・†新ヒロイン誕生〜魔法少女カイゼルファルベ〜
・†He is called LightningHero! MAX!!
・†はやてさんの誕生日
・†キャラ付けに悩むアギトさん
・†荒んでいた頃(エリオ)
・†エリヴィタ高校生編
・†エリヴィタ高校生編その2






†『新ヒロイン誕生〜魔法少女カイゼルファルベ〜』†


 高度に発達した科学技術が魔法とまで呼ばれる域へと達した世界、ミッドチルダ。太陽の下では平穏な街は、しかし闇夜にて恐怖に包まれる。
 今宵もまた一人の少女が路地裏で怪人に襲われていた……!

「さあ、観念しておっぱい揉まれぇえええええいっ!」
「な、なんなんですかこの人ぉぉー!?」

 赤髪の少女に、マジカルモンスター『オッパイセイジーン』の魔の手が伸びる!
 あわや少女は色々なモノを散らされてしまうのかと思った、その時っ。

「待てぇいっ!」

 闇を切り裂く七色の光が走る!

「クライミライを叩いて砕く、天上無双のニューヒロイン! 乙女の悲鳴は聞き逃さない、だってウサミミ付けてるもん。魔法少女カイゼルファルベ、虹の光でおしおきよ!」

 そこには、高町なのはのバリアジェケットを着込みウサミミを付けたヴィヴィオのような謎の少女がキメポーズで立っていた!
 ジャキーンとかいう、どこか安っぽい効果音もばっちし決まっている。

「魔法少女カイゼルファルベめ! 毎度毎度邪魔をしおってからにーっ」

 オッパイセイジーンが目と口からビームを出すが、魔法少女カイゼルファルベはひらりと避けてしまう。
 じだんだを踏むオッパイセイジーン。

「しかし、今日は邪魔されへんはずや!」
「邪魔するよ! 乙女のピンチは見過ごさないよ!」
「ふ、ふふふ……」

 勝ち誇った笑みを浮かべるオッパイセイジーン。
 ばばーん! と。先ほどまで追い回していた少女にカメラをアップさせる。

「何を隠そう、この子は女装少年やー!」
「な、なんだってー!?」
「その名もエリスちゃんやー!」
「こ、これはフェイトさんたちが無理矢理ぃっ……!?」

 涙目のエリスちゃんを前にして三秒ほど悩む、魔法少女カイゼルファルベ。
 ややあって決断は下された。

「うん。男の子なら、まあいいや」
「せやろ?」
「うん。ばいばーい」
「って、ちょ、待って!? 助けてくれないの、ねえっ!?」

 慌てふためくエリスちゃん(源氏名)に、魔法少女カイゼルファルベは告げる。

「今日の魔法少女カイゼルファルベは閉店しました」
「閉店ってなにぃいいいいいっ!?」

 エリスちゃん(本名エリオ)の突っ込みをバックに月夜に溶けて消えてゆく魔法少女カイゼルファルベ。ありがとうカイゼルファルベ! どういたしましてカイゼルファルベ! 君のおかげで、乙女たちの平和は守られている!

「ふっふふふー。じゃあ、心置きなくおっぱい揉ませてもらうでー」
「ま、待ってください!? っていうか、男の子って分かってるならなんで―――ひゃうっ、や、やめてください……っ」

 でも、夜更かしはお肌の大敵だぞカイゼルファルベ!







†『He is called LightningHero! MAX!!』†



  ―――それは、御伽噺でしょうか?



 聖王教会、最奥部。教会でも一握りの人間しか立ち入れない『予言の間』と呼ばれる場所に、一人の聖女が佇んでいた。
 天窓から差し込む僅かな光が、彼女の金紗の髪を流れていく。
 もう、何時間が経過しただろうか。

「―――シャッハ」

 陽の光が月灯りに転じた頃、聖女が口を開いた。涼やかでよく通る、聞いていて不思議と心地よい声色だ。
 あるいは、そういった声を持つからこその聖女なのかもしれない。

「はい。予言が出たのですか、騎士カリム」
「ええ。それで、大至急でお願いしたいことがあるんです」
「大至急、ですか?」

 シャッハと呼ばれた騎士は、知らず知らずのうちに身構えている自分がいることに気が付いた。『予言』という超常能力を持った聖女が大至急と言うのであるから、時は刻一刻を争うのであろう。
 それこそ、数時間以内に世界が滅びるかもしれないと言われようと、それが聖女の言葉であるなら信憑性があった。

「難しいことではありません。シャッハにはある場所に行って、戻ってきて欲しいのです」

 そう言って中空に地図を映し出す聖女。ディスプレイのデーターを見ればそれは第九十七管理外世界のものであるらしく、聖女が指差した一点には日本語で『とらや』と書かれていた。

「『とらや』の羊羹が売り切れそうなので買ってきてください」
「あんたは年に1回しか使えない予言を、んなしょーもないことで使うなぁぁ―――ッ!」

 立場も階級も忘れて聖女カリムを張り倒す騎士シャッハであった。





 人通り多い繁華街はたまの休日に出歩くと時には訓練より疲れてしまう。特に買いたい物も無いエリオにとって、人波を掻き分ける作業はやる気が出るものではなかった。
 仮に一人であったなら、絶対に機動六課隊舎から出なかった。

「わあっ。みてみてエリオー! あっちに、かわいいうさぎさんがいるよー!」

 この、元気に自分を引きずりまわす小さな少女がいなければ、今頃は自主練習でもしていただろう。
 意外な力強さにぐいぐい引っ張られていきながら、エリオは苦笑いを浮かべた。

「あんまり急ぐと転んじゃうよ。うさぎさんは逃げないから少しゆっくり行こうよ」
「だめー! うさぎさんが逃げなくても時間は逃げちゃうの。休みの日は今日だけなんだよー?」

 まったく、よく出来た子である。なのはさんやフェイトさん、アイナさんの教育の成果だろうか。
 戸籍の上では5つ下、実年齢では恐らくもっと開きがあるはずの少女の、末を想像してエリオはもう1度苦笑した。

「なんでそんなに急ぐのかな?」

 なんとなく零してみた言葉だった。意地悪をしようと思ったのでもなく、虐める気も無く、何気ない言葉だった。
 しかし少女は、ヴィヴィオは立ち止まってしまう。そして、明るさを影に押し込めた、エリオが初めて見る表情を浮かべた。

「わからない……? エリオとのデートだからだよ…………?」

 それは―――女の子の顔だ。

「え?」

 突飛な出来事に硬直してしまうエリオ。そんな彼の手をするりと抜けて繁華街に消えてしまう、ヴィヴィオ。
 しばらくは呆けていたエリオだが、やがて事の重大さに気が付く。ヴィヴィオとはぐれてしまった。

「い、急いで探さないと!」

 なのはさんたちから預かった大切な少女だ。迷子にさせてしまったまま見つかりませんでしたは、ありえない。
 先ほどの流れを考えるに彼女を見つけると非常に気まずい空気が待っているだろうが、放っておいて寂しい思いをさせてしまうよりよほどいい。
 面倒臭さも億劫も全てを忘れ、人波を掻き分けていくエリオ。

「ヴィヴィオー! 返事をして、ヴィヴィオー!!」

 しかし。
 数時間が経過してもヴィヴィオは見つからなかった。





 涙目になったカリムを前に溜め息を零すシャッハ。毎度毎度の聖女のダメっぷりには呆れ返る他なかった。

「うう……ほんの冗談だったんですよ?」
「はいはい。それで、本当の予言の内容は何だったんですか?」
「ええ、それは」

 預言書の一枚―――本日呼び出したものだ―――をシャッハに見せるカリム。それを眺めたシャッハは、訝しげな表情を浮かべた。

「何も書かれていないじゃないですか」
「ええ、そうなんですよ」

 小さく「困りました」と漏らすカリム。
 視線を上げて天窓から空を見上げると、陽も月もどこかへ消えていた。それどころか星さえも見えず、そこには暗闇だけが広がっている。

「予言によれば未来は白紙。これ、どう思います?」

 数秒考えるシャッハ。未来は白紙であるとは、いかような結末も取りうるという希望となりえそうだが。
 とある可能性に考え至り、その表情を青ざめさせた。

「んー。もしかしたら世界は終わちゃうのかもしれませんね」

 シャッハが思い至った最悪の予想を事も無げに口にするカリム。彼女のあまりにも浮世離れした様子に、なんだかシャッハに怒りが込み上げてくる。
 そう簡単に滅びを肯定できるなんて、聖女は世界を愛していないのだろうか。

「でも、大丈夫ですよ」

 けれど。すぐに、シャッハは己の考えを恥じた。

「私たちには。いえ、世界にはヒーローがいるじゃないですか」

 その、あまりにも当たり前の事実を語るような口調が、表情が。聖女の確信が普遍の事実であると証明しているようだった。
 いいや、証明していた。

「絶対に大丈夫です。どんなことがあっても、ライトニングヒーローが解決してくれます」

 それは、御伽噺の登場人物なのだろうか。竜を退治するような、百万の大軍を打ち破るような、超人なのだろうか。
 いいや、決してない。彼女が言うヒーローは一介の人間である。
 まだ幼く青い、ただただ真っ直ぐである少年だ。

「だから、大丈夫ですよ」

 しかしながら聖女が彼をそこまで信じるのは、何ゆえか―――。





 重い衝撃が臓腑を打ち上げる。たまらず吹き飛ばされ、エリオは冷たい地面を転がった。
 腹部やこれまで痛みつけられてきた全身が悲鳴を上げるが、全てを無視する。

「やめてぇっ! もういいよ……もういいから逃げて、エリオぉっ!?」

 拘束されたヴィヴィオの悲痛な叫びが耳朶を打つ。皮肉にも、降伏を懇願するそれこそがエリオを立ち上がらせる源となっていた。
 敵は4人。正体をばらさないためにか、全員が覆面を被っている。外見的な特徴を鑑みるに、恐らくは女性だろう。
 一人はヴィヴィオを羽交い絞めにしているので、残る3人がエリオと対峙している。エリオとて並の魔導師でなく体術も行なえないわけはないのだが、相対した敵が強すぎた。
 相手にならない。

「ごめんねヴィヴィオ。でも、すぐに助けるから。―――待ってて」

 心の奥底で無駄と理解していながらも、魔力によって加速し雷光になって駆けるエリオ。狙うはヴィヴィオを拘束している1人。
 相手が並の魔導師であるなら、エリオのスピードに付いてこれるはずはない。

「速いな、少年。まあ、私の方が速いわけだが」

 耳元で聞こえた敵の声。どこか聞き覚えのあるその声の主は、軽々とエリオに追従していた。
 鋭い蹴りがエリオに突き刺さる。

「いやぁぁ――………ぁぁあああああああっ!?」

 中空に放り出されるエリオの肢体。身動きの取れない彼に、敵のスピードを生かした連撃が叩き込まれていく。
 ヴィヴィオの悲鳴をまるでBGMのようにして、敵の華麗とも言える技がエリオを打ちのめしていった。

「こんなものでいいだろう」

 十数秒を経て地面に落下したエリオからは、意思の光を感じられなかった。
 気絶したか、あるいは。

「では、引き上げましょう。クアットロ、トーレ、セッテ」

 敵の一人が腕を振るうと4人とヴィヴィオは闇に溶けるように消えていく。

「や、やだよ。起きて、起きてよエリオ! 大丈夫だって言ってよ……エリオ……!」

 ヴィヴィオの声も届かないまま、全ては闇に包まれた。
 後には打ちのめされたエリオだけが残っていた。





ジェイル・スカリエッティ事件は終わった。
終わった、はずだった。

脱獄したスカリエッティとナンバーズ。
彼らはヴィヴィオを誘拐し、そして姿を晦ませた。
目的は不明。居場所も不明。
それが必然のように捜査は難航した。



「あんなあ。エリオ、お前は両腕を骨折してんだ。それで捜査に加わっても何もできねーし、万一あいつらに遭遇したらどうすんだよ?」
「喉元に喰らいつきます」
「そうそう、何もできな……って、へ……?」



白紙の未来の予言とは何を示しているのか?
そして、
聖王のゆりかごを失ったスカリエッティがヴィヴィオを求めた理由とは?



「実は、パパとして娘の恋愛を応援してあげようと思ってね! 思い切って脱獄までしてきたのさぁっ!」
「ダメだこの人、早くなんとかしないと」



結局、エリオだけ空回って物語はえっらい間違った方向へ進む。



「ヴィヴィオは絶対に取り戻す。だって、『助ける』って約束したんだ……!」
「ま、待て少年!? 実はこの誘拐劇は―――げふぅっ!?」



だってこれ、ライトニングヒーローだもん。
そりゃあ、エリオがいじられるに決まってるじゃないか。



「エリオ。私、エリオに言わなきゃいけないことがあるんだ」
「うん。僕も、ヴィヴィオに言わなきゃいけないことがあるんだ」
「それじゃあ、せーので言おうか?」
「うん。せー、のっ」

「「ごめんなさい」」



シリアスに見せてしっちゃかめっちゃかどたばた系アクションラブコメディー、
『らいとにんぐハート(ヴィヴィオルート) 〜 He is called LightningHero! MAX!! 〜』
近日公開未明ッ!



「あのね、エリオ。好きって言ったら困っちゃう?」
「そう言うヴィヴィオこそ、好きって言われたらどうする?」
「え……?」
「どうする?」
「え、あの。す、すっごく嬉しいよぅ……」



 周囲のお節介が恋愛をややこしいものにする。







†『はやてさんの誕生日』†


 新暦75年6月5日午前0時00分。
 自室に設えられたデジタル時計を前にして、八神はやてはがくりと膝を付いていた。
 既に前日となった日に当たる6月4日は、彼女の誕生日である。
 
「気づかへんかった……ぜんぜんまったく気づかへんかった……」
 
 実は誕生日だった何事も無い日を思い返し、がくんと首が落ちる。のろのろと身体を動かすと、柔らかいベッドの上に身を投げ出した。
 はやては、思う。
 誕生日だった今日のことを。
 
「あー……うーん…………」
 
 疲れから重くなった瞼をこする。
 ぼんやりとする視界――と、思考――の中、はやてはぐるぐると今日を思い返していった。
 
 
 
 
 
     ◇     ◇     ◇
 
 
 
 
 
 まどろみからはやてを引き上げたのは、そう。爆発音だった。
 隊舎をびりびりと震わせた衝撃に飛び起きたはやては、無理に覚醒させられて気だるい身体を引きずって窓の外を覗き込む。
 眼下に広がる訓練場では魔力の残滓が漂っており、辛うじて誰かが大規模魔法を発動させたことだけは分かった。
 浮遊している残滓の色を見れば、その誰かも見えてくる。
 風に流された桜の花弁のような色をした魔力は、高町なのはのものだ。
 
「なーのーはーちゃーん!」
 
 窓越しに怒鳴るとその声が聞こえたのか、バリアジャケット姿のツインテールが振り向いた。ばつの悪さから困り顔をしているなのはは、何かを思いついたようで軽く作った握り拳をこめかみにコツンと当ててぺろりと舌を出す。
 
「にゃはは失敗しちゃった☆てへ♪」
 
 十九歳には死ぬほど似合わなかった。
 
「痛々しいわっ!」
 
 起き抜けの気だるさも忘れて思いっきり突っ込むはやて。その手はしっかりと裏拳を決めており、もしも彼女となのはが至近距離にいればビシッと胸に突っ込んでいただろう。
 しかし、はやての芸人気質な突っ込みはお触り禁止の地雷を踏んでいた。
 
「痛々ってどういうことかな……? 私はもう『少女』は似合わないってことかな……?」
 
 魔法少女リリカルなのはさん、静かに激怒。
 レイジングハートの尖った先端が傾けられ、まるでライフル銃のような威圧感を発しながらはやてに向けられる。
 金色の砲身に光が灯った。
 桜よりも紅に近くなり、薄紅色をした――怒気を孕んだ――魔力光は決して大きく広がろうとはせず、なのに嵐のような殺意を振り撒いている。
 それは圧縮された魔力が発する恐怖だった。
 
「私だって分かってるの! 十九歳で少女は辛いって分かってるの! でも、少女だもん! 心がきらきらしてたら何歳でも少女だもん! 十八歳のはやてちゃんには分かんないよ!」
「お、落ち着いてなのはちゃん! ありや! 十九歳で少女はありやからっ!」
「加齢臭がするとか言うなーっ! 少女臭って言えーなのー!」
「誰もそないなこと言うてないやんっ!?」
 
 眩い閃光が光の矢となって解き放たれた。
 一瞬だけ防御魔法で受け止めようと思ったはやてだが、直感が『死ぬ』と告げたので五体投射で窓辺から飛びすさる。
 けたたましく耳に痛い音に部屋が戦慄いた。
 幸いにして非殺傷設定だったために物理的な被害は無かったが、つまりそれは非殺傷設定の影響を受けるものが射線上に無かったために被害が発生しなかったのであって、非殺傷設定でダメージを受ける――八神はやて自身――が怒りの魔法を受けていたら木っ端微塵になっていたかもしれない。
 たらり流れ落ちる冷たい汗が背筋を凍りつかせた。
 
「だ、大丈夫! なのはちゃんはまだぴちぴちの乙女やから!」
「……ほんとうに?」
「ほんともほんと、八神印の太鼓判を押したるよ! おっぱいもびっくりするくらい揉みごろやから!」
 
 これ以上なのはを怒らせたら命が危ういと判断したはやては、どうにか落ち込む魔法少女の励ましに入る。
 だが、悲しきかな。
 普段とどこかずれているなのはだが、はやての説得もどこかずれていた。
 悲劇があるとすれば、両者とも寝起きであることだろう。
 
「でもはやてちゃん。フェイトちゃんやシグナムさんの胸ばっかり揉んで、私の胸は揉まないじゃない」
「そ、それは!? 目の前にスイカがあれば握らずにはいられないというか、マシュマロには飛びつかずにはいられないというかぁっ!?」
「桃じゃ物足りない?」
「せやね」
 
 瞬間、閃光。ディバインバスター。
 
「うわちちちっ!? 冗談! 冗談やからっ!」
「分かってるもんっ! 私のおっぱいが小さいことなんて分かってるもんっ!」
「なのはちゃんはこれから育つんよ!」
「もう十九歳なのにこれ以上育たないもんはやてちゃんのばかぁぁああああっ!」
 
 桜色の光が幾度となく撃ち出され、それを防ぐべく展開された白色の魔力光が何度も砕け散っていく。
 そんな、騒々しい朝の光景は。
 寝ぼけた頭が本格的に覚醒して『何やっているんだ私たちは』と我に返るまで、30分ほど繰り広げられていた。
 
 
 
 
 
     ◇     ◇     ◇
 
 
 
 
 
「朝っぱらから何してんやろ、あたしはー…………」
 
 無駄に疲れた早朝の30分戦争に出鼻を挫かれた思いでとぼとぼ廊下を歩くはやて。
 それでも歩みを止めることはなく、ひっきりなしに訴えられる空腹に従って食堂を目指していた。
 わいわいがやがやと、騒がしい談笑の場の声が聞こえてくる。
 
「んー。何、食べようかなぁ」
 
 声と一緒に料理の匂いがやってきて、刺激を受けた空きっ腹が激しい自己主張を開始する。
 ぼんやりとハムエッグが食べたいなぁと思うのは、卵とハムの匂いが鼻孔をくすぐっていたからだろう。
 
「ごーはーんー……あーさーごーはーんー……ハームエッグは塩がいいー」
 
 空腹と疲労で緩くなった頭がゆるゆるな歌を口ずさませる。
 ふらふらと食堂の扉を開くはやて。
 
「はい、エリオ君♪ あ〜んして?」
「きゅくるー」
「きゃ、きゃきゃきゃきゃろ!? あ〜んて―――あ〜んって、なにっ!?」
「きゅくるー」
 
 開けた視界に映る影。ピンクと赤と、白い竜。
 フォークで刺したハムエッグを少年の口元に運ぶ少女と、彼らの間に立って律儀に相槌を打つ竜がいた。
 それは、ばかっぷるだった。
 
「あてつけかっ!?」
 
 思わず突っ込んだはやてに食堂中の視線が集まる。
 一斉の注視に、白い頬が朱に染め上がった。
 いくつもの瞳から逃れるように身を小さくして食堂のおばちゃんの下に向かう。
 もう馴染みとなったおばちゃんと面を合わすと、くすりと笑われてしまった。
 
「ミッドじゃ十八歳は行き遅れだからね?」
「よけいなお世話ですぅっ!?」
「うちの息子、紹介しようか? ちょっと頼りないけど良い子だよ?」
「相手くらいは自分で見つけますよー……」
「で。あんたもハムエッグかい?」
「……お願いします」
 
 おばちゃんの気遣いに気落ちしながら食事を待つと、さほど時間を置かずにハムエッグとトーストとミルクがセットになったトレイが出てきた。
 それを受け取って席を探すべく周囲を見渡す。
 
「……………」
 
 あいにくながら、満席だった。
 
「ふふふ。おいしい、エリオ君?」
「きゅくるー」
「う、うん。おいしかった、おいしかったけど……」
「きゅくるー」
「だったら、今度はエリオ君からあ〜んして欲しいなぁ」
「きゅくるー」
「え、えぇええっ!?」
「きゅくるー」
 
 残念ながら、ばかっぷるのとばっちりを受けぬよう開けられた空間以外は人がぎゅうぎゅう詰めだった。
 心なしか、はやてがトレイを持つ手が震える。
 
「お願い、エリオ君♪」
「きゅくるー」
「で、でも、でも、でもぉっ!?」
「きゅくるー」
「私、エリオ君の手ずからでハムエッグを食べさせて欲しいなぁ」
「きゅくるー」
 
 神は、あの空間に飛び込めと告げていた。
 恐る恐る、おっかなびっくり歩を進めていく。
 しかし、ある所までつま先を出すと全身に鳥肌が立った。
 
「あ〜んが恥ずかしいなら口移しでもいいんだよ……?」
「きゅくるー」
「く、く、くくく、口移しっ!?」
「きゅくるー」
「ダメ……かな……?」
「きゅくるー」
「ま、まぁ……それなら……」
「きゅくるー」
 
 あ〜んはダメで口移しはええんかっ!? そんな突っ込みを必死に抑えながら、はやては子供組のいちゃオーラに中てられて身悶えていた。
 器用にもトレイに載せたミルクは零していないが、それもいつまでバランス感覚を保てるやら。
 エリオとキャロの周囲には結界とでも呼ぶべき何かが存在していた。
 
「あ、あの、八神部隊長。お席、譲りましょうか……?」
 
 奇行を繰り広げるはやてにおずおずと話しかける声があった。振り返ればオレンジ色のツインテールが目に映る。
 ティアナ・ランスターだ。
 彼女は空になったトレイを手にしていた。ちょうど食事を終えた所なのだろう。
 
「ええんかっ!?」
「え、ええ」
 
 すがりつくように寄ってきたはやてにびっくりしながらも頷くティアナ。片手でトレイを支えると、ぎゅうぎゅう詰めの中にぽっかり1つ空いた空席を指差した。
 2人の視線が空席に移る。
 
「あ、ティアー。先に起きて1人でご飯食べちゃうなんて酷いよー」
 
 不幸があるとすれば、蒼い風が彼女たちの傍を駆け抜けたことだろうか。
 風は薄情な相方に一声掛けると、パック入り弁当を山盛りにしたトレイ片手に唯一の空席を埋めてしまった。
 
「あ」
「あ」
 
 ティアナとはやて。2人の声が重なった。
 
「いっただっきまーす!」
 
 幾重にも重なったコンビニ弁当のような弁当を山の上から切り崩していく少女は、スバル・ナカジマ。
 その豪気な食べっぷりを眺めながら、はやては死刑宣告を受けたような面持ちで首をぎぎぎと巡らせる。
 視線の先には少年少女。
 
「キャロ、何を食べたい? やっぱりハムエッグかな」
「きゅくるー」
「んー。エリオ君が口移しで食べさせてくれるなら何でもいいなぁ」
「きゅくるー」
「……牛乳とかでも?」
「きゅくるー」
「……何もなくてもいい、かな」
「きゅくるー」
 
 空席は彼らの傍にしか残っていなかった。
 ぽん、と。同情するように肩に手が置かれる。
 
「御武運を、八神部隊長」
「……ありがとうなー」
 
 ティアナの優しさに涙があふれそうだった。
 
 
 
 
 
     ◇     ◇     ◇
 
 
 
 
 
 一日の回想を終えたはやては、深い深い溜め息をついた。その色は深海よりも蒼く、漆黒よりも濃いものだった。
 襲いくるまどろみに思考がもやに包まれながら、思う。
 
「ってぇっ、あたしの一日ってこれだけなんっ!?」
 
 もっともな突っ込みだった。
 
「い、嫌や! 十八歳最後の日が―――あたしの青春がこんなんで終わるんは嫌やぁぁああっ!?」
 
 このあとも何もなかったわけではないのだが、書類整理や情報処理といった特に語ることもないシーンしかないので割愛されていた。
 枯れた青春日記だった。
 
「誰や! 責任者出てこぉぉいぃっ! あたしの青春を返せぇぇええええっ!」
 
 潤いがまったく無いどころか、殺伐かあてつけかという灼熱の太陽に照らされた荒野のような枯れ具合。
 良い話とかありません。

「うわーん!? 不貞寝、不貞寝したるぅ……」

 布団に飛び込み、枕を涙で濡らすはやて。
 押し殺した鳴き声が部屋に響き渡る。

「せいしゅんってなんやー……うーわーんー!?」

 ……実は、みんながこっそりと扉の裏に待機していて『お誕生日おめでとう』とかやろうとしていたのだが、うっかりタイミングを逃したせいで日付が変わっても出てこられなかった。
 悲しきははやてさん、運の無さである。

「しくしく。しくしくしく。しくしくしく」

 さて。
 機動六課の面々が申し訳無さそうに『お誕生日おめでとうでした〜……』と告げに来るまで、あと45秒ほど。







†『キャラ付けに悩むアギトさん』†


 姿見の前でびしっとポーズを決めたアギトは高らかに叫んだ。

「ハッ。イチバチなんてーのは負け犬のセリフだぜ。敗れてイチなんて情け、いらねーよ。勝負はいつもゼロジュウだ。生きるか死ぬか、二つに一つ。チップは命、リターンは明日。さあ、未来を賭けて戦り合おうぜ!」

 言い終えると、全身を真っ赤にしつつ床を転げまわった。どうやらそーとー恥ずかしかったよーだ。
 ならやらなければいいじゃないかと突っ込まれそうだが、本人的には大真面目である。まだ熱い顔をぱたぱたとあおぎつつ再び姿見の前に立った。
 濃いメンツの中で生き残るためには常に新しい道を模索する必要があるのだ!

「べ、べべべ別におまえのためにやったんじゃねぇよ! だ、だから、その、あの………ありがとうとか、言うんじゃないぞ」

 なんだか、ものすごく恥ずかしくなった。

「うぁああああああああっ!? ほあぎゃぁああああああああっ!?」

 絶叫しながら床を転がるアギト。転がりすぎてテーブルの足や机の角にぶつかったりしたが、それでも彼女は止まらなかった。
 アホの子でないせいで溢れ出る羞恥心を拭いきれない。常識人であるからこそ現在の自分が客観的にどう映るかを自覚しており、余計に恥ずかしかった。
 まさにセルフ羞恥プレイである。

「……こんなことしなきゃならないなら、出番なんてなくてもいいかもなあ」

 全身が疲労感で包まれるほど悶え苦しむと常人の視点が帰ってくる。アギトはどこか遠くを見ながら悟りを開こうとしてた。
 自尊心と出番、そのどちらを選べと言われたら……自尊心ではないのか。

「は、はは。あははははははははは……はあ」

 疲れた身体で寝返りを打ったアギト。そこで、彼女は見てはいけないものを見てしまう。

「…………」
「…………」

 なんかエリオっぽい女の子と目があった。その女の子は、まるでエリオがピンクでふりふりのドレスを着たような可愛らしい少女だった。
 でもそんな子がそうそういるわけないので、その正体は女装エリオである。

「……いつから見てた?」
「……さ、最初から」

 まるで嵐の前の静けさであるように、静寂が二人を包んだ。
 だいたい、三秒ほど。

「―――殺す。殺す殺す殺す殺す殺すお前を殺して殺して殺してやるぅぅ―――っ!!」
「お、落ち着いて!? 僕だって、女装姿なんて見られてるわけだしさ!?」
「似合ってるからいーじゃねーかよぉぉ―――ッ!」
「それはそれで複雑だよぉっ!?」

 火球飛び交う秋の頃。
 今日も今日とて、日々は割りと平和だった。

「うわぁぁあああああんっ!? 死んであたしの痴態を忘れろこのばかぁあああああっ!」
「死ななくても忘れるから! 忘れろって言われたら忘れるからっ!? っていうか、だから、死ななくてもいいんじゃないかとぉっ!?」

 ……たぶん。







†『荒んでいた頃』†


  ―――フェイトあの女が憎かった。


 目覚めても暗闇が広がっていた。
 身を横たえている床は硬く、ただ自身の体温でいくばくか温まっていた。だが、身体を起こせばすぐに冷えてしまうだろう。石とはそういうものだ。
 少年は薄く目を開けるとぼんやりと周囲を見渡した。その行為に意味は無い。何せ、光源がまったく存在しないこの部屋では何も見えないのだから。
 この部屋は非常にシンプルな造りをしている。
 出入り口となる扉と空気穴代わりの通用口のみが設置されており、調度品や家具、寝具の類は一切置かれていない。
 無造作に転がっている鉄球がオブジェと言えなくもないが、鉄球から伸びる鎖が少年の足を拘束していることから、それは決して目にした者を楽しませる目的で置かれたものではないことが分かる。
 瞼を閉じ、その裏に広がる暗闇を見つめながら、少年は思う。
 親元を引き離されてから何日が経過したのだろうか、と。

「父さん、母さん」

 遠くの両親を想って零れた呟きは、自嘲の色に塗り潰されていた。
 彼らはもう、そうと呼んではいけない人々だ。
 けれど。
 思えば、少年は『父さん』と『母さん』以外の誰かを知らなかった。
 家にはハウスキーパーが居たはずだが、両親の懇願により彼女たちから身を隠すように生きていた。
 当時はその理由の憶測すらできなかったが、暗闇に押し込められた今では考えずとも分かっている。
 両親は、蘇った死人を他人の目に触れさせたくなかったのだ。

「貴方たちはどうして僕を造ったんですか」

 言うと、ずきりと胸が痛んだ。誤魔化すように奥歯を噛み締めるが、もう遅い。
 造られた理由は訊かずとも解っている。身代わりだ。
 一人息子を失った悲しみを埋めるべく、違法技術によって生み出された自律人形が自分――エリオ・モンディアルと名付けられた少年――だ。
 心に空洞を抱えた大人のために造られたよくできた玩具だったわけだ。

「造られた理由を失った人形はどうすればいいんですか」

 何も知らなかった頃はどうしようもなく幸せだった。無条件に愛情を注いでくれる人々がいる生活はなんと満たされていたことだろう。
 頬を撫でる風も、小鳥のさえずりも、草木の匂いも、全ては祝福されていた。
 天頂に輝く太陽の下、眩しい世界で生きていた。

「いっそ、飽きたら壊してくれればよかったんだ」

 全てを知った今となっては、過去の何もかもが掌から砂になって零れ落ちてしまった。
 拾いなおそうにも身と心を抱かれた暗闇が深すぎて見つけられないし、何より取り戻す気が起きない。
 暖かな光を一身に浴びていた記憶なんて、冷たい暗闇の中では背筋を凍りつかせるだけだ。
 もう、光なんて取り戻さなくていい。

「そうじゃなきゃ……簡単に捨てるくらいどうでもいいなら造らないでくれたらよかったんだ……」

 心まで闇に染まった身として、一切の光を否定する。
 暖かさも、眩しさも、幸せも、愛しさも。全てはいらないものだった。
 なのに少年は、彼に与えられた力からそれを捨てられないでいた。
 思い出させられるのだ。

「造ってくれなんて僕は望んでない……ッ!」

 悲痛な叫びがそれを呼ぶ。少年の体躯を血液のように駆け巡る物質――リンカーコアにより魔力に変換された魔力素――が皮膚細胞を食い破り、彼の意思と無関係に吐き出される。
 少年の細胞を潜り抜けた魔力は彼の特異な資質からイオンに姿を変え、迸る電撃となって顕現した。
 暗闇に、切り裂くような光が走る。

「生きたいなんて、僕は願わなかった……ッ!」

 でたらめに放出された電流が鞭のように石造りの部屋を暴れまわる。しなるたびに細かい破片を飛び散らせ、うなるたびにけたたましい音を響かせる。
 眩く輝き視界を白く染める、雷光。
 これこそが、少年が自らの心から光を消し去れない原因だった。
 己の意思では制御できない雷光を見るたびに幸せだった日々がフラッシュバックする。
 黒く塗り潰してしまいたい思い出が何度も何度も蘇ってくる。

「僕はどうして! 僕は何のために! 僕はなんで……ッ!」

 暗く淀んだ熱に浮かされるままに叫んだ。
 皮膚が熱い。自らの雷光に焼かれ、一部は真っ白な煙を噴き出している。これ以上能力を超えて電気を放出し続ければ、魔力を電気へ変換する細胞が焼け爛れぐずぐずになって崩れ落ちるだろう。
 いっそ、そうしてくれればありがたい。
 何日も充分な栄養を摂取できていないせいで痩せ細った腕を硬い床に叩きつけながら、少年は咆哮を上げた。

「僕は―――」

 しかし、勢いは最後まで続かなかった。元々蓄えていたエネルギーが異様に少ない状態で行なった放電現象は少年の体力を一気に奪い、身体の芯が凍りついたように冷えていく。
 心を支配していたほの暗い情念も、焼けるような皮膚の熱も、全て嘘のように引いていった。
 筋力を使い果たした腕は持ち上がらなくなり、怒声を吐き出していた肺は呼吸で精一杯になる。
 スタミナ切れによる身体と意識の強制シャットダウン。
 唐突な睡魔が襲い来る。

「―――僕は―――」

 それでもなんとか吐き出した言葉は弱々しく、先ほどの激しさとは打って変わって今にもへし折れてしまいそうだった。
 孤独な少年のすがるような呟きが零れる。

「―――何のために生きればいいの?」

 頼りを探した呟きはもちろん返されることなく闇に溶けてしまう。
 代わりに、扉が開かれた。
 暗闇に目慣れした少年は、薄れる意識の中で眼球を焼かれる思いをする。扉の隙間から差し込んできた――何の変哲も無い照明の――光は彼にとって毒に他ならなかった。
 不快感と灼熱感が落ちる意識を引き止める。

「――――」

 扉の向こうに誰かがいた。その、光を背負った金紗の髪を流したスーツ姿の女性は、唇を開閉させている。
 何かを言っている。
 けれど、少年の耳は彼女の言葉を拾うことができなかった。
 引き止められたとは言え、意識は失いかけだった。

「―――、――――」

 ただ、不愉快だった。逆光になって顔こそ分からないが、だからこそ光が射す場所から自分を見る彼女は疎ましかった。
 憎悪したと言ってもいい。
 光なんていらない。そう思った少年に眩い光を見せてくるなんて―――悪質な嫌がらせだ。

「―――から――――いいよ」

 女性が近づいてくる。耳が勝手に彼女の声を拾った。こんな場所と自分には不似合いな、清涼感のある声だ。そして――腹立たしいほど――慈愛に満ちている。
 近づかれたことで分かったが、女性は美人だった。それこそ造り物めいた整った面立ちが、ぞっとするほどの美を感じさせる。
 なのに仕草は人間臭く、それが余計に少年を苛立たせた。
 残った気力を振り絞って差し出してきた手に噛み付く。
 そこで少年の意識は途切れた。

「―――――――いいよ」

 少年は夢の中で柔らかく温かな腕に抱かれていた。まだ何も知らなかった頃の記憶だろう、と。思考のどこか奥の奥がそう告げる。
 無心の愛情を注いでくれる抱擁は母のものだ。
 見上げれば――逆光になってよく見えないが――母の顔がある。
 ただ、不思議なことに母の髪は艶やかな金だった。
 記憶では薄い桜色をしていたように思う。父はグレーだったので、そちらと間違えた可能性もない。
 首を傾げる少年に母は告げる。

「生きる理由は、これから見つければいいよ」

 告げた意図を読めない言葉に少年は困惑する。
 なのに、どこか泣き出しそうにも見える彼を母――ではない、誰かは――そっと。しかし、強く抱きしめた。
 刹那、少年に二つの感情が湧き起こる。
 眩しい光を感じて反射的に胸を締め付けた―――憎悪。
 そして、温かなぬくもりに心を溶かされる―――愛しさ。

「大丈夫」

 泣き出しそうな愛しさと喚き出したい憎しみが鬩ぎ合う。喉はからからに、胸はいっぱいになった。
 心の真ん中はがらんどうで、けれど何かで満たされていて。
 形容できない揺らぎが心を震わせている。

「君は雷光ひかりを持っているから、きっと明日を生きていけるよ。君が望めば、ひかりになって誰かを照らすことだって、きっとできる」

 なんて返せばいいか分からなかった。
 受け取った言葉は漠然としか享受できなくて、揺れる心に激しい荒波を立てる。

「おやすみなさい、エリオ。明日に行くために瞼を閉じて」

 少年は、言われるがまま瞳に蓋をした。視界が黒く塗り潰され、暗闇が訪れる。
 けれど、不思議なことに闇を前にしても何の感慨も抱かなかった。
 薄く目を開けて光を見ても、激しい憎悪に心を掻き乱すこともなかった。

「目を覚ましたら、あしたの下で君の今を作っていこう?」

 ただ、穏やかに。
 何日ぶりかも分からない安らかな眠気に身を任せ、少年は夢の中で夢の世界へ向かうのだった。
 これが少年――エリオ・モンディアル――の、始まりの物語である。







†『エリヴィタ高校生編』†


 いつの間にか随分と背が伸びた。制服に身を包み、その上からエプロンを羽織ったヴィータは、最近とみにそう感じていた。
 自身の成長は嬉しく、足取りを軽くさせる。
 板張りの廊下を勢いよく駆けるヴィータ。目的地の前に辿り着くと深呼吸をしてから扉を開いた。
 そしてアイゼンを振り上げ、ねぼすけに振り下ろす。

 ぐしゃぁ。

「―――って!? だから、こういうバイオレンスな起こし方をされなくても普通に起きますからっていつも言ってるじゃないですかぁっ!?」
「これが1番早ぇーんだよ。それより、とっとと起きないと遅刻するぞ」

 ヴィータのセリフを受け、痛む腹をさすっていたエリオが時計を見やる。時刻は6時30分。
 部活の朝練まで、残り20分。

「う、うわわ!? もう20分前に目覚ましをセットしてたはずなのに、どうして!?」
「どうしてだろうなー。この、ねぼすけ」

 慌てるエリオの頭を軽くはたくヴィータ。実は20分前からちょくちょく声を掛けてはいたのだが、エリオは一向に起きようとしなかったのだ。
 そのせいで、ヴィータさん少し不機嫌。

「んじゃ、あたしは一階に降りてるからな。早く着替えろよ?」

 アイゼンを担いだまま階段を下って行くヴィータ。その背を見送る間も無く、あたふたと着替え始めるエリオ。
 そろそろ着慣れた学ランも、もう数日で衣替えだ。
 最初は行く気が無かった高校も、今では随分と慣れ親しんでいる。

「着替え、よし。鞄、よし」

 着替え終わると通学鞄と脱いだ衣類を引っつかんで一階へ降りる。寝巻きを洗濯機に入れてから居間に向かうと、食卓テーブルには既に朝食が並べられていた。
 トーストに玉子焼き、ハム、牛乳、ウィンナー。それにからあげ。いつもの朝食だ。

「おはようございます、ヴィータさん」
「おはよう、エリオ」

 朝の挨拶を交わしてから席に着く。最近ようやく使えるようになった箸を手にすると、小さくお辞儀をした。

「いただきます」

 そして、作った人に割りと失礼な速度で朝食を口に押し込んでいく。そろそろいつもの光景なのでヴィータは何も言わないが、心なしか不満そうである。
 かと言って時間と付き合わせると背に腹は変えられないので仕方ない。

「ごちそうさまでした!」
「……ん。おそまつさまでした」

 朝食を綺麗に平らげると鞄を引っつかんで立ち上がるエリオ。
 全力で走らないとかなりピンチな時間だ。

「それじゃ、行ってきます」
「あ、置いてくなよ!」

 ばたばたと慌しく玄関に掛けて行くエリオを追いかけるヴィータ。部活の朝練に向かうエリオを玄関口から見送ることが習慣になっていた。
 玄関でエリオが靴紐を結ぶ間に2,3の言葉を投げかけるヴィータ。

「昼ごはんはいつもの場所でな。弁当はその時に持っていくから、楽しみにしとけよ」
「今日は朝ご飯にからあげがあったから、お昼もからあげなんですよね?」
「楽しみにしとけよ?」
「はい」

 弁当箱に入りきらなかったおかずが朝食に出ることは、割りとある。

「あ、そうそう。僕、今日は帰りが遅くなります。だから、晩御飯は先に食べちゃってていいですよ」
「んー、分かった。でも、たぶん待ってるよ」
「まあ、いつもそうですもんね」

 くすりと笑いながら、靴紐を結び終わったエリオが立ち上がる。ドアノブに手を掛けると、勢いよく扉を開いた。
 涼しげな朝の空気が頬を撫でる。走って行くにはちょうどいい気候だろう。

「ちょーっと待て、エリオ」

 いざ走り出そうとした時、学ランの裾を掴まれてしまう。振り返れば頬を膨らませ不機嫌顔をしたヴィータがいた。
 彼女のそんな仕草に、エリオはもう一度くすりと笑った。

「そうか。忘れ物してましたね」
「そうだよ。忘れんじゃねーよ、ばか」

 これ以上ヴィータの機嫌を損ねる前に彼女を抱き寄せるエリオ。小柄な彼女は簡単に両腕に収まってしまう。
 少し目線を下げると、見上げる目線と出会った。

「……待ってるからな。早く帰ってこいよ?」
「はい。約束します」

 告げてから刹那だけの口付けを交わした。

「それじゃ、行ってきますね」
「うん。気をつけろよ」
「ヴィータさんも通学の時は気をつけてくださいね? 可愛いんですから、いつ襲われやしないかっていつもヒヤヒヤなんですよ」
「な、ば、ばかっ!? とっとと学校へ行けぇぇーっ!」
「はい、行ってきまーす」

 顔を赤くしてアイゼンを振り回すヴィータから逃げるようにして走り出すエリオ。その表情には、ただただ満円の笑みが浮かんでいた。
 エリオとヴィータの高校生活。これが、その一幕である。







†『エリヴィタ高校生編その2』†


 減塩味噌を使ったお味噌汁は味が薄い。
 部活で疲れたエリオは、そんなことをぼんやりと考えながら夕食を食べていた。

「そういえばさ」

 たくあんを齧っていたヴィータがぽつりと零した言葉。それを、半分眠り掛かっていたエリオは夢の世界に片足を突っ込んだ状態で聞いていた。
 ともすれば聞き逃していたかもしれない。

「最近体調が悪くて病院に行ってみたら、子供が作れる身体になったって言われたんだよ」

 と言うか、あまりにもさり気なく告げられたせいで、最初は右から左へ聞き逃していた。
 ゆったりと動く脳が数秒掛けて告げられた言葉を咀嚼するまで、エリオはろくな反応を示せなかった。
 驚愕までの時間、ゆうに十二秒である。

「……ど、どうしようか?」

 見ている方が恥ずかしくなるくらい真っ赤になった顔でそう言われると、なんだかとても困った。
 少し落ち着くべきなのだろうけど不意打ちに心臓を鳴らされてしまい、少々厳しい。
 それでもなんとか言葉を搾り出そうとすると、飲みかけだった味噌汁が気管に入って咽た。

「げ、げほっ。げほ、げほっ、げほっ」
「わわ、ちょ、大丈夫か!?」

 幸いにしてご飯に被害はありませんでした。

「え、えーっと」

 瞳に輝く『期待』の二文字。そんな目を向けられれば男として逃げるわけにはいかないが、エリオたちは高校生である。
 自活能力があるとは言え、『できちゃったから高校辞めて社会人に戻ります』というのも世間体がひじょーに悪い。
 そういうことを考えると踏みとどまってしまう、が。

「あの……さ……。やっぱりあたしって、そういう魅力無いかな……?」

 踏み出すべきか、踏みとどまるべきか。
 茶碗片手に真剣に悩むエリオなのだった。





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