一人は家族を失い。
 一人は仲間を失い。
 一人は家族を殺され。
 一人は好きな人を殺され。
 一人は全てを失った。
 彼らは失ったものを求め、殺した人物に対する復讐を願った。
 けれどそれでは一人では足りない。
 だから手を組んだ。
 全てを手にするために、力を合わせた。
 一人は家族を求め、一人は仲間を求め、一人は復讐を誓い、一人は破滅を願う。

 そして。
 最後の一人は。


『光の子』―Aura.―
 四話『4日目――終末への加速』


 起き上がる。窓の外から日の光が入ってこない。
 曇りだろうか、と彼女は起き抜けの目を細めて窓を見やった。
「…うわ」
 思わず絶句する。
 窓にはクロアゲハが集っていた。それは膨大な量が。
 集っているわけではない。只単純に飛んでいるだけだ。偶然ここに集まったのだろう。あるいは此処で増殖したのか。どちらにしても、大差は無いが。
「…バルディッシュ」
『Yes,Sir.』
 彼女の呟きに、テーブルの上にあったデバイスが答える。
 それを手に取り、彼女、フェイトはスフィアをいっせいに7つはなった。
 5秒で部屋のクロアゲハの大半を駆逐する。
「っ――後何匹」
 フェイトは呟きながら自分の周りにスフィアを浮かせる。
 クロアゲハの特性は掴んでいた。奴らは、殺しても殺しても次々増える。全て殲滅するには、それこそいっせいに管理局中のクロアゲハを駆逐するしかあるまい。
 だが、何処に何匹いて、また全部で何匹居るのかも解らない。増えるのには1秒程度しかかかっていないし、このクロアゲハたちは人間が入れない所に平然と入っていく。
 全ての駆逐は難しいだろう。それでもまあ、一つの部屋の分くらいなら何とかなる。
 フェイトはその光景をはっきりと見た。
 今まさに増えようとしているクロアゲハが居ることを。
「そこっ!」
 その瞬間を逃さず、2匹のクロアゲハを叩き落す。
 2分程で部屋のクロアゲハを全て駆逐する。
 外から暖かい太陽の光が差し込んできていた。時刻は5時。最近、起きる時間が不安定だと、フェイトはため息をついた。
 隣で眠るなのはを見やる。騒ぎなど何事もなかったかのように、彼女は眠っていた。
 別に音を立てたわけじゃないし、寝ていて当然だ。
「――だっていうのに、何でこんなにイライラしてるんだろう、私は…」
 フェイトがぼそりと呟いた。
 此処3日、イライラするようなことが多くなっている。原因は全てクロアゲハだろうが、それでも、なぜかフェイトはため息をついた。
 疲れているのだろうか、と僅かに思う。確かにこれだけの数のクロアゲハが居れば疲れもするだろう。全て見えているのだし。
 昨日ちょっと調べた所、このクロアゲハ、魔力素質の薄いものには見えづらいらしい。
「エイミィさんには見えてなかった、けど」
 問題はまだある。
 見えていなくても、声は聞こえるのだ。エイミィも、何だか妙な声はするけど、とだけは言っていた。単純な話、この声は暗示に近い。
 だというのに、隣で眠る高町なのはは一切不安に思っていない。
 それがイライラの正体なのだが、しかしフェイトはそれに気づいていなかった。
 かすかにため息をついて、フェイトはさっさと着替えを始める。
 此処にきて4日間。彼女は初めて、なのはよりも先にその部屋を出て行った。


■□■□■


「そろそろ効果が出てくる頃かなー、っと――万単位まで増やしたんだし、効果現れてくれなくちゃ困るんだが…」
「エルの奴は平気なのか?」
 相変わらずお手玉をしながら呟いたアゲハの言葉に、答えたのはシクルドだった。
 その姿は上半身裸。全身に玉のような汗がびっしりと浮かんでいる。両手で木刀を振っていた。木刀には鉄柱を通してあり、重さだけで言うのなら、刀と同等の代物だ。
「平気じゃない? 別に」
「うわ、仲間精神って言葉をしらねえな、お前」
 空気を裂いて木刀を振り下ろしながら、シクルドは苦笑する。
 そのまま大きく息を一つ吐いて、木刀を肩に乗せた。
「アゲハ、付き合ってくれ、模擬戦やるから」
 シクルドはそれだけを呟いてさっさとその部屋を出て行った。
 アゲハが苦笑しつつ、立ち上がる。全てのお手玉を床に落とし、ちらりとイロを振り返った。
 一心不乱でパソコンに向かって何事かを打ち込んでいる姿は、何処か化け物じみているが、そのことは口に出さない。
「模擬戦か、痛いだろうなあ」
 間抜けな呟きを残したままアゲハもそこを去っていく。
 外は、晴天だった。
 腹が立つほどには綺麗な空が広がっていた。


■□■□■


 クロノは沈黙したままにスフィアを放つ。正面に。
 続けてスフィアを放つ。横に向かって。
「…」
 大げさにため息をついて――いや、大げさではないが――クロノは机に突っ伏した。
 クロアゲハの数が多すぎる。
「仕事が手につかないだろう…」
 思わず彼は呟いた。
 クロアゲハが視界を埋め尽くすことも多々ある。鬱陶しいこと、この上ない。
 それでもクロノは仕事を続けた。何処か意地じみた所があるが、誰もそれについては触れない。とばっちりは御免である。今の所一番被害を被っているのは、無限書庫だ。
 ふと、部屋の扉が開く。またクロアゲハが少しだけ入ってきた。もうどうとでもしてくれと、彼の顔が物語っている。
「うわー、相変わらず凄い数のクロアゲハ、廊下にも溢れかえってますよ、確実に万は超えてますね」
「…何か用事か、アリーゼ=クアットル」
 入ってきた人物の顔はクロアゲハのせいで見えなかったが、声でそれが誰かを判断する。間違いなく、管理局一番の問題児、アリーゼだ。
 軽く何かが焦げ付く音がして、クロアゲハが撃ち落される。
「どうも、クロノ提督――いえいえ、ちょっとお耳に入れたいことがありまして」
「ん?」
 アリーゼの態度は何処までも軽佻浮薄。しかし別に其れに対してクロノが怒る理由は無い。
 単純にイライラはするが、しかし別にそれを態度に出すことは無かった。
「ウリアさんですけどね」
「…どうかしたか」
「ええ、何でも敵になると――彼の経歴を少し調べてください、此処にいるクロアゲハたちについても何か知っているかもしれませんよ」
 それだけを言ってアリーゼはさっさと部屋を出て行く。
 其れを聞いて、はぁ、とクロノはため息をついた。
 彼女の言うウリア、といえば一人しか居ないだろう。管理局全体でウリアの名前を探せば10人かそれ以上は出てくるだろうが、しかしこの場合其れは無視する。
 ため息混じりにスフィアを放ちながら、彼は立ち上がった。
「…まあいい、少し調べるか」
 管理局で1番の問題児だが、しかし彼女が嘘をついたという報告は無い。
 敵も味方も巻き込む魔法を使い、平然と他人を盾にする。報告書を偽っては権限を利用し堂々とプライベートまで侵害する。
 だがしかし、そこまでやって尚、彼女は嘘をつかない。
 これまでに彼女がついた嘘など、聴いたことも無い。
 クロノは無言で通信回線を開く。
「クロノ=ハラオウンだ」
『はい、何でしょう』
「戦技教官、ウリア=L=ゲイズレストについて調べてくれ、経歴などを調べ上げたら僕に報告を頼む」
『はい』
 通信回線の向こうの人物に指示を出し、クロノはその回線を切る。
 それから立ち上がり、クロノは再びため息をついた。クロアゲハが出てきてから、ため息の数が飛躍的に増えている。
「いや、仕方ない――か」
 何せこのクロアゲハ、見ているだけで精神的に負担がかかる。
 数ばっかり多いものだから。
 それからクロノは再びスフィアを飛ばす。楽にクロアゲハを撃ち落していった。
「いやもう、どうしたものか」
 正直に言えばこのクロアゲハ相手には打つ手が無い。
 けれどそれは同時にある1つの決断をクロノに要求させた。
「…よし、ちょっと行って来るか」
 クロノは立ち上がり、執務室を出て行く。その手に一応なのか、デバイスを持つ。
 外に出た途端、軽く立ちくらみがした。
 通路を一杯に埋め尽くすクロアゲハは冗談抜きで動きすら制限しそうな数だ。
 いくら飛んでいるだけとはいえ、これは流石に眩暈がする。
 もはや無害という事は無い。これは立派に人畜有害だ。だが、ここまで増えてしまったクロアゲハに対してうつては無い。
「…まさかとは思うが、これ、本局にも影響出てないだろうな…」
 クロノはぞっとした感じで呟いた。
 そうならないでほしいと、願いがこめられていた。


■□■□■


「あーもう! やってられっか、こんなのっ!」
「落ちつきぃよ、ヴィータ、訓練室でも行っておいで、あそこやったらいっくら暴れても問題ないから」
 グラーフアイゼンを振り回し叫ぶヴィータに対して、はやては何処までも冷静だった。
 振り回すたびにクロアゲハが墜ちていく。それはもう驚異的な勢いで。
 はやては書類をまとめ、要所要所でスフィアを放ってクロアゲハをこれまた結構な勢いで落としていた。
「リィンー、終わったかー?」
「はいー、データのまとめだけですけどねー」
「うんうん、しゃあないな、仕事これじゃあ捗らんのは当たり前と考えよ」
 はやては苦笑しながら答えた。再びスフィアを放ち、クロアゲハを落としていく。クロアゲハが何事かを喋っていたのも気にしない。
 それらのやり取りを見て、ヴィータの口元に苦笑が浮かぶ。その瞳には、微かな怒り。
「何か、随分余裕だな、はやては」
「ん? そかな、焦ってもしゃぁないって思うとるだけよ?」
 はやては随分と余裕がある。
 その余裕が何処から来るのか解らないヴィータにとっては、その態度は不安を煽るだけだ。それでも、はやてはその態度を崩さない。
「うーん、書類整理も捗らん…ああっ!? スフィアで打ち抜いてもーた!」
 一転して無駄に焦るはやて。其れを見て、ヴィータはかすかにため息をついた。
 この状況はどう考えても楽観視できるものではない。だというのに、はやての態度を見ているとどう考えても楽観しているとしか思えない。
 それが妙に気に入らなくて、ヴィータは少しだけ悩むようにする。
「…ん、訓練室行って来る」
 呟いて、ヴィータは部屋を後にする。
「イライラしてましたね」
「せやね、まあ仕方ないといえば仕方ないよ、これは」
 部屋を後にしたのを見計らってから、2人は会話を始める。
 聞かれれば余計にヴィータをイライラさせるだけだろうと、彼女らなりに配慮しての会話である。
「打開策あるか、リィン」
「ありませんね、初期ですら殲滅できなかったんですよ?」
 最初の頃、これがまだ数が少なかった頃。
 それですらこのクロアゲハ全てを殲滅することなど出来なかったというのに、どうして今になってこれを殲滅できるというのか。
「そういえば、此処外から見ました?」
「いや、見てない、どうかなっとったか」
 それがですね、とリィンは浮き上がり、はやての前に立ちながら難しい顔をする。
 其れを受けてはやては一転して真面目な顔になる。
「どうにもなってないんですよ」
「…は?」
 間抜けな声を出してしまったことを自覚した。
「ですから、どうにもなってないんです、1匹たりとてこのクロアゲハ、外には出てないんですよ」
 難しい顔をして、リィンフォースUが言う。
 しかしそれはおかしくはないか。
 例えば自動販売機でジュースを買う。確実にクロアゲハが数匹はつぶれている。
 例えば扉を開き、閉じる。閉じたその動作でやはりクロアゲハがつぶれている。
 そのような状況に陥りながら、尚、このクロアゲハは1匹も外に出ていないというのか。
「…アカン、これ、どんだけカオス何や…」
「打つ手なしってこういう状況を指すんでしょうね、それでこれだけやっといて一体何がやりたいのかわからないですし」
 呟きながらリィンフォースは再び飛んでいった。
 それや、とはやてはため息混じりに呟いた。これだけの事をやっておいて、一体なにがやらかしたいのかがわからない。
 スフィアで打ち抜いた書類を整理しながら、はやては軽くため息をついた。
「何が狙いやろ、これだけの事やっとるんやし、相当何か大きなことやろうとしようとしとるとは思うんやけど――」
「そこまでの過程がまるでわからないですねー」
 2人の呟きは、正しく真実を捉えている。
 この状況が2日も3日も、これ以上続けばどうなるか解らない。現在ですらヴィータを含むヴォルケンリッターが相当ストレスがたまっている。
 彼らの精神力は驚嘆するものがある。その4人を持ってしてストレスがたまっているのだ。一般人がどうなっているのか、考えたくも無い。
 この状況が続けば、暴動が起きるような可能性もある。
「そうなる前に手ぇ打つべきなんやろけど――」
「案外それが狙いなんですかね、ひょっとして」
「んー、それは無いと思いたいけど、否定できんよなあ」
 はやては軽くため息をつく。
 何処を見てもクロアゲハばかりが視界を埋め尽くすこの状況。はやてはため息混じりに、スフィアを数発打ち出し、クロアゲハをどんどんと撃ち落していった。


■□■□■


 フェイトは不意に立ち止まる。
 それから大きく、ため息をついた。――疲れているとも言われるが、しかし別にそういうことではない。
 今のため息は、単純に自己嫌悪からのものだ。
 管理局を抜け出し――別に休暇中なので悪い事は無いのだが――念話も切り、逃げ出すように市街を走っている。
 実際の所、辺りを見渡せばそういう管理局員は目に付くのだが、フェイトは自己嫌悪からかそれに気づかない。
「…何、やってるんだろ、私…」
 クロアゲハを見ていて直感した。これは危険だ、と。
 それなのに、なのはやはやては全然余裕な節がある。
 それが少し気に食わなくて。
 気に食わない自分はもっと気に食わなかった。
「――何やってるんだろう、私」
 もう一度彼女は呟く。先ほどよりも、やや小さな声で。
 辺りに居る通行人は、彼女の服装に目をやれど、彼女に声をかけるものは居ない。
 その中、彼女はその視線を感じて顔を上げる。
 冷たい視線。殺気のこもった其れが明らかに自分に向けられていると悟り、彼女は軽く体を硬くした。
 視線は正面から。
 人ごみの中、彼女は確かにその姿を確認する。
 うっすらと笑みを浮かべた黒い人影。
 その笑みに全身が硬直する。
 突き詰めて言えばぞっとした。
 単純に言えば戦慄した。
 それは純粋な敵意と、圧倒的な悪意と、何より殺意の篭った死の視線。
 視線がフェイトを捕らえて離さない。呼吸が止まる。
 アレは殺す。
 何処であろうと殺す。
 相手が誰であろうと殺すだろう。
 ためらいも無く、必殺の一撃を放つ。
 フェイトの全身に緊張が走る。どうにかしてこの場を離れなければならない。だが体が動かないのではどうしようもない。
 思わずバルディッシュに手を伸ばし――。

「あの、すいません」

 そこに声をかけられ、思わずフェイトは全身を思い切り震わせていた。
 かけられた声の方向に体を向けて――そして、それが失敗だと思った瞬間に、再び先ほどの黒い人影に視線を戻していた。
「…?」
 居ない。先ほどの黒い人影は、何処にも居ない。
 幻や白昼夢などそういう類の人物ではない。圧倒的な存在感と質量を、あの人物は持っていた。
「――あのぉ」
「え、あ、はい――すいません、何ですか」
 再び声をかけてきた人物に慌てて向き直るフェイト。
 真っ青な髪の毛に、銀色の瞳。年齢的にはフェイトよりずっと上だろう。その左目だけが眼帯で覆われていた。
「時空管理局員の方ですよね?」
「あ、はい――」
「ちょっと道を教えていただきたいのですが…」
 蒼い彼は笑顔を浮かべながら、フェイトにある店の道を尋ねる。
 彼のこれから行く店ならばフェイトもよく知っていたし、結構利用もしている。故に彼女はその道筋を結構簡単に答えられた。
「やあ、有難うございます、ところで貴方は何故此処に? 先ほども結構局員の方を見かけましたが…」
 礼を言いながら、彼は自分の疑問をフェイトに投げつける。
 彼女がその疑問に僅かに眉をひそめ、さりげなく辺りに視線を這わせると――なるほど、確かにそれなりに多くの局員が居た。
 全員が全員、外回りということではあるまい。恐らくは地上本部のあの状態に耐えられず出てきた人物たちだ。
「…一昨日の騒ぎは?」
「召喚の騒ぎですか? それならば」
 青い髪の毛の彼はニコニコと微笑んだままに、言う。
「その騒ぎの犯人を捜しているんですよ――これはもう、見過ごせる範囲のものじゃない」
「なるほど、納得がいきました」
 彼は頷いて、それから再び辺りを見回す。
 同じようにフェイトも辺りを見回す。よく見れば、確かに管理局員の数は多い。地上部隊の数を考えればこれくらいは氷山の一角とは言えど――。
「まあ、自分達の縄張りに手を出されたらやり返すのは当然か」
「それだけじゃありません、此処にいる人たちに迷惑もかかる」
 彼の言葉に、フェイトは1秒の間も無く応じる。
 ああ、と彼は驚いたような表情を浮かべ、それから本当に嬉しそうに笑う。
 その顔に、むしろフェイトが面食らった。
「良い考えです」
「は、はい?」
「強者は弱者のためにこそある、うん、その考えは美しい」
 割と本気で困惑するフェイトに対して、彼は本当に楽しそうに言う。
 彼が何を言っているのか、言っていることは解るが意味が解らない。
「なるほど、貴方は実力に不足が無い、と」
「あ、いえ――私はまだまだ、未熟ですよ」
 彼の言葉に意識を取り戻し、フェイトは慌てて、少し照れたように反応する。
 しかしその呟きには、確かに自分が未熟だということが篭っていた。
 その言葉を受けて、彼は再び「なるほど」と頷く。
「そうですか――なるほど、なるほど」
「…?」
「いえ、貴方がどういう人となりか多少わかったので」
 くすくすと微笑んで、彼は首を鳴らす。
 左目を閉じて、そして開く。開かれたその瞳の色に、軽くぞっとするフェイト。
 銀色の光の中に、愉悦が混じる。しかし彼はゆっくりと首を横に振る。
「――いえ、何でもないですよ、ただ一つ訪ねて良いですか?」
「はい、何でしょう」
「弱者の卑小なプライドを知っていますか?」
 彼の疑問に、フェイトは疑問符を浮かべる。
 それを見て満足したのか、彼は一つだけ頷いた。
「それでは、道を教えてくださって有難うございました、それから、任務ご苦労様です」
「はぁ、お気をつけて」
 青い髪の毛の彼は礼に対して、フェイ絵とは生返事だ。そのまま彼は去っていく。
 それからふと気づき、フェイトは辺りへと視線を這わせた。
 だが、何処にも居ない。先ほどの黒い人影は何処にももう居ない。
「…なんだろう、アレ…」
 ぼそりと囁くフェイト。
 その言葉が聞こえているのは、彼女だけだった。
 実際の話、誰かに聞こえるような呟きではない。
 更に、その台詞が黒い人影か、あるいは先ほど話していた彼に対するものなのか、自分でもわからない。
 とりあえずフェイトは歩き出す。
 フェイトは単純に休暇中だ。しかし先ほど彼に言った手前、召喚術者を探さないわけにもいかない。自分で言ってから気づいたのだし、探しても良いだろう。
 局内の何処にいても苦痛しかないのなら、外に居るのが一番楽だ。
 そのままフェイトは歩き出す。
 そして、気づいていながら無視したのか、あるいは先ほどの会話で本当に忘れてしまったのか。
 フェイトは念話を切断したまま、その場を歩き出した。

 その行動を眺める影が2つ。
 1つは殺気を失くした黒い影。
 もう1つは青い髪の毛をした銀眼の彼。


■□■□■


「はーい、それじゃあ今日の訓練はおしまい、お疲れ様」
 彼女の言い分に、死んだような声が返ってきた。
 辺りには雑巾のぼろきれのようになった武装局員達百数名が転がっている。ついでにクロアゲハの死体も多数。というか、山積だ。
 彼女、即ち高町なのは。
 その隣にはヴィータ、それにシグナムとアリーゼが居る。
「結構、強かったな、皆」
「弱くちゃ話にならないですよ」
 ヴィータの呟きにアリーゼが笑って答えた。
 シグナムは特に何も言わずに壁に寄りかかり、辺りを見回していた。
 クロアゲハは、山積になるほど落とされたというのにまだ辺りに浮遊している。
「…気に入らん」
 ぼそりと呟くが、誰にも聞こえない。
 なのはは事後処理を済ませた後、局員たちを送り出していく。
「流石にウリアさんの分まで戦うとなると、結構辛かったね、皆平気?」
「私は、全然大丈夫です、一応本業ですし」
「ってか何? 何時もこの半分くらい相手にすんのか、お前」
 ヴィータが本当に呆れてなのはの呟きに返答する。
 数だけでも相当多いのに、一人ひとりの戦闘力も中々高い。これは結構洒落にならない訓練だ。
「普段は一度に相手をするのは5人だけどね」
「…時間、足りるんですか?」
 やや怪訝そうにアリーゼが尋ねる。
 訓練時間は、一度につき大体2時間かそこら。5人を一度に相手にして、相手を全部落とすか、あるいはなのはに対してクリーンヒット5発で終わる。
 なのはの個人戦闘力の高さのせいもあって、一回の戦闘時間は大体10分程度だ。
 そうすると60名くらいで大体戦闘訓練時間の半分が終わる。模擬戦だけが訓練ではないし、相当時間を食っているのではないだろうか。
「そうでもないよ? 私、何時も相手するの30人くらいだから」
「え? だってこの数の半分です」
「ウリアさんが大体70人から90人相手にするの、あの人は一回10人ずつ戦ってたよ、一回の戦闘時間は大体5分以下が基本」
 その言葉に、2人は絶句し、アリーゼは感嘆のため息をついた。
 この武装局員を一度に10人ずつ。案外洒落にならない数だ。
 それでも彼は其れを平然とこなす。戦技教導隊福隊長の肩書きは、伊達ではない。
「凄いよね、ウリアさん」
「…信じられんな、新人や下位班ならともかく、上位班だろう?」
 シグナムが戦慄と共に答えた。
 先ほど彼女も訓練に参加していたが、それなりに苦戦を強いられていた。個人個人の能力よりも、彼らはコンビネーションが恐ろしい。
 上手いこと隙を作られ、攻撃される。
 武装局員は、幾つかの班に分けられる。
 上位班にはやはり腕の立つ人物が集められるし、仕事もそれなりに大変だ。命を落とすようなものもある。
 下位班には訓練をするべき人たちが集まってくる。必然的に仕事はそれなりに簡単なものとなってくる。
 新人でも有望な人物はいきなり上位班にまわされることもあったが、しかし先ほどの訓練をした人物たちはそういう人物ではない。
「うん、大概10人くらいを一度に相手をして、自分の傷は最小限ですませちゃう」
「すっげーのな、アイツ」
「相変わらずそうは見えませんけどね」
 ヴィータとアリーゼは素直な感想を漏らす。
 辺りに居るクロアゲハを適当に落としながら、なのはは笑う。
 そしてからその笑みを消して、ふと、真面目な顔で彼女は呟いた。
「でも、ちょっとおかしかったかな…」
「どうかした?」
「コンビネーションがイマイチに思えたの、何だかもっと鋭かったような気がするんだけど…」
 なのはが考え込む。
 彼女の言ったそのことに更に驚愕する3人だが、しかしなのははまるで気にしない。
 アレでイマイチなのか、とシグナムなど素直に苦笑している。
「それでも前より能力上がってたし、また訓練メニュー考え直さなくちゃ」
 元気一杯になのはは頷いて、それから辺りのクロアゲハの掃討を始めた。
 そして彼女はついに気づかなかった。
 ヴィータ、シグナム。
 2人の距離が、昨日よりも少しだけ離れていることについて。
 2人の言動が、少しだけかみ合っていないことについて。
 そして。
 アリーゼという彼女が、2人とまるで話していないことについて。

 意識を刈り取るという作業は、実はさほど難しいものではない。
 どんな人物でも単調作業が続けば段々といやになってくる。
 それが無駄な作業だとわかれば尚更だ。
 何かを作り、作った其れを解体し続ける作業など、無駄にも程がある。
 故に彼が狙ったのは其れだった。
 やってもやっても無駄なこと。徒労に終わらせ、後はそれを只管無視させる。
 故に誰も気づかなかった。
 クロアゲハが喋っていることに対して、誰も気に留めなかった。

『恐レヨ、敵ハ直グ隣ニ居ルモノゾ――』

 そうして、また。
 今日という1日が終わる。


《to be continued.》





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