“親密に見える二人 誰も知らない時間編”
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“親密に見える二人 誰も知らない時間編”




「すずかの家に遊びに呼ばれてるんだ」

「ああ、楽しんでくるといい」

「クロノも一緒に来ない?」

「え?僕が行っても邪魔になるだけだろう」

「すずかがね、よかったらクロノさんにも声をかけてみてって言ってたから」

そう言いながら、フェイトの表情にも疑問の色がある。

まあ、それも当然だろう。

フェイトとすずかは親友だが、すずかとクロノには直接的な接点はあまりない。

間接的に、フェイト等から互いの立場や名前等を聞く事はあるがその程度である。






少なくとも、二人以外の多くの人間の、クロノとすずかの関係に関してはそういう認識である。





だが、それは二人の間では少しだけ違っていた。

だけど、それは本当に大したことではないと、少なくともクロノは思っていて

すずかの招待を受けるべきか、断るべきか迷っていた。

それでも、彼女の住むところに全く興味がなかったわけではなくて

「……わかった、すぐ準備をするから、悪いけど少し待っていてくれ」

せっかくだからと、その招待を受けることにした。




「すずかの家に行くの久しぶり……」

「そうなのか?」

「うん、誰かの家に遊びに行くときはアリサの家が多いんだ。なのははすずかの家によく行ってるみたいなんだけど」

すずかの家に行く途中、なんでもないことを話しながら、二人は並んで歩いている。

そんな、義妹との会話をしながら、クロノは目の前の義妹も知らないであろう、すずかとの接点のことをなんとなく思い出していた。









『この世界』に自宅ができたころ、クロノは潜伏する世界を知ろうと、決意していた。

仕事でもないのに、潜伏する等の表現が意識上で出てくる辺り病気である。

とにもかくにも、クロノは、任務で別世界に潜伏、その世界の住人に同化しながら任務を果たすときのノリで『この世界』のことを知ろうとしていたのである。

その目的を果たすため、クロノは図書館へと足を運んでいた。

ここに保管された、大量の蔵書に目を通せば『世界』のことも分かると踏んだのである。

図書館内で参考になりそうな歴史書を見繕い、座る場所を探すクロノ

「参ったな……」

館内は静かで人も多いというわけではない。

しかし、館内の読書スペースのテーブルには、必ず一人ないし二人の人が座っている。

見ず知らずの人にいきなり相席を頼むのも気が引ける。

「借りることも出来るみたいだが…いまいちやり方がまだ分からないしな…」

それに、適当に当たりをつけて取ってきた本なので、目的に合った物かここで確認したかった。

その時、ふと一人の少女が目に付いた。

彼女は、腰まで伸ばした美しい髪で整った顔に影を作りながら、じっと、本に視線を落としていた。

それは、ひと目で本の世界に引き込まれていると分かる様子で

この場所に、それほど相応しい一枚絵はなかった。

そして、クロノにはその少女に見覚えがあった。

「すいません、こちら、席を一緒させてよろしいですか?お嬢さん」

その声に、少女は顔を上げる。

「……!」

声の主が見たことのある人だったことに少しだけ驚いて

「ええ、どうぞ…フェイトちゃんのお兄さん…クロノさん…でしたね」

「うん、ありがとう、すずか」

「覚えていてくれたんですね。私の名前」

「僕は、何かと不器用だが…少しでも、会った人の顔と名前は忘れないんだ」

「そうなんですか」

すずかは、愉快気に楚々と笑う。

互いに、ずすかにとっての親友の家、クロノにとっての自宅で互いに姿を見ることはあっても、めったに言葉を交わさない二人だが

そこに流れる雰囲気はその場と同じように、静かで穏やかだった。





クロノは書へと、黙々と目を通す。

ばらばらの歴史、国、史実、神話をより分け、パズルをくみ上げるように順番に理解していく。

楽な作業というわけでもないが、常日頃行っている書類仕事と比べれば楽なものだ。

1冊読み終えて、ふと前を見る。

すずかの姿が視界に入る。

義妹達と同じ年齢の彼女

それは『幼い』と表現できる年頃だろう。

それでも、整った顔立ちで、真剣に書を読むその姿は、実年齢など関係なく、絵になっていた。

その情景を見たときの感情は、どのように表現するべきだろうと、ふと考えて

うまい言葉が見つからなかった。

ただ、彼女にはこの場所と、そして本を読んでいるということがひどく似合っているように思った。

自分は、語彙が少ないのかもしれない、などとクロノは苦笑して、読後の心地よい疲労感が抜けるまで、彼女の様子を見つめていた。





すずかは、そのあまりに穏やかな静寂の中

一人でいるような錯覚を覚えて、視線を前に送った。

そこには、変わらず、名はよく知っているのに、何も知らない年上の彼の姿

彼は難しそうな顔で、本を読んでいる。

その顔を見て、すずかはつい声を出さずに笑ってしまった。

笑うべき要素など、何もなかった。

ただ、いつも誇らしげに彼のことを話す親友の話を思い出して

ああ、きっと仕事中もこんな顔をしているんだろうな…と、よく知りもしないのに思ってしまったのだ。

親友は、彼のことを話すときはいつも、誇らしげで、でも働きすぎをとても心配していた。

それを、垣間見ることが出来て、どこか嬉しくて…こんなところでそれを見てしまったことが、何か可笑しかった。





それから、二人はこの場所で何度も会うことになる。

クロノがそこを訪れるのはたまの休日になるので、回数自体はそう多くない。

しかし、図書館に置かれた蔵書は1日、2日で読みきれるものではなく、クロノは休日には図書館を訪れていた。

クロノの休日であるその日、すずかは、必ずではないにしろ十中八九そこにいた。

「君は、本当に本を読むのが好きなんだな」

「どうしてですか?」

「君は、よくここにいるから」

「そうですね。本を読むのも、好きですし、図書館の雰囲気も嫌いじゃありません」

そう言ったすずかの表情はどこか困ったような表情で

「でも、こんなに来るようになったのは最近です」

「え?どうして」

「私も不思議に思ってました。でも最近、少しだけ分かった気がするんです…。私は、貴方と本を読むのが好きみたいです」

「え?」

その言葉は、予想していなかった。

戦いのさなか、どんなに虚をを衝かれても止まらない思考が驚きに止まる。

「おかしいですよね、貴方と私はここで話もしない。名前は知っていても、互いのことを何も知らない。でも、顔を上げたとき貴方がいると、ホッとするんです。
嬉しくなるんです……本当に、おかしいですよね?」

すずかの顔は真っ赤だ。

言葉の通り、おかしなことを言っている自覚があるのだろうとクロノは思う。

だから、たまらず恥ずかしいのだ。

その気持ちがクロノにはよく分かった。

だって

「そうだな…。おかしいかもしれないな…だったら、僕もおかしいという事になるが」

「え?」

「僕も、本を閉じたときに君がいるのが嬉しい」

「嘘…ですよね?」

「嘘なものか、君がいないときにそれを実感した。おかしいけどね」

互いに、照れた顔で黙り込む。

そして、どちらともなく笑いあう。

「ほんとに、おかしいな」

「ええ、ほんとにおかしいですよね」

そこに先ほどまでの照れはなく、いつも通りの二人の空気がそこにあった。






それが、二人以外誰も知らない二人の接点、深い意味など何もなく、秘密にする気もないけれど、秘密になっている二人の逢瀬






そんなことを考えているうちに目的地についていた。

視界に広がる立派な屋敷に、一緒に本を読んでいた少女がお嬢様であったことを自覚しながら、フェイトに先導されて屋敷の庭に入っていく

そして、しばらく歩いた後

視界に、いつも見慣れた光景が入ってきた―――。

庭で、白いテーブルに手を置きながら、白い椅子に腰掛けて、本を読む少女

その光景を見た時、クロノは自然に彼女に近づいていた、いつものように

「お招きありがとう、すずか」

「クロノさん、わざわざ来てくださってありがとうございます」

「急に、誘いが来た時は驚いたよ」

「ごめんなさい、あの…クロノさん、歴史書とか、好きですよね……」

「ああ、まぁ…そうかな」

好きというと、少し語弊がある気もしたが、今、興味があることは確かだとクロノは思う。

「あの、家の書庫でクロノさんの好きそうな本を見つけて…これなんですけど…」

そう言って、すずかは一冊のハードカバーの本を机の上に置く。

「あの、すいません…そちらにお邪魔しようと思ったんですけど…ちょうど、美味しいお茶とケーキが手にはいって…どうせなら、クロノさんに御馳走したいなぁ…って」

言葉の最後になるほど、すずかの言葉は小さくなっていき、顔も羞恥に染まっていく

まともに話もしないような間柄なのに、おかしな気を使うのだなと、クロノは苦笑する。

そして、すずかもそれが分かっているから、恥ずかしいのだろうと理解して…前にもこんなことを思ったことがあったと、別のことでおかしくてクロノは笑った。

「わ、笑わないでください。おかしいのは、私だって分かって……」

「いや、ごめん、違うんだ…君を笑ったわけじゃなくて…そう、思い出し笑いかな…面白くて、愉快で、嬉しかったことを思い出してね」

「思い出し笑い…ですか」

「うん、この本、ありがとう。読ませてもらうよ」

「はい、時間があるときにゆっくり読んでください」

「借りていって、いいのかい?」

「もちろんです」

「ありがとう、じゃあ…この本を返しに行くときは、今日の素敵なお茶とお菓子のお返しを何か用意しないといけないな」

「素敵な…って、まだ、食べてもいないじゃないですか」

すずかは、愉快そうに笑い、クロノは笑って肩をすくめる。

「うん、でも…きっと素敵だと思うんだ…いつもの図書館での、時間みたいに」

「じゃあ、それを確認するためにも、お茶にしましょうか?」

「今日は、なのは達はこないのかい?」

「いえ、なのはちゃん達も来ますよ」

「じゃあ、彼女達を待っていよう、先にお茶など飲んでいては怒られそうだ、主になのはじゃなくて、はやてに」

「あ、そんなこと言うと私、怒っちゃいますよ。はやてちゃんは、私の大切なお友達なんですから」

言葉とは裏腹に、話す二人は、笑顔で

流れる雰囲気は、二人以外知らぬことだが、いつもと変わらず穏やかで

少し離れたところで呆然としている、フェイトを置いてきぼりにして、二人の会話は続く





二人のこの親しげな空気は、後で他のお茶会メンバーに追及されることになるのだが

「いや、親しげも何も、君達も知っての通り、まともに話すのも今日が初めてだぞ。なぁ、すずか」

「うん、クロノさんの言うとおりだよ」

等という会話で追及をかわし、フェイト達の疑心をより深めるのは、また別の話である。






あとがき


コン様がクロxすず好きだとか言うから……っ!

責任転嫁くさい最低の書き出しから始まりましたこのあとがき

一応ジャンル的にはクロxすずですが、個人的にはクロ+すずぐらいの温いものだと思っております。

えー、正直、コンさま初め、クロxすず好きの方々のテンションを下げる作品になってないかと内心ビクビクしています。

しかし、これでも、僕なりに全力全開で書いたつもりですので、どうか平にご容赦を

では、皆様が少しでもなのは及びクロすず作品の欲求を満たしていただけることを祈って、閉めさせていただきます。






“親密に見える二人 縁編”




穏やかな夜の闇を、すずかは自室の窓から見上げていた。

「もう、アリサちゃんったら……」

何故か、口から出たのは、少し困ったような響きの声音にのった親友の一人の名前

すずかは寝間着に身を包みながら、一日の終わりの何もすることがないその時間に今日のことを思い出す。





いつもと同じように、学校へと登校し1時間目の用意を出して、1時間目が始まるまでの時間を何をするでもなく待っていると、アリサが近づいて来た。

―――何故か、ニヤニヤ笑いを顔に貼り付けて

「アリサちゃん?」

「ねぇ、すずか。やっぱり私たちでもあんたの知らないことってあるのよねぇ」

「?」

「あんた、フェイトのおにーさんとどういう関係なのよ?」

「え?どういう関係と言われても……」

すずかは困ったようにしながら言葉を探す。

「とぼけるんじゃないわよ。昨日みんなで集まったとき、あまり面識がないはずのお兄さんと親しげに話してたじゃない」

「え、そうかな?クロノさんも言ってたけど、まともに話したのも昨日が初めてなんだけど」

「ほんとにぃ〜?」

疑いの視線を向けてくるアリサ

視線の痛さに、ふと周りを見るとアリサ以外の仲良しメンバーもこちらに視線を向けていた。

「ほんとだよ、あんなにお話したのは昨日が初めてだよ」

困った声音のまま、説明を続けるすずか

疑いの視線を向けたままのアリサと、興味深々な視線を向けたままの親友達

追求は平行線のまま、1時間目開始のチャイムが鳴るまで続いた。






その後もアリサの追及は、その日の授業が終わるまで続いた。






帰り道、迎えが来たアリサと別れ、すずか、なのは、フェイトの三人で家路を歩いていた。

「でも、アリサの気持ちも分かるな」

フェイトがポツリと呟く。

「私だって、驚いたもの…なんていうか、すずかと話してるときのクロノ…なんていうか、すごく自然だった」

「そ、そうかな?」

自然だった、と言われても、本を読んでいるクロノしか知らないすずかには、曖昧に笑うことしか出来ない。

ただ、その記憶と照らし合わせて考えると、先日の彼の様子は、特にことなど…少なくとも、そこまで驚かれるようなことなどなかったようにすずかには思えた。

もちろん、それはクロノさんと自分の『時間』を知らないからだと思うが…今の言葉ですずかはふと思った。

その口ぶりから、クロノさんは、初対面の人に人見知りでもする性格なんだろうか、と

でも、それにしては…図書館ではじめてあった時、自然に話しかけてきたように見えた…とも思う。

「クロノはね、凄い真面目…って言ったら良いのかな…初対面の人にはどこかかしこまった風に接しちゃうの」

その言葉の後に『仕事なら、ある意味当然なんだけど…仕事以外でも…』と続けて呟いて、フェイトは苦笑する。

「でもね、昨日はそんなことなかった…凄く落ち着いてた」

「そうだよね。私も、驚いちゃった」

なのはもフェイトの言葉に同調する。

「でも、言ってるとこは厳しいかもしれないけど、クロノくん優しいよね」

なのはたちは、スライドしていく話題そのままにクロノの話で盛り上がっていく。

すずかは、その『事件の時にかばってもらった』とか

『訓練室を練習で壊したときに、始末書の書き方を教えてもらった』とか

『分からないこと、新しいことを教えてもらった』とか

そういった類の話題を、興味を持って…ただ、聞いていた。





窓際から離れて、ベットに寝転がる。

彼との関係など聞かれても、本当に特別なことなどない。

ただ、偶然同じ場所で本を読む機会が何度かあっただけだ。

尤も、自分は意識してあそこに足を運んでいた節があったので、半ば偶然ではなかったと言えるかもしれないが、それはあまり重要でない気がする。

それよりも、彼といっしょに仕事をしているなのはやフェイト、はやての方がよほど彼の特別だと思う。

ましてや、フェイトは彼の妹なわけだし

確かに、自分は彼と過ごす時間が好きで

彼も、その時間が好きだと言ってくれた。

でも、それを支えるのはたった二言の言葉だけで

そこまで取り留めなく考えて、ふと、一つのことを思いつく。

「……そっか、私……クロノさんのこと、何も知らないんだ……」






その少女の思案の夜から数日後

少女の思いの一端にして、中心である少年も同じような思いにぶつかっていた。

クロノの傍らには、ハードカバーの歴史書

これを借りた時の約束

すずかへのお礼に何を送るかが、思い浮かばないのである。

お茶会の時のお返しなのだから、ケーキでも持っていこうかと思ったが

クロノが知っていて、美味しいケーキとなると翠屋の物になってしまう。

確かに、翠屋のケーキはどちらかといえば甘いものが苦手なクロノですら『美味しい』と感じることが出来るほど一級品の味である。

しかし、すずかはその翠屋のオーナーの娘の親友である。

ただでさえ翠屋はこの界隈で有名な店である。

当然、翠屋のケーキやドリンク等は口にする機会が多くあるだろう。

アクセサリー等も考えたが、一口にアクセサリーと言ってもさまざまな種類がある。

すずかの細かい好みなど分からないし、あの立派な屋敷を見ても分かるように、彼女はお嬢様である。

果たして、自分のセンスで既製品のアクセサリーなど持っていって彼女に喜んでもらえるかクロノには自信がなかった。

「……」

自分を情けなく思う。

最近、休日となれば彼女の姿を見ていた。

あの時の、過ごし方に何の不満も後悔もない。

それでも、実感する。

今の自分は、本を読むときのあの、穏やかで一枚絵のように綺麗な表情以外、すずかのことを何も知らないということを―――

それともう一つ、クロノには思うことがあった。

自分の脇にある本を見る。

内容の充実した、史実を数多く、分かりやすくまとめた本だった。

そして、これ以外に今まで何冊かの書に目を通してきた。

その結果、クロノはこの世界の歴史の流れの大体の所は把握できたと言ってよいと自己判断していた。

もちろん、この手のことは詳しく調べようと思うと際限はない。

しかし、自分が目的とするところはすでに把握しており、これ以上の知識の吸収は求めるところを超えているとクロノは思っていた。

「……」

同時にそれは、すずかが好きだと言ってくれて

自分が嬉しいと返した時間の、終わりを意味していた。

いつか来ると分かっていた事だった。

でも、クロノはこの時、この瞬間、その終わりが寂しいと感じていた。







「感謝が伝わることが、重要なんじゃないかな?」

翌日、自己の感傷はとりあえず脇に置き、お礼の件をどうにかしようと、クロノはエイミィの元を訪れていた。

「……すまない、相談した立場としては不適切な感想かもしれないが、なにか、ありきたりな言葉ではぐらかされているように聞こえるんだが」

「そうかな……?ねぇ、すずかちゃんはクロノ君の恋人とかそんな感じのポジションじゃないんでしょ?」

「なっ……!?何を言い出すんだ君は」

「クロノ君は真面目すぎるんだよ。確かにきちんとしたものを送るにこしたことはないし、相手が嫌がるようなものを送っちゃ元も子もないけど
特別な間柄でもない相手に贈るただのお礼なら、そのお礼の気持ちがきちんと伝わることが重要なんじゃないかな」

「……」

クロノはエイミィの言葉を受けて、何か考えるようなしぐさを見せる。

そのクロノのしぐさを見ながら

『まぁ、特別な間柄でも……もしかしたら、特別だからこそ『気持ち』ってのは重要かも知れないんだけどね』

なんて、エイミィは思っていたが、今回のことには特に関係ない。

「君の言うことは分かったが、具体的に何を送ればいいんだ?」

「それくらい、自分で考えてほしいなぁ…仕事は出来るのに、女の子の気持ちにはほんとからっきしなんだからクロノ君は…おねーさんは悲しいよ」

エイミィは呆れた様子でため息をつく。

「……」

クロノは、何かを言い返そうとして、返すべき言葉が見つからず、ただ憮然とした表情をしながらエイミィの言葉を待つに止めた。

「なにか、手作りのものがいいんじゃないかな」

「手作り?」

「そ、もちろんそう手の込んだものじゃなくてもいいと思う、簡単なお菓子でもいいからさ…手作りなら、感謝の気持ちってのはばっちり伝わると思うよ」







そんなやり取りがあり、エイミィの言うとおり、簡単な菓子でも作ろうかと思ったクロノだったが

その後、彼は3週間に渡り、休養日なく業務を続けることとなる。

慢性的な人手不足ある管理局において、腕利き執務官であり、仕事が趣味と言っても過言ではないような、ワーカーホリックぎみのクロノにとって、それは決して珍しいことではない。

しかし、今回の3週間…というブランクは、クロノをまた迷わせるには十分であった。

職務中は集中していて忘れていることも多いが、合間の休憩中など彼女へのお礼のことを考えることがある。

その時、時が経つほどに迷いは大きくなっていった。

師匠達との特訓や仕事で、サバイバル経験の多いクロノは、簡単な料理ならこなすことが出来る。

尤も、それは料理を学ぶというより、生存を目的としたものだったので、幾分大雑把であり、加えて菓子等の嗜好品の色が濃いもの等は完全に専門外であった。

それでも、料理本などを見ながら作れば、それなりのものが出来るだろうという目算ぐらいはあったが

それ故に、それならもっと相応しいものがあるのではという迷いも生まれた。

まぁ、とどのつまり『心の篭ったもの』というエイミィのアドバイスはとりあえず心においてはいるものの、ふりだしに戻ってしまったわけである。

ただ、そのふりだしがあのような物を見つける結果になろうとは、その時のクロノは分かろうはずもなかった。





パタン

本を閉じる音が妙に大きく聞こえる。

辺りの色は、鮮やかな茜色

この色も、じきに色を失い、闇へと変わる。

「……もう、帰らないと……」

夜の闇が、世界を包む手前の時間

すずかは、いつもの図書館にいた。

前を見る。

そこには誰もいない。

もう一ヶ月近く、彼の姿を見ていない。

彼と最後に会ってすぐ、友達に彼とのことをからかわれたことを思い出す。

でも、やっぱりからかわれることなど何もなかった。

だってほら、彼と私のつながりなんて、こんなに簡単になくなってしまう。

彼が忙しいのは知っている。

そこら辺のことは、すずかはフェイトから良く聞いていた。

だから、いつか…またここに来てくれるかもしれない。

でも、もうこないかもしれないのだ。

どちらになるか、確かなものなど何もない。

「……クロノさん」

彼の座っていた場所を見ながら、彼の名を呟く。

ほんのちょっとしたことで、会えなくなってしまうほど、なんでもない彼と自分のはずなのに

会えないと思うと悲しくなった。







そんなことを考えていたから

外へ出た時、すずかは目の前の光景が、信じられなかった。

「クロノさん……?」

「すずか」

クロノは、すずかの名を呼んで、彼女の呟きに応えるように手を振る。

幻でも、見ているのかと思った。

どうして、彼がこんな時間にここにいるのだろう。

「もう、閉館ですよ」

「そうか、まぁいいさ…ただの暇つぶしみたいなものだったし」

「暇つぶし……ですか?」

「あぁ、1ヶ月近くぶりに休暇をもらって仕事をあがったんだが…明日仕事がないとどうにも手持ち無さたというか…やることがなくてね」

「はぁ……」

すずかは、その言葉にどう返していいか迷った。

働いたことなどない彼女だが、普通1ヶ月も休みが無かったら、やりたいことの一つも出来るのではとすずかは思う。

フェイトが常日頃から言っている、彼の仕事への困るほどの熱心さはやはり本当なんだと、そんなことを思った。

「君は、これから帰るのか?」

「はい」

「じゃあ、送っていくよ」

「そんな……」

「今から君の家に行っていたら、暗くなってしまう…それとも、誰か迎えにくるのか?なら僕は、迎えが来るまでここにいるが」

「いえ、誰かが迎えに来るわけじゃありません。ただ、クロノさん、せっかくお休みなのにそんな……」

「暇だって言ったろう?それに、ここで君と別れたら、君に何か無かったか気になって仕方ない、それに、それで君に何かあったらフェイト達に顔向けできないしね」

そう言われては、すずかに断る術は無かった。

「じゃあ…お願いします」

「ああ」








「すずか」

帰り道も3分の2が過ぎて、辺りもすっかり暗くなった頃、クロノはすずかの名を呼んだ。

すずかは横を歩いていた彼を見る。

クロノは、懐から極細の銀の鎖に、綺麗な石がつけられたネックレスを取り出し、掲げた。

月の光に、照らされて…石は白とも銀ともとれる光を放つ。

「綺麗……」

思わず、すずかは呟いた。

その呟きを聞いて、クロノはホッとしたような表情の後、微笑んだ。

「気に入ってもらえそうで良かったよ」

「え……?」

「約束したよね。この間のお礼だよ」

その言葉に、すずかは何気なく言った彼の言葉を思い出す。

「……」

驚きに言葉を失う。

自分が勝手に呼んだのに、それなのにお礼だなんて……それに、あんな何気ない会話を覚えて、本当にこんなことをしてくれるなんて

「そんな、受け取れません…!」

「気に入らないかな……?」

クロノが表情を曇らせる。

「違う…違います!私が勝手に呼んだのに、こんな綺麗な…私…受け取れません」

「そんなこと気にしなくていい。全然大した物じゃないし」

「そうは見えませんけど」

「ただの石だからね。それ」

「え……」

「仕事で行った異次元世界で見つけてね…その世界にも、ここの月に似た衛星があって、光に照らされて綺麗だったから…持ってきて
魔力で削って、磨いて、チェーンに通して作ったんだ」

ロストロギア回収のために立ち寄った洞窟で見つけた石

それは、洞窟奥深くの暗闇では分からなかったが、入り口近くにあるそれは、眩いというほどではなく、しかしはっきりと闇夜に映える輝きを放っていた。

「え…じゃあ、これ…クロノさんが……?」

「ああ、不恰好で申し訳ないけどね」

クロノの手がすずかの手に触れて、贈り物は彼から彼女の手に渡る。

「申し訳ないなんてそんな…私のほうこそ」

『こんな素敵なものを、受け取ってしまっていいんですか?』

どうにも対価が釣り合っていないような気がして、そんな言葉が出そうになる。

でも、手作りまでしてくれたものを、そうやって返すのは失礼な気もした。

そんな内心に影響されて、表情に出てしまう困惑の色

クロノは、苦笑する。

さっきの言葉と、その表情で、彼女が何を思っているかが分かってしまったから

「……すずか」

だから、クロノはこの願いを口にした。

『お返し』をした後で『お願い』をするなんて本末転倒かもしれないと思う。

でも、今切り出すにはちょうどいい話題で

自分がそれを知りたくて

それに、この願いは、彼女が話したくないと願うなら、拒否も出来ると思ったから

「じゃあ、一つ僕のお願いを聞いてくれないか?」

「お願い…ですか?」

「うん、これから君の家に着くまで、君のことを教えてくれないか?」

「え……?」

「どんなことでもいいんだ……最近、僕は君の事を何も知らないのだと気づいてね」

すずかは思う、何を言っているのだろうこの人は…と

「もちろん、話したくないならいいし、面白くないかも知れないけど、僕のことで何か知りたいことがあったら話すよ…そんなに話題はないけどね」

そんなこと、ただの話題で、この状況で自然に話されることで

かしこまって言う事でもなくて

でも、私たちは確かにそんな普通に話されるべきことを何も知らなくて

「……教えてくれないかな?君の事を」

すずかは手の中のネックレスを見ながら困惑する。

これを渡されてから、困惑は大きくなるばかりで

だって、彼が言うことは、自分に得になることばかりで

申し訳なく思うけど、その気持ちが大きくなりすぎて…もう、どうしていいのか分からなくて

手の中のネックレスを返すタイミングさえ、もう無くて

それに、彼のことを知りたい気持ちと、彼の手作りの贈り物を嬉しいと思う気持ちも確かにあって

「……クロノさん、私…お話しするのあまり上手じゃないかもしれないですけど…それでもいいですか?」

たとえ、ずるいと思っても

それが、等価に程遠くても、もう、彼の願いと、私の願いを素直に叶えてしまうことにした。







二人は、言葉を交わす。

とりとめも無く、互いのことを

仕事のこと、家族のこと

それは、それほど深い話題でもなくて

他の人から聞いていることもあったけど、その時間はお互いに楽しかった。

だから、いつの間にかすずかの家に着いていたことに少し驚いて、自然に残念に思った。

「……」

「……」

ここまで来たらあとは別れるだけだ。

『ありがとう』とお礼を言って『さよなら』と手を振って、それでお別れ

「……また、会えますか?」

それなのに、口から出た言葉は別の言葉で

「え……!?」

その言葉に、クロノは驚いた顔をして

「クロノさん……?」

「……すずか、言うことがあるんだ」

そして、クロノは語る。

二人が会っていた図書館に、クロノが通っていた理由と、その理由が達成されることで無くなろうとしていることを

すずかは、何も言わずクロノの言葉を聞いていた。

しかしその表情は、時と共に悲しみを深くしていくのがはっきりと見てとれた。

「だけど、僕は…君に会えなくなることを寂しいと思ったんだ」

すずかの表情が今度は驚きに変わる。

「だから、君も同じように思っていたのかと思って、驚いた」

そう言って、クロノは笑った。

それにつられるように、すずかも微笑んだ。

静かな夜の闇の中、月明かりに照らされながら、二人は笑いあった。






「連絡先、教えてもらっていいですか?」

そうして、互いの気持ちを、自覚しあって

すずかは、静かにクロノに聞いた。

そうすれば、きっとまた会える。

そう思ったから

でもその言葉に、クロノは少し困った顔をする。

「……すまない、その…こちらでの連絡先というと、自宅になってしまうんだ」

「そうなんですか?」

「ああ、正直こちらより、アースラにいることのほうが多いし、こちらで連絡を取り合う人間は魔法が使えるものばかりだったから」

クロノは申し訳なさそうに、少し恥ずかしそうに頬をかく。

「……そうだな……こちらでは、僕ぐらいの年頃だと、携帯というのを持っていないと可笑しいと言うし…明日にでも買いに行くよ」

『こちらの環境に早く同化するためにもね』そう言って、クロノは苦笑する。

「クロノさん、だったら…私、ついて行っていいですか?」

「え?」

「私、こう見えてもお姉ちゃんの影響で機械系、少しは強いんですよ。ただ、学校があるので午後からになってしまいますけど…ご迷惑ですか?」

「……そうだな。正直、僕じゃ詳しいことは分からないし、お願いするよ。何時頃なら、大丈夫かな?」

クロノは、嬉しさを知らず表情に出しながら、すずかに訊ねる。

「明日は、授業は少なめな日ですから。3時頃なら…急いで行きますね」

すずかも、満面の笑みでそれに応える。

「そんなに急がなくていいよ」

愉快気にクロノは笑う。

先ほどから、彼女に見せているいろいろな微笑の表情が、いかに普段見れなくて、見れたとしても彼に近しい一握りの人間しか見れないことをすずかは知らない。

「じゃあ、また明日」

「はい!また明日、ですね。クロノさん」

その言葉で、二人は別れる…笑みのままで

寂しさはどこにもなかった。






後日、見覚えのないネックレスを嬉しそうに見つめるすずかの姿をアリサが

見た覚えのある色と機種の携帯電話を持つクロノの姿をフェイトが

それぞれ目撃することになる。






あとがき


タイトルを考えていた時『藍より青し』という漫画が浮かんだことは秘密です。(ぉ

二人の距離を図るのが難しく、自身で書いたものながら、ハタから見る分には、関係の割には二人とも大胆なことをやったり思ったりしてます。

まぁ、その分、タイトルに従うことは出来たかな…と思ったりしてます。

皆様の声もありまして、続きました今作、僕自身もクロxすずはもっと書きたいのでさらに続くかもしれません。

しかし、ネタがまとまってないので『不定期』連載になりそうです。

でも、今回話が出た携帯購入編…デート(?)編(仮題)は書きたいなぁ…光臨せよ!ネタの神(ぉぉ










最近、月村すずかには日課がある。

石を眺める。

年上の人からもらった、アクセサリー

彼は、大した意味もなく、ただのお礼でこれをくれたのかもしれない。

でも、彼女は日々見ている内に思う。

私にとって、これはただの知人からの贈り物ではないと

それは、何故だろう?

光る石が綺麗だから?

きっと、それは違うと思う。

たしかに、このアクセサリーは美しいと、すずかは思う。

でも、それが理由なら、どうして彼に会えない時間が長くなると、石を眺める時間が増えるのだろう。

彼が今、何をしているかを思い

彼との時間を思い出し

いっぱいの『嬉しさ』と

会えない、ほんの少しの『寂しさ』に心が満たされるのだろう。

いろいろな感情が混ざったようなこの気持ちを、どういう言葉で表せばいいのか、すずかには分からない。

でも、一つだけその思いで分かること、気づいたことがある。

この、アクセサリーを作ってくれた人は、自分の親友たちのように、自分の心の中の少しだけ特別な所に住んでいると

石を見つめる頬が少し緩んで

すずかは微笑む。

その時、部屋に携帯の着信を報せる曲がなった。

携帯を手に取る。

そこに記されていた番号は想っていた彼のもの

微笑が自然と深くなる。

逸る気持ちのままに着信ボタンをおして

いつものように、彼の言葉を待った。






クロノ・ハラオウンは、濡れた頭を吹きながら、部屋に入る。

なにも考えず、ゆっくりと風呂に入ったのは久しぶりだ。

そして、この次元に帰ってきたのも……とそこまで考えて

細かいことではあるが『帰ってきた』という表現が自分にとって可笑しいことに笑う。

だって、クロノはここの出身でもなんでもない。

そこまで考えて、仕事場には持っていかない―――持っていっても意味がない―――机の上に置きっぱなしの携帯電話が視界に入る。

いつからか、ここに帰ってきたときに、初めて、この登録が数人しかいない電話を自分から使うときに発する言葉のせいかもな…とふと思い

クロノは苦笑する。

そして、机のそれを手にとって、登録してある番号を呼び出す。

コール音が、耳に響く。

その音が鳴り止むのを待って、クロノはいつもの言葉を口にした

「ただいま」






そして、こうして連絡をとった翌日は一緒にいることが多い。

場所は、街中だったりすずかの家だったり

すずかがフェイトに用があったりするときはフェイトとクロノの自宅だったりとさまざまである。

『どうしてそうなるのか』と問われると、二人ともはっきりとは分からない。

ただ、住む『世界』そのものが違うこの二人

連絡が通じるときは、前会った時から数えると自然『久しぶり』という言葉が出てきてしまうほど会えないことが多いので、自然と会おうという流れになってしまうのだ。

「……」

「……」

すずかの住む屋敷、彼女の部屋

書庫ほどではないにしろ、数多の本があり、広いが落ち着いた雰囲気を持ったこの部屋に二人はいた。

クロノの足元にネコが寄ってくる。

クロノはそのネコを抱き上げて、微笑む。

そして、ふと…この場所にも、すっかり慣れてしまったな、とそんなことを思った。

初めて、この部屋に通された時は、緊張の一つもしたのだが

だが、それもたしか長くは続かなかったことを思い出す。

部屋の中にある、童話、物語らしき書物

立派ながら、必要以上の調度品は無く…それでも、どこか落ち着いた高貴な雰囲気のする部屋

そして、どこかで感じたことのある落ち着く甘い香り

それは確かにここが『すずかの部屋』だとクロノに感じさせるものであり

ある意味で、いつも傍にいると落ち着いて、何もしていないはずなのに満たされた気持ちになる

彼女の存在そのものだったから……。

「クロノさん?どうかしましたか」

「いや、なんでもないよ。ボーっとしてた。少しくつろぎすぎかな」

照れた様子でクロノは頬をかく。

「そうですか」

「君にも悪かった。抱き上げたまま固まってしまって」

抱き上げたネコをクロノは撫でる。

そんなクロノをすずかは見つめていた。






いつも通りに時は過ぎる。

会えない間のことを話したり

話さず、静かにカップを傾けたり

ネコとじゃれあったり

そんなことをしている内、ふと部屋にある一冊の本が目にとまった。

クロノはその本を手に取り、パラパラとページをめくる。

「すずか…すごいな。これ、読めるのか?」

それは、イギリス英語で書かれた小説だった。

「いえ、読むのは無理なんです。いつの間にか、私の部屋にあったんです。その本」

流し読みで内容を読んでいく。

この短い時間で内容を理解することは出来ないが、どうも少し古めのゴシップ小説…男女の恋愛を扱った内容のようだ。

彼女の好みそうな内容だと思う。

誰かが、気を利かせて置いていったのだろうか。

それとも、彼女の部屋になる前、そんな昔からここに置いてあったということもあるかもしれない。

「読めるんですか?」

驚きを含んだすずかの声

「ああ、恩師がこの言葉を使う国の出身でね。この言葉だけは、前、興味を持って学んだことがあるんだ」

「……知りませんでした」

驚きを表すその言葉は喜びでもあった、また知らない彼を、一つ知ることが出来たから

「ああ、今、初めて話したからね…これ、君の好きそうな本だよ」

そう言って、本の表紙をすずかに見せるクロノ

「教えてもらっていいですか?」

「簡単な内容でいいなら」

いつの間にか、後ろに回りこんで肩口から本を覗き込んでくる少女を振り返る。

実際にページを開いて登場人物と場面を説明していく。

それはとても本の内容全てを伝えたとは言えなかったけれど、クロノの言葉を熱心に聞いて

所々、感想を漏らすすずかを見ていると、その行為は苦ではなく、むしろ安らぎですらあった。







「大体だけど、こんな感じかな」

「ありがとうございました」

本を閉じて、互いの顔を見る。

クロノは肩から本を覗き込んでいたすずかへと振り返り

すずかは少し下を向いていた視線を上に向ける。

「えっ……!?」

どちらが先に発したのか分からないほど重なった声

額がぶつかりそうなほど、近い二人の顔

近すぎて、表情の全ては見えなくて、でも、互いの瞳はよく見えた。

クロノに見えたのは、黒色のようで、奥に蒼色の光が灯る優しげな瞳

すずかに見えたのは、黒一色の…でも、力強さを感じさせる奥深い瞳

目が合った時間は、長くない。

二人とも、予想外の近さに…気恥ずかしさと少しの気まずさを感じて目を逸らす。

でも、その長くない時間…二人は確かに互いの瞳に見とれていた。








「……?」

目を逸らした先、見える彼の肩口に古傷のようなものが見えた。

掌が自然とそこに触れる。

「すずか?」

彼女の手の感触と、不意に変わった表情を怪訝に思い名を紡ぐ。

「傷……」

「え…?」

「傷が、見えたので…その…」

「そこに?」

「はい」

「やっぱり、見えると見苦しいかな…少しは気をつけてるんだけど」

「…そんなことはないです。ただ…どうしたのかな、って……すいません、勝手に触れたりして」

「そんなこと、気にしなくていいよ…僕にとっては、無数についている傷の一つだ…ただ、人を不快にするといけないからね」

なんでもないことのように、クロノは言う。

「無数に…って…」

「幼いころの特訓や、今やってる仕事、その訓練とかでね…ついたものが、実は結構ある」

驚いた表情をするすずか

そして、先ほどまで覗き込んでいた綺麗な瞳に辛そうな光が灯る。

「…どうして、君がそんな顔をするんだ」

クロノは体ごとすずかに向き直り、彼女の肩に手を置いて、もう一度彼女の瞳を覗き込む。

「すいません」

すずかは知っていた。

彼が、どれほどのことをこれまで成してきたか。

その姿を見たことはない。

それでも、聞くのだ。

彼と出会って、彼と繋がりを持って、彼に興味を持って

彼のことを、彼と仕事をしている友人たちと話すことも増えた。

だから、分かる。

この傷は、彼女達が語る、彼の成果…その代償なのだと

それは、とても立派なことのはずで、それはとても尊いことのはずだった。

でも、すずかはその傷が痛々しくて

無数についている傷をなんでもないように言う彼が悲しくて

彼に近づく、彼の体温が感じられるほどに

膝の上に乗って、彼の肩口に手を置いたまま、その顔を見上げる。

この感情を、どう言えばいいのだろうと、すずかは思う。

傷だらけになって、でも、誰かの誇りになるほどその傷を生かす彼が尊くて

でも、そんな彼が傷つくことが、ただ単純に悲しくて

傷を受け入れている彼を、強いと思って

それでも、傷という痛みをなんでもないことのように自らに課すことをやっぱり悲しいと思って

正と負がごっちゃになったような訳の分からない気持ち

でも今、すずかの瞳には悲しみの色に彩られていて

その瞳に移るクロノも困ったような、悲しそうな…そんな顔をしてて

「すいません」

だからさっき言った言葉を、すずかはもう一度呟いた。

彼の傷がいくら悲しいと思っても

それは、勝手な思いで

彼を困らせるだけだから

でも、それが分かっていても、すずかは何も出来ない。

彼が救ったものを知っていて、それでも、傷を見るのが嫌だと言うのなら、それこそ勝手だと思うから

「……!?」

その時、不意にすずかは身体を引き寄せられて、クロノの腕に包まれて、抱きしめられた。






「クロノ…さん…?」

困惑したような、そんな声がクロノの耳に届く。

何をしているんだろうと、クロノは思う。

嫌われてしまったかもしれないなと、そんなことも思う。

でも、我慢できなかった。

悲しそうなすずかを見ていたら、抱きしめていた。

すずかが悲しそうにしているのは、きっと自分のせいだと、そう思ったから

なんて理由、とクロノは自分を嘲る。

彼女が、自分のことで悲しんでくれて…それを見たくないから、悲しいから、そんな理由―――なんて傲慢―――

大体、それで彼女を抱きしめて、何になるというのだろう。

ただ、悲しんでいる彼女を見ていると堪らなくて、そうしてしまった自分が嫌で、何にもならない…むしろ、自惚れだと思っても、こうしてしまっていた。

「そんな顔しないで、すずか」

自分が悲しませている彼女に、そんな酷いことを、言ってしまっていた。






涙が、溢れそうになった―――。

クロノのその声に

抱きしめる、腕の温かさに

こんな愚かな自分に、そんなことが言える

その優しさの全てに

抱きしめられるのが、堪らなく心地よくて

その優しさと心地よさに包まれて、心が締め付けられて

すずかもクロノを抱きしめた。

「すずか……?」

背に回る手に、クロノは驚いて

「ごめんなさい……」

特別な関係でもない人に、触れてしまったことと

こんなに傷だらけな人に、甘えてしまう自分の非をすずかは謝った。

でも、クロノには、先に抱きしめた自分を嫌うでもなく、何故すずかが謝るのかが分からなくて

ただ、目の前の彼女の体温と、背に回る手の存在が心地よくて

「ごめん、しばらくこのままでいていいかな……すずか……」

そんな、願いを自然と口にしてしまっていた。

「……」

「……」

1秒後、自分は何を言っているのだ、と…クロノが、その言葉の恥ずかしさに気づいて

時を、同じくしてすずかは、その言葉に驚いていた。

そしてさらに1秒後、その言葉にすずかの心は満たされるものを感じていた。

抱きしめたのは、甘えで…自己満足のような勝手な想いで、彼に対する訳の分からない強い気持ちのせい

でも、そんなことを言われたら、自惚れてしまうとすずかは思う。

自分のこの抱擁が、今、自分が包まれて…感じているような幸せを彼にも与えることが出来ているのではないかと、そんなことを思ってしまう。

そして、もしそうだったらいいなと思って

「はい」

その肯定と共に、今度は迷い無く、すずかはクロノを背にまわす手に、優しく力を込める。

「……」

「……」

応えてくれるとは思わなかった抱擁に、クロノは少し驚いて

「ありがとう……」

でも、それは確かな願いだったから…その言葉と共にクロノもすずかをよりしっかりと抱きしめた。

すずかは、その抱擁に身を委ねながら、クロノを上目遣いで見つめる。

さっきも覗き込んだ、彼の力を宿した優しい瞳

こんな状況で、すずかには今、クロノのことしか考えられなくて、ただ、クロノを想った。







クロノはすずかにとって、とても不思議な人だった。

よく知りもしないのに、側にいると安らいで、よく知りもしない自分に優しく微笑んでくれて

知らないから、いろいろなことが知りたくなって

でも、知るたびに何のとりえもない自分との違いに気づいて、ふと、悲しい気持ちになって

それでも、より多くのことが知りたくなっていく…そんな人

でも『知りたい』という気持ちだけでは、もう止まりそうも無かった。

彼は少女より年上で

年とか関係なくても、昔から少女よりずっと厳しい道を歩いていて

辛い経験をしても、今日まで歩いてきた……彼に、何の変哲もない、平和な世界で暮らすただの少女が

『彼に何かをしたい』なんて、そんなことを思ってしまっていた。

すずかは思う。

それは、きっと傲慢で、ひどいおせっかいになってしまうのではないかと

短慮で、無力な自分では、さっきのように彼を困らせるだけになってしまうのではないかと

でも、想いはそんな心配が埋もれてしまうほど強くて

そして、彼が今望んでくれたように、こんな自分にも、彼が望んでくれることが確かにあるかもしれないとも思って

すずかは、唇だけ動かして、聞こえない問いかけを紡いだ。







『私は、貴方に何が出来ますか?……何かをしてもいいですか……?』






恋人でも、何でもない二人だけど、互いの腕はただ心地よくて

住む世界も、歩んできた道の険しさも違うけど、すずかは戸惑いと間違いを恐れる心を飲み込んで、今までよりもさらに、クロノに近づく。

それによって、彼が少しでも笑ってくれることを願いながら

そうするには、どうしたらいいのだろうと思いながら

今はただ、彼の望むままに彼を抱きしめて

自分の望むままに、彼の腕に身を委ねた。






あとがき


最後の方がごちゃごちゃして製作が難航しました。

はい、しょっぱなから言い訳です。

水谷由司です。

実はこの作品、ずいぶん前のNo5さんの『クロノの膝に座って洋書を読むすずかとかどうでしょう片方が英字が読めなくてもう片方が読んで聞かせるとか』

ってリクが元なんですが…ぜんっぜん違うものになりました。(滅)

最後の方、書いてるうちにリクから離れること離れること…No5さんまことに申し訳ございません。これが未熟者の限界でございます。(土下座)

しかし…自分で書いといて、この二人って周りにはどんな風に映ってるのかなぁ…とか思ったり

互いの立場には冷静で、互いに感情は冷静、正確に理解していない、そんな二人





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