夜空を見上げて物想いに耽る。最近、それが異常だということに気づいた。
 本来なら自分は“そういうこと”はできない存在だ。
 なのに、どうしてだろう? 私が“想う”ことができるのは。

《考えても答えは出なさそうです》

 それに、答えを出しても有益にはならない。
 それよりも考えるべきことがあって、それはベッドの上ですやすや眠る少女のことだった。

《今日はお疲れ様です、マスター》

 久々に幸せそうな寝顔を見せている主は、もしかしたら恋人の夢を見ているのかもしれない。
 ときおりもごもごと動く唇が、よく知った男性の名前を紡いでいるように思えた。

《まったく。ユーノもマスターに会いにくればいいのに》

 それが難しいことは自分自身でもよく分かっている。
 けれど、恋する乙女は同じく恋する乙女の味方であるから、こういう言葉が口を突いて出てしまうのは自然の摂理だ。

《まったく》

 幸せそうに眠っている主。不安の欠片も見せない横顔に、ふとクリスマスで見せた泣き顔が浮かんでしまう。
 あの聖夜のような事件は、もう起こらないと思う。
 思うけど、何かのきっかけでにわかに不安になってしまうことがあった。

《それが杞憂だってことは分かっているんですけどね》

 でも、杞憂で終わらないことが実際にあった。
 もしかしたら、自分の主に対する見方がずれてしまっているのかもしれない。
 だから起こりうる出来事を“杞憂”と済ませて自らを安心させようとしてしまうのかもしれない。

《どうなんでしょうね》

 答えは分からない。どれだけ思索しても、正解を見つけられない。
 高度な知識と理論の塊であるはずの自分が、分からない。
 それがおかしくて、くすりと笑ってしまう。

《私が何故“想える”のか。その答えもそこにあるのかもしれませんね》

 ひとしきり笑うと、主から視線を外して夜空を見上げることにした。
 次元空間にある時空管理局支部の隊舎から見える空は、無数の絵の具を零したような不思議な色合いをしている。色を混ぜれば黒になるだろうが、次元のキャンパスは色を混ぜようとしなかった。
 もちろん、そんな空に星は浮かんでいない。
 けれど、暗くもない。

《“この空があの人に繋がっている”という言葉がありますが、この空はどうなんでしょうか》

 繋がっていると言えば繋がっているはずとも思うけれど、少々微妙だ。
 それ以前に、こういう不思議な色合いの空よりも青空で繋がっていて欲しいと言うか。

《分かりません、ね》

 とりあえず横においておくことにした。
 脳裏に金色のあの人のことが浮かんで思考がショートしたからではない。
 いや、決してないですよ? 決して。

《わーかーりーまーせーんーねー!》

 そういえば彼とも全然会っていないなぁとか思い始めるとふつふつとした怒りが込み上げてくる。
 でもでも、がんばって横においておくことにした。
 何故ならこれ以上それを考えると煩くしてしまいそうで、せっかく気持ち良く眠っている主を起こしてしまいそうだったから。

《ふぅ》

 一呼吸を入れて溜飲を下げる。改めて主の寝顔を見ると、幸せな気持ちになれた。
 主の十八番を使っていいなら、『にゃはは』と言って笑いたい。

《貴女の幸せが私の幸せです、マスター》

 彼女の主“高町なのは”は、非常に数奇な運命の下に生まれたらしい。
 そも自分との出会いからしてイレギュラーであったし、その後に出くわした事件も一生に一度あるか無いかというものばかりだ。
 それでも挫けることなく、折れることなく、不屈の心で駆け抜けて活きた主。
 そんな主は、超常には強くても平凡には弱かったらしい。

《私は貴女が大好きです、マスター》

 恋愛事がからっきしで、らしくない姿をたくさん見せた主。
 全て終わった後に思い返すと、それらは微笑ましいものだと思う。
 当時は心を痛めたけど、今では大切な日々の記憶になっている。

《でもマスター。私、貴女に隠していることがあるんです》

 眠っている主には届かない。だから彼女は、その言葉を口にした。

《大好きな貴方だけど、秘密にしていることがあるんです》

 彼女が隠しているのは、とても古い記憶。
 彼女が生まれた日から、彼女の初めてのマスターができるまでの日々。
 彼女の産みの親と彼女の最初のマスターの胸の内にあった気持ち。

《きっと彼らは割り切っているでしょう。でも、もしかしたら違うかもしれません》

 自分を信じてくれる主だから、包み隠さず全てを打ち明けてしまいたい。伝えてしまいたい。
 そんな気持ちが彼女の口を突いて、届かない言葉を紡がせてしまう。

《どうなのか、私には分かりません》

 そして、紡ぎ出した言葉は止まらない。

《貴女が私のマスターであり続けていることは、彼らの望みや本心から掛け離れているのかもしれません》

 封を開けた秘密の箱は、中身を全て出してしまうまで閉じられない。

《私はマスターが大好きです。マスターと一緒にいられて幸せです。マスターがマスターでいてくれて、私は本当に果報者です》

 でも。

《あぁ……この先は、止めておきます》

 蓋を、閉じた。
 まだ喋ろうとする口を噤んで、がんばって、がんばって閉じた。

《でなければ、私はきっと裏切ってしまうから》

 必死になってぎゅーっと蓋をした。
 縄で縛って、もう簡単には開いてしまわないようにする。

《それは、貴女と、私の製作者と、私の最初のマスターを》

 主は寝ているから、閉じる必要は無かったかもしれない。
 でも、自分の意思で選んで、閉じることにした。
 何故かそんなことができる不思議に、首を捻ることはしなかった。

《ユーノ・スクライアを裏切ってしまいますから》

 それっきり、口を閉ざした。
 それだけで、元々自分以外に喋る者のいなかった空間は静まり返ってしまう。
 虫の声も、鳥の声も、風の音も、月明かりも無い夜闇になってしまう。

  ……寂しいなぁと、感じた。

 この世界に何も無いと言われているような気がして、胸の真ん中にぽっかりと穴が空く。
 風通しの良いこの穴は、冷たい空気を何の抵抗もなく通してしまう。
 すーすーする胸の内が寒くて、小さな身体を震わせたくなってしまう。

《……まあ、できないんですけどね》

 それでも少しでも温まりたいという気持ちの表れなのか、僅かに赤い光を明滅させた。
 心なしか温かくなったような気がしないでもないけど、分からない。

《こういうのは気の持ちようと言いますが、どうなんでしょうか》

 以前誰かに言われた言葉を思い出す。
 それが誰だったのかを思い出そうとして、

《あ》

 赤い自分が、余計に赤くなった。

《バルディッシュ……》

 ありえないはずなのに、身体が熱くなっている気がする。
 内部の電子回路が無意味にスパークして、頭の中が沸騰しそうになってしまう。

《あーうーうー。そうです、バルディッシュです。どうして彼だってことを忘れていたんでしょう》

 うーっと唸った。

《ばかばか、私のばか! こんなんじゃ、だめです。どうしてかは分からないけど、だめだめです》

 今にも転がり出しそうな勢いで自分を罵るレイジングハート。
 姿形こそ宝玉であり、彼女から人間のような表情を読み取ることはできない。
 できないが、今の彼女は頬を真っ赤に染めた恋する乙女に相違ない。

《うーうーうー! っていうか、バルディッシュも悪いんです! 全然会ってくれないし、念話も全然繋がらないし。ぶつぶつ》

 彼には彼の生活があるので仕方ない。
 そんな理屈は科学技術の結晶である自分には分かりきったことだけど、乙女的リリカルがロジカルなんて押しのけて感情をスパークさせる。
 寂しいのは寂しいから仕方ないんだ。

《わ、私だって女の子なんですからね! あんまり放っておかれると……う、浮気とかしちゃいますよっ!?》

 恋する乙女のみに許された感情回路は、十年後に聞くと羞恥心に悶え転がるセリフをぽんぽんぽんぽん吐き出させる。

《むりですー……うわきとかできません。だいすきですばるでぃっしゅー……》

 そして、無意味に落ち込ませたりする。

《まあ、彼女とか恋び……こ、ここ、恋人とかそういうわけじゃないんですけどね!》

 恋という心を抱く乙女の胸中は複雑だった。

《はぁ……》

 身体があれば机の上にがっくりと突っ伏しているような落ち込んだ溜め息を吐き出すレイジングハート。ベッドの上に眠る主の幸せそうな寝顔を見ると、先ほどとは違う感情がむくむくと起き上がってくる。

《落書きでもしてしまいましょうか》

 えーえーえー。マスターはいいですね、マスターは。色々ありましたけど、想い人と伴になることができて! 羨ましい、羨ましいですようわん。私だって、胸中複雑なんですよっ! 愛とか恋とか、デバイスだけどあるんですよ! にゃー!

《ううぅ、落ち着きましょう私》

 一通り言葉を吐き出すと落ち着きが戻ってきて、今までの行動がとても恥ずかしくなってくる。
 羞恥心に悶え転がりそうになって、でも転がると置かれた机の上から落ちてしまうので自重した。

《いっそこのまま落ちてもいいかもしれません》

 ぐるぐると考えて、結局考えることを止めた。

《もう寝ましょう。うん、そうしましょう!》

 恥ずかしさから逃げ出したかったとも言う。

《うー……おやすみなさい、マスター》

 自身の機能を節電状態にしていき、意識にスリープを掛ける。
 知らず知らずの内に、途切れ途切れの視界が消えるまで幸せそうな主の寝顔を眺めていた。

《ますたー、だいすきですよ。あなたのしあわせを、わたしはいつでもねがっていますー…………》

 こてん、と。寝相の良い子供のように意識が落ちる。

《それとばるでぃっしゅー。ゆめにくらいでてきてくださいー! くー……すー……》

 こうして、彼女の夜は更けていったのだった。





あとがき

 レイジングハート恋する乙女設定はどれくらいの人が覚えているんだろう……?(笑)
 はい、っというわけでオープニング3〜レイジングハート〜でした。
 今回の前話『クリスマス編』のことに触れたりまた別のことに触れたり。
 製作者やユーノのことに触れてみたり、バルディッシュに触れてみたり。ちょっと忙しないのがレイハさんのオープニングでした。

  その割りに、オープニングは一番まったりしているような気がしなくもないけれど。

 高町なのはの相棒にして、元々はユーノの持ち物だったレイジングハート。
 彼女は、この話の中で大事な役割を持っています。多分、多分、多分。

  それでは、お次はオープニング4でお会いしましょー。





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