私はそれに応えるから」
フェイトの口の中が、恐怖に脅えてカラカラに乾いていた口がさらに渇きを増す。飢えている、潤いをくれるものが欲しい。その為に、紡ぐ。歌う為にある様な声で。
「……………………なのは」
「……………………フェイトちゃん」
離れていた二人が、一歩近付く。
「…………なのは」
「…………フェイトちゃん」
二人の距離が、また一歩近付く。
「……なのは」
「……フェイトちゃん」
二人の距離が、これ以上無いくらいに近付く。
「なのは!」
「フェイトちゃん!」
二人の距離が、無くなる。
「なのは!!」
「フェイトちゃん!!」
声が響いて、お互いを求めて、友達になった。
抱きしめて、嬉しさにフェイトが涙した。
なのはも同様に、フェイトが自分の名前を呼んでくれた事が嬉しくて泣いた。
相手の肩を涙で濡らして、相手の胸を涙で濡らして、力の限り抱きしめて、声ある限り呼んだ。互いに、友達であれと願って。
それを遠くから眺めるアルフは、とても優しい眼をしていて、クロノはそんな風景に対する気恥ずかしさからか眼を背けている。最初は敵として出会った筈の二人が、今では涙を見せあう程の信頼を持って友達となっている。共に強敵に立ち向かい打ち勝った時点で二人は友達だと言っても誰も疑わなかっただろうが、形式というものは思いの外重要だ。
少なくとも、なのはとフェイトにはお互いの名前を呼び合い、友達になれた事への嬉しさで涙するくらいに。その声は、澄んだ歌として、流れる。






「俺も挨拶しろって言われたから来たんだが、あそこで行ったら完全に邪魔者だよな」
なのはに言われてフェイトの顔を見に来たのはいいが、どうにも自分の出る幕では無い様だと悟り、眺めるに留まる。
クロノとアルフが居る場所とはまた違うそこは、風が吹いていて晴れやかに気持ちが良い。ローグはどうしたもんかな、と考えて近くにあったベンチに腰掛け、空を仰ぐ。
「二人は似てるな」
フェイトもアリシアも、同様に忘れられる事を恐れた。大切な誰かを失い、一人になる恐怖。自分を記憶してくれている者全てを失い、存在を失う恐怖。どちらもが人が抗うには大き過ぎるもの。それに立ち向かう二人は、同様に強い。
そんな事を考えていると、風に乗ってなのはとフェイトの声が聴こえて来た。なのはの声で“フェイトちゃん”、フェイトの声で“なのは”と。それを聴いていてふと思った。ちょっとした名案。
「アリシア」
妹が友達に名前を呼ばれているんだ、アリシアを覚えている自分が呼ぶべきだ。その声は、風に乗って空へ届き。流転する風によって異なる音が彼の耳に届けられる。



――ローグ。



その音を耳にして、彼は空を仰ぐ。
「そういえば、この空にあいつの衛星は飛んでいるのかな?」



――わざと無視するとは、捻くれ屋ね。



「うん、きっと飛んでる。なんせあのアリシアのデバイスだ、しぶとく生きてるだろう」



――それとも、聴こえていないとかかな?まぁどっちでもいいか。何にせよ、不公平だからね。
呼ばれたら、呼び返してあげないと。



「それとついでに、エーティー」



――それも私と認めてくれるの?偽りの名前でも、それが私だと。なら、あなたの嫌がる名前も呼んであげましょう。ねぇ、ウェル。



風に乗る音を聴いていると、それとは別の音が耳に届いた。元気な元気な、愛しい人の声。
「おーい!ローグ!」
「あいつ、待ち切れなくなって直接来たのか」
もう少し落ち着け、とか思っても、これこそアリサだよな。そんな考えが頭から離れない。
だから好きなんだ。
「ほらローグ、早く行くわよ!」
「まだなのはと約束した時間には早いだろ、もう少しゆっくりでいい」
「いいの。遅くて悪い事はあっても早くて悪い事はそうそう無いんだから」
「でもな、今なのはの家に行ってもあいつ居ないぞ」
ローグがなのはとフェイトが未だ抱き合う場所を一瞥して言う。なのはとフェイトが抱き合う風景はアリサからは見えない。ローグが影になって見えないのだ。
だからローグの言葉にアリサは怪訝な顔をするもすぐに持ち直し、ローグの手を掴む。
「なんでそんな事分かるのよ、行ってみなきゃ分からないでしょ!」
ぐいぐいと手を引くアリサに、彼は困った様な笑いで言った。
「じゃあ、なのはが家に居なかったら罰ゲームな」
「いいわよ、負けないからね!」
勝敗の見えている戦いに、少しだけほくそ笑み、アリサと共に走り出す。
「またな、アリシア。俺の友達」
「ん、何か言った?」
「いいや、なんにも」



――うん、またねローグ。私の友達。






死して尚声を届けられたのは如何なる奇跡か?それを知る術は無くて、結ばれた友達は何時か邂逅を果たすのか?それも知る術は無くて。ともあれ、それは互いを守り抜くという意思。必要とあらば駆け付ける強い意志。アリシア・テスタロッサの、求めたもの。
生きて生きて生き抜く為の安らぎ。抱き合う友達は暖かくて、囁き合う声は度々やかましい事もあるけれど、そんな事もあるからこそ嬉しい。ともあれ、それは互いを必要としている意思。何時までも傍に居るという、確約の無い折れない意思。フェイト・テスタロッサの、求めたもの。
共に、新しいこれからの始まり。






リリカルなのは THE・FIRST 完






あとがき
はい、という事で終わりました。
あーーーーー、長かった。誰だ、こんなに長くしたの!いや、自分ですが。
ひとまず、やりたい事は大体やりました。なのはとフェイトがジュエルシード使ったり、オリキャラが色々やったり、それとアリサとかアリサとかアリサとか。出番そんな多く無かったけど大事な事なので三回も言いました。
この話はこれにて終わりですが、まだ消化しきって無い事も多々あるんで、当然ながらA,sの時間軸辺りの話もやります。でも人がわんさか増えるから全員の見せ場ちゃんと書けるかは不明です。なるべく頑張りますけど。
本編もあとがきも拙い文章ですが、ここまでお付き合い下さった皆さん、ありがとうございます。
それではまた。





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