・†聖王様の花婿〜友達になろうよ〜† ・†聖王様の花婿〜嫌いにならないで〜† ・†聖王様の花婿〜嫌いにならないで〜その2† ・†聖王様の花婿〜嫌いにならないで〜その3† †『聖王様の花婿〜友達になろうよ〜』† ―――友達になろうよ。 じと目で睨まれると、背筋に嫌な汗が流れ落ちる。何も悪いことはしていないはずなのに、何故。 あからさまに不機嫌になったキャロを前にして、エリオはたじろいでいた。 「エリオ君って優しいよね」 「え、えーっと……キャロ? 言葉と表情が一致していないような気がするんだけど」 「ほんっと、優しいよねっ!」 ぎろりという眼光に射竦められ、エリオは泣き出したい気持ちでいっぱいになった。 「別に優しいとかじゃなくて気になっただけなんだけど、えっと、その」 機動六課試用期間も七割方が過ぎ去った頃。エリオはとある平日の訓練後に数日前から考えていたことをキャロに相談してみたのだが、何故か怒らせてしまった。 怒りの理由なんて皆目検討もつかない。 エリオはただ二つのことをキャロに言っただけだった。 「……まあ、悪くはないんじゃないかな」 一つは、『年上ばかりに囲まれているせいで、ヴィヴィオには友達がいないんじゃないか』ということ。 一つは、『歳が近い自分たちが友達になってあげられないか』ということだ。 「けどね」 怒りを潜め肯定の意思を示したかに見えたキャロだったが、突然手を伸ばしたかと思うと油断したエリオの頬をつまんだ。 そして、むにーっと引っ張った。 「そう思うなら、まずはエリオ君が友達になってあげて」 頬をつまんだままぐいぐい引っ張るキャロ。無理矢理引き剥がすわけにもいかずされるがままになるエリオ。 傍目から見れば恐らく微笑ましくあろう光景だが、頬を引っ張られているエリオのみそれを笑い話にできなかった。 引っ張る力が存外強く、痛い。 「はい、行ってらっしゃい」 最後にエリオの頬を思いっきり引っ張るキャロ。手を離すと彼の頬は真っ赤になっていた。 抗議の声を上げようとするエリオ。 だが、それはキャロがエリオの唇に立てた人差し指に阻まれてしまう。 「行・っ・て・ら・っ・し・ゃ・い・!」 一言一言が強調された台詞には有無を言わさぬ迫力があった。 「い……行ってきます!?」 まるでキャロから逃げるように廊下を掛けて行くエリオ。その背を見送りながら、キャロはぽつりと零した。 「もう……本当に。女の子には優しいんだから」 それは少し寂しげで、けれどどこか安心しているような、奇妙な感情が吐露させた言葉だった。 ◇ ◇ ◇ きっかけを得たのはほんの偶然で、それは数日前のことだった。 廊下を歩いていると半開きになった扉を見つけた。ふと中を見やると、そこにはヴィヴィオがいた。退席中だったのだろうか、アイナはいなかった。 ヴィヴィオがエリオに気づいた様子は無く、彼女は一人で遊んでいた。積み木で何かを作っているようだった。 だが、それは完成に至らない。 全てが積み上がる前にヴィヴィオは作り上げた物を崩してしまう。ひどく、ひどく寂しそうな目をしながら。 「―――つまんないよ」 機動六課は育児施設ではない。魔導師やそれをサポートする人間たちが活動拠点としている基地のようなものだ。 当然のことながらヴィヴィオと同い年の子供はいるはずもなく、また平時は誰もが各々の職務を遂行している。 幸いにして面倒を見てくれる人はいるが、ヴィヴィオにはそれだけなのだ。 「つまんない」 親代わりはいるし、構ってくれる人がいないわけではない。 それでも、子供のヴィヴィオに必要なものが欠けていた。 「……さみしいなあ」 扉を開いて声を掛けてみようか。エリオがそう思い至った時、後ろから声を掛けられた。 アイナだ。 「あら、こんなところでどうしたのかしら?」 「あ、ええと、ちょっと通りかかりまして」 突然のことに驚いたエリオを見てくすりと笑うアイナ。 だが、半開きの扉の向こうに目線をやると悲しげに呟いた。 「……ヴィヴィオを見ていたのね」 エリオは、ためらいがちに首肯をした。 アイナは何も言わない。 「……はぁ」 部屋の向こうから小さな溜め息が聞こえた。ヴィヴィオだ。彼女はエリオたちに気づいてはいないのだろう。 仮に気づいたとしたら、聡明なヴィヴィオのことだ。無理にでも作り笑顔を浮かべていだだろう。 「アイナさんは知っている……ん、ですよね?」 「ええ。でも、私じゃどうしようもなくて」 二人の目線はヴィヴィオに向かう。相変わらず、一人で寂しそうに遊んでいた。 「きっと、お友達か好きな男の子でもできれば少しは変わるんでしょうけど。ここじゃあそういう子は……」 「あ、あの。友達ができれば変わるっていうのは分かりますけど、好きな子ってどうして……?」 アイナは、エリオの言葉に意外そうな顔を浮かべた。 「女の子は恋をして変わるのよ?」 「えーっと……そういう問題じゃないような気がするんですけど……」 困った顔をしたエリオを見て、またくすりと笑うアイナ。 「あんまりあの子を一人にしておくのも可哀想だから中に入ろうと思うんだけど。エリオ君、時間があるなら一緒にあの子の相手をしてあげてくれないかしら?」 「えっと、三十分くらいでいいなら大丈夫です」 「それじゃあ、お願いね」 扉を開け、独りぼっちの少女が遊ぶ部屋に入る二人。彼らの姿を見て満円の笑みを浮かべるヴィヴィオ。 「アイナさん! に、エリオ? わーい、なにしてあそぶー!」 「そうねえ。それじゃあ、おままごとなんてどうかしら」 「それじゃあね、それじゃあね! ヴィヴィオがおねーさんで、アイナさんがアイナさんで、エリオが―――わんちゃん!」 「わんちゃん!?」 その日、三十分ばかりヴィヴィオと遊んだエリオ。 それから数日間、彼はヴィヴィオのことで頭を悩ませたのだった。 ◇ ◇ ◇ ヴィヴィオの所在は簡単に見つけられた。彼女は今日もあの部屋で独りぼっちで遊んでいた。 扉を開けば、ヴィヴィオが嬉しそうに走り寄ってくる。まるで親を見つけた子犬のようだった。 「エリオー! あそぼう、あそぼうよ!!」 もしもヴィヴィオに尻尾があればきっとぱたぱた振っているんだろうなあ。などと思いながら、彼女の頭をくしゃっと撫でてやるエリオ。 その柔らかな撫で方に、ヴィヴィオはくすぐったそうに身をよじった。 「エリオ〜?」 撫でるのを止めるとエリオは屈み、ヴィヴィオと目線の高さを合わせる。昔、フェイトがエリオにしてくれたことだ。 目線の高さを合わせることで『対等だよ』と態度で伝える意味がある、らしい。 「うん、遊ぼう。めいっぱい遊ぼうヴィヴィオ」 そう言うって微笑みかけると、ヴィヴィオもまた笑ってくれた。彼女は嬉しそうに、何をして遊ぼうかを考え始める。 「かんけり―――は、部屋の中じゃできないし。おままごと―――は、ふたりだとたいへんだなあ。えっと、えっと、それじゃあ」 「うん?」 ヴィヴィオは言う。 「ともだちごっこをやろーよー!」 嬉しそうに、嬉しそうにそう言うヴィヴィオ。 そんな彼女を前にして、エリオは悲しそうに首を横に振った。 「……だめ、かな」 途端、ヴィヴィオの表情が歪む。今にも泣き出してしまいそうだ。 エリオは少しためらい、 「うん。だってね、ヴィヴィオ? ごっこじゃなくていいんだよ」 ややあって、ヴィヴィオの頬に手を添えた。 涙が零れ落ちそうな目尻を親指で撫で、息を呑んだ彼女に静かに告げる。 「友達になろうよ」 その言葉に、ヴィヴィオは答えを返せなかった。 目からぽろぽろと零れ落ちた涙に邪魔をされて気持ちを伝えられなかった。 「答えはゆっくりでいいよ、ヴィヴィオ」 ヴィヴィオが喋れないと見るやそう言うエリオ。また、口にする傍らで、ハンカチを取り出して彼女の涙を拭ってやる。 けれど涙は拭いきれず、あとからあとから溢れ出てきた。 「えりお……ともだち……?」 苦労しながらその二つの言葉を口にしたヴィヴィオ。 がんばった彼女に、エリオは満円の笑みを見せた。 「うん、友達だよ」 エリオの胸に、軽い衝撃。まだ泣いたままのヴィヴィオが彼の胸に飛び込んでいた。 ヴィヴィオはエリオの胸で泣きじゃくる。 エリオはヴィヴィオを、そっと抱きしめる。 「できるだけ遊びに来るからね」 「うん…………えりお……」 少年の胸の中で、幼い少女は小さく呟いた。 「ありがとう」 †『聖王様の花婿〜嫌いにならないで〜』† ―――……じゃまだった? 高町ヴィヴィオは膨れっ面をしていた。お気に入りの兎のぬいぐるみを胸に抱え、つまらなさそうに寝転がっている。 ごろごろごろ。 どすん。 「い……いたくないもん!」 ベッドから転げ落ちるも持ち前のガッツでやせ我慢しつつ、今の心境を思い出して溜め息を漏らす。 「……エリオのばか」 エリオとはヴィヴィオの友達である。だが最近の彼は忙しいようでなかなか会いに来てくれない。キャロなどは頻繁に顔を出してくれるのだが、エリオでないと少し物足りない。 何故ならヴィヴィオは絶賛エリオを口説き中―――げふんげふん。もとい、初めてできた友達というものは特別なのだ。言わばエリオはヴィヴィオの初めての人であり、そう形容すると何だか卑猥になるのでやっぱりいいです。 「あそばれちゃったってやつなのかなあ」 なお、ヴィヴィオのイケナイ知識はシャマルさん秘蔵本から来ています。当人に代わりましてここで謹んで謝罪を述べさせていただきます。ごめんなさい。 それはともかく何はともあれ、放置プレイをかまされて拗ねているヴィヴィオであった。 「ん――………」 ここで待っているだけでは寂しさばかりが募ってしまう。友達がいなかった頃はぎりぎりで孤独に耐えられたが、今となってはそうはいかない。 一人っきりでいる部屋のむやみな広さが、会いたいという気持ちを膨らませてしまう。あるいはこの感情は――友情ではないのかもしれない。 「会いたいなあ」 窓の外を眺めてもエリオはいない。今日はヴィヴィオの部屋から少し歩かなければ、その姿すら見えない場所にいるはずだ。 エリオは、遠い。 「……会いに行ったらよろこんでくれるかな?」 お気に入りの兎のぬいぐるみを抱き抱え立ち上がるヴィヴィオ。その瞳には確かな決意が宿っていた。 自分を応援するガッツポーズを小さく決めると、迷いなく部屋を飛び出す。 目的地は―――決まりきっていた。 「それに、ほかの女の子にめうつりしてないか心配だもんね」 それはそうと、シャマルさんには少々お仕置きが必要なようです。 ◇ ◇ ◇ お仕置きなんてレベルじゃねーでした。 「まだだよ、エリオ。それくらいでへばっちゃうなんて許さないんだから」 絶賛騎士見習い中鈍感少年エリオは、何故か怒り心頭のなのはさん直々に稽古を付けてもらっていた。 非殺傷設定なので死ぬ一歩手前である。仮に対物設定だったら黄泉にいる本物エリオに泣きながら肩を叩かれていただろう。 それはもう鬼のようなしごきだった。 「は、はいっ! すぐに立ち上が―――」 ストラーダを支えに大地を踏みしめるエリオだが、己の意思と無関係に膝から力が抜けてしまう。情けなくも膝小僧を土につけてしまった。 もう、いくら力を入れても立ち上がれない。 「―――え、えっと」 エリオの根性に身体が追従できなかった。 地に膝をつけて戸惑いの表情を浮かべたエリオに、なのはは言う。 「んー、仕方ないか。それじゃあ」 ぱぁんっ! と、爆発のような音が響いてレイジングハートから空薬莢が吹き飛んだ。 カートリッジロード完了である。 「的になる訓練だね☆」 魔法少女リリカルなのはさんの笑顔は血も凍るようなデビルスマイルだった。 「ちょ、ちょっと待ってくださいなのはさん!」 命知らずにも―――げふんげふん。何はともあれ、抗議の声を上げたのはキャロである。今日の訓練当初から不満そうな顔をしていた彼女だが、訓練がリンチを通り越して私刑になる気配を察して飛び込んできたのである。 もしかしたら、彼女は最初からこうなるということが分かっていたのかもしれない。 「だって、だって……だって、エリオはっ!」 突如としてだだっ子になる、なのはさん(19歳)。そこには、エース・オブ・エースの威厳とか教導官の威信とかリスペクトされそうな成分は一つも見当たらなかった。 このツインテールはもうだめです。 「お願いなのは、もうやめて!」 キャロに続いてフェイトさんもやってきた。親代わりとして我慢できなくなったのだろう。 流石はフェイトさん(19歳)である。立派な執務官である。 「エリオをいじめていいのは私だけなの!」 フェイトさんは、真顔でそう叫んでいた。 このツインテールももうだめです。 「……えーっと」 突発的に暴走のギアが入ったフェイトのせいで勢いが削がれてしまったキャロ。見ればなのははフェイトと口論を始めており、エリオは眼中に入っていない。 その隙にと、キャロはエリオに駆け寄って回復魔法を掛ける。 へろへろのエリオは回復魔法を掛けてもぜんぜん回復しなかった。 「エリオ君、大丈夫なの……?」 「魔法が非殺傷設定だからすごくだるいだけで全然平気だよ。それより、ごめんね」 「謝ることなんてなにもないよ?」 「そっか、じゃあ。うーん」 悩むそぶりを見せた後、エリオは言う。 「ありがとう、キャロ」 それはそれは邪念の無い透き通った笑顔まで見せてくれやがったので、キャロはエリオの頬っぺたを思いっきり引っ張った。 意外と柔らかくよく伸びる。 「……あんまり心配させないでね」 言葉の調子と裏腹にエリオの頬を引く力はやたらと強い。もしかしたらこれがキャロの怒りの表れかもしれなかった。 たてたてよこよこまるかいてまるかいてよこよこたてたて。 エリオは頬をぐいぐい引っ張られる。 「でも、今回のことはエリオ君の自爆だから自力でがんばってね」 まーるかいて、ちょん。 引っ張られ続けていた頬っぺたがようやく解放された。 「えっと、その。どういうことなのかな、キャロ」 「知らないよ」 痛む頬をさすりながら問うた言葉はプイッと知らんぷりされてしまう。 キャロさんも割りと怒り心頭だった。 エリオ、孤立無援。 「えーっと……………。え?」 困り果てたエリオ。ふと、彼は視界の隅に見慣れた人影を見つけた。 木の陰に身を隠していたのはよく知っている少女である。 ただ、彼女は本来ならこの場にいないはず。 少し考えたエリオは―――キャロの回復魔法のおかげもあって―――立ち上がり、彼女の下へ歩いて行った。 「こら」 彼女が逃げられないように両手で頬を挟んでしまう。 「訓練中は危ないんだから来ちゃだめじゃないか、ヴィヴィオ」 魔力が吹き荒れ砲撃が飛び交う訓練場はろくな防御魔法も使えないヴィヴィオにとって危険地帯である。巻き込まれて怪我をする可能性だった否めない。 言わば彼女の身を案じて小言を零したのだが。 「……じゃまだった?」 小さな。今にも消え入ってしまいそうな、儚い声だった。 色の違う双眸を見やれば、涙さえ浮かんでいる。 エリオの心に罪悪感が芽生えるが―――危険を回避するためには、止まってはならない。 「うん、ごめんね。でも、今は訓練中だから」 ヴィヴィオがエリオの言葉を最後まで聞くことはなかった。逃げるように走り去ってしまう。 「…………あとで謝らないといけないかな」 彼女が去ったあとには零れ落ちた雫と―――腕の中からすり抜けたのだろう、兎のぬいぐるみがあった。 ヴィヴィオのお気に入りのぬいぐるみを拾い上げるエリオ。彼は、答えてくれないと分かっていながらも、その兎に話しかけた。 「ヴィヴィオは許してくれるかな……?」 答えなんて、返ってくるはずがなかった。 ◇ ◇ ◇ 分かりきっていたのに目を逸らしていたことがある。 訓練場で見た光景はそれを自覚させるに充分だった。 「……キャロなんだよね」 ヴィヴィオの胸には鈍くて鋭い不可思議な痛みが走っていた。 「エリオのパートナーは、1番はキャロなんだよね」 エリオとキャロの仲のなんと睦まじいことか。 怒られたショックよりも、割って入れない二人の絆を見せ付けられたように思ったことの方がショックだった。 そしてやはり、怒られたことが追い討ちになってヴィヴィオの心をいじめていた。 「まいあがっちゃってたのかな、わたし」 妙にませた知識を仕入れてしまっていたことが思考のマイナス進行を加速させてしまう。考えれば考えるほど惨めな泥沼にはまっていった。 宝物がガラクタになってしまったような、どうにもならない喪失感に襲われる。 息を吐くたびに、空気と一緒に楽しさや喜びなどというものが抜けていっているようだ。 「ヴィヴィオ、じゃまなんだって。嫌われちゃったんだよね」 冷静に考えればそんなことはないと分かるはずなのだが、それは無理な話だった。 「……やだなあ」 心が重い。 「……嫌いにならないでよ、エリオ」 心が痛い。 「やだよう……」 いっそ心を取り替えられればどれほど楽なのだろうか。暗鬱な感情で満たされた心を引きずりながら、ヴィヴィオは泣いていた。 ひっそりと、独りっきりで泣いていた。 †聖王様の花婿〜嫌いにならないでその2〜† ―――いざって時に駆けつけてくれる関係なら何でもいいよ。友達でも、恋人でも、夫婦でも構わない。まあ、エリオがヴィヴィオと付き合いたいならスターライトブレイカーの十発くらいは覚悟してもらうけど。 陽が落ちた頃、ヴィヴィオを探していたエリオは途方にくれていた。どこに行けども金髪の少女を見つけることはできなかった。 腕に抱えているヴィヴィオお気に入りの兎のぬいぐるみが、主の不在を嘆くかのように力なく耳を垂らしている。彼女が、どこにもいない。 「早く見つけないと」 夜は寒い。野外で、独りっ切りで過ごすならなおさらだ。それを荒れていた時代に経験しているエリオだからこそ、時が経過する毎に焦りを募らせていた。また、時期的に装備無しに野宿ができないという事実も彼を焦燥させる一因である。 「僕が見つけないといけないんだ」 だが、それらの要因よりも強く彼の背を押すものがあった。くたびれ果てた身体に鞭を打つ理由があった。 エリオは奥歯を食い縛り、血が滲むほど固い握りこぶしを作る。 「僕のせいでこうなったんだ。僕がヴィヴィオを見つけられなきゃ、もう友達でいられない」 吐き捨てるように言葉を並べ立てるとエリオは頭を振り、魔力を集めて灯りを作った。暗がりの中では、もう光が無ければ物を見ることは困難だった。 生憎ながら今宵は新月。冷たい漆黒の闇がことごとくを塗りつぶしていた。 「きっと、ヴィヴィオは心細いよね。もしかしたら迷子になっているかもしれない。もしかしたら、」 疲弊した両脚に鞭を打ち、大地が捲れ上がるほどの勢いで走り出す。 「泣いているかもしれないよね」 見通しの良い場所は全て探した。エリオは残る場所――雑木林――に向けて全速力で突っ込んでいった。 ◇ ◇ ◇ それは偶然か、必然か。エリオを手伝ってヴィヴィオを探していたキャロは、ばったりなのはと出くわした。 なのはもまたヴィヴィオを探している最中なのだが、その表情には複雑な心中が見え隠れしていた。 「ヴィヴィオは見つかったかな?」 「いいえ、手掛かりもありません」 「そっか」 愛娘が迷子になった。その事実だけから推測すれば焦燥した表情をこそ浮かべようなものであるが、むしろなのはは納得いかない感情によって機嫌を損ねているように見えた。 なのはの様子が気になったキャロは、言う。 「ヴィヴィオのこと心配じゃないんですか……?」 口を突いて出た言葉はずいぶんと不躾なものだった。キャロとしては張り倒されることも覚悟していたのだが、返答は苦笑いだった。 不可解な反応に訝しげな顔をするキャロ。 「たぶん、エリオが見つけてくれるんじゃないかなぁって思うんだ」 今度はキャロが苦笑いを浮かべる番だった。 「昼間はエリオ君のことをあんなにいぢめていたじゃないですか。なのに信じるんですか?」 「あれは、あんまり認めたくないけど、嫉妬みたいなものだよ」 「あ、やっぱりそうだったんですか」 意外なキャロの言葉に小首を傾げるなのは。年上の彼女のそんな様子に、キャロはくすりと笑みを零した。 柔らかなキャロの笑みは実年齢を疑わせる大人びたものだった。 「訓練の時のなのはさんの表情の奥に見えた陰が、エリオ君をヴィヴィオに取られちゃった時の私に似てるなぁって思ったんです」 「そ、それは、なんて言うか……にゃ、にゃはは」 「なのはさんはヴィヴィオをエリオ君に取られちゃったから機嫌が悪かったんですよね?」 「うーん。図星を突かれると恥ずかしいなあ」 うっすら頬を染めて所在なさげに視線を彷徨わせるなのは。 どちらが年上か分からなくなる光景だった。 「ヴィヴィオ、最近はエリオのことばっかり話すんだ。『エリオとおままごとして楽しかった』とか、『エリオとお料理したんだ』とか。エリオが遊んでくれなかった日は訓練の時のエリオの様子を聞いてきたり、ね。それがもう嬉しそうでねー」 「エリオ君もヴィヴィオの話をすることが多いですよ。ほんとうに楽しそうにしながら……」 「……それはけっこうキツいね」 「……はい」 伏せ目になるキャロ。キャロが大人びた原因はこれなのだろうか。 「それはともかく。ヴィヴィオとエリオ君のことは許すんですか、なのはさん?」 「うん、まあね。1回本気で勝負してエリオが根性を見せてくれたら許してあげようかなって思ってるよ」 「あはは、なのはさんは冗談が上手ですね」 「本気だよ!? 冗談じゃないよ!?」 「え? でも、そんな少女らしからぬ……」 「しょ、少女だもん! 十九歳でも少女だもん!!」 悲しそうに首を振って、キャロは言った。 「痛々しいですなのはさん……」 なのははその場に崩れ落ちた。 「……まあ、でも、ね」 「まあもでももなく痛々しいですって、なのはさん」 「続けさせてよ!? っていうか、ひどいよキャロっ!?」 「エリオ君を痛めつけたこと、やっぱり怒ってはいますから」 「……ご、ごめんね」 語気こそ強められてはいないが妙な迫力を見せるキャロを前にして反射的に謝るなのは。 やや長い静寂が通路を包む。 「……エリオはさ」 しばらくの後、なのはが口火を切った。 「いつかヴィヴィオが抱えることになる問題を自然と一緒に担いでくれるんじゃないか、って期待してるんだ。もしかしたら、あの子もそれを分かっているのかもね。歳が近い人ならキャロでもヴィータちゃんでも良さそうなのにエリオを選んだのはそういうことがあるんじゃないかなって思うよ」 「問題、ですか?」 「うん、そう。たぶん二次性徴を迎える頃になると思うんだけど……ヴィヴィオは『自分は誰なんだろう』って悩むと思うよ」 「……自分についてなら、誰だっていつだって悩むんじゃないんですか?」 「そうだね。けど、すごくすごくすっごーく深く悩む時期もあるんだよ。身体や心が大人になるために答えを探す時期があるんだよ。キャロだって、そういう経験がそろそろあるんじゃないかなぁ」 「……そうですか」 「そうなんだよ」 なのはがキャロの頭を優しく撫でる。キャロは何も言わなかった。 「ヴィヴィオは人造魔導師だから。自分について悩んだ時にそのことが引っかかって、私たちが何を言っても聞き入れられない時期って、来ると思うんだ。そうなったら頼りになるのはエリオかフェイトちゃんで……あの子は、エリオに一緒に居て欲しいんじゃないかな」 キャロの頭から手をどけるなのは。キャロが顔を上げ、なのはの目を射抜くように見つめた。 「なのはさんはエリオ君とヴィヴィオが一緒になって欲しいんですか?」 一拍の間を空け、なのはは言う。 「いざって時に駆けつけてくれる関係なら何でもいいよ。友達でも、恋人でも、夫婦でも構わない。まあ、エリオがヴィヴィオと付き合いたいならスターライトブレイカーの十発くらいは覚悟してもらうけど」 「その時はお願いします」 「いいの?」 「そうなった時は、私はたくさん泣いててそれどころじゃないでしょうから」 「にゃはは。好きなんだね、ほんと」 なのはから目を逸らすキャロ。 赤く染まった彼女の頬を見て、今度はなのはがくすりと笑う番だった。 「恥ずかしい?」 「……その言葉はエリオ君に言って、エリオ君から聞きたいんです」 「そのセリフの方が恥ずかしいなぁ」 「い、いいじゃないですかっ!?」 「にゃはは」 もう一度キャロの頭を撫でるなのは。彼女の手の下でキャロが恥ずかしさに身悶えていた。 「エリオもヴィヴィオも身体を冷たくして帰ってくると思うから何か温かいものを準備しておこうと思うんだけど。キャロも一緒に作らない?」 「そ、そうですね。……お手伝いさせてください」 「うん、お願いね」 そう取り決めると機動六課隊舎に足を向ける二人。 「でも、キャロ。エリオってすごく鈍いからすっごくかんばらないといけないんじゃない?」 「はい、それは、もう……」 「あ、なんだか疲れてるね。地雷踏んじゃったかな……?」 十近くも歳が開いた彼女たちだが、連れ立って歩く姿は旧来からの友人のようだった。 †聖王様の花婿〜嫌いにならないでその3〜† ―――だったら、もう、一生許さない。そしたら、エリオはずっとヴィヴィオを追いかけ続けてくれるんだよね……? 歩き疲れ泣き疲れたヴィヴィオは、太い樹の幹に背を預けて空を見上げていた。新月の闇はどこまでも深く、いくら目を凝らしても星の明かりを見つけることは叶わなかった。 もとより、空を木々に覆われたこの場所では星を見ることなど不可能ではあったのだが。 「……いま、なんじかな。ママたち、心配してるかな……?」 心細さから我が身を抱いた。冷えた腕で凍えた身体に触れると心までもが凍てついた。 歯の根が合わなくなり、がちがちと不愉快な音を立てた。立ち上がって走りだそうとするが、まるで何かに縫い付けられたかのように、あるいは金縛りにあったかのように身動きが取れない。 「さむいよ」 苦労して唇を動かし、たった四文字の言葉を呟いた。もちろん、その言葉を受け取る者などいない。 いつしか、ヴィヴィオは枯れ果てたと思っていた涙すら流して震えていた。 「ここはどこなんだろう」 機動六課の雑木林だ。まれにこっそり遊び場にしているよく知った場所だ。 けれどヴィヴィオを包む暗闇は深く、一寸先ですら見えない今となってはここが既知の場であると感じられなかった。手を伸ばせば顎を開いた闇に喰らわれてしまいそうだった。 「こわいよ、さみしいよ」 凍えていく。声が、喉が、身体が、心が。身を切るような寒さがヴィヴィオを真芯から凍らせていく。 暗闇の中という場所はたった独りきりでいられるような所では無かった。 「……でも、帰れないよ」 ふと浮かぶ訓練場の風景。仲睦まじかったエリオとキャロ。 立ち入る隙を見出せなかった。 否定して欲しくて訊ねた『邪魔だった?』という言葉は、あろうことか肯定されてしまった。 「こんなことをしたってみんなに心配をかけちゃうだけでなにも変わらないのに。ただ、わたしはわたしのわがままでここにいる。きっと、本当は帰らなきゃいけなくて」 ヴィヴィオは立てた膝に顔を埋めた。瞳から大粒の涙がぽたぽたぽたぽた零れ落ちお気に入りのズボンを濡らした。 「でも、もう立てないよ。ここはこわくてさむくてさみしいけど、エリオに会わなくてすむんだもん。会いたくないよ、会えないよ」 月明かりすら差さない真なる闇に抱えられ、幼い少女は悲しみに身を震わせていた。 「……けど。エリオにたすけてほしいよ」 それきり彼女は意味ある言葉を紡げなかった。低く抑えた嗚咽ばかりを漏らし、熱い涙をいつまでも零していた。 その熱こそが彼女の内に秘められていた情熱の塊だったものとでも思えるような、熱い涙を。 ◇ ◇ ◇ 草を踏む音は耳障りだった。ただヴィヴィオの気配だけを探して感覚を鋭敏にしていたエリオにとって全ての雑音は不愉快すぎるものだった。ヴィヴィオを見つけられない状況もまた彼を苛立たせていたのかもしれない。 どれほどの時間走り続けていただろうか。噴き出た汗の量から考えるに短いはずはない。 「あ」 全力疾走を続けていたエリオが急に立ち止まった。深呼吸をしながらゆっくりと瞼を閉じ、聴覚に意識を集中させる。 かすかに知った声が聞こえたような気がした。 「ヴィヴィオだ」 風が吹けば掻き消されてしまいそうな、小さな声。それをヴィヴィオのものと確信したエリオは声のする方へ走って行く。距離は遠い。 草を踏み分け地面に突き出た木の根を踏み越えて、エリオは走った。 「……ヴィヴィオ、泣いてるよ」 走れば走るほど声は確かなものになっていった。 しゃくり上げているように途切れ途切れであり悲しみを孕んだ声色は涙を連想させるものだった。 知らず知らずの内にエリオは速度を上げて行く。 「…………」 いくつもの木々の間を通り抜け、エリオはその場所にやってきた。暗がりで全く見えなかったが声から彼女の存在を感じ取れた。 エリオは掌を広げた。何かが弾けたような音が虚空に響き、魔力で作った光が灯された。 「迎えに来たよ」 灯りをもってヴィヴィオを照らす。立て膝に顔を埋めてしまった彼女の表情は分からないが、やはり泣いているようでしゃくり上げる声に合わせて胸が上下に揺れていた。 悲しみ泣きはらした彼女の姿を見ると改めて罪悪感が込み上げてきた。 エリオはその場に屈み蹲ったヴィヴィオと視線の高さを合わせる。彼女が顔を上げてさえくれれば二人は同じ目線で話ができるだろう。 だが、ヴィヴィオは決してエリオに応えようとはしなかった。 「ごめんね、ヴィヴィオ。でも訓練中は危ないから近くにいて欲しくなかったんだ。君に怪我をして欲しくなくて、だから」 ヴィヴィオは何も返さない。だからエリオは一人で喋り続ける。 「帰ろうよ、ヴィヴィオ。ここは寒いでしょう? それに怖くて寂しいよ。なのはさんたちが待っている場所に戻ろうよ」 なおもヴィヴィオは答えない。エリオの身体能力なら――最悪の場合でも魔力でブーストすれば――ヴィヴィオを抱えて連れ帰ることも可能だが、エリオは決してそうしようとはしなかった。 ヴィヴィオが彼女の意思で動いてくれるよう、思いつく限りの言葉を掛けていく。 「みんなが待っているから帰ろうよ。君の居場所はこんな冷たいところじゃなくて温かい場所なんだ。だから、帰ろう。いつまでもここにいたら風邪を引いちゃうよ」 けれど、いよいよ言うことが無くなってエリオは言葉に窮した。 やがて覚悟を決め、最後に取っておいた言葉を告げた。 「僕のことは許さなくていいから。だから帰ろうよ、ヴィヴィオ」 もうエリオから言える言葉は無い。ヴィヴィオが返事をくれない以上、二人の間には沈黙が訪れる。 魔力の灯りが時折風に吹かれて揺らいだ。 長いこと二人は無言だった。 「……許さなかったら」 いつしか心を決めたヴィヴィオが口を開いた。まだ顔を伏せたまま、枯れた涙を引きずった震えた声でヴィヴィオは言った。 「許さなかったら、エリオは謝り続けてくれるの?」 ヴィヴィオの言葉にエリオは頷いた。が、ヴィヴィオが自分を見ていないことを思い出し、改めて答えを口にした。 「うん。君が許してくれるまで僕は謝り続けるよ」 エリオの答えを聞いたヴィヴィオが顔を上げた。二人の視線が始めて交錯する。 泣き続けたヴィヴィオの瞳は孤独に怯える兎のように真っ赤になっていた。 「だったら、もう、一生許さない。そしたら、エリオはずっとヴィヴィオを追いかけ続けてくれるんだよね……?」 懇願するような声を受けてエリオは迷わず頷いた。 「君が望むならずっとそうするよ。けれど……いいの?」 ヴィヴィオの瞳に迷いが走る。彼女が何か言う前にエリオは言葉を続けた。 「できれば、僕は許して欲しいよ。謝り続けるのが嫌なわけじゃなくて、君としたいことがあるんだ。楽しいことをたくさんしたいんだ。だから、早く許して欲しい。僕は君とまた一緒に遊びたいんだ。……ヴィヴィオは、どう?」 言葉による答えは無かった。 ヴィヴィオはまた瞳から涙を零してしまった。 「え、えっと」 「エリオはずるいよ」 涙声のヴィヴィオが言う。 「そんなこと言われて許せないわけないよ。エリオはずるいよ。おとめごころをもてあそぶきちくだよ?」 「そ、そこまで酷いのかな、僕……?」 「うん、だからね」 一旦言葉を区切ったヴィヴィオは迷う素振りを刹那だけ見せ、意を決して両腕を広げた。 涙でくしゃくしゃになった顔で、まだ震える声で、ヴィヴィオは言う。 「ぎゅってしてくれなきゃ許してあげないよ」 突然のことにエリオは困ったような笑みを浮かべ―――ヴィヴィオの瞳の奥に隠れていた不安を見つけて、彼女を抱きしめた。 ヴィヴィオはエリオの胸に顔を埋める。エリオは幼い少女を両腕でせいいっぱい包み込むと、優しく頭を撫でた。 ヴィヴィオの身体は冷たい。そして、走り続けていたエリオは―――ヴィヴィオとの問答の中で身体を冷やしてしまい、やはり冷たい。 二人とも身体が冷え切っていた。 「ひとつ、ていせいさせてほしいな」 「なに?」 なのに、不思議と温かい。独りっきりで凍えていた頃が嘘のように、身体の芯からぽかぽかと温まっていく。 ヴィヴィオは込み上げてくる嬉しさからくすりと笑い、顔を上げて言った。 「ヴィヴィオの居場所はエリオの腕の中なんだよ?」 「え? ……え、え?」 戸惑うエリオの鼻先を人差し指で弾くとヴィヴィオは彼の腕の中から抜け出した。二本の足で立ち上がり小悪魔のような笑みを浮かべて、またくすりと笑った。 不意に、エリオの胸がどきりと跳ねた。 「じょうだん、だよ? まあ、抜けがけはキャロに悪いし今日はここまで。帰ろうよ、エリオ」 にこやかな笑みを浮かべて手を差し伸べてくるヴィヴィオを見て、エリオは思った。 「うん、そうだね。帰って……なのはさんに謝らないと」 「心配かけちゃったもんね」 「……土下座かなあ」 「土下寝じゃない?」 「な、情けないなぁ、それは」 エリオは、今まではヴィヴィオのことを子供扱いしていた。歳が4つも下なのだからそれは当然の反応であるのだが。 今日の出来事を踏まえると、もしかしたら彼女を子供扱いすることは失礼かもしれない、と。 「わたしも一緒に謝るからがんばろーね、エリオ」 「そうだねー……」 少なくとも、この瞬間だけを切り取って見れば彼らに歳の差があるなどとはとても信じられなかった。 「…………きてくれて、ありがとっ」 「なにか言った?」 「ううん」 二人は連れ立ってなのはたちが待つ機動六課隊舎へ帰ったのだった。 |