――――彼我距離500m 観測手によれば彼女の脳天まで500mしかないらしい。 あまりにも短すぎる。 風も吹いていない。身を隠した茂みを気づかれた様子もない。 あまりにも呆気ない。 自分が彼女――エイミィ・リミエッタ――を狙撃し、自分の部下達が本陣を襲って終いだ。 「3分後、ってとこか」 それだけ待てば、奇襲で相手本陣を壊滅させつつ無事撤退するだけの状況が生まれる。 本来は本陣を守るべく配置されていた予備戦力は、前線を支えるために中原に進軍中していた。 3分後には先に動いた部隊が渡河を終え、後に動いた部隊の半数が渡河に入る。 そこまで行ってしまえば自分たちを捕らえることは不可能になるはずだ。 隠密と高速戦術移動に長けた自分たちの部隊が、酷く鈍重な通常部隊に追いかけっこで負けるはずがない。 「しかし、女神の愛弟子って言う割にゃ大したことなかったな」 スコープに写る茶髪の女性は、見るからに歳若い。かと言って、若さは評価を覆さない。 我らが女神は彼女と同じ年頃で既にその才の片鱗を見せていた。 「所詮は魔力零の補佐官か。期待するだけ無駄だってことだな」 どうやら本陣の守りとして砲兵隊だけは残してあるようだが、その全ては女神の居る城へと向けられている。 それでは意味が無い。 何故なら彼女を狙うスナイパーは、真逆の方向にいるのだから。 女神の翼が1人、少佐と呼ばれる男。彼の部隊は隠密と奇襲に長け、彼はスナイピングに掛けて随一の腕を持つ魔導師だった。 「残り、1分」 引き金を引くまでの60秒。ターゲットを狙う指先に微かな緊張が走る。 新兵が抱くような、恐れから来る緊張ではない。心に張りを持たせ、仕事を確実にするための、プロフェッショナルの緊張。 集中力が感覚を拡大させ、スコープの先にある世界から息遣いまでもを耳に届かせる。 音も無く時を刻む愛用の時計を横目で見ながら、その瞬間が来るのを待った。 「安心しな、非殺傷設定だ。気絶で済む」 残り10秒。 標的は傍らにいる秘書官のような少年と2、3の言葉を交わしていた。 何を話しているかなど関係無い。何故なら10秒でこの戦いは終結を迎えるのだから。 そして―――。 「 ―――そして引き金は、終焉を解き放った。 打ち合った武器から火花が散り、離れた瞬間に魔力光が閃いた。 互いが互いへ向けて放った魔の力を両者共防ぎ、あるいは避け、再び打ち合いを始める。 何度打ち合ったかなど一々数えていられない。 何度魔法を撃ったかなど、一々数えていられない。 目の前に立ちはだかる敵はあまりにも強大で、強敵。 今、再び振り下ろされた一撃を自身が両手で握るデバイスで受け止め、ギャレットは漏れそうになる苦悶の呻き声を押し殺した。 「貴公の噂は聞き及んでますよ、将軍」 「ヌシこそ、我が隊でも噂になっているぞ?」 「悪評です……かっ!」 鎧のようなバリアジャケットに覆われた将軍の腹部を蹴り、反動と勢いでギャレットは距離を取った。 しかし、彼に息つく暇を与えたくない将軍が、よろけながらも無詠唱で高速の魔力弾を放った。 身を捻ると魔力弾がすぐ横を抜けていく。 躱してから、ギャレットは『しまった』と思った。 ギャレットが回避から攻勢に転じるまでのタイムラグですっかり態勢を立て直した将軍が、両手に抱えた巨大な戦斧形状のデバイスを振り上げていた。 「無論、良評。捜査班にしては腐っていないと評判じゃよ……ッ!」 開いていた距離を更に取り、その上で防御魔法を展開するギャレット。 彼が正面にラウンドシールドを展開するのと同時に、戦斧が地面に叩きつけられる。 「私は局長派に組していない捜査班ですからね……ッ!」 巨大な斧は粉塵を巻き上げると幾筋もの衝撃波を周囲に繰り出し、解き放たれた野獣のように暴れ回る。 盾を通して両腕にひどい負荷が掛かる。魔力という名の精神力を削られる中、ギャレットは思った。 このままではこちらの圧倒的不利だ。 先ほど聞こえた砲撃音が気になってしかたがない。 総大将は……既に倒れているんじゃないか? 「いや―――」 衝撃波を受ける中、防御魔法の向こうでギャレットが頭を振った。 「―――私が、前線の兵が彼女を信じずして勝利などありえるか……ッ!」 防御魔法を解除し、ギャレットは吹き荒れる衝撃波の嵐に飛び込んだ。 横合いから飛び込んできたものはデバイスで受け流し、正面から突っ込んできたものは軽いステップで避け、彼は敵将に向けて駆ける。 「ふむ……確かに、指揮官を信じることは大切だ。だが、そのような急いた攻めで討ち取られてやるほど甘くは無いわ!」 規則性無く荒れ回っていた衝撃波が、ギャレットを囲むように渦を巻き始める。 咄嗟に高速で飛翔魔法を発動させ空中へ逃げようとするが―――0.01秒、遅い。 「若人よ、己の拙さを身に刻み」 ギャレットを取り囲んだ衝撃波達は四方八方から彼を殴りつける。 まるでゴムマリのようにしっちゃかめっちゃかに弾き飛ばされ続けた彼は、最後に天高く投げ飛ばされた。 人工太陽の光が、やけに眩しい。 「悔悟の海に……沈め……―――ッ!」 重力に従い地面に落下するギャレットが最後に見た光景は、眼前に迫り来る巨大な戦斧の姿だった。 タイミングが命の勝負だった。コンマ1秒でもずれれば、そこで勝機は完全に潰えてしまう。 けど、まだあの人に足らぬ自分では、こんな方法しか無いから。 選択肢は決まっている。後はそれを実行する勇気だけなんだ。 「全部隊に伝令を送って! 何があっても戻ってくるな、って」 元々この勝負は細い綱の上を渡るようなものなのだ。実行する計略がそうなってしまうのは……必然、と言ってもいいだろう。 内心では今にも口から飛び出しそうな心臓を必死に抑えて、 「隊長達が何か言ってきたらこう返しなさい。“相手の女神は凄いけど、貴方たちの女神も凄いわよ”ってね!」 彼女―――エイミィ・リミエッタは、指揮を執る。 背筋には冷たい汗が流れているが、必死に平静を取り繕う。 後1分……きっと、タイミングはそこだ。 けど、外してしまったら……? 「このエイミィさんに任せなさいって! その分、前線の働きも期待してるよ〜。なんてねっ」 押し潰されそうになる心をひた隠しにして、伝令兵を笑みでもって送り出す。 自分は総大将なんだ。彼らを不安にしてはいけないんだ。 開戦して即座に本隊が壊滅した。それでも何とか戦ってくれている彼らに、勝利というお礼を返したい。 だから……辛いけど、頑張れる! 「ねね、ちょっといい?」 残り30秒。 心臓はもう、弾けそう。 息苦しくて、頭がくらくらする。 「何か用か?」 随時舞い込んでくる情報を処理する手を止めずに私の言葉に返事をくれる彼。これから彼にすることはちょーっと申し訳なくも思うのだけれども……まぁ、不可抗力だよね? 「うん、ちょっとね」 「?」 あと、20秒。 「いや……やっぱり、なんでもない」 不思議そうな顔をする彼だけど、仕事に戻ってしまう。 ちょうど、彼の後頭部が私の目の前に向けられて……。 あと、10秒。 こんなに胸が高く酷く鳴るなんていつ以来だろう……? 初恋の人を好きなんだと自覚して、そして初めて手を繋いだ時……以来かもしれない。 あの頃の自分は若かった。 いや、今でも若いが。 若いんだ。 若いんです! あと、3秒。 勝利の鍵になる“それ”に向けて手を伸ばした。 あと、2秒。 むんずと掴んだ。 あと、1秒。 覚悟を決めて! 今! 引き寄せた! 結果から言おう、失敗だ。 「な…………ッ」 狙いは正確だった。 完全に彼女、エイミィ・リミエッタの頭部を捉えていた。しかし、直撃の瞬間に、あろうことか彼女は傍らの部下を自分に覆い被さるように引き寄せ、盾にした。 結果としてエイミィは狙撃を防ぎ、こちらの位置を割り出していた。 「滅茶苦茶だぜ、おい」 すぐさま本陣に控えていた砲兵隊がこちらにデバイスを向けてくる。 こうなってしまってはどうしようもない。 「まさか、狙撃のタイミングを読まれるなんてな」 訂正しよう。 女神の弟子は、女神の名を受け継ぐに相応しい資質を持っている、っと。 「奇襲は失敗、撤退するぞ。各自散らばった後、集合地点へ向かえ」 自身は愛銃のデバイスを仕舞い、部下達に指示を下す。 彼らも状況は理解しているようで、すぐさま実行に移した。 それでいい、隠密部隊は判断速度と機動力が売りなんだ。 「ったく……それじゃ、逃げますか」 至極あっさりと、少佐はその場から逃げ出した。 放たれたエイミィ本陣からの砲撃は、もちろん誰かに当たることはなかった。 だが、しかし。 奇襲作戦が失敗に終わったことで、戦局はエイミィ側へと傾いていくことになる。 オマケ5へレディーゴー! |