先端が獰猛な獣の顎と化したチェーンバインドを屈んでやりすごし、続いて飛来した翡翠の魔力弾は横飛びに回避する。 耳をつんざくバインドの顎と魔力弾が背後にあった岩壁を盛大に削る音に背筋がそら寒くなりつつ、飛び込み後の着地硬直を無視して肉体に急前進を掛けた。 「フォトン――………ランサァアアアアアッ!」 風景が急速に後方へ流れる中、雷光を瞬かせる二つの光矢を浮かべた少女――アルフ――は、自身の突貫に合わせて魔力の雷矢を目前の敵に目掛けて放った。 初速から高速を持つ二条の閃光は、回避不能の弾丸となって敵――ユーノ・スクライア――に飛来するが、彼が展開したシールドによって難無く弾かれてしまう。 雷光の火花が花火のように舞い散った。 「単純な軌跡に単純な攻撃。これじゃ、面白味も何も無いよ」 いや―――返されて、しまう。 「あたしは元々全然これっぽっちも楽しくないよ……ッ」 元々自身が駆ける軌跡の外から放った魔法。返されたとしても角度の関係でそれらは耳元や足元を通過するだけに終わる。 元より、ダメージを期待していなかった魔法だ。 ただ、彼にシールドを展開させて一瞬でも足止めができればそれでよかった。 「あ、そう。ま、ボクもバトルジャンキーじゃないしね。戦いを楽しむって気持ちはそんなに持ってるわけじゃないよ」 余裕の表情を見せる彼まで、彼我距離は五歩。 その距離は自身にとって致命的であり、相手に取って絶好であった。 それが事実であることを裏付けるように、アルフの前に立つ彼はいつまでも余裕の表情を崩さない。 アルフが一歩一歩を必死に詰める様を嘲笑って、愉しんでいた。 「ほら。ほらっ。ほらっ! ほら……っ!」 五歩を埋めるための、一歩目。彼が浮かべた四つの魔力弾が、きっちりと半瞬の十分の一だけ間隔をズラして襲い掛かってきた。 それは全ては右足を狙っており、右足とは即ちアルフが前へ駆けるために地面へ踏み出そうとしている足だった。 「意地が悪いんだよ!」 既に踏み出され中空を這う足の、下ろす場所の選択。アルフにはそれが求められた。 最初に足を下ろそうとしていた場所はもう使えない。そこには、既に一発目の魔力弾が迫っている。 かと言って、着地点を微妙にずらそうと足先を向ければ二発目の魔力弾が足に合わせて軌跡を変え、先んじて目標地点に飛び込んでくる。 それは、もう一度試みた着地点の変更でも同じことが起こり、三発目の魔力弾がアルフが足を下ろそうとした場所に矛先を変える。 そして、二度の方向転換の末にアルフが足を下ろせる場所は一箇所しか残っていなかった。 「まずは右足、もらおうか」 最後の着地点に足先を向ける傍らで、アルフの思考には三つの選択肢が展開していた。 一つは、このまま足を下ろしてシールドを展開し、魔力弾を防ぐプランである。 しかし、そのためのシールドの展開には繊細な魔力運用が要求される。 大雑把な大きさのシールドを展開してしまえば、次の足を踏み出す際への障害となってしまう。 あるいは、シールドを展開したせいで足を止めてしまい集中砲火を受ける危険性もある。 「少女の姿じゃなければ、もしかしたらまた違った展開があったかもしれないのにね」 一つは、このまま足を下ろしてそのまま攻撃を喰らうプランである。 だが、それは即ち右足に負傷を抱えたまま敵と戦う道であり、攻撃手段のほとんどを肉弾戦闘に頼る自分では今後の展開が不利になりすぎる。 「煩いよ。少女だってアルフさんはすごいんだってことを教えてやるさ!」 残る、一つは。 「ラウンド――………」 アルフの足と地面の間に円環が広がり、茜色の魔力の粒が急速に一つの形を作ってゆく。 「………――シールド!」 そのまま 「へぇ。やるじゃないか」 最後の魔力弾は、もしもアルフが地に足を下ろしていたら彼女の足首を捉えたであろう場所を通り過ぎ、虚しく消えた。 空振りに終わった攻撃。しかし、仕掛けた当人は表情に明るさを差して楽しみを浮かべていた。 「あたしだって、ずっとフェイトと一緒に戦ってきたんだ。弱くはないさ。無茶するあの子を、守るためにね」 彼我の距離五歩を埋める、二歩目。 空に浮かべた足場を台にした分、全身の踏み込みは浅くなっていた。 次に出す左はそれを補うように深く足を下ろし、確実に地面を噛んで駆け飛ばなければならない。 でなければ、この突進は勢いを失って敵前で無様に死に体をさらすだろう。 「ふーん」 崩されれば加速が死に、そして敗北を決する重要な一歩。 何が何でも思いっきり踏み出さなければならないこの足を、目の前の男はあえて何もせずに見逃した。 「弱くはない、ね」 身構えていたが何も起こらず、拍子抜けしたアルフ。 だが、三歩目を踏み出そうとした瞬間に背筋にまるで電撃のような恐怖が走った。 「けれど、強くもないよね」 それは、警報。獣の素体を持ち、感覚に優れた彼女が持つ卓越した生存本能が打ち鳴らした、死への警鐘。 全身が総毛立ち、己の意思と無関係に肺に呼吸を放棄され、息が詰まる。 この足の踏み込みは黄泉への片道切符だ。 「ふふ」 アルフは、跳んだ。無理矢理に身体を捻って、彼の視界から逃れるように身体を投げ出した。 無理な制動に骨と筋肉が悲鳴を上げ、打ち付けるように地面に落ちた肩が肺を圧迫して強制的に空気を吐き出させる。それでも止まらず、横飛びの勢いを利用して地面を無様に転がってゆく。明らかに死に体を生む最も危惧していた動作。が、土埃に塗れる中でアルフは、この選択こそが正しいのだと認識していた。 「ああ、そうだね。確かに君は弱くはない。生きるためのセンスは中々のものみたいだね」 アルフが見た、彼女が飛ぶ前まで居た場所。そして、彼女が足を踏み出していたら居たはずの場所。 その空間が、無数に輝く翡翠の糸で無残に切り裂かれていた。 「攻性のね、バインド魔法なのさ。さっきの 敵――ユーノと信じたくない誰か――が糸に手を触れる。ミリより細い糸は、自らに触れた者の皮膚を浅く裂き、零れた血を全身に伝わせた。 翡翠に朱が混じり、ぬらぬらと光沢を放つ不気味な色へと変化する。 「ユーノ・スクライアはずっと研究してた。自分に合ったスタイルで高町なのはの助けとなる戦闘方法を。ずっと、ずっとね」 魔力で生んだ糸を消し、傷ついた指をペロリと舐める敵。 ちろりと蠢いた赤い舌が、どこまでも毒々しく思えた。 「それが反射魔法であるし、通信遮断の結界であるし、攻性バインド魔法であるし、他にも色々とね」 ユーノ――敵――が、アルフに向けて一歩を踏み出す。 たったの一挙動。足を前に踏み出すだけのその行為。 ただそれだけのことであるはずなのに、アルフには言葉にできぬ圧迫感が襲い掛かる。 息苦しい。 「彼の記憶を見させてもらったよ。随分と苦労してきたみたいだね、ほんと」 二歩、三歩、四歩。敵は語りながらアルフへ歩み寄る。 しかし不思議なことに、アルフと彼の距離が縮まることはなかった。 「何せボクが彼を動かせば、こうして並の魔導師を弄べて、エースだって敵じゃない」 彼とアルフの距離が縮まらない理由。 それに気づいてしまった時、アルフは自身の心臓が潰れてしまったように思えた。 「ああ、ユーノ・スクライア。君の努力は涙ぐましいよ」 考えてみれば、答えは簡単なことだった。 「ま。君が君である内は、君の努力はまったくの無駄だったわけだけどね」 彼が進む度、自分が後退っている。 単純で、簡素な、ただそれだけの話。 「でも、大丈夫。これからは君の身体は、君の魔法は、ボクが有効に活用してあげるから」 自分が彼を恐れている。ただ、それだけの話。 「ゆっくりとボクの中に消えな、ユーノ・スクライア。今日が君の命日で、ボクの誕生日だ」 元より、これは戦いではなかった。 ユーノを乗っ取った誰かが、自身を満足させる相手が現われるまでの余興として遊んでいただけだ。 だから彼は常に愉悦の笑みを浮かべ、緊張感を持ってはいなかった。否、そんなものは必要なかった。 「さて、と。高町なのはも来ないし、この遊びはそろそろお終いにしようかな」 彼はただ、目の前にある 「ふふ」 ユーノと呼べないユーノが指を打ち鳴らす。 するとどこからともなく無数の鎖が出現し、アルフは悲鳴を上げる暇すらなく捕縛されてしまう。 鎖は全身を這うように絡みつき、アルフの小さな身体をじりじりと締め上げていく。 「戦っていて思ったんだ。君の髪って綺麗だよね」 敵前で苦悶を見せることを良しとしないアルフが、せめてと気丈にユーノでないユーノを睨む中で。 彼はアルフに歩み寄り、その茜の髪に手を触れた。 「赤ってね、いい色だと思うんだ。そこには情熱が映っている。人の命の証が輝いているんだ」 五本の指で自分の髪を梳くように撫でた彼に、不快感を顕わにするアルフ。 けれど次の瞬間、その表情は凍りつく。 「だからボクは赤が―――血の紅が好きなんだ」 彼の爪がアルフの頭皮に食い込んだ。 逃れようともがいても、鎖に縛られている身では思うように動くことができない。 健気な抵抗を繰り返すアルフを嘲笑うように、彼の爪はアルフの頭皮を食い破ろうとしていた。 「趣味が、悪いんだよ」 吐き捨てるように叫ぶアルフ。 その言葉に、彼は意外にも彼は爪を離してしまった。 呆気に取られて一瞬だけ呆けるアルフ。 あろうことか、彼は微笑んだ。 「君の頭蓋は、潰そう」 その笑みは死神か。顔と言葉が全くの真逆を行き、そして言葉こそが彼の本心。 両の掌でアルフの頭部を挟み、最初は弱々しく、しかし時が経つにつれ万力のような圧力を彼女の頭部に掛ける。 「茜の髪は血の紅に染まればもっと綺麗になるよ?」 少女の体躯をしたアルフが、苦痛に小さく悲鳴を上げた。 目の前の敵を睨みながらも、どうしてもそれ以上のことができない。 魔法を発動させようにも魔力が結合しない。己を拘束している鎖に何か特異な付与効果があるのだろう。 「だから悪趣味なんだ……よ」 せめてと吐いた言葉は、万力をよけいに絞めさせる結果を生んだ。 それでも今生最後の言葉。アルフは、一瞬でも長く生きることよりも一つでも多く言葉を吐くことを選んだ。 「だいたい、人の身体を乗っ取ってなんだい。自分はどうした、自分は。人に寄生するしか能が無いなんて、最低も最低の底辺じゃないか」 みしっ、と。嫌な音が頭に響いた。 「あんたみたいなのはあれだね、ヒモだね。自活能力が無い、自律能力も無い、自分の足で立てない弱虫だね」 めきっ、と。骨が歪む音がする。 ああ、死ぬのかと……思った。 「とっととユーノから出ていけよ! あんたみたいな寄生虫にユーノはもったいなさすぎるし、あんたみたいなのにユーノは食い殺されないよ!」 このまま、死んでしまうなら。せめて言いたいことは全て言ってしまおう。 死ぬのが先か、喋り終わるのが先か、これがアルフ生涯最後の勝負だった。 「あいつは、あんたと違って自分の足で立っているんだ。そりゃ、へたれて多方面に迷惑を掛けたことはあるけれど、それでもあいつは今、自分で生き方を選んで、壁を乗り越えて、そんで自分の足で立ってるんだ! なのはのために、あいつは立ったんだ!」 そう、言い終わるのと。 万力の力がアルフの頭部を握り潰してしまえる時間に達するのは同時だった。 彼女の頭を挟む手が一瞬だけ停滞するのを感じるアルフ。それはきっと、最後のための予備動作。 でも、もういい。人生最後の勝負は勝ったから、アルフの心には満足感が訪れる。 大切な主フェイトを置いて逝ってしまうことが心残りで、このあとのユーノのことが心配だったけれど。 それでも、フェイトは彼女を任せられる人がいるし、ユーノだってなのはやそして彼自身の力できっと救える。救われる。 だから多分、大丈夫。 ―――だから後は、さよならだけ。 それだけを風に流してしまおうと口を開いて。 けれど、そういえばもう頭が潰れる時間だったかと気づき、別れの言葉を紡げられないことに悲しみを覚えた。 「さよなら」 なのに言葉を発せた気がしたのは、もしかしたら神様か誰かがサービスでくれたボーナスだったのかもしれない。 最後の最後の言葉まで語れたアルフは、もう心に何もを無くしてしまって。 そして、自身に襲い掛かった落下の感覚に身を任せた。 ―――ああ、死ぬってこんな感じなのかぁ。 なんて、場違いな感想を心に抱いて。 アルフは身体と共に意識をも落としていく。 ―――その、傍らで。 アルフの耳は声を拾った。 もしかしたら幻想かもしれない。 ありえないことかもしれない。 けれどアルフは、確かにその声を聞いた。 「さよならなんてまだ早いよ、アルフ」 そこに居て、けれど居ないはずの人間の声。 魔力に穏やかな翡翠の光を映し、言の葉に優しい色を乗せる青年。 ―――ユーノ・スクライアの声を、アルフは確かに聞いた。 それが夢でしかない、幻想だったとしても。 |