なのはたちを結界の中に送り届けたアルフ。
 全力をぶつけた彼女は気力を使い果たしその場に座りこんでいた。
 彼女の全身は疲労に襲われていて、四肢に力を入れたくなかった。
 けれど表情だけは満足感に溢れ、アルフは中の見えぬ結界の奥を充足した表情で見つめていた。

「大丈夫。なのはとレイジングハートと……それに、ユーノだって戦ってる。きっと、勝てるさ」

 ごろんと仰向けに寝転がると、滅んだ世界でも空だけは―――夕陽が綺麗で。
 それを見上げると気持ちが良かった。

「でもさ。これでいいのかい、あたし?」

 たくさんの人が自分たちを信じてくれて、そして送り出してくれた。
 自分もまたなのはたちを信じて結界の中へ送り出した。

「あたしは託した。けどさ?」

 空を見上げて、思う。
 自分たちを信じて託してくれた人たちと、自分。
 そこにある違いを。

「あたしは、ここにいる」

 結界の中には入れなかったけど。
 けれどその前まではきている。

「あたしだけは、ここにいる」

 このまま、託して信じるだけで終わらせてしまっていいのだろうか?
 自分にはまだできることがあるのではなかろうか?

「どうなんだろうねぇ」

 右の拳に目を落す。魔力の刃に傷つけられたそれは、まだじくじくとした痛みを伝えていた。
 戦わない理由には、少々小さくはあるけれどそれでも充分な怪我。

「…………」

 アルフは頭に巻いていた包帯を取った。
 それを傷ついた手にきつく巻き付けて、応急手当ということにした。

「なのはたちががんばってるんだ。あたしもヘバってなんていられないよ!」

 動かすのが億劫な身体に活を入れて、二本の足で大地をしっかりと踏みしめて立ち上がる。
 その瞳には、一度は抜けた活力が戻ってきていた。

「あたしも信じて託された身だ。そしてあたしはここにいる。だからあたしは……あたしのできること、しないと」

 そしてアルフは腕を回して、己の仕事に取り掛かった。










ラストバレンタイン
〜クライマックスフェイズ〜










 高町なのはが浮かべた八つのスフィアと、サポートブレインが操る獣の鎖。それらは空中で幾度となく激突を繰り返し、スフィアはその数を減らし、鎖はその身を亀裂を走らせていった。
 獣の鎖がスフィアの一つに喰らいつけば別のスフィアが鎖の身を打ち、くすんだ翡翠で構成された鎖に裂傷を与えていく。
 だが獣の鎖は喰らったスフィアを離そうとはせず、そのまま噛み砕いて己が身に取り込んだ。そうした上で、残ったスフィアを捕食すべく複雑な軌跡を描くスフィアをより複雑な軌跡を描いて追い詰めていった。

「レイジングハート!」

 八つを半数の四まで削られ、高町なのはは愛杖の名を叫んだ。杖は主の意図を正確に汲み取り、薬莢を一つ排出して新たに八を生み出した。
 残っていた四と合わせて十二のスフィアが浮かべられる。それは即ち十二の誘導弾がサポートブレインを狙うということであり、しかし彼は浮かべた笑みを崩そうとはしなかった。
 彼にすれば人間風情とデバイス風情が考えた弾道の軌跡なんて考えずとも読み切れる。先ほどからたった一本の鎖でスフィアを喰らい続け、その身には一度の被弾も無いのはそのためだった。
 サポートブレインは低く笑って二本目の鎖を生み出す。一本目の鎖は虎の顎を持っていたが、二本目の鎖は龍の顎を持っていた。

「君のつまらない曲芸に付き合ってあげたんだ。今度は僕の美技に酔ってもらうよ」

 言葉と共に襲い来る二本の鎖。高町なのははそれらを迎撃すべく十二のスフィアを操作するが、鎖は予測もつかない動きを何度も繰り返してその身にスフィアを掠らせもしない。
 高町なのはの背筋に冷たい汗が流れる。対峙しているこの敵は、強い。

《Master!》

 叫んだのは、レイジングハート。今度は主が彼女の意思を汲み取り、スフィアの制御を放棄して自らの身体を回避軌道に乗せることのみに意識を集中する。それが功を奏し、右手から飛来した虎の顎は首の皮一枚を持っていかれはしたが躱し、上方から急襲した龍の顎は完全な回避に成功する。
 だが、一瞬の防御を成功させたとて気は抜けない。その顎を避けられた二条の鎖は高町なのはの身体をその身で縛ろうと、横方向と縦方向から楕円軌道を描いて翔ける。
 周囲を十字に囲う鎖に対して、高町なのは斜方の隙間より飛び出ることを強要された。

「さて、どうするんだい?」

 選択肢は、二種四つ。前に進むか、後ろに退くか。そして、右上、右下、左上、左下のどこから脱出をするか。
 どの選択肢を取るか迷っている時間は無い。一瞬でも迷い、半瞬でもためらってしまえば、彼女の未来は鎖でがんじがらめにされてしまう。
 故にして、半瞬よりも瞬く時間に決断を要求された高町なのはは、微塵の迷いも見せずに左上から飛び出してサポートブレインに突貫を仕掛けた。

「へぇ。砲撃魔導師が前に出るのかい? てっきり後ろに退くと思っていたよ」

 彼女の選択に楽しみ混じりの驚きを見せるサポートブレイン。
 彼は完全に戦いを楽しんでいて、見切りをつけた鎖を消し、口笛を吹きながら新たな魔法を発動させた。

「私は、振り返らないから。前だけを見て、進むんだ。私が果たすって信じてもらった約束のために!」

 幾条ものくすんだ翡翠の糸がサポートブレインの周囲を取り囲む。それは、彼自身が鋼糸鎖カットラインと呼んでいた鋭すぎる糸を用いた切断用の魔法。
 このまま突貫すれば、高町なのはは全身を無残に解体されて多量の血を空中にばら撒き、果てることとなるだろう。
 にやりと笑うサポートブレイン。これで、高町なのはに前進という選択肢は無くなった。

「いいから退けよ。矜持で命は拾えない」

 こうして細かな部分で精神的に痛めつけていく戦い方こそがサポートブレインの好むものだった。相手の誇りを傷つけ、奪い、そして心を攻めていく。
 魔法とは、魔力とは、術者の精神エネルギーから生み出されると言っても過言ではない。であるからして、魔法の原動力である精神への攻撃は有効な手段である。
 外因的な攻撃と合わせれば、その威力は果てしなく重い。

「ううん」

 サポートブレインの言葉を、高町なのはは首を振って否定した。
 そして、進路を変えるどころか急激な加速をつけてサポートブレインへ突撃する。

「矜持が勝利を呼ぶんだよ……ッ!」

 予想外の愚かな行為にサポートブレインは表情を不快で歪めた。そんな精神論を振りかざそうとも突撃すれば切り刻まれる未来があることは変わらず。今、進む道は、即死の道であるということを知れと。
 ある種人間らしいとも言える非効率的な行為に、効率を求めて生み出された論理存在であるサポートブレインは絶大な不快感を示した。
 不快感はそのまま怒りとなって表れ、激昂に彼を吼えさせる。

「脆弱で愚かな人間風情が何を言うんだっ!」

 再び両手に獣の顎を持つ鎖を生み出し、自身を守る無数の糸の間を高速で這わせ高町なのはへと襲い掛からせた。
 愚かにも突撃という選択肢を取った高町なのははこの急襲に反応できるはずが無く、獣の顎にその身を蹂躙されることになる。
 そして、よしんば獣をやり過ごしたとしてもその先に待つのは即死地帯と化した鋼糸の罠である。
 高町なのはの行く手には絶望以外は無く、その矜持を叶える術は無い。

「何を言うって? 信頼する……パートナーの名前だよ!」

 なのに、高町なのはは笑っていた。

「お願い、レイジングハート!」

 突如として高町なのはの周囲に十二の球体で構成された円環が展開し、輝く光が光速で空を翔け、それらはサポートブレインが操る鎖の上を這うように彼に飛び込んだ。
 その数は、右の鎖の上に六つ。左の鎖の上に六つ。その形は球体で、色は桜だった。

「しまった……ッ!?」

 それは、なのはが制御を放棄したスフィア。それら全てはレイジングハートが制御を請け負い、そして突撃をした主の身体で彼の視界からその存在を隠してしまっていた。
 それを、高町なのはが六つ、レイジングハートが六つの制御を行って、鎖の上という最たる安全地帯を進ませサポートブレインを襲った。

「やぁあああああああっ!」

 襲撃は成功し、都合十二の光弾に身を撃たれたサポートブレインは集中力を途切れさせ、くすんだ翡翠の糸を消滅させてしまう。もちろん、獣の鎖も消滅していた。
 高町なのはとサポートブレインの間を隔てていた物を消えた。最高速度に乗った高町なのはは渾身の力を込めて愛杖をサポートブレインへと叩きつける。

「続けて行くよ!」

 さらに、一発の排莢を行って新たなスフィアを生み出し、いまだ体勢が崩れたままのサポートブレインに対して一斉射撃を叩き込む。
 サポートブレインは成す術も無くそれら全てを身に受け、痛みのあまり悲鳴を上げた。
 無論、高町なのはが使った魔法は取り付かれているユーノのことを考慮して非殺傷設定だったが、寄生という特殊な肉体の使用方法を取っているせいか、サポートブレインにはそれが痛覚への刺激として伝わったようだ。

「どう? 私は、私たちは、貴方になんか負けない。絶対に負けない」

 高町なのははレイジングハートを砲戦に適したバスターモードへ変形させる。
 続けて二度の排莢を行うと、正に砲身となったレイジングハートの先端に桜色の円環が出現し、その輪の中心には身を肥大化させていく桜色の球体が生み出された。

「ユーノ君は、返してもらうよ!」
《Divine Buster Extension》

 サポートブレインは慌てて防御魔法を展開するが、桜色の球体が裂けて生まれた光の本流は防御魔法もろともサポートブレインを飲み込んでしまう。
 高町なのはの主力魔法ディバインバスターの強化版にして長射程化がなされたディバインバスターエクステンション。その最大の特徴はバリア貫通能力にあり、かつての闇の書事件においては紅の鉄騎がこの常識外の砲撃魔法によって恐怖と苦汁を与えられていた。
 騎士の盾すら圧壊する魔力を真正面から受ければ、並の魔導師でなくとも戦闘不能は免れない。
 なの、だが。

「ほぼ、直撃」

 高町なのはは少し悩んだが、レイジングハートからまだカートリッジが二発残っているマガジンを引き抜いて、新たなマガジンを挿入した。
 マガジンの中に残っていた二発のカートリッジはポケットに収め、砲撃の襲撃を受けたサポートブレインを見やる。
 戦闘魔導師として六年を戦いの中に置いてきた者の直感なのだろうか。これで戦闘が終わったとは思えなかった。
 嫌な汗が背筋を流れ、バリアジャケットのインナースーツをじっとりと濡らす。

「さっきからずっと気になってたんだ」

 彼女の言葉にレイジングハートも紅の宝玉部分を明滅させて反応を示す。
 先ほどから。いいや、戦闘を開始してからずっと、気に掛かっていたことがあった。

「魔法の威力、下がってないかな?」

 いくら莫大な演算処理能力を得ていたとしても、幾度とないアクセルシューターの衝突に耐え切る魔力の鎖など編めるものなのだろうか?
 計二十ものアクセルシューターをその身に受けて、それでも砲撃魔法に防御魔法を張るという対処能力と魔力は残るのだろうか?
 その答えは、自身の魔法の威力を過信しているわけではないが、否だった。
 しかしながら、その否をサポートブレインはやってのけている。

「この結界、三重になってるって言ってたよね」

 最も外の部分は他所からの侵入者を防ぐ防御結界であるという。
 ならば、残りの二つはどのようなものなのだろうか?

「やっぱり正体は分からないかな、レイジングハート?」

 短い沈黙が訪れる。高町なのはが予想した通りの返事がやってきた。

《一つは魔法威力減退効果を持つ結界のようです。この結界は特定の波長を持った魔力以外の威力を減退させます》

 やっぱり、と口に出す高町なのはに。レイジングハートは、さらに続けた。

《もう一つの結界は、気味が悪いです》

 機械存在であるデバイスらしからぬ言葉を告げた。

《正確なことはわからないんです。ただ、四方八方から監視されているような。解析をしていた私の、その中までを覗かれているような……》

 怯えたように喋るレイジングハート。
 彼女の言葉に気になるものがあった高町なのはは、それを口にした。

《威力減退結界はいいとして、どうして監視結界……で、いいのかな? の正体がわかったの?》

 半瞬の沈黙が流れた。そして答えは告げられる。
 だが、彼女の問いに答えたのはレイジングハートではなかった。

「起動させたからだよ」

 その声は高町なのはが良く知る青年のもの。だが、いつもは声色に含まれている優しさが欠片も存在しない。
 効率を知り、理論を極め、無駄を排除して思考する冷たい機械のような声。

「まさかここまでやるなんて思いもしなかったよ。認めよう、君は強敵だ」

 彼は大仰に手を振って、まるで舞台でスポットライトを浴びる役者のように台詞を語る。
 その姿に砲撃魔法の直撃を受けたダメージは見受けられない。

「だからボクも本気を出そう。たかが一人の人間風情だと思ったが、君は勝手が違うようだ」

 高町なのははレイジングハートを砲戦に特化したバスターモードから中距離高速戦闘に特化したアクセルモードへ戻す。
 一発の排莢を行い、八つのスフィアを周囲に浮かべた。

「無駄だよ、高町なのは」

 八つの光が閃く、が。
 サポートブレインに向けて放たれたスフィアは、その悉くが紙一重で躱されてしまう。
 紙一重だったのは高町なのはの狙いが正確だからではなかった。悔しいが、彼が最も効率的かつ最小限の動作で回避している故の結果だった。
 スフィアにどんな軌跡を描かせても同じ結果の繰り返し、それを五度行うとサポートブレインは魔力刃をスフィアに投擲し、八つのスフィア全てを一瞬で破壊してみせた。

「だから無駄だって言っただろう?」

 緒戦でもスフィアはサポートブレインの身体を掠めることはなかった。しかし、緒戦で彼が見せていた動きと今し方見せた動きではあまりに違いすぎた。
 まるでどこにも瞳があり全てを全周囲から観察した者のみが持てる視点と情報に基づいて最適を弾き出したような、そんな動きを見せていた。

「人間の認識能力には限界がある。それは感覚器官の数であり、位置であり、何より人の情報処理能力に限度があるからだ」

 新たなスフィアを生み出そうとした高町なのはの腕に、サポートブレインが投擲した魔力の刃が突き刺さった。投擲は時間差を置いて二本なされ、一本を回避したその場所に二本目が飛び込んできていた。
 魔力刃は彼の余裕を表しているのか非殺傷設定で、高町なのはに傷が付くことは無く、被害は腕に痺れが走ったことと攻性魔力の接触による魔力ダメージのみに留まった。

「だが、ボクならそれらを突破できる」

 サポートブレインは四つの魔力球を生み出し、それを無造作に放り投げる。そして新たに一本の魔力刃を生み出して、両の瞼を下ろした。

「空間に感覚を溶け込ませ、全方位より相手を監視する。それと同時に、そうして得られた情報から最適を計算して実行に移す。それは、優れた演算能力を持つボクにしかできないことだ」

 魔力球は投げ上げの頂点に達し、そして落下を始める。それぞれ異なった力で投げ上げられた魔力球は、当然ばらばらに落下をしている。
 それらを、両の瞼を閉じたままでサポートブレインは魔力刃にて破壊してみせた。

「そういう結界を張ってあり、起動したのさ。これを使うとあんまりに面白くない勝負になるから、本気にならないと使わないんだけどね」

 魔力刃を手元に戻し、サポートブレインは開いた瞳で高町なのはを見上げた。
 それは同時に高町なのはを見下ろすことであり、横に見ることであり、背後を狙うことでもある。
 千を超え、万を超える瞳が高町なのはを監視しているということである。

「もちろん、魔法威力減退の結界はボクの魔法のみを減退させない。だから君の魔法はそれほど効果は無いし、ボクの魔法は強烈だよ?」

 その上、この空間を覆う防御結界のおかげで外からの援軍も望めない。

「いいかい、高町なのは。君はね、絶対にボクには勝てないのさ」

 サポートブレインは、手にしていた魔力刃を中空へ放り投げる。そして新たに七つの魔力刃を生み出し、それらの鋭利な切っ先を高町なのはへ向けた。
 高町なのはも対抗して八つのスフィアを出現させるが、戦巧者の直感によって既に理解していた。スフィアは全てを砕かれ、自らの身は魔力刃の強襲に曝されると。

「この、結界の中は」

 果たして結果は、彼女の直感通りとなった。
 八つのスフィアは無残に破壊され、八つの魔力刃が回避し切れぬ高町なのはに次々と襲い掛かる。
 それらは彼女が自身を覆うように展開したプロテクションに突き刺さり、そしてじりじりとその刃先を中に向けて捻じ込んでくる。
 魔法威力の減退は防御魔法にも掛かっており、防御魔法が望む出力を発揮してくれなかった。

「この領域は、ボクのものだ」

 刃の圧力に耐え切れなくなったプロテクションはとうとう悲鳴を上げ、ガラスが砕けるような音を残して消え去った。
 後に残った高町なのはに回避する術は無く、八本の刃に真っ白なバリアジャケットを切り裂かれ、穴を穿たれ、その身を無残な姿へ転じさせられていく。

「ボクの領域の中で―――…………勝負になると、おごるなよ?」

 全身から鮮血を撒き散らしつつも刃を振り払おうと必死にもがくが、動く度に刃に身を裂かれ、白だったバリアジャケットを紅に染めていく。
 それでも勝利を諦めずに、レイジングハートをバスターモードへと転じさせ、傷付く中で砲撃魔法を発動させる。
 だが、減退させられていても高威力を持つその砲撃は、狙う敵に当たる直前でその軌道を反転させ術者に向かった。
 返された砲撃の直撃を受けた高町なのはは、自らが放った魔法の威力に耐え切れず吹き飛び、流れ出る血液を飛び散らせながら地面を転がった。

「本気を出せばこんなものか。その程度なんだね、君は」

 時の経過と共に死の色を濃くしていく高町なのは。放っておけば失血で命を落とす彼女に、サポートブレインは容赦無く追い討ちを掛ける。
 獣の顎を持つ鎖を生み出して急襲を掛け、傷付いた肢体に非情な打撃を叩きつけた。
 一度目は腕を打ち、二度目は足を打ち、三度目は腹を打ち、その度に高町なのはは呻き声を上げる。サポートブレインはそこに愉しみを見つけたらしく、彼女の身体をリズミカルに殴打して呻き声の楽器で遊戯を始める。
 天から鎖を操り嬲る者と、地に伏せって嬲られる者。
 その構図が、この戦闘の勝敗を如実に表していた。

「君が背負った信頼は、約束は、その程度のものだったんだね」

 鎖が高町なのはの身体を勢いよく打った。高町なのははその身を鞠のように数度地面の上で弾ませ、そして大地の上に再び倒れ伏す。
 だが、死に掛けの、その指の先端がぴくりと動いたことをサポートブレインは見逃さなかった。

「その程度のさ!」

 魔力刃を投擲する。狙いは動いた指が繋がる肩。肩を壊してしまえばもう杖を構えられなくなる。いくら戦う意思があろうとも、戦うことはできなくなる。
 そう意図して行った投擲だった。

《お黙りなさいっ!》

 だが、その意図が果たされることは無かった。放った魔力の刃は桜色の障壁に阻まれ、彼女に届くことはなかった。
 ご丁寧に障壁は二重構造となっており、表層が破壊されても裏層で攻撃の威力を受け止める頑強な造りをしていた。
 サポートブレインは興味深い対象を見つけて、哂った。

《私の主を知りもせず馬鹿にしないでください。私の主の強さを知りもせずに、馬鹿にしないでくださいっ!》

 魔力刃を防いだのは、高町なのはのデバイスだった。
 レイジングハートの名を与えられた彼女と呼ぶべき人格を持つそれは、悲痛な想いを込めて強大な敵に対して毅然と立ち向かおうとしていた。
 主を否定する悪魔に対して、精一杯に戦おうとしていた。

「けれど、君の主は既に死にかけているだろう? そして、仮に万全の状態であってもボクには勝てないさ。なのに、何をしようというんだい?」

 虐め甲斐のある獲物を見つけ、サポートブレインは哂う。
 低く低く、身の内の恐怖心を震わせるその声に、レイジングハートの心は怯えた。
 だが、その怯えを押し殺して。彼女は、叫ぶ。

《私の、主は!》

 今こそ、ここにいる己が自らが果たすべき役目を果たす時だと言うように、叫ぶ。

《どんな絶望を前にしても、どんな強大な敵を前にしても挫けない私の主は、貴方にだって必ず打ち勝ってみせます。そして、ユーノを取り戻してみせます!》

 愉快そうに哂いながら、サポートブレインは彼女の言葉を聞いていた。
 終焉を前にして現実を見れぬ愚かな主張は、勝者の耳には心地よかった。

《たくさんの人の想いと、約束を受け取ったマスターだからっ! 闇に覆われた道も輝く光で切り払ってくれます!》

 彼女の主張には絶対的に足りないものがあった。それを知るサポートブレインは哂い、それを知らないレイジングハートを憐れにも思う。
 彼女の主張に足りないもの。それは、彼女が語る主とやらが既に立ち上がることもままならない状態であり―――彼女の言うような働きを行えないということだ。
 主張をするのはいい。だが、その主張を実際に実行すべき人間は既に潰れてしまっている。
 故に彼女の主張は現実になりえず、虚しい空論であった。

《それが私の主、高町なのはですっ!》

 レイジングハートが語る主の像とやら。それは、典型的な肥大化した英雄像であった。不可能を可能にできると勝手に映した、どこにもいない誰かの像を描いていた。
 サポートブレインは勝者の余裕でそれを聞き流していたが、いい加減鬱陶しくなってきた。
 自分と同じ論理存在である彼女が整合性の無い非現実的な現象を語ることを許せなくなってきていた。
 彼は口元を歪め、論理の穴を突いて彼女の主張を終わらせ、そして彼女も破壊してしまおうと思った。
 だから口を開いて、言の葉を矢にして論を過熱させるレイジングハートへ放った。

「その主は、もう砕けてしまっているじゃないか」

 からからと馬鹿にしながら哂い、サポートブレインはそれきりにしようと魔力刃を生み出した。
 そして、主より先に小煩かったデバイスを破壊しようと投擲の体勢に入り、

《マスターが砕けた時は―――…………マスターが蘇るまで、私がマスターのために道を照らし続けます!》

 投げた刃は、桜色の障壁に阻まれて届くことはなかった。

《私はデバイス。魔導師と共に生き、魔導師を支え、魔導師のために生きる機械です。でも、人のように、私にも願いがあります。私にも誇りがあります。私にも、心に誓った生き方があります!》

 今度は数本の魔力刃を生み出して投擲するが、それも悉くを阻まれて彼女に届くことはない。
 彼女の言葉を止められない。彼女の主張を止められない。

《私はレイジングハート。高町なのはの高町なのはたる不屈の心を支える機械であることが、私の願いであり誇りです!》

 魔力刃の狙いを高町なのはに変えても、魔力刃が阻まれることは変わりが無かった。

《主の心が燃える日は、その火を絶やさぬ薪となりましょう。主が苦難に立ち向かう日は、壁を超える梯子になりましょう》

 それは魔力刃を十数本に、数十本に増やしてもまったく変わらなかった。

《主が道を見失ってしまった日には、私は光となって主の道を照らしましょう。主が傷つき倒れた日には、翡翠の光となって主の身を癒しましょうっ!》

 次第に焦り始めるサポートブレイン。彼の神経はいかに魔力刃をレイジングハートにぶつけ、不愉快な主張を一刻も早く止めることのみに注がれ。
 それ故、気づいていなかった。

《私は、レイジングハート。主、高町なのはのためのデバイス! 主のために必要ならば―――…………奇跡だって、起こしてみせます!》

 とめどなく流れ出ていた高町なのはの血液がいつの間にか止まっていたことに。
 全身に付けられた痛々しい傷が、いつの間にか消えていることに。
 四肢も肢体もその力を失っていたはずの高町なのはが、その身に力を取り戻していたことに。

「主に依存することしかできぬ低級なデバイス風情が語るな――………ッ!」

 高町なのはの、その黒い双眸に。燃え盛る炎のような輝きが蘇っていたことに。

「違うよっ!」

 サポートブレインが怒りのままに放った数百の魔力刃を、立ち上がった高町なのはがその全てを巻き込む砲撃を放って飲み込んだ。
 突然で突飛なできごとに対処の遅れたサポートブレインは、反射魔法を展開することも忘れ、それでも随伴で防御魔法を展開するが、高町なのははその防御ごとサポートブレインを撃ち抜いた。

「レイジングハートは依存してるんじゃないよ! 私のことを信じてくれてるんだよっ!」

 結界魔法の効果で減退しているはずなのに、それでも強烈なダメージを与えてくる高町なのはの砲撃に一瞬だけ意識を持っていかれつつ、すぐに頭を振って自らを取り戻したサポートブレインが、叫ぶ。

「何が信じるだっ! それは依存だ! 自らで戦うことを放棄し、他人に全てを押し付ける! そんな、そんな臆病者が臆病風に吹かれた言い訳のための言葉だっ!」

 叫び声と共に二本の獣頭鎖を出現させ、再び数百の魔力刃を生み出して、その全てで高町なのはに強襲を掛ける。
 一つ一つに強烈な殺気が篭った完全なる殺傷設定の魔法の数々。だが、それを前にしても高町なのはの瞳に宿る炎に翳りは無かった。

「それも、違うよっ!」

 いや、炎はその勢いをさらに激しくしていた。

「信じるってことはそういうことじゃないんだよっ!」

 数百の魔力刃と二条の鎖。それに対抗するため、高町なのははポケットから二発の弾丸を取り出す。それは先ほどカートリッジから取り出していたもので、彼女はそれを放り投げ、それに向けてレイジングハートの照準を向けた。
 熾烈な襲撃者が迫る中で、触れれば確実に殺される、死の影が足音を立てて歩み寄る中で、高町なのはは神経を研ぎ澄ませて中空を舞う二発のカートリッジだけに注視する。

「じゃあ、どういうことだって言うんだっ!」

 普段は使わない対物設定を用い、魔力を圧縮してレーザー光のように細い砲撃で二発のカートリッジを撃ち抜いた。
 襲い来る魔力刃の直前で爆ぜたカートリッジの弾丸はその爆発に魔力刃の魔力を取り込み、巨大な爆炎を吹き上げて全ての魔力刃を消し飛ばした。

「自分のできることを精一杯やって、それでもできないことを誰かに託すことだよ!」

 だが、獣頭鎖だけは爆発を逃れていた。
 二本の鎖が蛇のようにくねりながら高町なのはを喰らうべく飛び掛る。

「それは結局、諦めじゃないか! 君に戦いを任せて自らは後方の安全な場所に身を隠している。やはり、褒められたものじゃないっ!」

 それらの初撃を後ろにステップを踏んで躱し、間髪入れずにカートリッジをロードして威力と発射速度を上昇させた砲撃で打ち壊す。
 サポートブレインに放たれた全ての手を打ち破り、空に浮かぶ彼を見上げて、高町なのはは叫んだ。

「違うよ! みんな、戦ってる! 今もまだ、戦ってるっ! 私を、レイジングハートを、信じてくれたからっ! みんな、戦ってるんだよっ!」

 何を馬鹿なことを叫ぼうとしたサポートブレインを、高町なのはの砲撃が撃った。
 叩きつけられる全てが信じられないサポートブレインに、高町なのははもう一度叫ぶ。

「みんな、戦ってるんだよっ!」



  ―――それは、時空管理局本局。



 一糸乱れず歩く、サポートブレインに乗っ取られたユーノ・スクライア討伐任務を課せられた教導隊員たち。
 彼らには二つの確信があった。この二十四時間で遺跡に設置していた監視カメラから得られた映像やその他のデータにより、それらは確信となっていた。
 一つは、自分たちはサポートブレインを打ち倒せるということ。
 そして、もう一つは。悲しいことながら、サポートブレインに支配されたユーノ・スクライアを救出する手立てが無いということ。
 サポートブレインとユーノ・スクライアを分離させる術が見つからず、また、敵はそのような雑事に囚われたままで勝利を得られるほど生温い相手ではなかった。

「行くぞ」

 教導隊長を筆頭とした教導隊戦力最高峰の部隊がそこにいた。
 遺跡任務に赴いた者たちとは違う、長く戦いを経験してきた熟練の教導隊員だった。
 彼らは既にサポートブレインの居場所を突き止めており、第九百世界へ向かう艦艇を停泊させている港へ向かうところだった。

「…………」

 彼らは、時空管理局における精鋭部隊の、その粋を集めた最強の戦力である。
 並の魔導師ではどれほど束になっても敵うものではなかったし、優秀な魔導師ですら彼らと対峙すれば赤子のように手を捻られてしまう。
 それほど戦闘に熟知した、最高峰の戦闘魔導師。

「どけ」

 その彼らの前に、無謀にも立ちはだかる人物が居た。
 黒衣を纏った青年は両手を広げ、彼らをこの先へ行かせないという意思を身体で示していた。

「クロノ・ハラオウン提督、貴官の噂はよく耳に入ってくる。君は非常に有能だ。ここで君を潰すことは我々の本意ではない。だから、どけ」

 クロノ・ハラオウンと呼ばれた青年は、静かに首を横に振って否定の意思を見せた。

「何故、我らが道を阻む?」

 対峙しているだけで相手に多大な重圧を掛ける、生きる戦人が戦技教導隊長であった。
 その彼に睨まれ、クロノは胸を襲う息苦しさに、圧倒的な実力差を感じた。
 だが、塞いだ道だけは頑として譲ろうとはしない。

「親友の命が掛かっているからです」

 クロノはよくわかっていた。教導隊ならサポートブレインに支配されたユーノを打ち倒せることを。
 そして、彼らでは普段は決してそうとは口にしない親友を救うことはできぬことを。

「大を取るための小さな犠牲だ、見捨てろ。君も偉くなったなら知っただろう?」

 教導隊長は長年戦場を共に掛けた杖を、クロノに突きつける。
 クロノが感じる重圧が十倍以上に膨れ上がった。
 嫌な汗が背筋をとめどなく流れている。

「より多くを救うためには犠牲にしなければならない者がいる。それは何度も思い知らされてきたはずだ!」

 だがクロノは、決して首を縦に振ろうとは、道を塞ぐ腕を下げようとは、しなかった。
 それどころか、その瞳に強い意志の光を宿して、そしてはっきりと口を開いた。

「何も切り捨てないために、僕はここにいます」

 ぴしゃりと放たれたクロノの言葉に、流石の教導隊長も唸り声を上げた。
 真っ直ぐな彼の瞳は、教導隊長が生み出す重圧を打ち抜いて、真摯に教導隊長を貫いていた。

「ここは通せません。それが僕の答えです」

 この歳若い提督は、きっと自らの身体を失うことになっても道を譲らないだろう。
 彼の身は信じる何かで真っ直ぐに支えられており、決して折れることはない。
 それを感じ取ってしまったから、教導隊長は部下を下げさせて……改めて、クロノに向けてデバイスを構えた。

「無理にでも進ませてもらう。私は、君ほどには理想のために割り切れない」

 クロノもデバイスを取り出し、構える。
 二人の間に焼け付くような緊張感が走った。

「割り切ったのでは、ありません」

 先に動いたのは教導隊長だった。
 いや、クロノが先手を取らせたとも言う。

「何―――?」

 クロノの眼前に立つ相手は、彼の実力では到底敵いはしない相手。
 なら、できる限り長く足止めをすることこそが彼がすべきこと。
 それをわかっていたから、クロノは無理に攻め込もうとはせずに防御だけに徹すると決めていた。
 故に教導隊長の渾身の一撃は、クロノが張った防御魔法に阻まれ、弾かれた。

「僕は希望を託したのです」

 続く二撃目、三撃目も阻まれ、弾かれる。
 教導隊長は簡単に片が付くとは思っていなかったが、予想以上に戦闘が長引きそうな気配に、気づかぬ内に汗を噴き出していた。
 戦いを続ける内、目の前の青年から言い知れぬ恐れがやってくる。

「だから、僕はっ!」

 しかし、彼と教導隊長の実力差は歴然としていた。
 いつしかクロノは熾烈に攻め立てられ、とうとう防御の上から魔力を削り切られ膝を床に付けてしまう。
 もう、四肢に入れられる力は残っていなかった。

「お前はよく戦った。あと五年この戦いが遅ければ、そうして膝をついていたのは私だったかもしれない」

 クロノに彼なりの賛辞を送り、教導隊長は部下に合図を送って道を行く。
 だが、その歩みを阻む者がいた。

「行かせは、しません」

 それは当然、クロノ・ハラオウンだった。
 彼は時空管理局の提督という身分にしては無様すぎる姿を、地に伏したまま教導隊長の足を掴むという様を見せていた。
 当然、彼の手を振り払おうと足を振るう教導隊長。
 しかし、クロノがその手を離すことはなかった。

「ええい、何故だっ!」

 砕けぬクロノの意思に、教導隊長はたまらず叫びを上げた。
 その言葉に、クロノははっきりと答える。

「僕は彼女たちを信じて、希望を託しました。だから僕には、彼女たちが戦う場所に向かう邪魔者を阻止する義務がある。それが、信頼の責任だからです」

 クロノは教導隊長に腹や顔を蹴られるが、それでも決して彼の足を掴む手だけは離さなかった。
 彼の姿に、言葉に、教導隊長には先ほど感じた恐怖が蘇った。
 いや、それは恐怖という感情ではない。

「何をそんなに信じたのだ……?」

 答えたのは、今度はクロノではなかった。

「明るい未来を望み、そのために戦うことを決意した者たちですよ」

 場違いに落ち着いた声が響く。
 そこには新たな来訪者が、無限書庫の司書長が居た。

「大切な人のために戦おうとした者たちを、彼は信じたのです」

 まるで僧を思わせる緩やかな動きで歩を進めた彼は、司書長の来訪に驚き目を見開いた教導隊長の手に一本の筒を手渡した。
 しばらくはその筒をまじまじと見つめていた教導隊長だったが、やがて思い出したように筒を開けてその中身を取り出す。
 筒の中には、一通の指令書が入っていた。

「作戦……中止命令?」

 確かに時空管理局長と副局長の印を捺された正式な命令書がそこにはあった。

「ええ、そうです。苦労しましたが、お二人とも私の話を聞き入れてくださりました」
 ぱたぱたという足音が聞こえた。その足音の主はユーノの幼なじみで、彼女の両手にはいくつもの書類が抱えられていた。
 それらを教導隊の前に置き、彼女は言う。

「これが作戦中止のために上層部に提出した書類のコピーです。不満があるなら、ご覧ください」

 しっかりとした足取りをしているように見えて、彼女の目の下にはくまができていた。恐らく、この書類を作成するために不眠不休だったのだろう。
 よくよく見れば司書長の目の下にもくまがあり、彼も老体に鞭を打っていたことが窺えた。

「は、ははは。そこまでやるのか」

 彼らの姿に、苦い笑いしか出てこない教導隊長。
 彼はクロノに手を貸し、彼を助け起こした。

「負けたよ」

 クロノはヘロヘロで、その肩に教導隊長が肩を貸した。

「一つ、おこがましい質問をしてもいいだろうか?」

 控えめな教導隊長の言葉にクロノは頷く。
 その返事を確認してから、教導隊長は口を開いた。

「私も、誰も犠牲にならない結末を信じてもいいか……?」

 クロノは、大きく頷いた。



  ―――それは、結界前。



「でりゃぁあああああああああああっ!」

 アルフは、結界に対して果敢な猛攻を繰り出していた。
 包帯を巻いた拳は既に血に塗れ、鋭い痛みをアルフへ伝えていた。
 その痛みにアルフは顔を歪める。が、結界に対しての攻勢を緩めることはなかった。

「あたしは、ここにいるっ! だったらあたしは、ここでできることをしなくちゃならないんだっ!」

 結界に拳を叩きつける度、アルフの拳からは新たな鮮血が生まれ飛び散っていた。
 彼女の足元には紅の点が幾つも落ちており、本来なら拳の痛みは絶叫を上げてもおかしくないほどだった。
 だがアルフは、己が身の全てを捻じ伏せて、ただただ結界を破壊すべく拳を打ち込み続ける。

「それは、みんなに信じてもらって―――あの子たちを信じたあたしが、やらなきゃならないことなんだ!」

 鋼鉄の壁のような結界に拳を打ち付ける。
 だが結界は硬く、一向に砕ける気配がなかった。

「仕方ない。今はフェイトが任務期間中だからあんまり使いたくないんだけど……っ!」

 アルフの身体を茜の光が包む。
 光は強烈な発光現象を起こし、そして光が嘘のように消えていった。

「でも、足りないなら仕方ない、よね? ご、ごめんねフェイト……っ」

 光が消えた後には、幼い少女が消えていた。
 その代わり、少女の変わりにすらりと伸びた四肢を持つ美しい女性がそこにいた。

「アルフさん―――…………全開だよっ!」

 少女だった頃よりも強い輝きを拳に纏い、そしてアルフは拳を引き絞る。
 長くなった四肢が持つ身体的なパワーの全てを結界にぶつけるべく、アルフの身体は一撃に全てを賭けるために動いていた。

「フルパワーで、」

 アルフの四肢が持つ力が、魔力が持つ力が、それらが一点を目指して寄り集められる。
 たった一つの行為を、その成功を目指して、引き絞られる。

「打ち抜くんだよっ!」

 これ以上引けば引き千切られてしまう。その瀬戸際まで、引き絞って。

「バァ―――…………リァアアアアアアアッ!」

 解き放った!

「ブレイク―――…………ッ!」



  ―――崩壊の音が、響き渡った。



 硝子を粉々に砕いたような、耳障りで、甲高い音が響いた。
 その音が響いたことにサポートブレインは動揺を浮かべ、高町なのはとレイジングハートは誇らしげな笑みを浮かべた。

「みんな……みんな、戦ってるんだよっ! 信じてくれたから、戦ってくれてるんだよっ!」

 サポートブレインが張った多層結界。その崩壊の音がそこかしこに響き渡っていた。

「そんな、馬鹿なっ!?」

 ありえない事態にサポートブレインは取り乱し、半乱狂となって獣頭鎖を振り回す。
 だが結界を失った彼の鎖の動きは先ほどまでの精度を出すことはできず、それに加えて冷静にもなれぬ彼の思考は、結果として粗すぎる精度で鎖を操るに留まる。
 当然、そんなものに捕らえられる高町なのはではなかった。

「馬鹿なのは、あんたの方さっ!」

 それどころか、自らに向けて飛来していた人影に気づかず、無抵抗のままに殴り飛ばされた。
 上空から地面へ叩きつけられ、サポートブレインは全身の苦痛に悲鳴を上げた。

「遅くなってごめんね、二人とも。あたしもよーやく来られたよ」

 彼を殴り飛ばしたのは、茜髪を風に流した美しい女性。
 高町なのはとレイジングハートは驚きに目を丸くする。彼女のその姿を見たのは、二人とも数年振りだった。

「ちょ、ちょっと本気出しちゃったよ」

 恥ずかしそうに頭を掻くアルフの姿は、少女の姿の頃と変わらずに可愛らしかった。

「それよりもさ! ユーノだよユーノ! どうにかして、助けないと!」

 アルフの言葉に、地面に落ちたサポートブレインへと視線が集まる。
 彼は多大なダメージを負った様子だったが、気絶をするほどではないようで、ゆらりと立ち上がる。
 もしかしたら執念が彼を立たせているのかもしれない。

「無駄だよ……無駄なんだよぉっ!」

 数十の魔力刃と数十の魔力弾を浮かべ、狙いも当たりも付けず周囲にばら撒くようにしてそれらを放射する。
 だが、数を優先させたのか一つ一つの威力は決して高くなかったそれは、防御魔法によって簡単に防がれてしまう。
 それでも結界の中に居た頃は数百の魔力刃をこれ以上の威力で行使していたことから推察すると、もしかしたら彼は限界が近いかもしれない。
 結界の中では防御魔法の出力が低下していたことを差っ引いても、彼の魔法は弱体化しすぎていた。

「お前たちは絶対に決定的な勝利を得られない! ユーノ・スクライアを救えない! 何故なら、ボクとユーノ・スクライアを分離する方法が存在しないからだっ!」

 それでもなお魔力刃と魔力球を浮かべて放射を続けるサポートブレイン。
 確かに彼の言葉はその通りで、こうして戦場には赴いたものの高町なのは達には打つ手が無かった。
 魔力の放射を受け止める魔力の盾が、みしりと軋みを上げた気がした。

「だからお前たちの行為は全てが無駄なんだよっ! どれだけ信じようと、どれだけ戦おうと、お前たちにボクを殺すことはできてもユーノ・スクライアを救うことはできないんだからっ!」

 それは気のせいではなかった。絶え間なく放射が続けられる魔力刃と魔力球はその威力を段階的に高められていた。
 だが、防御魔法を解除すれば瞬く間に放射の的になってしまうために高町なのはも、アルフも、身動きが取れない。
 今は防御魔法を砕かれないように魔力を注ぎ込んで、そうして耐えるしか選択肢が無かった。

「無駄なんだよ! 無駄なんだよっ! 何も、何もできないっ! 君たちは救えないっ! 何もできないっ! ただただ、絶望するしかないんだっ!」

 魔力刃が防御魔法に突き刺さり、魔力弾が防御魔法を叩き、襲い来る圧力に悲鳴を上げる防御魔法は、崩壊の時までのカウントダウンを開始していた。
 どうにかしたいのに、打つ手だけが無い。
 まだ絶望したわけではない。まだ諦めたわけじゃない。なのに、進むべき道だけがわからない。

「防ぐだけでは砕けるぞ! 守るだけでは勝てはしないぞっ! 君たちは……ボクに、勝てないっ!」

 高町なのはの表情に、アルフの表情に、レイジングハートに、苦悶が浮かぶ上がった。
 どうしようも、どうしようもない。
 ここまで来たのに、信頼を背負って立っているのに、最後の一手が見つからない……ッ!

  ―――そんな、時。

 レイジングハートは声を聞いた。アルフは声を聞いた。高町なのはは、声を聞いた。
 それは随分と久しぶりに聞くような気がする、とても優しく柔らかな声だった。

「そうでも、ないよ?」

 ユーノ・スクライアの声を聞いた。

「方法はもう手にしているんだよ。忘れているだけで、気づいていないだけで、その手段はきちんと持ってるんだ」

 魔力刃と魔力弾の放射が止まる。
 そして、サポートブレインは周囲を見渡した。誰かを探すように首を巡らした。

「だからボクたちは負けやしないよ―――なのは」

 いや、それはサポートブレインではない。
 それは間違いなく、ユーノ・スクライアだった。

「ユーノ、君?」

 なのはの瞳に涙が浮かぶ。
 彼女の目の前には、ずっと会いたくて、それでも会えなくて、そしてその仲を引き裂かれた……誰よりも愛しい人がいた。

「うん、そうだよ」

 なのはは、何もかもを忘れて彼の腕の中に飛び込もうと大地を駆ける。
 けれどユーノは、彼女のそんな姿を手振りでやんわりと押し留めた。

「まだ、支配権を取り戻したわけじゃないんだ。一時的、一時的にだけだから。だから、聞いて」

 ユーノの言葉に、悲しみで表情を崩しそうになったなのはだが、必死に顔を引き締めた。
 彼の前で、可愛くない顔は見せられない。

「なのは、サポートブレインを封印して。ジュエルシードみたいに!」

 なのははポカンと口を開いた。
 そーいえば封印そーゆー魔法があったよーな気がしなくもない。

「で、でも……レイジングハートがエクセリオンになってから、シーリングモードはなくなっちゃったよ……?」

 高町なのはのために自らを強化したレイジングハートは、フルドライブ形態にシーリングモードよりも戦闘に特化したエクセリオンモードを搭載していた。
 それは戦闘には役に立ったが、今回のような場合に果たして役に立てるのか……?
 その疑問をなのはが浮かべていると、ユーノは表情を苦痛に歪めて苦しみだした。

「ああ、もう時間が無い……っ。なのは、思い出して! ボクが君に出会って、そして君が初めて魔法を使った日に、ボクが君に言った言葉をっ!」

 苦しみを捻じ伏せて叫ぶユーノは、支配権を奪い返される前に最後の言葉を搾り出した。

「不安かもしれないけど、信じて! ボクを、信じて! そして、君の魔法を叶えるレイジングハートを―――…………信じて!」

 歪んだユーノの形相が、更に歪む。
 優しかったユーノの顔が消え、サポートブレインが舞い戻ってきていた。

「ボクの中で消えかけていた男が、何を……ッ!」

 激昂したサポートブレインは再び魔力刃と魔力球の放射を行う。
 ユーノの心配をしていたなのはは、その放射への反応が遅れてしまった。

「うっさいっ!」

 しかし、彼女と襲い掛かる魔力の奔流の間に立ちはだかる者がいる。
 茜の髪を揺らす彼女は、広げた防御魔法を両手で支えて高町なのはに笑みを浮かべた。
 力強い笑みだ。

「なのは。あたしにはどうするのかわからないけど、ユーノの奴が言うんだから信じてさ」

 襲い来る魔力の嵐に負けぬよう気丈に立ち向かいながら、アルフは高町なのはに向けて言葉を紡ぐ。

「封印、しておくれ」

 頷く高町なのは。
 だが、信じると言ってもどうすればいいのか、見当が付かなかった。

《マスター》

 困り顔の高町なのはに声を掛けるのは、彼女の愛杖。
 レイジングハートは高町なのはを励ますように輝いて、その身を温かな光で包む。

《思い出してください! 貴方が初めて魔法に触れた日の、ユーノの言葉を!》

  ―――攻撃や防御などの基本魔法は、心に願うだけで発動しますが。

「ユーノ君の、言葉……?」

  ―――より多くの力を必要とする魔法には、呪文が必要なんです。

《そうです。彼が貴方に教えてくれた、魔法を使うための方法を!》

  ―――心を澄ませて。心の中に、貴女の呪文が浮かぶはずです。

《願ってくださいマスター! 私が、貴女の願いを魔法にします!》

 遥かな記憶。もう六年も前にあった出会いの日に紡がれた、詩のような言葉。
 高町なのはは瞳を閉じて、それらを思い出した。
 懐かしい記憶がじんわりと胸を温かくする。
 そうだ。確か、彼はあんなことを言っていて。

  ―――レイジングハートを信じて、なのは!

 さっきは、ああ言っていた。
 それを確認して、高町なのはは瞼を上げた。

「レイジングハートはさ」

 高町なのはの静かな声がレイジングハートに語りかける。

「ユーノ君が私にくれた……大切な、大切な家族で」

 それは、助走。
 飛行機が空に舞い上がるために。
 鳥が大空に飛び上がるために。

「私をずっと支えてくれた相棒、だもんね」

 高町なのはが全力の全開を出すために!

「―――うん、分かった。私は、レイジングハートを信じるよ!」

 思い出してと言われた言葉で、信じ方はわかった気がした。
 だから高町なのはの言葉は力強く。

《Yes,Master!》

 そして、レイジングハートも力強く返事をした。

「ユーノ君に一番初めに教えてもらった魔法。ここで、使うんだ!」

 魔力刃と魔力弾の放射を続けていたサポートブレイン。
 自らの消耗を気にせず魔法を使っていた彼の身体が、突如として桜色の輪に拘束される。
 リングバインドと呼ばれる初歩的な拘束魔法。
 当然、それを解除することは高度な演算能力を持つサポートブレインには容易い。
 だが、その容易いを行う時間を得られれば、高町なのはには充分だった。

「行くよ、レイジングハート」

 彼女は目を瞑り、自己の精神の中へ心を落す。
 精神の中には水面が広がっていた。
 水面は絶えず波を打ち、波紋を揺らし続けていた。
 その水面に高町なのはが心を落すと、一瞬前までが嘘のように静かになった。

「リリカル……マジカル!」

 高町なのはが杖を振るう。

「封印すべきは悲しき器、サポートブレイン!」

 彼女が杖を振るう度に桜に似た光の花弁が宙を舞い、夜の闇を柔らかく照らした。

「サポートブレイン、封印!」
《Exelion Mode・Set Up》

 高町なのはの掛けた声に合わせ、レイジングハートがその姿を全力全開形態フルドライブモードへ転じさせる。
 レイジングハートから幾本もの光の帯が伸び、リングバインドの拘束を抜け出したばかりのサポートブレインを絡み取った。

「う――………ぁあああああああああっ!?」

 絶叫を上げるサポートブレイン。
 彼が無理矢理支配したユーノの身体の、その額には、真っ黒なチップが浮かび上がっていた。
 それこそがサポートブレインの本体。それをユーノから引き離してしまえば、ユーノはサポートブレインの支配を脱出できる。

《stand by ready》
「リリカルマジカル! サポートブレイン―――…………封印!」

 ユーノの身体を包んでいた光の帯は強烈な光を発し、世界の全てを桜の色で覆い切ってしまいそうなほどに明るく輝く。
 その中でサポートブレインの本体であるチップがユーノから引き離され、そして封印の処理を施されてレイジングハートの内部に設えられた封印専用スペースへ封じ込められた。

《Sealing》

 光が、消え。全てが、終わり。
 高町なのはは、なのははゆっくりと目を見開いた。
 視界に最初に飛び込んだのは地面に倒れ伏したユーノ・スクライアの姿であり、彼女は今度こそ彼に向けて駆け出した。
 先ほどとの差異があるとすれば、それは一つだけ。

「ユーノ君!」

 先ほどは、高町なのはは彼の腕の中に飛び込もうとしていた。
 けれど、今度は。高町なのははぼろぼろに傷ついた彼の身体を抱きしめるべく走っていた。

「あはは……ただいま、なのは」

 なのはの腕の中に抱かれたユーノは、いつも通り――よりも少し疲れた――笑みを浮かべ、彼女に微笑みかけた。
 笑いかけられた、なのはは。

「うん、おかえり。おかえり、ユーノ君」

 彼が痛くない程度の、けれど精一杯の力で。
 もう愛しい人が離れることのないようにと、ぎゅっと、ぎゅっと、愛してるの想いを詰め込んでユーノの身体を抱きしめた。

「おかえり、なさい」

 瞳から流した熱い涙で、万感の想いを込めた言葉で、彼の心を抱きしめた。






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