・†見習い騎士と見守る教官† ・†アギトとエリオの話† ・†アギトとヴィータの話† ・†エリオとヴィータとアギトの話† ・†やまもおちもなくいちゃついてみる† ・†いちゃつこう、うん† ・†エリヴィタ。新婚さん† ・†素直になれないラブラブハート† ・†デートな話† †見習い騎士と見守る教官† ストラーダのブースターで勢い良く飛び上がったエリオは、しかし突如空中でバランスを崩して落下した。 どしゃぁっ、とか、ずしゃぁっ、という痛々しい音が鳴り響く。 エリオは、泥だらけになりながらひくひくと痙攣していた。 「うーん。空中に設置した障害物を無理に避けようとしてバランスを崩した感じだったな、今のは」 腕組みをしながら、ヴィータが倒れ伏すエリオに歩み寄る。 どれだけボロボロになってもストラーダだけは手放さないエリオの見上げた根性に口元を緩めつつ、教官として彼の脇腹をけたぐった。 ヴィータ教官による愛の鞭である。 呼吸器の横を貫くような衝撃で叩かれたエリオは、何度か咽ながらのっそりと起き上がる。把握するように周囲を見渡すと、彼は心底申し訳なさそうな声で「ごめんなさい」と言った。 ヴィータが、もう一度エリオの脇腹に蹴りを入れた。 「謝る前に強くなれ。いつまでも他人の背中を追っかけてんじゃねーよ! 男なら背中を追われろってんだ」 げし。げしげしっ。げしぃっ! たまらず、エリオは地面を転がる。 少年は苦痛に顔を歪めるが、これはヴィータ教官の愛の鞭である。 決してサディスティックな嗜好に身を任せたわけではない。 「は、はいっ! がんばります……っ」 ストラーダを支えに立ち上がるエリオ。彼は目を細めて空を見上げると、中空に浮かべられた八つのターゲットの位置を確認する。 エリオに与えられた課題は、ターゲットの破壊だ。ただし、全てを落すまで地に足を付けてはいけない。 また、ターゲットは不規則に動く障害物に守られていて、単純な特攻では破壊できないようになっている。 それでも攻撃を受ける心配が無いために課題としては低レベルであり、地に足を付けない戦いなどエリオには考えられず。つまりは、一見すると無意味な課題だが、そもそもが噴射機構の取り扱いを学ぶための訓練だった。 多少の非現実的状況は致し方ない。 「どうして失敗したかは、分かってるか?」 「はい。空中で進行方向を変えようとしてもブースターに負けてしまって、上手く方向転換ができなくて……」 「つまり?」 「方向転換の仕方が下手だったんだと思います」 「どうやって解決するつもりだ?」 「まず、もっと強引にすれば曲げられるかどうかを試してみます」 「それでダメだったら?」 「……ブースターの勢いに自然に手を加える方法を見つけられないか探ってみようと思います」 「ん」 答えを聞くと、ヴィータはエリオの背中を勢い良く叩いた。 「よし。やってみろ!」 「はい!」 空中のターゲット。そして、障害物。 それらをよく見据えて、エリオはストラーダの噴射機構に火を入れる。 大人ですら軽々と運ぶ莫大な推進力を受け、小さなエリオの身体は空高くまで飛び上がった。 空の高い場所まで伸びる度に、強い風が吹きつけてくる。 「んー」 直進から強引に軌道を変えようとしたエリオは、先ほどの焼きまわしのように地面に落下していった。ずしゃぁっ、とかべしゃぁっとかいう痛々しい音が周囲に響き渡る。 だが、今度はエリオは受身を取っていた。ヴィータに蹴られるまでもなく立ち上がると、もう一度空へと舞い戻る。 「がんばれ、エリオ」 ―――噴射機構取り扱いのコツは、振り回さないことだ。 流れを少し、ほんの少しだけ変えるだけでいい。そうすれば、勢いづいたブースターは思う以上に滑らかに動いてくれる。 そのコツをエリオが掴むのはまだ先だろうが、飛び上がったエリオはさっそくそのコツを掴むべく挑戦している。 だから、決して遠い未来ではない。 「まー。すぐには、無理だよな」 噴射機構による推進方向の制御に失敗したエリオは、またまた地面に落下していく。 そんな無様――無様だ、ああ無様だ。修行なんてそんなもんだろう? ――な姿に苦笑いしつつ。 がんばる少年を見守るヴィータ教官だった。 †アギトとエリオの話† 次々と放たれた火球は、これまた次々と撃ち落されていった。くすぶった炎の残滓が飛び散る。 しかし、槍を振るって火球を払う少年はそろそろ限界のようだ。 肩で息をしている彼に、アギトはとどめとばかりにひときわ大きな火球を繰り出した。 直後、轟音に空気が戦慄く。 「…………や、やりすぎちまった?」 回避も防御もなく正面から火球を喰らった少年は――決して槍を手放してはいなかったが――その場に、仰向けになって伸びていた。 アギトは、思わず溜め息を吐いた。 「ダンナのことが知りたいっていうから、たまにしてた訓練をやらしてやったけど……」 懇願してきた当のエリオが、きゅーっと目を回して伸びている。 その槍騎士見習いの情けない姿に、アギトは頬をぽりぽりと掻いた。 「まあ、起こしてやるか。ダンナのことを誰かの中に残しておけるなら、それはあたしだって嬉しいし」 アギトの小さな手がエリオの頬をぺしぺしと叩く。 訓練の再開までは、もう少し。 †アギトとヴィータの話† 隊舎の廊下に珍しい組み合わせがいた。どちらとも赤毛を揺らしている少女たちは、ヴィータとアギトだ。 紅の鉄騎と烈火の剣精は、和やかに談笑していた。 「でさー。エリオのやつ、それっきり夜まで起きなかったんだぜ」 「せっかくの休日に何やってんだろーな、あいつ」 「火だるまになって一日が終わるってのも、無駄な過ごし方だよなー」 「だよなー」 「それでも、今朝は元気に訓練してたから頑丈なんだろーけどよ」 「ところで、どうしてあのバカはアギトに火だるまにされたんだ?」 何気ないヴィータの言葉。 しかし、それを受けてアギトの表情にふと翳りが落ちる。 「あいつ……ダンナのことを知りたいって言ってたんだ」 沈んだ声色に空気が重くなる。 どちらも口火を切れず、靴音のみが響く静寂が訪れた。 「…………あのさ」 ややあって、言い辛そうに頬を掻きながら口を開くヴィータ。 アギトは彼女の言葉に耳だけを向ける。 「あたしからも頼むよ。あいつに、ゼストのことを教えてやってくれねーか? たぶん、あいつは探しているんだと思うんだ」 十字路を左に曲がる。もうすぐ、訓練場だ。 「もうじき、機動六課は解散になる。エリオとしては、それまでに『騎士エリオ』としての在り方を――無意識にかもしれねーが――見つけようとしているんだと思う」 訓練場に出れば、当然のことだが訓練が始まる。 昼食を終えた午後の訓練は個別指導だ。最近では個々の調整のため、細かな部分まで教えている。 ここ数日、ヴィータはエリオに噴射機構の取り回し方を指南していた。 それだけではない。 若い騎士見習いの少年に懇願されて、騎士の心構えを教授することも――これは以前から――たびたびあった。 「あたしやシグナムが教えられることは、もちろんある。けれど、教えられないことだってある」 そう言って、ヴィータは不自然に間を空ける。続く言葉は言い辛いようで、やや考えあぐねていた。 結局、浮かんだ言葉を飲み込んで新たな言葉を口にした。 「頼む、アギト」 扉を開き、外に出る。 ヴィータが下げた頭の下を、風が通り抜けていった。アギトが表情を固まらせてその姿を見ている。 しばし、二人はそのままでいた。 ……ややあって。 「アタシだって、ダンナを覚えていてくれる誰かが増えるなら嬉しいよ」 ぽつりと呟くアギト。小さな彼女の頭を、ヴィータがぐしぐし撫でた。 突然のことに、アギトが顔を赤くして吼える。 「なにすんだよっ! アタシは小動物じゃねーってのっ!」 「いや、これは親愛と感謝の念を示すもんでな?」 「嘘ついてんじゃねー! めちゃめちゃ笑ってんじゃねーかっ!」 「なんのことだあ?」 「ちっくしょー! なのはには一方的に撫でられるからって、アタシで腹いせをすんじゃねーよ!」 「な、なんだとーっ!」 機動六課隊舎の入り口でぎゃあぎゃあと騒ぐヴィータとアギト。 その、彼女たちの傍目からすれば楽しそうな姦しい光景は。 訓練開始時刻を過ぎて二人を止めに入ったエリオが顔面にダブルパンチを受けるまで続いた。 †エリオとヴィータとアギトの話† 身を低く屈めて火球をやりすごし、続く鉄槌を跳び上がって回避した。くるりと宙返りを決める下で、鉄槌が大気をぶち破る。突風が周囲に撒き散らされた。 吹き荒れる風に前髪を揺らされながら、エリオは思う。 普通のやり方じゃ絶対に勝てない、と。 「ダンナみたいに強くなりてーなら、まだまだこんなもんで安心すんなよっ!」 威勢良く言い放ったアギトがいくつもの火球を浮かべ、いまだ中空の人たるエリオに投げつけた。 同時に、ヴィータが振り払った鉄槌を打ち上げてくる。 この時、エリオは下方から迫る鉄槌と前後左右三百六十度から飛来した火球への対処を求められていた。 落ちることは許されない。無理に身を捻って横に弾け飛ぶこともまた、許されない。 ならば。 「ストラーダッ!」 《Ja!》 愛槍に魔力を迸らせる。ストラーダはエリオの魔力を受け取ると、噴射機構から推進力としてそれを吐き出した。 エリオの身体が空に向けて引っ張られる。遅れて、鉄槌と火球が一瞬前までエリオが居た空間に襲い掛かる。 ぶつかり合った火球が爆ぜ鉄槌が猛然と空を打つ音を眼下に聞きながら、エリオは神経を研ぎ澄ました。 安堵の溜め息を漏らす暇は無い。一瞬の内に勝利への方策を判断しなければならない。 咄嗟に目線を走らせると配置を確認した。真下にはアタッカーヴィータ。少し離れて、シューターアギトがいる。 「アイゼン、吼えろっ!」 ヴィータが手にしたグラーフアイゼンが姿を変える。ハンマーヘッドをドリルヘッドにすると、後方に据えたノズルから炎を噴き出した。 爆発的な加速力に任せて、ヴィータが空のエリオを追いかける。 「―――賭けるよ、ストラーダ」 追い縋るヴィータを目にしながら、エリオはストラーダのブースターを停止させる。一瞬の浮遊感が訪れ、その隙に槍型デバイスの穂先をアギトに向ける。 中空で身を捻ると、驚きに目を見開くアギトに向けて、再び噴煙を噴き出したストラーダを投擲した。 鋭く空を裂き、 「後衛を先に潰そうってか? けど、自分が落されちゃ意味がねぇぜっ!」 ストラーダを手放せばエリオは空を飛べない。そんな単純なことを、エリオが失念したわけはないだろう。 だが、意図も読めない。 罠かもしれない。 それなら、罠ごと噛み潰す。 そう決めたヴィータが、まさしく破竹の勢いでエリオに迫る。 訓練用の出力ですら直撃を受ければ骨折も容易にありうるグラーフアイゼンの衝角が獰猛な獣のように唸っていた。 「そんなの―――ヴィータ副隊長を落せばいいんですよ!」 空を駆け上がるヴィータと、落下を始めるエリオ。二人の交錯はすぐに訪れた。 ヴィータはアイゼンの衝角を叩き込むべく狙いを定め、エリオは―――拳をぐっと引いていた。 相対した両者ともが必殺を狙う、この刹那。 二人は、常と異なる時の流れに身を置いていた。 極度の集中が一瞬を一分にも一時間にも引き伸ばす。激しい運動をして荒れているはずの鼓動ですら、ひどくゆっくりだ。 グラーフアイゼンの衝角がエリオの懐に潜り、未完成の胸板に突き刺さる。みしりという不愉快な感触が、鉄槌を通してヴィータの表情を歪ませた。 だが、ヴィータに伝わったエリオの感触はそれだけだった。 視界が白く染まる。 四肢の力を奪われ、集中力すら奪われ、ヴィータは永遠に似た刹那から放り出された。 「紫電一閃……です」 耳朶を打ったのはそんな言葉だった。 紫電一閃はヴォルケンリッター烈火の将、シグナムの奥義である。魔力を奔らせた武器を叩きつける、単純にしてベルカ式魔法最大の奥義である。 エリオが放った紫電一閃は見よう見真似の模倣だったが威力は折り紙つきだった―――何せ、技を放つ己の腕すら破壊しかけるほどだ。 雷光を纏ったエリオの拳に思い切りぶん殴られたとヴィータが気づくのは、もう地面が間近に迫る頃だった。 エリオを、侮りすぎていた。 「今日の訓練はあたしたちの負けだな……」 視界の隅では、ストラーダの急襲に吹き飛ぶアギトの姿も捉えていた。 ストラーダの投擲による後衛への攻撃と、紫電一閃での前衛潰し。一瞬で戦闘能力を失うこの作戦は、確かに賭けだった。 しかし、エリオは結果的に賭けに勝った。 運が良かったと言えば、そうだろう。 だが、勝利を引き寄せたのはエリオの執念と―――訓練に裏打ちされた実力だ。 この若い騎士見習いは着々と強くなっている。 我知らず、ヴィータの頬は綻んでいた。 「危ないですよ、ヴィータ副隊長!」 ―――ただ、この騎士見習いに愚かしい部分があるとすれば。 「―――ごふぅっ!?」 受身も取らず地面に落下したヴィータだが、彼女が感じたのは不自然に軽い衝撃だけだった。 その理由に思い至ると、呆れの溜め息が自然と漏れる。 未熟者の愚行に頭痛を感じながら、ヴィータは 「無事ですかヴィータ副隊長……?」 しぶしぶながらも頷くと、あろうことかエリオはにへらっと笑った。嬉しそうだった。 やはり、頭痛がする。この若い騎士見習いのこういう愚かさは、もしかしたら一生抜けないかもしれない。 こいつの伴侶になる誰かは気苦労が絶えないだろう。 「ヴィータ副隊長が無事でよかったです」 なおもにこにこ笑いながら――すぐに気絶した――少年の上で、ヴィータは項垂れる。 そんなヴィータに、へろへろとアギトが寄ってくる。ストラーダが巻き上げた粉塵を被り、砂塗れだった。 「なあ、ヴィータ。エリオのバカはいっそどっかに頭を打ち付けて性格を変えた方がいーんじゃないか?」 「……言うなよ。あたしだって、たまに本気でそう思うんだからよ」 「バカだって。こいつ、絶対にバカだって」 「ああ、バカだよなぁ」 満足気な笑みを浮かべて意識を落とした少年を見下ろしながら、紅少女二人組は深い深い溜め息を付いた。 もうすぐ、機動六課の試用期間が終わる。 エリオは機動六課が初所属だ。そこを卒業するに当たって、彼は彼なりに目標を。『彼が目指す騎士の道』を模索していた。 人によっては歪んでいるともとれるバカげた行為も、彼が道を探す上で迷った結果だ。 まだ漠然としか道が見えていないようだが―――今日の彼は、愚行を選んだ。 「だから心配になるんだよ。バカ、バカ、バカ。この、バカエリオ!」 眠る少年を八つ当たり気味に叩くが、目を覚ます気配はまったくなかった。 頭が痛い。 ヴィータとアギトがそろって頭を抱える。 「……このバカ、どーすっかなぁ」 「……ほんとなー」 帰りの遅いエリオを心配してキャロがやってくるまで、紅少女二人組は頭痛の種に頭を悩ませていた。 †やまもおちもなくいちゃついてみる† 「休暇が合うのって久々ですよね、ヴィータさん」 「そうだな。ったくよー、男ならあたしの休みに休みを合わせろよなー」 「それ、結構無茶だと思うんですけど」 「うるせー! だって、せっかく休みなのにお前に会えないんだぞっ!? 寂しいんだよばかっ。男なら甲斐性見せやがれあほー!」 「理不尽ですよヴィータさんっ!?」 少し背が伸びたエリオの胸板を、ヴィータがぽかぽかと叩く。 最初は八つ当たり気味に思いっきり叩いていたが、やがてその勢いは弱くなっていく。 「……こんなわがまま言うのはお前にだけなんだからな」 「わかってますって」 「……うたがわしーです」 拗ねた顔でエリオを見上げるヴィータ。そんな彼女を微笑ましく思ってくすりと笑みを返すと、青年に近づきつつある少年は少女を優しく抱き寄せた。 そして驚くヴィータの耳元に唇を寄せ、囁く。 「溺れるくらい甘えていいんですからね」 熱の篭った吐息に乗せて囁いた言葉。それへの返答は、鳩尾への鉄拳だった。 「……どうにも照れ隠しがバイオレンスなところがヴィータさんですよね」 「う、うるせぇー! うるせぇうるせぇうるせぇーっ!」 「あ、いた!? いたっ!? いたいですってっ!」 ごすっ、とひときわ重い一撃が打ち込まれる。 意識が飛び掛けるエリオだが、かっこつけるべく男の子の矜持で踏みとどまった。 「久々に1日一緒なんですし、して欲しいこととかありませんか? ぱっと思いつかないならデートに行こうと思うのですが、どうでしょう?」 エリオに言葉に、ひとしきり拳を叩き込んで溜飲が下がったヴィータが、とたんに顔を伏せる。 いぶかしんで身を屈め、彼女の顔を覗き込もうとするが―――逃げられてしまう。 右に行けば左へ、左へ行けば右へ。 奇妙な追いかけっこはしばらく続いた。 「―――なんでも、いいのか?」 ヴィータが、ぽそりとそう零すまで追いかけっこは続いていた。 追いかけるのをやめたエリオが、背筋をぴんと張って答える。 「もちろんです」 ヴィータが、おそるおそる面を上げる。おさげも――今日は、服も――赤をまとった彼女だけど、彼女を彩るどんな赤よりも真っ赤な赤が、そこにはあった。 耳たぶまでを朱に染めて、一生懸命に口をぱくぱくとさせながら、ヴィータは言葉を搾り出す。 「あのな。あたし、な? ……ちゅーしたい」 そして、それを告げるとまたそっぽを向いてしまう。 エリオの答えを待たずに、唇がぶつぶつと独り言を呟き始める。 「ごめん、なんだか甘えすぎだよな。重い、重いかあたし? ごめん。でも、やっぱり久々に会えたのが嬉しくて、その、あたし……」 考えていることを口に出していると、本人は気づいているのだろうか? それは少年には預かり知らぬことだが、その彼とて知れたことはある。 それは、キスをせがまれたということだ。 「こっちを向いてくださいよ、ヴィータさん。そっぽ向かれてたら不意打ちにちゅーしちゃいますよ?」 「……それは、だめだ」 ヴィータの目線がエリオに戻ってきた。 自然か、必然か、二人は双眸にパートナーを映す形になる。 「ちゃんと、お前の顔を見ながらちゅーしたい」 「いつも思うんですけど、ヴィータさんは誰よりも乙女ですよね」 「ば、ばかにしてっ―――」 叫ぶヴィータの頬をエリオの掌が包む。 二人の体温が触れ合った瞬間、ヴィータは言葉を忘れてしまい、エリオは腹の内に秘めていた一言を告げた。 「可愛いって言っているんですよ」 そして、二人の吐息が混じり合った。 「…………いちいちセリフがホストみたいなんだよ、ばか」 「お褒めに預かり光栄です」 「ほ、ほめてねーよ!」 真っ赤になってエリオをぽかぽかと叩くヴィータ。 そんな彼女の微笑ましい攻撃を笑いながら受けているエリオ。 二人の、そんな感じの日常は。 …………訪れる日は、くるのかなぁ。 「今日は夢オチですらないぞ、エリオっ!」 「何がですかぁっ!? って言うか、夢オチってなんですか!」 そんな彼らの現実は、今日も今日とて訓練でした。 「うるせー! 口答えすんじゃねー! アイゼンっ」 《Ja!》 「あ、ちょ、だから鉄槌は酷―――(ぼぐしゃぁ)」 おわっとく。 †いちゃつこう、うん† そろそろアイスが美味しい季節になってきたとはヴィータさんの談。 個人的にはまだ早いと思う。 それでも、梅雨の合間を縫って晴れた空の下で、ヴィータさんがご機嫌にバニラアイスを食べているから。 まあ、いいんじゃないかな。とも思った。 現金な思考である。 「ヴィータさんはほんとアイスが好きですよねぇ」 不思議としみじみした口振りになるのは、一心にアイスを頬張るヴィータさんが可愛らしすぎるからかもしれない。 投げかけられた声に反応してこちらを見上げてきたヴィータさんの口元には、真っ白なアイスがベッタリとついていた。 ポケットからティッシュを取り出して唇まわりの汚れを拭うと、ばつの悪さをごまかすように鼻を鳴らされてしまう。 「べ、別にエリオに拭いてもらいたくてこんな食べ方してたんじゃないんだからな!」 うっすらと頬に朱を差しながらそう言われると笑みが零れてしまう。 「はいはい。そういうことにしておきますね」 「う、う〜……。うー!」 「アイス、溶けちゃいますよ?」 「おわっ!? 指まで垂れてるっ!?」 慌ててアイスを舐めるけど、コーンに乗っていたバニラは結構な量が指に絡まっていた。 指先の真っ白な液体を見てヴィータさんは眉をひそめる。 「もったいないことしちまったなぁ」 「指を舐めればいいじゃないですか」 「んなはしたないことできるかっ!」 どうやら指に付着したバニラを舐める行為は公の場ですべきことではないらしい。 それでも諦めきれないのだろう。指のバニラを見ながらうんうん唸っている。 「別にそれくらいいいと思いますけどね」 ヴィータさんが結論を出すにはしばしの時間を要しそうだったので、なんとはなしに空を見上げてみた。 ここ数日雨雲に隠されていた久々の蒼天が視界いっぱいに広がっている。 ふと。 こんな空をいつまでも眺めていたいなぁと思うと、むしょうに隣のヴィータさんの顔を見たくなった。 軽く首を傾けて視線を向ければ、悪戯な笑みが出迎えてくれる。 「じゃあ、こうしよう」 ヴィータさんはずずいっと指を差し出すと、意図が読めずに小首を傾げた僕に告げる。 「あたしの指、エリオが舐めてくれよ」 それはサヨナラ逆転満塁ホームランを打ったような会心の笑みだった。 「……あの」 「なんだよ?」 「その方がはしたない、と言うか恥ずかしいんじゃないですか?」 その問いに―――ヴィータさんは、どこか諦めた表情を浮かべる。ここではないどこか遠くを見つめて、うわごとのように何かを呟いていた。 「……たぶん。あたしたちの間にあれ以上恥ずかしいことは起こんねーよ」 「ですねー」 なんだか納得してしまった。 「それじゃあ、久々のデートですし少しは恋人らしいことでもしましょっか」 「お、おう」 恥ずかしいことなんて起こらないなんて言っておきながら心なしか頬を染めるヴィータさん。 手を取る時にさりげなく手首の動脈に触れてみるとびっくりするほど速く強く脈打っていた。 ヴィータさんは緊張している。 「は、はやくしろよ……」 しばらく可愛らしい姿を眺めていたかったけど、焦らすのも可哀想だからやめておいた。 舌を出して、指先のアイスをぺろりと舐め取る。 ちろちろと動く舌先が触れる度にヴィータさんは小さく身を震わせていた。 「はい、終わりましたよ。おいしいですね、このアイス」 「……なんかさー」 「僕も食べてみようかなぁ。って、なんですか?」 「エリオ、舐め方やらしくないか?」 「そんなことないですよ?」 ご機嫌を損ねたのか頬を膨らませてぶすっとむくれるヴィータさん。 「やらしい。絶対やらしい。エリオはやらしい!」 「そんなことないですって。ヴィータさんの気のせいですよ」 「いーや、気のせいじゃないね! エリオはやらしーです」 「違うと思うけどなぁ」 「違くねーよいやらし星人!」 青空の下、不毛な会話。 そんな僕らなりの二人っきりの時間は、日が沈むまでこんな感じだった。 「次はいつエリオとこうして歩けるんだろーな……」 「ヴィータさんが望んだらすぐですよ。呼ばれたら飛んでいきます」 「ばか。仕事はちゃんとしろよ」 「まずヴィータさん第一ですよ」 沈む夕陽を背に手を繋いで歩く僕らを青空の下にいた僕らが見たらなんと言うだろうか。 繋がる掌のぬくもりのせいで寂しくなるなんて、あの頃は考えもしなかった。 「……ばか」 デートはもうすぐ終わり。明日はまたいつもの日。二人会えないいつもの日。 もう、掌の温もりすら手放さなければならない。 「そういうセリフは一人前になってから言えよ」 「けど―――」 続く言葉は、唇を塞ぐように立てられた人差し指に遮られてしまう。 「―――あたしを幸せにしてくれるんだろう? だったらそこで口答えはなしだ」 押し黙り、頷いた。 すると、夕焼けの下でヴィータさんはくすっと笑う。 「楽しみにしてるぜ、未来のダーリン」 「はいっ。楽しみにしててください」 釣られて笑うと、二人の口から笑い声が零れた。 ぎゅっと手を握って帰路を行く。温もりが心に染み込むようにじんわりとあたたかい。 大丈夫。もう寂しくない。 「あーあ。けど、なんで違う職場になっちゃったかなー」 「ヴィータさんはエースタイプで僕はストライカータイプですから。その違いじゃないでしょうか?」 「だなぁ。こればっかりはしょーがねーか。むぅ」 「どうにかできればいいんですけどね」 手を繋いだ影法師が長く伸びる。 そろそろ夕陽も落ちるだろう。 「あ、ヴィータさん」 「なんだよ?」 「大好きです」 「……な、なんだよ」 夕焼けに暗がりが落ちて夕闇となり、やがて夜がやってくる。 「いや。久々に会えたから言わなくちゃなぁと思いまして」 「ばか。ばかだお前は。ばかばかだ」 「そこまで言いますかっ!?」 闇夜に抱かれれば今日は終わる。 青空の下の記憶も、夕焼けの下で交わされた言葉も、夢の中で胸にしまって。 「でも―――大好きだ」 そして、また明日。 †エリヴィタ。新婚さん† 照れ隠しのおたまが勢い良くエリオの脳天を打った。 「じ、じろじろ見んなよばかぁっ」 耳まで赤く染めたヴィータが、肩を震わせながらエリオをぽかぽかと叩いている。 羞恥心にかられているヴィータは、機動六課の制服の上にエプロンを着けていた。 「でも、なんでまたエプロンなんて着けているんですか……?」 痛む頭をさすりながら疑問を投げる。投げた問いは赤いヴィータの頬に朱を足した。そろそろ蒸気が噴き出るかもしれない。 ヴィータは言い辛そうに口をぱくぱく動かすと、ややあってぽそりと呟いた。 「……新婚さんみたいなことをやってみたかったんだよ」 エプロンを身に付けて朝起こしに来るのが、彼女の中では新婚さんらしい。 そういえば、鉄槌で有無を言う間もなく叩き起こされる常と異なり、今日は優しく起こされた気がする。 「ず、随分と長いこと会えなかったんだし……いいじゃねえかよ、これくらい。さ、寂しかったわけじゃねーかんなっ!」 「随分って、三日じゃあ……」 「ばかぁっ!」 ごんっ。と、おたまで思いっきり殴られた。 「……痛いです」 頑丈な調理器具で何度も叩かれようものなら、温厚なエリオとて仕返しがしたくなる。 首までを朱に染めながらぷりぷり起こるヴィータを眺めているとエリオは名案を閃き、彼女に手招きをした。 いぶかしみながら伸ばされた手を、ぐいっと引っ張る。 「おわっ!?」 「捕まえました」 ヴィータをすっぽりと腕の中に収めてしまうと、そのまま布団を翻して中に隠れてしまう。 布団の中からじたばたと手足が飛び出るが、やがて静かになるとごそごそという衣擦れの音が響くようになった 「……ヘンタイだ。お前は、ヘンタイだ」 「でも、新婚さんらしくって言ったのはヴィータさんじゃないですか」 「……ばか」 「それに、結局やってくれますしね」 「……ばかぁ」 布団を剥がすと、そこには見事に一糸纏わぬ裸身にエプロンを被せたヴィータの姿があった。 ヴィータは、自らを抱くように腕を組んでエリオから逃げるようにそっぽを向いている。 「―――朝ご飯、食べていいですか?」 うっすらと白磁のような肌を朱に染めて。ヴィータは、目線を泳がせる。 でも、答えなんて最初から決まっていた。 「―――行儀良く食べてくれよ?」 エリオはくすりと笑みを浮かべると、ヴィータに手を伸ばし――― 「―――いや、やっぱ」 ぐるんっ。世界が回る。 押し倒していたはずのヴィータに馬乗りになられ、見下ろされていた。 ヴィータは真っ赤になりながらも、しかしどこか小悪魔のように悪戯に唇を歪めて、羞恥から熱くなった指先をエリオの胸元に這わした。 ゆっくりと身を倒していき、ヴィータの柔らかなで吸い付くような頬がエリオのそれと密着する。 熱に浮かされしめった吐息が耳元にかかる。くすぐったかった。 「―――あたしが、お前を食べる」 耳たぶを甘く噛まれる。 比喩ではなく食べられてしまう。そんな錯覚を感じて、エリオは甘い眩暈に脳をくらりと揺さぶられた。 †素直になれないラブラブハート† ――甘えたいだなんて言えるかバカ。 不機嫌を表わにしたヴィータのチョップは狙い違わずエリオの脳天に直撃した。 「おはよう」 「お……おはようございます」 ずいぶんな挨拶はツッコミを期待してのものと思いいくつかヴィータが乗りやすそうな言葉を探すエリオだが、心底不機嫌な彼女の睨みを受けて全ての案を棄却した。 このパターンは下手なことを言うと長引くケースだ。 つい二週間前に三日ほど口を聞いてもらえなくなったばかりだから分かる。ユーモアのセンスが欠如しているエリオは小粋な会話を試みると120%の確率で痛い目を見るのだった。 つまり、五回に一回は二倍痛い目を見ている計算になる。 どないやねん。 「ヴィータさ……副隊長は今日のお昼から一週間は外でお仕事ですよね」 「ああ。ちょっと遠くまで調査班の護衛でな」 迂闊な発言を零すわけにはいかず、結果として当たり障りの無い確認話をした。 特に意味はない繋ぎの会話である。わざわざ副隊長と言い直したのも特に意味は無い。 しかし、その無意味さがヴィータからゆらめき立つ苛立ちのオーラを色濃くした。 エリオの背筋に戦慄が走った。 「そ、そう言えば街の方に新しいアイス屋さんができたらしいですよ! 任務が終わったら一緒に行きませんか……!」 嫌な予感に背を押され話題転換を試みるエリオ。アイス好きのヴィータのために以前からチェックしておいたとっておきのネタを切り出した。 「昨日行ったよ。微妙だった」 しかしネタは鮮度が悪かったようで客をことさら苛立たせた。板前エリオは気難しい相手を前に早くも心が折れそうだった。 ってゆーか、女の人ってよく分からないですよ! オトコノコ永遠の命題を前にしてエリオの未熟ハートは悲鳴を上げていた。 「それじゃ、準備もあるしもう行くかんな」 脳内パニック中のエリオの脇をすりぬけ、ヴィータはすたすたと歩いて行ってしまう。慌てて振り向くと――しょんぼりとした猫の尻尾のように揺れる――赤いおさげが目に入った。 痛々しいほどにぴんと背筋を伸ばしてもなお、ヴィータは小さい。「だからこそ胸を張って歩くんだ」とは彼女の弁だが、それにしたって今日の彼女からは――身の丈に不釣り合いな強がりを感じた。 「あの、」 去る背を追って掛ける声は自然と口を突いて出ていた。 実は無理して何かを抑えつけているのではないか? そんな考えが思うより早く言葉を滑り出させる。 「もしかして不安事があるんですか? 何か恐いことがあるんですか……? だったら何でも言ってください。僕でよければ聞きますから! そしたら、恐いことや不安なことがそうじゃなくなるようお手伝いしますから……っ!」 早朝の廊下にその声はやけに大きく響いた。 何度かの反響を経て声の残滓が消えた頃、ヴィータの靴音が止まる。 「エリオってほんとばかだよな」 振り向かずの一言。 「そんなもんがあったら真っ先に 続けての一言。 「ばーか」 そして最後の一言を告げると、ヴィータは振り向いた。 不機嫌に引き結ばれた口元はいつの間にか弛んでいた。 「心配掛けてごめんな。まあ、あたしにも色々とあるんだよ。口に出せないこととか、おまえに言いたくても言えないこととか、な」 やや口ごもらせながら、ばつが悪そうに頬を掻くヴィータ。見ればほんのりと朱が差している。 恥ずかしいのだろうか、一方的に話を打ち切って歩き出してしまった。 だが靴音は三度も響かないうちに消えてしまう。いつの間に接近したのか、エリオの腕がヴィータを背後から抱き寄せていた。 「……あの。あたしとしてはこのまま去りてーんですが」 「いや、なんだかこのまま行かせちゃいけないような気がしまして」 「むぅ。離せよー」 「それは抱きしめてくれって言っているんですよね?」 「ち、違げーよばかっ!」 拘束から逃れようともがくヴィータ。だが、それが本気の抵抗でないことは誰が見ても明らかだ。 もしも気づかない者がいるとすれば、そいつの目は節穴だろう。 「……あ、やっぱり違いますよね」 エリオの目は節穴だった。 「…………むぅ」 ぷっくりと頬を膨らませ――エリオに背を預けるヴィータ。 ぶつぶつと何かを呟いているが、エリオはその声を正確に拾うことはできなかった。 辛うじて「言えるかばか」だけが聞き取れたが、何を言えないのか判断することもできなかった。 「ばか。ばかばかばか。ばか」 「そんなにばかばか連呼されるとちょっと切なくなりますねぇ……」 「ばか」 器用にエリオの腕の中で反転するヴィータ。まだ頼りないエリオの胸元に、甘え方を知らない猫のように額を乗せ、呟いた。 「 †デートな話† もちろん――恋愛洞察力の残念さに定評のあるエリオが気付くはずはなかった。 「あのさ、エリオ」 「はい、なんですか?」 ある晴れた日の昼下がり。活気溢れる街中を歩くエリオとヴィータの姿があった。 どちらも普段着だ。 それもそのはず、今日は休日。窮屈なスーツに身体を押し込める必要も、 「距離、離れてる」 仕事場の和を優先して本音を包み隠す必要もないのだ。 だから、ヴィータは久方ぶりに不満を表にして頬を膨らませた。 「えー……っと」 言われて見れば三歩だけエリオが前に出ている。歩き始めは隣にいたのに、いつのまに。 赤髪の少年は苦笑いを浮かべながら頬を引きつらせていた。困った時に見せる彼の癖だ。 癖の発露をみとめて、ぶすっとしながら口を開くヴィータ。 「前しか見てないからだ、ばか」 言ったっきり、つんとすましてそっぽを向いてしまう。 怒っている、と思った。だからエリオは頭を下げた。 「ごめんなさい」 ちょうどいい位置に収まった頭はおもいっきりひっぱたかれた。 「ばーか。謝って欲しいんじゃねーよ」 あっけに取られたエリオを置き去りにして歩きだすヴィータ。遠ざかる背を、慌てて追い掛ける。 追い付いた瞬間、振り向きざまの肘鉄が鳩尾に突き刺さった。 「ふんっ。あたしを置いてった罰だ」 よろめくエリオにそう吐き捨てるヴィータ。やっぱりご立腹だった。 足元をもつれさせ今にも転びそうなエリオの手を引っ掴み、言う。 「……ずっと一緒に、いつまでも隣にいる。あの約束を忘れたら容赦しないんだからな。嘘にされちゃ嫌なんだからな」 えらく強気な態度で。 ひどく弱々しい言葉を。 「四六時中そうしろとは言わねーよ。でも……こうして一緒にいられる時くらいはあたしを置いてかないでくれよ」 ――少し背が伸びたエリオを見上げて、依然よりがっしりとしてきた身体に擦り寄りながら。怒っていたヴィータが今にも泣きだしそうだった。 いいや、彼女は最初から怒っていたわけじゃない。 「……ばか」 拗ねていたのだ。 平時から前ばっかり見つめて進行方向に爆走する最近のエリオに。 休日ですら訓練に費やし、最近めっきり構ってくれなくなった恋人に。 「えー……っと」 エリオとしてはヴィータと釣り合いが取れる男になれるよう努力をした、その結果であるわけだが。 何より前に恋人放置は重罪である。 かと言って、謝罪の言葉を告げても許してもらえそうにはない。 「手……繋ぎます?」 結局、口を突いて出た言葉はそんな提案。 返答は訝しげな視線。 「なんでだよ」 険もほろろな様子だが、彼女に近しい者なら僅かな期待が浮かんだことに気付くだろう。 もちろん――恋愛洞察力の残念さに定評のあるエリオが気付くはずはなかった。 「離れないように……じゃ、だめですか?」 自信の無い、恐る恐るの言葉。それを受け取ったヴィータは無言で俯いた。 差し出した手は握ってもらえない。 雑踏に身を置いた二人に静寂が訪れる。 「……言うの、遅すぎましたよね。あ、あははははは」 乾いた笑い声が響く。 「……だからばかだって言ってんだよ」 ふと、ぬくもりがエリオの手を包む。 「もっと早く気づけよなー」 エリオには耳に痛い言葉を――柔らかな笑みを浮かべながら零すヴィータ。 彼女は、呆気に取られた少年の手をぐいっと引っ張る。 「ほら、立ち止まってると休日はすぐに終わっちまうぞ」 先ほどまでの不機嫌の風はどこに行ったのやら、雑踏を掻き分けてぐいぐいと進んでいく。手を繋いでいなければすぐにでも離れ離れになってしまいそうだ。 もっとも、二人の手は固く結ばれているのだが。 「は、はい!」 ――ところで。 街中で痴話喧嘩を繰り広げた二人を周囲の人々がにやにやしながら眺めていたことなど、当然のことながら彼らは気づいていなかった。 どっとはらい。 |