†フェイトおねーちゃんとクロノきゅん† その1 その2 「ロストロギアってすごいよねっ!」 「ああほんとうになっ!? まったく……」 やたらハイテンションになったフェイトと対照的に突発的にハイテンションになるものの基本的にローテンションのクロノが、律儀に突っ込みを入れてから溜息をついた。 えへんと反らされた胸に合わせて揺れる十九歳のぶるんぶるんが目に毒だった。 女っ気に不慣れな 「えへ」 にへらっと、だらしなくフェイトの頬が緩んだ。 弛緩した表情は非常にまぬけなものだったが、ただ一点、不自然なまでに異様な色を浮かべた眼光にクロノはたじろぐ。 形容すれば、狩人を前にした兎に似た気分。だった。 「えへへ」 「ま、待てフェイト! 話し合おう! っというか、近寄らないでくれぇっ!?」 「えへへへへ」 「待ってくれぇっ!? 頼むから、頼むから待ってくれぇっ!」 ハンターから逃れるべくじりじりと後ろに歩を進めるが、それは追い詰められているだけだった。逃げる場所の無い室内ではすぐに背が壁についてしまい、二進も三進も行かなくなってしまう。 ロストロギアに吹っ飛ばされて未来の世界にやってくるというSF的不条理に見舞われたクロノだが、むしろ未来に辿り着いてから身に降りかかった出来事の方がかっ飛んでいた。 小さくなったクロノを目にしたフェイトが喜色を浮かべた時点でどこか間違った世界へ飛ばされたと気づくべきだった。 「待たないよ! だって男の子が少年でいられる時間は短いんだもん。だから、待っていい時間なんて一秒たりとも存在しないんだよっ!」 「少年であることは拘るべきことなのかっ!?」 「だって、子供クロノが可愛いんだもんっ!」 「君は時間を戻って失くした頭のネジを取り戻してきてくれぇっ!?」 このフェイトさん、ショタコンだった。 やっぱり世界は激しく間違っている。 過程や帰結をぶっ飛ばして訪れた今はひたすらに混沌だった。 なのに。 「……この頃のクロノは、まだ私だけのお兄ちゃんだったんだよね」 急にトーンが落ち、クロノの知らない時間の堆積を感じさせる寂しげな呟きを零したフェイト。 その声色が、伏せられて窺えない表情が、クロノの胸と言葉を詰まらせた。 フェイトがいる時間軸で起きた出来事は端的ながら聞かされていた。未来を知っていいものかと思いはしたが、知ってしまったものはしょうがない。 未来、クロノはエイミィと家庭を持つことになるらしい。 「ちょっと、懐かしくなっちゃったんだ。はしゃいじゃってごめんね」 クロノが知るフェイトは、まだ年端も行かぬ少女だった。なのに、尋常ならざる境遇に擦り切れる直前まで――あるいは擦り切れてからも――精神を酷使し続けた、おおよそ平凡と程遠い育ち方をした少女だった。 ふとした瞬間に儚く映る横顔が痛々しかった。 家族になろう、兄になろうという思いは、あの横顔を見る度に自責の念に変わって心に刃を突き刺したものだ。 あんな顔はさせてはいけないんだ。 「……こんな私でごめんね、クロノ」 いつの間にか揺れる前髪が触れ合うほど近づいていたのに、フェイトはさざ波のように引いてしまう。 思わず手を伸ばしてしまったのは――兄たらんとする想いに押されたからだ。 少女のフェイトが浮かべていた儚い横顔に似た、今にも消え入ってしまいそうな伏せ顔は、そのままにしておくわけにはいかなかった。 よく知ったフェイトよりも成長した――なのに、小さく見えてしまう――肩を掴み、引き止める。 「わがままを言ってもいい。少々はめを外してもいい。だから、自分を卑下しないでくれ」 クロノ・ハラオウンはフェイト・テスタロッサ・ハラオウンの兄である。それぞれの年齢差が入れ替わったとしても、身長を追い越されても、それは誓いによって不変である。 この、やっと人並みの幸せを得た妹を受け入れるのは、兄の役目である。 「僕は、受け入れるから。だって、僕は君の――」 ただ、いざ決意を口にするのは気恥ずかしいものがあった。一瞬、空白を生んでしまう。 不意に空いた刹那はクロノにフェイトを観察させる時間を生じさせるに充分であり、彼は妹の小動物のような瞳に浮かんだ期待の色を見つけてしまった。 なればもう、言うしかない。 「――おにいちゃん、なんだから」 顔から火が出てしまいそうだったが、それでは終わらなかった。 クロノに未知の、柔らかでいて弾力を持つ矛盾した感触を与える何かが、彼の顔に押し付けられた。 ふにょんとするのに、ぼいんとしている。指で突いてみるとぷにぷにだった。 ややあって。 しかたないじゃん。むっつりすけべでどーてーなんだもん。 「クロノ、ありがとうっ!」 「い、いやフェイト助け…………っ!?」 「クロノクロノクロノクロノクロノクロノクロノ! ――もう、離さないんだからっ」 呼吸器官を塞ぎ頬を圧迫するおっぱいに過熱したクロノの理性を司る部分は、その熱を感情表現として首から上にあまねく伝えた。 湯を沸かせそうなほど熱くなったクロノの顔は、写真に取れば長いことからかいのネタに使えただろう。 「……にへら」 ところで、そんな切羽詰った彼だから気づく道理は無かったが。 クロノを抱きしめるフェイトの表情はだらしない喜色と計画通り(©夜神月)が入り混じったものだった。 女性に慣れていないクロノは知らなかった。 十年という歳月は、女を策士に変貌させることなどは。 泣き落としは女の武器だよ? 思えば、クロノは蜘蛛の糸に掛かった獲物だった。 10年後のフェイトも自分の妹と認め、彼女が望むどんなことも受け入れようと決めた瞬間に、彼は退路を失っていたのだ。 朱に染まった頬や熱に浮かされうるんだ瞳を前にして、その思いはより確固たる形になる。 故にして、溜息は色濃い諦念を孕んでいる――わけでもない。 情念の塊のような吐息に鼻先をくすぐられるとフェイトよりも赤くなった顔を、わけもわからずぶんぶんと横に振る。 年上の妹は少年の精神をこれ以上ないくらいかき乱していた。 「ダメ、かな?」 上目遣いで遠慮がちにそう言われてしまうと、自らの意思と無関係に首肯してしまいそうになった。 既に崩れかけの理性を総動員してどうにか首の縦振りは回避するが、それは状況を変えるわけではない。 ただの先延ばしである。 「だって、僕はおにいちゃんなんだぞ……?」 からからになって声帯が貼り付いてしまったかのような喉をどうにか震わせて搾り出した声は追い詰められた獲物の悲鳴だった。 ほっそりとした白い指が伸ばされる。 刹那、クロノはびくりと身体を震わせた。だが、柔らかで温かくどこか優しい感触に我知らず安堵を覚えた。 あるいは、触れられたことでギリギリの一線を保っていた理性は瓦解してしまったのかもしれない。 「僕が君のおにいちゃんで、君が僕の妹だから。だから……だめなんだ」 理性的にそう告げたクロノの声は今にも消え入りそうだった。 理性とは知性と経験、知識がもたらす本能を縛る鎖である。既に理性を失いかけた――もしくは失った――クロノに、本能への抵抗は酷だった。 震える声の弱々しさは彼の精神状態の現れである。 「きょうだいだからダメなの?」 無垢に甘える幼い少女のようなフェイトの声は、クロノの精神にヘビー級ボクサークラスのパンチを叩き込んだ。 とどめである。 「だ、だめ……」 「ダメ?」 「……じゃ、ないかもしれない」 にぱっ、と。フェイトが晴れやかな笑みを浮かべる。それは向日葵や太陽を思わせる力強いものではなかったが、人の心に安らぎを与える月光のような穏やかさをたたえていた。 これで、いよいよクロノは覚悟を決めなくてはならなくなった。 「あ、あー……フェイト?」 「うんっ」 ぱたぱたと、尻尾があれば全力で振られていただろう。込み上げてくる期待を隠そうともせず、フェイトは今か今かとクロノの言葉を待ち構えている。 もう言うしかなかった。 「ふぇ、フェイト……」 「うんうんっ」 ずい、ずずい。先延ばしにする度にフェイトに接近され、気恥ずかしさから居心地が悪くなる。 ほんのり鼻孔をくすぐるシトラスの香りも所在無さの原因だろう。 このまま引き伸ばして鼻先と鼻先が触れ合うような目に合う前に、クロノは意を決して口を開いた。 「フェイトお姉ちゃん……っ!」 真っ赤になったクロノが搾り出した声が狭い部屋に響き渡った。反響によってその声はしばらく室内に留まっていたが、少しも経たない内に消えてしまう。 後にはクロノとフェイトが残されていた。 「うん。おねえちゃん」 にへら。 「わたし、くろののおねーちゃん」 ……結論から言えば。 蜘蛛の巣で追い詰められたクロノ・ハラオウンは最も触れてはならない地雷を踏んでいた。 当人も手遅れになってからそのことに気づいたらしく、熟れた果実のように朱に染めていた頬を病人と見まごうほど蒼白にさせ、後ずさった。 しかし。生憎と、後ろは壁だった。 「おねーちゃんはおとーとを隅から隅まで知る義務があるんだよ?」 頬に触れられていた指が滑り落ち、襟首をがっしりと掴む。 フェイトの目は焦点を見失っており、口元に怪しげな笑みを浮かべていた。 クロノの背筋に氷刃が滑り落ちた。 「えへ」 彼に何が降りかかったかは……各自、想像されたし。 「ぬぎぬぎしようね? ぬぎぬぎしようね!」 「待ってくれっ!? そ、それは脱がさなくてもいいだろぅっ!?」 「トランクスなんて邪道だよ! 男の子ならブリーフだよ!」 「そんな理屈を通されてたまるかぁっ!?」 「はい、脱げましたー」 「どっちの足も上げてないのに!?」 「魔法ってすごいよね!」 「無駄使いするなぁっ!?」 そーぞーされたしっ。 |