今日は二月の十四日。女の子が甘いお菓子を持って、男の子に想いを届けに行く日。 甘いお菓子はチョコレート。硬くて、やっぱりとっても甘い、幸せな気持ちになれるお菓子。 どうしてチョコレートは硬いの? それはきっとね、チョコートが想いなんだ。 チョコの硬さが気持ちの強さで、チョコの壊れやすさが不安の表れ。 だからチョコは硬いのに、力を入れれば砕けちゃう。 恋心は強くて、けれどいつも不安でいっぱいだから。 どうしてチョコレートは甘いの? チョコレートはね、女の子のためにあるんだ。 チョコレートはね、受け取ってもらえたら女の子に幸せを運ぶんだ。 チョコレートはね、届けられなかったら自分の甘さで女の子を慰めるんだ。 だからチョコレートは苦くなくて、辛くなくて、甘いんだ。 ああ、でも。 そんなチョコレートだけど。 粉々に砕けちゃったら、もう役目は果たせないよね? 想いを届けることも、自分が女の子を慰めることも、できなくなっちゃうんだから。 砕けてしまえば、あとにはなにも残らないよね。 ユーノチームが最深部に到着したという連絡から数分後、突然通信が使えなくなった。それはユーノのチームとも、アルフのチームとも。 突然のことに動揺する自分たちのチーム。みんながどうしたものかと議論を交わす中、高町なのはの心には信じたくない予感が訪れていた。 それは彼女が彼に近しいから感じたことで、だからこそ嘘であって欲しかった。 彼女が感じたことは、通信が行えなくなった理由。 いや、通信を行えなくした張本人の正体。 「とにかく、この通信妨害の結界が張られている中じゃ他のチームの状況が分からない。身動きの取りようがないから、一時戻るのも手だと思う」 傍らで繰り広げられる会議を半ば現実感の無いどこか別の場所で行われているもののように思いながら、なのはは自身に訪れた予感を振り払うように頭を振る。 遺跡全体を包む巨大な結界魔法なんて扱える人間が限られすぎているし、何より感じる魔力の波長がよく知ったものでありすぎる。 「けれど、他のチームが罠か何かに陥っているなら助けなければならない。戻ってからでは手遅れになるかもしれない」 結界の主がユーノ・スクライアだという予感が、高町なのはの心に焼け付く焦燥感を生み出す。 「高町教導官。貴女はどう思います?」 急に話しを振られ、なのはは慌てて身振りした。 彼女の仕草に何かを感じとったユーノの幼なじみが、苦笑しながら助け船を出す。 「このまま進むか、戻るか。貴女はどっちがいいと思う?」 その言葉に頷き。なのはは教導隊員として冷静になって考えた。 この場にいる教導隊員は自分を含めて四人。自分の隊の今日の編成は、自分が支援砲撃役で、あとの三人は中〜近接攻撃を主体としている。 狭い通路の中での戦闘では大きな回避軌道や大規模魔法は行えず、このフォールドは高速の戦闘速度と小規模かつ高威力を望めるタイプの魔導師こそたち得意としていた。 戦場的には、自分たちはそうそう悪くない。いや、むしろ有利なはずだ。 進むにしても、守るにしても、分は悪くないだろう。 「そうだねー……」 憂慮すべき点は遺跡に配置されているというトラップだが、それはスクライア一族の誰かがいればいい。 ただし、本格的な戦闘になった場合は彼らの全てを守ることは難しく、せいぜいが一人を守れるかどうかだ。 「私達教導隊は進んで、スクライア一族の人達は戻って。けど、私たちじゃトラップの解除ができないから、スクライア一族の人は一人だけ私たちに着いてきて欲しい。かな」 以上のことから弾き出した結論には、思考した以外のことが決定的な要素となっていた。 ただし、それは言葉を発した本人が気づいていなかった。 「それがいいわね。スクライア一族からは私が残るよ。みんなは帰って、それで無限書庫で一応この世界のことを調べておいて。もしかしたら何か見つかるかもしれないから」 ユーノの幼なじみが全面的な肯定の意を示した。 あっさりとした彼女の対応に何人かが驚いたが、彼女が瞳に浮かべた意思の強さを見て取りすぐに頷いた。 指針は、こうして決められた。 「行きましょう、教導隊のみなさん」 ユーノの幼馴染みが有無を言わさずに歩き出す。その後ろを着いていく形となった教導隊員たちと、彼らを見送るスクライア一族。 なのはも慌てて遅れて駆け出すと、ユーノの幼なじみから念話が届いた。 『ユー君のこと、心配だから。急ごう?』 届いた言葉には、すぐさま肯定の返事を渡した。 高町なのはが前進を決めた一番の理由は、ユーノだったのだから。 先ほどの予感のこともあるし、それに純粋に彼のことが心配だった。 「まだいくつかトラップがあるみたいだから、そんなに急いでは進めないけど……」 そう言いながら、ユーノの幼なじみはトラップ探知の魔法と解除の魔法を同時に発動させる。 彼女が発した光りは遺跡を照らし、そして行く手を阻む障害を見つけ、取り除いていった。 「早く、行きましょう」 なのはは、大きく頷いた。 早く行こう。予感を嘘だと信じるために。 そして、早く彼に会うために。 「にゃ、はは」 自分を元気付けようと思って発した笑いは、どうしても乾いたものにしかならなかった。 一秒が経つ度に、一歩を進む度に、焦燥感は身を焦がしていく。 そろそろ最深部に到着するはずなのに、そのそろそろがやってこない。 最後の最後を焦らされている感覚に、なのはは今にも悲鳴を上げそうになっていた。 「残りのトラップは、三つ。それを解除し終えたら最深部までは一直線のはずなので、教導隊の皆さんは一気に突入しても大丈夫です」 それでも叫びたい心をぐっと我慢しているのは、額に汗を浮かべて表情を苦痛で歪めている少女の姿があるから。 彼女――ユーノの幼なじみ――は、注げる以上の集中力全てを魔法の制御に使い、全速力で前に進むために精神力を削り続けていた。 彼女のそんな姿を見れば、喚きたてるなんてできるはずもないし……何より、邪魔をしてしまう。 「突撃のスタートは高町教導官の砲撃からだ。彼女の一射の後、残る我々三人で敵がいれば取り付く。何があるかは分からないから、不測の事態に備えて各自臨機応変に対応すること」 教導隊員の一人の言葉に他の皆が頷く。 大丈夫、自分達は精鋭魔導師部隊の戦技教導隊。 何があろうと対処できる、と。緊張感こそ走っているが彼らの表情はそう物語っている。 「はい。がんばります」 ただ一人、不安顔の高町なのはを除いて。 「トラップ、二つ解除しました。残りは一つです」 なのはの様子に気づいたのか、教導隊員の青年は複雑な表情を浮かべた後に、口を開いた。 「恋人の安否が気になっているのは分かる。だが、お前がそんな調子だと救えるものも救えないだろう? いつもみたいに“全力全壊!”なんて言ってなんでもふっ飛ばしてくれよ。大丈夫、俺たちは精鋭だ。何があろうが何とでもなるさ」 そのセリフと、最後のトラップが解除されるのは同時だった。 「おっと、突入の時間か。高町教導官、頼むぜ!」 なのはは……数拍の間を空けた後、確かに頷いた。 空に身体を浮かべ、通路の先を静かに見つめる。 「行くよ、レイジングハート」 主の言葉に、魔導師の杖は身体を魔導に適した形に変化させることで答えた。 「ユー君をよろしく」 送り出すユーノの幼なじみに、なのははしっかりと頷いた。 そして、空を翔け出した。 「もう一度確認するが、高町教導官の砲撃の後に三人で敵がいれば取り掛かる。もちろん、敵がいなければ高町教導官は砲撃をする必要はないぞ」 その他にも二、三の確認をし、そして出口が見えてくる。 資料によれば最深部はドーム型をしていて、少し窮屈ではあるが戦闘を行うにも問題が無いはずだった。 「高町なのは、行きます」 出口が近づくにつれ、先ほどの嫌な予感が脳を何度も過ぎるようになる。 でも、ユーノがそんなことをする理由がないし、利点もない。 彼は人を困らせて楽しむことも、人を傷つけて楽しむこともしないはずだから。 だから予感はきっと間違いで、絶対に嘘であるはず。 今の状況は遺跡のトラップか何かが作動していて、ユーノは、そう。一緒に教導隊員もいることだし、無事に守られているだろう。 ああ、彼に会ったら―――バレンタインチョコレートを渡さないと。 そして会えなかった二ヶ月分を埋めるために思いっきり甘えて、思いっきり抱き合って、ずっと、ずっとお話するんだ。 そんなことを思考の片隅に浮かべながら。 《Yes,My Master》 レイジングハートの声が、突撃の合図になった。 「ディバイ――………ィイイイイン!」 出口から飛び出し、手に握った砲の先端を最深部の内部で巡らす。 それに伴って視線も走らせ、一瞬の内に高町なのはは状況の把握を行う。 「バスタ…………え?」 意外に広いドームの中では、八人の教導隊員と五人のスクライア一族が倒れ伏していた。 スクライア一族は魔法か何かで一撃で仕留められたらしく、外傷も無く地面に転がっている。 酷いのは教導隊員で、バリアジャケットはぼろぼろなり、身体の所々には裂傷が見られ、関節がありえない方向に曲がっている者や、本来関節を持たない箇所がいくつも曲がっている者もいた。 だが、その中によく知った二つの姿がない。 その内の一つは親友の家族で、茜髪の少女。彼女は地には倒れていなかった。 何故なら、彼女はなのはの目の前でゆっくりと地面に落下していく途中だったから。 彼女が地面に落ち、彼女の体重に見合った軽い音が部屋に響き渡るまで、高町なのは凍りついたように動けなかった。 否、動きたくなかった。 自身にとっても大切な友人である茜髪の少女の前には、一人の青年が立っていた。 彼は彼女に何かしらの言葉を呟くと、新たな訪問者であるなのはに振り向いた。 その顔は自身がよく知る者のもので、しかし同時に誰のものでもないように感じた。 目前の現実にある、違和感。 それは何なんだろうと、ぼんやりとし始めた思考の中で考えてみた。 けれど答えは見つけられず、それどころか振り向いた彼の視線に射抜かれて息すらできなくなった。 「な、の、は」 高町なのはを見つめる青年は、一言一言を告げるのが重々しそうに、まるで自分の口が自らの意思に反して動くのを無理に捻じ伏せて喋っているように、三文字の言葉で空気を震わせる。 「に、げ、て」 その意味が、解らなかった。 「は、や、く」 身動きが取れない高町なのは。 告げたい言葉を受け取ってもらえない青年。 何もを生まない、もどかしい二人の時間。 「何をしているんだ高町教導官。敵は、中に居ないのか?」 それを打ち破ったのは、新たに部屋に突入した三人の侵入者だった。 「あ……」 なのはが小さく声を漏らす。 三人の教導隊員は青年を見つけると、彼の傍に寄っていく。 「君は無限書庫のユーノ・スクライア司書だね。この状況は何があってこうなったんだ? 誰か、敵がいるんだよな。教えてもらえないか?」 近寄ってくる教導隊員に怯えたように震える青年。 彼のそんな反応を訝しげに思った教導隊員の一人が彼との距離を一歩詰め。 「お前は、消えろよ」 そして、突如現われた翡翠色の細い糸に全身を切り裂かれた。 「な、何をするんだユーノ・スクライア!」 地に崩れ、紅の血溜まりを生み出す教導隊員。 仲間の無残な姿に激昂した教導隊員が、青年に制裁を加えるべく魔法を放つ。 牽制ではない。相手を打ち倒すための本気の魔法だ。 「煩い! 消えろ!」 しかしその魔法は彼と青年の間に生まれた壁に阻まれ、威力を消されるどころか倍して魔法を生んだ当人に襲い掛かる。 魔力が弾け、光の華が咲いた。 距離が近すぎたことと突然の不意打ちであったこともあり、教導隊員は魔法の直撃を受けて地に崩れ落ちる。 本気の魔法であったことが、彼の致命傷となった。 「消えてしまえよ。お前は、消えるんだ! 消え―――ろぉっ!」 不思議な、ことは。 頭を振って何かに苦しむ青年は、目の前にいる教導隊員をまったく見ていなく、どこかにいる何かに向けて言葉を発しているような仕草を見せていること。 「ユーノ・スクライア。お前を、拘束する!」 教導隊員の残った最後の一人は、青年との距離を空けて杖を構える。 そして、彼は青年の周囲に光弾を浮かべて取り囲んだ。 近寄れば翡翠の糸で断ち切られ、かと言って射撃魔法は反射され自らが傷つく結果を生んでしまう。 だからこそ、距離を離して周囲を魔法で取り囲む選択肢を取った教導隊員。 彼も仲間を打ち倒されたことで激昂していたが、流石に戦巧者としては冷静だった。 「煩いよ……―――ボクを、その名で呼ぶなっ!」 しかし、無力。 「そんなばかな!? チィッ」 獣の顎を持った鎖が中空を飛び交い、教導隊員が浮かべた魔力弾の悉くを喰らっていく。 始めて見る不可解な魔法に教導隊員は驚いたが、しかし行動を止めることはなく、まだ喰らわれていない魔力弾を青年に向けて一斉に放った。 「無駄なんだよぉっ!」 誘導弾とはいえ、精鋭魔導師である教導隊員が扱えばそれは高位の破壊力を持つ。 当然のことながら並の魔導師では受け止めることなぞできるはずも無いが、それを青年は防御魔法で弾いてみせる。 その上で誘導弾を全て鎖で喰らい、そして喰らうものがなくなった鎖は教導隊員目掛けて襲い掛かった。 「こ、の、」 攻撃性能を持つ――恐らくはチェーンバインドの亜種――を前に、教導隊員は一瞬の選択を迫られた。 即ち、通常の攻撃魔法と同じく防御魔法で対処すべきなのか、それともバインド魔法であるからして絡め取られぬように回避軌道に入るべきか。 刹那の思考の後、教導隊員は選択肢のどちらもを取る。 つまり、彼は防御魔法を展開しながら回避軌道に入った。 「、お、お、」 防御魔法で鎖を押し留め、万一防御を突破されても自分は別の場所に移動している。 そう考えて取った安全策だったが、教導隊員に安堵は訪れなかった。 「消え、ろ」 変わりに訪れたものは、激痛。 何がそれをもたらしたのかと首を巡らせると、彼が流した血によって紅の尾を引いた線のようなものが、彼が飛び込んだ方向に無数にあった。 血の飛沫を飛ばすと線はよく見え、それは透明ではあるが教導隊員の仲間を無残に切り裂いたものと同じ魔法だった。 予想するに、この場所に仕掛けておいたのだろう。とすると、己は罠がある場所へ誘い込まれていたのか。 完全な敗北。それに飲まれて自嘲した教導隊員に、防御魔法を突破した鎖が飛び込み――そこで彼の意識は途切れた。 「ユーノ……君?」 瞬く間に三人の教導隊員を打ち倒してしまった青年。 その姿は、自分――高町なのは――のよく知るもので。 「煩いよ、なのは」 そのナカミは、高町なのはが知る誰のものでもなかった。 そうだったから。彼を見た時に感じた違和感の正体が、ようやく解った。 「あなたは、だれ?」 愛した人の心が入った 「ユーノ君は、どこ?」 本来ならば。教導隊員やスクライア一族に対して非道を働いた彼を捕縛するため、高町なのはも戦わなければならなかった。 なのにそれをせず、いや、できず。高町なのはは震える指で必死にレイジングハートを離さないようにしながら、眼前に立つ誰かに向けて言葉を向ける。 その誰かは、浮かべていた苦悶の原因がようやく消えたようで。晴れやかな表情を見せていた。 「やっと消えたか、まったく。これで名乗ることができるよ」 彼は掛けていた眼鏡に手を掛けて、放り投げてしまう。 そうしてしまうと目が悪い彼は目の焦点が合わないはずなのに、不思議とそんな様子は感じ取れない。 「ボクは見ての通り、君がよく知っている人物さ」 彼が眼鏡を外すと、顔の印象はがらりと変わった。 彼は学者然とした、優しさを表情にまで滲み出させていた青年だった。 それが、整った鼻筋と鋭くなった目付きのせいか、なんだかコワイヒトに見えてくる。 自分の知らない、オソロシイだれか。 唯一知っているとしたら、それは自分が彼にプレゼントした緑色のリボン。 彼が自身の髪を留めているその帯だけが、自分の知る彼をもそこに留めている証のように映って。 「ユーノ・スクライア。それがボクの名前だよ、なのは」 彼が自らの髪の結び目に手を伸ばし、それを断ち切ったことが胸に針を突き刺した。 「知ってるでしょ?」 そうして、にこりと。いつもとなんら変わらぬ表情の動かし方をして、ユーノ・スクライアは笑った。 高町なのはが大好きなはずの優しい笑顔を作って、彼はなのはに笑いかけた。 それが、針を深く胸に押し込ませた。 「ま、なんだい。事情が変わってこっちの都合もあって、本当なら君と趣味的に一戦を交えたかったんだけど。そうも言ってられなくなってね」 知らない誰かが大切な彼の何もかもを塗りつぶしていく恐怖に、高町なのはは胸を抉られていた。 「悪いけど、なのは。死んでもらえるかな?」 ―――死んでもらえるかな? ユーノの声で紡がれた言葉に、なのははレイジングハートを取り落としてしまった。 「大丈夫。こっちも時間を掛けてられないし、ボクと君は恋人だったからね。あんまり苦しまないようにしてあげるよ」 風に吹かれるだけでも倒れてしまいそうななのはに。 弾けるように翔け、低空を地面を舐めるように疾走して充分な加速を付けたユーノが、迫る。 彼の拳はくすんだ翡翠に輝く魔力が宿っていて、それには何かしらの付与効果があるなと、高町なのはは停止した思考のどこかでぽつりと考えた。 「ま、ちょっとは啼いてもらうけどね」 ユーノがなのはの懐深くまで踏み込み、矢を放つ直前の弓のように引き絞るべく拳を大きく後ろに流す。 移動と加速で生じたエネルギーと、身体のバネが生み出すエネルギー。ユーノがその二つを合わせるべく溜めを作る中で、なのはの思考のどこかがぼんやりと考えていた。 ――私の目の前に、ユーノ君じゃないユーノ君がいるなら。 まるでスローモーションのように流れる時間の中で、高町なのはの思考は何かを考えている。 それは彼女の意思によるものではなく、半ば自動的に、事実を認識するために動いていた。 彼女のものである、彼女が考えようとして考えられる、彼女の思考は停止している。 ――ユーノ君なユーノ君はどこにいるの? 現実を認めることが嫌で、考えることを放棄してしまった。 それでも自動の思考が止まらないのは、彼女が教導隊員故の判断力を得たからか。 それとも、現実を用意した誰かの意地悪なのか。 ――ううん。もう、ユーノ君はどこにもいないんだよね。 拳が高町なのはの水月に突き刺さり、高町なのはは強烈な圧迫感に肺から空気を吐き出されながら、吹き飛んだ。 受身も取らずに地面に落ちると、どうやら後頭部を打ち付けたようで、目の前に星がちらついた。 さらに、身に纏うバリアジャケットの異常を感じた。どうやら彼が拳に纏わせていた魔力にそういった付与効果があったらしく、バリアジャケットを構成していた魔力は空中に溶けて霧散してしまった。 でも、もう、そんなことはどうでもよかった。 ――ああ。結局、会えないままで私たちは終わっちゃったなぁ。 足音が聞こえる。バリアジャケットを解除され、完全に生身となったなのはに最後を与えようと歩む彼の足音だ。 もしもそれが自分の愛した青年のものだったら、喜んで受け入れたかもしれない。 彼は絶対にそんなことはしないので、推論の中でしかないが。 《Master! Master――……ッ!》 レイジングハートが叫んでいる気がしたけど、もう耳には入ってこなかった。 音が聞こえ辛い。いいや、聞きたくない。世界にあるどんな情報も、もう欲しくない。 「悲鳴、上げないんだね。ま、いいか。そろそろ終わろう」 彼が絶対にしないこと。 それを彼の身体で行おうとしている彼は、誰だろう? そんな彼がいるってことは、大切な彼は消えてしまっているということで、もう嫌だ。考えたくない。 考えたくないのに、思考のどこかが勝手に動いて考え事をしてしまう。 「ばいばい、高町なのは。ボクのために、死んで」 振り上げられる手は、誰のものだったのだろう。 それは分からない。思考も、そのことについては考えない。 手が振り下ろされる中で考えたのは、他愛の無い。本当に他愛のないこと。 ――チョコレート、もう渡せないね。 もう、粉々に砕けてしまった。渡す相手も、渡すものも、何もかも。 だったらもういいやー……なんて。高町なのはは全てを受け入れ、瞳を閉じる。 「……ン………インド!」 でも、予想した衝撃はいつまでも訪れなかった。 その変わりに、聞くことを放棄した耳に騒がしい音が飛び込んでくる。 「……無駄…………った…………」 億劫に思いながらも瞼を開き、高町なのははその瞳を使って世界を見た。 そこには、腕をなのはに突き刺す直前で魔法の鎖に絡め取られた青年の姿があった。 鎖は茜髪の少女から伸びていて、苦痛に喘ぎながら彼女は青年を拘束していた。 「ユー君……?」 そこに、新たな来訪者が現われる。 やってきたのはユーノの幼なじみ。彼女は、この場の惨劇を目撃して……そして、理解が早かった。 「チェーンバインド!」 茜の少女を助けるように彼女も魔法を使い、青年の身体を鎖で縛る。 だが青年は憎々しげに悪態をつくと、苦も無く拘束を破壊してみせた。 「まったく。興が、殺がれたよ」 そう吐いて掌を上に向け、そして魔力を上方に向けて放出する。 ドーム状の天井にはいとも簡単に砕け、その向こうには空が覗く。 「仕方ないね。今日は見逃してあげる。けれど次は、ね」 そう言い残して、青年は空へと飛び上がった。 ユーノの幼なじみが慌てて魔法を放ち、それは青年を捉えはするが撃墜には至らなかった。小さな光が彼に引っかかっただけだ。 彼女はぺたりとその場に崩れ落ち、そして部屋にある惨劇を改めて見渡す。 ――獣人、一人。スクライア一族、五人。戦技教導隊、十二人。 合わせて十八人の重傷者がそこにいた。 それらの加害者は、全てユーノ・スクライア。 「治療、しないと」 現実を感じ取って悲鳴を上げる前に。 死者を生まぬよう、彼女は彼らに治癒魔法を掛け始めた。 ――この、事件。 無限書庫のスクライア一族を巻き込んだ、教導隊員に対する演習任務を発端とした、事件。 誰も予測をしていなかったこの悲劇は、今、ようやくその姿を見せようとしていた。 あとがき 間に二話を挟んだ久々のあとがきですこんばんわ。 今回で一応一区切り。遺跡探索が終了し、次回からは調査パートに入ります。 このあとがきでは、ここまでのミドルフェイズの情報整理を少々。 @ユーノについて。 はい。ユーノは何者かに乗っ取られました。 しかし、一度だけ肉体の支配権を奪い返しています。それは、アルフの頭を潰そうとした直前。 そこから、なのはに『にげて』と伝えた辺りのみユーノは支配権を取り戻し、そこからはユーノを乗っ取った誰かがユーノから支配権を奪い返そうともがいていました。 ユーノを乗っ取ったものが支配権を確実なものにしたのは自身を『ユーノ・スクライア』と呼んだ辺りから。 そして、彼がなのはを殺そうとした理由は。それは、ユーノが支配権を一時期でも取り戻した理由に掛かっていて…………。 A教導隊員について。 弱くない、弱くはないよ教導隊員。っていうか、レベル的にはなのはさんと同レベルくらいあるはずだよ! ただ、相手の手が既知の外すぎたせいで対応し切れずそのまま押し切られたのだとか。 恐らく次に戦えば勝つかどうかは不明としてもこれほどあっさりはやられません。 でも、精鋭はやられるために存在しているので多分やられます。 『ここは俺たち精鋭に任せろうわーやられたー』それが精鋭のお仕事故っ。 とりあえず、こんなもん? 冒頭で言ったように、次回からは調査パートに入ります。 調査パートはアルフと、遺跡パートではあまり出番の無かったレイハさんの出番、のはず。 なのはさんはちょっとお疲れモードでお休みです。がんばれ、主人公。 でわでわ。 お次の話も早めに届けようと心に誓いつつ、またーですー。 |