幸いなことに。身体がバリアジャケットで守られていたこともあって、高町なのはは軽傷で済んでいた。
 ただし、彼女以外のほとんどは瀕死の重傷を負っており、特になのはと一緒に居た教導隊員たちが最も酷い怪我を負っていた。
 ユーノの幼なじみが行った応急処置的な回復魔法のおかげで死者が出ることはなかったが、それでも心に暗い影を落す事件であったことに変わりはない。

「ゆーのくんが、いないよー?」

 特、に。膝を抱えて部屋の片隅でうずくまる高町なのはは重症だった。

「どこにも、いないよー?」

 遺跡のある第九百管理世界から近く医療設備の整ったミッドチルダまで引き上げてから、三時間。
 高町なのはは合鍵を用いてユーノの部屋に篭ってしまい、ずっとこの調子だった。

「ここでまってたら、かえってきてくれるかなぁ?」

 その問いに答える者はいない。なのはも、たった一人を除いてその問いには答えて欲しくない。
 けれど答えて欲しい人は、この部屋の主は、もう戻ってくることはない。
 掌の中にある――無残に千切れて放られていたのを拾った――緑色のリボンを見つめ、高町なのははぼんやりと瞳の焦点を外していった。
 世界が二つに分かれ、中途半端に重なり、ものがよく見えなくなった。

「にゃははー」

 なのにリボンの酷い有様だけは認識できてしまい、目を開いていることが嫌になったなのはは瞼を閉じた。
 そうして瞼に掌底を押し当て、何かしらを思案する。

「ゆーのくんがかえってきてくれないならー」

 ぐっと力を入れると、瞳という柔らかな器官はすぐに悲鳴を上げた。
 圧迫感に眼球がはみ出しそうになる。ぐしゃぐしゃになってしまえばみっともない飛沫を散らすことになるだろうが、身を繕っていたい相手はもういない。

「つぶしちゃってもいいよね?」

 そんな世界、見たくないから。と。
 小さく呟いて、なのはは、もうためらう気がなかった。

「つぶれちゃえ」

 ぐしゃり、と。
 柔らかすぎる上に守る骨を持たないこの器官は、いとも簡単に潰れてしまう。
 そうすれば瞳は世界に存在するたった一つの色だけを映す優秀な器官になる。
 世界を見たくない彼女からすれば最も望む、黒という一色を映すのみの器官に。

《やめてください、マスター》

 こうして制止する声が無ければ、高町なのはの世界は黒一色になっていただろう。

《そんな恐ろしいこと、しないでください》

 そんな恐ろしいことを、高町なのはは望んでいたのだから。

「なんでー? だって、あってもなくてもゆーのくんをみれないんだよー? だったら、いらないじゃない」

 舌っ足らずに喋る主に、レイジングハートは涙を流したくなった。
 けれどデバイスという身の上ではそんなことは不可能で、代わりに彼女は言葉を零した。

《いいえ、絶対に必要になります。だって、見えない瞳で何を見つけられるんですか》

 大好きな主に、太陽のような人に、立ち直ってもらうために。
 いつもの彼女に戻ってもらうために、回路にたくさんの電流を流して、レイジングハートは必死に考えて、説得を試みた。

《私たちは探さなければならないんです》

 考えたことは、これからしなければならないこと。
 主を前に動かし、砕けたものを取り戻すための指針。

《ユーノ・スクライアを助けるために》

 それがしなければならないこと。
 それこそがすべきこと。

「なにをいっているのかなぁ?」

 なのに。

「どこにもいないゆーのくんを、どうやってたすければいいの?」

 詰まった。手も、言葉も、完全に詰まった。
 なのはは思っている。ユーノが“どこかに行った”のではなく“消えてしまった”と思っている。
 それを引っくり返さない限りどうしようもない、のに。

《それは……。か、必ず方法はあるはずです!》

 その手段を、決定打を、自分は持ち合わせていない。
 だから自分にはどうしようもない。
 レイジングハートは悲嘆にくれ、胸の内で泣いた。

「今は何を言ったって無駄だよ、レイジングハート」

 自分と主以外は居ない部屋に、第三者の声が飛び込んできた。
 それは、幼い少女の声。茜色の髪を流した、よく知った少女の声。
 彼女はダンボール箱を抱えていて、開いたドアを足で閉めた。

「なのは。あんたの部屋からね、ユーノと文通した手紙とか記録ディスクとかを持ってきたよ。ちょいとこいつを見てみるのはどうだい?」

 言いながら記録ディスクを起動させると、そこにはユーノの姿が映った。
 今よりも随分と幼い、なのはと出会った九歳前後の頃であろうか。

「あ、ゆーのくんだぁ……♪」

 ディスクの映像を、なのはは幸せそうに眺めていた。
 欲しかったものがそこにあるという満足感に身を浸して、だらしない笑みを浮かべて喜んでいた。
 そんな彼女に気づかれぬようにレイジングハートを取り外すと、アルフは宝玉の彼女にだけ聞こえるように小声で呟いた。

「これでしばらくは大丈夫だろ。その間に、調べに行くよ」

 何を、でしょう。レイジングハートは疑問に思う。
 けれどその疑問はすぐに解を得て、彼女は頷いた。

「情報を、さ。あたしらはまだ、何も知らなさすぎるんだよ」

 ユーノを助けるため。なのはを救うため。

「ゆーのくぅん……♪」

 楽しげに髪を揺らすなのはを部屋に置き、一人と一杖は闇に覆われて欠片も見えない真実を求めて歩み始めた。
 そこに救いがある確証はない、けど。










 なのはの部屋を出て、扉を閉める。
 廊下は閑散としていて、歩き出してもすれ違う誰かはいなかった。

《私、役立たずでした》

 そのことが。他人に声を聞かれないことが多少の開放感を生んだのか。
 レイジングハートはアルフの手の中で、ぽつりと零した。

《マスターを元気付けてあげたかった。前を向いて欲しかった。なのに……》

 どうやら主を励ませなかったことがショックで、精神的ダメージを受けているようだった。
 アルフは、それなりに長い付き合いの中で意外と落ち込みやすい彼女にも慣れたのか、苦笑いを浮かべて彼女を励ました。

「これからがんばればいいじゃないか」

 それは紛れも無いアルフの本心だった。

「さっきも言ったように、あたしらはまだ何も知らない。どうしてユーノが乗っ取られたんだとか、なんであんなに強かったのか、とかね」

 アルフの言葉にレイジングハートは肯定の意を示す。
 しかしやりきれないものがあるようで、そんな彼女にアルフはやっぱり苦笑した。

「どんなに深い闇の中だって、どこかに光はあるはずなんだ。そうだろう?」

 彼女の言葉に再び肯定の意を示すも、やはりどこかやりきれない様子のレイジングハート。
 そんな彼女を前に、アルフは続ける。

「そういうのを教えてくれるのが――アンタの主、だったろ? あの子がそれを忘れたなら、アンタが思い出させてやればいいさ」

 それはわかっているけれど……。とでも言いたげに、レイジングハートは弱々しく明滅した。
 指針はあれども手段がないことが、彼女の心を病ませていた。

「まだ手段は見えない。けれど、糸口はいくつかある」

 アルフの言葉にはっとして強く光るレイジングハート。
 自分の言葉に彼女が興味を示したことを確認して、アルフはにっと笑った。

「まずは、遺跡任務の責任者らしいクロノだ。今回の任務は不可解なことが多すぎたから取っちめて裏を吐かせてやる。もしかしたらそれが、真実に繋がるかもしれないよ」

 そして、心なしか小走りになって廊下を行くアルフ。
 普段なら廊下は走っちゃダメですと咎める真面目なレイジングハートだが、今日はそんなことを言う気はなかった。

《そうですね……》

 むしろ、急いで欲しかった。
 解決のための何かがあるなら、早く。
 まだ沈んだままのレイジングハートだったが、その気持ちはアルフが急くを要求するほどに……前に、向き始めていた。






あとがき

 それは小さなシーン。み、短いのは仕様だよ!(挨拶)
 なのはさんは落ち込みました。落ち込んだって言葉だと形容し切れないんじゃってくらい落ち込みました。
 それに引きずられてレイハさんも落ち込みました。二人だけだと重症です。

  そこに登場したアルフ。

 彼女と、彼女に連れていかれたレイジングハートがこの調査パートの主役です。
 ただ、頭に包帯を巻いたままということから見て取れるように、アルフは本来ならベッドの上にいるべきで。ちょっと無理中。

  でも、みんなのおねーさんは無理しなきゃいけないこともあるんだって。

 いや、年齢的にはアルフが一番下なんですけどねっ。
 でも、そう、なのは。きっと彼女が周りの問題で苦労したから、かな。

  さてさて。

 お次は調査パートその2。クロノに質問編+1です。
 ではでは、お次の話でお会いしましょうっ。






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