「アゲハ、お前今年で何歳だっけ」
「ん? 25」
「年食ったよな、お互いさ」
「そうでもないだろ、お前まだ20いってねーし」
「18じゃねーか、すぐだよ、直ぐ」
「んー、管理局員のエース達って、何歳くらいなんだ?」
「14、5だろ、確か“闇の書”事件とやらのとき9だから――」
「5年はたってるからな、おけおけ」
「ん? 何かあったのか?」
「いやー? たださ、俺らの能力って一発モノが多いだろう?
 驚くような年齢じゃなきゃ楽しくないって、そう思ってね」
「ふぅん…? まあいいや、とりあえずクロアゲハ、1024まで増やすか」


『光の子』―Aura.―
 三話『三日目――管理局地上本部』


 白い防護服に身を包まれた少女は大きくため息をついた。
 エメラルドグリーン一色に包まれた部屋。そこかしこに黒い蝶の死体の山。
 ――結論だけいえば単純な話だ。
 此処は管理局本部の中でも1,2を争う、どんな魔法にも対応できるような強度の部屋であり、つい先ほどまでは彼女が訓練をしていた。
 クロアゲハの死体に混じって何人か人が倒れている。訓練時、彼女が叩き落した武装局員の人物たちだ。倒れているのは8名であり、ウチ2名は訓練開始から5分で墜ちた。
 其れと混じってクロアゲハが、現在見えるだけでも100匹は墜ちている。
 尋常な数ではない。この訓練室だけで、既にこれだけいるのだ。楽観できるようなことではないというのに、既に彼女――高町なのはの中で、これらは脅威ではなくなっていた。
 それが尚、恐ろしい。
 自分の持つ杖、レイジングハートを強く握り締めて、苦々しい顔になるなのは。
「…どう考えても普通じゃないのに…」
 彼女の小さな呟きは、虚空に解けて消える。
「ん? まあ、確かにお前の能力は普通じゃないな」
「うひゃっ!?」
 ――しかし、その呟きに反応する声一つ。思わず驚き、奇声を上げるなのは。
 この部屋とはまた別の部屋で訓練をしていた、ウリアである。
「ウ、ウリア教官――」
「んで? 何が普通じゃないって? あーあ、全滅してんじゃねーか」
 ばりばりと頭をかきながら、なのはの驚愕など一切意に介さずに彼は喋り続ける。
 その体には、傷一つ無い。汚れやバリアジャケットの破れこそ目立つものの、体に傷は一つも無かった。全然余裕だ。その事実に、多少なのはは驚愕する。
 彼も彼女と同じように、訓練をしていたはずだ。しかし其れにもかかわらずこの余裕。
「こりゃお前も見習い卒業だな、おめでと」
「いえ、見習いって言うのウリア教官だけですけど…」
 彼の言葉に、なのはは呆れ気味に返答した。
 そうだったそうだった、とウリアは実に上機嫌だ。何がそんなに楽しいのだろうか。
「しっかし容赦ないね、お前――つーかさ、あそこに墜ちてる2人な」
 ウリアが指をさす。なのははつられてそっちを見た。
「あれ、新入り、気をつけろお前――やりすぎると本当に自信なくすから」
「えーっと…」
 困ったように笑いながら、頬をかく。其れを見てウリアがため息をつき、彼女は益々顔を困惑させていった。
「まあいいがね、此処でコレだけ強い相手とやれば、まず実戦じゃ落ちないだろうし」
 それから可笑しそうに、彼は笑った。
 なのはは、それでも困ったように笑うだけだ。――辞めたら、自分の責任かもしれない。一瞬だけ、彼女は考え込んでしまう。
「おいなのは教導官、さっさと片付けろ、クロアゲハの死体は焼き尽くせよ、処理めんどいし」
「え、あ、はい!」
 彼の大きめの言葉に、慌ててなのはは反応する。
 そのときには既に、彼はトレーニングルームを出ていた。
 其れを見ながら、なのはは少しだけため息をつく。
 あまりにも自然な動作、声、呼吸。
 彼の動作は、全て戦場におかれる戦士のものだ。全ての動作が、常に戦いを想定している。
「…ウリア=L=ゲイズレスト、かあ…」
 超えるべき目標として、彼女は彼を認識する。
 それにあれでまだ、戦技教導隊副長。といっても、実力だけでいえば恐らくウリアが上だろう。
 だが、未だにウリアが隊長に勝ったという話は聞かない。
 なのはも一度彼と隊長との戦闘記録を見ているが、しかしどうにも腑に落ちなかった。
 ――手を抜いているわけではない。真剣に戦っていないわけではない。二人とも非殺傷設定だが、殺すつもりでやっているだろう。
 それが妙に恐ろしく。
 そして、美しかった。
 記録にもかかわらず、空気は緊張に張り詰めていた。身が裂けるほどに張り詰め、命を削るほどに消耗しているというのに――。
 ――その二人はまるで――。
「…」
 戦闘記録を思い出してか、思わず身震いするなのは。
 あれだけ鮮やかな戦闘を、彼女はこれまで一度も見た事が無い。
 そして、それゆえに、彼女は納得がいかない。
 模擬戦だった。だが、決着は結局つかないまま――お互い傷の一つも無いままに、終わった。
 傷も無く、汚れも無い。
 そのまま戦いが終わった。
 それだけが、腑に落ちない。
「つまり、2人とも模擬戦程度で全力を出すつもりが無いんだよね、きっと…」
 思わずため息をつくなのは。
 その間にも、どんどんとクロアゲハを焼き尽くしていく。砲撃で、倒れている戦技教官たちに当たらないように次々消滅させていく。
 部屋に見えるクロアゲハの大半を消滅させて、なのはは大げさにため息をつく。
 それと同時にトレーニングルームの部屋の扉が開いた。入ってきたのは、金髪の長い髪の毛に、淡い笑顔の局員。
「なのは、終わった?」
「あ、フェイトちゃん!」
 入ってきた人物――フェイトを見て、なのははあっという間に寄っていく。
 倒れている人物たちの立場が無いことなど今更のように無視だ。
「さっきそこでウリアさんと会ったよ――ねえなのは、私彼とどこかで会ったっけ?」
「え? んー…フェイトちゃんとウリアさんは、あまり接点無いと思うけど…?」
 方や、L級時空艦船アースラの執務官、方や、管理局戦技教導隊福隊長。
 接点などそうそうあるはずも無い。フェイトはやや肩を落としながら、かすかにため息混じりに続けた。
「さっきそこで物凄く良い笑顔で、久しぶりっていわれた」
「…あ、あはは…ウリア教官…」
 フェイトの呟きに、なのはもため息交じりに応える。
 いってしまえば何時もの事だ。彼は大体、自分に覚えのある人物に対しては“久しぶり”という。無論、相手が知ろうが知るまいが関係など無い。
 それが彼が親しまれている原因の一つなのだろうが、しかし彼を全く知らない人物からすれば怪しいことこの上ない。
「――それは、まあいいんだけどね、なのは、この後何か予定入ってる?」
「え? うーん、1時間くらい訓練記録を見て、それからまたトレーニングしようかと思ってたけど、どうしたの?」
 フェイトの問いに、なのはは軽く答えてから尋ねる。
「記録? 誰の?」
 なのはの言葉に、フェイトは驚いたように尋ねた。
 驚きもするはずだ。なのはの強さは、彼女がよく知っている。むしろなのは自身よりフェイトのほうが知っているといっても過言ではない。
 しかし驚愕するフェイトに、なのははあっけらかんと。
「ウリア教官と、キリエ教官」
「――あ、あー…戦技教導隊の隊長と副隊長か…」
 納得いったかのように、彼女は軽く笑った。
 そしてから少し悩むような顔を見せ、顎に手を当てるフェイト。其れを見て、なのははやはり疑問符をあらわにした。
「どうかした?」
「ん…ちょっと夢身が悪くて…一緒に見てても良い? その戦闘記録」
「いいよ、一緒に見よう」
 やや煮え切らないフェイトに、それでもなのはは明るく対応する。
 良かった、と微笑むフェイトを見て、彼女は少しだけ嬉しそうに笑った。
 フェイト=T=ハラオウンには笑顔が似合うと、なのはの笑顔が物語る。


■□■□■


 暇つぶしにやっていたルービックキューブを放り投げる。
 どうあっても面が揃わない。大した娯楽も無いこの場所では、こういうモノ以外には中々暇つぶしの手段が無いのだ。
 仕方が無いか、と彼は椅子に背を預けて座っていた。
 全身白い服。その茶発を惜しげもなく伸ばしている。単に、最近切っていないというだけだが、別に切る気も無いらしくその髪の毛は小柄な体に釣り合わないほどに長くなっていた。
 赤茶けた瞳を辺りに向ける。
 そこに居る人々は、全員暇をもてあましているようだった。
「――や、まあ仕方ないといえば仕方ないんですが」
 くく、と彼は一人呟いて笑う。
 時空管理局本部。此処は、いってしまえばつまり留置所だ。
 捕らえられた犯罪者たちが放り込まれる場所。時空犯罪者を制圧し、ロストロギアがあればそれも回収。首謀者それ以下の人物は、此処へと放り込まれる。
 別に待遇が悪いわけではない。厚生施設と考えれば解りやすい程度には整っている。もっとも、とんでもなく酷いことをすればこういう場所にも放り込まれないが。
 魔力なども全部制限され、クーデターを起こしたところで無謀の一言。正直な話をするならば、勝ち目など一切無い。
 扉が開かれることなどめったに無い。あったとしても、拘束期間終了で此処から開放されると告げられるか、あるいは死刑宣告をつげに来るくらいだろう。
 だからこそ、その扉が開かれたとき、彼は迷わずそちらを見た。
 いい加減、自分にも死刑執行の告知が来ないだろうかと、彼は少しだけワクワクしてまっている。
「って、確か僕の拘束期間、566年とかいわれてたっけ」
 自分で呟いてから後悔した。最近は医療なども発達しているから、上手くいけば500年くらいなら生きていられるかもしれない。それが過ぎれば死刑も決定したりしている。
 入ってきたその人物は、なぜかしっかりと彼のほうに向かってくる。
「?」
 一瞬だけそちらを見て、彼は疑問符をあらわにした。
 彼の前で足を止める、入ってきたその男性。お供もつけず、1人で此処まできているようだった。ここに入れるからには相当権力があるのだろうし――お供もつけていないというのは、それなりに不思議だった。
「ファントムハイヴのリーダー、アードルだな?」
「…OK、何か聞きたい事でもあるってワケね、伺いましょ」
 椅子から立ち上がり、鬱陶しそうに髪の毛を払った。
 髪の毛が無ければ、彼は只の少年だ。やたらと長い髪の毛だけが、彼の年齢を偽証していた。
 彼の実年齢は、現時点で13だ。髪の毛のせいで、どうしてもそうは見えないが。
「お茶でも入れてくるよ、アンタ、名前は?」
「時空管理局L級時空艦船アースラ提督、クロノ=ハラオウン」
 はいはい、と適当に応えながら、アードルは茶を汲むために立ち上がった。
 数分後、紙コップを片手に、クロノの話を聞くアードルが居る。
「それで? 聞きたい話って何?」
「話が早くて助かるよ、ファントムハイヴを潰した連中について聞きたいんだ」
「“虚の番犬”?」
 クロノの言葉に、アードルは僅かに笑ってその名をかたる。
 その名前に対して、クロノは頷いた。ふぅん、と彼はやや興味深そうに笑う。
「なるほど、そういうことか――管理局が大ピンチ、と」
 そして一人で勝手に頷いて笑った。
 それから手早く髪の毛を纏め上げ、あっという間にポニーテールにする。クロノは黙ってその行動を見ていた。
「お断りだよ、何であんたらにそんな情報を渡さなくちゃならないんだ」
 それからきっぱりと、アードルはそうやって応えた。
 む、とクロノの顔が困惑と僅かな怒りに歪んだ。
「相手は君の組織も潰したんだが、惜しくは無いのか」
「潰した? ああ――そういやそうだっけ、ふん、でも君らよりは好感が持てるな、あんた達みたいに勝手に介入してるわけじゃないんだし」
 その言葉に、クロノは疑問符を露にした。そして、その反応が気に入ったのか、アードルは軽く口を滑らせる。
「少なくとも、今は別に大した恨みを持っちゃ居ないよ、あんた達はロストロギアが発動し、関わっているというだけで、その世界に介入しようとする」
 大した理由は無いとアードルは笑った。
 其れに対してクロノは何も言わない。
「彼らは別に大した理由も無くこちらを壊滅させていくわけじゃない、偶然さ、偶然でこっちを壊滅させていく」
「偶然?」
「その世界の住人に迷惑がかかっていて、そしてその世界の住人に頼まれた、だから壊滅させる、それだけだろう――いやまあ、転移したのに追ってきたけどね」
 アードルはくすくす笑って、そのまま続けた。
 クロノは益々疑問符を露にして行く。彼らは何か目的があって活動しているわけではないのか。
「さ、話はここまで、僕からしてみれば君らのほうがよっぽど悪人だぜ、大義名分を元に、あらゆる世界への介入を正当化させようなんておこがましいにも程がある」
 可笑しそうに笑いながら彼は茶を一口すする。
「――お前、何処まで知ってる? “虚の番犬”について――」
 クロノは顔を厳しくして、アードルに尋ねる。
 さぁね、と彼は実に楽しそうに応えた。
「構成メンバーだって解らずじまいってことにしといてくれよ、正直な話、あんた達に情報を受け渡すくらいなら舌噛み切って死んだほうがマシ」
「嫌われたものだな」
 そりゃそうだと、アードルは笑った。
 嫌われていないわけが無い。彼らは捕らえる者で、彼は捕らえられるものだ。どちらもどちらを嫌っている。
 クロノはこれ以上話を聞くのは無理と判断してか、その部屋を出て行く。
 其れを見計らったように、アードルの隣に一人の大柄の男性が現れた。アードルからしてみれば顔見知りだ。
 此処に留置されている期間は既に3年を超える。此処にいる人々も、大体の顔を覚えてしまうくらいには長い期間だった。新顔、古参、結構な人がここには居る。
「よお、“虚の番犬”って何だ?」
「ウチの組織を潰した連中だよ、構成メンバーはたったの5人、ウチの組織は300名以上で構成されてたんだけどね――手並みは見事だった、潰すほうも潰されるほうも、実に悪くないね、あれなら、うん、殺してくれなかったのが実に残念」
 アードルは笑って応える。
 それぞれのメンバーの名前を挙げながら、彼は茶を飲み干した。


■□■□■


「え――なんで、今の避けられるの?」
「うわ、信じられへん! カウンター返し避けたで、今!」
「――5分戦って被弾が0か、大したものだ」
「ん? 背後からの魔弾どうやって対応したんだろ?」
「ほら、顔覗き込んでるでしょ? 目っていう鏡で見て対応したんじゃないのかな」
 随分とにぎやかなことになっていた。
 戦闘記録を見ているのは、5人。なのはとフェイトはともかく、はやてとシグナムとヴィータがなぜか居た。
 現在彼女らが見ているのはウリアとキリエ――戦技教導隊隊長――の、本局での模擬戦闘記録。
 キリエが振り向きざまにスフィアを打ち出したかと思えば、その間をすり抜けてウリアがキリエに肉薄する。交錯した一瞬その顔を覗き込み、その場に沈み込む。同時に戻ってきていたスフィアをキリエが弾き、同時にかけられた足払いを背転で回避した。
 更に空中から砲撃を打ち出すキリエ。完全なカウンターのタイミング。だがウリアは横っ飛びにそれを回避し、同時に砲撃を打ち出した。しかしそれをも、キリエは回避する。
 この間、僅かに20秒。
 彼らの戦いは、余裕で30分を超える。
「…踊ってるみてぇ」
 ヴィータはふと、そんな呟きを漏らした。
 その言葉は的を射ている。この2人は、正しく踊っているのだ。
 ウリアは赤い槍型のインテリジェントデバイス。武器としての機能性はあまりに低いが、しかし相手を突くことくらいはできそうだ。
 対してキリエは管理局で支給されているストレージデバイス、S2Uの改良版であるS2A。形状こそキリエ独自のものと成っているものの、その能力こそは元来のS2Aと対して変わりは無い。
「キリエさんも出鱈目やなあ、改良されとるとはいえ、支給品で専用デバイスに向かってくなんて」
 それで互角やし、とはやては纏めた。
 確かに彼女の能力を生かしきるにはS2Aでは足りないだろう。2人が接触し、離れ、そして戦闘を終了する。
「んー、やるなあキリエさん、これはちょっとついていけるレベルじゃないで」
「ところではやて、地上本部に居て大丈夫なの? 本部のお偉いがた、睨まない?」
 ループされている戦闘記録を止めて、フェイトがはやてに尋ねる。
 ん、と一瞬だけ考え込むようにするはやて。それから周りに居るヴォルケンリッターを見回し、にぃ、と意地の悪い笑みを浮かべる。
「皆睨まれてるんで体の良い左遷、ってところかなー」
「ええっ!?」
 本気で声を上げたのは、なのは。
 他の皆も、呆然とした顔をしている。
「――とまあ冗談はおいといて、今回なぜかウチらはミッドで待機って言われとる――」
 そこまで言って、ぴたりとはやては言葉を切る。
 それからふと、考え込むような仕草。全員違った意味で、今度は沈黙する。
「…フェイトちゃん、なのはちゃん、クロアゲハ発生したの、何時?」
「え? 一昨日からだけど――」
 一瞬だけ顔を見あわせて、はやての問いに答えるフェイト。
「どうかしましたか、主」
「…偶然やとは思うけどな、ウチらが来てからクロアゲハ発生しとらんか?」
 はやての言葉に、一瞬ヴォルケンリッターの動きが止まる。
 しかし、フェイトとなのははあっけらかんと笑った。
「それはないと思うよ」
「うん、只の偶然、これだけの事をしながらはやてしか狙ってないってことになっちゃうしね」
 二人はくすくすと笑い、はやては一瞬だけ顔を呆けさせた。
 それから考え込み、そらそうや、と彼女自身も苦笑する。
「フェイトちゃんも、来たのは一昨日だったしね――」
 なのはは苦笑してそうやって告げた。
 ふと――。
 その言葉に、フェイトが顔をゆがめる。
「…フェイトちゃん?」
「――クロノも当然、こっちに居る」
 ぽつりと、フェイトが漏らす。
「狙いは闇の書事件の人の重要参考人?」
「んー…ああ、そういえば皆揃っとるな、リンディさんとかはおらへんけど」
 フェイトの言葉に、真っ先に反応したのははやてだった。
 確かに、闇の諸事件で関わった人物は概ね全員揃っている。
「其れも無いと思うよ、だってはやてちゃんをこっちに来させるなんて、管理局本部の上層部じゃないと無理でしょ?」
 なのはの忌憚の無い意見に、フェイトとはやてはやはり、沈黙した。
 考えすぎか、とフェイトが呟く。キーボードを叩きながら、なのはは軽く苦笑した。
「大丈夫だよ、何があったって――きっと」
 そして何時もの通り、彼女はそうやって優しく呟いた。


■□■□■


 硬い音が鳴り響く。
「よお」
 黒いコートで全身を覆い、その右目だけが緑色。全身の服装の色と同じく、髪の毛と瞳は黒だ。
 コートのポケットに両手を突っ込み、違う色の瞳で暗い部屋を見渡す。
 身長はさほど高くないが、しかし威圧感がある。
 そんな人物が入って来たのを見て、イロとアゲハはお互いの作業の手を止めずにそちらを見る。
「お、シクルドじゃねーの」
「――フェイト=T=ハラオウン、本当に殺させてくれるんだろうな」
 イロの言葉を無視してコートを脱ぎ、適当に辺りに放り投げるシクルド。服の下は上下ともに真っ黒だった。その両手にはハーフフィンガーグローブ。靴は安全靴。腰元には凶悪な形状のナイフが2本刺されている。
 その姿は、どう贔屓目に見ても“人を殺す”の一点に特化した姿にしか見えない。
「1対1にはしてあげるけど、そこから先はお前しだいだ、シクルド」
 アゲハが、やはりお手玉をしながら彼に言う。
 その手にあるお手玉は、今度は7つだ。
「――そうか、おい、ミカエルとエルはどうした、何故此処にいない」
「ミカエルは召喚魔法を準備中、エルは既に管理局内に潜伏してる、いや、潜伏って言い方はどうかと思うけど」
 シクルドの言葉に、アゲハは簡単に応えた。
 その間もお手玉がまるでとまらない。イロは次々キーボードを打ち込んでいく。
 それらを見て、軽くため息をつくシクルド。呆れているように、アゲハには見える。
「…解った、決行は3日後だったな、ミッドチルダ内を歩いてくるよ」
 短く言ってシクルドは部屋を出て行く。
 ミッドチルダ内を歩いて、地理図でも覚えようというのか。その姿を呆れながら眺めるイロ。その口には、栄養食品が咥えられていた。
 アゲハが愉快そうに口元をゆがめる。
「アイツも、昔のコト根に持ってるな」
「家族を殺されたんだっけ? は、そりゃ恨んだってしょうがねーけどさ…」
 アゲハとイロが口々に言う。そうそう、とアゲハが笑って、そして続けた。
「管理局も、アイツも馬鹿だ――どっちも帰ってこないってのにさ」
 そして悲しげに囁いた。
 その手からお手玉が落ちる。小さな音を立てて、それは床に落ちた。


■□■□■


 局内を飛ぶクロアゲハ。
 素手で其れを掴み取って、クロノは軽くため息をついた。
「…任務ではやてはこっちに来ているし、フェイトと俺も此処で待機――戦技教官も、なのはを含めて3名がこちらに借り出されてる、か…あまり気に入れる状況じゃない」
 素手で掴み取ったクロアゲハはまだ動いている。
 魔力を放出してクロアゲハを焼き、彼は軽くため息をついた。
「――そう、面白い状況じゃない、何でこのタイミングなんだ? なあ、どう思う、お前は」
「あら? 気づいてたのですか、抜け目の無い人です」
 クロノの声に導かれるように、通路の角から一人現れる。
 その両目が閉じられている。全身の服装は、管理局員の正装だ。髪の毛は黒い色で、肩口に届く程度に長い。
「お久しぶり、クロノ」
「――戦技教導隊、アリーゼか」
 彼の言葉に、彼女は大人しく頷いた。
 その両目が堅く閉じられているのは、彼女が盲目だということを指している。
 やや若そうだが、しかし実年齢をクロノは知っていた。――無論、表立って口には出さない。報復は、誰だって怖い。
「以前はお世話になりました、まあ、今回はなのはさんとウリア副教官のお目付け役でこちらに参りました」
「…仮にも上司だろ、お前、ウリアさんは――」
 そうですね、と彼女は実に楽しそうに笑う。
 そのまま真っ直ぐ歩き、クロノの前で彼女は手を差し出した。
「再び貴方の元で働けるとは思っても居ませんでした」
「――僕もだ、正直君のような問題児がこっちに来るとは思わなかった」
「あら、酷いですね、クロノさん」
 くすくすと微笑むアリーゼ。その笑顔の奥底が見えないことが、彼にとってはやや恐ろしかった。
 しかしとりあえず、彼はため息を一つついて、差し出された手を握り返す。
「よろしく、派手なことになりそうだから、当てにしている」
「はい――敵を殺さないように、注意しないとなりませんね、私は」
 手を放しながらアリーゼが言う。
 そのままクロノに背を向けて、ふらふらとした足取りでどこかへ行ってしまう。
「…どーいうつもりだ、上は…」
 アリーゼ=クアットル。
 クロノの知る限り、時空管理局1番の問題児。そのくせ実力、人望は確かであり、現在戦技教導隊の一人となっている。
 戦えばまず間違いなく辺りに被害を撒き散らす。
「ついに、ついたあだ名がトキガミ――全く、アースラに一時期居たとはいえ、あまりもう係わり合いになりたくなかったんだがな――」
 頭をかきながら、クロノは呟く。
 辺りに居るクロアゲハがぼそぼそと何事かを喋りながらクロノの横を通過していった。

『恐レヨ――血ト死ノ腐臭ヲ纏イシ災厄コノ地ニ舞イ降リテ3日後ニオ前ヲ喰ラウ――』

 その呟きを気にするものが、いまや管理局内には誰一人としていない。
 それが一番の問題だと、気づいているものすら誰も居ない。


《to be continued.》






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