・†世界はすっげぇ広いんだ(エリオ×ヴィータ)† ・†世界はすっげぇ広いんだ。の、オチ(エリオ×ヴィータ)† ・†稽古(エリオ×ヴィータ)† ・†紅師弟訓練記録(エリオ×ヴィータ)† ・†落雷(エリオ×キャロ)† ・†歩幅(エリオ×キャロ)† ・†彼氏が器用だとへこむヨネ(エリオ×ヴィータ) ・†空色のスバル† ・†更衣室の会話† ・†恥ずかしいエリフェイ† ・†何でもありの学園世界!† ・†魔法少女カイゼルファルベ† ・†欲求不満のお話(エリオ×ヴィータ)† †世界はすっげぇ広いんだ† ―――走るぞ! 視線の先は地平線。大地はどこまでも続いていた。いくら手を伸ばそうと果てに届くことはない。 ややあって、少年――エリオ・モンディアル――が小さな唸り声を上げた。 「どーしたんだよ、エリオ」 唐突に、何の脈絡も無く上がった奇声に訝しげな視線を向けたのはヴィータ。今日も今日とて、エリオは彼女に『修行』と称されて引っ張り出されていたのだった。今はその『修行』の休憩時間である。 エリオは恥ずかしそうに頬をかきながら、言った。 「世界って広いなあ、って思ったんですよ。そしたら、なんだか、その、うーん……」 煮え切らないエリオの言葉。ヴィータは、それが形としてまとまるのを待つことにした。しばし、頭を悩ませて百面相を見せるエリオを観察する。 少年の言葉を一笑して流してしまうことは簡単だったが、師として彼の感慨を無碍にしてしまうわけにはいかなかった。 最も身近な自己以外である『世界』について思うことは、少年が子供から大人になるために必要な儀式の一つだからだ――とは、彼女の考えであるのだが。さておき。 「夢と言いますか、希望と言いますか。そんな風に呼べる胸に抱えていた何かがずーんと重くなったような気がしたんです」 「ん。そっか。……あのさ、お前の胸には具体的には何が入っていたか聞かせてもらってもいいか?」 しばし間を空けた後、エリオは首肯した。 「世界中の悲しいことをなくしたいって、そんな願いがあります」 その願いが大それていたのは彼が子供だからだろうか。現実の汚泥に汚れる前の純白のキャンバスに色とりどりの未来を描ける、人間が無垢でいられる時代のものだからだろうか。 しかし、エリオは悲しいことに普通の子供に当てはまることが必ずしもそうであるとは限らない少年だ。彼は既に、あるいは大人よりもずっと残酷な現実に汚されていた。 彼の半生を考えれば夢が実現可能か泡沫かを判断できないはずがなかった。 「それが重くなって……胸が痛くなったりしたか?」 「そうですね。少しですけど、痛いような気がします」 落ち込んだ声を前にして、ヴィータはエリオの手を握った。少年の表情に驚きと、少しの赤みが表れる。 彼のそんな様子を微笑ましく思いながら、ヴィータは不敵に笑ってみせた。 「エリオ、お前に大事なことを教えてやる」 ヴィータはエリオの手を引っ張る。小柄な身体からすれば意外なほど力強い。 「走るぞ!」 言うやいなや、ヴィータはエリオを引きずって爆走を開始する。つんのめって危うく転びそうになるエリオだが、どうにか体勢を立て直す。そうして、ヴィータに引きずられるままに走っていった。 ヴィータのペースはエリオのペースより速いのだろう。一人で走るよりも胸が苦しく、疲れが早い。オーバーペースにすぐにバテてしまいそうになったが、師匠の手前、歯を食い縛って踏ん張った。 それでも、挫けそうになる。何度も何度も挫けそうになる。けれど、彼を引っ張る力強い手が挫けることを許さず――折れ掛かる心を支えてくれた。 今にも張り裂けそうな心臓をごまかして、ひたすらに走り続けた。 行けども行けども、視線の先には地平線。 当然である。何故なら世界は広大で、人間なんて世界からすれば極小の点にすら満たないのだから。 世界からすれば個人とは矮小であろう。それを知った時、少年は視界を覆っていた夢の泡を弾けさせ現実を見る。 こうして地平線を追いかけて走り続けるという行為は、ただただ世界の広さを見せ付けられるだけだ。そこに、夢を諦めさせる以外のどんな意味はあるのだろうか。 エリオには分からない。ただ、ときおりやけに楽しそうなヴィータを眺めながら、走り続けるだけだった。 変化が訪れたのは、そう。深い森の中に飛び込んで、そこを抜けた瞬間だった。 木々が失せ一斉に開ける視界。そこに大地は無く、夕陽を受けてきらきらと輝く大海原が広がっていた。 もう、地平線はどこにも見えない。 「エリオ」 歩を止め肩で息をしているエリオに、同じく肩で息をしているヴィータが言う。 「苦しいか?」 うまく声を出せず首肯で答えるエリオ。全力以上の疾走によって肺が悲鳴を上げていた。 ただ、それがどこか心地よいのは何故だろう。 「いいか、よく聞けよ? 世界はギガ広くてあたしたちはすっげぇ小さい。だけど、」 ヴィータは水平線を指差し、続いて振り返って来た道を指差した。 「がんばって苦しいことを耐え続ければ辿り着けない場所なんて一つもねえ!」 果てに届かないと思っていた地平線を走り抜けた。それが彼女の言葉に説得力を持たせ、またエリオの胸になにか熱いものを抱かせていた。 落ち着こうとしていた胸の動悸が知らずに高まっていく。海風が身体を撫でるたびに体温は下がっているはずなのだが、それどころかどんどんと熱くなっていく。 「あたしも上手く言葉にはできないんだけどさ。つまりは、なんだ、そういうことなんだ。あとは自分の胸に聞いてくれ」 エリオ自身も上手く言葉にはできないが、小さな師匠が言いたいことはなんとなく分かっていた。 胸中に灯った火が全ての答えなのだろう。 「だからがんばれ、エリオ。苦しさに負けんなよ」 どんっ、と。エリオの胸が叩かれる。存外強い衝撃によろめきつつも、エリオははっきりと返した。 「はい! がんばります!!」 エリオの返事に嬉しそうな笑みを見せるヴィータ。その笑みに釣られて笑うエリオ。 さざ波のすぐそばで、小さな師弟はしばし笑い合っていた。 †世界はすっげぇ広いんだ。の、オチ† 帰路につく二人。彼らの手は勢いで走っていった時のまま繋がれっぱなしだった。 手を離す機会を失ってしまったせいであるが、ものすごく気恥ずかしかった。 基本的に二人とも純情なのである。ついでに言えば、別に恋仲というわけではない。 ただ、お互いがお互いを意識しているせいで妙に頬が熱くなってしまう。 「あ、あの、今日はありがとうございましたっ!」 「べ、べべべ別にいいっての! あたしはエリオの師匠なんだから、これくらいどうってことねーって!」 どちらとも口を開く度に妙に力が入っていた。 「あ、あうぅぅ」 「え、えーっとぉ」 真っ赤になった困り顔の二人。しばし口をぱくぱくさせるが、やがて意を決して――偶然か必然か、両者ほぼ同じタイミングで――言った。 「手を離そう!」 「手を離しましょう!」 やたら気合が入りすぎていた。 「…………」 「…………」 無言が流れる。 「せ、せーの、でいきましょう!」 「そ、そうだな!」 気まずさは徹底的にスルーすることに決めたようで、とりあえず話を進めることにした。 「そ、それじゃあ行きますよ!」 「お、おう!」 たかが手を離すだけなのに気合を入れすぎである。 「せー、」 「のっ!」 繋がれた手が上下に振られた。 たが、それだけだった。 「……えーっと」 「……えーっと」 手は繋がれたままである。 「あ、あはははは。えっと、その」 「なんだなあ、うん」 リンゴよりも顔を赤くした二人は空いている手をじたばたさせたり、むやみに顔をぶんぶん振り回したあげく、決めた。 「こ、このまま帰りましょうか……?」 「そ、そうだな……」 師弟以上恋人未満という、なんとも難儀な二人であった。 †稽古† 始まりの日から数えて一ヶ月目を迎えたヴィータとエリオの特訓。記念、というわけではないが、その日は少々異なった趣向の訓練を行なっていた。 常ならばグラーフアイゼンの推進機構を継承したストラーダを振るうエリオのためにデバイスの取り回し方を手解きするヴィータなのだが、その日は訓練に二振りの刀を持ってやってきた。 日本円にして一振り55万である、まあまあ手ごろな稽古用の真剣である。 一振りの真剣をエリオに手渡し、もう一振りを抜き放ってヴィータは言った。 「今日は斬り合いをするぞ。手加減抜きで掛かってこい」 最初、エリオは何の冗談かと思った。だが、軽口を告げる間も無くヴィータが白刃を閃かせた。剣先に頬を撫でられ鮮血が舞う。 背筋が凍った。 「構えろ、エリオ」 鋭い息と共に吐き出されたヴィータの言葉に反射的に従って構えを取るエリオ。震えそうになる腕を必死に抑えてヴィータと対峙した。 二人が握った真剣の剣先が触れあい、互いに一足刀の間合いに入る。 「気が抜けたら容赦無く斬るかんな」 似通った体格の二人が互いに同じ武器を用いているのなら、勝敗は腕の差のみで決する。技量の違いが絶対的に生死を分け隔てるのだ。 真剣を正眼に構えたヴィータを前にしてエリオは固唾を飲み込み、攻めあぐねて焦れる背筋を抑えながら彼女の隙を窺った。しかし呼気すら読み取れず、それどころか身を縛るような威圧感を浴びせ掛けられ気が触れそうだった。 ―――真剣を突き合わせてから十秒が経過した。 そのたった十秒がエリオの精神を磨耗させていた。まるで要塞に棒切れ一本で挑んでいるかのような錯覚に襲われ、思わず柄にすがりつく。だが、掌に返ってくる感触はどこまでも心細かった。 どうしようもなく気持ちで負けてしまっていた。 「エリオ」 名前を呼ばれた。だが、返事ができなかった。全身が金縛りにあったように硬直していて唇さえ動かすことができない。 息が詰まり呼吸もままならない。胸が苦しく全身は総毛立ち嫌な汗が絶えず噴き出た。 「……ここまでにしとこう」 ヴィータが構えをとき真剣を納刀する。刀身が完全に鞘に隠れると、エリオはようやく大きく息を吐き出すことができた。 ほんの僅かな時間しか経過していないはずなのに半刻以上も対峙していたような気がした。少なくとも脳に訴えかけられている疲労感は明らかに経過時間を超越している。 「顔色悪いぞ。シャマルんとこ行くか?」 「いえ、大丈夫ですヴィータ副隊長」 「そーか?」 いくらか待てば心が平穏を取り戻し、対峙の記憶を反芻させる。良点と悪点を洗い出して反省を行った。 反省の結果は、当然のことながら芳しくない。 「苦しかったか?」 ヴィータの問いに首肯で返すエリオ。胸を締め付けられた記憶は幻痛を感じさせるほどに鮮明で、呼吸を狂わせる。 息苦しさを覚えてエリオは深呼吸を行なった。 「どうして苦しかったか分かるか?」 やや間を空け呼吸を整えてからエリオは口を開いた。 「命のやり取りだったから、です」 「ん。だろうな」 教え子の回答に頷くとヴィータは言葉を続けた。 その表情はどこまでも険しいものだった。 「エリオ、お前が時空管理局に籍を置いて魔導師として活動する以上、命のやり取りを行なう可能性は常にある。それは分かっているよな?」 「はい。向こうがこちらを殺害しようとする可能性があることは分かっています」 「よろしい」 ヴィータは一度言葉を区切ると突然鞘から刃を抜き出し切っ先をエリオの眉間に突き付けた。 エリオの背筋に氷刃が滑り落ちたような悪寒が走った。 「命のやり取りってのは、つまりはお前が今感じたものだ」 「…………」 「怖いか?」 「……はい」 「ん」 真剣を刃に納め帯紐で刀が抜けないように固定するヴィータ。もう説明の中で真剣は使わないのだろう。 真剣が仕舞われる様を見てエリオは安堵している自分がいることに気づいた。 「そう、怖いんだ。命のやり取りはすっげぇ怖いんだ。それは取られる側に立ってもそうだし、取る側に立ってもそうなんだ」 ヴィータはエリオの手にあった真剣をひったくった。戸惑うエリオを尻目に刀を抜き出すとその柄をエリオに握らせ、剣先を自分の眉間に突き付けさせる。 もしもエリオが少しでも前に進めば鋼の刃はヴィータの柔肉を突き破るだろう。 「あの、なんで、」 震えるエリオを他所にヴィータが僅かばかり前へ出た。剣先が眉間に突き刺さり一滴の紅が流れ落ちる。 エリオは恐怖で強張った。 「お前は騎士になりたいって言ってたよな? だったら、一つ約束欲しいことがあるんだ。それを守ってくれないなら、あたしはもうお前の面倒は見ねえ」 「なに……を……?」 恐怖から硬くなるエリオの声。彼のそれを聞きヴィータはどう思ったのだろうか。表情が変わらぬ彼女の様子からは読み取れない。 「命のやり取りそのものからは逃れられないだろうさ。けれど、誰の命も奪わず、誰にもお前の命を奪わせるな。命を奪っちまったら怖いどころの話じゃないんだぞ? それはどろどろになって胸の奥にへばりついて、一生消えねーんだ。そんなものを抱えて生きるもんじゃねーよ」 ヴィータは剣先から頭をどかすとエリオの下へ歩み寄った。硬く刀を握った手に掌を添え、彼の瞳を射抜くように彼を見据えて言葉を続けた。 「誰の命も奪わず、誰にも命を奪わせない。約束できるか?」 エリオは首肯しようとして、やめた。 緊張と恐怖からからからになった喉から声を絞り出して言う。 自分の気持ちをはっきりと告げるために口を開く。 「約束します。絶対に守ります」 ヴィータは、しばらくエリオの瞳を眺めていた。言葉の真偽を量るようにじっと見つめていた。 だが、ヴィータは彼の言葉を信じたのだろう。 「ん。それでこそあたしの弟子だ」 険しい表情をようやく綻ばせ、柔らかく笑った。 「強くなれ、エリオ。それは身体もだけど心もだ。お前が強くなるために必要なことはまだまだたくさんある。あたしが、教えられる限り教えてやる。……ついてこれるか?」 「意地でもついていきますよ」 「ん!」 満足のいく回答を得られたのか嬉しそうに笑うヴィータ。つられて頬を緩めるエリオ。だが、何かに気づき申し訳無さそうな顔をヴィータがしたためにエリオは小首を傾げた。 ヴィータの手がエリオの頬に伸ばされる。 「頬っぺた切っちゃってごめんな」 「あ、これくらい大丈夫ですよ。それよりも、ヴィータ副隊長こそおでこから血が」 「んー? これくらいは舐めりゃ直るよ」 ヴィータがそう言うのでエリオは彼女のおでこを舐めた。舌先で傷口をくすぐられヴィータは小さく身を震わせた。 そして、 「って、なにすんだよっ!?」 真剣の柄頭でエリオの水月を強打した。 「な、舐めれば直るって言ったじゃないですか……!?」 「お前、冷静に戻っているようで実はテンパってるだろう!?」 「そ、そうかもしれません!?」 あたふたと慌てふためくヴィータとエリオ。 帰りが遅い二人を心配したキャロが迎えに来るまで彼女たちは他見じゃれあっていた。 なお、当人たちにじゃれあっていたんじゃと言うと否定されるので、否定されます。 †紅師弟訓練記録† ―――何もできないなんて、そんなこと思いたくないじゃないですか。 道端に蹲る小鳥を見つけた。心配して近寄ると既に事切れていることが分かった。 地面に穴を掘り小さな身体を埋葬してやった。 土の蓋を被せてやり、手を合わせて冥福を祈る。 ―――小鳥の鳴き声が、聞こえた。 はっとして周囲を見渡すと一匹の小鳥が鳴いてた。 もしかしたら、つがいだったのかもしれない。伴侶の死を悼んでいるのかもしれない。 心からの哀切によって震えているかのような鳴き声に、やり切れない感情を抱いた。 悔しさに奥歯を噛み締める。血が滲むほど固い握り拳を作った。 ―――どうにもならない。 ―――なにもできない。 そんなこと思いたくないのに、目にした現実に逃げられない証拠を突きつけられていた。 無力感に打ちひしがれる。心が、ずきずきと痛む。まるで胸に大きな穴が空いたようだ。 ―――やがて小鳥は去って行った。 いつしか、死した小鳥の墓標を見つめる者は全て居なくなるだろう。小さな命の終焉を悼む誰かは、きっとここから消えるだろう。 もとより、墓碑銘すらない無縁墓だ。小鳥を埋葬した者が立ち去ればそこにある意味を知る者は居なくなってしまう。 だから、彼は時間が許す限りその場に居続けた。手を合わせ、黙祷を捧げ続けていた。 ―――涙が一滴、少年の頬を伝って……落ちた。 ◇ ◇ ◇ 掌に血肉刺――チマメ――ができた。修練を欠かさない真面目な少年にとって掌に肉刺ができるなど珍しいできごとではないのだが、しかしそれは珍事だった。 普段とは異なる場所に肉刺ができたのである。 それはつまり、常ならば使わない箇所に負荷が掛かった―――型が乱れていた。ということである。心の平衡が保てていない証拠、とも取れる。 誰よりも深く自らの心の内を理解している少年は、掌にできた肉刺を眺めて悔しそうに奥歯を噛み締めた。 「焦りすぎだ、エリオ。血肉刺になるまでに気づかなかったわけじゃないだろ? 肉刺ができたら水抜きしとかねーとあとが怖いんだぞ」 血肉刺の処置をしてくれた師匠―――ヴィータの苦言に、少年――エリオは何も言い返せなかった。 言われた通り、訓練中に肉刺ができたことは気づいていた。だが無視して愛槍を振り続けた。 ただ我武者羅にやるだけでは強くなれないと分かっていたはずなのに、自棄になって槍を振り続けたのだ。 恥ずべきは己の心の未熟さである。 「キツイこと言うけどな」 エリオの掌を治療していたヴィータがついと視線を上げ、言う。彼女の真剣な表情に険が含まれていた。 エリオの行為は、つまりは、ヴィータが彼に貸した訓練を信用していなかったという証明になっている。 自然、口調も厳しいものになっていた。 「ヒヨッコのお前がいくら背伸びしたって、どこにも届かないんだよ」 冷たい言葉が突き刺さった。鋭い痛みがエリオの胸を抉る。 「世界の不条理を嫌ってもどうしようもない。お前はまだ何もできないんだよ、エリオ」 エリオは、すぐに反応を示すことはなかった。もしかしたら打ちひしがれていたのかもしれない。 やがてエリオは喉を震わせた。今にも消え入りそうな声量で呟くように――砕けそうな心を必死に支えて――想いを口にした。 「なにもできないなんて、そんなこと思いたくないじゃないですか……」 あと少しの圧力が掛かれば泣き出してしまいそうな、ひび割れた心情を表した言葉。ヴィータは悩まずそれを折りに掛かる。 彼女は少年の師匠なのだから。 「未熟者が自惚れんなよ。お前は、何もできないんだ」 身を裂くような悲しみに襲われたエリオが表情を歪める。ヴィータもまた心が痛む。 ヴィータとて、エリオの言葉を肯定してやりたい気持ちはあった。だが、頷くわけにはいかなかった。 ヴィータは少年の成長を切実に望んでいる。エリオに強くなって欲しいと、強くなってもらうためにと、いつも考えを巡らせていた。 四六時中エリオのためにエリオのことを考え続け―――エリオを信じている彼女だからこそ、すがるような彼の言葉を否定した。 何故なら、ヴィータは知っているからである。 「…………そう、ですか」 少年――エリオ・モンディアルの根底にある心の強さを。 決して特別なものではないが、全ての愛しさを絶望に塗りつぶされてからまた這い上がった過去が、彼に――悲しいまでの――強さを与えていた。 「…………そう、ですよね」 もう、エリオの震えは止まっていた。 「僕にはなにもありません。僕にはなにもできません。だから強くならなくちゃいけなくて、けれど僕だけじゃ自棄になって今日みたいなことになってしまって。……お嫌でなければまたご指導をお願いできますか、ヴィータ副隊長?」 涙を流す時間すら惜しいのだろう。エリオは、ただ前に進むために動き始める。未だ騎士見習いの身分であるエリオにとって、騎士に師事することこそが目指す場所への最短路だ。 「ごめんなさいが言えたら許してやる。これからはちゃんとあたしが立てた訓練メニュー通りに修行するんだぞ?」 「はい。ごめんなさい、ヴィータ副隊長」 「ん。よろしい」 馬鹿丁寧な角度まで頭を下げたエリオに、ヴィータは面を上げるよう促した。 顔を上げたエリオは、大胆不敵な笑みを浮かべたヴィータを見た。 「あたしが絶対にお前を強くしてやる! だから、ついてこい!!」 ヴィータの言葉から、小さな身体からは想像もできない力強さを感じ取り知らず顔を綻ばせるエリオ。もしかしたら、彼は師に後光を見たかもしれない。 小さな師匠に負けないように、エリオもまた前に向く精一杯の意思を溢れるほど詰め込んで返事をした。 「ええ! ヴィータ副隊長がびっくりするくらい強くなってみせますよ!!」 ―――ただ、その言葉ほっぺたを引っ張られたせいで締まらないものになってしまった。 「ばーか。未熟者が調子乗ってんじゃねーですよ?」 朗らかに笑っているヴィータがエリオの柔らかな頬肉を左右にぐいぐい引っ張った。痛い。 ややあって解放してもらえたが、頬には弄ばれた赤みが残ってしまった。 「……お返しに、ヴィータ副隊長のほっぺたを引っ張っていいですか?」 「だめだな、だめだ。そういうのはあたしより強くなってからだな」 「ぜ、絶対にヴィータ副隊長より強くなってみせますからね!?」 改めて意気込みを口にした愛すべき弟子の――元気を取り戻した姿に――ヴィータは、くすりと笑みを零した。自然と綻んだ頬は、唇は柔らかく優しかった。 いつもヴィータの胸いっぱいに詰まっている期待が、膨らんで弾けた。 だから、ヴィータは嬉しそうに告げた。 「ああ―――絶対だ」 そう遠くない未来に少年は有言を実行してくれると、その確証に近い思いに心を弾ませながら。 ヴィータは、心からの笑みをエリオだけに見せていた。 †落雷† 雷鳴に怯えた私は布団の中に引っ込んだ。 雷は空を裂き、爆音を響かせる。雷光が煌き、雷鳴が響く度、私は身体を震わせて布団の中で怯えていた。 雷は私が心の奥深くに沈めて蓋をした記憶を掘り起こしてしまう。そう、アルザスを追われて行くあての無い旅をしていたあの頃を―――。 「キャロ。もしかして、怖いの?」 私の様子に気づいたエリオ君が声を掛けてくれた。私はエリオ君に答えようと布団から顔を出すけれど、雷が光ったせいで布団の中へ逆戻りしてしまった。 ごろごろという音が怖くて怖くて耳を塞ぐけれど、音は消えてくれない。 「うーん……。よいしょ、っと」 ベッドが軋んだ。不思議に思って布団を少し持ち上げると小さな手が伸びてきた。 恐る恐る顔を出すと、そこにはエリオ君の笑顔があった。 「キャロ、手を貸して。僕じゃ力不足かもしれないけれど怖いものがいなくなるまで手を繋いでいよう?」 私はエリオ君の小さな手を取った。 握った手は――思っていたよりもずっと力強かった。そしてあたたかかった。 「でもおかしいね。フェイトさんや僕が使う電撃魔法は大丈夫なのに、自然に生まれる雷はダメなんて」 くすりと笑われてしまう。……苦手なものはしょうがないと思うんだけどなぁ。 「あ、拗ねちゃったかな? ごめんね」 エリオ君の笑みに困惑の色が浮かんだ。 せっかくエリオ君が優しくしてくれたのに、そんな顔をさせてしまったことが嫌で。 私も、笑いかけようとしたのに。 ――不意に鳴り響いた雷が怖くて私は布団へ引っ込んだ。 怖い。雷が怖い。 怖くて、怖くて、がたがたと震えてしまう。 ――けれど、繋いだ手はあたたかかった。 「鳴り止むまでずっと、手、握ってるから」 勇気を出して布団から顔を出した。そこには、手を差し伸べてくれた時と変わらない笑顔を浮かべたエリオ君がいた。 私にはそれがとても頼もしく思えて―――嬉しく、なったんだ。 †歩幅† 最初はぎこちなかった二人も、いつしか談笑するまでに打ち解けあっていた。今日は先日行なわれた健康診断の結果をタネに花を咲かせている。彼らの発育は概ね良好であるようだった。 「キャロ、最近ぐんぐん背が伸びてるんだね」 「もしかしたらエリオ君よりも大きくなっちゃうかもしれないよ?」 「あはは。なら、抜かれないように僕もがんばらないと」 ちょうど女子の成長期に差し掛かったのか身長の伸び具合はキャロの方が大きかった。エリオも伸びていることは伸びているが、キャロほどではない。 それぞれが同じ比率であと3年身長が伸び続けるとキャロがエリオの背を越してしまう。 「うん、がんばってエリオ君」 エリオよりも大きくなった自分を思い描いてキャロはくすりと笑う。もしもそうなったらエリオの頭を撫でてみよう、なんて考えた。 エリオは嫌がるだろうか? それとも恥ずかしがるだろうか? 想像すると楽しくなってくる。 「あ、座高はどうだった? 僕、そっちはあんまり変わってなかったんだけど」 ―――ピシィッ! 「キャロ?」 突如、硬直するキャロ。エリオが心配そうに彼女の顔を覗き込むと、キャロは慌てて首を左右に振った。 首の動きに合わせて手も振り回す。全身全霊を掛けてごまかしていた。 「なんでもない! なんでもないから!!」 「う、うん」 確かに、キャロは身長が伸びた。ただし、その六割は座高だった。 言えない、そんなことは口が裂けても言えない。 胴長短足になってます、なんて言えない。 「あ、あはは! あはははははははははは!」 「?」 不自然なごまかし笑いを立てるキャロは、ふと思った。ほとんど座高が変わっていないのなら、エリオは足が伸びていることになる。それは――羨ましい――もとい、気になることを生む。 キャロは小首を傾げた。 「エリオ君。私、いつも通り歩いてるよ?」 「え? うん、そうだよね?」 足が長くなっているのなら歩幅が伸びているのではないか? そもそも、元の身長からしてエリオの方が高いのである。であるなら、歩幅はエリオの方が大きくてしかるべきである。 それを思うと、エリオが普通に歩けばキャロは置いていかれることとなる。 「どうしたの?」 キャロがエリオに置いていかれない理由はたった一つしかない。エリオが彼女に合わせてくれていたのだ。 彼の見えない気遣いに気づいたキャロの胸にとある気持ちが込み上げてくる。けれど、それを何と呼べばいいか分からず、どう表現すればいいかが分からない。 「あ、あのね」 それでも、胸をいっぱいにする――きっと、感謝の気持ち――は伝えなければならない。 少し背の高いエリオに合わせるためほんの少しだけ上向くキャロ。 エリオは、彼女の意図を察したのか口を閉じて静かに待ってくれた。 それもまた彼の優しさなのかな、と思いキャロの胸はいっそういっぱいになった。 「ありがとう!」 始め、エリオはキャロの言葉の意図を汲み取れなかったようだ。けれど、よく分からないなりに意味を咀嚼して頷いた。 「どういたしまして」 キャロがくすりと笑った。エリオも釣られて笑みを見せる。 知らず、頬が熱くなった。 「あ、速く行かないと晩御飯無くなっちゃうよ、エリオ君!」 「な、無くならないよ!? ま、待ってよキャロ!」 弾かれたように駆け出してしまう、キャロ。遠ざかる背中を慌てて追いかける、エリオ。 そろそろ機動六課の試験運用も終わる頃。血の繋がらない兄妹のような二人はゆっくりと絆を育んでいた。 †彼氏が器用だとへこむヨネ。† 雪化粧が施された公園を歩く影が二つあった。制服ではなく私服を着込んだヴィータとエリオである。 デートの途中なのだろう。それも、初デートかそれに類するものなのだろう。 二人とも落ち着かない様子で、妙にそわそわしていた。 「あ、あの、エリオ!」 「あ、あの、ヴィータさん!」 ――二人同時に口を開いた。 目と目が合い、相手の瞳に自分の顔が映った。 気恥ずかしくなって顔が熱くなってしまう。 「え、エリオから先に言っていいぞ!」 「な、ならお言葉に甘えさせていただきますっ」 言うやいなや、鞄から何かを取り出すエリオ。それは、浅葱色のマフラーだった。 どよーんと長いマフラーだった。 「マフラーを編んでみたんですけど……その」 エリオはマフラーの片端をくるくると自分の首に巻いた。だが、長いマフラーはまだまだ全然余ってしまっている。 マフラー片手におずおずとヴィータの首に手を伸ばすエリオ。 「……巻いていいですか?」 「う、うん」 びっくりしながら頷くヴィータ。 エリオはいそいそとマフラーを彼女の首に巻いていく。丁寧に毛糸で編まれたマフラーは暖かかった。 マフラーを巻き終えるとエリオが顔を赤くしながら笑った。 「自分で編んでおいてなんなんですけど、恥ずかしいですねコレ」 「そ、そうだな」 エリオは手先が器用なのだろう。きっちりとした長方形に編まれたマフラーは既製品と比べて遜色ないものだった。 ――だから、ヴィータは肩を落とした。 「…………はあ」 「ヴィータさん? 溜め息なんてついてどうしたんですか?」 「いや、なんでもねえよ」 「そういえばヴィータさんも何か言いたいことがあったんじゃあ」 「なんでもねえよ!」 何故か落ち込んだしまったヴィータ。 これは、エリオは知らないことだが。ヴィータの手提げ鞄の中にはマフラーが入っていた。 ヴィータが初めて編んだものだった。とても不恰好なマフラーだった。 「…………練習しないとなぁ」 「ヴィータさん?」 理由不明に落ち込むヴィータを前にエリオは困惑しっぱなしになるのであった。 †空色のスバル† 女の啜り泣く声がティアナの目覚ましになった。不愉快な覚醒だ。 ティアナは不機嫌をぶつけるべく声の主の下――二段ベッドの上――へ寄った。小言の一つでも言い付けてやろうと口を開き、 「ディア゛ぁ……。わだじ、やざじい王様になるよぅ……!」 鼻水まで垂らして感涙するスバルを見て言葉を失った。泣き腫らした彼女の手には、「金色のガッシュ」最終巻が握られていた。 「やさしい王様になる」とは、魔界の王を決める作中のバトルロワイアルで主人公がなんども口にする決意の台詞である。確かに、心身共に傷付きながらも仲間に助けられながら理想を追う姿は感動に価するであろうが、 「がんばろうね、ティア! ほら、ちゃんとティアが使うための赤い本もここにあるよ!」 現代っ子もびっくりな影響受けっぷりだった。虚実の境が区別できていない。 なお、赤い本とは作中に登場するアイテムである。魔界の王候補は本を持ったパートナーと組むと魔法とでも呼ぶべき強力な力を扱うことができるのだ。 「ええいっ、このAB型めっ!!」 「なんでAB型なの!?」 「妄想と現実の区別が付かないのはAB型よ!」 「そんなことは―――わきゅん!?」 スバルの反論を出掛かりで封殺するティアナ。言論の自由も何もあったものではなかったか、不快な寝覚めを強制されたティアナは問答無用とばかりにスバルの頭をひっぱたいた。頬を引っ張った。へそをくすぐった。 完全な八つ当りである。 されるがままになっていたスバルは最初の方こそ子犬のように鳴いて冗談混じりに反応していたが――ティアナの指がへそにかかると、顔を赤くして身じろいだ。 「おへそはだめだよ。でも、ティアがしたいなら……いいよ」 スバルが頬を真っ赤に染めてそんなことを言うものだから、ティアナはクロスミラージュを引き抜いて発砲した。殺傷設定で。 すんでのところで枕を楯にして事無きを得るスバルだが、クロスミラージュの銃口から立て続けに撒き散らされた弾丸にはたまらず転げ回って逃げた。舞い散る布団の羽毛を尻目に銃火を掻い潜る。 「ま、待って! ティアとならSMも全然いけるけどそれは流石に死んじゃうよ!」 狭いベッドの上ではいつまでも逃げ回れるものではなかった。たちまち隅に追い詰められたスバルは両手を突き出し制止の声を上げた。 「うっさい―――死ね」 が、効果は無かった。 「わきゅーん!?」 額に鈍い衝撃を受けてスバルは引っ繰り返った。 ◇ ◇ ◇ 「―――で」 首に「反省犬」と書かれた看板を掛けさせられたスバルはティアナに説教されていた。正座させられた上に石まで抱かせられ、さながら前時代の拷問である。 ランスター最高裁判官が科した刑罰は人権無視の極悪刑なのだが、何分ティアナが法律なのでスバルは逆らえない。烈火のように怒り狂うティアナの罵詈雑言に近い注意に粛々と頷くばかりであった。 「なんでガッシュなのよ?」 紆余曲折を経てようやく切り出された本題。呆れながら尋ねたティアナの様子――に気付かずに、スバルは元気いっぱいに答えた。 「私、優しい王様になりたいんだ!」 スバルさんティアナさん激昂の理由をまったく理解してなかったので蜂の巣になるまで撃たれた。 「―――で、なんでガッシュなのよ?」 十数分の後に復活したスバルは再び投げられた問いに泣きながらこう答えた。 「ティア先生、優しい王様になりたいです……」 ティアナは無言のまま笑顔を浮かべるとスバルが抱える石の上に思いっきり靴裏を叩き込んだ。石畳に潰された子犬のような悲鳴が響き渡った。 「分かった。よーっっっっっっっっく分かったわ」 「わ、分かってくれたんだねティア……!」 「あんたが本物のばかってことをね」 「わ、わきゅーん!?」 ティアナはポンプを操るようにスバルが抱えた石を踏む。断続的に悲鳴が上がった。 「まあ、それは最初から分かってたわけだけど。真似事だけしてもしょうがないでしょ?」 「い、痛いよティア!? ギン姉のお仕置きの次くらいに痛いよ!?」 「返事はイエスかノー。オーケー?」 「わきゅん!? い、いえす! いえすいえすいえす!」 涙を撒き散らしながら壊れたおもちゃのように首肯を繰り返すスバルに哀れみを感じたのか、足をどけるティアナ。 ティアナは溜め息を付きながらスバル謹製「赤い本」を手にすると何気なくページを開いてみた。 「よくもまあこんなもんを作ったわね」 赤い本は精巧な作りをしていた。完全に原作を再現していて、最初のページにはほぼ意味不明の文字が羅列されており、次のページからは白紙が続いていた。 また、最初のページは最初の三行だけが光っており、それはティアナが全く目にしたことが無い言語で書かれているのだが何故か読むことができた。 「ティアー。『ザケル』って言ってよー! そしたら私、口から電気出せるからさー!」 「ばーか。そんなふ“ざける”―――」 瞬間、スバルの口が最大まで開かれ強烈な電気の塊が照射された。 「…………」 風通しの良くなった部屋を前に言葉を失ったティアナに、スバルは小首を傾げてみせて言った。 「ね?」 ティアナは、とりあえず石を踏んでバカ犬を鳴かせておいた。 †更衣室の会話† 週末、機動六課のフォワード陣からエリオを抜いてヴィータを加えた4人は一緒にお風呂に入ることになった。少女達は黄色い声を上げながら身にまとった布を脱いでいく。 そんな中、ふと視線を落としたティアナが何かに気づき悪戯っぽく笑って言った。 「ヴィータ副隊長、今日はバックプリントじゃないんですね」 「あ、ほんとだー。でもでもそのピンクの下着も可愛いですよヴィータ副隊長!」 ティアナの声に興味を引かれたスバルの視線もヴィータ――が穿いた下着――に向けられた。淡い桜色をした無地のパンティだ。 スバルとティアナの視線を注がれたヴィータは顔を朱に染めると脱いだばかりのシャツを使って下半身を隠してしまう。すると慎ましやかな胸が丸見えになるが本人は穿いた布地の方こそが重要なようだった。 「じ、じろじろ見んなよ!? 別にあたしが何を穿いたっていいだろ!」 「いやー、よくないですよ。普段と違う下着ってことは―――」 「な、ななな何でもねーよ!? って言うか、あたしがいつもバックプリントを、」 「―――勝負下着、ですね?」 「!?」 瞬間沸騰した羞恥によろめいたヴィータは背後の棚に頭をぶつけ、鈍い痛みから逃れるように蹲った。 可愛らしい反応に心配よりも微笑ましさが先立ってしまい、ティアナとスバルの口から笑い声が零れた。ヴィータは耳まで赤くなってしまっている。 「お二人とも、あんまりヴィータちゃんをいぢめちゃだめですよ」 こちらは既に脱衣を終えたキャロがやってきた。なだらかな肢体は――ここは女湯であるが――タオルに隠されている。だが、発育が始まったふくらみかけの存在は厚手の布の上からでも充分に把握できた。 キャロの肩に乗ったフリードがきゅくきゅく鳴いていた。 「ヴィータちゃんをいぢめるのは小姑である私の役目なんですから」 キャロの瞳にぎらつく十字が輝いた。彼女の、悪魔寄りの小悪魔が顔を覗かせた合図である。反射的にフリードが逃げ出そうとするが――恐怖によって翼が硬直してしまい、動けなかった。 思わず小さな悲鳴を上げたヴィータに、キャロは笑みを、極力優しげに映るように作った笑みを浮かべて、言った。 「ね? まだエリオ君に手を出してもらえない無乳のヴィータちゃん」 キャロは終始にこやかな笑みを浮かべたままである。だが、キャロの周囲は氷点下を割っていた。 スバルとティアナなど、思わず脱ぎかけだった服を着なおしてしまったほどである。 「む、無乳じゃねえよ! って言うか、胸は関係ないだろー!?」 「ありますよー。エリオ君、おっぱいが揺れるといつもそっちを見るんですよ?」 「う、う……」 エリオの視線についてはヴィータも薄々感づいていたので何も言い返せなかった。 確かに、ヴィータは小さい。過去にえぐれと言われて一瞬言葉に詰まってしまったほど、小さい。十年前は同程度だったなのは達が急激に育っていく姿を目の当たりにしたせいか、発育に劣等感を持っていないと言い切れない。 ヴィータの視線は自然とキャロの胸部に向いていた。タオル地の上からでも分かるふくらみかけ。機動六課入隊時はタオルを巻けば体型は分からなくなっていたはずなのに、今ではタオルの上からでも分かってしまう。それは、成長したということである。 次いで、ヴィータは俯いた。鎖骨の下に掌を当て、そこから肋骨の終わりまでを何往復もした。 上下運動はほとんど阻害されなかった。 「ふふっ。無乳♪」 「う、うわん!?」 くすくすと笑うキャロと、今にも泣き出しそうなヴィータ。この一方的な虐めを見ていたスバルがティアナに耳打ちする。 「ヴィータ副隊長、エリオに育ててもらえばいいんじゃないかな?」 耳元にかかった息がくすぐったかったのでスバルを肘打ちで張り倒した後に、今度はティアナがスバルに耳打ちをした。 「そのための勝負下着なんじゃない? 手、ほんとに出されてないみたいだし」 耳元にかかった息がくすぐったかったのでティアナを熱っぽい目で見上げた後に、スバルは額に掌底を叩き込まれた。 「わきゅーん!?」 「一々小ネタを挟まなくていいのよ!」 「だって、ユーモアは大事なんだってはやてさんがー!」 「あの人の言葉を信用するのは3割くらいにして……」 相棒に妙なことばかり吹き込む部隊長を思い、ティアナは頭を抱えた。 「そろそろお風呂に入りませんか? いつまでもこんな格好でいたら風邪を引いちゃいますよ」 「あー。そうね……」 へこみっぱなしのヴィータを視界の端に収めるつつ頷くティアナ。あとでエリオにフォローするように伝えておこうと記憶のノートに記しつつ、スバルの首根っこを引っ張って浴室へ向かった。 ティアナ、スバル、キャロが退室してしまい脱衣所にはヴィータだけが残る。 「……やっぱり、買おうかなあ」 打ちひしがれたヴィータは脳裏に先日深夜通販で見かけた『強力・掃除機型豊胸機! 定価2万3千円のところをイチキュッパでご奉仕!!』がちらついて消えなくなっていた。 †恥ずかしいエリフェイ† フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは悩んでいた。タンスを開け、閉め。中身を取り出してはしまい、取り出しては並べ、見比べ。彼女は苦悩にその美しい顔を歪めていた。 原因はエリオである。恋仲となった少年、エリオ・モンディアルである。 「う、うーんと。これは派手すぎるよね……? でもでも、これだと地味すぎるよね……?」 一向に自分に手を出してくれる気配の無い恋人のことである。 とうとう我慢の限界が訪れたフェイトは今宵エリオの寝屋に忍び込もうと決意したのだが―――そのための、いわゆる『勝負下着』選びに頭を悩ませていた。 午前中、はやてに無理を言ってもらった休暇を使って勢いのまま大量の下着を買い込んできた。 午後、あまりに買い込みすぎてどれを穿こうか悩みに悩んでいた。 「え? え? この下着、後ろに穴が空いてるよ!? ………………………エリオ、こういうの喜んでくれるかなぁ」 下着を手に一喜一憂とかしている姿はとても他人に見せられたものじゃーありませんでした。 フェイトは下着選びに夢中になっていた。 だから、その不運は訪れるべくして訪れたのかもしれない。 ぷしゅっ、と。軽い音がした。鍵を掛け忘れたフェイトの部屋の扉が開く。 「あの、フェイトさん。そろそろ時間ですから食事でもどう……で……」 よりにもよって、やってきたのはエリオだった。後ろに穴の空いた――用途のよく分からない――下着を手にしたフェイトと目が合ってしまう。 沈黙が訪れた。 それはずいぶんと居心地の悪い沈黙だった。 「………―――ッ!? し、失礼しましたッ!」 「ま、待ってエリ―――いや、やっぱり、今、引き返されると!? でも、待ってぇっ!」 顔を赤くして逃げるように走り去ってしまうエリオを下着が散乱しているせいで追いかけるに追いかけられないフェイト。 結局、彼の背中が消えてしまってから途方に暮れるのだった。 「…………はぁ」 彼女の溜め息は海よりも深いものだったとか、なんとか。 †何でもありの学園世界!† ―――ここは学園世界! だったら―――ありえないもありえるよね! †ありえないざー01:パパゼスト† 「娘は渡さぁぁぁぁああああああんっ!」 体育教師ゼスト・グランガイツの拳は空を裂いたが空振りだった。器用に避けたエリオ・モンディアルを憎々しげに睨む。 一方、からがら命拾いしたエリオは気が気じゃなかった。 三日に一度はあることだが、ゼスト完全にマジギレ。よって生命の危機である。 「お父さん、熱くならないで」 ルーテシアがゼストを諌めるが、 「ここで熱くならずにいつ熱くなる! いやない、反語ォッ!」 完全にダメな親と貸したゼストは聞く耳を持たなかった。愛用の『槍』まで取り出し完全に戦闘モードである。 エリオも愛槍を取り出そうとするが―――はたと周囲に目を配る。ギャラリーが大量にいた。 ここで戦えば、巻き込んでしまう。 「ああもう! 逃げるよルールー!!」 戦えないなら選択肢は決まっている。 「きゃ!? エリオ、ちょっと、大胆……」 エリオはルーテシアを抱え上げると脱兎のごとく体育館から脱出したのだった。 背中越しに浴びせかけられる罵声から予想するに今後がずいぶんと思いやられた……が。 †ありえないざー02:登校風景† 「いってーきまーす―――ぐぇえっ!?」 マッハキャリバーを履く元気良く登校しようとしたスバル・ナカジマはダッシュしようとした瞬間首根っこを引っ掴まれた。まるで蛙を握りつぶしたような声を上げる。乙女がはしたない。 スバルは目尻に涙を浮かべながら首を掴む女性を見た。 「こーら。ちゃーんと作ってあげたお弁当、忘れてるわよ?」 そこには母、クイント・ナカジマがいた。その手には大きな空色の――スバルお弁当専用――鞄がしっかりと握られていた。 お弁当の存在を確認したスバルはぺろっと舌を出して「ごめんなさい」と頭を下げた。 「ん、よろしい。今夜は遅いのよね? ご飯はラップかけておくから電子レンジでチンして温めなさいよ」 「はーい! お母さんありがとー!」 「ふふ、スバルはいつも元気ね」 「うん! それじゃ行ってきまーす!」 「行ってらっしゃーい」 にこやかな笑みを浮かべたクイントに見送られながら、スバルは元気いっぱいに学校へ向かうのだった。 †ありえないざー03:ほんっとありえねー!† 「さーって。今日は転校生を紹介するぞー!」 ノリの良さに定評のある担任教師がそんなことを言うものだから騒がしさに定評のあるクラスメイト達は一斉に歓喜の声を上げた。 一方、教室の隅でぐったりと机に突っ伏したエリオ・モンディアルは喧騒から逃れるように耳を塞いでいた。ただ、心の片隅で転校生が来るなら自分の隣にある空席に座るんだろうなぁ、なんて思ってはいたが。 「なんと、転校生は可愛い女の子だー。喜べお前らー!」 煽り文にも定評のある担任教師がそんなことまで言い出すものだから悪ノリに定評のあるクラスメイト達はウェーブを作り始めた。やりすぎな歓迎ムードである。 転校生、入室し辛いだろーなー、と。エリオは心中で顔も知らぬ転校生に同情した。 ―――なんてことをしていると教室の扉が音を立てて引かれた。 廊下に待機していた転校生が教室に入ってくると流石に場は静まり返る。机に突っ伏していたエリオには靴音だけが聞こえてくるが、周囲から固唾を飲む音が聞こえてくるので本当に可愛らしい女の子なのだろう。 そんな子が隣の席に座るとなれば―――トラブルの予感しかしない。 予想されるはちゃめちゃな状況を乗り切るべくエリオは眠りに付こうとして、 「私、高町なのは! じゅう――げふんげふん、きゅうさいです。よろしくおねがいしまーす♪」 できなかった。 「なのはさんじゃないですか! 何やってるんですか! ここは小学校ですよその歳で小学校の制服はコスプレですから―――!?」 がばぁっと顔を上げると――何故か小さくなった――高町なのはがそこにいた。九歳バージョンなのでツインテールだ。 すさまじい速度と勢いで放たれたエリオの突っ込みを受けたなのはは小首を傾げると、言う。 「え? あなたは私のことを知っているのかな……?」 超他人顔された。 「おー。クラスメイトの諸君、これが小学生が使えるナンパテクニックだぞー。よく覚えておくように!」 「エリオッ。おまえ、あれだけ痛い目見てまだこりねーのかよー!」 「こりねーからエリオなんだよなー」 あげくクラスメイトと担任に超好き勝手言われた。 「ああもう黙ってよ!? っていうか、懲りないって何!? 僕は普通に清廉潔白に日常を真面目に生きてるよ!」 そう思っているのは彼一人である。彼は常々『僕は自分のことを不幸だなんて1度も思ったことは無いよ!』と言っているのだが誰一人として信じてくれないのだ。 今日もまた「またまたー、そんなこと言ってー」や「いいかげん天丼じゃねー?」なんていうクラスメイト達の素敵発言が飛び交う。もはやコントだった。 「あ、そうそう。高町君の席はそこのフラグ野郎の隣だからフラグ立てられないように気をつけるんだよ?」 「はーい」 「フラグ野郎って何ですか先生!? っていうか、なのはさんも頷かないでくださいよ!?」 エリオ涙目。 そんなエリオの傍になのはが歩いてくる。彼女は席に着く前にふっと彼の耳元に唇を寄せると―――囁いた。 「あとで校舎裏にカム♪」 リンチ宣言だった。 「ひ、ひぃっ!?」 怯えを顕わにして(精神的に)100mくらいずざざざーっと後退るエリオ。だが、隣の席であるなのはとの距離はそうそう簡単に離せなかった。 たぶん、作為的な偶然の不幸である。 っていうか、コスプレとか言った罰である。 「さーて、授業を始めるぞー」 ……せめて、授業が伸びて地獄の開始が延期されることを望むエリオであった。 †魔法少女カイゼルファルベ† ―――魔法少女、爆誕! ここは魔法が当たり前になった世界、ミッドチルダ。 人々は魔法の恩恵を受けて豊かに暮らしていた。 だが、魔法を悪用しようとする者もいる。 夜の闇に溶け込んで『ワルイヒト』が人々の幸せを脅かしている! 「行こう、レイジングハート! 皆のための魔法少女なんだから!」 《Yes,Master!!》 ―――みんなの『シアワセ』を守るため、魔法少女戦います! 魔法少女カイゼルファルベ 〜 ハートの呪文はリリカルマジカルテクニカル! 〜 高町ヴィヴィオは極々普通の少女である。普段は聖ヒルデ魔法学院に通い勉学に勤しんでいるのだ。 成績は中の上。体育だけ見れば上の下。休み時間には友達と恋愛話に華を咲かせる、どこにでもいる少女である。 ―――が、ヴィヴィオには秘密があった。 家族が寝静まった夜、高町ヴィヴィオ――いや、魔法少女カイゼルファルベの戦いが始まる! ヴィヴィオはリファイン・レイジングハート――通称ダブルアールであるが、ヴィヴィオは単にレイジングハートと呼んでいる――を手にした日から人々を守る魔法少女カイゼルファルベになったのだ! 「ふわ……ねむ」 「あはは。ヴィヴィオちゃん、最近居眠りキャラだよねー」 「そんなことないよー…………Zzz」 少女に夜更かしはちょっと辛い! 最近ミッドチルダを騒がせている美少女怪盗魔法少女がいた。その名を『エリス』。正体不明の魔法少女である『彼女』は、魔法少女カイゼルファルベ最大のライバルだった。 巧妙に美術品を盗んでいくエリスに、カイゼルファルベは煮え湯を飲まされて続けているのだ。 「これで今日のノルマは終了、っと」 「エリスちゃんはっけーん! 今日こそ捕まえるんだから、大人しくしんみょーに観念してお縄につけー!」 「あ、もうカイゼルファルベが来る頃か。よし、逃げるよストラーダ」 《SonicMove》 美『少女』怪盗魔法『少女』エリス。その正体と目的は謎に包まれている。 ヴィヴィオも年頃の女の子! 当然、憧れている人くらいいる。それは最近辺境世界からミッドチルダに越して来たエリオ・モンディアルだった。 「エリオさん、こんにちわー!」 「こんにちわ、ヴィヴィオ。あんまり夜更かししちゃダメだよ?」 「よ、夜更かしなんてしてないよー? ほ、ほんとだよー?」 「あはは、眠くなったらいつでも膝くらい貸すからね」 「う、う〜……う〜……。だから、夜更かししてないのにぃ」 エリオはいつも優しく笑いかけてくれるのだ。 魔法少女として夜の街を駆けるヴィヴィオ。それは――根底に確固たる意思を持ちながらも――どこか軽い気持ちがあった。 毎度のエリスとの冗談じみた追いかけっこがそれに拍車を掛けていたのだろう。 ―――だが、ヴィヴィオはいつしか魔法少女としての覚悟を問われることになる。 エリスが美術品を集めていた理由を知った時、ヴィヴィオはミッドチルダの闇に蔓延る巨悪の存在を知る。 いい加減な気持ちで踏み込んではいけない世界を前にヴィヴィオは選択を迫られる。 「魔法少女はもう止めるんだ。君は普通の女の子に戻って日の当たる世界で暮らすべきなんだよ」 「でも、エリスちゃん。私は、私は……!」 「きつく言わないと分からないかな? ―――覚悟の無い君にいられると迷惑なんだよ」 「!?」 ―――それは、遊びではなく。 「ねえ、ママ。ママはどうして魔法使いになったの……?」 「ママ? ママはね、ママは魔法の正しい使い方を教えていきたかったんだよ」 「正しい使い方……?」 「そう。魔法っていう大きな大きな力が悲劇を起こさないために――皆のためになるような使い方をね」 ―――全力全開、本気の思い。 「……答えなんて最初から決まってたんだ」 《Master?》 「ママに助けてもらった日から魔法少女になったらどうしたいかなんて決まってたんだよ、レイジングハート」 ―――彼女は魔法少女。魔法少女カイゼルファルベ。 「どうして来たの!?」 「私も戦うよ、エリスちゃん!」 「言ったでしょう! 覚悟の無い―――」 「あるよ!」 「―――………ッ!?」 「覚悟なら、あるよ! だって私は魔法少女―――みんなのために戦う魔法少女カイゼルファルベだもん!」 彼女はヴィヴィオ。高町ヴィヴィオ。極々普通の―――みんなを守るヒロイン、魔法少女カイゼルファルベである。 カイゼルファルベは夜の街を飛ぶ! レイジングハートを手に『ワルイヒト』にオシオキするために! 何故、戦うのか? それは、彼女が魔法少女だからである! 「あー……………」 「どうしたの、カイゼルファルベ?」 「うん。ねーねー、エリスちゃんって誰なの?」 「へ? ど、どういうこと?」 「エリスって本名じゃないよね?」 「う」 「ねーねー、教えてよー」 「え、えっと……」 魔法少女カイゼルファルベ! 2008年クリスマス公開―――しねぇよ!? †欲求不満のお話† 頭を抱えた八神ヴィータがベッドの上をごろごろと転がっていた。時折「うー」とか「あー」と言った呻き声を上げながら、顔を赤くして悶え転がっていた。 ずいぶんとコミカルであるが、一応悩んでいるポーズである。 「あーっ、もうっ。ばかっばかばかエリオのばかーっ!」 悩みの種は――毎度のことながら――付き合い初めてそろそろ四ヶ月が経とうとしている恋人のことだった。 二人の仲は諸々に邪魔されつつも順風円満と言え、むしろ障害によって絆を深めていっていたのだが。 最近、ヴィータはものすごい不満を感じていた。 「なんで、なんでなんだ!? あいつだって男だよな……? あ、あたしに魅力が無いのかよーう!?」 付き合い初めてそろそろ四ヶ月。―――だが、ヴィータの身体はまっさらに清いままだった。 キスくらいはしたが、それにしたって一度だけ。あとは手を二度ほど繋いだだけである。 見た目こそ子供であるがヴィータは大人だ。恋人になった二人が『する』ことの知識はしっかりと持ち合わせていたし、想い人とそう『したい』気持ちもしっかりと持っている。 持っている、のだが。 「なんで……なんでエリオはあたしに手を出さねーんだ……?」 エリオの方はそういう素振りを全く見せなかった。一緒にいる時間こそ多いが、基本的に談笑しているか修行しているかなので色気が無い。 勇気を出してそれとなく誘いを掛けてみたが不発だった。―――まあ、ヴィータが後ろから抱きついたところで大した効果は望めないのだが。 「ぐっすん。エリオ、本当はあたしのこと好きじゃないのかなぁ……」 そんなことは断じて無い。だが、少しだけ、胸にほんの少しだけ灯った不安が煽りを受けて急速に燃え上がってしまう。 不安から逃れるように自らを抱きしめた。……けれど、少しも安心できない。 「あいつ、あたしのこと可愛いとか好きだとか言ってくれるけど……実は小動物みたいに見てるんじゃないか……?」 ありえない。頭では分かっているはずなのに口にしてしまうと欺瞞が膨れ上がってしまう。 囁いてくれた言葉が、抱きしめてくれた腕が、なんだか全て砂になって零れ落ちてしまうような、そんな気がしてくる。 「……せめてキスだけでもって思っちゃだめなのかなぁ」 ずいぶんと気落ちしながら、ヴィータは眠りについたのだった。 ◇ ◇ ◇ ◇ 翌日、廊下でエリオの背中を見つけたヴィータは悩んでいた。 普通に挨拶するか、それともアプローチをかけるか、である。 ここ数日さんざん誘惑したがことごとく不発に終わっている。正直そろそろ挫けそうだが――欲求不満も限界だ。 悩み悩み悩み抜くヴィータ。既に彼女の頭は熱暴走を起こしていた―――から。 「え、えりおっ!」 背中越しに声を掛けると、はやる気持ちを必死に抑え付けながら言った。 元気のよすぎる挨拶に少し驚きながらエリオが振り向くと、そこには顔を真っ赤に染めたヴィータがいる。 「あ、あのさ。あたし達って付き合い始めてずいぶん経つよな! だから……だから……だ、だから、その、さ!」 普段と比較してずいぶんと態度の違うヴィータが不思議で仕方なく小首を傾げるエリオ。一方、そろそろ蒸気が出そうなほど頭が沸騰したヴィータは彼のそんな様子にも気づかず言葉を続けた。 意を決して口を開いた。 「あたしのこと、抱いて………―――!」 恥も外聞もかなぐり捨てたヴィータの主張。一生懸命なその願いを受けたエリオは、彼女の両脇に手を回して小さな身体をひょいと抱え上げた。 俗に言う高い高いである。 「…………」 冷たい風が吹き抜けた。 ◇ ◇ ◇ ◇ ここまでくると性交渉を意図的に避けられているのかと思い半泣きになったヴィータが涙声で経緯を説明すると、ものすごく困った声で返答を受けた。 曰く、 「僕、まだ十歳ですからそういうことは……」 である。 そういえば、いくら大人びていてもエリオはそうだったと思い返し赤面したのはヴィータである。 「あ、あはは。えっと……気づいてあげられなくてごめんなさい」 あげく頭まで下げられてしまい恥ずかしい思いをしっぱなしだった。 そんなヴィータに、エリオがくすりと笑いかける。 「あの……ヴィータさんはえっちなことをしたいんですよね?」 「い、いちいち確認とんなよぉっ!?」 めっちゃめちゃ恥ずかしかった。 「あ、あはは。あの、僕、どうすればいいか分からないんで」 「そうだよなー……十歳じゃわかんなくて当然だよなー……」 「だから、ヴィータさんがどうして欲しいか教えてくれませんか?」 その言葉の意味を咀嚼するのにヴィータは三秒かかった。 そして意味を理解した上で、素っ頓狂な声を上げた。 「え……ふ、ふえっ!?」 さて。 この日、ヴィータは一晩かけて『気持ち良い所』をエリオに教え込んでいくのだが。それはまた別のお話。 |