ゴールデンウィーク騒がしかった五月初頭はあっと言う間に過ぎ去り、そろそろ暦は五月終盤。
 地球では梅雨を前にした時期、時空管理局巡航L級8番艦次元空間航行艦船――通称アースラ――の中では人々がまったりとしながら過ごしていた。
 仕事がほっとんど無かった。

「この席に座るのもあと半年足らずだと思うと感慨深いわね」

 ブリッジに据えられた艦長席に座する女性リンディ・ハラオウンが、空になった湯飲みを置きながらそう言った。

「今年で12年目でしたっけ? 艦長がアースラに乗ってから」

 彼女の傍らに控えるように立つ女性、エイミィ・リミエッタは新しいお茶を湯飲みに注いでゆく。
 深緑をした液体は湯気を立てていて、お茶独特の風味を漂わせている。
 ギル・グレアム元提督を通して知ったこのお茶―――日本茶―――のことをリンディは気に入っていた。職務の合間には何杯も飲むし、一日だって飲まない日はなかった。

「ええ。八艦計画の補充員として繰り上がりで提督になってからだから、12年ね」

 士官候補生時代、グレアムの下を訪ねれば今は亡き夫や友人たちと共にこのお茶でもてなされたものだ。
 もしかしたらこのお茶に固執するのは、その時のことを懐かしんでいるのかもしれない。
 何せ夫を感じさせる数少ない思い出の行為なのだから。
 慣れた手つきで角砂糖をお茶に入れながら、リンディはそんなことを思っていた。

「八艦計画……?」

 リンディの口から出た言葉に不思議そうな顔をするエイミィ。彼女が小首を傾げると、彼女の頭の上でぴょこんと飛び出た一本毛も揺れる。
 そのことに気づいて、毛先を指先でくるくる弄るエイミィ。
 どうやら、くせっ毛を気にしているらしい。

「あら、エイミィは知らなかったかしら? まぁ、貴女が士官学校に入学する前に頓挫した計画だし、知らなくても無理はないわね」

 言いながら、開封したミルクを次々とお茶の中に入れてゆくリンディ。和の心を表すような緑色をしていたお茶が、どんどんと白濁してゆく。
 食べ物の味を冒涜する行為にエイミィは苦笑いしながら口を開いた。

「やっぱり、身体に悪いですよ艦長?」

 こんなお茶を日に何杯も飲んでいるのだ、糖分の過剰摂取は火を見るより明らかだ。
 このままでは、近い内に必ず体調を崩してしまうだろう。
 しかし、エイミィの心配から出た言葉にリンディはむっとした表情を浮かべる。

「いいじゃない、好きなんだから」

 それに、亡き夫との思い出に浸れるのはこんなものを飲む時しかないのだ。あの人は身の回りにほとんど物をおかず、無趣味でもあった。
 おまけに写真やカメラというものが苦手で、彼の姿を記録しているものは片手で数えられるほどしかない。
 時が経つごとに故人の記憶は薄れてゆき、思い起こさせる物品も僅か。
 だからこそ、このお茶は彼女の心の拠り所だった。

「まぁ……こちらもあんまりとやかく言うつもりはありませんけど……」

 それでも納得はしていない。そんな様子を見せながら引き下がるエイミィ。
 もちろん彼女はリンディの心情など知るわけもない。
 アースラのブリッジにどことなく不穏な空気が漂い始める。
 だれた様子だったブリッジクルーたちの背筋に冷たい汗が流れた。

 過去に、3度。

 3度だけ、リンディとエイミィが喧嘩をしたことがあった。そして、そのどれもで彼らが無事に喧嘩の終焉を見れたことはなかった。
 リンディとエイミィ、この2人は毎回周囲を巻き込んだ大喧嘩をする。

 またか、またなのですか。

 助けて神様あんな目はもうゴメンです……!
 この時、クルーたちの心は1つになっていた。

「母さ……提督、お話があります」

 果たして神は彼らの願いを聞き入れたのか、艦内通信が飛び込む。
 画面に現れたのはクロノ・ハラオウン執務官。
 アースラ艦長リンディ・ハラオウン提督の息子である。

「あら。どうしたの?」

 彼は、今は休憩時間中のはずだ。周囲の空間にも異常はないし、火急の用事はなさそうだ。
 一体どうしたのだろう?
 その疑問に答えるべく、ディスプレイの向こうの少年は口を開く。

「訓練室の使用を許可してもらえませんでしょうか?」

 訓練室。その名の通り訓練を行う場所だ。
 アースラにあるそれは本局にあるものよりも小規模だが、充分役割を果たせる広さはある。
 本局には広域戦闘演習場なんてものもあるが、あれは大部隊指揮戦闘用でここ最近は使われていない。

「いいけど、今から訓練? 根を詰めすぎるのは良くないわよ、クロノ」

 クロノ・ハラオウンという少年。最近はだんだんと落ち着いてきたが、割と無理と無茶をする人間だった。
 また、特に日々の訓練は欠かさず、自らを厳しく律している。
 ストイックという言葉がよく似合った。
 けれど、まだ、14歳の少年である。
 父親に似たのか特に趣味らしい趣味も持たない彼のことは、誇らしく思いながら心配でもあった。

「大丈夫です。訓練するのは僕じゃなくて、はやてですから」
「リンディさんこんにちわー。クロノ君、ちょっと借りますー」

 ひょい、と画面の中に現れる栗毛の少女。彼女は八神はやて。
 闇の書改め夜天の魔導書の主で、現在は特別捜査官候補生である。彼女の背負った諸々の背景は割愛するが、どうやら今日はアースラに顔を出しにきていたらしい。
 そういえば乗艦許可の指示を出したな、と思いつつ。リンディはクロノに訓練室使用の許可を出した。

「あ。でも、2人っきりだからって変なことしちゃダメよ♪」

 ただし、いたずらな笑みを浮かべながら。リンディの言葉にクロノたちは顔を真っ赤にした。
 いや実に面白い。彼らの反論が来る前に通信を終了させる。

「はやてさんがクロノのお嫁さんになってくれれば、私も安心なんだけど……」

 家庭的でよく気も利くはやて。
 熱くなると自分を省みなくなってしまいがちな彼には、はやてみたいに支えてくれる子と一緒になって欲しかった。はやてもクロノのことをまんざらでもないようだし、これはひょっとしていけるかも?
 訓練室の光景盗撮映像でも2人は良い感じだし。
 自然と、リンディは頬が緩んでしまう。

「私は、クロノ君にはフェイトちゃんがいいと思いますよ」

 小さな幸せに浸っていたリンディを引き上げたのは、エイミィだった。
 ピシリ、再びブリッジの空気に亀裂が走る。
 ブリッジクルーたちの表情は引きつり、リンディのこめかみには青筋が浮か上がった。

「いいえ、はやてさんだわ」

 ビキ、リンディの手に握られた湯飲みにヒビが入る。

「フェイトちゃんですよ」

 メキッ、エイミィの持つスチール製のお盆が歪む。

「私はクロノの母親よ。クロノのことで私が分からないことは無いわ」

 リンディが言葉に乗せた重圧に、艦内の空気をずっしりと感じる。
 あぁ……やっぱり僕たちに平穏は訪れないのですか?
 ブリッジクルーたちは心の中で涙を流した。

「私は艦長の知らないクロノ君を知ってます。クロノ君に似合うのは……ッ!」

 艦内の気温が急激に低下していった。
 故郷のお父さん、お母さん、ごめんなさい。
 僕たちは親不孝にも先に逝くことになりそうです。
 ブリッジークルーたちは遺書を書き始める。

「はやてさんよ」
「フェイトちゃんです!」
「はやてさん……!」
「フェイトちゃん!」

 もはや2人は睨み合い、正に一触即発の雰囲気。このまま、第四次抗争が勃発してしまうのか?
 はらはらと涙を流すクルーたちは、やがて来る暗黒の運命に絶望した。
 だがしかし、救いの神は再び現れた!

「あ、リンディさん、エイミィさん、シャマルです〜」

 おっとりとした女性らしい声。紫色の瞳を持った金髪の女性。
 八神はやてに仕える雲の騎士、ヴォルケンリッターが1人、風の癒し手シャマル。
 現在は保護観察処分中で、今日は確か自宅にいるはずである。その彼女が一体どうしたのかは知らないが、兎にも角にも炸裂しそうなブリッジの情勢において彼女は女神だった。

「相談があるのですけど、お時間よろしいですか?」

 シャマルの言葉に、エイミィとリンディは一時休戦して頷く。そういえば、最近この三人の女性は仲が良いなぁとクルーたちは思った。
 何か共通の趣味でもあるのだろうか?

「えーっと……クロノさんのことなんですけど」

 ピシィイイイイッ!
 空気が凍りついた。
 しかし空気の読めない子シャマルは気にせず続ける。

「新刊でのクロノさん、受けか攻めかが決まらないんです〜。お2人の意見を聞かせてもらえませんか?」

「攻めよ」
「受けです!」

 即答。
 そして意見割れ。
 その瞬間、アースラクルーは死を覚悟した。
 起きないから奇跡って言うんですよ。
 そんな言葉がやけに長く頭に響いた……。

「艦長は何も分かっていません―――………ッ!」

 エイミィの持っていたお盆が握力で砕かれた。

「いいえ、分かっていないのは貴女です」

 リンディの持つ湯飲みも粉々になる。

「もー……こうなったらどちらが正しいか勝負して決めましょう、艦長!」

 使用不可能になったお盆を投げ捨て、挑戦状を叩きつけるエイミィ。

「ええいいわ、望む所よエイミィ」

 それに対し、不敵な表情で返すリンディ。

「ふっふっふっ……皆の前で大恥掻くことになっても知りませんよ?」
「それは私のセリフだわ」

 2人の間に火花が散る。
 彼女達の背後にはそれぞれ竜と虎のオーラが浮かび上がっていて、クルー達には怯えるハムスターのオーラがとりついている。

「あ、それなら大部隊を用いた指揮戦闘なんてどうでしょう?」
「いいわね」
「じゃあ、それで!」

 シャマルゥウウウウウッ!
 クルーたちの魂の叫びは、いらんことを言った騎士に怨みとなって向けられる。だが、そんなことには気づかない同人女騎士は、結論が出たら教えてくださいなんてぬかしながら通信を切りやがった。

「勝負は3日後、本局の大部隊指揮戦闘用訓練室で行います。互いに大隊クラスの人員を率いて戦いましょう」

 毅然とした態度でリンディが言い放つ。

「人員の徴収手段と訓練室への許可は?」

 彼女に負けぬ気丈な姿勢で言うエイミィ。

「人員は自分の人徳でどうにかしなさい。訓練室の使用許可は私がもらっておくわ」
「それじゃあ私が……」
「不利、と言いたいのかしら? それじゃあ止める?」
「ぐ……いいでしょう。やってやろうじゃありませんか!」

 いや、止めてくださいお願いします。
 そんなクルーたちの魂の声なぞ聞こえるわけもなく。
 アースラのNo1とNo3はヒートアップしていったのだった。





オマケ

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