青い髪の毛の彼、アゲハはその左手に腕輪をつけていた。
 それこそが彼のデバイスだと、知る者は少ない。
 高いビルに立ち、ミッドチルダ市街全てを見渡せる。当然視界の中には、時空管理局地上部隊本部も見えた。
 右掌を天にかざすようにして胸元へ持ってくる。
 一瞬掌の上に黒い球体が表れ、それが瞬時にして晴れる。晴れたとき、そこにはクロアゲハが生まれていた。

「それじゃあ5日間、頼むぞ
 “恐れるな、我らの姿を恐れるな”が第一、2日だ
 “恐れよ、血と死の腐臭を纏いし災厄この地に舞い降りて3日後にお前を喰らう”を1日
 “恐れよ、敵は直ぐ隣にいるものぞ”を最後の2日に――
 256まで兎に角増えろ、それ以上はまだ良い
 外には出るな、管理局の中だけだ、2日あれば定着するだろう
 解ったな、それじゃあ――行け」

 彼は次々そのクロアゲハ指令を下し、そのアゲハを空へと放った。向かう先には時空管理局がある。
 風にも逆らえぬその弱弱しい、作り出された命が全ての混乱の元凶と成ることを、管理局内にいる人物たちは誰一人として気づかない。


『光の子』―Aura.―
 一話『1日目――弱々しき者』


 その日何があったというわけではない。
 ただ、偶々アースラが本部に戻り、調整という名目の為に慣行がストップし、彼女はその日が暇になっていた。
 普通に訓練を済ませ、普通に食事をし、談話、その日のデータのまとめ、破壊したものに対する報告書――やるべきことをやっていただけだ。
 不機嫌になる要素はないし、むしろ普段よりは楽しく過ごしていたといって良い。友人たちと一緒に過ごせたのだから。
 だというのに、何故だか彼女は少しばかり不機嫌だった。
 顔には、しっかりと不機嫌と描かれている。
 時刻は既に夜。後2時間もすれば眠らなければならないという時間。
「…18匹…」
 そんな時間にカウントしながら、彼女、フェイト=T=ハラオウンはスフィアを放つ。
 局内での魔法なんてものは本来ならば訓練室以外ご法度だが、しかしそんなことを気にしている余裕は無い。
 浮かんでいるクロアゲハを撃ち落し、彼女はその死骸に近付き、拾い上げる。
 局員の制服姿をし、別にバルディッシュを発動しているわけではない。はっきり言えばそんな相手にすらならない。
 飛んでいるこのクロアゲハは、ただの雑魚だ。スフィア一発で墜ちる。羽を失い床に落ちたそれは、時間がたてば勝手に消える。
「――気に入らない…20匹近く落としてるのに」
 小さく、しかし確実に怒りをこめて彼女は呟く。
 はっきり言ってなんら問題ではない雑魚。しかし問題はその数だった。
 1匹2匹ではない。既に彼女が確認しただけで20匹はいる。思わず歯をかみ鳴らすフェイト。此処まで気に入らないことは無かったと、彼女の顔が物語っている。
[フェイトちゃん?]
[あ――なのは、どうしたの?]
 そこでふと、彼女の思考の中に割り込む声が一つ。
 念話という、魔法で話すための手段である。言語媒体を通さないため、あまり話の通じないヒトとでも結構話が通じるという利点があった。
[うん、ちょっと異常事態]
[…何かあった?]
 なのはの声に、フェイトは否応なしに思考を堅くした。
 しかし当のなのはは何故だか軽い口調だ。
[う…ん、異常事態にはそうなんだけど…蝶、それもクロアゲハってミッドチルダにはいないの?]
[それだけで何の用事かわかった…]
 なのはの声にフェイトは脱力して答えた。
 次いで放つスフィア。クロアゲハを更に一匹撃墜する。
[何匹くらい落とした?]
[あ、あはは…0です、珍しいとは思ったけどまさか生息してないとは思ってなかったから…]
 フェイトの声に、なのはは苦笑気味にこたえた。
 此処にはいないが、しかしその顔が容易に想像できてフェイトは思わず噴出してしまう。
[解った、見つけたら片っ端から落として、スフィア一個で墜ちるから]
[でも、これなんだろう?]
[解んないよ、実害も殆どないし――]
 フェイトは言いよどむが、しかし実際の話ただ流れているだけである。ぶつかればむしろ質量差で蝶が吹き飛ばされる辺り、実害など0と言って良い。
 歩いているときに周りに出る風だけでも吹き飛ばされそうだ。流れていくクロアゲハを眺めながらフェイトはため息をつき、そして落とした。
 明らかに人工的に作り出された生物だとわかる。
 だとすればデバイスなどを取り扱っている管理局の工学班の何かミスかとも思ったが、しかしそれは最初に調べた。無論、白だ。
 そんなもの作った覚えも無ければ放し飼いにした覚えも無いらしい。
[外部班にしても何を考えているのやら…]
[あ、一匹見つけた! えい]
 フェイトの呆れのため息とともに、なのはが一匹落としたらしい。
「…ルナ――」
 ふと、耳に言葉がつく。
 フェイトは思わずそちらを向いて、思わず目をむいた。
「え?」
「我ラノ姿…」
 クロアゲハが流れていく。流れていったのを見て慌ててそれをスフィアで落とす。
 しかしどういうことなのかまるで解らない。困惑した表情のフェイトは慌ててクロアゲハに近付く。
 先ほどまで落としていたクロアゲハと何一つ変わらない。
「…喋れる…ということ? …でも」
 それが何に繋がるのだろうか。
 別にふわふわ浮いているだけのクロアゲハだ。実害があるわけではない。気に入らないが、害といえばその程度だし、無機質な管理局内には適度なアクセントになるかもしれない。いや、誰もそんなことは言わないだろうが。
 しかし風にも逆らえないこの弱々しい人工生物が、喋れる。それだけだ。
 ただそれだけで、本当にそれ以上の意味は無い。
[なのは]
[どうしたの?]
 だというのに、フェイトには嫌な予感しかしなかった。
 その顔は今までに無く緊張に張り詰めている。殆ど惰性で落としていたクロアゲハが何事か喋れるというだけで、緊張が走っていた。
 しかしどうすれば良いか解らない。故に、彼女は今出来る最善の行動を選択することにした。
[信用できる人を集めて、アースラの運行まではまだ時間があるからクロノもいる、はやてと…ヴォルケンリッターを全員]
[他には? エイミィさんとかリンディさんとか…]
[お願い、片っ端から集めてくれる? 私はちょっと局内全部を回ってくる、こいつら何匹居るか解らない]
 足音を高くしてフェイトは駆け出す。
 局内だ。あまり派手に魔法を使うわけにも行かない。それでも彼女は回りに4つのスフィアを出現させた。
 局の全体を回るのにかかる時間を頭の中で算出する。
 かなり長くなる。当たり前だ。管理局自体かなり広い。しかしあまり遅くなるわけにも行かなかった。
[――なのは、会議室何番が今開いてる?]
[え? ええっと…うん、4番会議室なら開いてるみたい、そこに集まるの?]
 なのはの声はフェイトの緊張に反して、物凄くのんきだ。
 それにイライラしたりはしない。彼女の声は何時もこんな感じだし、この声に助けられてきたとフェイトは常々思っている。
[お願い、直ぐに行く]
 端的に答えて、全てのスフィアを解き放つ。
 そこには6匹ものクロアゲハが居た。4発で全て叩き落せたが、しかしどうにも気に入らないのは事実だ。
「恐レルナ――」
「っ!」
 聞こえた言葉に、躊躇い無くスフィアを放つ。
 一撃で墜ちるクロアゲハ。見える範囲に、クロアゲハはもういない。
 不機嫌そうに彼女は歯軋りした。
 第四会議室までは、やや此処からは遠い。


■□■□■


「うわ、すんげー勢いで落とされてる」
『58,59,60』
「お前も一々カウントするな…しかしまあ、順調だな」
『Yes』
「続けようか、ルヴィカンテ、まあ後は此処であいつらが何匹落とされたかカウントするくらいしか出来ないんだけどな」
『61,63,66』
「飛んだぞ…え、何、一気にいってる? 固まるなって命令くらい出せばよかった、100いくのあと何分かな…って何? もう80?」


■□■□■


「…君が落としたのを合わせて、これで100を超えたかな…」
 漆黒の髪の毛に、青い双眸のクロノ=ハラオウン。
 呆れ気味に呟く彼の口調には疲れが見える。その手にもたれているのは、クロアゲハの死骸。
 彼も散々落としていたらしい。
 この部屋に集まった連中は、大体同じものを、似たような数持っている。生憎此処にエイミィとリンディだけは来ることができなかった。
「さて問題です」
 ややあって、クロノがポツリと呟く。
「一体どういうことでしょう」
「実害なんて皆無に等しい、これ、放っておいても問題ないんじゃないかと思うんやけどなあ」
 八神はやてが答えるように呟く。隣に浮かぶリインフォースUも同意見らしく、特に何もいわずにクロアゲハに乗って浮遊していた。即座に落とされる。
 確かに実害らしい実害は出ていない。皆無だ。何せ視界に入ったからと言って気にしない職員のほうが多い。そもそも調書やら書類やらに目がいって視界に入ってないかもしれない。
「主はやてと同意見です、シャマルが少し調べていますが、増えるというだけで実害は特にない、何かを食べているというわけでもありません」
 はやての横に立ったシグナムがいう。
 その全身が騎士甲冑というバリアジャケットに包まれていなければ、その言葉にもう少し説得力があったかもしれない。何せ彼女のデバイス、レヴァンティンは腰元に構えられている。
「の割には此処のみんなはピリピリしてるな、アタシもだけどさ」
 同じく、はやての横に立つヴィータがいう。
 既に全身は騎士甲冑に包まれ、グラーフアイゼンを構えていた。
 同様に、シャマルも既に全身が騎士甲冑だ。ザフィーラだけは犬の格好のまま、はやての傍にかしずいている。
「…とりあえず、3人とも甲冑を解いてくれ、正直な話その格好で此処まで歩いてきたのかと思うとぞっとしないから」
 クロノが呆れ気味に呟いた。
 しかし3人はまるで臨戦態勢を解こうとしない。
「解った、解った――フェイトとなのはの意見も聞きたい、いいかな?」
「危険だと思う、何か――そう、凄く不気味…直感だけど」
 クロノの言葉に、フェイトはすぐに切り返す。
 一瞬考え込むクロノだが、しかしその後になのはが直ぐに言葉を発する。
「そんなに危険には思えないけど…?」
「実害は出てない、けど、みんなが倒したのを合わせると100を超えるのにまだ殲滅できていないんだよ?」
 なのはの言葉に、フェイトはやや焦り気味に答えた。
 其れも確かにその通り。彼女らは既に100を超える数のクロアゲハを狩っている。其れにもかかわらず、クロアゲハは未だに悠然と管理局内を飛んでいるようだった。
 少なくとも、第4会議室には2匹いた。内1匹にはリインフォースUが乗っていたアレだ。
 扉を閉める前にも1匹見えたような気もする。
「危険な魔法なら局内に入る前に解るはずだし――これだけ多ければわかるはずだけど」
「増えたんでしょうね、常識的に考えて、最初に入ってきたのは恐らく1匹だけでしょう」
 シャマルが忌憚のない意見を述べた。
 それも恐らく間違っていないと、クロノは結論付ける。
 最初に入ってきたのは1匹。それが何時入ってきたのか解らないが、しかし100匹以上狩っているのに未だに終わりは見えない。
 おまけに彼らは何か言葉を発している。
「恐れるな、我らの姿を恐れるな――ってところか、やれやれ…アースラの慣行が少しとまって、休めるかなと思ったんだけど」
 クロノが頭をかきながら愚痴る。
 しかし残念ながら、その休日は全て返上することになりそうだと、頭の隅で愚痴った。
 別にこんなことが無くても彼は平然と休日返上で働くのは目に見えていたが、しかし誰もそのことは言わない。
「しかし殲滅も難しい、実害はない、対処の仕様がないじゃ――」
「…」
 クロノの言葉に皆が押し黙った。
 確かに一切の対処方法がないのも、また事実。
 多分こうやって話し合ってる間にもまた増えているだろう。
 それも、結構爆発的な増殖力で。
 クロアゲハの数が全てわかるわけではないので、実際どれくらい増えているかもわからないが。
 どうにかしようにもどうにもできない。軽くもどかしいが、しかしどうしようもなかったりする。
「…見つけた端から片っ端から除去、ただしそれぞれ仕事に差し支えの無いようにすること、一応上にも言っておくから何らかの対処を望もう」
 結局それくらいしか手はないのか、クロノはため息混じりに告げた。
「それから、ユーノ司書長にこういった魔法の対処法がないかを聞いておく――この前仕事頼んだばかりで、また仕事増やすことに成るな…」
 いってから彼は立ち上がる。
 次いで指を一本突き出し、そこからスフィアを一個放つ。放たれた其れは多少複雑な軌跡を描き、一匹のクロアゲハを叩き落した。
 誰も其れを気にした様子は無く、そぞろ歩きで会議室を出て行く。
 第四会議室の窓から見える街並みは、普段のものだ。
 一切普段と変わらない。
「――嫌な予感がするよ」
 ため息交じりにクロノは呟いて、部屋を出て行く。
 部屋の中の影に一匹のクロアゲハが隠れていた。
 それが瞬く間に増えていくのを、彼は見ることは無かった。

「恐レルナ――我ラノ姿ヲ恐レルナ」


■□■□■


「次は蜘蛛型にしてみるか」
『master…』
「いや、んな呆れた声出されてもな――まあ実際の話、蝶型ってのは理にかなってる」
『Yes』
「弱々しきもの、か弱きもの、手を出してもいずれは出せなくなる
 赤子を殺すことがどれほど罪なのか、解っているやつは少ないだろう
 ――生まれた命は何時だって祝福されなくてはならないさ
 ルヴィカンテ、俺の言い分は間違っているか」
『No, you are go to My road.』
「ああ、解っている…
 祝福せよ、これから生まれるこの赤子を
 祝福せよ、これから始まるこの宴を
 血で血を洗い、臓腑の腐臭で肺を満たせ
 それらこそが究極の魔法を満たす素養
 赤子の名前を私が名づける
 君の名前を、私が呼ぼう――そう、君は祝福される
 血風と鉄刃、臓腑の腐臭、そして赤い空に」


■□■□■


「ねえフェイトちゃん」
「何?」
 二人してスフィアを放ち、クロアゲハを沈めていく。一切の問答無用に。
 周りの局員たちもたまに見るクロアゲハを沈めていくが、しかし一向に数が減った様子は無い。
「何だか凄い徒労に思えない?」
「…実害があれば、もうちょっとやる気は出るんだろうけどね」
 なのはの言葉に、フェイトはやはり呆れたため息をつく。
 実害が無いということは、いくら沈めても沈めなくても一緒なのだ。
 ただふわふわ浮いているだけのクロアゲハ。
 見ようによっては綺麗だし、何だか落とすのも面倒くさいのは確かだ。
「もう一人頭50は落としてるし…」
 なのはが呆れ気味に呟きながらスフィアを放つ。
 クロアゲハが音も立てずに墜ちていく。
「――ユーノが書庫で何か見つけるかもしれないし、それまで落とすのは控えようか」
 フェイトがいう。確かに死んでから何かを撒き散らすのかもしれない――というにはやや遅すぎるが、しかし徒労に終わるよりは手を出さないほうがまだマシだろう。
 第一死んだ後、死体が消えるのは確認済みだ。
 それによって何かが撒き散らされることも無い。
「そうだね、やっぱり疲れるし…」
 なのはが率直な意見を言う。
 魔力的、体力的な問題ではない。それらならば彼女らは十分平均点をオーバーし、余裕で上位に食い込んでいる。はっきりいって、数値としては棄却しても問題ない値の位置にいる。
 しかしそれでも精神的な疲労だけは拭えない。
 それらも十分上位に食い込んでいるのだが、数が多いだけの相手となると、正直な話面倒くさかった。
「…部屋に戻る?」
「部屋のクロアゲハだけは駆逐しようね」
 フェイトの言葉に、なのははガッツポーズをとりながら言う。その様に、フェイトは薄く、しかし優しそうに笑った。
 次いで放つスフィアが3つ。同時に墜ちたアゲハは実に7匹。
 彼女らはゆったりとした足取りで、そのまま部屋へと戻っていく。
「なのは、こういうクロアゲハって地球にいたっけ」
「今考えると大きすぎるような…」
 死体を摘み上げながら、彼女らは口々に呟く。
 確かにやや大きいクロアゲハだ。翼を広げると、大きさは彼女らの顔の大きさ程度だろうか。
 それを適当に放って置く。勝手に消えるのだし、放っておいてなんら問題は無い。
「嫌な予感はする、かな」
「大丈夫」
 フェイトのぼやきに、隣に立つなのはは素早く反応した。
 驚いた顔でなのはを見やるフェイト。彼女の顔には、何時もの通りの力強い笑みがあった。
「どんなことがあっても、大丈夫、私もいる、フェイトちゃんもいる、はやてちゃんも、ヴィータちゃんも――皆居る」
「…うん、そうだね」
 なのはの言葉に、フェイトは優しく微笑んだ。
 笑みを浮かべてフェイトは気づく。随分肩に力が入っていたらしい。やや張っている。頬も強張っていたし、力の入りすぎが自分で解った。
「有難う、なのは」
「ううん――でもね、フェイトちゃん、嫌な予感がするのは私も一緒」
 なのはが少しだけ厳しい口調で言う。
 嫌な予感がするのは確か。
 それはフェイトも同じことだった。
 それでも、とフェイトは笑う。大丈夫だと、なのはがいったのだ。
「うん」
 フェイトが小さく頷いた。
 なのはは不思議そうに其れを見ている。
「大丈夫だよ」
「――うん!」
 フェイトの言葉に、なのはは力強く頷いた。
 その後ろを、2匹のクロアゲハが飛んでいく。


■□■□■


 はやては難しい顔で考え込んでいた。
 彼女の前には一つのチェス盤。
 チェス盤の前の向こう側には、シグナムが座っている。
「…」
 既に30戦30敗。
 つまるところ、シグナムに一度も勝てていない。ここいらで何とか一回勝ちたかったが、しかしシグナムは手を抜かない。
 当然だ。八神はやてがそれを命じたのだから。
 となりでヴィータがクロアゲハを撃ち落していたり、ザフィーラが横になっていたりするが、しかし今の所平和に見える。
「…あかん、負けた…」
「31戦、ここいらで休憩にしましょうか」
 シグナムが苦笑しながらチェス盤を片付けようとする。その上をクロアゲハが飛んで行ったが、しかし気にするほどではない。
 机を通りすぎた後、すぐさまヴィータに叩き落される。
「マイスターマイスター! ほらほら、乗れますよー」
「おーい、リィンどいてろ、てい」
 リィンフォースUが乗っていたクロアゲハも一緒に叩き落す。
 くるくると回転しながらはやての隣に浮かぶリィンフォースU。その顔はややむくれていた。怒っているようだが、しかし微笑ましくしか見えない。
「何するんですか、ヴィータさん!」
「そないに敵視せんくても…喋るにしても自分たちを恐れるなってくらいやろ?」
 明らかに怒っているリィンフォースUと、続けざまにいうはやて。
 それでも、ヴィータとシグナムは騎士甲冑をとこうとしない。シャマルだけは既に白衣と制服姿に戻っているのだが。
「何か不気味なんだよ、こいつら――見た目とか、喋ってるとかっていうよりも、こう――」
「受け入れてしまいそうなのだろう?」
「そう」
 言いよどむヴィータに助け舟を出したのは、シグナムだった。
 その言葉を聴いて、はやてとリィンフォースUは不思議そうな顔をする。
「つまり、主はやて、あれはどう考えても危険な代物です、我々の見た限りでは」
 シグナムが解説を始める。
「ですがその“危険な代物”も長時間、特に何もしなければ敵ではなくなる、こうやって浮遊しているだけのものでは危険ではなくなるという意味です」
「あ、なるほど」
 シグナムの解説に、はやては何か納得したように手を打った。
 その間にもヴィータがクロアゲハを撃墜していた。部屋の中にはあまり数はいない筈なのだが、しかし何だか先ほどから彼女はよく落としている。
「何か喋っているが、それにしても防衛機能だけだ、恐れるなとしか言ってい無い――つまりそういうことです、我々はコレを敵と認識できなくなることが、恐ろしい」
 今でこそ攻撃を続けているが、しかしそれが徒労にしか終わらない。
 おまけに彼らは特に何もしない。ただ増えているだけだ。
「増えているだけってのも十分怖いんだけどさ――」
 ぶつぶつとヴィータが呟きながら、適当に座り込む。
 部屋の蝶は全て撃退されていた。リィンフォースUが少しだけ不満そうに辺りを飛び回っていた。
「ですが実際にどうしようもないのも事実、そういうわけだから辛抱しろ、我々が其れを敵と認識し続けるしか対処の方法は無い」
「そうかもしんないけどさ、あー! 何か腹立つなー!」
 イライラとしながらヴィータは軽くグラーフアイゼンを振り回す。
 それがお茶を運んでいたシャマルの顔のすぐ横を通り過ぎた。ぞっとした表情でシャマルがヴィータを見やる。
「あ…ごめん」
「いえ、いいんだけど――ピリピリしすぎよ、ヴィータちゃん」
 苦笑しながらシャマルは言う。
 其れを見て、ヴィータは大人しくグラーフアイゼンを待機形態に戻した。
「…やっぱりピリピリしてるよな、アタシ」
 ヴィータが呆れ気味に呟くのを見て、はやては苦笑した。
「うん、そならとりあえず皆寝よか、今日の仕事はみんな終わっとるな?」
 そしてからとりあえずの案を掲げる。
 やるべきことをやってあるのなら、眠ることに問題は無い。はやても相当眠そうだし、とりあえず皆その案には賛成なのか思い思いにベッドに散っていく。
「地上部隊に部屋借りられて良かったよなー、でも今度の休暇には家戻らんとなあ」
「ですね、さ、はやてちゃんも眠りましょう」
 はやての言葉に答えたのはシャマルだ。そやね、とはやては若干困ったように笑った。
 家の現状が今どうなっているかを考えると、ちょっとぞっとしない。
 数えてみれば、既に1ヶ月近くは帰っていないような気がする。
「――ぞっとせんなあ、と、ウチまだちょっと用事あんねん」
 呟きながら、彼女は立ち上がる。
 シャマルが不思議そうに、用事、と顔だけで訪ねてくる。
「うん、用事――よく考えたら確かにイライラするよな、この状況って」
 ぽつりと呟くはやての顔には、少しだけ不満げなものが募っている。
 この状況がイライラするのは確からしい。
「リィンー、ちょい行くでー」
「はいですー」
 はやての声に答え、すぐにリインフォースUがはやての隣に浮かぶ。
 そして躊躇い無く部屋を出る。部屋を出た途端、4匹のクロアゲハを見た。全て適当な方向へと浮遊していく。
「…リィン」
 かすかに声を堅くするはやて。
「はい? 何です?」
「アレはもう落とさんくても良い、これ結構高度な魔法やろ、魔力は殆ど食ってない見たやけど――だから落とさんくて良い、放っておいて実害も無い」
 暢気なリィンフォースの声に、はやては何処までも声を堅くしてこたえる。
 その瞳が少しだけ、怒りに滲んでいる。
「マイスター?」
「んー、何やろ、ヴィータにあそこまでイライラさせる相手ってあんまりおらへんかったからなあ、ウチもちょっとイライラしとる」
 大げさにため息をついて、はやて。
 ヴィータのイライラの仕方が普段のものではない。あれは本当に嫌悪しているのだ。
 これらのクロアゲハに、真実の意味で嫌悪をしていた。シグナムもそうだったのだろう。でなければずっと騎士甲冑でいるわけも無い。
「落とさんくていいから、何とか発生源を掴んで――リィンにはそれを頼みたい、ええか? 相当無理言っとるけどな」
「んー、難しいと思いますよ? でもまあマイスターがやれというなら、やります、私はその為に此処にいるんですから」
 はやての言葉に、リィンは空中で一回転し、そして悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「四の五の言わずにやれって命令すればいいんです、私は貴方のデバイスですよ?」
「…それは、あんまり好きとちゃうからな」
「知ってますよ」
 くすくすと笑いながらリィンははやての周りを飛翔する。
 其れを見て呆れ気味に笑うはやて。その頬をリィンが一回叩いた。
「わ」
 ちょっと驚いたように、はやて。痛みなんかまるで無いが、しかしそれでも衝撃で多少驚愕はする。
「マイスター、ダメです、あまり難しく考えちゃ」
「え?」
「大丈夫ですよう、どんなことがあっても!」
 元気付けるようにその場で1回転するリインフォース。
 其れを見て、はやては思わず笑ってしまった。
 そう、大丈夫。
 何があっても大丈夫、と彼女は少しだけ優しく笑った。
「よし、ほなしっかりやろか!」
「はいー、ではとりあえずクロアゲハを捕まえましょうー」
 はやてとリインフォースUの声が廊下に響き渡る。
 夜も更けたこの時間、辺りには局員はあまり見ない。
 それでもクロアゲハだけは飛んでいた。何事かを喋りながら。
 

《to be continued.》





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