こんなの詐欺よ。詐欺だわ。

 アリサ・バニングスは隣に座るユーノ・スクライアを横目でちらりと見ながら心の中で毒づいた。

 オシャレすれば化ける、とは思っていた。だが、ここまで化けるなんて誰が予想できるだろうか。まるで昨日までお化粧を知らなかった女の子が、少し化粧を習っただけで次の日は別人のようになったときの感覚によく似ている。

 確かにユーノは女顔だが……と思ってしまうのは仕方のないことなのだろうか。

 そんなことを考えながら、アリサは運ばれてきた紅茶を軽く口にした。

 あら、おいしいじゃない。

 アリサは眉唾ものではない正真正銘のお嬢様だ。

 だから、というわけではないが、アリサは日ごろから正式な入れ方をしたティーパックではない紅茶に慣れている。それも一流といわれる執事が入れたものだ。そのアリサが素直においしいと認められるほどの紅茶をこの店は出していた。

 ま、こいつが選んだんじゃないんでしょうけどね。

 アリサが知る限り、ユーノ・スクライアという人間は、オシャレなお店などという関係には非常に疎い人間のはずだ。しかも、この世界には住んでいないのだから尚のことである。だが、ユーノはこの店を勧めた。ならば、そこから導き出される解は―――

 まったく、こいつも変なところで気が回るんだから。

 ユーノの意外な一面を見て感心するアリサだった。









 あの場で、ユーノに驚き、呆けていたアリサたちはユーノに勧められるままに近くの喫茶店へと足を運んでいた。

 アリサたちが入った喫茶店の第一印象は華やかというところだろうか。入ってすぐに目に入ったのは白い壁とそれに栄えるように置いてある花々である。それも明るい色であるため、店内を明るい雰囲気にしている。

 店内には満席というわけではなく、六割ほどのお客で埋まっていた。まだ、夕飯には早すぎるし、昼ごはんには早すぎるこの時間帯にこれだけのお客さんが入っているということは、それなりに繁盛している店なのだろう。

 お店のことはともかく、ユーノたち五人が案内されたテーブルは、店の端の方で三人掛けの皮の長椅子と二つの椅子が対面して並んでいる白いテーブルだった。

 ユーノの登場から半分呆然としていた四人の女の子は、店員の「それでは、ごゆっくりどうぞ」という声で、ようやく正気を取り戻した。

 アリサまで正気を失っていたのは、実におかしい話のなのだが、アリサにとって幸いなことに他の三人も呆けており、ただ言われるままにユーノについてきただけなので、その事実に気づいていなかった。

 そして、正気に戻った四人が最初に疑問に思ったのは、ユーノがいつまでたっても椅子に座ろうとしないことだ。

 ユーノが彼女たちの先頭にたっているので、彼が座らない限りは、他の四人は座ろうとしても座れない。だが、ユーノは何を考えているのか、五人が座れる五つの席を見渡してどこに座ろうか迷っているようだった。

「……えっと、どうしようか?」

 その言葉を聴いて、瞬間的にアリサは、バカっ! と叫びそうになった。

 アリサとユーノが彼氏と彼女という間柄である以上、席に配置は決まっているというのに、ユーノはご丁寧にも後ろについてきた四人に座る席を尋ねたのだ。

 誰か不振に思いやしないか、と心配になったアリサだったが、幸いにして誰もユーノが抜けた発言をしたことを気にしなかった。それどころか、クラスメイトの一人が嬉々として座る順番を提案してくれたものだから、アリサにとっては非常に助かった展開である。

「あ、それじゃ、私たちはこっちで……アリサさんと彼氏さんは、こっちにしましょうっ!」

 これからユーノと話が出来るのがよほど嬉しいのか、今まで見たこともなかったような笑顔でクラスメイトの一人が、素早く提案する。

 あんた、そんな顔も出来たのね、と仲の良いもう一人のクラスメイトさえ思ったほどだった。

 彼女の提案には、誰も反対はしなかった。

 彼女が提案した席順は最初から決まっていたようなものだから。気づかなかったのは天然ともいえるユーノだけである。誰が好き好んで彼氏彼女が揃っているのに並べずに別々に座らせようというのか。

 結局、二つの椅子にアリサとユーノが。長椅子には静とクラスメイト二人が座ることになった。

 五人全員が席に座ったとき、まるでそのときを見計らっていたかのようにメニューを二つ持った店員が五つのお冷と営業スマイルを浮かべて、気配のないまま現れた。

 そのまま、手馴れた手つきで五人の前にお冷を置き、アリサとユーノの前に一つ、静たち三人の前に一つづつメニューを置いて「お決まりになりましたお呼びください」という言葉を残してその店員は去っていく。

 お客に気にかけさせないという点では、この店員は確実に上級だろう。

 目の前に置かれた五つのお冷と二つのメニュー。だが、誰も手はつけない。静たち三人の瞳はすべてユーノへと注がれている。

 一方のアリサはユーノが女の子からの視線を受けてどんな表情をしているんだろう? と興味を持ってちらりと横目で見てみれば、ユーノは彼女たちと買い物をするときと同様に微笑んでいるだけだった。

 このお店の雰囲気もいいし、とりあえずは合格といったところかしら。

 内心、安堵の息を吐きながらそう思う。

 もしも、三人の視線に怯えるなんて事があれば、速攻で首根っこを捕まえて店の外に出て行くつもりだったが、どうやらその計画は実行に移す必要はなく、この計画もとりあえずは、実行され続けられるようだ。

「それじゃ、僕が最初に自己紹介しようか」

 誰もが口を開こうとしない中、最初にその沈黙を破ったのは注目の的であるユーノだった。案外、その注目の的になっていることを自覚して口を開いたのかもしれない。

 三人の視線がさらに強くなる。ユーノの言葉を一語一句聞き逃さないようにと神経を集中させているのが、アリサにも分かった。

 そこまで気になるものかしら?

 アリサは三人のあまりにも興味津々なものだから、彼女たちの疑問を持ってしまうほどだった。

 三人の強烈な視線を受けながら、それでもユーノは浮かべた柔らかい笑顔を一切崩さずに口を開いた。

「僕はユーノ。ユーノ・スクライア。アリサと付き合ってる……アリサの彼氏だよ」

 まるで、今日の天気は晴れだ。とでも軽く言うが如くユーノはその偽りの事実を口にしていた。その口調からは当たり前のことを言っているようでどこにも不自然さは見られない。

 そして、言っている本人以上に動揺してしまったのは、この演劇の主演にして監督のアリサである。

 『付き合っている』。その言葉をユーノの口から聞いたとき、アリサは体温が上昇し、顔が赤くなるのを自覚した。

 分かっている。これは演技なのだと、偽りなのだと。このアリサ・バニングスが、あのユーノ・スクライアと恋人同士になどなるはずがないのだと。

 だが、演技と分かっていても、偽りと分かっていても、なるはずがないと分かっていながらも、それでもユーノは男だから、男の口からその言葉を聞けば、恥ずかしいのは当然だ。

 そのアリサの胸中を知ってか知らずか、アリサを放置して目の前の三人は「おぉぉぉ」という歓声にも似つかない声を上げていた。

 さすがにこれには、微笑んでいたばかりのユーノも一瞬押され、笑みを作っていた口の端がピクピクと動いていた。米神に冷や汗のようなものが見えたのは座っている位置の関係上、アリサにしか見えなかったが。

 今、こいつはどんな気持ちなんだろう?

 アリサは今更ながらにそんなことを思った。

 偽りの彼氏。偽りの恋人。何もかもが嘘。自らのプライドと見栄を守るための嘘を貫くための演劇。その主演はもちろん、アリサ・バニングスだ。そして、助演はユーノ・スクライア。

 アリサは、見栄とプライドを護るために必死になる。だが、ユーノは? ユーノは本来なら何も関係ない人間。アリサが、無理矢理腕を引っ張り上げて舞台に連れ込んだだけの人間である。

 そんな彼が、今、どんな気持ちでアリサの隣に彼氏として座っているのか興味がある。

 後日にでも時間を作って聞こう、とアリサは心に決めた。

 さて、アリサが心の中でユーノにとって迷惑なことを心に決めたころ、名前の紹介が終わったユーノに向けてクラスメイトの女の子の一人がはいはいは〜い、と手を上げて、ユーノが何か口を開く前に自分から口を開いていた。

「はいはいはいっ! スクライアさんって、どこの人ですか?」

「あ、ずるいわよっ! それよりも、スクライアさんはどこでアリサと知り合ったんですかっ!?」

「なによっ! 私が先に質問したんだから、私の質問に答えてもらうわよっ!」

「あんたねぇ! スクライアさんがどこ出身か? なんていいじゃない。それより、二人の馴れ初めよっ!!」

 歓声とも思える声が終わりとともにユーノを待ち受けていたのは、恋愛話に目がない女の子たちの質問攻めだった。もうそろそろ大人の仲間入りを果たしてもおかしくない年齢で騒ぐ彼女たちを見て、連れ添いの静が頭が痛そうに額を押さえていた。

 その様子を見てこのときばかりはアリサも初めて彼女に同情した。

 放っておけば、この店の迷惑になる。そう考えたアリサは二人の暴走を止めるために口を出そうとして―――ユーノに先を越されてしまった。

「ふ、二人とも後で質問には答えるから、今は何か注文しない?」

 ユーノの言葉で、二人の言い争いはピタリと止まった。質問に答えるという言葉が強かったのか、あるいは、ここで客人であるユーノの言葉に従ったのかは分からない。だが、とりあえず大人しくなった二人にアリサと静は同時に安堵の息を吐いた。

 それに、ユーノの言葉ももっともである。喫茶店に来ていつまでも何も頼まずに話している訳にはいかない。堂々と出来る人は出来るだろうが、生憎、アリサはそこまで神経が図太いわけではないのだ。

 それじゃ、ということで静たち三人は目の前にあったメニューを手に取って開き、三人で仲良く見ている。だが、アリサの気のせいだろうか、三人とも動きが止まっているような気がするのは。

「アリサは何にする?」

 動きを急に止めた三人を不思議に思いながらも、声をかけられたユーノのほうに意識がいく。すでにユーノは目の前に置かれたメニューを開いて、何かを選んでいたようだった。だが、ユーノは決まっていないのだろうか? メニューをアリサに渡すことはなく、見ていたメニューを自分の手で持ったまま身体を動かしてアリサが見やすいようにする。

 あ、この匂い……。

 不意に、ユーノの身体から香ってきた香り。それは薄い香水だった。嫌味にならないほど、薄い香水。柑橘系の甘い香りがアリサの鼻をくすぐった。

 直後、アリサは気づいてしまう。自分とユーノの距離があまりに近いことを。

 アリサがメニューを見ようとすると、ユーノに近づかなければならない。今の体勢はユーノの首筋にアリサの頭が当たるような体勢だ。ついさっきまでは、不意に香ってきた香りに騙されたが、気づいてしまった今となっては恥ずかしいことこの上ない。

「ん? どうしたの? アリサ」

 だが、この鈍感男は何も気づいていないらしい。相変わらず、何を考えているのか分からない緩い笑顔を浮かべている。

 この場にいるのが親友たちだけであるなら、拳の一つでも飛ばすところだが、今、この場にいるのは親友たちではない。だから、震える拳を必死に押さえ込む。我ながら、この精神力には驚嘆するな、と思った。

 この怒りを何とか逸らすためにも何を注文するか考えよう。

 そう考えたアリサは、ユーノが持ったままのメニューに目を落とす。

 直後、アリサの頬にユーノの男なのにさらさらの髪が頬に当たったり、ユーノの小さな息遣いが耳元で聞こえたりなど、そっちに意識が持っていかれる。その所為で、相手がユーノだと分かっていたとしても胸が高鳴り、顔が赤くなりそうになるが、顔が赤くなるのだけはなんとか持ち前の精神力で阻止することに成功した。

 ああ、もう、気にするからいけないのよっ!!

 自分で自分を叱咤しながら、今度こそメニューに意識を向けて――――驚愕した。

 同時に目の前の三人がメニューを開いて固まっている理由をしっかりと理解してしまった。

 彼女たちが固まっている理由は簡単だ。高い。高いのだ。このお店の料理の値段が。

 紅茶と何かのセットで軽く千円を越えてしまう。月々およそ一万円の小遣いで生活している彼女たちには辛いお値段だろう。さらに間の悪いことにこの日は月末だった。つまり、小遣いは殆ど残っていないのだ。もしかしたら、目の前の三人は小遣いが足りないのかもしれない。誰が予想できるだろうか? 少しお茶をするだけで軽く千円を超えるなんて。

「みんな、決まった?」

 だが、そんな彼女たちの心情をまったく知らないユーノは自分の注文が決まったのだろうか、彼女たちが固まっていることにまったく気づかないまま尋ねた。

「え〜っと……そのぉ〜」

 固まっていたはずのクラスメイトの一人が、気まずそうな表情をしておそるおそる手を挙げる。その額には冷や汗のようなものが浮かんでおり、米神から頬にかけて一滴の粒さえ流れている。

 よくよく見てみれば、もう一人のクラスメイトの表情も同じような顔をしていた。静だけはなんとか平然を装っているが、おそらく虚勢だろう、とアリサは見当付けてみる。

 なにせ、今月は倹約していたはずのアリサでさえギリギリ足りるか、足りないかというラインなのだから。

「非常に言いにくいんですけど……実は……その……」

「お金がないのよね」

 さすがに、いいにくそうにしているクラスメイトにアリサは助け舟を出すことにした。ちょっとした同情だ。彼女の気持ちはよくわかるから。もしも、同じ立場だったらアリサは相手にそんなことをいえないだろう。

 だが、その事実をアリサの口から聞いたユーノの反応は、実に不可解なものだった。

 一瞬、意味が分からないというようにきょとんとしたかと思うと、まるで忘れていた何かを思い出すようにあっ、と小さく声を上げる。

「ごめん。言い忘れてたよ。ここのお金は全部僕が出すから好きに注文してよ」

 その言葉にアリサを含む女の子たちが驚く。

 いくらなんでも初めて会った相手から奢ってもらうというわけにはいかないだろう。そのくらいの常識を彼女たちは持ち合わせている。だから、彼女たちを代表して静が、口を出す。

「そんな、スクライアさんとは今日、出会ったばかりなのにそんなことはさせられませんわ」

 彼女の言葉には暗に彼女のアリサさんならともかく、というような意味合いを含んでいるような気がしたが、アリサはそれを無視した。もちろん、ユーノはそんな裏の意味合いに気づくはずもない。

 だから、静の謙虚な言葉をそのままの意味で受け取ったユーノは少し可笑しそうに苦笑して言う。

「ああ、そんなこと気にしなくても良いんだよ。君たちは学生でしょう。僕は働いてるのにお金を出させるなんて真似はできないよ」

「「「え?」」」

 三人の声がハモった。一言だけだったが、明らかに驚きの声であった。

 え? なに? なんなの?

 その声を耳にしてアリサは焦る。今のユーノが言った事実の中にどこにも驚くような事実がなかったからだ。

 もしかして、ユーノとの関係が偽りってバレたっ!? と心臓が一瞬、大きく跳ねるが、それにしては静が静かなのはおかしい話である。彼女の性格を考えれば、一瞬でも疑わしいことがあったならば、すぐさまアリサを攻めると思っていたからだ。

 だが、静も浮かべた表情と声は驚きだけ。どこにも、アリサを攻めようという意思は見えなかった。

 そのことにほっ、と安堵したアリサだったが、ならば逆に疑問が残る。彼女たちは何に驚いたのか。ユーノは何か分かるかも、と思って一瞬、ユーノに視線を向けるが、ユーノは小首を傾げるだけである。

 アリサはまったく理解していなかったが、彼女たちが驚いた理由は、ユーノが働いているからではない。アリサが付き合っている男が働いている大人の男性―――つまり、社会人だからである。

 ここで、最初にユーノが年齢を言わなかったのは僥倖だった。さすがに、アリサと同い年で働いているなんて、向こうの世界でならともかく、こちらの世界では異様なのだから。

 では、なぜユーノが社会人だと彼女たちが驚くのか。

 簡単だ。彼女たちが『お付き合い』というのに興味を持つのは、大人の女性としての一歩を歩き出したような気分になれるからである。それが、たとえ同年代の世間からは子供といわれる相手であったとしてもだ。

 だが、アリサの場合は、どうだろうか。アリサの場合は、社会に出たユーノと付き合っている。つまり、アリサの場合は大人の女性としての一歩ではなく、大人の女性として社会に出た男性から認められた、という認識に彼女たちの中ではなっている。

 アリサとユーノの付き合いはおままごとの様な付き合いではなく、大人の付き合いという認識なのだ。

 もっとも、ともすればユーノは社会からロのつく大人といわれても仕方ないのだが、彼女たちにはそちらの思考はなかったようだ。

 そういうわけで、三人の少女の目は静以外の二人の視線はアリサに対して尊敬の眼差し、そして静は少し悔しそうな視線をアリサに向けていた。

「え、えっと……それじゃ、四人ともケーキセットでいいかな?」

 やがて、その尊敬の視線たちに耐えられなくなったのか、ユーノが苦し紛れの一手といわんばかりに搾り出すような声で四人に提案する。

 その提案に異論があるはずもなく、三人のクラスメイトとアリサは、コクリと頷いた。

 四人のお嬢様たちが頷いたのを確認してユーノは、店員を呼びコーヒーとケーキセットを四つ注文する。注文を持っていた小さな紙に書いた店員は「しばらくお待ちください」という定型文句と共に店員はメニューを持って席を離れていくのだった。

 ここでユーノは一つ選択ミスをした。

 沈黙は、沈黙で保つべきだったのだ。そうすれば、時間は稼げた。いや、問題の先送りなのかもしれないが、それでも確実に貴重な時間が得られるはずだったのだ。

 彼がやった行為は、火がついた導火線を多少切って火をつけなおしたという行為に等しい。

 そして、クラスメイト二人の導火線はゼロになり、ついに爆発した。

 今の彼女たちにある欲求は唯一つだけである。つまり―――『知りたい』

 もともと、どこか憧れる一面があったことは確かだ。そして、今回の一件で、その憧れはさらに大きくなった。焚き火から山火事程度にまで。

 そんな大きな憧れを持つ女性のことを知りたいと思うのは女性の真理である。だが、直接アリサに尋ねるわけにはいかない。だから、彼女たちの知るための行為である質問はユーノに爆発するようにぶつけられた。

 つまり、今からはユーノの尋問タイムということである。

 それが始まったのは店員が頭を下げて踵を返した直後だった。ユーノの前に座るクラスメイトの女の子二人がほぼ同時に口を開いた。先ほどと同じような内容の質問を口にするのだ。だが、ステレオで異なる内容の言葉を喋られても聞き取れるはずもない。結局、静が二人の頭を殴って黙らせ、質問を交互に行うということになっていた。

 以下は、その一部である。

 Q、アリサとはどうやって出会ったのか?
 A、僕はアリサの親友のなのはと知り合いだったからね。そのつてだよ。

 Q、告白はどっちから?
 A、僕から……かな。

 Q、そのときの言葉は?
 A、普通に『付き合ってください』だよ。

 Q、初デートは?
 A、近くの遊園地だったよ。

 Q,ファーストキスは?
 A,その遊園地の観覧車の中だったかな。

 Q、キスは何回ぐらいやった?
 A、もう数えてないかな。

 そのほかにも大雑把なことから、細かいことまで、実にさまざまな質問がユーノにされた。

 それに対してユーノは身振り手振りを入れながら軽く、しかし的確に答えていく。ありもしないはずの事実を的確に答えられるのは当然だ。なぜなら、この事態はアリサが予測できたことであり、予測できるなら前もって答えを用意していられるからである。

 答えは主にアリサが用意した。それ以外の答えはユーノに采配を任せてある。

 なのはたちの話によればユーノは相当に頭が良いらしい。どこまでいいのかは分からないが、ともかく数学に至ってはアリサと同レベルのなのはがすごいというのだから、相当のものだろう、とアリサは予想している。

 もっとも、純粋な頭の良さとこの場における頭の回転が同一の意味を指すかは分からないが、それでもないよりもましである。

 そういうわけで、細かいところはユーノに任せ、一応、確認するようにその答えを耳にしながらもアリサは前に座る三人の様子を細かく観察していた。

 クラスメイト三人の内、ただ着いてきただけの二人は相変わらずユーノに質問攻めでややユーノを困らせている。だが、一番この演劇を見せなければならない秋元静だけは違った。

 ―――ちっ、静の奴、疑ってるわね。

 まるでユーノの言葉を探るように注意深く耳を澄ませ、視線はユーノに固定されている。

 おそらく、矛盾がないか、ユーノの態度に怪しいところがないか、探っているのだろう。だが、そう簡単にぼろを出すはずがない。事実、今まで聞いているが、ぼろを出したところはない。

 出していないのだ。一つも。一つたりとも……

 だが、だが、だが、おかしい。だんだんと静の疑惑の目が強くなっていく。だんだんと注意深く探るように目が細くなる。

 何かぼろを出したか?

 気になって、アリサは質問している二人とユーノの回答に耳を澄ませて注意深く聞いてみるが……やはり問題はないように思える。質問する二人に一切の淀みなく答えるユーノ。

 っ!? しまった!!

 そう、ここでアリサは気づいた。静が何を疑っているか。

 確かにユーノの回答は完璧だ。しかし、完璧すぎる。自分のことは少し考えるような仕草も見えるが、アリサとユーノのことに関しては、ほぼ思考タイムなしで答えている。

 まるで、脚本があらかじめ用意されているように。

「あの、スクライア――――」

 ついに確信を持てたのか、二人の隙を突くように、ここで初めて口を開こうとする静。ユーノも初めて口を開く静に視線を向けた。

 その質問が何を意味するかアリサにも分かった。だから、やめさせようとした。だが、どうやって? 口を開く前にその思考が働くが、答えは出ない。しかし、何かを口に出さなければならないと思っている。

 その二つの思考は交じり合い、混乱し、ついには口がパクパク動くだけになってしまいそうになる。

 だが、救いの女神は意外なところで現れたようだ。

「こちら、コーヒーとケーキセットでございます」

 静の質問を遮るように現れたのはウエイトレスだった。トレイに四つのシフォンケーキと紅茶、ユーノ用にコーヒーが置いてあった。

 おそらく訓練されているのだろう。一切の音を立てずにアリサたちの目の前にケーキと紅茶が置かれ、ユーノの目の前にもコーヒーと砂糖とミルクが置かれた。

 そして、最後に伝票を裏返しにしてウエイトレスは、ぺこりと頭を下げてその場を去っていった。

 それを見計らってまたしても口を開こうとした静だが、その前に今度はユーノの発言によってその口は再び遮られることになる。

 ユーノはコーヒーの入ったカップをブラックのままで持ち、目の前の三人に向かって相変わらずの柔らかい笑みを向けながら言う。

「ここのケーキと紅茶はおいしいらしいよ?」

 いくら学生の身であったとしてもこの意味は分かる。

 つまり―――質問はここまでにしてお茶にしよう、というわけである。

 ここでお客であるユーノの顔を立てないわけにはいかない。つまり、静は質問するタイミングを完全に失ったことを意味していた。

 アリサは、とりあえず助かったことにほっと胸をなでおろしながら、これからどういう形でこの演劇を持っていくかをユーノを横目に考えながら、運んでこられたばかりの紅茶に手をつけるのだった。











「それでは、今日はお忙しい中、私たちの我侭に付き合っていただきありがとうございました」

 喫茶店の前の通りでユーノとアリサ、静たちと向き合ったところで静が、ぺこりと頭を下げる。それを見て、連れのクラスメイト二人が見よう見まねで慌てたように頭を下げた。

「そんなに恐縮しなくても……僕も今日は休みで暇だったから、いい暇つぶしになったよ」

 頭を下げた三人を見てユーノは、当然のように言う。

 結局、ケーキを食べ終わった五人は少し雑談しただけで喫茶店から出た。最初、質問が山のようにあったクラスメイトの二人だが、どうやらケーキが運ばれてきていた時点で殆どの質問を消化していたようで、ケーキを食べ終わってからは質問は数えられるほどしかなかった。

 ケーキが運ばれる前に質問をしかけた静だったが、なぜか、食べ終わってからもその質問を口にすることはなかった。アリサは不思議に思いながらも、それはただ単に確信が持てなくてやめただけだ、と判断した。

 ――――勝った。

 頭を下げてユーノが受け答えしたのを見て、アリサはそう確信した。

 騙しきった。アリサ・バニングスにユーノ・スクライアという彼氏がいると認識させた、と思った。

 まあ、当然かな? とも思う。この勝負は、最初からアリサのほうが有利だったのだ。

 アリサはユーノが恋人である証拠を提出する必要はない。ただ、ユーノを紹介すれば良いだけだ。対して、静はユーノが絶対恋人ではないという証拠を突きつけなければならない。

 もしも、証拠がなく直感だけで言うならば、それはただの妄想だ。なにより、他の二人が証言してくれるので問題はない。ただ一人、静がわめいた所でそれは真実になりえない。静の勝利条件はただ一つだけだった。

 ユーノが恋人ではないという明確な証拠を見つけ出し、矛盾を指摘し、逃げられないようにすること。

 だが、さすがにあの短時間ではそんなことは無理だったようだ。静はユーノをアリサの恋人と認め、己の敗北を認めた。


 ――――そう思っていた。次に静が口を開くまでは。


「ところで、お二人はこの後デートですか?」

 ………そう来たかっ!?

 その言葉はアリサにも予想外だった。ただ、喫茶店の一コマを騙しきればいいと思っていた。だが、静はまだ疑いを持っているようだ。静は時間を延長することでその確実な証拠を求めてきた。

 そうはさせるもんですか。

 ここまでは耐え切れた。元々予定にあったからだ。だが、この後、出歩くなど予定外もいいところだ。つまり、それだけぼろを出しやすいということである。

 それは……それは拙いっ!!

 これまでの苦労が水の泡になってしまう可能性が高い。それだけは避けなければならなかった。だから、なんと答えようか考えているユーノよりも先に口を開いた。

「それがね、ユーノが仕事があるっていうから無理なのよ」

 いかにも自分は、デートをしたいというような色を匂わせた声色と表情を出してアリサは静に言う。

 ユーノが社会人という設定は意外なところで役に立つものだ。社会人という設定は偶然だったが、これは棚から牡丹餅というやつだろうか。

 アリサが、勝利を確信して微笑んでいる裏でこっそりそう思った。

 だが、静の様子がおかしい。そう、延長を求めて断られたというのに静からは余裕の笑みが消えない。いや、むしろ微笑みの度合いが増した? それは、何か確信を得たかのように。

 アリサがその確信の答えを出す前に静が先にアリサにその答えを提示した。

「あら? おかしいわね。スクライアさんは、今日は休日で暇つぶしになったって言ってたわよ?」

 ――――凍った。

 アリサの心が。

 しまった、と思う暇もなかった。いつもなら、こんなミスは起こさないはずだった。だが、今は浮かれていた。静に目に物を見せた、と浮かれてしまっていた。だから、最後の一手を焦ってしまった。焦りの末に出した一手は、実に最悪だった。

 これでは、静に疑ってくださいといわんばかりのミスだった。

 だが、悔やんだところで時間が戻せるわけではない。だから、起死回生の一手を考える。ここで静が疑いを逸らすような一手を。

 だが、そう簡単に思いつくようなら苦労はしない。一瞬しか時間は過ぎ去っていないのに一時間も経ったようにアリサは感じていた。

「ごめんね。僕が恥ずかしいから、デートのことは内緒にってことにしてたんだ」

 え?

 不意に、考えている最中のアリサの頭の上から申し訳なさそうな声がした。

「……そうですか」

 今にも舌打ちしそうな表情をして、静は言う。

 な、ナイス、フォローっ!!

 思わず心の中で叫んでしまいそうだった。

 アリサがそれを言えば説得力がないかもしれない。静は十分に疑い、そこを突き、やがて答えを出すだろう。だが、相手がユーノなら。まだ気心しれないユーノなら、そう簡単に疑うわけにはいかない。

 そこを上手く突いた一手だった。

「それで、この後、僕たちがデートだったらどうなるのかな?」

 話はすでにアリサと静からユーノと静に移っていた。クラスメイトの二人とアリサは置いてきぼりだ。いや、クラスメイト二人は話の流れを瞳を輝かせて聞いている。

 おそらく、予想がついているのだ。静の目的に。だから、心の中では静を応援しているはずだ。その証拠に静の後ろに控える二人の瞳は爛々と輝いている。

「いえ、私たちはまだ子供ですから、大人のスクライアさんとアリサさんのデートというやつを拝見したかったんです」

「別に特別なことは何もないよ?」

 それでもいいの? とユーノは続けて尋ねた。それに、静は「もちろん」と即答した。当然、後ろの二人もコクコクと頭を縦にすごい勢いで振っていた。

 その光景を見て、アリサは内心、頭を抱えた。

 これでは、この後デートをして連れて行かなければならないではないか、と。

 だが、アリサを他所にユーノと静の交渉とも言うべき会話は続く。話はすでにデートにどのような形でついてくるか、という論議まで入っているようだった。

 もうっ! こうなったらどうにでもなりなさいよっ!!

 ある意味、自暴自棄とも言える心情になったところで、誰もアリサを攻めることは出来ないだろう。ユーノの緩い表情に不安を、先ほどのフォローに強い信頼を感じながらも、予定していなかった偽りデートに不安を感じざるを得ないアリサだった。





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