ザァ、と冷たくなった風が細くなった樹を嬲って行くのが見える。 舞い散る木の葉の色は鮮やかな紅と優しげな黄。 まるで彼女の色のようだと考えて、僕はまた一人で居ることが寂しくなった。 「……はぁ……」 自分でも解るくらいに疲れ切った溜息が、自然と漏れ出る。 彼女に引っ叩かれた頬は、未だに熱を持っていて、ジンジンと痛い。 流石に、周囲から鈍感だの天然だの言われてたりしている僕も、さっきのは拙かったな、とは思う。 馬鹿、と叫ばれて叩かれるのも当然だったかもしれない。 「……しばらく口利いてもらえそうにないよね、あの様子じゃ……」 一人呟いて、その予想を思い浮かべてまた溜息を吐く。 ふと見上げた窓から覗く空は、綺麗な蒼色。 とても手の届きそうにないくらいに高くて、綺麗に澄んだ、秋の空だった。 ―ある秋の風景― 少し肌寒い、秋の日の話だ。 僕は彼女との待ち合わせ場所に向かって走っていた。 緊急で仕上げなければならなかった仕事のせいで、時間はギリギリ……いや、アウトっぽい。 互いの都合上、どちらかが遅れることはよくあることではあるが、やはり罪悪感はある。 だからこそ、僕は一層脚に力を入れた。 すっかり冷たくなった風を全身で切るようにしながら、駆け抜ける度に足元でカサリと音を立てる紅葉や銀杏の感触を感じる。 そうしているうちに目的の場所に辿り着いて、逢いたい人が立っているのが見えた。 やっぱり今回も僕が遅れたか、と思って、僕は息を整えながら彼女に近づいていく。 風に舞う、黄金を溶かしたような艶やかな髪。 重なった視線は、ルビーのように澄んだ綺麗な紅。 そして、いつもみたいに彼女と言葉を交わすのだ。 「ゴメン、遅れた」 「ううん、そんなことない」 そんな如何にもな決まり文句が、やけに心地良かった。 僕は苦笑を、彼女は純粋な微笑みを浮かべながら、自然と互いの手を握って、歩き出す。 「今日はどうしようか?」 「フェイトは何処か行きたい所ある?」 「そうだな……ユーノと一緒なら、何処でもいいよ?」 「……僕も、フェイトと一緒なら何処でもいいかな?」 くすくすと、互いに苦笑する。 そのまま、僕たちは当ても無く歩き出す。 至って普通の、なんてことはないデート。 適当に街をぶらついてみたり。 ウインドウショッピングを楽しんだり。 路上で目に付いたおやつを食べ歩いたり。 流行の映画を観たり。 ちょっと小洒落たレストランで一緒に食事をしたり。 二人で家に帰って、互いを感じながら眠りにつく。 何処にでもあるような、ありふれた恋人としての、幸せな彼女との日常。 ――――――それが、僕の不用意な発言で木っ端微塵に砕け散る事になるなんて、この時はまだ知らなかったんだ。 ● 「ん―――朝か……ッ?」 目が覚めて一番初めに感じたのは、右腕が痺れて感覚を失っていることだった。 ジンジンと痛みの無い痛みに微かに眉を顰めて、僕は右腕を見やる。 其処にあるのは、穏やかな顔で眠る彼女の姿。 肌蹴たシーツの下は、生まれたままの、昨夜のままだった。 すぅすぅと静かな寝息が、小さくて綺麗な桜色の唇から漏れ聞こえる。 幸せそうに眠る彼女を見て自然と口元が緩むけれど、その事を頭の隅に押しやるようにして頭を振った。 今朝は少しだけ肌寒くて、正直に言えば彼女の人肌の温もりはありがたい。 このままで居るのもそれはそれとしてイイかもしれないが、腕の痺れはいかんともしがたい。 極力動かさないようにして引き抜こうと試みた、その時だ。 「んん……あさ……?」 彼女が目を覚ましたのは。 寝起き特有の緩くなったであろう思考と、訴えを続けているだろう眠り足りなさの間を、刹那の間に彼女は彷徨っていた。 大体にして、この時期の人間というのは温かく快適な寝床を求めて二度寝に溺れたりする事が多かったりする。 それは勿論、彼女も例外ではなくて。 「もーちょっと……」 半分だけ覚醒した彼女はもう一度だけ怠惰な眠りを過ごそうと、『温かく快適な寝床』として、僕に抱きついた。 一言で抱きつく、と言っても今回はむしろ『押し倒す』とか『のしかかる』に近かったかもしれない。 あたかも僕の身体をベッドの代わりみたいにして、彼女の柔らかい身体を僕は全身に感じる。 彼女に不意打ちで押し倒された事は一度や二度ではないが、それはあくまでそういった行為のためのモノ。 無邪気に甘えられる事が嬉しくないという訳ではないが、今みたいに寝起きでそんなに力も入らず、思考もあまり回らない朝にそんな体位になるのは初めてで。 ―――思わず、率直な身体的苦痛を訴えてしまったのだ。 「……重い」 と。 その手の言葉が、この世全ての女性にとっては禁句であるにも関わらず、僕はポロリと漏らしてしまった。 ――――――次の瞬間の光景を、僕はきっと生涯トラウマとして抱えていくだろう。 カッと鋭く見開かれた真紅の瞳は、視線のみで射殺さんばかりに僕を見ていた。 普段の優しげで慈愛に満ち溢れた宝石みたいな輝きは、今は無い。 長く艶やかな金の髪は、何故かゆらゆらと揺れて不気味に蠢いて見えた。 太陽を溶かしたように温かで柔らかな絹の如き感触は、今は無い。 バチバチと生まれたままの身体に迸る金色の魔力と電撃が彼女の怒りを表していた。 「……いま、なんて?」 地の底から響いてくるような、或いは獣の唸りのような、低い声。 とてもではないが、彼女の口からそんな音が出るとは思わなかった。 「いま、なんていったのゆーの?」 いっそ恐怖すら感じる冷たい棒読み台詞が聞こえて、僕は反射的に答えてしまった。 「ちょ、ちょっと苦しかったかな……?」 ほら起きたばっかだからまだあんまり調子出てないし力抜いた状態だったから人間って力抜いてると意外と重いんだよね。 なんて言い訳染みた事を早口で、まるで呪文のように唱えてみても、彼女の怒りは変わらなかった。 それどころか、一度ならず二度までも口にしてしまったあの禁句を聞き咎めたのか、怒りのボルテージが上がっている気がする。 「あ、あの、フェイト?」 「……のの…か…」 「え?」 恐る恐る尋ねるようにして名を呼べば、返ってくるのは虫の鳴くように小さな声。 うまく聞き取れなくて、もう一度尋ねようと口を開きかけたその時。 「ユーノの馬鹿ッ!」 バチン、と高く大きな音が、すぐ耳元で聞こえると共に灼熱の痛みを頬に感じた。 一瞬何が起こったのか、全くわからなくて思考が完全に停止する。 きっと十秒もあれば思考は完全に回復して、弁解の言葉を口にして彼女を此処に留めさせる事が出来たかもしれない。 けどそれは叶わなかった。 脳に理解が及ぶ前に、ただ呆然と彼女が脱ぎ散らかされた服を乱暴に着直して部屋を出て行くのが見えた。 「ま、待ったフェイト!」 「知らないッ!」 反射的に掛けた静止の言葉を、彼女は間髪居れずにピシャリと封じ、バタン、と必要以上に大きな音を立てて部屋のドアが閉められた。 残ったのは、彼女に引っ叩かれた頬に感じる灼熱の痛みだけ。 ● ――――――そして話は冒頭に戻る。 要するに僕に全面的に非があるわけだ。 あろうことか恋人に向かって「重い」などと、思い出しただけで鬱になってくる。 「……どう、謝ろう……」 電話や念話もある。だがそれは適切じゃない。 逢って話が出来るなら、それが一番いい、というかそれしかない。 だが僕にも、彼女にも互いの社会的立場ってものが存在するのだ。 彼女は幼馴染が治める部隊の分隊長兼執務官。 僕は考古学者兼無限書庫司書長。 ぶっちゃけ多忙である。互いに。 「……とりあえず、時間を作ろう」 彼女と逢って話せる時間が、今はどんなモノよりも欲しかった。 そんな時間を作るには何をすればいいか、そんな事は解りきっている。 まだ少しだけ彼女の温もりが残ったベッドから降りて、僕は仕事用のスーツに袖を通し始めた。 さて、頑張りましょうか。 そんな秋の朝の風景。 ● 朝の訓練が終わって、お腹をペコペコに減らした僕たち。 献立は秋刀魚の塩焼きや薩摩芋の味噌汁、松茸ご飯に茄子の漬物といった和食メニュー……曰く『秋の味覚』らしい。 ミッドではあまり馴染みは無い日本食のメニューだが、六課では割と普通だったりする。 ひとえに部隊長であるはやてさんが日本人だからだろうか。 そんな朝食の席でのことだった。 「あれ、フェイトちゃん。もういいの?」 「うん……あんまり、お腹空いてないから」 なのはさんの問いかけに、ぎこちない笑みと穏やかな言葉で返したフェイトさんは静かに食堂から去っていった。 さっきまでフェイトさんが座っていた席に眼を向けてみれば、ほとんど、というかまったく手の付けられていない朝食が残されている。 「……なにかあったのかな?」 「どうなんだろう……?」 僕の呟きに反応したのは、隣で花形に切られた飾り人参と死闘を繰り広げていたはずだったキャロ。 僕とキャロは、不思議な面持ちでフェイトさんの座っていた席を眺める。 対面のスバルさんとティアナさんも、似たり寄ったりな表情を浮かべていた。 それでもスバルさんの手と口は動いていて、秋刀魚の尻尾を持って丸々口に入れ……頭と骨だけが綺麗に取られてる。無駄にすごい。 あ、ティアナさんが後頭部を引っ叩いた。 「あんたはちょっと空気読みなさい、バカ」 「こらティアナ。食事中にそんなことしちゃダメだよ」 「ふぉふひゃひょ、ふぃあ!ふぃふぉいふゃむふぁあぁ!?」 「スバルも、喋るか食べるかどっちかにしなさい」 「ふぃみまふぇんふぁふぉふぁふぁん……ん、ごく。そうだよ、ティア!酷いじゃんかぁ!」 わざわざ言い直す辺り、スバルさんは几帳面なのか、それとも大雑把なのか、未だに分からない。 なのはさんもなんだか教官というより最近はお母さんっぽい。ヴィヴィオのせいだろうか。 「っていうかホントよく食べるわね、あんた」 「だってお腹空いてるし、ご飯もおいしいし」 「まぁ"食欲の秋"って言うしねぇ……」 しみじみとした様子で、なのはさんが呟いた。 第97管理外世界……地球では季節ごとにいろいろな呼び名があるらしく、その中でも涼しく過ごしやすい秋には多くの呼び名があった。 その中で先ほどの"食欲の秋"というのは今の状況を表すにはいいと思う。 確かにこの時期は食欲が増す気がする。 うざったるい暑さの夏が過ぎ去ったせいなのだろうか、詳しいことは知らない。 そんな事を考える一方、俯き加減の少女の姿が眼に入った。 なのはさんの隣に腰掛けて、フェイトさんが去った方を静かに見詰めるヴィヴィオの姿。 「フェイトママ……げんきないの」 小さな手に握られた大きめなおにぎり(中はこれまた秋らしく鮭である)をヴィヴィオは力無く見詰める。 するとヴィヴィオはそれを食べないで一度皿に戻すと、席を立った。 「おいかけてくる!」 「あっ、こらヴィヴィオ!ご飯は!?」 「フェイトママもいっしょじゃなきゃ、やだ!!」 なのはさんの静止の言葉を振り切り、ヴィヴィオはフェイトさんの後を追って食堂から出て行った。 「まったくもう……」 嘆息しながらも、なのはさんは何処か満足した様子で食事を片付け始めた。 使った容器とそうでない容器を分けて、返却コーナーに戻しに行く。 「それじゃ、みんな。夕方の訓練まで他の仕事頑張ってね」 ひらひらと手を振って、なのはさんもまた食堂から去っていく。 去っていく、と言っても行き先は廊下じゃなくて厨房の方だ。 きっとヴィヴィオのためにキャラメルミルクでも作ってあげるんだろう。 和食の後にはどうかと思いはするが。 しかし、フェイトさん本当にどうしたのだろうか。 訓練中はかなり激しく動いていたし、決して少なくない量の汗も掻いていた。 少なからずお腹は空いているはずなのに何も口にしない。 運動に見合った食事を採らないと身体に悪いよ?と言った当人がコレだ。 本当に何があったのだろうか、僕はそれを知る術を持っていない。 答えの出ない問いを飲み込むように、僕はずずっ、と味噌汁を音を立てながら口の中に飲み込んだ。 「あ、エリオくん。ご飯粒ついてる」 「え、何処?」 ぺたぺたと口元に手をやってみるが、肌の感触以外は何も感じない。 「じっとしてて。取ってあげるから」 「あ、うん」 細くて柔らかいキャロの指が、僕の頬をくすぐる。 その感触が何処と無く気持ちいい、と思い始めると同時に離れていって、少しだけ残念に思えた。 けど、 「はい、取れた。んっ」 ご飯粒が付いていた指先を、キャロはぱくりと口に含んだのを見て、顔が熱くなった。 こ、これは、その、所謂……? 「「……ごちそうさまでした」」 あぁっ!?対面のお二人が冷ややかな目で見下していらっしゃる!? その『ごちそうさまでした』にはどんな意味があるんですか!? 「あっついわねースバル」 「そうだねーティアー。世間は秋なのに此処は夏かなぁ?それとも春なのかなぁ?」 「さぁねぇ。でもきっと綺麗なお花畑に違いないわよ」 あはははは、とうそ寒い笑い声を上げながら、スバルさんとティアナさんが去っていった。 うわぁ、僕なんか居心地悪いなぁ。 「わたしもごちそうさまでした」 「え?」 空になったトレイを持って、隣のキャロが立ち上がった。 慌てて僕も立ち上がろうとしたけど、何故かキャロに止められた。 「エリオくん」 「ん?どうかしたのキャロ?」 強く言い聞かせるような口調で、キャロは僕に言う。 「残しちゃダメだよ」 僕のトレイには、大盛りのご飯…………と飾り人参が。 ご飯はまだいい。盛り付けた覚えが有る。 だがコッチはおかしい、人参は全滅させたはずなのに。 呆然としている僕をそのままにして、キャロも食堂から去っていった。 その口元が微妙に笑っていたのに、僕は気付かなかったけど。 「きゅくるー」 愛らしい鳴き声がテーブルの上から聞こえた。 白い小さな、もう一人の相棒である飛竜・フリードリヒである。 「……人参、食べるかい?」 「きゅいきゅい」 コウコクと頷いて口を開けるフリードに、人参を摘んであげる。 「おばちゃーん、秋刀魚もう一尾くださーい。あと味噌汁お代わりー」 「あいあいよー」 僕は同じく置いてけぼりを食らった小さな飛竜と二人(一人と一匹?)で、寂しく食事を片付け始めた。 そんな秋の朝の風景。 ● 「……はぁ」 とぼとぼと力無く私は廊下を進んでいく。 別にお腹が空いているわけではない。 訓練の疲れもあるが、何よりも今朝のユーノとの一方的な喧嘩が、尾を引いていた。 「私も、悪かったかなぁ……」 彼の頬を叩いたことにも罪悪感はある。だがそれ以上に彼の発言が心に若干の傷を残していたし、腹も立っていた。 「でも、ユーノも悪いよね。私だって一応、女の子なんだから」 確かに私の体重は軽いほうではないかもしれない。 前線で戦う者として、人並み以上の筋肉は付いてると思う。 脂肪細胞よりも筋肉組織のほうが重い、というのは知っている。 最近は訓練も多かったし、現在進行形で鍛えられてはいる。 これ以上筋肉がついてしまうのだろうか、と思ってまた溜息。 まぁ贅肉よりかは遙かにマシだろう。 しかしその贅肉も現在は懸念事項のひとつでもあったりする。 彼と出かけるたびに、食べ歩いたりレストランで食事をしたりで割とおいしいものを摂取しているから。 そういえばこの間のデートのときも、おいしそうに食べるね、って言われたばかりだった。 恥ずかしくなって逃げるようにお店から出た時の彼の苦笑がちらつく。 「……太って、ないよね?」 ちょっとだけ不安になって、こっそりとお腹を摘んでみる。 ――――――みょいん、と少し伸びた肉があった。 ――――――――――――摘めるだけの無駄な肉が、あるのだ。 私はその事に絶望した。太りつつある自分に絶望した。 そういえば何時の頃だったか、はやてが「あかん、油断しとった……」とか言って必死にダイエットを敢行していたような。 ―――ふむ。 「……ダイエット、か」 結局さっきの朝食は食べずじまいだったが、アレはアレで良かったのかもしれない。 ダイエットの一環だと、そう割り切ろう。 「……よしっ、頑張ろう」 もう重いなんて言われてたまるものか、と半ば意固地になっていた。 そんな秋の朝の風景。 to be continued... ――――――――――――――――――――――――――――― 懺悔部屋。 そんな訳でユノフェ。(どんなだ 突発的に思いついたのでまだ未完成です。 よって続きます。(オイ |