クロノ・ハラオウン。彼は高位の戦闘魔導師であり、時空管理局提督という要職に就く青年である。
 老練な他の提督に比べてしまうとまだ未熟な部分も多い若造だが、経験を経た落ち着きを得て近年では要職に負けぬ働きを見せていた。
 管理局での立ち位置もあってか、最近では重要度の高い案件を任されることも増えてきている。

「そろそろ来る頃だと思っていたよ」

 今回の、時空管理局戦技教導隊と無限書庫所属スクライア一族を用いた遺跡探索任務の責任者。それも彼、クロノ・ハラオウンだった。
 補佐官に来訪者と自分向けの茶を注がせた後に退室を指示し、彼は来訪者を改めて見つめた。

「なのはは……いないんだな」

 場は、重苦しい空気が圧し掛かっていた。

「なのはを元に戻すためにも、さ。教えて欲しいことがあるんだよ」

 しかしその空気に負けず、静かな口調でアルフが口火を切る。

《明らかな過剰戦力を運用した今回の任務の真意。お聞かせ願います》

 アルフの手元で光る紅の宝玉は、レイジングハート。

「やっぱり、そこから話すべきか」

 彼女たちの言葉を受け、クロノはコンソールを操作して一つの資料を表示させた。
 そこには年表のようなものが載っていて、どうやら教導隊に関するもののようだった。

「数年に一度。特に新人たちに向けて、気を引き締めるようにと難易度の高い任務を下すんだ。もちろん、本当は演習であることは伏せてある」

 確かに、数年ごとに『演習任務実施』という文字が書かれていた。

「今回は遺跡をダンジョン化させた副局長の難易度設定ミスで随分と簡単な任務になってしまったから、あまり役には立たなかったようだけどな」

 年表資料をしまうと、今度はクロノは別の資料を取り出した。

「これは、任務に使用した遺跡の見取り図だ。あの遺跡の解析は数年前には終了していてな。だからこそ今回の演習場に選ばれたわけだが」

 広げられた資料には三つのルートに仕掛けられたトラップと、それらが伸び合流する地点にあるドーム状の部屋の詳細が記載されていた。

「見ての通り、完全に解析した上で自分たちの手を入れた、遺跡とも言えない場所だ。まさか、あんなことが起こるだなんて思わなかった」

 そこまでを言い終えて、クロノは補佐官に注がせた茶を啜る。
 まだ熱さが残る緑色の液体が喉を通る感覚に、僅かにクロノは顔をしかめた。

「なら、遺跡の最深部にあるって話のロストロギアは何だったんだい?」

 アルフの問いに、クロノは湯のみを置いてこれまた別の資料を引っ張り出してくる。

「最深部に置いていたものはただの玩具だ。蒼い色の宝玉でな。副局長が用意したものなんだ。見た目はこの通り」

 彼が広げた資料には、確かに透き通った蒼い宝玉が描かれていた。
 そこには宝玉を構成する物質も事細かに記載されており、それらはどう組み合わせても人を乗っ取るなどといった特異な事態を招くとは思えなかった。

「なら、ユーノはどうしてあんたことになっちまったのさ」

 手がかりが、無い。
 その言葉が脳裏をちらつき、アルフの背筋に嫌な汗が流れ出した。

「すまない」

 その先は言わないでくれ。と。
 叫びたい気持ちを抑えて、アルフはじっとクロノの言葉を待った。

「僕ら上層部は、まだそれに関する情報を持っていない」

 打つ手無し。
 自らを支えていた希望という細い糸が断ち切られ、そのまま落下してしまいたい気分に囚われてしまった。
 それはアルフも、レイジングハートも。

「すまない。僕は君たちを助けてやることができない」

 もしかしたらクロノもそれに囚われたかもしれなかった。

「あの任務は演習だ。遺跡の中は監視カメラを設置していたから、その映像くらいはある。今は理由あって無限書庫に預けてあるから、そちらを訪ねてくれないか? もしかしたら、何か手掛かりが見つかるかもしれない」

 そう告げるクロノ自身が本心からそう思っているようには、感じられなかった。諦めは色濃いもので、もしかしたら既にその映像を擦り切れるほど見ているのかもしれない。
 彼にとって、言葉にはしなくてもユーノは親友で。だからこそ、心配であるはずだった。

「監視カメラの映像がある。無限書庫に、行ってくれ。僕は何も言うことができない」

 アルフは頷き、出された茶を一気に飲み込んで席を立った。
 少し温くなっていた茶は、猫舌ならぬ犬舌であるアルフにはちょうど良かった。

「ありがとよ、クロノ。それじゃ!」

 無いかもしれない希望に向かって駆け出していくアルフ。
 その背を見送って、クロノは深い溜息を付いた。

「監視カメラの映像がある……」

 見上げれば、部屋の角に設置された物体が目に映る。
 それは防犯のために設置されたものであり、同時に監視のために設置されているもの。

「僕は、何も言うことができない」

 そう呟いて、クロノは仕事に取り掛かった。
 机の上に広げられた無数の書類を処理することが、彼の今の仕事に他ならない。
 もう一度溜め息を付いて、クロノは筆を走らせ始める。

「偉くなるってのも考えものだな」

 監視カメラに届かぬよう、小さな小さな声で呟き。

「しかし」

 ぴたりと、筆を止める。
 思ったことに頭を抱え、その表情には苦悶を浮かべていた。

「もしも今のままなら、管理局はユーノを……」

 腹立たしく、そして望まない結末。
 それに向けて今の管理局が動こうとしていることを、クロノは知っていた。
 それは、無限書庫にありクロノが上に報告していない資料を見れば確定になってしまうだろうことも……クロノは、知っていた。

「世界はこんなはずじゃないことばっかり、か」

 昔、自分が言い放った言葉を思い出し。

巫山戯ふざける、な」

 若き提督は、世のままならなさに怒りを向けていた。










 街が電飾に彩られ、降りゆく雪の中で恋人同士が愛を確かめ合う日。
 クリスマス・イブと呼ばれるその日、ユーノ・スクライアは街中を全力で走っていた。
 約束の時間を告げてから時計の長針は三度も回転し、それは一人でいるには寒すぎるこの日に彼女を三時間も待たせてしまっているということだった。
 彼の心は焦り、その焦りが駆ける彼の足を急かせる。

「この角を曲がれば、待ち合わせ場所だ」

 どうしても仕事を抜けられず、そのせいで彼女に何時間も待ちぼうけをくらわせてしまった。
 本来なら愛想をつかされても仕方のない、愚かな愚かな行為。
 彼女が待っているはずはない。本来なら、ありえない。
 それなのに彼が走るのは、一本の電話があったからだった。
 短い言葉のみを告げられたそれは、彼にとってある種の救いだった。

『待ってる、から』

 たったそれだけの言葉を聞いたから、彼はこうして限界まで身体を酷使して走っている。
 翌日の筋肉痛は避けられないと予想しつつ、そんなことは記憶の片隅からも蹴り出して。
 彼は、ユーノ・スクライアは、一心不乱に約束の待ち合わせ場所まで駆けていた。

「遅いよ、ユーノ君」

 鐘の音が鳴った。
 それは日付が変わったことを示す音で、ユーノが約束の日の間に彼女の下へ辿り着けなかったことを示していた。
 ユーノは彼女に、高町なのはに謝ろうとする。
 しかし、全力で走ってきたばかりの身体は上手く言葉を吐かせてくれず、代わりに肺に溜まった空気が漏れ出た。

「すっごく、遅かった。私、寒かったよ。凍えそうだった。身体、冷えちゃった。もう、寒いんだぁ」

 ほら、と。なのはの掌がユーノの頬に触れる。
 その手は氷のように冷たかった。

「それなら、ボクが温めるよ。君が凍えたら、ボクが温める。いや、ボクが遅れたのが悪いんだけどね」

 あはは、と。ばつが悪そうに笑いながら。ユーノはなのはの手を握った。
 けれど、彼女の手に触れても、彼女の手を握っても、そうしてどれだけの時間が過ぎても、彼女の手は温まってくれなかった。

「無理だよー」

 なのはは繋いでいた手を解き、そして自らの頬を両手で挟んだ。
 そのなんのことはない行為が―――ユーノの頭に、割れるような警鐘を鳴らす。
 見てはいけない、と。聞いてはいけない、と。何でもないはずの光景に対して、ユーノの頭のどこかが叫んでいた。

「だって、なのは。ずっと。ずぅっと待ってたせいでね?」

 なのに彼女から目が離せなくて。
 むしろ普段よりも注意して見るようになって。

「ほら。もう、死んじゃってる」

 ぐらり、と。なのはの首だけが傾いで、雪が敷き詰められた地面の上を転がった。
 注視していたユーノは、一瞬に引き伸ばされたヒトコマヒトコマをくっきりと目に焼きつけてしまった。

「あはは。ごめんねユーノ君。なのは、死んじゃった」

 首と胴が別れるところも。首と、胴の、その真っ赤な切断面も。
 紅の尾を引いて真っ白な雪に落ちた首の、その転がり一つでさえも。

「でもね、大丈夫。ユーノ君が悪わけじゃないんだよ? なのはがね、なのはが悪いの。あんまりにユーノ君が来ないから、捨てられちゃったんじゃないかって思ってね。ユーノ君がそんなことするはずがないのにね」

 地面に落ち、流れ落ちる赤で白を染めていきながら。
 高町なのはの口は止まることを知らず、むしろその動きを激しくしていった。

「けどね、信じられなかった。なのは、ユーノ君を信じられなかった。だから、死んじゃったぁ……♪」

 くすくすと笑い。愉快そうに笑い。楽しげに笑い。そして最後の言葉を告げた。

「来てくれてありがとう、ユーノ君。それと、弱いなのはでごめんね。ばいばい」

 そうして。
 瞳から光を失い、目の前にいる高町なのはは停止してしまった。
 首の無かった胴体が、重い音を立てて地面に倒れる。

「ぅ……ぁ……」

 それは言葉にできない光景だった。
 ただ、どくどくと血を吐き出し続ける肉体だけが残った、陰惨な景色だけがあった。
 それを前にしてユーノ・スクライアは崩れ落ち、何かを吐いて何かを流した。
 それが何だったかは分からない。
 そんな時間を延々と続けた。

  延々と、延々と続けた。

 その間にも雪は降り。とうとうそこにいたはずの彼女を埋め尽くしてしまう。
 後には不自然に盛り上がった地面ができあがり、やがてそれも消えてしまった。
 そこにはもう、ユーノ・スクライアしか残っていない。

「やあ、ユーノ・スクライア」

 だから彼は現われた。
 嘆きを叫ぶユーノ・スクライアの目の前に、彼は現われた。

「世界ってのは無情だよね。君の親友の言葉になるけど、こんなはずじゃないことばっかりだ。君は待ち合わせの時間に少し遅刻しただけなのにね」

 柔らかな金の髪を流し、穏やかな翡翠を瞳に浮かべた青年。
 差異があるとすれば眼鏡を掛けていないことと、髪をリボンで纏めていないことだけの。

「ああ―――無情だよ。本当に、ね」

 ユーノ・スクライアがそこにいた。

「何だよ、お前、は」

 顔を伏せったまま、喋るのすら億劫なユーノが口を開いた。
 その問いに彼は天使のような笑みを見せた。

「君から君を貰うことで君を救う。君への救済さ」

 その慈愛に満ちた言葉がユーノの胸を刺し、不快感からユーノは顔を上げた。

「悪趣味」

 そこにあった自らと瓜二つの顔に、悪態を付いた。

「そうかい? 楽しんでもらえると思ったんだけどね」

 新たに現われたユーノが左右の手を振るうと、そこには首と胴が別れた高町なのはが握られていた。
 血をすっかり吐きつくしたのか土気色をしたそれを、重いねと言って彼は投げ捨てる。

「ああ、悪い悪い。そうか、そうだったね」

 恋人の身体への無体な行為を咎めるユーノの視線なんて気にした素振りも見せず。
 彼は笑って、そして喋った。

「愉しいかったのはボクの方だったよ」

 堪忍袋の緒が切れたユーノは目の前の敵に向かって殴りかかっていた。

「おお、怖い怖い。でもね、無駄だよ」

 怒りが篭ったユーノの拳。それを、軽く半身を捻らせるだけで避けてしまう彼。
 そして、体勢の崩れたユーノにお返しとばかりに拳を叩き込んだ。
 あまりに重い一撃にユーノは地面に崩れ落ち、吐くような咳をして苦しみに悶えた。

「ボクはね、君の身体が欲しいのさ」

 打ち込まれた拳の威力が効いているのか思うように身体が動かせないユーノを見下ろし、彼は勝手に言葉を投げる。
 それは悉くユーノにぶつかり、その全ては彼の神経を逆撫でした。

「君程度の魔導師は掃いて捨てるほどいるから、最初はもっと強力な身体を見つけるまでの繋ぎにしようと思っていたんだけど」

 大仰な身振りをして雪空を見上げ、そして彼は一人にだけ聞かせる演説を語る。

「中々どうして、君の身体は面白い。君が研究していたオリジナル魔法は興味深いし、無限書庫にいたおかげで知識も豊富だ。資料で閲覧した古代魔法のデーターまである」

 両腕を広げ、雄弁を行う彼。

「ボクは君の身体が気に入った。君の身体はボクが使うに相応しい」

 勝手な理論は勝手な言葉を紡ぎ、勝手に終わる。

「だから君の身体はボクが貰う」

 当然怒りを覚え、再び彼に殴りかかろうとするユーノ。
 そんな彼の全身を、彼がバインドの鎖で拘束した。

「君には、さっき見たような幻影をまた見せてあげるよ。何度も、何度もね」

 くすくすと笑い、そして彼の身体は雪に溶けていく。

「君の心が壊れるまで、永遠に。幻影を見なくなる時は、この身体が完全にボクのものになる時さ」

 形が消えても声だけが響く。
 その不快感にユーノが顔をしかめると、その場に新たな人物の訪れを告げる足音が響いた。

「せいぜい耐えてよ。ボクは君の心がだんだんと壊れていく様を観察しててあげるからさ。酒の肴にでもね」

 それは今し方死んだはずの少女。
 高町なのはが、そこにいた。

「ゆーのくぅん……♪」

 拘束されたままの彼に、甘える猫のように擦り寄るなのは。
 可愛らしい彼女の姿に一瞬だけ気を許しそうになるも、すぐに気を引き締めて。

「そんな怖い顔、しないで? 雪の中で待たせちゃったのは悪かったけど……ユーノ君にそんな顔をされると、悲しいよ」

 ……毅然とした表情で拒絶の言葉を告げると、高町なのはは悲しみを表情いっぱいに浮かべた。
 目の前にあるのが全て幻影だと分かっていても、ユーノの心に痛みが走る。

「なのはが悪いんだよね。そうだよね。ごめんね、ごめんねユーノ君」

 彼女は彼の頭に手を回し、涙を流しながら彼の唇に自らのそれを押し当てる。
 突然のことに戸惑うユーノ。唇を離し、泣き顔で謝るなのは。

「えへへ、ごめんね。今のキスがなのはの最後のわがままにするから。ごめんねユーノ君」

 そうして彼女はポケットからカッターナイフを取り出して。

「なのはね、ユーノ君のこと大好きだったよ。いけないなのはだけど、これだけは信じて欲しいな。それじゃ……さよなら」

 雪と、彼の服に。紅の飛沫を飛ばして命を果てさせた。

「やめろよ…………」

 鎖が解け、その場に膝を付くユーノ。

「どうしたのユーノ君。どこか、苦しいの?」

 そこに、新たな高町なのはが訪れ。

「なのははどうしたらいいのかな。どうしたらユーノ君が苦しいのを助けてあげられるのかな?」

 やめて、と。ユーノが叫んだ。

「あ、そうだ。なのはも苦しめば、そうすればどうすればいいかわかるよね?」

 伸ばそうとした手は酷く重くて、彼女の行為を止めるには動作が遅すぎた。

「あ…………」

 事切れて冷たくなった彼女にだけ手が届き。
 そして、涙する間もなく次の高町なのはが現われる。

「やめて、くれよ」

 ―――ボクはね、君の身体が欲しいのさ。

「やめろよ」

 ―――だから君の身体はボクが貰う。

「やめろよ!」

 ―――幻影をまた見せてあげるよ。何度も、何度もね

「やめて……くれよ……」

 ―――君の心が壊れるまで、永遠に。





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