「ユーノ君が、好きなのに」

 高町なのはは、1人呟いた。
 誰もいない場所で呟いた。

「そうなんだ」

 はず、だった。

 だから誰かの声が聞こえた時に、心臓が飛び出たんじゃないかってくらい驚いた。慌てて振り向いてみれば、そこには、

「それなら、意地でも話を聞いてもらわなくっちゃ……ね」

 腰まで届く金髪は、流れるように伸びていた。
 深い緑の眼差しは、澄み切った色を浮かべていた。
 眼鏡はどこかへ吹き飛んだのか、端整な顔立ちがいつもよりはっきりと見て取れる。

「チェーン……バインドッ!」

 そこにいたのは、ユーノ・スクライア。

「……ッ!?」

 襲い掛かる6条の緑鎖に反応することができず、絡め取られてしまう。
 完全に意表を突かれてしまい、なのはは身動きが取れない。

  けど、そんなどうでもいいことよりも。

 大事なことは、彼のこと。
 ユーノは、高町なのはから逃げ出したのではなかった。

「ユーノ君……」

 その事実に、泣き出してしまいそうになってしまうなのは。
 でも、それはまだ自分の不安が解決したことに直接は結びつかない。
 そして……このまま勝負に負けるのも、嫌だった。

「レイジングハートお願い!」
《Jacket Purge》

 バリアジャケットが弾け飛ぶ。
 ジャケットを構成する魔力素を爆裂させることによって拘束を抜け出す荒業がジャケットパージ。

「急いで……ッ!」

 バリアジャケットを失っている間、魔導師は限りなく無防備に近くなる。
 だから、急いでバリアジャケットを再構成するなのは。
 しかし、その甲斐あって四肢に絡んでいた鎖は外れ、なのはは身の自由を得る。

「…………」

 いや、得させられたと言った方が適切かもしれない。
 その証拠に、バインドは呆気なく壊れてしまったし追ってこようともしない。
 術者のユーノに至っては、何か悟りきったような表情を浮かべている。

「レ、レイジングハート!」

 何かが、おかしい。彼は何を考えているのだろうか?
 ユーノの手札を読むことに、彼女の全神経が注がれる。

「…………」

 しかし、バリアジャケットの再構成が終わるまで彼は何もしてこなかった。
 自分を倒す絶好の機会を逃すなんて、彼はやっぱり勝ちたくないのかもしれない。
 そう思って、けれど振り切った。

  だって彼が、目の前にいてくれてるから。

 もしかしたら、バリアジャケットを着た自分すら倒す魔法を持っているのかもしれない。
 それは、高町なのは最大奥義スターライトブレイカーを凌ぐ魔法なのかもしれない。
 なら、それを撃たれる前に倒さなければいけない。

「……行くよ」
《Yes,My Master》

 カートリッジロード。
 続けて二度、薬莢が中空を舞う。

「今度は外さないよ! ディバィイイイイン―――……ッ!!」

 更に一度、排莢。
 カートリッジに閉じ込められていた魔力を解放したことで砲撃の威力は大幅に上昇し、チャージ時間は大幅に減少する。
 その名は、ディバインバスター・ファストショット。
 教導官高町なのはの、主力魔法。

「シールド、展開」

 対するユーノは、落ち着き払っていた。
 別段急ごうともせず、さりとて慎重にもならず、何の気も無しに防御魔法を展開する。
 今度は、先ほど張った周囲防御のプロテクション系ではなく、一方向防御のシールド系。
 確かに、一点に魔力を集められるシールド系の砲がバスターを止めるには有効かもしれない。
 だが、そんなものが通用する高町なのはではない。
 いかなる小細工を弄そうと、強大な魔力で撃砕する。
 それこそが、高町なのはの本領。

「(その選択、後悔しないでねユーノ君……っ!)」

 桜色の円陣がレイジングハートの周囲を取り囲み、

《Divine Buster Fastshot》

 魔砲が今、

「バスター……―――ッ!」

 解き放たれた。










 先ほどよりも強大になった彼女の砲撃魔法。
 それを前にしても、ユーノの心中は穏やかだった。
 だって、なのはが自分を好いてくれてると知ったから。
 友人に言われた時は半信半疑だった。
 けど、今は違う。彼女が好きと言ってくれたから、それは真実。

「両想いだったんじゃないか……まったく」

 もっと早く告白を決心していれば、こんなことにはならなかったのかな。
 そう思って……けど多分、こんなことでもないと告白なんてしなかっただろうなぁ。

  なんて、苦笑い。

 そうしている間にも、莫大な破壊エネルギーを持った魔法が突き進んできていた。

「さーて。なのは相手にも通用してくれるかな、この魔法は」

 張ったシールドは、普通の防御魔法じゃない。
 それは、転送魔法を使ってディバインバスターを避ける前に編んでおいた魔法の1つで、

「バスターのシールド接触確認。ここ、からだ……ッ!」

 彼の作った、新たな魔法。

「重……い。流石なのはだ……だ、けど……ッ!」

 魔砲を受けてもシールドは砕け散らず、砲撃のエネルギーを受け止め続けている。
 しかし、防御の上からでも精神力を削ってゆくのが彼女の魔法。
 守備に回れば即死に繋がる、絶対の攻撃が高町なのはの魔法。
 指先から、だんだんと感覚が消えてゆくのがよく分かった。
 身体を動かす芯みたいなものが、先から削られていっているのが分かった。

  でも。

 挫けられない。
 負けられない。
 折れることはできない。
 なのはが好きだから。
 その想いを、伝えたいから。

「発動して!」

 シールドが、淡い光を放った。微弱な、なのはの魔法にかき消されてしまいそうな……小さな光。
 けれど光は消えなくて、少しづつディバインバスターを押し返し始める・・・・・・・

「え……?」

 高町なのは、目を見開いた。
 自分の魔法が数秒以上押し留められていることに。
 そして、自分の魔法が……。

「リフレクション―――……ッ!」

 跳ね返ってきたことに。

「嘘!?」
《Reacter Purge》

 回避を試みる暇さえなく、直撃。
 しかし、直撃の瞬間にレイジングハートがバリアジャケットを爆ぜさせることにより砲撃軌道上からなのはの身体を逸らす。レイジングハートの機転のおかげで、結果的には接触時に多少のダメージを食らっただけで済んだ。

「これがユーノ君の切り札……」

 冷たい汗が背筋を流れ落ちる。
 高町なのはの砲撃は、防御の上からでも撃墜させるのだ。
 それに、誰一人の例外も無い。

  自分すらも、例外にならない。

 研ぎ澄まされた究極の剣は、しかし返されれば最も危険な刃だった。
 そんなこと、気づきもしなかった。
 だって、魔法を反射するなんて夢物語すぎる。
 レイジングハートが咄嗟に守ってくれなければ、自分は負けていた。

「けど……失敗したみたいだね、ユーノ君」

 これで彼は手札が尽きたはず。
 十分意表は突かれたし、負けるとも思った。
 ここまでされては……彼が負けても、話を聞こうと思えた。
 彼が、全力でぶつかってくれたんだから。
 それを受け止めないということを、高町なのはにはできない。

  もしも、そのせいで振られることが決定するとしても。

 “もう、いいよ”と呟いた。覚悟と諦めが混ざり合った、そんな言葉を呟いた。
 自分の恋は終わったと思うことにする。
 そう、結論付けて。
 何もできなくなった彼を見れば―――

「――――」

 鋭い眼差しに、射抜かれた。

「―――え?」

 彼の目は、まだ死んじゃいなかった。
 希望と活力に満ち溢れ、望む何かが得られると確信した笑みを浮かべている。

  同じ手が通用するとでも思っているのだろうか?

 あんなものはアクセルシューター主体の戦闘に切り替えれば効果はない。
 彼のバインド魔法だって注意していれば避けるのは容易だし、捕まってもすぐに逃げられる。
 彼は攻撃魔法を持っていないはずだから、もう、攻め手なんて持ってないはず。

「なのは」

 それなのに、

「ボクの、勝ちだよ」

 なんで彼は、あんなに余裕なのだろう。
 自分は、もう余裕なんてないのに。
 もちろん、魔力はまだまだ余裕だ。
 けれど……精神の余裕はもう無いのに。
 話は聞くと決めたから。そしたら、あの子にユーノ君を取られたことを聞かされるから。
 それを受け入れると決めたから。
 だから余裕が無くなったのに。
 ユーノ君は、余裕の表情だった。
 何だか無性に腹が立った。
 ムカツイた。
 だから吹き飛ばしてしまおうと思って、レイジングハートに魔力を込めようとして、
 それができなかった。

「そんな……どうして……」

 再度、同じことを試みる。
 けれど、結果は変わらなかった。
 魔力がどこかに吸収されていってしまうのである。

「何をしたの……ユーノ君……?」

 犯人は彼しか思い浮かばなかった。
 問われた本人はニヤリと笑って。

「負けを認めるかい、なのは?」

 そう、言った。










 本局に設置された教導官専用の宿舎。
 人が出払って誰もいないその場の、一番奥の部屋。
 高町なのはの部屋に、2人の人間がいた。
 1人はもちろんこの部屋の主、高町なのは。
 そしてもう1人は……。

「お話聞かせてもらう前に。さっきの種明かしをして欲しいな、ユーノ君」

 高町なのはの愛する少年、ユーノ・スクライア。
 彼はコクリと頷いて、携帯型ディスプレイを操作する。
 そこには『新魔法』というカテゴリーが表示されていた。

「えっと……無限書庫に眠ってた本から今は廃れた昔の魔法を調べてたんだ」

 無限書庫には、本当に何でもある。
 古代の魔法が記された書物も、当然のように存在していた。

「って言っても、全部使えない魔法だったんだけどね」

 必要魔力量が莫大だったり、そもそも使い勝手が悪すぎたり。
 実は古代魔法が見つかることはさほど珍しくもない。
 だが、古代魔法は大概が使えないものなのだ。

「でも、その中のいくつかの理論と今の魔法を組み合わせたら新しい魔法ができるんじゃないか、って」

 それは、学者らしい知的好奇心を満たすことが発端だった。

「それが……さっきの魔法を反射するシールドや、最後に使った不思議な魔法なの?」

 小首を傾げてユーノに問うなのは。
 負けてすっきりしたのか、表情に今までほどの悲しみはない。

「うん、そうだよ。反射魔法の方はリフレクション。こっちはどうしても取り回しが難しいんだけどよね」

 “あはは……ホント博打だったよ、アレは”そう言って苦笑いするユーノに、なのはは不満そうな声を上げる。

「えー。でもユーノ君、自信たっぷりだったよー?」

 段々といつもの調子を取り戻してきたのか、少々間延びしたいつもの声が戻ってくる。

「うん、だって勝たなくちゃならなかったからね。それなのに不安になってたら博打は成功しないもん」

 ……あ。

「そ、それはともかく! もう1つの魔法の正体は一体何なの!」

 聞きたくない話になる前に、強引に話を逸らすなのは。
 ユーノのお話は聞くけれど。もうちょっと先延ばしにしたかった。

「あ、うん。あれは結界魔法なんだ」
「結界魔法? どんな?」

 高町なのはの知る限り、結界魔法とは一定空間内の位相をズラすものだ。
 昔、内部に入っているだけで回復魔法が掛かる結界魔法を彼に掛けてもらったことはあったけど、特殊な結界魔法はそれ以外にはほとんど知らない。
 ましてや、相手魔導師のみがまったく魔法を使えなくなる結界魔法なんて聞いたことがなかった。

「えーっと……詳しく話すと結界魔法の定義から延々理論が続いちゃうから省略するとして……」

 多分、彼の頭の中でも上手く纏まりきってないのだろう。うんうん唸りながら、頭をポリポリと掻いて、たどたどしく説明を始める。

「あの中にいると魔法が使えなくなる結界なんだ」

 省略しすぎだった。

「……それじゃ分からないよユーノ君」

 ぷくーっ、っと頬を膨らませて抗議するなのは。
 だって、そんな説明じゃ自分が負けた理由が納得できない。

「その説明じゃ、ユーノ君も魔法が使えなくなっちゃうみたいだし……」

 そう。負けを認めた決定打はそれだった。
 自分は魔法を使えず、彼は魔法を使える。
 優劣が圧倒的だったからこそ、数多く魔力を残しながらも負けを認めたのだった。

「うん、そうだよ」

 ……なのに。

「え?」

 じゃあ、あの時点では負けにならないじゃないか、自分は。

「あ、あれ? なのは……なんで睨んでるの……」

 じとーっ、と睨まれて困惑するユーノ。
 もっとも、可愛い彼女がそれをしても可愛いだけなのだが。

「ユーノ君、ずるい」

 ぷいっ、と顔を背ける。
 負けた原因は、簡単なカラクリだった。
 高町なのはがユーノ・スクライアに騙されてしまった。
 もう、完膚無きまでに。
 ただ、それだけだった。

「あはは……ごめんごめん」

 苦笑するユーノ。
 今日何度目の苦笑いだろうか、なんてことをふと思って。

「けど、なのはに絶対に聞いて欲しいことがあったから」

 急に自分を見つめてきた彼の瞳に。
 真っ直ぐ自分へと向かってきた彼に言葉に。
 なのはは、それ以上何も考えられなくなった。










 やっとこの時が、来た。
 思えば今日はすれ違いと行き違いの連続で。
 いや、今日だけじゃなかったかもしれない。

  両想いだったなら、今までだってずっとそうだったのかもしれない。

 そんなことが頭の片隅を過ぎりつつ、彼の思考の大半は目の前の彼女のことでいっぱいだった。

「あのね、なのは」

 心臓が、煩いくらいに跳ねていた。
 これ以上暴れられたら口から飛び出してしまいそうなほど、跳ねていた。

「う、うん……」

 目の前の少女との出会いは、6年前。
 最初は、やむにやまれず協力してもらった民間人の少女として。
 自分の不甲斐なさが招いた事件に巻き込んでしまった人間として。

  彼女に謝りたかった時期があった。

 けれど、彼女は強くて。
 いつのまにか、自分から事件に立ち向かって行っていた。
 きっと自分は、彼女のそんな強さに憧れて。

「ボクは……」

 彼女はいつも微笑んでいた。
 とっても朗らかで、明るかった。
 彼女はまるで夏のひまわりみたいだった。
 周りを優しい気持ちにしてくれる、優しい花だった。
 きっと自分は、彼女のそんな人柄に惹かれたんだ。

「……うん」

 出会ってから、6年経った。この6年で彼女は随分と見違えた。
 胸はさほど大きくならなかったけど、スラッと伸びた体躯は抱きしめたら折れてしまいそうで。だからこそ抱きしめたくなる。
 やや幼さは残るけれども、元々美少女だった彼女は、ここ最近、美しいと呼びたくなることが何度もあった。
 ツーテールからサイドポニーへと代わった髪は、ここ6年もずっと手入れを欠かさなかったのだろうと思う。髪はとても艶やかで、とってもいい匂いがする。

「ボクの好きな人は……」

 なのはのことが大好きだった。
 6年前から大好きだった。
 ずっと彼女を見ていた。
 彼女を支えられる男になろうと努力してきた。
 新魔法だって、その一環。

「やっぱりダメ……!」

 ユーノの焦らすような言い方に耐え切れなくなったのか、弾けるように立ち上がろうとするなのは。

「待ってなのは……ッ!」

 けれど、彼女の手を掴んで引っ張るユーノ。
 もう、彼女を逃がす気なんてなかった。
 絶対に。

「嫌……っ! 放して……っ!!」

 逃げようとする少女と、捕まえようとする少年。
 2人は、そのままもつれ合って―――

『あ…………』

 どさり、と。ベッドの上に落ちた。
 見下ろすような形になった、なのはの顔。
 整った鼻筋も、ふっくらした唇も、すぐ目の前にある。
 そこは、どちらかが少し顔を近づければキスができる距離。

  ユーノの心臓が、再び跳ねる。

 忙しなく血液を身体中に巡らせるポンプは、主が女の子の匂いを感じ取ったことで稼動を加速させ、休むことなく仕事を続ける。
 そのせいで、ユーノの顔は真っ赤に染まっている。
 そしてまた、なのはの顔も……真っ赤。

「ね、なのは」

 恥ずかしさを誤魔化すように、彼女の耳元へ顔を落とした。
 火照った顔には布団の温度がひんやりと感じられて、気持ち良い。
 けれど、彼女との距離がぐっと近くなってしまったことに気がついて体温がまた1つ温度を上げる。

「……うん。お話聞くよ、ユーノ君」

 続ける言葉は、彼女の耳元で囁くことにした。

「ボクは君が好きだよ。他の誰でもなく、高町なのはが好き」

 彼女が、耳まで真っ赤に染めた。それと、なんとなく。多分、瞳はうるみ始めていると思う。

「誰のモノにもならない。ボクは君だけのモノだよ、なのは」

 顔を上げて微笑めば、朱色に染まった彼女はやっぱり泣きそうになっていた。

「だから。君はボクだけのモノになって……なのは」

 意識せず、自らでは気がつかず。
 しかし、普段穏やかな彼からは予想もつかない不敵な笑みを浮かべるユーノ。
 それに、くらり、と。
 なのはは、眩暈を感じた。
 今まで感じたことの無い彼を知って、もっと、知りたくなって。

「わたしはもう虜だよ……ユーノ君」

 時刻は真夜中。
 9歳の頃の彼と彼女ならとっくに眠っていた時間。
 けれど、今の彼と彼女は15歳で。
 そして、今の彼と彼女は恋人同士だった。
 だから……。


「なのは、愛してる」

「うん、わたしもあいしてる」


 溶け合うような2人の夜は、これから始まる。









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