絶え間無くユーノを襲い続ける幻影。それが現われる度に傷付くユーノの心。
 まだ降り止まぬ雪の中に倒れ、ユーノは痛いくらいに拳を握って、奥歯を噛み締めて、襲い来る傷みに耐え続けていた。
 時間の感覚は、おそらく異様に狂っている。
 何故ならもう千年も経過した気になっており、それはそのまま苦痛の時間だった。

「がんばるね、君」

 次はどんななのはが現われて、どんな風に死んでいくのだろう?
 それを、どんな風に押し留めようとして……そして、誤って死なせてしまうのだろう。
 そんなことを考えていると、予想とは違う人物が現われた。

「当たり前、だろ」

 自分と同じ容姿を持った、自分を苦しめる張本人。
 名も知らぬ我が身の侵略者がそこにいた。

「何が当たり前なのかな。君は支配権を取り戻せはしないのに、何で無様に足掻き続けるのさ」

 全身が凍え、立ち上がることができないユーノは……精一杯、眼前の敵を睨む。

「遺跡の中で、一度は身体を奪い返した。だから、もう一度だってやってのけられる。君から取り戻すことだって、できなくはない」

 諦めた様子の無いユーノ。そんな彼に、彼を乗っ取る外敵は呆れたように肩を竦めた。
 雪の中を朗らかに歩き、そして中空にスクリーンのようなものを浮かべる。

「あの時の君は“なのは”という言葉に反応してボクから支配権を取り戻した。おかげで一人殺し損なったね」

 スクリーンには荒野が映し出されていた。

「なるほど、君にとって高町なのはは何よりも心を強くする存在なのかもしれない」

 スクリーンの映像が切り替わる。
 そこには二つの人影が荒野に向かって進んでいる映像が映っていた。

「だからボクは支配権をより確実なものにするために彼女を殺そうとして、ま、興が殺げてやめたんだけどね」

 一人は、茜髪の少女。頭に巻いた包帯が痛々しかった。
 だが彼女は、痛みなんて無いようにしっかりとした足取りで空を翔けている。

「でもほら、彼女はまたやってきた」

 そしてもう一人は、栗毛のツインテールを揺らした白い少女。
 金色の飾りを持つ桜色の杖を握り、真っ直ぐな瞳を前に向けて空を飛んでいた。

「これって、チャンスだよね?」

 彼女たちがどこに向かっているか。それは荒野である。
 では荒野とはどこの荒野なのか。
 それは、彼らの肉体が居る場所に他ならない。

「ここで幻影なんかじゃなく本当に高町なのはを殺せば、君は壊れてしまうよね」

 くくく、と。低く笑う肉体の支配権を持つユーノ。
 心のみになったユーノは彼を睨み、そして叫んだ。

「なのはは負けない! 君には負けない! ボクだって、みすみす君に消されるような真似はしないっ!」

 きっぱりと言い放つユーノ。
 その裏に根拠なんてないはずなのに、揺るがず、誰にも揺るがせられない強さを持った言葉。

巫山戯ふざけるなよ」

 侵略者は、サポートブレインは、その言葉に不快感を顕わにした。

「現に今まで肉体を取り戻せなかった輩が何を言う。何もできないくせに、何を言う」

 地面に横たわるユーノの腹を蹴り、踏み、もう一度蹴り飛ばす。

「現に教導隊員はボクに歯が立たなかった。高町なのはとて人間だ。他の教導隊員と実力はそう変わるものではないし、個人で軍勢をも相手取るボクに勝つなんて不可能だ」

 ユーノは雪のクッションを転がされるままに転がり、げぼりと咳を吐いて空気を求めた。
 それを許さぬとサポートブレインは再び彼を踏みつける。

「君たちは何もできない。ボクを前にして何もできない。ただ折れ、砕けるだけだ」

 足蹴にしたユーノを見下ろし、見下し、サポートブレインは踵をユーノの腹に打ち込んだ。
 息を強制的に吐き出され、驚いたユーノの肺は激しい咳をした。

「この世に奇跡は起きないし、絶望に覆われれば希望はその輝きを失う。それが現実だ。それは、論理存在であるボクこそが魔法を効率的かつ高度に扱えることが証明している」

 最後に蹴りを放ってから、苛立ったサポートブレインは天を仰いだ。
 空には巨大なスクリーンが出現し、恐らく戦場となる荒野全体を映し出していた。

「そこで見ていなよ。高町なのはは死ぬ。ボクが殺す。何もできない君は、そこで彼女が骸となる様を眺めているがいいよ」

 言い放ち、サポートブレインは現実へ戻ろうと消え行く。
 彼が精神で構築された世界と肉体で接触する世界にある狭間で。
 ユーノは、彼に向けて叫んだ。

「何もできなくはないっ! ボクにもできることがあるっ!」

 驚いた顔でサポートブレインが振り向く。
 消える彼を前にしてユーノは精一杯の声を振り絞って叫び続けた。

「ボクには、信じることができる! 高町なのはを信じることができる! 折れたって、砕けたって、なのははもう一度戻ってくる! 戻ってきた!」

 無理だ、と動いたサポートブレインの唇は、ユーノに声を届けはしなかった。

「なのはは負けない! 君になんて負けない! ボクも負けない! だって……っ!」

 身に受けた痛みが響いてきたのか、声にならなくなりつつある声を張り上げてユーノは吼えた。

「ボクたちは今日まで、辛かったこと、苦しかったこと、乗り越えてきたんだから―――…………君なんかに、負けやしない!」

 その声は誰もいなくなった世界に響き渡り、しんしんと雪が降る中で確かに世界を振るわせた。
 伝える者が消えた場で、雪に埋もれるユーノは力の入らない四肢に必死に力を入れて起き上がろうとした。

「どうしたのユーノ君。身体、苦しいの?」

 その彼に声を掛ける者がいる。
 サポートブレインが生み出した幻想の、死に続ける運命の高町なのはだ。

「ああ、苦しいね。とっても痛いね」

 そっか、と。高町なのはは俯いて、悲しみを表情に浮かべた。

「なのは、どうすれば苦しいユーノ君を助けてあげられるかな?」

 その顔は恋人の顔。その声は恋人の声。
 愛しい君の姿の全てを借りた――出来の悪い玩具。

「何もしなくて、いいよ」

 ユーノの告げた言葉に高町なのはは落胆を浮かべた。
 愛しい人に何もできないことを告げられて、心に深く傷を負った。

「君が何もできないわけじゃないよ? ただね」

 ぐっと力を入れると、じょじょにだがユーノの身体は雪から起き上がる。
 なのはは慌てて手を貸そうとしたけれど、ユーノはやんわりとその手を断った。

「ボクが、自分の力で立ち上がりたいんだ」

 痛んだ身体で、けれどしっかりと二本の足で大地に立つ。

「もしも何かを願っていいなら―――笑って」

 雪の降る世界は揺れていた。
 怯えたように震え、その全体を震わせていた。
 天に輝くスクリーンは戦闘が始まったことを如実に伝えていて、この震動は戦闘のせいなのかもしれないなと、ユーノは思った。

「なのは、うまく笑えないよ? 悲しい気持ちが胸にたくさん押し寄せてきててね、それで……すぐに、死にたくなっちゃう」

 本物のなのはではない。だからこそ吐かれる彼女らしからぬ言葉は、けれどたまに彼女から感じる不安を具現化したようなものだった。
 それが目の前にやってきたから自分の心は傷ついて、悲鳴を上げたんだと思う。
 高町なのはは、ときおりひび割れた硝子よりも儚く感じてしまう。

「それなら、ボクが笑わせるよ。悲しい気持ちは代わりに貰うから、悲しさが無くなって空いた空洞にたくさんの嬉しさと楽しさを注いであげる」

 まったく、よくできた幻影だ。
 頬に手を触れれば、それは人並みの体温すら持っていた。

「私の代わりにユーノ君が悲しくなっちゃうのは、嫌だよ?」

 頬を触れた手に手を添えて、幻影のなのはが一筋の涙を流した。

「大丈夫だよ」

 空いている手の指先で彼女の目元を拭うユーノ。
 そこにいるのが幻影だとしても、高町なのはに涙を流していて欲しくはなかった。

「君の悲しさはボクの悲しさにはならないから。それが君のためになるなら、大丈夫」

 そして涙を拭った手で、その腕で、彼女の身体を抱き寄せた。

「流れる時の中で少し変わってはしまったけど、君は太陽だから。ボクや、他の人にとっての太陽だから」

 雪に凍えていたはずの身体は不思議と熱くなっていた。
 だから降られる雪に身体を冷やした彼女を温められると思った。

「誰かの悲しみを、ボクの悲しみも、みんな温めて溶かしてしまう君だから」

 ぎゅっと抱くと、彼女は小さな声を上げた。
 恥ずかしそうに飛び出た声が可愛らしかった。

「その太陽を凍えさせる氷を溶かすことは、ボクの苦にならないんだ」

 体温が伝わっていくのか、抱き締めた彼女の身体も少しずつ温かくなってきていた。

「ずっと、ずっと考えてたんだ。君を好きになった日から。ううん、そのずっと前から。ボクは君のために何がしたくて、君のための何になりたかったんだろうって」

 もう、雪の寒さに負けやしなかった。

「それが戦闘の中にあると思ってたくさんの魔法を研究したこともあった。それが日常の中にあると思って、君が悲しい顔をした時にどうやって励まそうかと悩んだこともあった」

 翡翠の光が二人を淡く包む。
 温かな光になのはは目を閉じて、その身を任せた。

「それはどちらも違って、どちらも合ってたんだよね。戦闘だって、日常の中にだって、どっちも高町なのはが居ることに変わりはない。でも、どっちかじゃなくて。ううん、もう、何かとか、そんなんじゃなくて」

 急に、ユーノが腕に抱く少女の感触が消え始めた。
 その少女は彼が雪の降る世界で出会い、そして消えていった彼女の中で初めて安らかな顔を見せていた。

「ボクは―――どんな時に、どんな場所でも。君を照らす太陽になりたかったんだ、なりたいんだ」

 それは雪だるまのように。

「そっか。それなら、なのはたちは温めあえるといいね」

 温められると水になり、そして溶けてしまった。

「……まだまだ、あんまりうまくはできないけどね」

 翡翠の光が世界を覆う。
 温かな色を持つその光は、真っ白な世界の真っ白な雪を溶かしてしまう。

「でも、今でもできることがある。だったらボクは」

 雪が全て溶けると、一枚の扉が現われた。
 そこからは外の音がよく聞こえて、どうやらなのはが困っているようだ。

「やらなきゃ。なのはの、ために」

 扉に手を掛け、深呼吸をしてから開け放つ。
 眩しい光がユーノの視界と、世界を覆って……そして、そこには誰もいなくなった。






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