その一夜は、夢を見る。
 赤い服を着た老人が世界中の子供達にプレゼントを配る。
 そんな、御伽噺じみた夢を。

 子供達は夢を無心に信じ。
 そして夢は、心清らかな子供達に1つの贈り物をする。
 無垢な君達に、幸あれ! と。


  けれど。


 その夜には、裏がある。
 夢から覚めた子供達なら誰もが知っている。
 夢は、御伽噺でしかない。
 大人達は知っている。
 夢を見ていられたのは甘い時間で。


  その時間は、一生の内のほんの僅かな煌きでしかないことを。



〜魔法少女リリカルなのは・クリスマスSS〜



 彼女と恋人になってから初めて訪れるクリスマス・イヴ。
 例年は年末年始に向けて無限書庫勤務局員総出で書庫を片付け始める日。
 けれど今年は、無理を言って夜を空けてもらった。
 元々地球の風習ではある……あるけれど。

  “クリスマス・イヴ”恋人達の聖夜なのだから。

 けれど、運命の女神は今回も彼を翻弄したいのか。
 作業は予想以上に難航し、時計の針は待ち合わせ時間を通り過ぎてから三度回った。
 ようやく仕事を終え、絶望が背に圧し掛かった彼。
 一本の電話が彼に届き、送り主は彼にたった一言を伝える。


「……待ってる、から」


 その言葉は救いの言葉だった。
 急いで地球へと飛び、息を切らせて街中を走るユーノ。
 冷たい夜の中、身を寄せ合って歩くカップル達なんて視界にもいれず。
 日頃の激務の影響もあってフラつく足取りをなんとか運んで。
 ただひたすら、彼女を目指して走ったユーノ。

「クリスマス・イブ、終わっちゃったよ。ユーノ君」

 待ち合わせ時間をどれほど過ぎてしまっただろうか。
 冷え込む雪夜の中で傘も差さずに佇んでいたなのは。
 睫に掛かっていた白い粉をパサリと落とし、彼女が見上げた瞳と出会う。

「ごめ…………」

 気づいて、しまった。
 悲しみ、寂しさ、切なさ、諦めと……決意。
 そんなもの達が彼女の瞳に浮かんでいることを。

「ユーノ君」

 声は、心臓を射抜いた。
 凍える空気は頬を打ち、紡がれた言葉は身体を縛りつける。

「…………ッ」

 “なのは”と言おうとしたはずなのに、唇が上手く動いてくれなかった。
 必死に声を発しようとしているのに、ちっとも音が出てくれない。
 言わなきゃいけないのに。
 彼女が喋る前に言わなければならないのに……!

「……終わりにしようよ、ユーノ君」

 功を結ばなかった努力によって無残に打ち砕かれる。
 必死になったもの、抱えたかったもの、全てが打ち砕かれる。
 足元が打ち砕かれ、音を立てて崩壊していくような感覚。

「別れよう、私達」

 そこから先は、何も覚えちゃいなかった。
 たった1つ。 夜闇に溶けた誰かの涙を除いては……。










 ぼやけた視界に白い壁が映る。
 気の抜けた頭を少しづつ動かしながら考えれば、それが天井だと理解できた。
 身を起こし、焦点の合わない瞳で部屋を見渡せば見慣れた調度品が数点置かれている。
 考えるまでもない、ここは自分の部屋だ。

「けど……どうして……?」

 いつのまに自分は部屋に帰ってきたのだろう?
 記憶を辿っても、鮮明に覚えている地球でのシーンから先の事が思い出せなかった。

「こんな所に戻ってくるなら、追いかければよかったのに……」

 ショックで自分の思考が止まってしまったのは分かる。
 けれど、それを差っ引いても彼女を追いかけなかった情けなさに苦悶の呻き声を上げたくなる。
 そんな……このままじゃ、本当に終わりだ。

「嫌われちゃったのかな……それとも、愛想つかされたかな……」

 両想いだった……だから、恋人になったはずだったのに。
 決闘紛いのことまでしてようやく結ばれた愛情はこんな簡単に断絶してしまうのか。
 
「まさかクリスマス・イヴにフラれるだなんて思ってみなかったよ……ははは」

  乾いた笑い声が暖かい部屋の中に響いた。

「ははは…………虚しいなぁ」

 笑えなんてしないのに立てた笑い声に、惨めさだけが引き立つ。
 いっそ、誰かが罵ってくれでもすればこの壊れた気は楽になるのだろうか……?

「違う」

 それこそ、虚しいだけだ。
 この、胸に空いた穴をそんなもので埋めちゃいけない。
 この穴に抱えるのはたった一人のことだと決めたはずなのだから。

「……でも」

 彼女の言われた“言葉”が脳裏に焼きついて離れない。
 “終わりにしよう”と“別れよう”
 そしてそれ以上に心を捉えて離さないのが、彼女の瞳。
 まとめてしまえば“悲愴な決意”とでも言えばいいのだろうか。
 そんなものが篭められた彼女の瞳を……忘れられない。

「不貞寝しようか」

 踏み出そうにも、あの時の彼女の瞳に縫いつかれたかのように動けない。
 何かしようにも、そんな気が微塵も沸き上がらない。

「馬鹿なこと言ってんじゃないよ」

 ひょこっと、部屋の中に勝ち気な少女が飛び込んできた。
 彼女は髪の毛と同じ茜色の耳を揺らして、両手で小さな土鍋を載せたトレイを抱えている。

「みんな心配してんだから、顔くらい出しなって」

 トレイをベット横のテーブルに置き、つんと立てた指先で叱るようにユーノを差す。
 小さな彼女にそうされている15歳のユーノ。
 まるで、出来た妹に嗜められている不出来な兄のようだった。

「アルフ……」

 少しの驚きと多分の意思消沈が含まれた呟きに少女は溜息をつく。
 彼女が息を吐くのに合わせて、彼女の尻尾がフワリと揺れた。

「とにかく、これ食べて一旦書庫の方に顔出すこと。何があったかは……話したくなったら話しておくれよ」
「あ、うん……あり」
「いーや」

 ユーノの言葉を遮って、ビシリと人差し指を突きつけたアルフが一言。

「酷い面を治してから言いな、その言葉は」

 そう言い放って部屋を出る。
 急にやってきてすぐに居なくなってしまったアルフ。
 もしかして、忙しいのだろうか……?
 書庫の仕事が詰ってるのかもしれない。
 だとしたら、そんな中で時間を割いてくれた彼女には感謝の言葉を伝えなければならない。

「……そのためには酷い顔を直して……って、どういう意味だよ」

 生来の造形は変えようがない。
 もしかして遠まわしに礼はいらないとでも言っているのか……?

「あ、そうそう」

 思考の海に潜っていたユーノにとって、再び飛び込んできた声は完全に想定外だった。
 すっとんきょうな声を上げてしまったのは不可抗力だろう。

「アンタを部屋に連れてきたのはアタシじゃないからね。恩人は書庫にいるから、ちゃんと来いよ?」

 それだけを告げて、アルフは今度こそ立ち去ってしまった。
 誰もいなくなってしまった部屋の中で……ユーノは大きな溜息を1つ、ついた。
 “溜息をつくと幸せが逃げるよ”なんて、昔誰か言われた言葉が脳裏を過ぎる。

「……もう、遅いさ」

 “幸せなのは”は掌からするりと抜け落ちてしまったのだから。
 もう一度大きな溜息をつくと、力無くベットの上に倒れこんだ。
 心の寒さを誤魔化すように、布団の中で丸まった。
 時を置くにつれて身体が少しづつ暖かくなってくる。
 けれど次第に息苦しくなって、布団から顔を突き出す。
 外の酸素を求めるべく仕事を果たした肺のせいで少し冷えた空気が身体の中に入る。
 それが嫌で再び布団の中に顔を引っ込め…………嫌になった。
 胸に抱える全てを吐き出したいと、身体の内から声が疼いて身を引っ掻き回す。
 情けなく不甲斐ない自分を消し去れと、腕に、指に、自らを傷つけろと言わんばかりのぞわぞわとした不気味な感覚が走る。

「…………あぁ」

 例えばの話、だ。
 魔法で爪の硬度を少しだけ上げ、肌の上をゆっくりとなぞらせる。
 最初は首筋がいい。
 太い動脈に沿って爪を下げてゆき、次に到達するのは鎖骨だ。
 そこで一度爪を刺そう。
 浅く、僅かに紅い線が残る程度でいい。
 そうしたらまた爪を下げてゆく。
 両手の爪を胸の真ん中に突き刺し、ずぶりと沈み込ませる。
 そして上下に裂いてゆけば胸の内が見えるだろうか。
 見えなければ切れ目から開いていけばいい。
 紅い糸を引くだろうか? 湯気は出るだろうか?
 痛いかな? 気持ち良いかな? すっきりするかな?
 愚かな自分を引き裂く感覚はどのようなものなのか。

「…………」

 ユーノは、自らの指を首筋に添える。
 指の腹で撫でるように這わせると規則的に脈動する場所を見つけた。
 そこを目指して爪を立て、ユーノは

「…………」

 殴った、壁を。
 痛かった、拳が。

「食べよう」

 そして、恩人とやらに会いに行こうではないか。
 本当は、高町なのはに会いに行くべきなのだが。

「……熱っち」

 時を置いても熱さを失わぬ土鍋の中身に舌が焼けそうになる。

「熱いなぁ…………」

 それでもペースを落とさず……いや、ピッチを上げて口の中に投げ込んでゆく。

「熱いよ……熱いよ……」

 半分まで食べただろうか。
 手に持っていた木製のスプーンが、プラスチックのトレイの上に落ちた。

「熱いよ……」

 そしてポタリと、落ちる。

「ほんと、熱い」

 とめどなく流れ落ちる。

「こんなに熱いんだから、仕方ないよね……?」

 スプーンを手に取って、残りを一気にかっこんだ。
 火傷しそうな強烈な熱さが唇を、口腔を、喉を、食道を犯してゆく。
 白くどろっとしたものが彼の身体の中を流れる間も、彼から流れ落ちるものは止まらなかった。

「……しょっぱいな」

 それだけ言って、ベットの中に倒れ込んだ。
 ぼやけて歪んだ視界で天井を見上げながら彼の意識は序々に落ちてゆく。
 その間も、流れは止まることなく。
 彼が眠ってからしばらくして……ようやく、止まった。

  それは、彼が彼女に別れを告げられてから初めて流した涙だった。










 今年はホワイトクリスマスだった。
 しんしんと雪が降り、世界は果てしない純白で覆われる。
 小さな子供達は無邪気にはしゃぎ回るだろう。
 子供達は雪が好きだ。
 自分もそうだった。
 大好きな家族や大切な友人達と遊びまわった記憶が雪にはある。
 雪だるまの大きさを競ったことがあった。
 雪兎をたくさん並べたこともあった。
 雪には楽しい思い出ばかりが残っていた。

  それがまさか、雪を踏みしめる小気味良い音と感触が自分に嫌悪感を与える日が来るだなんて思いもしなかった。

「ここもユーノ君と一緒に来たんだっけ」

 海鳴町臨海公園。
 自然公園とかいう呼称で呼ばれたりもするこの場所に彼と来たのは、やっぱり冬だった。
 彼とした数少ないデートらしいデートだったようにも思える。
 自分の心の中に大切にしまっておいた思い出。
 彼と別れてから、高町なのははその思い出の封を開けた。
 彼との思い出がある場所を周り続けていた。
 何時間歩いたかなんて分からない。
 傘を差すのも、身体に掛かった雪を払うことも億劫でしていない。
 きっと自分の身体は冷たいと思う。
 けどそれは、雪に触れ続けていたからそう思うのではない。

「……ユーノ君」

  心が冷たいから、身体が冷たいのだ。

「ユーノ君」

  呟く度に心に鋭い痛みが走る。

「ユーノ君」

  自らを引き裂くような鋭い痛み。

「ユーノ君」

  言う度に自分を傷つけるその言葉。

「ユーノ君」

  だから、発し続けた。

「ユーノ君」

 まだ愛しい人の名前を口にし続けた。
 元より、一度堰を切ってしまえばもう止められるものではない。
 感情という名の決壊寸前だったダムは激流をもって暴れまわる。

「ユーノ君。ユーノ君。ユーノ君。ユーノ君」

 言葉を告げた時の彼の表情が蘇る。
 傷つけてしまった。
 そうすることは覚悟していたはずなのに、それは本当に“はず”でしかなかった。
 自分は彼がいないとこうも簡単に壊れてしまうのか。
 そう思い至って、自嘲気味に口元を歪めて哂うなのは。
 普段なら絶対に似合わないその表情が、今は最もよく似合っているように思えた。

「やだ、なんで、どうして、そんな、やだ」

 自分のこんな表情を見て、彼はなんと言うだろうか?
 諌めるだろうか? 励ますだろうか? 慰めるだろうか?
 それとも言葉を使うのではなく抱きしめるだろうか。
 もしかしたら押し倒すという選択肢を選ぶかもしれない。
 そういうことも、割りとあった。
 もう、それら全ては過去のことだが。

「……やだよ」

 堰を切った水のように、彼と過ごしたたくさんの思い出が溢れ出してきてしまう。
 そうだ、ここでのデートで彼にマフラーを巻いてあげた。
 あの時は彼が真っ赤になった理由が分からなかったけど、今ならなんとなく分かる。
 思えば、彼はあの時から自分のことを好いていてくれたのだろうか?
 そればっかりは本人に聞いてみなければ分からない。
 けれど、そうだったら嬉しいような気がする。

「もう嫌ぁ……」

  そして、それを打ち消すかのような鋭い痛みが走るような気がする。

「ヤメテよ……」

 その後は、この公園を出る細い道を行った先にある団子屋に行った。
 歩いてる時に急に笑い出した彼にむくれてしまって、少しわがままを言ったことを覚えてる。
 最初は、むくれた自分を見ておどおどして、わがままを言った後は苦笑いして。
 けど、それでも彼は受け入れてくれた。
 今思えば、あの時自分は彼に甘えてしまったのだろう。
 甘えることができるほど、自分は彼のことが好きだったのだろうか?
 もしも彼があの時はもう自分のことが好きで。
 もしも自分もあの時はもう彼のことが好きだったなら。
 私達は、どれだけ遠回りをしたのだろう?

「私は……」

 けれど、ようやく辿り着いた道も分かれてしまった。
 自分から、別れを告げてしまった。
 それが、こんなに心に痛いだなんて想像し切れなかった。
 覚悟はあった、それなのに……。

「……ユーノ君のことが好きだよ」

 それなのに、止まらない。
 溢れ返る思い出の1つ1つが心を突き刺してゆく。
 自分の選択の愚かさを嘲笑うかのように、ずたずたに引き裂いてゆく。
 好きという気持ちはこんなに痛いものだっただろうか?
 好きという気持ちはこんなに辛いものだっただろうか?

「好きなのに……好きだから……好きだからぁ……っ」

 泣き出したいのに、涙が出てきてくれない。
 まるで、痛みを心に抱えて生き続けろと言われているかのように。
 出口を見つけられない感情の渦が心の中を蹂躙し尽くそうと暴れまわっている。
 それを追い出したいのに、追い出せない。

「やだよ。離れたくないよ。一緒に居たいよ。私はユーノ君が好きなの……っ!」

 好き、なんてものじゃない。
 別れを告げて初めて気づけた。
 自分の心は、その半分以上を彼に依存していたことを。
 彼と共に、その心にも別れを告げた。
 半身を失った心は、簡単に潰れてしまおうとしている。
 ぐちゃぐちゃに潰れて酷いことになろうとしている。

  ……それで、いいのかもしれない。

 彼を、傷つけた。
 それだけで自分は相応の罰を受けるべきなのだ、と。
 そう思えば、むしろ自分の心を壊して欲しかった。

「あ…………」

 かじかんだ足が雪に取られ、身体は重力に引かれ落ちてゆく。
 だんだんと低くなっていく視界がやけにスローモーションに感じる。
 そこで1つの映像がフラッシュバックする。
 遥か上空で力尽き、地面に向かって高速で落下する自分。
 何かしなければいけないのに、もう身体には力が入ってくれない。
 そんな時に、彼が助けてくれた。
 彼の瞳と同じ、緑色の魔方陣が助けてくれた。
 いつも、そうだ。
 危なくなった自分を彼は助けてくれた。
 そのせいで、ちょっとだけ期待してしまった。
 地面に落ちるまでの数秒にも満たぬ時間に。
 もう一度彼が……彼を感じれることを。

「きゃ……っ」

 幸い、降り積もった雪の上は柔らかかった。
 新雪に身体が沈み込む感触がした。
 冷たさは感じない、そんな感覚はとうにマヒしてしまっていたから。

「そう……だよね……」

 もう力の入らぬ四肢に立ち上がることを諦め、雪の中に顔を埋める。
 今なら、泣けそうだった。
 微かな期待も裏切られた今、ならば。

  ……なのに

 やけにはっきりと聞こえた、雪が軋む音。
 誰かが靴で柔らかい雪を踏みしめた音だ。
 誰かがいるらしい。
 こんな夜に、誰が……?

 ユーノ君、追いかけてきてくれたの……?
 随分と遅かったから、もしかしたら探してくれてたのかもしれない。
 もしもユーノ君だったら、私はどうしよう。
 仲直りする? でも、別れを告げたのは自分なのに。
 そんな虫の良い話があるわけない。
 それでも……彼なら受け入れてくれると確信してしまうのだけど。

「ユーノく…………」

 多分の期待と希望を持って振り向いた先には、やはり裏切られた。
 そこにはユーノなんていなかった。

「悪かったわね、あたしで」

  代わりに、幼い頃からの親友がそこにはいた。

「アリサちゃん…………?」

  彼女はどうしてここにいるのだろう?

「なのは、どうしてこんな所にいるのよ」

  その言葉は、自分が投げかけたいものだ。

「……なんて、言ってる場合じゃないわね」

 起き上がろうと四肢に力を込めるが、まったく思うとおりに動いてくれない。
 疲労だろうか? それとも、手足が死んでしまったのだろうか。

「鮫島を呼ぶわ。あたしの家行きましょ? 温まらないといけないし……」

 そう言いながら彼女は私の身体を起こしてくれる。
 そして私の髪についた雪を払いながら彼女は溜息を1つ、ついた。

「……徹底的に話を聞かせてもらう必要がありそうだしね」

 声色に呆れの色があったなら、自分はこの場から逃げ出していたかもしれない。
 けれど、彼女の声は……純粋に、自分への心配と思いやりに満ちていて。

「……うん」

  だから、そう頷いて、答えた。

「お願い、アリサちゃん」
「ええ」

 ……彼女の執事が車で迎えに来るまでの数分間、自分達はそれ以上の言葉を交わさずにただ雪が降る夜空を見上げ続けていた。
 空が僅かに明るくなった、そんなことだけ感じながら……。










 目が覚めると、眠る前よりも幾分かすっきりとしていた。
 休息を取ったということもあるけれど、それ以上に精神的に何かを押し流せたらしい。
 頬を触ると乾いた涙の軌跡を感じ取れ……苦笑してしまう。
 泣きながら眠るのなんて何年ぶりだろうか。
 両親が死んだ日以来かもしれない。
 とにかく、久々ということだ。

「さてと、行かなきゃな」

 軽く伸びをする。
 背筋の伸びる感触が気持ち良い。

「まずは無限書庫。そして…………」

  彼女のいる場所へ、と。

「どうしてなのはがあんなことを言ったのかは分からない。けれど、何か理由はあるはずなんだ」

 高町なのはは筋がまったく通らないことはしない人間である。
 彼女の強情とも言えるその気質をほぼ常に傍らにいて見てきた自分はよく知っている。
 今回のことも何か考えがあってのことだと、思う。
 だけど、それでも納得できないことだってある。
 自分が辛いとか、そういう納得のできなさではない。

「おぼろげにしか覚えてないけど……」

 なのはが、泣いていた。
 たった一筋だけど、涙を流していた。
 きっと、彼女自身も気づいていなかっただろう、その涙。

「なのはだって別れたくてボクを振ったわけじゃないんだ。それなら……」

 例え彼女が通そうとした筋だって、曲げてやる。
 そう、確かに高町なのはは強情だけど。
 その彼女とずっといる自分も、相当強情なんだ。

「ユーノ・スクライア。行きます」

 確かな足取りで部屋を出た彼からは、振られてボロボロになっていた時からは想像できないほどの覇気が感じられた。
 ユーノ・スクライア。思い切れば高町なのはのためにどこまでも強くなる。
 そんな少年である。





 どうやら休憩時間中らしく、無限書庫にいる人々は思い思いの場所でくつろいでいた。
 中には死人のようにぐったりとしている人もいるが、そこはそれ。
 結構見慣れた光景だったりするから起こさないようにそっとしておくことにする。
 書庫の中を見渡せば、目当ての人物はすぐに見つかった。
 彼女の茜色の髪は局の中でも特徴的で目立つ、から。

「んー……ま、及第点か」

 開口一番そう言った彼女は、書庫の奥を視線で差す。
 そこは無限書庫内に据えられたユーノのための執務室である。

「あそこに居るから、お礼言っといで」

 それだけ告げて、アルフは本の整理を再開する。
 どうやら彼女の休憩は自主的に終了させたらしい。
 全部終わったら手伝いに来ると心の中で誓いつつ、ユーノは書庫奥の部屋に進む。
 なんとなく、中に居る人物に当たりはついていた。
 無限書庫で働いていて、さっき視界の中に入らなかった人。
 それでいて、自分にこういうことで因縁がある人。

  1人しか、思い当たらなかった。

 自分の部屋だと分かっていながらも、木製のドアを2度ノックする。
 甲高く小気味良い音に遅れて聞こえた返事は了承。
 なので、ドアノブに手をかけ……少しだけ、覚悟を決めるために時間を置いて。

「……よし」

 そして、一気に扉を開いた。
 真っ先に飛び込んできたのは、部屋の中にいる人物。
 自分とよく似た髪の色をした、2つ年下の少女。
 同じスクライア一族出身で、妹のような彼女は……高町なのはと恋人になった時の騒動で、結果的に一番悲しませてしまった。
 長かった髪をばっさりと切り落としてしまい、ただでさえ幼い顔をしているのにそれが余計に引き立つ。

「減点だよ、ユー君?」

  彼女は、ボクの幼馴染。

「えっと……な、何が……?」

 含みを持たせた笑みを浮かべる彼女。
 ついこの間まで小さかった頃のイメージしか無かったためにか、こういう表情を見ると少し違和感を感じてしまう。

「鏡を見る習慣くらいつけておくと、答えはすぐに分かったのにね」

 ……どういうことだか、今一理解できない。
 っというか、彼女はどこまで分かっているんだ?

「あ、あの…………ありが」
「ストップ」

  礼を伝えようとした言葉は手と口で遮られてしまう。

「私を選んでくれなかったユー君にはお礼も言わせてあげない」

  ……そう言われると何も言えなくなってしまう。

「あ、嘘々、冗談だって。だからそんな悲しい表情しないで、ユー君」

 慌ててわたわたと手足をバタつかせて否定する彼女の仕草は……この状況で思うのは不謹慎かもしれないけど、可愛い。
 ついつい頬が緩んでしまいそうになってしまう。

「余裕出たね、ユー君。戻ってきた時は凄い酷かったから……良かった」

  大分心配をかけてしまったらしい。

「ってゆーか、ここ最近のユー君の顔はいつも酷かったんだけどね♪」

  ……どうやら、心配は掛け続けていたらしい。

「足元はふら付いてるし、反応は鈍いし、それでも仕事だけはしようとするんだもん」

 ふくれっ面になってそう言う彼女。
 本当に、本当に、心配をかけまくっていたようだ。
 情けないと申し訳ないと思う反面、そうでもしないと書庫の仕事が片付かないのでしょうがないという気持ちも沸いてくる。
 けれど

「そんなんだから、恋人さんにも心配を掛けちゃうんだよ?」

  そんな気持ちは、彼女の一言で彼方へと吹き飛んだ。

「……なのは、に?」

 恐る恐る発した言葉に、彼女は厳かに頷いて答えを返した。
 ならもしかして、今回のことはそこに原因がある……の、だろうか?

「いい? 良く聞いて、ユー君」

  ピシリと、彼女の人差し指が鼻先に突きつけられる。

「自分を大切に出来ない人はね、誰かを大切にしようとしてもさせてもらえないんだよ?」

 本当に、突きつけられた。
 頭を殴られて、それで頭の中でうなりが聞こえてるような……そんな、感覚。

「ユー君は自分が傷つくのって平気なタイプだよね。でもね、ユー君のことを大切に思ってる人は平気でいられないんだよ?」

 足元が揺れて、倒れこんでしまいそう。
 けれどそれは何とか踏みとどまる。

「……私がどれだけ心配したのかよく考えてから、今度はそれ以上に考えて高町なのはさんの所に行きなさいっ」

 ビシッ、と。
 もう一度突きつけなおされた人差し指に乗せられた言葉によって。

「あ…………」

  ……どれだけ心配した、か。

「ストップ」

  言おうとした言葉は、またもや止められてしまう。

「その言葉も全部、高町なのはさんに言ってあげて」

  どこかすっきりした笑みを浮かべた彼女は

「それはね、私を振ったユー君の義務なんだよ」

  長年の恋が失恋に終わってしまった彼女は

「ちゃんと縁りを戻して……それで、誰よりも幸せになって」

  ……きっと、ボクよりもずっと強い。

「書庫のお仕事のことは気にしないでいいよ。後は私がやっとくからさ」

  そんな彼女の声も、段々と震え始める。

「だから早く行って……じゃないと私、ずるい言葉言っちゃうから……お願い……」

 ……彼女が泣き出してしまう前に、ボクは急いで部屋から駆け出した。
 ボクと入れ替わるようにして茜色が部屋の中に入るのを視界の横に捉えた。

「……ありが……ううん、これも、きっとなのはに言わなきゃいけないんだ」

 部屋の中から話し声がしていたけれど、聞こえないように急いで掛けて行った。
 なのはの所へと、急がねばならなかった……から。





 ユーノが去った後、部屋の中には2人の少女がいた。
 茜色の髪をした少女が、泣きじゃくる少女を慰めている、そんな光景。

「……ほんとはね、言いたかった言葉があったんだぁ」

 小さく嗚咽を漏らし、言葉を何度も途切れさせながらも言葉を発する少女。
 内面を吐露せねば気がすまぬかのように、無理にでも吐き出すように。

「“一番好きな人に振られたなら、一番想ってくれる人と一緒になるのはどう?”って……こんな時に言うとすごく卑怯な言葉だよね」

  少女をあやすように茜色の髪の少女……アルフは、優しげに彼女の頭を撫でる。

「よく言わずに耐えたね……」

 アルフは知っている。
 人の想いはそう簡単で単純なものではないことを。
 現に、彼女の主である少女なんかはその典型かもしれない。

「だって……ユー君、私の前に居ても心は高町なのはさんを見てるんだもん……」

 そしてアルフは知っている。
 この少女は、まだ幼馴染の少年のことを想い続けていることを。
 彼に隠れて泣いている姿を、アルフは何度か目撃していたから。

「あ〜あ……私、なんで泣いてるのかな…………」

  止まることなく流れる涙。

「心が、何かを洗い流そうとしてるんじゃないのかい?」
「そうかな……」

  まだ拭きやしないその涙は。

「髪、切ったのにな。涙まで流さないと忘れられないなんて……」

  堰を切って溢れた涙は。

「しょうがないよ。……好きって気持ちは、自分よりも重いんだから」

  未だ心に残る想いの残滓。

「……そっか、そうだよね。自分よりも重いんだぁ」

 確認するように、初めて気づいたかのように。
 少女は感嘆したような呟きをもらす。
 未整理のままだった心。
 少しだけ整理できる……ような、気がした。

「泣き止むまで待っててあげるよ。だから……思う存分泣きな」

 小さな握り拳で自分の胸を叩くアルフ。
 見た目は幼い子供のはずなのに、その仕草からはまるで歳の離れた姉のような印象を受ける。
 泣きじゃくっている少女の方が見た目は年上なのにも、関わらず。

「……ごめんねアルフ。甘えさせてもらうね」

 泣き声は、夜が終わるまで響き続けた。
 その間ずっと、茜色の少女の声も部屋から聞こえ続けた。










 お風呂に入って、暖かい飲み物を飲んで。
 暖房の効いた部屋の中にいると、だんだんと思考が動き出してくれる。
 考えたいこと、考えたくないことがごちゃ混ぜになって……。

「さて、話してもらうわよ。なのは」

 そんな自分を、彼女の気の強い瞳が射抜いた。
 幼い頃は長かったアッシュブロンドの髪をばっさりと切り落とし。
 近頃、ますます生来の気の強さを発揮している彼女。
 小学生からずっと親友を続けているその少女の名は、アリサ・バニングス。

「イブの夜に1人で出歩いてるなんて……ユーノはどうしたの?」

 彼女が表情に浮かべているのは、心配と怒り。
 アリサちゃんはどんな想像をしたんだろう?
 そんな言葉が高町なのはの脳裏を過ぎる。
 ……疑問への答えはすぐに得られた。

「まさかアイツ、ドタキャンしたわけじゃないでしょうね」

 彼女の言葉に首を横に振る。
 そんなことで彷徨っていたのなら、自分はどれだけ気が楽だっただろうか?

「さよならしたの」

 きっとこのままじゃ彼女は解に辿り着けないから、自分から言った。
 口に出してみるとそれが事実だということを改めて認識して……手首でも切り落としたくなる。

「さよならって……まさか……」

 驚きの表情を浮かべた彼女に二の句を告げる。
 こちらはもっと事実に近く、徹底した言葉で。
 口に出すのを躊躇してしまうほど……後悔してしまっている事実を。

「ユーノ君と別れたの」

 言ってみると、なんのことはない。
 ただ心を冷たい風が吹きぬけて、その風が内臓を全部もっていってしまったような。
 何も残らなくなってしまった、そんな感覚。
 それは寒天の公園で幾度と無く味わった感覚。
 今更どうということは、ない。
 痛みなんてもう受けつくしたのだから。
 そのはず、だったのに。

「…………痛いよ、アリサちゃん」

 じんじんと痛む頬は今までのどの痛みよりも自分を突き刺してくる。
 訓練で出来た擦り傷だって、骨折だって、こんなに痛くなかった。
 ただ頬を叩かれて、怒りながら、泣きそうで、悲哀の篭った瞳で見られているだけだなのに。

「何考えてるのよアンタは……馬鹿じゃないの?」

 そんなこと言われなくなって、私が一番よく分かってるよ。
 そう言いたい気持ちを堪えて……堪える理由が無いことに気づいた。
 だから、口に出した。

「…………女の子の顔、何度も叩くのは酷いと思うよ?」

 もう一度、叩かれた。
 今度は、さっきよりも痛かった。

「なんで別れようと思ったのか、理由を話しなさい」

 毅然とした態度のアリサ。
 普段ならきっとむっとしてしまったと思う……。
 けれど今夜は、何故だか素直に話す気になった。

「……話しなさいよ」

 痛くないはずの彼女が、泣いていたから。
 なんとなく、話す気になった。

「一緒にいるとね……辛いの」

 ぽつぽつと、ここ最近思っていたことを語り始める。
 誰かに聞かせるのは初めてで、何度も途切れながら……少しづつ話してゆく。

「ユーノ君、今にも倒れそうな顔してるのに、“大丈夫だよ”って言って……」

 スクライア一族の協力を得られたことで書庫の作業は以前よりはかどるようになった。
 しかし、向上した探索能力が見つけた新たな資料から生まれた新規の仕事。
 そのどれもが放っておくことが出来ぬもので、結果的にユーノ達の仕事は増えてしまった。

「私に会うために無理してて……ユーノ君、無理を続けたら死んじゃうんじゃないかって……」

 増えた仕事は彼の時間を拘束する。
 それは以前よりも長く、強く。
 スクライア一族のリーダー役が彼になったことも災いしたのかもしれない。
 彼は高町なのはと付き合い始める前よりも自由時間を失い。

「私との時間がユーノ君に無理をさせちゃうなら……って」

 それでも彼は睡眠時間その他を削って高町なのはとの時間を作った。
 以前と変わらぬように……いや、以前よりも多く作れるように、と。

「……私、ユーノ君の負担になりたくなかったの」

 大好きな人だから、重荷になりたくない。
 そう思っての決断だったのに……心は後悔が渦巻いている。

「やっぱ馬鹿よ、なのは」

 全てを聞き終えたアリサが言ったのは、そんな言葉。
 なのはは何かを言おうとして……その何かが分からずに口を閉じる。
 伝えたいことを、言葉にできない、そんなもどかしさが身を襲う。

「いい? よく聞きなさい、なのは」

 何も伝えられないなのはに突きつけるアリサ。

「アンタは、ユーノがいないと死んじゃうわ」

 ……そんなこと、分かってるのに。

「けれどね、なのは」

 続いた言葉は、なのはの心を大きく揺さぶった。

「ユーノは、なのはがいないと死ぬわよ……?」

 アリサはそれ以上何かを言おうとはせず、静かになのはを見つめる。
 いや、なのはというよりどこか遠く……もっと別のどこかを。
 懐かしむように、悲しむように、振り返るように、振り切れぬように。

「…………」

 流れる沈黙の中で、アリサはポツリと言葉を漏らす。
 口を出て突いてしまった、きっと本当なら言うつもりはなかったであろう言葉。

「え…………?」

 誰かの名前。
 そして後に続けられた“会いたいよ”という言葉。
 思わず顔を見上げれば、しまった、という表情をしたアリサの顔が映る。

「アリサ……ちゃん……?」

 彼女の呟きに含まれていた色は今の自分の気持ちと同じで……けれど彼女の方が何倍も、深い。
 月日が経って深みを増してしまった……そんな悔悟の想い。
 それを感じた時、なのははどうしてアリサに理由を話す気になったのかようやく本当に理解した。
 彼女は自分と同じ痛みを受けて……そしてきっと、抱え続けてるんだ。

「……聞いて、なのは」

 観念したように語り始めるアリサ。
 その瞳は遠い過去を懐かしんでいる。
 思い出話だ。

「一時期だけアイツがここに住んでたのよ……」

 アイツというのが誰かは分からない。
 先ほど彼女が呟いた名前は聞き取れなかったから。
 それでも彼女が語る時のニュアンスから……大事な人だったということは痛いくらいに伝わってくる。

「一々腹立つ奴でね。喧嘩してばっかりだった……」

 言葉の一つ一つが愛しい過去をなぞるように。
 アリサの語りはまるで旋律を奏でるかのように進んでゆく。

「でもね、好きになっちゃった。それにね……多分、両想いだった」

 一筋、流れる。
 それは彼女の頬を伝って流れ落ちる。

「なのに付き合うことすら無かった。……キスもしなかった」

 アイツは、あたしに触れようとはしなかった。
 そう言うと、もう一筋流れる。
 筋はだんだんと増えてゆき、やがて川のようになってゆく。

「一緒にね、星を見たことがあるの。よく星が見える日で……綺麗だった。今でも忘れられないアイツとの思い出……」

 最後には掌で顔を覆って嗚咽を漏らしてしまう。
 普段気丈な彼女の姿からは想像もできない姿。
 その人がいないことが、こんなにも彼女の心を押し潰してしまうものなのか……?
 疑問に思いかけて、しかしすぐに肯定した。
 自分だって、ユーノと別れたことで心が潰れてしまったのだから。

「聞きなさい、なのは」

 涙は止まらず、それでもピシリと人差し指を突きたてて。
 アリサ・バニングスは高町なのはへと言う。

「あんたはまだ元に戻れる。あたしみたいなことにならなくてすむ」

 涙に震えている声で、けれどいつのまにか彼女特有の気丈さを取り戻したような声で。

「ユーノに謝って、もう一度付き合いなさい。今ならまだ間に合うから」
「……でも」

 どうしても踏ん切りが一歩つかない。
 どうしても、臆病になってしまう。

「一つだけ覚えておきなさい、なのは」

 そんななのはを諭すように、アリサは語る。

「恋はね、何よりも重いのよ。だから恋人は2人で恋を支えるの。自分1人でなんて絶対に支えきれないんだから……パートナー、無くしちゃだめよ?」

 最後に、一言。

「なのはは……あたしみたいにならないで…………」

 そうとだけ、付け加えて。

「…………」

 アリサが語り終われば、2人の間に言葉が無くなってしまう。
 沈黙ではない。
 泣きじゃくるアリサからは絶えず嗚咽が漏れているのだから。

「…………」

 高町なのはは、どうしようか悩んで……決めた。
 いや、答えは最初から決まっていたのかもしれない。

「私、行ってくるよ」

 この親友のために自分が出来ることは何もない。
 せめて、この親友が言った言葉をその通りに出来るかもしれないということだけ、だ。

「…………」

 部屋をそっと出る。
 気を使って静かに扉を閉める直前、親友の声が聞こえた。
 “なのはは幸せにならなくちゃダメなんだから”
 親友こそ……そうなのだけど。
 そう思って、けれどそれは今言うべきではなく。
 全部終わったら、お礼の言葉を伝えにこよう。
 そうとだけ決めて。
 高町なのはは、ユーノ・スクライアへと歩き始めた。










 念話というのは便利なものだと思う。
 なのはとユーノがお互いに念話を送ったのはほぼ同時だった。
 念話で待ち合わせ場所を決めた。
 場所は彼女の提案“ヒミツの場所で会おう”。
 半ば謎掛けのような文句。
 けれどユーノは迷わなかった。
 そんな所は、一つしか思い浮かばなかったから。

「メリークリスマス、ユーノ君」

 白い雪に覆われたその場所は、彼女との思い出がある場所。
 前に彼女と来た時には、冬だというのに夏草が生い茂っていた場所。
 一週間だけそこにあった、秘密の場所。

「メリークリスマス、なのは」

 今はもう森の中のただの風景の一部と化してしまったけれども、この場所を忘れていなかったことが少し嬉しい。
 それは、彼女との思い出をちゃんと覚えているということだから。

「聞いて欲しいことがあるんだ、なのは」

 けれど、思い出だけにすがるつもりはない。
 過去はあくまで過去でしかなく、未来にはなりえないのだから。
 そしてユーノが欲しいのは、幸せだった過去の記憶ではなく目の前の少女と作る幸せな未来なのだから。

「ボク、もっと体調管理しっかりするから……いや、なのはに心配掛けないようにしていくから……」

 更に続けようとした言葉は、押し留められてしまう。
 高町なのはが、あんまりにも儚く笑ったから。
 嫌な想像をしてしまって……全ての思考が止まってしまう。
 彼女は、あんな今にも消え入りそうな笑みを浮かべるような娘じゃなかったのに。
 これも自分が心配を掛けてしまったせいなのだろうか?
 そう思うと、背筋を冷たいモノが駆け抜ける。
 自分は、彼女からあの暖かい陽だまりのような笑顔を奪ってしまったのか……?

「ごめんね、ユーノ君。……もうダメなんだ」

 ……その言葉は、頭を銃で撃ち抜くような衝撃だった。
 修正は不可能、彼女にそう告げられたと思ったから。
 世界が暗転して……再び味わう、足元が崩れ去るような感覚。
 ぐらりと身体が傾ぎ、だんだんと視界が落ちてゆく。

  ……そういえば前にここに来た時もこんなことがあったような気がする。

 そんなことを思いながら倒れこもうとして

 “それはね、私を振ったユー君の義務なんだよ”

 “ちゃんと縁りを戻して……それで、誰よりも幸せになって”

 踏ん張った。
 これ以上踏みにじりたくない気持ちがあったから。
 その想いが、弱い背筋を支えてくれた。
 大丈夫、今なら踏み出せる。
 もしも彼女が逃げてしまっても、今なら追いかけられる。

「なのは」

 一際強い気持ちを込めて、彼女の名前を呼んだ。
 伝えなきゃいけない言葉がある。
 例え拒否されたって、それでも伝えなきゃいけない言葉が。

「言わないで、ユーノ君」

 なのに、そんなことを言うなのは。
 今回も強情に話を聞こうとしないつもりなのか。
 それならこっちにだって考えがある。
 そう言おうとして……。

「私から言わなきゃいけないから……ね?」

 思考が停止しかけた。
 どういうことだろう……?
 考えあぐねている間に彼女は言葉を続ける。

「ダメだったの。私、ユーノ君と離れられない」

 その言葉には、一切の虚構も飾りもついていなかった。
 純然たる真実としての言葉。

「ユーノ君と離れるなら死んじゃいたい……ダメなの、私、ダメなの……」

 “ダメ”を繰り返す彼女に、そっと近づく。
 雪を踏む音が辺りに響いた。

「ユーノ君、私の勝手なお願いなんだけどね……ひゃ」

 そこから先は、言わせなかった。
 掌で感じる頬の体温が冷たい。
 この寒い中なら当たり前か?

「ユーノ君…………」

 彼女の身体を引き寄せた。
 腕に中に抱きしめる。
 少しでも暖かくなればいいと思って。

「ボクはまだ君が好きだよ、なのは」

  少しでも強く彼女に想いを伝えられるようにと、ぎゅっと抱きしめて。

「……ずるいよユーノ君。私が聞く前に答えを言わないで」

 拗ねたような彼女の声。
 彼女が自分に甘える時だけ出す、自分しか知らない声。
 久々にその声を聞くと……どこまでも落ち着ける。

「でもね、言わせて? 言わないと私…………」

 消え入りそうな声でそう言うなのは。
 それならば聞かなければならない。
 高町なのはの恋人にもう一度なるため、に。

「あのね、ユーノ君」

 ボク達の他は誰もいないのに。
 背伸びをして、耳元で囁くように喋るなのは。
 首に掛かる息がくすぐったい。

「私のためにユーノ君が無理をするのがいやだったの」

 自分達を包み込むように魔法を広げてゆく。
 寒さを和らげる温度の魔法。
 暖かい光が2人を照らす。

「でもね、アリサちゃんに怒られちゃった」

 彼女が囁くために触れ合っている頬が、序々に暖かくなってくる。
 それは魔法の影響というよりも……2人の体温で暖めあっているから。
 触れた部分から彼女の熱が少しづつ、少しづつ伝わってくる。

「私がね……ユーノ君がいないとダメなんだよね……」

 背中に細い腕が回された。
 誰のものか考えるまでもない、高町なのはの腕だ。

「恋は何よりも重いんだってアリサちゃんが言ってたけど……ほんとだね。私だけじゃ抱えきれないよ……」

 彼女が自分を抱きしめる力が強くなる。
 二度と離れないと主張するかのように……強く。

「ユーノ君……私と一緒に恋を抱えてもらって……いいかな……?」

 背伸びを止め、見上げるようにしてユーノを見るなのは。
 今にも壊れそうな繊細さを瞳に浮かべ、見つめる少年に全てを委ねる。
 少年の答えは決まっていた。
 それは初めてここに来た時からもきっと変わっていない。
 彼はその頃からずっと彼女のことが好きだったのだから。
 思えば、あの頃にはもう覚悟は出来ていたのかもしれない。
 だから。

「よろこんで」

 不意打ちに、唇を奪った。
 最初は驚きの声を上げたなのはだったけれど、次第に彼を受け入れてゆく。
 唇が触れ合うだけのキスだった、けど。

「ユーノ君……好き……」

 もう一度、今度はなのはの方から口付けを交わす。
 精一杯背伸びしてのキス。

「ボクだって、なのはが好きさ」

 それが終われば、今度は再びユーノから。
 ぎゅっと抱きしめて、キスをする。
 たった2つの行動が今の2人には堪らない嬉しさと愛しさを伝える手段だった。

「もっと言って……」

 なのはの舌がユーノの唇を割り、口腔の中へと滑り込む。
 何かを探すように彷徨った舌先は目当てを見つけ、絡む。
 それは彼の舌先で、2人はお互いを感じるれるように舌を絡み合わせる。

「ん……っ」

 熱さが伝わる感触に、脳髄が揺さぶられる。
 あぁ、このまま溶け合ってしまえたら……っ!
 きっと胸に抱える愛しさを全て伝えられるのに。

「何度でも言ってあげる。好きだよ、なのは。好きだよ……」

 一旦離した唇に銀色の橋が掛かる。
 それはたるんですぐに切れてしまう細い橋。
 なのに、その橋が切れることはなかった。

「キスも……」

 橋が切れる前に、更にもう一度口付けが交わされたから。

「ふ……ん……うぅん……っ……」

 お互いを貪るような、貪欲なキス。
 知らず知らずに内にお互いを抱きしめる力も強くなる。
 それでも足りない、まだ足りない。
 もっと溶け合いたい……。

「転送……っ」

 2人の身体が眩しい光に包まれる。
 目も眩むようなその光が晴れた時、森の中には誰もいなかった。





 思えば“はじめて”の時もこの部屋だった。
 あの時から幾度かこういうことはしてきたけど……。

「もっとキスしてユーノ君……」

 今日は特別“熱い”。
 触れ合う度に火傷しそうになる。

「はんっ……あむ……んんっ……」

 けれど、火傷どころじゃこの気持ちは止められない。

「ユーノ君……好き……好きぃ……っ!」

 抱きしめるだけじゃ足りない。
 キスだけじゃ足りない。
 触れ合うだけじゃ足りない。
 この愛しさを伝えたい。
 言葉以上に、語る以上に。
 だから一つになるのだと思う。
 好きという想いを、言葉以上に伝えるために……!

「離れさせないから……もう何があっても離れさせないからね、なのは……?」

 溢れ出る愛しさよ、どうかその数千分の一でも伝わって……!

「うん……離さないでっ。どこか行っちゃわないように……ずっと、ずっと抱きしめててユーノ君!」









 幸せって、きっと今みたいなことを言うんだと思う。
 一つのベットで2人で抱き合って、眠りにつく前のお話の時間。
 暖かい布団の中で、布団以上に暖かい彼の腕に包まれている……夢みたいな時間。

「ね、ユーノ君」

 彼の名前を呼べば、彼はすぐに返事をしてくれる。
 そんな小さなことが、たまらなく嬉しくなってしまう。
 やっぱりもう離れられないな、私。
 今度離れたら本当に死んじゃいそうだもん。

「一緒の部屋で暮らそうか?」
「へ? え? ………えぇ……?」

 心底驚いた表情をするユーノ君。
 名案だと思ったんだけどなぁ……。
 同じ部屋で起きて、同じ部屋で眠るの。
 ユーノ君が無理して私との時間を作らなくても私と会えるように。
 流石に、起床時間と就寝時間がそんな大きく違うわけじゃないから。
 名案だと……思ったんだけどなぁ。

「い、いいの、なのは……?」

 私が言い出したんだから良いに決まってるよ、ユーノ君。
 そう言いながら彼の鼻先を指先で抑えると、ユーノ君は恥ずかしそうに言った。

「そうなると……ボク、自制心にちょっと心配が……」

 ……しまった、それは考えてなかった。
 どうしよう、私もちょっと自信無いよ……?

「まぁ、ゆくゆく考えていこうか?」
「……うん」

 二の句を告げようとしたけど、やめた。
 と言うより、言えなくなっちゃった。

「……いつかは、同じ家に住むことになるだろうしね」

 彼がそう言ったから。
 だってそれはつまり私とユーノ君がその…………。

「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆ」

 きっと真っ赤、私。

「なのは…………そこまで恥ずかしがられるとボクも恥ずかしいよ」

 照れたように頬を掻くユーノ君。

「ゆ、ユーノ君!」

 彼に、私は言った。

「私ね……お嫁さんって憧れてるんだ…………!」

 今度は、彼が赤くなる番だった。

「え、えーっと……えーっと……あ、あーぅーぅーっ!?」

 私達のクリスマスは、こうして過ぎていった。
 辛い想い、痛い想いをして初めて気づいた気持ち。
 私、この気持ち大切にしていくからね、ユーノ君。
 今年のプレゼントはこれだったんだって、想うから。

  ……けどね?

 来年はちょっと期待してるからね。
 お給料三ヶ月分の、指に嵌める輪っかをね♪











あとがき

 ……間に合わなかった。
エロイシーンは拍手に置いてきた
って言おうと思ったのに、そこまで手が回らなかったっ!?
っとゆーわけで、イチハチキン版は永遠にお蔵入りです(ry

 やぁ、今回は全然クリスマスっぽくない話でした別れ話!
別名“中の人が色々な意味で後戻り出来なくなった話”
その意味はいつか分かる……はず? 多分っ。
第一カードとユノなのほのぼの話で使ったことを使えて個人的には満足!
でも、やっぱりちょっと足りなかったり不整合だったり回収できてないのがある所が切ないぜチクショー!

 ってゆーか時間足りねぇええええええええっ!
来年はもちっと時間を取って書きたい……。
またユノなのを書くか、それとも別の誰かか。
それは多分またどこかで投票か意向調査かします(笑)

 あ、なんだ? もう時間ヤバイ……?
え、えーっと………。


 メリークリスマスッ!




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