太陽が地表に沈み、月が空に現れる時刻。
 地球にいたなら、今宵は満月だった。けれどここは、時空管理局。
 月はおろか、太陽さえも見えない次元の海の中。人工の灯りに照らされる造られた空間。

  柔らかくもなければ、優しくもない。

 ただただ、無機質な光を放つ蛍光灯に照らされる。
 ここは何も無い。本当に、何も無い。訓練室と呼ばれる、からっぽの空間。

  だから、ここには想い出が詰まっていた。

 彼に一番励まされた場所が、ここだったから。
 彼に一番助けられた場所が、ここだから。

  彼女は、高町なのはは、ここにいた。

 デートをするには味気無く、話し合うには殺伐としすぎていて、
 何かがぶつかり合うのには、これ以上無い場所に。

「ユーノ君……」

 自分以外の誰も聞く者のいない部屋なのに、誰にも聞こえないように小さく彼の名を呟いた。
 思い出すのは、昼間の出来事。

  久しぶりに、一緒にお昼を食べようと思ったんだ。

 朝、早くに起きて。久々に、お弁当を作ったんだ。
 彼に喜んで欲しかったから、彼の好きな食べ物をたくさん詰めて。
 彼と一緒に過ごす楽しい時間を想像して、わくわくと――ちょっとドキドキ――しながら、お弁当を作ったんだ。

  けれど、彼が抱きしめる彼女を見て逃げ出してしまった。

 その後はもう、泥沼だ。
 訓練室に来るまで何をしていたかなんて、ほとんど覚えていない。
 局内を走り回って、きっと知ってる誰かに迷惑は掛けたんだろうとは思う。
 でも、ほとんど何も覚えてなくて。

  ただ、彼を拒絶したことだけははっきりと覚えていて。

「おかしいよね、わたし。でも……」

 心の中を踏み躙るぐちゃぐちゃとした感情が消えてくれなかった。
 泣きたくなった。

「あの子……ユーノ君の彼女さんなのかな……」

 口に出したら、また泣きたくなった。
 彼が誰かを抱きしめるシーンなんて初めて見た。
 彼のあんなに優しい表情を、初めて見た。
 だから、あの子はきっと大切な子なんだ。
 そう思って、涙が―――

「なのはっ!」

 ―――零れる前に、やってきた。

 一番会いたくない人が来た。
 一番会いたかった人が来た。

「……ユーノ君」

 きっと、探し回ってくれたのだろう。苦しそうに肩で息をしている。
 そんな無理をしなくてもいいのに。彼女の所にいればいいのに。
 そんな無理をしてまで来てくれた。わたしの所に、来てくれた。

「なのは。あのね……聞いて欲しいことがあるんだ」

 彼が真っ直ぐわたしの目を見て、そう告げた。
 強い意志を秘めた緑色の瞳に見とれてしまう。
 わたしが贈ったリボンと、お揃いの緑。
 優しくて暖かい、丘の草原みたいな緑色。
 もしかしたらこの色は、わたしが感じる彼そのものだったのかもしれない。
 そんなことを思いながら……。

「やだ」

 彼の言葉に答えた。
 口を突付いて出てきたのは、拒絶の言葉だった。
 だって、もしも“あの子が恋人なんだ”って言われたら、立ち直れる自信なんてなかったから。

 真実を知るのが怖かった、から。









「やだ」

 本日2度目の拒絶の言葉。
 けれど、それを聞いても彼は、ユーノは引き下がる気は無かった。
 だって彼女は勘違いしてる。
 だったら自分はそれを正さないといけない。
 彼女が、高町なのはが好きだから。
 だからこそ、前に出ないといけない。
 幼なじみの少女が流した涙のために、も。

  引くなんて、選ばない。

「聞いて、欲しいんだ」

 ぐっと、1歩近づく。
 あと数歩も歩けば彼女に届く、そんな距離まで踏み出す。

「……やだよ。聞きたくないよ」

 顔を伏せて、彼女は後退る。
 答えた声は……震えていた。

「でも……なのは」

 その声に、少しためらう。
 けれど……もう、そんな声を出させないためにも。
 彼女に、全てを伝えなきゃいけない。

「あの子はボクの―――」

 ―――妹みたいな幼なじみなんだ。
 そう言おうとして、言えなかった。
 なのはが、泣き出してしまったから。

「やめて、ユーノ君……聞きたくないよ」

 涙は頬を伝って床に落ちてゆく。
 声は、震えてる。涙声で、震えてる。
 そして瞳は……怯えて、震えてる。

「なの…は……」

 泣きじゃくる彼女なんて、初めて見た。
 プレシア事件の後、管理局預かりになるフェイトとの別れの時も泣いたけど……。
 こんな泣き方じゃなかった。
 思考が止まってしまう。
 だから。

「……いいよ、ユーノ君」

 だから。

「……え?」

 だから。

「お話、聞いてあげる」

 だから。

「え? あ……う、うん。あ……うん」

 彼女に呑まれてしまった。
 思考が追いつかない。
 だって話を聞きたくないって言ったばかりじゃないか。
 なのに掌を返したようにいいよって……。
 混乱した頭。
 ここで伝えたいことをすぐに伝えなかったのが悪かった。

「わたしに……勝てたらね」

 その言葉と同時に、なのはの身体が桜色の光に包まれる。
 光の、余りの眩しさに一瞬だけ目を閉じてしまって、

「行くよ、レイジングハート」

 目を開けば、戦闘状態になった高町なのはがいた。
 白を基調とした厚手のバリアジャケットに身を包み、長年の相棒である金色の杖を構えた高町なのはが、いた。

  この瞬間、少年ユーノの運勢は底辺へと滑り込んでいた。









 武装隊長曰く『高町なのはは怪物である』らしい。
 教導官達は口を揃えて『彼女なら星も撃ち貫ける』と言う。
 武装隊員は皆『あのバリアの前にはどんな攻撃も通らない』と思う。
 犯罪者達は、畏怖の念を込めて彼女をこう呼ぶ。

  『管理局の白い悪魔 高町なのは』……っと。

「ユーノ君もバリアジャケットを着たね。それじゃ……始めようか」

 ……どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 自分は話をしに来たはずなのに。
 自分は告白をしに来たはずなのに。
 どうして、愛する少女と戦うことになっているのでしょうか……?

「でもユーノ君、ずっと書庫に篭ってばかりだから……わたしに勝てるかな?」

 無理だよなのは。……でも。

「ユーノ君が勝たないと……お話、聞いてあげないから」

 そう言われれば、やるしかない。
 今、無理に言っても彼女は耳を塞いでしまうだろう。
 なら……。

「勝つよ。なのはに、絶対に言わなくちゃならないことがあるからね……!」

 覚悟を決めた。

「そう? けど……簡単には聞いてあげないから!」

 レイジングハートの《Flash Move》のコール音と共に高速で後退するなのは。
 同時に、移動しながらカートリッジをロードさせて周囲に複数の光球を発生させる。

「敵との距離を取りつつ攻撃の準備をする……いつも通りの戦い方だね」

 長距離射程を誇る『砲撃魔導師』である高町なのはは、ほぼ常に距離を取る戦い方をする。
 アウトレンジからの一方的な砲撃こそが彼女の理想戦術。
 そして、長距離砲撃なぞ不可能なユーノに、これでもかと言うくらい効果的な戦術。
 事実、6年前にやってみた模擬戦ではそれで呆気なく負けてしまった。

「でもね……ボクだって6年前とは違うんだ……ッ!」

 なのはの火砲が放たれる前に、高速で魔法式を組み上げるユーノ。
 デバイスを使わない魔導師ユーノ・スクライアにとって、魔法とは自分自身の力で作るもの。
 彼は、誰の助けも借りられない。だからこそ彼は努力した。より早く、魔法を組み上げられるように。

  それがいつか、愛しい少女を守る力になると信じて。

 それが、皮肉にも彼女と対峙するために使われる日が来るとは思いもしなかった、が。そんな戦闘に余計なことは隅に追いやって魔法を構築するユーノ。
 はたして、結果は、

「プロテクション!」
「シュート……ッ!」

 なのはの放った魔力弾群はユーノの張った防壁に弾かれ、所在無さげに宙を彷徨うこととなる。
 僅差で、ユーノに軍配が上がったようだ。

  しかし、気は抜けない。

 多大なる破壊の力を持った光球達は、一度弾かれた程度で消えはしない。
 誘導魔法アクセルシューター。
 高町なのはの主力魔法の1つにして、最も厄介な魔法。

「どうするの、ユーノ君。そのままじゃ、防御の上から打ち抜かれて終わりだよ?」

 出現しているアクセルスフィアは4つ。桜色の光達は機会を窺う肉食獣のようにユーノの周囲を旋回している。

  困った、ことに。

 今のなのはなら、これらを操作しながらレイジングハートを砲撃形態に変形させることくらいやってしまう。もちろん、その上で主砲ディバインバスターを放つことも。

  冷たい汗が、背筋を落ちた。

 今の彼と同じように、アクセルシューターで足止めされ……デバインバスターで倒れていった犯罪者は何人もいた。
 ユーノは、そういった報告書を見たことが何度かある。
 本来ならば、逃げ出してしまわなければいけない状況。
 形振り構わずに、全てを捨てて命を取らなければならないような、そんな状況。

「……やれば? その程度、どうってことないよ」

 けど、逃げない。
 自分の命以上に捨てたくないものがあったから。

「そっか。じゃあ……“その程度”を受けてみて……ッ! レイジングハート!」

 なのはの声を受けて、レイジングハートがその身を転じた。
 汎用的に魔法を扱える、魔導師の杖とでも呼ぶべき姿を脱ぎ捨てて、

《Buster Mode》

 柄は長く伸び、飾りは砲を形作り、アクセルからバスターへと変化する。
 砲撃と呼ばれる大火力魔法を行使するための姿へと、形を変える。

(さぁ……ここが最初の正念場だ)

 固唾を飲み、目の前の光景を睨むユーノ。
 彼に策が無いわけじゃない。
 けれど、それはタイミングを外せば一瞬で崩れてしまう脆い策。

「行くよ、ユーノ君。ディバイィイイイン……―――ッ!」

 ガシャン。
 金属がスライドし、撃鉄を引くような音が響く。
 それに一瞬遅れてレイジングハートに光が集まり、急速に膨れ上がる。

  肌と身を、焦燥感が焼く。

 直撃を受ければ、数日の行動不能でも収まらない。
 凶悪な魔力の奔流に飲まれ、運が悪ければ魔導師として使い物にならなくなってしまうかもしれない。

  だから、か。

 脳が、瞳が、耳が、感覚が、神経が、警鐘を鳴らした。嫌になるくらい鳴らし続けた。彼らは言う、彼らは主張する、彼らは叫び続ける、

『今すぐ逃げろ。さもないとお前はここで死んでしまう』

『諦めろよ。どうせ、彼女はお前に相応しくない』

『無難に生きろよ。そんな生き方だってあるはずだろう?』


 逃げろよ。

 諦めろよ。

 止めてしまえよ。


 オマエは
 オマエは
 オマエは
 オマエは
 オマエは―――……

「……―――うるっさい……ッ!」

 腹立たしくなった自分の弱さに、吼えた。
 心が、砕けてしまいそうになっていた。
 だから、彼が張る魔法も軋みの悲鳴を上げて砕けてしまいそうになっていた。

  魔法は、心が生み出す力だ。

 心が負けてしまった時、魔法だって負けてしまう。
 心が弱くなってしまえば、魔法だって弱くなってしまう。
 防御魔法が悲鳴を上げたのは、魔法が弱くなったから。
 魔法が弱くなったのは、心が負けそうになったから。

「そんなことじゃ……っ」

 それでも正直な話をすれば、怖い。
 高町なのははSランク魔導師。正真正銘のトップエリートで、誰よりも強い魔導師の1人。
 ほんの少しだけ結界魔法が得意なだけの自分じゃ、その足元が見えるかすらも分からない存在。
 それが、高町なのは。それが、戦うために対峙している少女。

  それが、管理局の白い悪魔。

 圧倒的な魔力量と他の追随を許さない砲撃魔法への適正を背景に、どんな敵でも捻じ伏せてきた戦闘魔導師。

「そんなものに負けてたら……っ」

 数多の魔導師を落としてきた火砲がユーノに向けて放たれる、

「―――…………バスターッ!」

 刹那、

「なのはに、ボクは何も伝えられない……ッ!」

 殺傷設定ならば、訓練室の床を抉るだけでは飽き足らず管理局に大穴を開けるであろう大火力砲撃。
 それが迫る最中、ユーノは密かに編んでいた3つの式の発動プロセスを踏んでゆく。
 ただ、それぞれ最後の一工程のみ行わず。

「まだ……まだなんだ……」

 もっと引きつけてからじゃないと。

「3……2……1……」

 最初の1つの最後の工程を押し込む直前、彼女の顔を見た。

「0…………ッ!」

 相変わらず、泣いていた。









 プロテクションとディバインバスターが激突。
 プロテクションは呆気なく崩壊し、半瞬も保たず消し飛んだ。
 プロテクションで殺され切れなかったバスターは、周囲を飛び交っていたアクセルスフィアを巻き込んで爆発を引き起こしている。
 それでもまだ、ディバインバスターの放出は止まっていない。

  ユーノ・スクライアはそれほど魔力量が多い魔導師ではない。

 また、結界魔法は得意でも防御魔法は得意というわけではない。
 それらの事実から、彼がディバインバスターを受けて無事である確率はゼロだった。

「……お話、聞けなくなっちゃったね」

 必死に何かを伝えようとしていた彼。彼の言葉を拒絶しようとした自分。
 でも、彼があんまりにも一生懸命だったから条件付で了承を出した。
 自分に勝てば話を聞いてあげると、彼に言った。

  もしかしたら、本当は自分も話を聞きたかったのかもしれない。

 だだっ子の自分を倒して、それで、無理矢理にでも聞かせてくれるのを望んでいたのかもしれない。
 上手く言葉にできないけど、そんな気持ちが無かったと言ったら嘘になってしまうと思う。

  けど、彼は負けた。

 だから、話を聞く必要はない。
 だから、彼の話は永遠に聞くことができない。

「……やだよ」

 色々なことを考えてしまう。

「ううん。これで、よかったんだよね…………?」

 この戦いで傷ついた彼をあの子が介抱して。
 元気になった彼とあの子がずっと一緒にいて。

  あの子と。あの子と。あの子と。あの子と。あの子と。

 彼があの子と、幸せになる。

「……よかったんだよ」

 もうすぐディバインバスターの放出が終わる。
 時間にしたらたった数秒のことだったけれども、この数秒が彼との関係を永遠に詰まらなく変えてしまった。

  せめて、友達ではいてくれるかな……?

 そう思って、頭を振った。それが嫌だったから、頭を振って否定した。
 うん、ダメだ。
 友達じゃ、ダメだ。
 だって。

「…………」

 自分は。

「……え?」

 彼のことが。

「なんで……?」

 最後の言葉は、驚愕にかき消された。
 言おうとした続きの言葉は、忘れてしまった。

「え……? だって……非殺傷設定だよ……」

 魔力に、精神にダメージを与えはするが、物理ダメージは存在していなかったはずの砲撃。
 しかし、砲撃が消えた今、彼の姿はどこにもない。吹き飛んでしまうはずが無いのに。
 だったら……。

「あぁ……そっか」

 なのはは、思う。“彼は帰ってしまったんだ”っと。
 きっと、プロテクションが消える直前に転移魔法か何かで逃げ帰ってしまったんだ。
 だって、そうやって逃げ延びた犯罪者も今までに何人かいた。
 そういう報告書を彼は知っていたはずだから、咄嗟に思いつく可能性だって存在しているはず。
 いや、もしかしたら彼は最初からそのつもりだったのかもしれない。

「最初から遊ばれてただけだったんだね、わたし」

 惨めだった。酷く、惨めだった。
 彼のことでこんなに悩んで。
 悲しんで。辛くて。分からなくて。
 憂鬱で、泣いてしまって。
 でも彼は、手の届かない場所に行ってしまった。
 彼はあの子のものになってしまった。

  どうして、だろう?

 ……自分は。自分は。
 わたしはこんなにも。

「ユーノ君が、好きなのに」






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