肉が潰れるような音は聞こえなかった。うちの総大将殿は多分大丈夫だろう。

「まったく…………」

 愛用のデバイスを握りなおし、行く手に立ち塞がる敵兵を見やる。
 ざっと数えただけでも50は下らないか。
 今、目に見える者達以外にもいるだろう。
 だが。

「あんな無茶を成されれば、私とて成す他あるまい」

 魔法を使えぬ、ただの人である彼女が飛んでみせたのだ。
 ならば、魔法を使える己がこの道を行けぬ道理は無い。

「“また中原で”彼女はそう言った」

 即ち、自分達がまだ必要になるということである。
 朝からの戦闘で消耗し、さほど数は多くない部隊。
 しかし、それでも自分達はまだ必要とされているのだ。

「―――SS、起動」

 幾重もの環状魔方陣が自身を取り囲む。
 紫という色に染められたそれは、輪を走る己が魔力の色。

「お前達……ッ!」

 押し寄せる敵兵の波に抗う部下達へ贈る、補助の魔法。
 輪をひた走る魔力はその速度を時の経過以上に加速させ炎の如く加熱してゆく。
 熱は光を生み、紫光が部屋全体を覆いつくしてゆく……ッ!

「全員揃ってここを切り抜けるぞ―――」

 SS、即ち”Support System”
 部隊指揮官のデバイスに搭載されている能力向上用魔法専用処理システム。
 使用可能魔法は指揮官のクラスや所属部隊によって変化する。
 捜査班の班長であるギャレットが持つのは、耐久の魔法。
 それは、“捜査”というスタイルで任務に立ち向かう彼らのための魔法。
 どんな未知にも耐え抜き、必ず任務を達成するための秘法。

「―――それが、私達の仕事だ」

 輪が弾け、光が部屋を覆いつくす。
 まるで瞳を焼くような強烈な紫の中で最後の仕上げを行う。

「solid jacket」

 音声で入力したコマンドに遅れて感じる魔力の動き。
 身体を中心として渦を巻くように流れる魔力は、やがて1つの形を作り出す。
 腕を覆うガントレットとヴァンブレイス。
 足を保護するグリーブ。
 胸を守るブレストプレートに、背中を固めるバックプレート。
 炸裂した光のように紫に輝くそれらは鈍く煌く。
 さながら、中世の物語に登場する騎士のような姿。
 全身を鎧で包んだ戦士。

「…………」

 いち早く光の衝撃から脱した敵兵が砲のようにデバイスを構えた。
 恐らくは直射魔法、狙いは指揮官である自分。
 指揮官を潰せばすぐに崩れると思ったのか?
 その考えは正しいだろう。
 けれど…………。

「判断が、遅すぎる」

 動いた。
 それは弾けるように爆発的に。
 そして、流れるように繊細に。
 人の間を縫って移動し、デバイスを構えた魔導師へと肉薄する。

「君がそうすべきは、私が魔法を発動させる前だった」

 互いの呼気すら感じる距離の中、

「この痛みを教訓として覚えておくのだな」

 突き出した拳が目の前の魔導師の身体にめり込む。
 半回転の半分ほど捻った所で激突のエネルギーに耐え切れなくなった彼の身体が吹き飛んだ。
 それは彼の背後に居た数人の魔導師を巻き込む惨事となって、幾つもの悲鳴を生み出した。

「悪いが、長居するわけにもいかなくてね」

 動きは止まらない。続けざまに右足を軸にしての回し蹴り。
 それは旋風のような唸りを上げて呆けていた魔導師達を急襲し蹂躙する。
 残った魔導師の視線が一斉に自分に集まる。
 それは判断ミスだというのに。

「―――掛かれ」

 己と同じ紫の鎧を纏った部下達が、不注意な余所見をした愚かな魔導師達を一斉に打ち倒す。

「先を急ぐぞ」

 自分達以外に立つ者が居なくなったこの場所で、己の言葉に同時に頷いた統率の取れた部下達を誇らしく思いながら長い廊下を下っていった。
 城内にはまだ敵兵が残っている。
 それらを片付けねば、中原戦で背後を襲われてしまうから。

「待っていろ、エイミィ」









 ふと思う。
 今日は多分、運勢というものが壊滅している日なのだ、と。

「―――受け止めて!」

 まさかあの女が空から降ってくるだなんて思いもしなかったぜこんちくしょぉおおおおおおっ!
 心の中で哀歌と咆哮を叫びながら加速の魔法を掛ける。
 今のままじゃ、着地点が遠すぎる……!

「何だってんな無茶をしてんだよ……ッ」

 急激な移動速度の変化に視覚神経と平衡感覚が悲鳴を上げる。
 世界がグラリと傾くような衝撃に襲われ、目に映る景色はどこまでの伸びてゆく。
 あぁ……キャッチまで持つか、オレ?
 そんな弱気な考えを振り切って、今はただ前へ前へ走る。

「それが必要なら私は何だってするよ!」
「自信満々に無茶宣言してんじゃねぇえええええええええええっ!」

 ええいっ、この女は……!
 馬鹿なんだか阿呆なんだか不条理なんだか大物なんだか分からない。こういうのは放っておいても死なないんじゃないかっ!?
 いや、確かめて敵性と判断すれば殺さなきゃならんのだが……。

「大丈夫! 私は君が私を受け止めてくれるって信じてるから!」
「何を根拠にだコラぁああああああああっ!」

 ……別にこのまま受け止めなくてもいいんじゃないだろうか?
 そんな考えが脳裏を過ぎる。

「だって! 初恋の人に、似てるんだもん」

 妙な信用のされかただった。

「だから大丈夫。できるよ!」

 彼女の落下まで、簡易計算でおよそ3秒。
 オレが予想落下地点につくまで、簡易計算でおよそ3,2秒。
 縮められるか、この0,2秒……ッ!

「信じてるから」

 明らかに安らかと形容するのが正しい笑みを浮かべるリミエッタ。
 その顔に力を貰ったとか、そういう青臭いことを言いやしねぇ。
 けど、大地を駆ける足が微かに速くなり、流れる景色が僅かに速くなり。

 オレの動きは、確実に疾くなった。

 最早移動速度に認識情報の処理が追いつかなくなった脳が悲鳴を上げ、酷使している身体が絶叫を上げる。
 だが無視。
 たかが3秒、持てばいい。
 後のことは……後を得てから考えればいい。

「―――届、け」

 けれど、伸ばした手は届きそうもない。
 このまま死なれちゃ後味が悪すぎる。
 だから……。

「explosion dash」

 足裏の地面が爆音と爆炎を喚き立てて弾ける。
 その衝撃に合わせて突っ込むように低空を翔ける己の身体。
 頭と身体の痛みが本日最高潮を迎える。
 既に物体を識別出来なくなった世界の中で、勘だけを頼りに目当てのモノを引き寄せる。

「あ…………」

 腕の中に感じる、意外と女性らしい柔らかさ。が、そんなものに浸っていられる瞬間なんざ存在しない。
 彼女を受け止めたのとは別の手で呪印を紡ぐ。
 こういう状況用に設定してある防御魔法。
 それを地面スレスレを翔けながら高速で編んでゆく。

「そのよく回る口、閉じとけよ。じゃねーと舌噛むからな……ッ!」

 程なくして出現する三枚の銀盤。
 斜めに立てかけられたそれに、腕の中の女性を庇うようにして激突する。

「ぐが…………ッ」

 背中を襲う衝撃に誘発される嘔吐感。
 肺と背骨が潰れるような擬似的な感覚を味わい、更に遅れてやってきた腕の中のお荷物の衝撃がもう一度自身の身体を襲う。

「…………ッ」

 役目は果たした防御魔法が弾けて消え、身体が地面に落ちる。
 三度訪れた衝撃に遅れて舞い上がる、土埃。

「…………」

 声を出そうとしても、それが声にならない。
 酷い激痛が神経を犯し身体の機能を阻害してくれやがる。

「……大丈夫?」

 先に立ち直ったのはリミエッタだった。
 彼女は無事のようだ。
 まぁ、そのために庇ったんだが。
 まだ上手く声が出てくれないので、頷いて答える。

「そっか。じゃ、私はまだ行く所があるからこれで」

 すくっと立ち上がり、中原に目線を向けるリミエッタ。
 行く所って、まだ何かあるのか、向こうに?

「……待てよ」

 立ち去ろうとする彼女を呼び止める。
 聞かなきゃならないこと、判断しなければならないことがある。

「……何かな?」

 歩みを止め、振り返らずに答えるリミエッタ。

「今回のリンディ提督の策、アンタはどこまで読んでたんだ?」

 彼女は答えない。

「まさか、全て行き当たりばったりだったなんてわきゃねーだろ」

 呼気の乱れも無く、冷や汗をかいている様子も無い。少なくとも後姿から見える彼女は平時通り。
 肝が据わっているのか、本当に行き当たりばったりだったとでもいうのか。

「……さて、ね」

 初めて発せられた言葉からは、何の色も感じなかった。

「…………」

 流れる沈黙。
 消える寸前、真っ赤に輝いた夕陽がやけに眩しく感じた。

「…………」

 ホログラムの空に浮かぶ照明は夜に換わり、薄く光る月が顔を出す。
 月光に映し出されるリミエッタの姿。
 管理局の制服に包まれた女性らしい丸みを帯びた輪郭が薄明かりに照らし出される。
 思わず、溜息が口を突いて漏れた。

「謀ったんだ、艦長と私で」

 振り向いた少女が、唇を動かす。

「これから先、管理局戦力を引っ張ってきた人達はどんどん後方に行っちゃう」

 語るように呟き、

「けれど、今の若い局員達が彼らに受けた教えは必要なことの半分とちょっと」

 空を見上げ、月を見つめる。

「不安だったんだ、これから先が」

 いや、彼女が見ているのは月ではない。
 もっと遠く、空よりも遥か遠くの向こう。

「だからね。“いっちょ揉もう”ってことで今回のことを……ね」

 視線が戻り、真っ直ぐこちらを見据える。
 嘘でも偽りでも無いと言うように、ひたすら真っ直ぐに。

「大体の動きは艦長の指示通り。後は艦長と私がそれを皆に気づかせないための演技をする」

 私はお人形さんなんだよ、と。そう付け加えて。
 彼女は人差し指を口元に当て、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「そういうことにしてくれないかな?」

 そう言って彼女が小首を傾げると、茶色の前髪が僅かに揺れた。

「……オレは、事実から推察して判断するだけだ」

 彼女の視線から逃げるように顔を背ける。

「……それは、ちょっとだけ困るんだよね」

 リミエッタの声をやけに近くで感じる。
 いぶかしく思って視線を戻せば、すぐ目の前に彼女の顔がある。
 それこそ、息遣いさえ手に取るように分かる距離に。

「あ、そうだ。私のこと、助けてくれたんだよね」

 まるで獲物を狙う雌狐のように細められる瞳。彼女の手が何かを探るようにオレの下半身へと伸びる。
 細い指先が、そこに触れる感覚。

「ここ……こんなになってる。大丈夫? 苦しくない……?」

 厚手の布地が引っ張られ、その部分を完全に露出させられる。
 規則的に脈打つ赤黒いそれに、彼女は一瞬だけ躊躇い……そして、手を触れた。

「お前、絶対サディストだろ……」

 焼け爛れた傷口に直接触れるなんざ、正気の沙汰じゃねぇ。
 無理矢理捻じ伏せていた痛みを思い出し、悲鳴を上げそうになる。

「君が無理するからだよ」

 その原因を作った張本人がよく言うぜ。
 こうなったのは、間に合わせるために使った爆破魔法の影響だ。

「この足じゃ歩けないよね」

 もう一度、火傷の傷口に触れられる。

「……言ってることとやってることの整合性がおかしいぞテメェ」

 いぢめたくなる顔してる君が悪い、と返って来たが黙殺。

「とっとと行けよ」

 なおも人の足を弄ろうとするリミエッタを押し退ける。
 彼女は、きょとん、とした表情を浮かべた後ににんまりとした笑みを浮かべた。

「ありがとね」

 そう言って、中原に向かうべく向き直る。
 城の方からは喧騒が聴こえる。突入した部隊が戦闘を繰り広げているのだろう。

「……あ」

 去り際に、忘れ物をしたかのように彼女が振り返った。

「君の名前は?」

 どうやらそれが忘れ物らしい。
 どう答えようか思案した後、口を開く。

「鋼。ハガネだ」

 リミエッタは首を傾げる。

「錬金術師?」

 ……それは版権に引っかかるから止めい。

「ま、いいや」

 くるりと振り返り、今度こそ中原へと向かうリミエッタ。

「今度は本名教えてね。ハガネ君♪」

 去り際に、そんな言葉を残して。

「…………そん時はお前を殺す時だっちゅーに」

 苦笑いが漏れた。

「ま、今回は見逃しますかねぇ……」

 身体を地面に投げ出すした。
 全身の神経が無茶の反動を律儀に伝え、表情が歪む。
 そんなオレを嘲笑うかのように輝く月は、美しい。

「次があるかどうかは分からねーけどな」

 そう言って、口を閉じる。
 身体で感じる夜の空気。
 本来なら寒いはずのそれは暖かく、むしろ熱さすら感じさせる。

「……決戦が始まったか」

 本隊は壊滅し、予備隊もほぼ壊滅。
 頼みの捜査班隊もまだ城の中。
 こんな状況で、彼女は何をしようというのだろうか?

「結末くらいにゃ間に合ってくれるかねぇ」

 重い身体に鞭打って、起きる。
 案の定鋭い痛みと鈍い痛みが交互に襲ってくるが……この際だ、無視する。

「……無理かもな、こりゃ」

 意思に反して力が抜け、地面に崩れ落ちる。どうやら、内部は相当のダメージを受けているらしい。
 溜息を付く。
 ……この行為すらも、億劫だ。

「ざけんな」

 魔力を通し、千切れた筋繊維の替わりにする。
 相変わらず激痛は襲うが、立ち上がることはできた。

「さほど持ちはしないが、これで充分だろ」

 結末を見届けよう。
 そう思い、中原へと足を踏み出そうとして、

「――――――へ?」

 風を切る音がした。
 それは頭上、真上から。

「空が……落ちてくる……ッ!?」

 天井の一部が抜けたのか、夜闇と同じ色の空を覆っていた壁が急速で落下してくる。
 回避を試みるが、魔力で無理矢理に動かしている身体は言うことを聞いてくれない。

「ちょ……こんなオチ、ありなのか……ッ!?」

 それでもどうにか爆発魔法を起こして自身の身体を横に飛ばそうとするが、間に合わず。

「――――ゴグ」

 天頂に、衝撃

「が、っ、あぁああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 そして走る、激痛。

「ざざざザフィーラ大丈夫かいっ!? って、下からも悲鳴がっ!?」

 意識を失う直前、オレが聞いたのはそんなセリフだった。
 床抜けるって……何したんだよ……オイ……。

「ごごごごごごごごめんよぉおおおおおおおおおおおおおおっ!?」





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