ぽたりぽたりと何かが落ちて行く。 心の中にある何者かが少しずつ削れていく感覚。 どこかに置き忘れてきた荷物。どこかに忘れてきた世界。 「トランスポーターは復活してるかっ!?」 その声で現実に引き戻された。 クロノ=ハラオウンの声。今は彼の前を走っている。 アゲハ=ウィスプ=トワイライトは慌てて意識を現実に引き戻す。日溜りの世界に戻ってこなければ話にならない。 「大丈夫だよ」 「エイミィ、ああ、助かった! アゲハさん! 直ぐ戻れます!」 「解った、アッチに戻ったらこっちに多少なりとも兵力を送るように進言するよ」 「お願いします、僕は直ぐ戦場に戻る、辛いだろうけどみな、頼んだ!」 そうだ、まだ終わっていない。 特に自分の目的などまだ少しも達成されていない。此処で立ち止まるわけにはいかない。 武器はある。ならば後は、戦うだけだ。 『光の子』=Aura.= 第十五話『7日目――桜色の兵器』 鈍い音が響く。ずん、と辺りが破壊される音だ。 高町なのはは生まれて初めて、戦いの中で困惑していた。 いや、違う。初めてではない。結構今までも困惑してきた事象はある。相手が同じような年代の少女だったり、実は敵が身近に居たりと。 だが、少なくとも今まで目の前の敵のような奴は居なかった。 「どうした、いくら貴様らとて無抵抗のまま殺されるのはしのびあるまい」 集まっている局員は、なのはを含めて凡そ150名。 それが、悉く屠られている。それ自体は問題ではない。実際、此処にいる犯罪者たちのなかにはこれくらいの実力者は多い。 「殺される中で、せめて己くらいは掴んでみたらどうだ」 素手で局員の頭を1つ掴む。そしてそのまま握りつぶす。先程も似たような光景は見たので、然程驚く所ではないだろう。実際は充分驚く所だが、そこで驚いていても仕方が無い。 1人に攻撃すれば、当然隙が生まれる。生まれた隙に、次々と攻撃を仕掛ける。 放たれる魔法。収束射撃魔法に多量のスフィア。 当たらないわけではない。“みなしご”ならば次々とそれらを回避しながら攻撃するのだが、彼は全然違う。 全て、直撃した。 「…くだらん」 「な、なんでだぁっ!?」 これだ。 スフィア、射撃魔法、全部直撃にもかかわらず、彼にはまるでダメージが無い。 頭。体。腕、局部――あらゆる場所に攻撃は当たっているはずなのに、彼は顔色一つ変えずにその武器を振り回し、あるいは素手で相手を殺す。 武器。その武器も問題だった。 巨大な鉄球こそが、彼の武器だった。巨大な鉄球に、これまた巨大な鎖をつけた、総重量100キロは下らないような圧倒的な武装。完全な球体に突起が幾つか付いている。 高さだけで、なのはの身長より少し高い。当然幅も同程度だ。それを鎖でぶん回すのだから、破壊力は速度の相乗分出ることになる。この狭い室内で振り回すだけで、巻き込まれて死亡する者が多数だ。 「高町っ! 何とかできない!?」 「…あの、既にディバインバスター3発当ててるんですけど、フルパワーで」 最初は150名いたものも、今では既に50名程度に減っている。これでもなのははフルでサポートに回っていた。それで助けられた人物も多い。 振り回される鉄球に対してスフィアを当て、軌道をそらし、あるいはディバインバスターで吹っ飛ばす。彼女は最大の攻撃である鉄球の攻撃を幾度と無く防いでいるのだ。 だが、それだけだ。 ディバインバスター3発のうち、2発は相手に直撃させた。 平然と立っている事さえ除けば直撃だというのは解るだろう。 「何だよあのバケモノ…勝てるのかよ」 弱音も幾つか出始めている。 飲まれているのだ。あの異様な能力に。戦線は大分みな下がっていた。 鎖を引く音が聞こえる。再びあの鉄球を振り回そうというのか。 「…使ってみようか、レイジングハート」 『“マーブル”ですか?』 「うん、まだ連続では打てないけど、やってみよう」 戦況は悪い。流れが彼の側に向いている。数で押せるような相手ではない。 少なくとも、今までの高町なのはの戦闘経験から言えば、あのような敵と戦ったことは無かった。 ディバインバスターを盾で防いだり、物影に入って防ぐ敵はいたが、直撃しても平気という敵は、只の一人もいなかった。 「…」 後ろに居る40数名を守るように、なのはは誰よりも一番前に立っていた。 あの破壊力に気おされて、誰もが後ろに下がる中、なのはだけは前で立っていた。言いたくは無いが、此処にいる程度の人たちでは足手まといだ。相手も悪いが、場所も悪い。 「くそ、戦技教導隊って言っても役立たずか」 ――そんな声も聞こえる。確かに見た目は小さい女子だ。役立たずといわれても、仕方が無い。 おまけにこの状況。拍子をかけるだろう。故に、なのははそんな声が聞こえてもまるで気にしなかった。 「自身の能力のなさを棚上げにして他者を役立たずというか」 「っ!?」 鎖を鳴らしながら敵が言う。 敵は未だに名乗っては居ない。寡黙だが、名乗るほどでもないという意味か、あるいは名乗るほどの敵ではないという意味なのかは解らない。 「空気に呑まれ、それでも必死になって戦っている人間を見て役立たずと笑う、貴様らの方がよほど愚かだ」 しん、と辺りが静まった。 威圧感が辺りを包んで行く。誰も声を出せずに、彼の言葉に聞き入っていた。 「我が名はリュウビ、この暴風に抗って見せろ、もしかすれば微かにでも何かつかめるかも知れんぞ」 「っ! レイジングハート、ディバインバスター!」 『了解』 リュウビと名乗った敵と、なのはが動くのはほぼ同時だった。 だが、リュウビの方が一拍遅れて鉄球を振り回す。結果としてなのはのディバインバスターが鉄球を撃ち落し、被害を最小限に喰いとどめた。 「…」 「下がってください、皆さん、相性が悪すぎます、大勢で勝てるような相手じゃない」 言いながら、彼女は目の前にアクセルスフィアを合計して4つ出現させる。普段から使っているものより、少しだけ大きい。 浮き上がり、彼女は大きく息をついた。後ろは気にしない。例え何を言われても、気にしてなど居られない。この敵に勝つならば、やはり外というのが必須条件だ。室内戦に向いているのは、何も“みなしご”ばかりではない。 それから目を見開き、一息の元に叫ぶ。 「レイジングハート! アクセルシューター“マーブル”!」 『了解』 4つのスフィアが動く。4つ同時に全く同じ円の軌跡を描き、1つのドーナッツ状の円を作り上げた。 イメージは、4つのスフィアで作り上げる円状鋸。 破壊力は通常のスフィアなどとは比べ物にならないだろう。 「…ほう、面白い技を使う」 「高町! すまない、任せられるか!?」 隊長格らしき人物が、下から彼女に向かって叫んだ。 はい、とそれに元気よく頷く。だが、視線はリュウビに向きっぱなしだ。一瞬でも彼から視線を逸らせば倒されるということを、彼女は理解している。 この戦場において最も若い彼女は、この戦場において誰より強い敵を理解していた。 「なるほど、技ではなく業の類、貴様のような人間もいるか…愚か者の集まりかと思っていたが、そうでもないらしい」 言いながら、リュウビは鎖から手を放す。 そしてそのまま鉄球を引っつかみ、持ち上げた。――とんでもない背筋力と腕力だ。あの鉄球、実は見た目ほど重たくないのだろうか。 「――ええい、下がれ、此処にいても俺らじゃ足手まといだ! 彼女とて戦技教導隊! 俺たちは別の場所に回る!」 「了解!」 「ちっ、了解…高町、なのは! 負けるなよ!」 最後に叱咤されて、彼らは戦場から離れて行く。残ったのは、高町なのはとリュウビと名乗った敵だけ。 2人ともまるで動かない。互いに隙が無いわけではない。だが、打ち込めば確実にその隙よりも大きな隙が出来る。何かのきっかけが、必要なのだ。 アクセルシューター・マーブルが延々と回転を続ける。鉄球は微動だにしない。 静寂を破ったのは、一発のスフィアだった。 なのはの下を通り抜け、確実にリュウビの顔面に向かう。 「…!」 「シュートっ!」 顔面に直撃したスフィアと同時に、なのはがアクセルシューター・マーブルを放つ。リュウビはまるで動じていないが、それでも隙がコトは否めないと鉄球を投げはなった。 空中で交差する2つの力。大分拮抗しているが、なのはのほうが若干不利か。 だが、一々その拮抗の終焉を待ったりはしない。 なのはは既にリュウビの後ろに回りこみ、次の攻撃の準備をしていた。 「レイジグンハート!」 『了解、ディバインバスター』 「ぬ――ぉおおおおおお!」 リュウビもその場で旋回し、放たれたそれに向かって拳を突き出す。一撃で、ディバインバスターは弾かれた。それくらいはどうでもいい。先程と何ら変わっていない。 弾いた後、リュウビは鎖を掴みなおし、鉄球を再び振り回す。 「アクセルシューター!」 『シュート』 合計して12発の光の弾がリュウビと鉄球に向かう。例えリュウビにすべて直撃させても効果は無いだろう。だが、鉄球を落とすためならば充分に使える。 鉄球の機動を無理矢理に逸らし、床に叩き落す。 更に直後、なのはは攻撃を準備していた。 「――何度でも、倒れるまで! 攻撃を続ける!」 「…なるほど、有効だな」 リュウビが薄く笑う。その笑いは誰にも見えないほど、小さな笑いだ。 だが、何故かなのはには見えていた。 その小さな笑いが、見えていた。 抗争はまだ、終わらない。 ■□■□■ ――そうしてその場所に戻ってくる。 ハロー。こんにちは。適当な挨拶を交わした。 そのときの会話には特筆すべきことは一つとしてない。只言うのならば、地上本部の戦力が思った以上に少なかったことくらいか。 先ず、謝らなければならない人物が居る。 そのために、彼はある場所へと向かった。 「あれ?」 普段は多くの人物で賑わっているその場所も、今はたった1人の人物しか居ない。 どういうことなのか解らないが、普段は無限書庫と呼ばれるその場所の中に彼は入っていった。 「…あれ? 休憩、出したはずだけど」 誰かは言ってきた気配に気づいてか、彼は振り向きもせずに言う。その手には書物が収まっていた。何かを熱心に読んでいるらしい。 「聞いてないよ司書長?」 「アゲハ…さん?」 声を出すと、流石に誰か解ったらしく、彼は振り向いた。 ハニーブロンドの髪の毛。頬が軽く扱けている。辺りには書物だけではなく栄養ドリンクの空瓶も浮かんでいた。 彼が誰か、アゲハはよく知っていた。 「や、ユーノ司書長、お久しぶり…って程でもないか」 「…ですね、先日あったばかりですし、久しぶりという感じではないです」 本を閉じながら、ユーノはアゲハの言に応じる。 何かの記録表のようだが、それが何なのか、流石に拍子を見ただけでは解らない。 「今回はお世話になったね、君にはお世話になりっぱなしだ」 「いえいえ、実際の所貴方に受けた恩恵に比べれば微々たるものですが…地図、役に立ちましたか?」 「ああ、それだけじゃなくて、“虚の番犬”についても必要最低限の情報しか開示して無いだろう、君? 全部知ってたらクロノ君、僕にあってあんなに普通に接せ無いから」 何だ、そんなことですかと彼は酷く簡単に本に触れる。 その本に簡単な術式を描き、恐らくはそれと同じ類の本が纏めてある場所へと戻した。素晴らしい手際だ。 この無限書庫も、昔よりは大分使いやすくなっている。 それでも、まだまだ荒れている場所も多い。一般人にも使えるようにするには、これから先まだ何年か必要だろう。 「君、デバイスとかは作らないの? 結構便利だと思うんだけど、こういう場所で働くなら、特に」 「必要ないです」 アゲハの心配の声に対して彼は徹底してそっけない。 「デバイスから情報が漏れないとも限りません、アゲハさんにだから話しますけど、僕、この手で殺さなくちゃ行けない人が居るんですよね」 ――ぞっとするほど冷たい目をしながら、ユーのは淡々と語る。 アゲハは特に何の反応も示さず、それを聞いていた。 「そのときのために、できる限り僕の情報は秘匿したい、今どれくらい鍛えているかとかどれだけ魔法が使えるか、とか」 そして。 どれだけ憎悪が深いのかという情報も、誰にも話したくないのだとユーノは語る。 「貴方だから話しますよ、貴方の魔法を知りましたから」 「ああ、なるほど」 納得したようにアゲハは笑った。それから眼帯を外し、それをユーノに受け渡す。流石にこれには疑問符を浮かべるユーノ。 「あげる、殺したい人間が居るなら便利だよ、それは」 「…はぁ、そうですか」 釈然としない顔をしながらもユーノはそれをポケットに仕舞いこんだ。 彼は比較的嘘をつかない。最も、今回それは当てにならないが。 「そうだ、地上本部」 「ごめん、やっぱり死人でた」 「…ですよねえ、結構派手にやってるみたいですし、最後には生き返りますか?」 「うん」 悪びれた風も無く言うアゲハに、ユーノはため息混じりに返した。 まあそれならいいか、と仕方無しに認めてくれたのをアゲハはしっかりと見ている。 「貴方に何を言っても仕方ないですし、何も言いませんよ、しっかりやってください」 「それ、殺人をしっかりやれって意味なのかどうか微妙な所だね、でも頷いておくよ、それとこれからの僕の行動は止めないように」 たったそれだけの短い会話。 時間にして5分程度の会話を交わして、アゲハは背を向けてその場を去って行く。 その背中に、ふと、最後の言葉がかけられた。 「解っていますよ、黄昏の館、囁く黄昏アゲハ…互いに覚えていたら、またあいましょう」 そうだね、と答え、無限書庫を出て行く。 そこでひとつ大きく背伸びをして、軽く指で腕輪を叩いた。 「ルヴィカンテ、さっきの会話、主要部分は除去して」 『All right.』 彼の言う主要部分は無論、ユーノが誰かを殺す殺さないという話だ。 そんな会話を、たった一片でも残すべきではない。今回彼はよく働いてくれた。それ相応の礼儀をもってして返すべきだ。 無言で何時ものように笑いながら歩いて行く。 「あ、眼帯…いいか、ルヴィカンテ、記録お願い」 『…』 解っていますよ、と無言で言われた気分だ。 予備の眼帯はそういえば用意していない。だがまあしかし、それを嘆いても仕方ないだろう。 だからそのまま廊下を歩いて行く。 では、目的を果たすことにしようか。そのために此処に来たのだ。地上本部はもう自由に戦っているだろう。 始めから目的を与えていない犯罪者連合だ。 それはそれは自由に戦っていることだろう。 「よし、始めるか」 アゲハは、そういって駆け出した。 目的は3つ。その3つを出来る限りスムーズに片付けて、さっさと地上に戻るようにしよう。明らかにスムーズには終わらないが、何とかしなければならないだろう。 ■ 再び、書物を開く。 先程なんで自分はあんなことを言ってしまったのか解らない。誰にも話すつもりは無かったのだが。 誰かに話して、楽になりたかったのだろうか。 いや、それはない。 それだけは無いはずだ。誰かに話して楽になることなど、無い。 「…覚えておいて、欲しかったのかな」 ふと、呟く。 アゲハ=ウィスプ=トワイライトは無限書庫によく力を貸してくれた。有能な司書や、虚の番犬に携わる部下を何人も貸してくれたり、他の実権無能な人物たちからの依頼を断ったりと、様々なことを。 彼の権力は、それなりに大きい。中将並の権力があったはずだ。断るくらいならば、できる。 覚えておいて欲しかったのか。 あるいは、そうだったのかもしれない。 酷く人望のある人だったし、楽しい人だったのは確かだ。覚えておいて欲しかったというのなら、あるいはそうなのだろう。だが、それも違う気がする。 忘れて欲しくない。 むしろ、そっちの表現がしっくり来る。 誰とも下手に関係を持たない彼だが、アゲハとは友人になりたかったのだろうか。それくらいはあるだろう。アゲハの魔法の特性上、彼も下手に友人を作れない。似ているとでも思ったのか。 ――それは違うだろうとユーノは笑った。 自分と彼とが全然違うことくらいは、承知している。彼のほうがよっぽど辛い立場に居るのだ。だが、それは別に比べられることではない。 だからせめて只の友人でありたかったのだろう。年齢など、関係ないくらいの友人でありたかった。 「まあいいや、それより奴の情報転がってないかなあ、ミッドチルダ在住なら情報あるはずなんだけど、一個も残さない辺り流石か…時空管理虚に来るのを待つしかないかなあ、何かそのうち所属するみたいなことを言っていたし」 気分を切り替えるように呟きながら、彼は軽く背伸びをする。 少しだけ、眠い。寝るべきかもしれない。幸いにして地上本部からの依頼は現在一つも無く、案件は現在全てなくなっている状況だ。 ここは休んでおくべきか、と彼は自分の部屋へと向かった。 いい加減、その部屋も片付けなければならない。暇を見て――といっても暇など無いか――片付ける。 アゲハが居なくなれば、更に暇はなくなるだろう。 だが、それくらいは別にどうということはない。 ユーノはベッドにもぐりながら思い出す。あの悪夢を。悪夢を起こした、張本人のコトを。 「…なんだかなあ 何でこう、僕は馬鹿なのだろうか」 憎悪に満ちた、しかし冷めた声でユーノははっきりという。 誰にも聴かれていないことなど承知の上だ。 だから安心して、クスっと笑った。 普段の彼からは創造できないような、見ていてぞっとするような、笑いだった。 《to be conitnued.》 |