――あたし、どうなってしまうんやろね? 「あっちゃー……」 眼下に広がる惨劇は、今日一日の気分を陰欝なものへ変えるには十分すぎた。 「もう少し……いや、かなり調整が必要だな」 投げ掛けられた無遠慮な一言にも、ただただ俯くしかない。 「ごめんな、シュベルトクロイツー……」 がっくりと肩を落とした少女の周囲には、残骸としか形容できない機械部品が転がっていた。 それら一つ一つが高度な技術で造られたもので、掛け合わせれば当然のように高スペックのものができあがる――わけはなく。 「これで八台目や。ええかげんマリーさんにも愛想つかされそうやなぁ」 むしろ、低い技術で造られた物よりも繊細な調整を要求されるシビアな機械となっていた。 少女が八台目と言ったのは、つまりこれまで七度失敗しているからであり、これで八度目の失敗をしたということである。 「かもな」 少女に向けられた追い打ちのような一言は、彼女の膝を硬い床の上へと崩れ落とさせるには十分すぎた。 「……すまない。言いすぎた」 よよよと崩れ落ちた彼女の姿に流石に悪いと思ったのか、少年は表情をしゅんとさせて謝罪の言葉を告げる。 「ええよー……ええよー……。あかんのはあたしやもん。だめな子はあたしやもん。クロノ君が謝ることなんてなーんもあらへんよ。あたしがだめなだけやから」 告げた言葉は、効果がないどころか逆効果だった。少女はやさぐれ、うーうー唸りながら遠くを見つめている。 動作は多少コメディチックかつ彼女の容姿も相まって可愛らしいものだ。しかしその実、彼女は本気で落ち込んでいるようだった。 「わぎゃーん。わぎゃーん」 ……多分。 「は、はやて?」 普段は見せない奇特なアクションこと奇行をする少女の姿に、だらりと脂汗を浮かべる少年。 普段は見せないということは彼女の精神状態が常なるものではないということであり、また対応動作のサンプリングが無いあるいは絶対数が少ないということである。 「え、ええと」 つまりは。 「…………」 どうしてよいか分からず、少年は困りつつ焦った。 「ぱるぷんてー!」 しかし、どうしようもなかった。 あと、少女がのたまった呪文は特に何も起こさなかった。 「つ……次、がんばろう」 結局、少年の口を突いて出たのはそんな月並み言葉で。 その言葉はどうやら少女の癪に障ったのか、愛らしい頬をぷくりと膨らまして、少年の視線を嫌がるようにそっぽを向いてしまう。 困り果てた少年は、もう何も言わなかった。 「……あたしやってなぁ」 いや、少女が語るに任せたと言う方が正しいか。 「失敗は気にするんよ。何度シュベルトクロイツを爆発させてしもうても“大丈夫。次はきっとうまくいく”なんて励ましてるけどな? ……落ち込まないわけ、ないやろ」 ぽつりと呟き落とされた最後の言葉が、本心。 前向きな少女が隠していた声。 「あー、もー、あかん。あかんねんな。あかん」 それを落としたから、少女は首をぶんぶんと振って……そして、立ち上がった。 「シュベルトクロイツが壊れてしもたから今日の練習は終わりにしよ。わざわざ付き合ってくれてありがとうな、クロノ君」 極力表情を済まそうとしていたが、それでも落ちた気を誤魔化すことはできず、表情の中に翳を落としてしまっている少女。 彼女に少年が言葉を掛けようと口を開いたが、それはハプニングに遮られる。 「ふぇ――? きゃぁっ!?」 がくん、と。突如、少女の膝から力が抜けて崩れ落ちる。予期せぬできごとに少女の思考は完全に飛んでしまい、冷たい床に背中から落下する。 強制的に仰がされた視界に映る天井が、急速に遠ざかる。 「はやてっ!」 少女の危機を見た少年の行動は早かった。さほど距離が離れていなかったことも幸いし、彼はその腕で少女の身体を抱き、支える。 大事が起きずほっとした少年は安堵の溜息を吐いた。 「くろの――くん?」 吐いた息は、驚きに目を見開いていた少女の鼻先をくすぐった。 彼女は何度も瞼をぱちくりとさせて状況を理解に努める。 「ああ、僕だ。危ないところだったな」 「ああ、うん、ありがとうな。うん――?」 なんだか、何を理解して何を考えればいいか分からなくなってしまった少女が、小首を傾げる。 急に膝の力が抜けた原因や、背中に感じる意外とがっしりとした腕の温かな温度とか、眼前にある少年の顔のことだとか。 頭を使わなければならないことが多すぎて、少女の思考は混乱を極めていた。 「きっと、まだ魔力の運用に慣れていないせいだろうな。君はまだ足に魔力を通して歩いているだろう? 魔力が巧く通らなければ君は歩けないし、立てないからな」 「そ、そやね! あたし、まだそういうこと苦手やから……」 勢い勇んで頷くも、言葉尻に向かうにつれて小さくなってしまう少女の声。 表情もしゅんとしてしまい、見るからに落ち込んでいる。 「今はそれでいいさ」 普段は底抜けに明るいはずの、そんな少女が見せる珍しい一面。 「初めてやることや慣れていないことが苦手なのは当たり前だ。人は、できることよりもできないことの方が遥かに多いんだよ。だから練習するんだ」 戸惑いはしたが、かと言って翻弄されたまま放っておくわけにはいかない。 かと言ってこういうことは得意としていないから、どうにも言葉が回りくどくなってしまうけれど。 「今日は練習をするためにここにいる。だから、できないことに恥じたり落ち込んだりする必要はないんだ。いや、そうは言ってもできなかったら落ち込むのは当たり前だけど……」 年上の先輩魔導師として、彼女を励ましてやりたかった。 「けれどはやて。君はまだまだ駆け出しで、多くの練習が必要だ。当然、多くの失敗もする。けれど、それでいいじゃないか」 彼女の身体をそっと床に下ろしてやり、空いた手でくしゃりと頭を撫でる。 少年にはよく分からない目で彼を見ていた少女が、頭を撫でられる感触にくすぐったそうに目を細めた。 「たくさん失敗をしよう、はやて。君の魔法のためにはそれが必要なんだ。だから、たくさん失敗をしよう」 くしゃくしゃと撫でると、少女はくすぐったさから逃れるべくその身を揺らす。 けれど彼女を追いかけて、少年は少女の頭を撫で続けた。 「もちろん、僕も付き合うよ。君の失敗は僕にとっての迷惑なんかじゃないから、付き合うよ。君がきちんとできるまで、いつまでもね」 少女が動きをぴくりと止める。心なしか、彼女の頬が朱に染まったように思えた。 「はやて?」 声を掛けると、一拍だけ間を置いてから少女が顔を見上げた。 「ありがとうな、クロノ君」 そこには、思えたなんかじゃなく真っ赤に頬を染めた少女がいた。 柔らかな頬は朱を差し、瑞々しい唇まで綺麗な赤に染めて、瞳には熱を持っていた。 五つ下の少女の姿に不覚にも少年の胸が高鳴る。 「ど、どういたしまして!」 思わずそっぽを向いて、怒鳴るように返事をした。 彼のそんな態度が可愛かったのだろうか、少女がくすくすと笑う。 「おおきになー。ほな、がんばろか!」 少女が立ち上がり、今度は膝が落ちることもないことを確認してから、一歩を踏み出した。 うんっと伸びをすると、まだそっぽを向いた少年の頬を突く。 「クロノ君が嬉しいこと言うてくれたし、あたし、もうちょっとがんばれるよー?」 悪戯心を孕んだ少女に声に、今度は少年が頬を染める番だった。 「が、がんばってくれ。そうだよ! がんばってくれないと僕が困る!」 照れた彼の言葉に、さきほどまでの沈んだ顔をどこかへやった少女は意地の悪い笑みを浮かべる。 「そやね。あたしがちゃんとやれんとクロノ君が帰れんもんなー。なにせ、“君がちゃんとできるまで、ずっと”付き合おうてくれるやもんねー♪」 真っ赤になった少年の姿に“きしし”と笑う少女は、もう完全にいつもの調子を取り戻していた。 練習のために用意した魔法の杖は壊れてしまったが、それで魔法の練習を完全に行えなくなったわけではない。だから掌を前に出して、魔力をそこに集める練習を、魔力を動かす練習を開始した。 そんな、前向きに思考してすぐに行動に移せる調子を取り戻していた。 「……そうだよ」 集中する少女の耳に、ぽそりと呟いた少年の言葉が入ってきた。 小声で呟かれたものだから、もしかしたら少年はその言葉が彼女の耳には入っていないと思っているかもしれない。 何故ならば、 「そうやって君が笑って、そしてちゃんと魔法が使えるようになるまでは、付き合うつもりだよ」 口にしたセリフが恥ずかしすぎた。 「は、はやて――――――ッ!?」 魔力を操作していた少女の集中が一気に乱れ、保有量が多すぎる少女の魔力が暴れ狂う。 少女の意思とは無関係に外に放出され、しかしそれは拡散せずに球体を作って停滞し、後から放出される魔力を吸い取って肥大化していく。 「あ、あかん!? あかんよぅ……せ、制御できへんっ!?」 それはさながら、空気を入れすぎれば爆ぜる風船爆弾のようだった。 「とりあえずシールドを―――」 少年が魔法陣を展開して防御魔法を起動させようとする。だが、一足遅かった。 「きゃ―――…………ぁああああああああああああっ!?」 耳をつんざくような爆裂音がし、少年と少女に強烈な横殴りの衝撃を与える。 爆心地にいた少女が大きく吹き飛び、その身体が中空を舞う。 「ご、ごめんなクロノ君ー……」 ずいぶんと天井が近くなる中で、少女の謝罪の言葉が宙に溶けた。 しばらく感じる浮遊感。しかし、それは急に失せて少女の身体は重力に引かれる。 「謝るのは魔法の習得が完璧になった時にしてくれっ!」 だが、少女が床の上に落ちることはなかった。 温かくも頼り甲斐のある身体に抱きしめられ、柔らかい衝撃を感じて下に落ちる。 「……きゅう」 少女が下を向けば、彼女のクッションになって気絶した少年の姿がある。 どうやら受身に失敗して後頭部を打ちつけたらしく、目をぐるぐると回していた。 「ごめ――は、あかんやったね。ええと、ありがとうなクロノ君」 自らを守ってくれた少年の腕を剥がし、逡巡してから少年の枕元に座る少女。 彼女は気絶する少年の頭を己の膝の上に乗せる。 「本当は救護室に連れて行った方がええんやろうけど、近くの救護室は今日はお休みで……あたし、他の救護室は知らんから」 なんだか言い訳がましいことを口にして、先ほどは自分を撫でてくれた少年を、今度は少女が撫でる。 堅い性格をした少年の黒髪は、意外と柔らかかった。 「くろのくーん」 少々恥ずかしいものを感じながらも、少女は言う。 「さっきの言葉な? あたし、嬉しかったよー」 もしも少年が起きていたら言えた言葉ではないが、まぁ、うん、大丈夫だろう。 「でもクロノ君、ああいう言葉は彼女さん以外に言うたらあかんと思うんよ。そやないと、あたし、クロノ君のことがなー?」 しかし、彼が気絶しているから言える言葉も、だんだんと口ごもるようなものになってきてしまう。 「クロノ君のことがー……もう……もう……あかん、あかんね。あかん」 ふと、今日の自分を思い出す。柄にも無く落ち込んで、彼のことを困らせてしまった。 それは意図してしたことではなく、しかし、恐らく、彼の前以外ではああはしなかっただろう。 落ち込みはしたけれどそれを見せず、そしてなんとか前向きになって練習を再開していたはずだ。 「あかん」 けれど、自分はそれをしようとはしなかった。 「あかんねん」 それが何故だかは、うまくは口にできない。 「あかんねんなぁ……」 不器用なやり方ではあるが、彼に甘えようとしていたなどと、少女は気づけない。 「なあ、クロノ君ー? あたしなぁー……」 気づけはしないが。けれど、別のことには薄々感づき初めていた。 「たぶん、クロノ君のことが好きなんやと思うんよ。でも、でもなぁ」 少女は少年の頭を撫でる。自分を守ってくれた彼に報いるよう、優しく撫でる。 優しさは手だけではない。少女自身は気づいていなかったが、その表情もどこまでも優しいものになっていた。 「好きになって、いつもと違うあたしが前に出て。それで、クロノ君を困らせてしまうなら」 ただ、隠し切れない一抹の困惑が表情には混ざっていた。 「クロノ君をもっともっと好きになった時……あたし、どうなってしまうんやろね? どうしてしまうんやろね?」 答えは、分からない。今よりも時間が経過した未来、少女が今よりも少年のことを好きになった時にしか、その答えは分からない。 「分からへんのが……ちょっと怖いよぅ……」 今はまだ……少女には、何も分からなかった。 |