全てが終わったあと、ユーノとなのはは病院のベッドにその身体を横たえていた。大事を取って1日のみの入院である。
 誰が気を利かせたかはわからないが、彼らは同じ病室にいた。

「にゃう」

 同じく入院したアルフは、この場にはいなかった。別の病室で駆けつけたフェイトと共にいる。
 レイジングハートもこの場にはいなかった。彼女は身内に封じ込めたサポートブレイン永久封印処理のため別所にいる。
 そしてこの病室には彼ら以外の患者はおらず、つまり彼らは二人っきりだった。

「とどかないよー」

 なのはがユーノに手を伸ばす。しかし、ベッドの間隔が広く、その手はユーノに届かない。
 ユーノからも手を伸ばしてみたが、あと少しのところで指先は宙を掠める。

「にゃう」

 ぷくりと頬を膨らませたなのはは、ユーノに触れようと意固地になって手をうんと伸ばす。
 その身体はもうベッドの淵までせりだしており、彼女の身体は落ちるか落ちないかの瀬戸際だった。

「危ないよ、なのは。あと一日だけなんだから我慢しよう?」

 ユーノのその言葉に首を横に振り、さらに身体をせりだすなのは。
 伸びた指の先は、あとほんの少しでユーノと触れ合えそうだった。

「私はもう一日だって我慢したくないの! ううん、一秒だって我慢したくないよ」

 なのはの言葉に口ごもるユーノ。そして、悩んだ後にほんの少しだけその身体をベッドからせりださせた。
 それは、彼女たちのほんの少しを縮めることとなる。

「えへへ…………♪」

 指先だけで触れ合う二人。碁石にも満たない小さな部分で触れ合うユーノとなのは。

「あったかいよ、ユーノ君♪」

 それなのに、なのはは満足したのか嬉しそうだった。

「にゃはは!」

 彼女の笑みに、ユーノも頬を緩ませる。
 そうして、またほんの少しだけ身体を前にせりださせると、触れ合う面積が少しだけ広がった。

「そうだね、あったかいね」

 ずっと離れ離れになっていて、久々に触れ合って感じる体温。
 それは、記憶にあったものよりも遥かに温かく、そして心に熱く染み渡ってくる。
 なのはも、ユーノも、笑みを浮かべてその手をさらに伸ばした。

「にゃぁっ!?」

 伸ばしたら、既にぎりぎりまで身体をせりだしていたなのはの身がベッドから離れた。
 ぐらりと傾いで、その頭から床めがけて重力に引かれる。
 触れ合っていた手は当然のように離れ離れになり、落下の瞬間になのはには全てがスローモーションで動いているように感じられた。

「うわ!? フローターフィールド!」

 その栗毛の頭が床面と接触する、その寸での位置で。
 ユーノが咄嗟にした魔法がクッションとなり、なのはは柔らかい魔法陣の上にその身を救われた。
 彼女に怪我が無かったことに安堵の溜息を付く、ユーノ。急な事態にその心臓は早鐘のように煩く鳴いていた。

「にゃ、にゃはははは…………」

 ばつが悪そうな顔をしてしょんぼりとするなのは。
 触れ合えは、したけれど。ユーノの“危ないよ”という言葉を無視した結果でこうなったのだから、少々居心地が悪かった。
 そんな彼女の姿に、ユーノは苦笑いを浮かべる。

「なーのーは」

 ぴくんと震えるなのはの身体。彼女は恐る恐る面を上げ、ユーノの表情を窺った。

「まったく、君はさ」

 その顔は、呆れ混じりの、

「無茶するところは、いつまで経ってもかわらないんだから」

 笑顔だった。

「ほら。ベッドに戻すよ」

 ユーノは魔法を操作して、彼女の身体を支える魔法陣を、彼女のベッドまで移動させる。
 ぽふっ、という軽い音がして。なのはは、柔らかいベッドの上に戻ってきた。

「怒ってないの、ユーノ君?」

 全身に布団を被せ、顔だけを覗かせて恐る恐るユーノに訪ねるなのは。
 小さな子供のような彼女の姿を可愛く思いながら、ユーノは答える。

「慣れたよ」

 あっさりと放たれた言葉は、なのはをうーうー唸らせることとなった。
 布団に隠れた小さな獣に“ごめんごめん”と謝りながら、ユーノはさらに言葉を続ける。

「君はそれでいいんだよ、なのは。そうやって無茶するところも君の魅力の一つだしね」

 続けて放たれた言葉は小さな獣の心を射止めて、その身を紅く染めた。
 しかしそれに満足しない狩猟者は、第三射、第四射と続けて放つ。

「その無茶で君が危なくなったら、その時はボクが君を守るよ。そのために色々ね、がんばってはきたんだ。好きな子くらいは自分の手で守りたかったから」

 刺さった矢は獣を猫にして、“にゃぁぁぁ”という鳴き声を紡がせた。
 狩猟者の完全勝利だった。

「まあ、ボクが君を守れる状況なんてそうそう無いんだけどね」

 そして最後に付け加えられた苦笑混じりの言葉は、猫を布団から追い出してしまう。
 全身を真っ赤にしたその猫は、ベッドという居場所から足を下ろし、冷たい床の上に立つ。

「なのは?」

 しなやかに歩を進めた猫は、一度小さく“にゃぁ”と鳴き、自らを射止めた狩猟者の下までやってきた。

「そんなこと、ないよ」

 猫――なのは――は、ユーノの布団の中にもぞもぞと潜り込んでくる。
 まるで本物の猫のように布団の中にその身をすっぽりと隠してしまい、恐らくは布団の中で丸くなっている。
 ユーノは少々慌てて、頬を紅く染めた。

「にゃはは」

 突然、なのはが布団から顔を出す。
 ユーノの眼前に。お互いの吐息を感じられる距離に。
 指先でしか触れ合えない距離にいた二人は、今、互いの心音まで聞けてしまえそうな場所にいた。

「ユーノ君がいてくれれば、それだけで私は百人力なんだよ?」

 にぱっと笑うなのは。その笑みは、発した言葉が純粋な真実だと伝えてくれていて。
 紅く染まっていたユーノの頬を、もっと、もっと紅に変えた。

「昔はね、ユーノ君がいてくれると背中があったかいなって思ったんだ。でもね、今はそうじゃなくてね」

 なのはは瞳を閉じて。そして彼女の手は、何かを探して布団の中をもぞもぞと動く。
 目当てのものはすぐに見つかったようで、なのははそれをしっかりと握った。

「背中だけじゃなくてね? 胸もね、頭もね、ぽーっとするの。それでがんばろうって思えて。それでそれで」

 ユーノの手を、離さぬようにしっかりと抱きしめた。

「心が、心がね? 火が点いたみたいに……ううん。もっと、もっとずっとすごい何かで、溶けちゃいそうなくらいに熱くなるの」

 語る言葉を証明するように、掌から伝わってくる体温は燃えるような熱さを持っていた。

「どんなことだってできるんだって、思えるよ。ユーノ君がいてくれるなら、私は誰にだって負けない。何にだって負けない」

 なのははその手でユーノの手を自らの胸元へと導く。
 手を触れれば、そこは掌と同じように、もしかしたらそれ以上に熱くて。
 触れるユーノも溶けてしまいそうなくらいに、燃えていて。

「私のまほうが燃えるから。誰よりも熱く燃えるから。だから私は、何だって越えちゃうよ」

 なのはの瞳がそっと見開かれる。黒曜石のような双眸は、煌く水に濡れて輝いていた。

「ユーノ君が私と一緒にいてくれるなら、だけどね」

 にゃはは、と笑い。俯いてしまった彼女の、その頬まで溢れた涙を拭う。
 そうして、約束すると囁いた。約束すると、もう一度囁いた。

「いる。ボクはずっと君といる。君とずっと一緒にいて、君を守るよ。君がボクを必要とする限りは、ずっと守る」

 必要とする限り、は。
 その言葉になのはがぴくりと反応して、悲しそうな顔を見せる。
 涙の止まらない顔を、首を横に振って、何かしらを言葉にしようと唇を震わせる。

「もしも君がボクを必要としなくなった日は。誰かが、何かが、君の心を奪った日には」

 ユーノは彼女が何かを言う前に、その身を両のかいなで抱きしめた。

「ボクが、奪い返す。君は、誰にも渡さない」

 言葉が本当である証明に、誰をもが自分たちを引き離せないほどの強い力で、ユーノはなのはを抱きしめていた。
 その力に、なのはは少々息苦しい思いをするが、それは胸の内から溢れる想いに押し流されてどこかへ行ってしまった。

「好きだよ、なのは。好き。君が、すごく好き。狂おしいくらいに、君が好き」

 高町なのはに訪れる、外からくるどんなものも、ユーノが彼女を抱きしめたせいで彼女には届かない。
 高町なのはに現れる、内からくるどんなものも、ユーノが彼女を溢れさせたせいで彼女には浮かばない。

「もっと言って、ユーノ君」

 彼にきつく抱かれ、彼の胸元に顔を埋めるなのは。
 彼の言葉に満たされ、心内の全てを彼だけに見せるなのは。

「私を、抱いて。私に、囁いて。私に、触れて。私を、離さないで」

 その両腕をユーノを抱きしめるために回し、離れないと言うように、彼に負けないくらい、きつく抱きしめて。
 その言葉をユーノに伝えるために唇を動かし、伝えたい、心にいつも抱えている、蓋をしないと溢れ出す、たくさんの気持ちを彼だけに送る。

「ユーノ君の気持ちを、伝えて。ユーノ君の気持ちを、教えて。伝え続けて? 教え続けて? そして私を抱きしめ続けて?」

 しだいに熱く濡れ始めるなのはの瞳。彼女は何かを欲していて、それをユーノに与えてもらうことを望んでいた。

「言い続けて、伝え続けて、私の心を離さないで」

 ユーノはなのはにキスをした。
 なのはは彼を迎え、身体に回していた腕を今度は彼の頭に回して、彼を拘束した。
 だから、自然とキスは長くなる。唇を重ねるだけの、子供のような、それだけのキスを永遠のように長く続ける。
 二人は離れない。彼らの影は重なったまま、二度と離れはしない。

「ねえ。ちょうだい、ゆーのくん」

 声が響く。病室ではなく、ユーノの頭に。
 唇は、離れていない。魔法を、念話を使ったから。

「ちょうだい?」

 熱く口付けを交わしたまま、なのはは蕩けるような声でユーノに甘える。
 彼女が欲しいものが何かはわかっている。だからユーノは、名残惜しかったけれど一度だけ唇を離した。

「もう。念話でもいいのに」

 けれど、なのはのことは離さない。抱きしめたまま、なのはの心音を感じる距離のまま。
 顔だけを、ほんの少し離して。真摯な瞳で彼女の瞳を見つめる。

「こうして、目を合わせて。そうやって伝えたかったから」

 ユーノの言葉に、拗ねたなのはが笑みを取り戻す。

「そっか。なら、それでもいいよ。真っ直ぐに私を見て、言葉以上に信じさせて」

 頷く。彼女の言葉にユーノは頷く。彼の頷きになのはも頷く。
 そうして、そうして。ユーノはゆっくりと、なのはのためだけの、なのはのためにある言葉。
 その言の葉を永遠にすると誓いながら、詠った。

「あいしてる、君をずっと」

 紡いだ詠は、返詠がなされる。

「あいしてるよ。わたしも、ずっと」

 そして二人の影は、再び一つになった。







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