暗闇から彼を連れ戻したのは、聴き慣れた友人の声だった。目を開いてみれば、突き抜けるような青空が視界いっぱいに広がる。
 しかし、よく見れば雲が流れていない。そうだ。あれはホログラムの空で、ここは演習場だ。
 身を起こしながら自分の置かれていた状況を思い出してゆく。
 確か自分は、ハラオウン提督とリミエッタ執務官補佐の喧嘩に巻き込まれて……。

「そうだ、戦況は……?」
「こっちが圧してるよ」

 すぐ傍から声が聞こえた。
 振り向けば、アースラクルーのランディがいた。浅縹と呼ばれる、青系の色をした髪を持つ彼の表情に焦りの色は感じられない。
 落ち着き払った様子は確かに真実を伝えてくれていた。

「部下の話だと頭から落下したらしいけど。大丈夫か、ギャレット?」

 言葉を投げかける傍らでも、ランディは舞い込んで来る報告を取りまとめて処理してゆく。
 彼とて艦船の一席を任される時空管理局の職員。エイミィには劣るものの、常人には困難なことでも、さほど苦労せずにやってのけることができる。
 もっとも、それは日々の訓練の賜物であるのだが。

「ああ……。前線は、今はどうなっている……?」

 問いに、駆け込んできた2,3の報告を処理してからランディが答える。

「今は予備隊連中が支えてるよ。数の上で大分こちらが優位だし、指揮官も教導隊仕込み……ま、このまま行けば崩せるさ」
「エンブリオン隊がここにいるということは、本陣は助かったのか?」

 ランディは力強い笑みを浮かべ、肯定の意を示すかのように頷く。
 エイミィの無事が分かり、ギャレットは安堵した。

「“相手の女神は凄いけど、貴方たちの女神も凄いわよ”だとさ。笑っちまうだろ? けど、そう言って自力で切り抜けちまった」

 くくく、と隠しきれなかった笑い声がランディの口から漏れる。
 心底可笑しそうに表情を歪ませ、いつしか腹を抱えて笑い出した。

「……まぁ、ハラオウン提督相手にそこまでやってしまうのは、彼女だな」

 そう言うギャレットの口元も綻んでいた。
 昔からそうだ。彼女は、大言を吐けば必ず成功に導いてしまう。
 だからこそ、今回ギャレットは彼女についていくことにしたのだ。
 決して、脅されただけが理由ではない。

「まったく……うちの総司令様はよぉ……」

 しばらくの間、彼らは笑っていた。









「ご老体、そろそろ隠居したらどうです?」

 銀光が閃き、鋭い切っ先が抉るように突き出された。しかし、鋼の牙は戦斧の腹で受け止められ、弾かれてしまう。

「まだ負けんよ。特に若造にはな……ッ!」

 必殺の一撃を返され態勢が崩れた剣士に向けて強烈な戦斧を叩きつける将軍。
 剣士はなんとか身を捻って巨斧の刃を剣で受け止めるが、不利は否めない。重量がある武器で上から押し込まれればいずれ根負けしてしまう。

「そう言わずに。縁側で茶を嗜む生活も中々に粋なものですよ?」

 なのに、危機を感じさせず余裕を装う剣士。彼の名はエルザード。
 道化に似た彼の態度からは“読む”という行為を行えない。
 歳は若いが、強い。

「どうです、将軍さん。魅力的な提案だとは思いませんか?」

 将軍は、押し返してくる剣の力が強くなっているのを感じていた。
 目の前の青年が異様な腕力であるとは到底思えない。
 ならば、身体強化の魔法を使ったのだろう。
 歳の割りには中々の錬度を持った強化魔法だ。

「なら、ヌシが我が身を打ち倒せば考えてみようか……の!」

 だが、まだ未熟。
 原始的な力と力がぶつかり合う戦いにおいて、強化に対するは相手以上の強化。
 将軍が、もう30年以上も慣れ親しんでいる得意の魔法を起動させてゆく。彼が得意とする強化魔法は詠唱を必要としない。
 現在の“プログラム”としてのデバイスに組み込まれた魔法とは違う、古の魔法に近い技術を使う。
 まぁ、使えるものは何でも使えばいい。

「……それは、考える気が無いと言っているのと同義ですね」

 身内を流れる血液が増量する感覚。
 血管を熱い液体がめまぐるしく駆け回り、鍛え上げた筋肉が一回りも大きく盛り上がる。それは斧を押し込む力に即座に反映され、僅かな反撃を見せていた青年を潰さんばかりに押し込む!

「諦めか? ならば、名くらいは聞いておくぞ」

 襲い掛かる激大な圧力と相対してもなお、表情に苦痛も苦悶も浮かべぬ青年。
 そんな彼が、初めて表情を変えた。
 にやりと、不敵な笑みを浮かべ

「名も無き一般局員で充分……ですよ!」

 そして、発光。
 斧と剣の間で眩い光が輝き出す。

「何を!?」

 飛び退ろうとするが、いつの間に仕掛けたのか足をバインド魔法で絡められていた。抜け出そうと魔力を込めバインドの破壊を試みるが、間に合わない。

「厄介な相手は自爆で道連れに限る。ま、お互い死にはしないんだし、ここらでリタイアと行きましょう」

 彼の吐いた言葉と共に、強烈な閃光に包まれ―――世界は、果てしない白に覆われた。









 その光は、前線で指揮を執る自分には嫌になるほど鮮烈に映った。
 親友が敵の将と一騎討ちし、果てに自爆する様は……。

「あのバカ野郎……ッ」

 口ではそう言いながら、兵の動きを次々と頭の中でシュミレートしてゆく。親友の犠牲を無駄にしたくはない。
 中原を制するには敵の前線指揮官が倒れた今を置いてないだろう。
 伝令を呼び寄せ、兵に動きを伝えてゆく。
 また、ランディの下にいるギャレットを前線に戻してくれるようエイミィにも伝令を送った。

「エンブリオン隊長! 敵部隊は指揮官を失ってもなお、少グループに分かれて個々に纏まった動きを見せております」
「錬度が高い高いと聞いていたが、まさかそこまでとは」
「しかし、指揮官を失ったエルザード隊の面々も対抗するように少グループに分かれて個々で応戦しております」
「エルザード隊も……? アイツ、最初からそのつもりで指示を与えていたのか……」
「いかがいたしましょう?」

 部下の言葉にエンブリオン教導官候補生は考える。
 相手は少グループ単位で行動し、全体を統率する指揮官はいない。個々に損害が出ても継戦が可能だが、組織立った攻めには弱いはずだ。
 即ち、確固撃破すべし。

「こちらも部隊を5つの班に分けろ! そして、エルザード隊と協力し1グループに対し2班以上で叩け!」

 指揮官の言葉に部下は頷き、すぐさま伝令を飛ばす。その部下もまた班を取りまとめる指揮官となるべく部隊の中に消えていった。

「上手く中原を制することができても、まだ城攻めが待っている」

 中原の遥か奥にそびえる巨城に潜むハラオウン提督。
 彼女に行き着くまでに、どれほどの損失を出すことになるだろうか……?

「考えていても仕方ないか。今は、すべきことをするだけだ」

 そう言って、腰に下げた剣を抜く。
 彼エンブリオンと、彼の親友エルザードは、アームドデバイスに近いストレージデバイスを使っている。
 リンディ軍の将軍が使っていた戦斧と似たような特性を持つデバイスだ。
 処理速度が早いわけでもなく、記憶容量が多いわけでもないが、頑丈だった。騎士甲冑のような彼のバリアジャケットと合わせれば戦場映えする。
 剣を掲げた騎士だ。
 兵達を鼓舞するのに、これ以上の装束があるだろうか?

「全班、進め―――………ッ!」
「おお―――っ!」

 エンブリオンは号令を掛けると、自らも戦いの中に身を投じた。









 リンディの座する天守閣からもはっきりと見えていた。
 2人の魔導師の一騎討ちと、強烈な白光の爆発が。

「まさかエイミィの指示じゃないでしょうし。やってくれたわね、エルザード君」

 この後の予定でも将軍には戦ってもらうはずだった。適度に後方に撤退してもらい、敵軍を引きつける役目を負ってもらうつもりだった。
 もちろん、最後の仕上げに参加して欲しかった。
 それはもう、叶わぬ絵空事だが。

「退かせるタイミング、読み間違えちゃったわね」

 予備隊の片方は本陣に残したままにしておくと思っていたのだが、両方動かしてしまうとは。その時のための少佐の狙撃部隊だったのだが、それも跳ね除けられてしまった。
 それならそれで別の計略があるから良いと言えばいいのだが、策を破られたことはショックだった。

「彼の協力、取り付けて参りました」

 さて、次はどの仕掛けを起動させようか。
 リンディが思考の海に没入しかけた所で部下が戻ってきた。彼女の手には巨大で黒いビニール袋が抱えられている。
 ちょうど、人間がすっぽり入ってしまいそうだ。

「ご苦労様。彼は……ぐっすり?」
「ええ」

 涼しげな表情で答える彼女だが、ビニール袋の中身を抱えてくるのは多分に重労働だったはず。見た目に反して、力持ちなのかもしれない。

「そう。なら、博士に伝令を飛ばしてからエイミィの護衛についてもらえる?」
「仰せのままに。博士には何と?」
「“任せる”と。完全に予定通りには進まなくなっちゃったわ」

 残念そうな上司の言葉に、部下は怪訝な表情をする。
 それを読み取ったリンディは、滅多にそんな顔を見せない彼女に問うた。

「何か、不満でも?」

 問われた女性は静かに首を振って否定の意を示す。彼女はリンディに否定的な進言をしたことはない。
 それはリンディ自身が一番良く知っていた。
 だからこそ、彼女の怪訝な表情が気になった。

「……?」

 疑問は、程なくして氷解した。

「……提督が楽しんでいるように見えて、つい」

 ずっと自分を見てきた部下にそう言われ、リンディは頬を緩める。

「そうね……楽しいわ。あの子も、私の娘みたいなものだから」

 母娘の語らいって奴よ♪ とつけるリンディ。
 忍は呆れてしまった。

「コミュニケーション手段が不器用にも程があります、提督……」

 もしかしたら初めて見るかもしれない呆れ顔になるリンディの忠臣。
 長年付き合いのある彼女のそんな表情に、リンディはむくれ顔になって反論する。

「いいじゃないっ。私がアースラを降りることになってからあの娘は私とあんまり話してくれなくなっちゃったのよ?」

 何が理由かは分からない。
 けれど、本当の娘のように接してきた彼女だったから、その対応が寂しかった。
 会話が生まれてもすぐに喧嘩になってしまうし……。

「……伝令に行きます!」

 逃げるように立ち去る忍な彼女。リンディ軍で一番素早い彼女を捕らえる術はリンディには無く、易々と逃がしてしまう。

「もう……っ」

 仕方ないので、彼女が引っ張ってきたビニール袋に手を掛け始めた。









 そんな報告が来るなんて、予想もしていなかった。
 真実かどうかが信じられず、報告を伝えてきた部下にもう一度聞き返す。

「本当なのか、それは……?」

 報告してきた部下も信じられなかったのか、ランディの言葉に頼りなさ気に頷く。
 そして、今し方した報告を再び繰り返す。

「エンブリオン隊及びエルザード隊残兵が相手をしていた中原の敵部隊が突如として消えました」
「……そして、両隊は不可視の攻撃を受けている、だったな」

 伝令の言葉を引き取るランディ。敵の目の前で姿を消す魔法を使うなんて……それも、全部隊を隠すほどの。
 報告では儀式魔法を使っていた気配も無かったそうだし、そもそも魔法の詠唱自体が無かったらしい。
 一体、どうなっているんだ……?

「とりあえず、総司令に伝えてこい!」
「はっ」

 早足で本陣に向けて駆けて行く伝令。
 彼の姿を見送りながら、傍らで出陣準備を整えているギャレットへと問う。

「どう思う?」

 ランディの言葉に、ギャレットはしばし考える。
 一瞬が10度ばかり通り過ぎた後、ギャレットは口を開いた。

「私には分からない。だが、厄介なことに変わりはない」

 返ってきた答えに脱力するランディ。しかし、すぐさま気を取り直して背筋を伸ばす。

「エルザードが命を掛けて作った機会。俺達は無駄にせず拾うことが出来るのか……?」

 呟いたのは、疑問と不安。
 このまま謎が解けず不可視の攻撃を喰らい続ければ予備隊が壊滅し、こちらの敗北だ。
 仲間を犬死にさせないためにも、無駄にはしたくなかった。

「……女神次第、だな」

 ホログラムの空を見上げ、答えるギャレット。

「提督か?」

 ギャレットは、ランディの言葉に否定の意を示す。

「我らの女神さ」

 どうなるかはエイミィ次第というわけだ。

「奇跡はもう一度起こるかねぇ」

 弱気なランディの言葉。
 それを吹き飛ばすかのように、力強くギャレットの言葉が吐き出される。

「起きる、そして勝つ。“我らの女神を信じよ”っという、ところさ」

 あまりに不安の無いギャレットに、ランディもとうとう観念した。
 肩を竦めて呟く。

「そうだな……信じるっきゃないか。俺達の女神様をよ」

 ランディの言葉に、ギャレットは出陣でもって答えた。









 本隊、補佐の少年、そしてエルザード。多くの犠牲を払って得た巻き返しのチャンス、無駄にするわけにはいかなかった。
 敵部隊が不可視迷彩を使用してきているという報告を受た時、エイミィの脳裏には散っていった仲間達の顔が浮かんでいた。

「…………」

 タネの予想は付いている。後は、指示を下す言葉があればいい。
 ずっとずっと、この時のためにタイミングを計っていた。この手を使う事態になることだけは、始めから予想していた。

「フェイトちゃん!」

 そのために引き込んだのが、彼女だった。
 妹のような少女は長い金髪のツーテールを揺らして自分の前に立つ。待たせすぎたのか、眠そうに目をこすっている……そんな彼女を叩き起こすように指令を言い放つ。

「本局の中央管制センターを制圧してきて! そこに演習場のコントロールシステムがあるんだ」

 エイミィの言葉にビクンと小さく跳ね、こくりと頷くフェイト。主に釣られたのか、彼女の使い魔であるアルフもまた首を縦に振る。

「多分、敵はそこでホログラムシステムを弄ってるんだと思うんだ。だから、センターにいる人を問答無用で倒しちゃって!」

 エイミィの言葉にこくこくと頷くフェイト。
 どうやら、まだ頭は起きてないらしい。
 しかし、気にしてないのか気づいてないのか、エイミィは気にせず言葉を続ける。

「これはフェイトちゃんの機動速度だからできることなんだ。フェイトちゃんにしかできないことなんだ」

 そう言って、彼女の両手を包み込むように握る。小さな手は冷え切ってしまっていて、戦場の気に当てられて火照ったエイミィからすれば気持ちよかった。

「あ…………」

 エイミィの言葉にか、掌の温かさにか、頬を上気させるフェイト。
 そして、もう一度こくりと頷いた。

「あ、それと」

 誰にも聞こえないようにと、エイミィがフェイトの耳元に唇を寄せて喋る。
 彼女の言葉にフェイトは2、3度頷いて答える。

「それじゃあ、お願いねフェイトちゃん」
「うん。任せて、エイミィ。私……頑張る」

 ぐっ、と小さな握り拳を作るフェイト。
 そんな彼女の頭を優しく撫でるエイミィ。

「ありがとね」
「う……うん……」

 顔を赤らめながらも、ポケットにしまっていた金色の台座を取り出す。
 それはフェイトの意思で力持つデバイス形体へと変化し、戦斧となる。

「それじゃあ……行ってきます」

 黒を基調としたバリアジャケットを身に纏い、アルフを抱えるフェイト。

「うん。アルフも、お願いね」
「任せとけ!」

 片手をシュタっと上げて力強く答えるアルフ。
 フェイトは、最後にもう一度頷いて……中央管制センターへ向かうべく演習場を後にした。

「……頼むよ、フェイトちゃん」

 このままなんとかできれば戦況をこちらに持っていける状況。
 だが逆に、相手方としてもこちらを押し切れる戦況。
 お互いの精神力を大きく削りあうこの状況で勝つことこそが重要。
 これから行う城攻めは、恐らく気力勝負になる。押し切るにはこの状況で精神的優位に立ち、勢いに乗るしかない。
 元より兵の錬度では負けているのだ。
 ならば、いかに兵を鼓舞し普段以上に実力を発揮させるかがエイミィの戦いの焦点だった。
 勿論、策略を考えていないわけではなかった、が。

「……伝令!」

 エイミィの掛け声に、半瞬も待たせずに集まる伝令の通信兵達。
 エイミィは彼らに1つの指示を下す。

「全部隊に通達、5分耐えよ! そうしたら反撃だ! ……っと!」

 戦場にも響くように、雄々しく、猛々しく宣言されるエイミィの指令。
 その言をすぐさま伝えるべく、兵達は駆け散らばって行った。

「……ここからですよ、艦長」

 ポケットから一枚のカードを取り出すエイミィ。
 これは事前にリーゼたちに頼んで手に入れた切り札だった。

「……私の伝えたいもの、全部見せてあげますから」

 つつ、とそれの縁を撫で……そして仕舞う。
 彼女が戦場に目を向ければ、必死さを増して見えない敵と戦う兵達の姿が見えた。頑張ってくれている彼らのためにも、自分は成さなければならない。
 今はただ、フェイトが時間内に任務を果たしてくれるのを信じて待つだけしかできなかった、が。









ひっそりとオマケその6

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