「う〜〜〜〜」 日中、大地を照らし、恵みの光を与えている太陽が地平線に沈み、暗闇が支配する夜になって、ある部屋の一室でご自慢の可愛いと自分で思っている携帯を睨みつけて、一人の少女が唸っていた。 すでに寝るための準備は出来ているのだろう。少し前にお風呂に入ったことを示すように少し湿ったショートに纏められた純粋な日本人ではなく外国人の血が混じったことを示す金髪の髪。可愛らしくウサギがデフォルメされたピンクを基調としたパジャマに身を包みながら、少女は悩みを抱えながら唸っていた。 普通なら彼女自慢の親友たちに相談すれば終わる話だろう。彼女からしてみれば、彼女の親友たちに話せないことなど何もないと思っている。困ったことがあれば相談。それは持ちつ持たれつの関係。それが親友だと思っている。 だが、こればかりは相談してもどうしようないこと。相談したとしても、三人寄れば文殊の知恵と人数だけ集まってもどうしようもないのだ。だから、相談しない。相談できない。 何より、これは彼女一人の問題なのだ。逆に親友たちが出てきてもらっても困る。 「はぁ〜〜、本当……どうしようぅ……」 情けない声を出しながら、彼女――――アリサ・バニングスは二日後に待つあの約束について本気で悩んでいた。 アリサが頭を悩ませている原因は、先日の昼休みにあった。 彼女は普通ならいつも通りに親友たちと昼食をとり、取り留めのないお喋りに興じるはずだった。だが、前の授業中に教師から用事を言いつけられていたアリサは食事を食べ終わってから、その用事をこなした。その用件自体は、少しの時間で簡単に片付くものだったが、屋上にいるはずの親友たちの元へは帰らずに一人で教室に戻った。 理由としては、親友たちの下に戻ったとしてもすぐさま教室に引き返さなければならない時間だったからだ。 もしかしたら、親友たちも教室に帰っているかもしれない、と考えたのも理由の一つだが。 だが、彼女の予想に反して親友たちは誰一人として帰ってきていなかった。 あれ? と疑問に思うが、昼休みも後五分も残っていない。じきに帰ってくるだろうと予想してアリサは、自分の席へと向かった。 席に向かう途中で、一際盛り上がっている女の子集団がいた。アリサの通っている学校は女子校なので、考えるられるのは女の子しかいないのだが。 アリサはその集団の話を耳にするつもりはまったくなかったのだが、あまりの盛り上がりようにたとえ、聞くつもりがなかったとしてもその耳に内容が入ってきた。 内容はなんてことない女の子なら普通にありえる色恋話。 夏休みという長期休暇の間にしばらく離れていた小学生時代の男の子と同窓会をしたとき偶然出会い、それがきっかけとなって恋になり、彼氏彼女の関係になったなんていうありふれたお話だった。 季節は秋だ。二年生という受験でもなければ新入生でもない、さらに今の生活にも慣れてきたということから恋愛する余裕も生まれたのだろう。きっと、後一ヵ月後には別れ話で持ちきりになるな、とアリサはちょっと聞いただけで感じた。 決して恋が出来て羨ましいとか思っていない。絶対に。誰がなんと言おうと。アリサ・バニングスは親友たちと遊ぶ日々だけで満足しているのだ。 これ以上、聞いていたら頭がおかしくなる、とばかりにアリサはその場を足早に通りすぎようとした。だが、話の中心にいる一人の女の子から声で、足早に動いていた足はその場に止まる事になる。 「アリサ〜」 嫌な声だ、とアリサは思う。 もはや、顔を見ることなく声だけで判断できる。小学生のときからアリサと張り合っていた好敵手ともいえる相手。彼女の親友がいい意味での好敵手とするなら、こっちは完全な敵である。 ――――秋元静。 アリサのライバルでありながら六年以上の腐れ縁という訳の分からない関係である。正直、アリサはその名前に正面から喧嘩売ってる性格を何とかしろ、と常々思っている。 「なによ」 ぶっきらぼうにならないように。けれども、多少の敵意をスパイスにアリサは答えた。 いつもなら、その多少の敵意に敏感に反応するのだが、今日に限ってその反応はまったくない。いや、むしろ笑みが壊れることはなく、余裕のある笑みでアリサを見ていた。 その笑みを見てアリサは不快な気分に陥った。 この笑みには嫌な思い出しかないからだ。小学生のとき、国語の点数で僅かに負けたあの時、あの時も静はこの笑みを浮かべて二日ほど点数のことで優越感に浸っていた。 もっとも、次の算数のテストでコテンパンにのしてやったが。 そんなアリサの心情も知らずに静は、その名前に反するかのように話を続けた。 曰く、彼女にお付き合いの相手、いわゆる恋人が出来たという話だった。それもそこら辺に転がっていそうな普通の話。それは、まだ男女共学だったころの小学生のときの知り合いで、夏休みの間の同窓会で意気投合して、そのままというありふれた話だ。 だから、アリサもはいはいと右から左に聞き流すことにした。 アリサも女の子である。だから、こういう風に恋人が出来たということを話す理由はよくわかる。つまり、彼女たちは自慢したいのだ。彼氏を、というわけではない。少し大人に近づいたような気がするこの気持ちを。 恋に恋するお年頃という言葉があるが、その言葉は彼女たちのためにあるようなものだとさえ感じた。 だから、その気持ちを理解できるアリサは、その腐れ縁の友人ともいえない知り合いの幸いを「おめでとう」の一言で終わらせるつもりだった。最後の一言がなければ―――。 「でも、アリサは気が強いからそんな相手なんて出来ないでしょうけどねぇ〜」 アリサも本当に冷静に彼女の話を聞き、少しでも羨ましいと思っていなかったら、彼女がもしも腐れ縁である秋元静でなかったら、ただの戯言で済んだだろう。 だが、彼女の嘲った笑みが癇に障った。その言い方が癪に障った。故に堪忍袋の緒が半分切れ掛かった。心の隙を突かれた。だから、思わずこう言ってしまったのだ。 「あたしだって、付き合ってる人ぐらいいるわよっ!!」 宣言してしまった。親友たちほどではないにしても、そこそこ仲のいい友人たちが聞いている中で。言い逃れが出来ない状況の中で、彼女は嘘を宣言してしまったのだ。 刹那、キャーーっ、という歓声。思わぬニュースに驚きのあまり声が出てしまったという方が正しいのかもしれないが。 その歓声でアリサが正気に戻ってから、しまった!? と思っても後の祭りだ。当本人を無視して周りの女の子はアリサの見知らぬ彼氏について盛り上がっている。 彼女自身、自覚しているのだが彼女は可愛い、というよりも綺麗といった方があうだろうか。外国の血が混じっているアリサの艶やかな金髪、整った顔立ち。そして、同年代とは思えない身体の成長の仕方。 現に彼女に告白してきた男は少なくない。下手をすると近くの高校からわざわざ出張ってくるぐらいだ。 だが、彼女はそのすべてを一刀両断にしてきた。カッコイイと周りから騒がれている男であろうと、もったいないといわれる男であろうと、誰一人としてアリサ・バニングスという高嶺の花を得ることは叶っていないかったのだ。 つい先ほど、アリサが自分で宣言するまでは。 もしも、アリサ以外の誰かが同じような宣言をしてもここまで騒がれることはなかっただろう。そして、女の子の話というのは山火事のようなもので、一度火がつくとそう簡単に消せない。 次第に話は盛り上がりは最高潮に達し、いつの間にか話は、アリサの彼氏に会ってみたいという話になっていた。 「え? いや……相手にも都合があるし……」 本当はいないのだから、都合も何もないのだがここまで大きくなった事をそう簡単に沈められるわけがない。だから、アリサは嘘を貫くしなかったのだ。 「本当は、嘘だったじゃないの?」 考えていたことを見透かされたようでドキっ! とした。 「どうしてあたしが嘘なんてつくのよっ!!」 内心の焦りを決して表に出さないように細心の注意を払いながら、いちゃもんをつけてきた女―――秋元静にそう言い返す。だが、アリサはこれが彼女の狙いだということに焦っている頭では気づくことが出来ない。 そして、彼女がなおも心のうちで笑みを深めていることにも。 「だったら、別に会わせてくれてもいいんじゃない?」 「ええ、ええ、いいわよっ!!」 ニヤリと笑った。いや、嗤った。秋元静がアリサ・バニングスを嗤った。その顔は雄弁に愚か者め、と語っていた。 本日、二度目の失敗だった。 とにかく、そんなこんなで罠に嵌められたというよりも、自らの性格を読まれ、言い出した本人との相性を読まれ、罠に突っ込まされたアリサ・バニングスは、次の日曜日、いないはずの彼氏を紹介することを約束させられたのだった。 「う〜〜〜〜ん……」 その日曜日も二日後に迫ったアリサは携帯電話を前にまだ悩んでいた。悩むこと数時間。さすがに二日前ともなると事情を話すためにもそろそろ決めなければならない。 ――――誰を偽りの恋人とするか。 相手方の都合がつかなかった、と逃げる手をとることはない。その手も一瞬考えたが、その手をとれば静が攻めてくることは間違いなく、また今日の放課後に静がぼそっとアリサだけに呟いた「日曜日楽しみにしてますよ」の一言が効いた。そこまで言われては、連れて行かないわけにはいかない。たとえ、偽りの恋人であるとしても。 アリサの現在の候補は三人である。 少ないと思えるかもしれないが、元々アリサの通う学校は女子校であり、また親友は女の子だけだ。それに、こんなことを付き合いの浅い人間に頼むことは出来ない。だから、必然的に交友の深い男となるのだが、よくよく考えてみればアリサと交友の深い男は三人しか思いつかなかったというだけだ。 その三人を吟味してみる。 まず最初に脳裏に浮かんだのは親友である高町なのはの兄である高町恭也であったが、その考えは一蹴された。 確かに小学生のころに憧れにも似た恋心のようなものを抱いた記憶はあるが、誰が妻子ある男に偽りの恋人を頼めるというのだろうか。なのはも妻である忍も笑って見過ごしてくれそうだが、それはアリサの中の何かが許せない。 よって高町恭也は没である。 次に浮かんだのは、なのはと同じく親友であるフェイト・T・ハラオウンの兄であるクロノ・ハラオウンであった。だが、やはりその考えは一瞬でゴミ箱へいくはめになる。 確かにクロノ・ハラオウンという男は、男という部類の中で見てみれば出来すぎた男だ。地位、容姿、性格。どれをとってもそこら辺の男には手の届かない位置にいる。あれならフェイトが若干を超えたブラコンになるのも分かる話だ。 一時期は、兄妹愛を越えた愛に走るのではないか、と本気で心配したが最近になってその傾向は減少傾向にある。 では、何が問題か? といえば、恭也のように妻子がいるわけではない。だが、その代わりにクロノにはエイミィという婚約者がいるのだ。頼めばフェイトはちょっといい顔をしないかもしれないが、それでもエイミィなんかは笑って済ませてしまいそうな気がする。 最後に消去法ともいえるある意味最低な方法で残ったのはただ一人だけであった。 「ユーノ……ねぇ」 アリサは最後に残った人物の名前を思わず呟いてしまう。 ユーノ・スクライア。付き合いの長さで言えば、フェイトやクロノとほぼ同じである彼であるが、アリサはあまりいい感情を彼に対して持っていないといえる。 まず最初の出会いが最悪だったとしか言いようがない。 彼は魔法使いという特権を利用してフェレットとしてなのはに飼われていた。そして、当時魔法という存在を知らなかったアリサは動物好きという性格のためか、フェレットとしてのユーノに対して随分と恥ずかしい行為をしていた。その最たるものは一緒にお風呂に入ったことではなかろうか。 もっとも、そのときの一連の話については後日、会談の場が設けられ、しばらくの間、アリサやすずかの下僕として働くことを対価に許すことにした。 本当は拳の一発でも喰らわせなければ気がすまないところではあったが、なのはの弁護やらその他もろもろの事情によりそれだけで許すことにしたのだ。 「……う〜ん。ユーノねぇ」 どうしたものか? とユーノのことを思い出しながら思う。 最近、ユーノと出会ったのはいつだっただろうか? 彼は基本的に忙しい人間らしい。これはアリサが時空管理局の人間ではなく、一般人で職場を同じくするなのはに聞いただけのことである。 そんな彼が、関係のないアリサやすずかと行動することは少ない。多くて月に一回、たまの休みになのはたちと共に買い物へ繰り出すことぐらいだろうか。もちろん、彼の役割は荷物持ちだ。アリサとしては綺麗どころを連れて行けるのだから当然の報酬だと思っている。 ユーノの容姿を思い出す。蜂蜜色の長い髪に男らしくない女顔ともいえる顔立ち。格好は常に基本的にオシャレという感覚を何処かに忘れてきたんじゃないか、という服装。はっきり言えば、男らしい一面を持つ恭也やクロノに比べたら対極に位置する男だといってもいい。 だが、代わりに恭也やクロノのように何かに没にする理由はない。恋人がいるわけではないし、ましてや婚約者いるわけでもないだろう。そして、なにより彼は基本的にお人好しだ。頼めば、無理しない範囲で叶えてくれるだろう。 「背に腹は変えられないか……」 自分でも失礼なことを言っていることは理解している。 それでもユーノのあの女の子っぽい顔立ちやいつも浮かべている微笑を見ているとどうしても男―――恋人とは思えないのだ。さらに言えば、あのお人好しの部分がさらにそう思わせているのかもしれない。 だが、それでも彼女には本当に背に腹を変えられないのだ。彼を除けば本当に候補が見つからないのだから。そして、彼を選ばなければ、それはあの秋元静に弱みを見せることになる。それだけは回避したかった。 「よしっ」 だから、アリサ・バニングスは決意を胸に一時間近く睨んでいた携帯電話を手に取った。 アリサが一時間近く携帯を睨み続けて、ようやく決意の元に電話を取ったころ、その相手ユーノ・スクライアは無限図書の仕事から一時的に解放されて遅めの晩御飯を取っていた。 だから、ユーノはなのはに渡され、管理局によって地球との電波が届くように改良された携帯電話を取ることが出来たのだ。 携帯電話の液晶部分を見てみれば、相手はアリサ・バニングスと表示してある。友人としてなのはやフェイト、仕事関係からクロノ、書物関係ですずかからの電話は珍しい話ではないのだが、アリサからの電話というのはことさらに珍しい。 だから、一瞬怪訝には思ったもののユーノは、ためらわず通話ボタンを押した。 「はい」 電話の向こうに聞こえるアリサの声。よくよく考えてみれば、アリサと話をしたのは一ヶ月ほど前に遊びに行った時なので懐かしいとさえ思ってしまう。 しかし、ユーノが聞いた久しぶりのアリサの声が多分に焦りのようなものを含んでいる気がして少し怪訝に思ったが、その疑問を考える間もなくマシンガンのようにアリサが話を続ける。 「え? うん。お休みだけど……えっ!? ちょっと! アリサっ! どういうことっ!! アリサっ!! アリサっ!?」 アリサからのマシンガントークに最初は冷静に頷いていたユーノもだんだん不可解になっていく内容に対して理由を尋ねようとするもアリサは一方的に電話を切ってしまったらしい。携帯電話から聞こえるツーっという音と通話時間を無情に示すディスプレイを見ながらユーノは突然すぎる事態に呆然とするしかなかった。 「なに? どうしたの。ユーノ君」 呆然としているユーノを現実に戻すように声を掛けたのはアースラ所属でクロノの婚約者でもあるエイミィだった。 この二人、実は一緒に食事を取っていたのだ。エイミィとユーノは実は仲がいい。共に情報を司る部署だからだろうか。顔を合わせることも、話をすることも多い二人だ。エイミィなど下手したら、一日の会話時間はクロノよりもユーノのほうが多い時間さえあるぐらいだ。 一昔前、クロノとエイミィが恋人になる前のクロノとエイミィのような関係のようだ、といえば分かりやすいだろうか。つまり、姉と弟のような関係だ。 その関係を勘ぐられ、一時期クロノがユーノに嫉妬したなんて話はまた別の話である。 そんな二人が偶然にも同じ時間に食堂で顔を合わせれば、共に食事を取るぐらいのことは自然なことだった。 「今のアリサちゃんからでしょう?」 「はい、そうなんですけど……」 ユーノは訳も分からず切れた携帯電話を握り締めながら、僅か三十秒足らずで行われた説明を必死に理解しながらエイミィに伝えた。 最初は世間話の一部を聞くような感覚で聞いていたエイミィもユーノの話が進むにつれてその目の輝きが獲物を狙う肉食動物のように輝き始めていた。 幸か不幸か、アリサからの言葉足らずの内容を理解しながら話していたユーノはその目の輝きが変化したことにはまったく気づいていなかったが。 そして、ようやくユーノが話し終えたあと、エイミィはうぅ〜んと腕を組んで唸り始めた。 実際はもう答えは出ているというのに。これはただのエイミィなりの演出だ。一方のユーノは確かにアリサが言いたいことは理解できたが、どうしてそういうことになったのか理解していなかった。 アリサがユーノに言ったことは精々三つだけ。 一つは今度の日曜日が休みか、ということ。一つは海鳴町の駅前まで来いということ。一つは、彼氏の振りをして欲しいということ。 その理由も事情も一切説明せずに、ただそれだけをユーノに伝えた。最後に詳細はメールで。といっていたような気がするが、それが聞こえるほどあのときのユーノは冷静ではなかった。 だから、ユーノは理解していなかった。 どうして、自分がアリサの彼氏の振りをするということになっているのか。 それは対照的だったのはエイミィ。心の中では、封印したはずの悪戯心というものがふつふつと沸騰し始めていた。 エイミィは女だ。性別が関係するわけではないのだが、彼女は意外にも少女コミックの類をいくつも読んでいる。その中の一つの話に似たような話が存在するのだ。エイミィもこんな漫画的な展開に遭遇するのは初めてだが。 ふと、目の前に座る女顔をしたユーノを見る。彼には失礼だが、こういう場面で選ばれるのは普通もっと男らしい男だと思っていたが。いや、確かに美形とは思うが、イメージとは何処かがずれている。 アリサちゃんもユーノ君を使うなんて……こういうときはクロノ君みたいな……はぁはぁん。なるほどね。遠慮しちゃったんだ。でも……となると…… もしかして、ユーノに白羽の矢が立った責任の一端は自分にもあるんじゃないか、と思えてきた。 もちろん、それはエイミィの気のせいというやつで彼女に責任の一端はまったく関係ない。だが、エイミィの心はどうやってこの事態に自分を絡ませるかで必死になっていた。なぜなら――― こんな面白いこと見逃せないよねっ!! クロノと一緒に学校に通っていたころは当たり前のように顔を出していた悪い癖。今は婚約したこともあって、少しは大人になろうと成りを潜めていた悪い癖だったが、この面白すぎる事態に対して再び頭を出してしまったようだ。 「あ、あの……エイミィさん?」 さすがに静観していたユーノも俯いて表情が見えなくなり、くっくっくっと低い声で笑われれば不安にもなる。しかも、今回に限って言う話ならば、その嫌な予感は的中しているのだから。 「さぁ! こうしちゃいられないよっ! ユーノ君っ!!」 「え? え? あれ?」 何がどうなっているのかユーノにはさっぱり理解できない。だが、時は無情にもユーノに理解という行動を行う時間を与えてくれそうにない。 なぜか何かに対してやる気満々になっているエイミィに引っ張られるように食堂を後にさせられる。エイミィに事情を聞こうにも今のエイミィの瞳は何かに取り付かれているようにギンギンに光っていて声を掛けることがとても出来そうになかった。 まるで子供のようにずるずると引っ張られるユーノが、もうどうにでもしよ……とやけになり理解することを諦めた直後、脳裏に浮かんできたのは唯一つだった。 ―――――あ、まだ僕の晩御飯残ってる…… アリサにとって決戦の日曜日。 その日、アリサは朝からそわそわしていた。 当然といえば、当然なのだろうか。気になっているのは今日の偽デートだ。いや、果たしてデートといえるかどうかも怪しい。なぜなら秋元静を筆頭に三人も女がついてくるのだから。 むしろいうなれば、アリサの彼氏発表会といったほうがいいだろうか。 確かにアリサは、電話でユーノに今日が休みだということと今日来るようにと約束も取り付けた。その後で、詳細を示すメールを送った。ユーノからの返事は了解という一言だった。もちろん、それ以外の返事を許すつもりは微塵もなかったが。 さて、その際にメールにはいくつか大事な指示をしていた。果たしてそれをユーノがきっちり守っているだろうか。アリサは不安になる。 特にその中の一つが服装に関することだ。 ユーノ・スクライアという人間はどうやらオシャレというものに興味を持たない類の人間らしい。 アリサたちの世界に来たときは大体がジーパンとシャツかトレーナーだ。ユーノ曰く簡単だから、らしいが、年頃の男がその答えというのはいかがなものかと常々アリサは思っている。しかも、アクセサリーなどをつけている所もまったく見たことがない。むしろ、持っているのか? とさえ聞きたくなるほどだ。 そんなユーノにアリサが命じたことは『オシャレ』をしてくること。 いくらユーノが女顔とはいえ、服装次第でそれは美形という評価に百八十度変わるということにアリサは気づいていた。だから、アリサはこの命令をユーノにしたのだが、問題はどこまでユーノが服装選びのセンスを持っているかである。 普通なら誰かに応援を頼めばいいのだが、今回ばかりは親友たちには話せない。なぜ? と問われれば、答えに窮するが、とにかくいえない。だから、今回はユーノに任せることにした。 それが正しい選択だったのか間違った選択だったのか。その答えはもうすぐ出るだろう。 「ねえ、アリサの彼氏ってまだ来ないの?」 もうすぐ来るんじゃないかな? と笑顔で答えるとその女の子は残りの二人と再び談笑に花を咲かせる。 今回、お披露目に招待された女の子の一人がこのように尋ねたのは、純粋な好奇心だろう。秋元静と違って。静は、今回に限っては名前の通り、静かに待っている。だが、その顔の裏のどのような表情を隠しているいるかはアリサも想像もつかない。 表では笑っているだろうが、裏でどんな顔をしていることか分かったものじゃない。 さて、それはともかく、アリサもそろそろ時間が気になってきた。 約束した時間は十時。場所は海鳴町に一番近い駅前。あまりこちらの世界に来ないユーノのことを考慮して選んだ場所だったが、そんなに分かりにくい場所だっただろうか? それとも、ここにきて急にドタキャン、とでも言うつもりだろうか。 だんだん、アリサの心の中の不安が大きくなる。 約束の時間は刻一刻と迫り――――そして、その時間まで後残り二分。アリサの不安が最高潮に達しようとしていたとき、彼女にとっての救いが現れた。 「ごめん。アリサ。遅れた」 その声は男としては少し高いであろう声がアリサとその友人たち三人の耳を揺らした。 アリサは自分の名前が呼ばれ、知り合いたちは待ち人を待っていた友人の名前が呼ばれたことに反応して、声の発信源を捉え、振り返る。 その直後、振り返った四人はほぼ同時に思考回路が停止することになる。三人は同じ理由からだが、ただ一人アリサだけは理由が異なっていた。つまり―――― …………あんた、本当にユーノ? つまりはそういうことである。 彼女にとってアリサ・バニングスという人間は憧れだった。身近なアイドルといっても過言ではない。 綺麗な自分には決して現れない金髪、白い肌、整った顔立ち、均整の取れたプロポーション。どれをとっても女性としては憧れざる得ないものを彼女を持っていた。また、性格も少し気が強いような気もするが、嫌味というわけではなく気が強いリーダーシップの取れる女性である。 憧れるなというほうが無理であるとさえ考える。 そんなアリサの彼氏とはどんな人がなるのだろう? と常々考えていた。 そして、今回、そのアリサが惚れたという彼氏を見る機会が訪れていた。それはまったくの偶然だ。近くで話を聞いていた。立候補のじゃんけんに勝つことが出来た。皆、アリサの彼氏に興味深々だったのだ。 そのアリサの彼氏が今、目の前にいる。 ―――うわぁ。 言葉が出なかった。 彼女たちの頭一つは高い身長に蜂蜜色の髪の毛を緑色のリボンで結い、下手をすれば女性と見間違える顔立ち、鼻の上にちょこんと可愛らしく乗せられた小さなメガネが、柔らかな笑顔によく似合っていた。着ている服も黒を基調とした服で纏めており、胸に嫌味にならない程度に光るシルバアクセもワンアクセントになっている。 陳腐な言葉で言うならば、格好いいというべきか。 勝手に日本人特有の黒髪の少年を想像していた彼女は、想像以上のアリサの彼氏に言葉が出ず、思考回路はギリギリまで低下していた。 ただ一つだけ思ったことは―――― 来てよかった。 ということであった。 ユーノは自分のほうを向いて驚いたような表情をしている四人を前にして戸惑っていた。 エ、エイミィさん。やっぱりこの格好は失敗でしたよ。 あはは、と乾いた笑みを浮かべながら、ユーノは一人心の中で毒づく。 昨日、無理矢理エイミィに連れて行かれた場所は、デパートのメンズコーナー。そこで無理矢理服を購入させられた。しかも、ユーノが普段買うような洋服ではない。それでこそファッション誌に載っているような流行といえる洋服だ。 ユーノにとって幸か不幸か、エイミィは地球に住んでいるクロノとデートする洋服を選ぶために地球のファッションには詳しくなっていた。それでこそ男女問わずに。 似たような服を次々に買い物籠に放り込むエイミィ。途中で試着させることも忘れない。 結局、買い物籠一杯、ユーノにとっては五年分ぐらいの洋服を買わせられた。もっとも、エンゲル係数が九十を超えるユーノにしてみれば有り余っているお金の一部が消えたぐらいにしか感じられないのだが。 そして、今日はエイミィに命令させられた通りの服を着てこの場に来たのだ。だが、その洋服というのが存外着るのに時間がかかってしまい、遅刻しかけたということである。 だが、遅刻しかかってまで着た服はどうやら彼女たちの反応を見るからに逆効果だったように思える。 と、とりあえず、この場をなんとかしないと。 アリサに頼まれたことなどすでに頭の隅に行っている。今、ユーノの頭の中にあるのは、この微妙な空気のままで固まっている空間を何とかしないと、という一念だけだ。 だから、辛うじて頭の隅に残っていたアリサの計画通りの言葉を吐き出した。 「えっと、ここで立ち話でもなんだから、喫茶店にでも入ろうか?」 目の前に立つ四人の少女がコクリと頷いてくれたことにユーノは心の内でこっそりと安堵の息を吐くのだった。 後編へ続く |