―――今日はファンタジー。





 神歴75年、神聖ベルカ王国は未曾有の危機に瀕していた。異世界から現れた『魔王』が圧倒的な武力でもって神聖ベルカ帝国を侵略したのである。
 魔王軍の攻勢に押され神聖ベルカ王国は敗退を続け、その国土のほとんどを失った。残るは聖王教の総本山、聖王神殿が建つ地のみであった。
 最早破滅を待つのみとなった神聖ベルカ王国。国家の象徴である聖王ですら悲嘆に暮れていた。

 だが魔王軍による総攻撃を三日後に控えたある日、聖王神殿の門を叩いた者達がいた。
 薄汚れた外套に身を包んだ彼らは絶望に涙する聖王に言ったのだ。
 「僕達が魔王を倒してきます」と。
 そして、彼らは勇者と呼ばれるようになった―――。





     ◇     ◇     ◇





 勇者一行が魔王軍の本拠地を目指す旅を始めて二十分。彼らは王国軍と魔王軍が天下分け目の決戦を繰り広げた地を歩いていた。
 「クラナガンの悲劇」と呼ばれたその決戦において王国軍と魔王軍の戦力は拮抗しており、互いに睨み合いが続いてた。だが前線に現れた魔王の一薙ぎで王国軍は壊滅し、城塞都市であったこの地も廃墟に変わってしまった。そして主力を失った王国軍と戦力の消耗の無かった魔王軍では戦いにすらならず、以降の戦いで王国軍は敗退を重ねていった。
 この廃墟は神聖ベルカ帝国軍人の広大な墓標であると共に、魔王の強大な力の象徴なのだ。
 荒れ果てた街を行く勇者達。
 彼らの内の一人―――彼こそが勇者である―――は、無残な瓦礫を見ながらぽつりと零した。

「―――っていう設定なんだよなぁ、このゲーム」

 擬似体験式多人数参加型ロールプレイングゲーム『インスタント勇者伝説!』定価9800円(日本円相当)!
 でも投売りワゴンセールで買ったので280円(日本円相当)。
 勇者―――エリオ・モンディアル―――は、所々荒いポリゴンに投売り価格の適正さを実感していた。
 『インスタント勇者伝説!』は本当にゲーム世界に入り込んだかのような演出を見せるヘッドギア型ディスプレイを用いた第8世代と呼ばれるゲームである。ミッドチルダでは1世代前のゲームだが、黎明期の名作『どっとはっく』を筆頭に良ゲーの多い第8世代のゲームはまだまだ現役である。『インスタント勇者伝説!』は第8世代全盛期に発売されたゲームであり、勢いだけで流行に乗ってみたことがよくよく窺える、いわゆるクソゲーである。一部マニアの間ではバグゲーとして認知されており、最も有名なバグは『ラスボスを倒せない』だ。
 以前、ヘビーゲーマーのシャマル先生にバグの話を聞かされていたエリオとしてはこのゲームに乗り気ではなかった。
 だが、誘われた時に断ることもできなかった。

「ゲームってすごいんだねエリオ! ほら、見てよ、本物みたいだよ!」
「う、うん。そ、そうだね……」

 このゲームはヴィヴィオが少ないお小遣いをはたいて買った物なのだ。購入動機は『多人数参加型』という文字。エリオと一緒に遊びたかったからこれを買った、と言われれば断れるはずもなかった。
 エリオから見たら不出来なポリゴンで描写されたゲーム世界もヴィヴィオにしてみれば良く出来た物に見えるらしい。
 そもそも彼女はテレビゲームなど初めてなのだろう。そのはしゃぎっぷりは見ていて微笑ましいものだ。
 しかし、『ラスボスを倒せない』というバグが待っている以上、未来を思うと涙を禁じえない。

「……このゲームが終わったらヴィヴィオのために何か面白いゲームを買ってあげよう」

 個人的には新世紀勇者大戦を薦めるが世間の評価はクソゲーなので悩ましい。

「ねーねー。エリオ、エリオー!」
「な、何かな?」

 ちなみに勇者一行と言いつつエリオとヴィヴィオの二人旅であるので、二人っきりです。ゲーム開始時にヴィヴィオが言った「新婚旅行みたいだよね!」という言葉は幻聴として片付けた。

「どこに行けばいいんだっけ?」
「あ、えーっと」

 エリオはバックログを開くと二十分前に謁見した聖王のセリフを取り出す。なお、何故か聖王のグラフィックスが大人ヴィヴィオに似ていたような気がしたが目に疲労が溜まっているんだろうということで片付けた。
 閑話休題、聖王曰く『がんばれ』とのことである。

「…………とりあえず教会の人が東に行けば魔王の城があるって言ってたから、東を目指そうか」
「わかったー♪」

 何が楽しいのか―――いいや全てが楽しいのだろう、ヴィヴィオは笑顔で相槌を打つとご機嫌に歩き出した。大きな帽子とだぼだぼのローブを着込んだ魔法使いルックの彼女に遅れないようエリオも続く。
 彼にとって、ここは安っぽい虚構の世界だ。けれど彼女にとってここは心躍る幻想の世界なのだろう。エリオとてファンタジーに思いを馳せたこともある。冒険心をくすぐられ、感動があるその世界に夢を見たこともある。
 だからエリオは最後に待ち構える厄介な出来事を思いながら、どうやって彼女の夢を壊さずにこのゲームを終えるかという案件に考えを巡らせた。

「うわっ、とと。前が見えないよぅ」
「ああ、帽子がずれたんだね。……ほら、これでいいよ」
「あう。ありがとー!」
「どうしたしまして」

 妙なところだけやけに凝ったこのゲームは本当に悩ましいなぁ、なんてことも思いながら。





    ◇    ◇    ◇





 ゲーム開始から三十分。魔王の城に辿り着いた。雰囲気を出すためか魔王の城があるマップは常に夜であり、天を見上げればひっきりなしに雷のエフェクトが掛かっている。
 また魔王の城の門は固く閉ざされており、今のままでは通行不可能であると思われた。いわゆる『アイテムが必要』である。
 しかし、何故開始三十分で到達できる場所に魔王城を配置したのだろうか。別にゲーム世界の端に据えればいいのではないのだろうか。
 エリオの脳裏に不安が過ぎる。やはりクソゲーはクソゲーなのか。

「んしょ。んしょ。……やっぱり開かないなぁ」

 門を押したり引いたり調べたりと、一生懸命に開こうとしていたヴィヴィオ。思いつく限りの手を尽くした彼女はその全てが無駄だったことで肩を落とした。
 彼女の気持ちと一緒にずり落ちた大きな帽子を直してやりながらエリオは彼女を慰める。

「ヴィヴィオはがんばったよ。でもきっと、アイテムが足りないんだ。たぶんこの先に行けば村か何かがあるから、そこで情報を集めよう? レベルだってまだ1なんだし」
「うー……」

 ヴィヴィオは納得いかない様子で、不満をたっぷり込めて門を睨む。エリオは彼女の手を取って引っ張って行こうとするが、ヴィヴィオは動かなかった。
 やはり門を睨み、思案しているようである。開門の方法を考えているのだろう。

「行こうよヴィヴィオ。もっと地方をまわって、魔王の城はそれからだって。だから、」
「だめだよ!」
「……?」

 強い口調でエリオの言葉を遮るとヴィヴィオは彼に向き直った。
 じっと、真剣な眼差しが彼を射抜く。

「魔王のせいでたくさんの人が苦しんでるんだよ! そんなゆうちょうなことは言ってられないよ! エリオのばかっ」

 目に涙さえ溜めたヴィヴィオの叫び。そのあまりにもゲームの世界に入り込んだ言葉にエリオは反射的に口を開いてしまった。

「いや、これ、ゲームだしなぁ……」

 言ってしまってから、後悔した。

「エリオの……エリオのばかぁっ!」

 ばちん、という音が響いた。そしてヴィヴィオは走り去ってしまう。
 エリオが頬を叩かれたと気づいたのは彼女が随分と遠くに行ってしまってからだった。バーチャルなのに痛む頬に手を当てながら彼女を追うエリオ。
 彼女の夢を守ると決めたばかりなのに、と自分の言動を恥じるがもう遅い。不注意な自分に嫌気を感じながらエリオは走る。

 だが突如前を走っていたヴィヴィオの姿が掻き消える。

 慌てて彼女が消えた場所まで駆け寄るエリオ。そこに手を当ててみると手首から先が消えた。
 恐らくバグだ。
 これがどんなバグかは分からない。移動かもしれないがフリーズかもしれないし、最悪、データ破損かもしれない。
 けれどエリオは迷わずそこに飛び込んだ。
 ここを抜けてヴィヴィオに合わなければ、きっと、二度と彼女に顔向けできないだろうと思ったから。

 消える、消える、エリオが消える。

 彼の視界も真っ白になっていく。ゲームのBGMも消え、全てが消えていく。
 あらゆるものが消失した時にエリオの脳裏には彼をゲームに誘った時のヴィヴィオの姿が蘇っていた。
 あの時の彼女は笑顔だった。近い未来に得られるであろう楽しみに心を馳せ、胸を躍らせ、瞳に期待が満ちていた。

 それはエリオが決して裏切りたくなかったものだった。





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