達人同士の勝負は、永遠に終わらない。何故ならば、拮抗した戦巧者同士の対決というものは、互い隙を見せぬからだ。
 よしんば片方が打ち込んだとしても、打たれれば流し、流されれば下がり、下がれば追い、追われれば攻め打つ。
 時のみが過ぎる、終わらぬ攻防の中で彼らは削り合こととなる。
 それは互いの体力であり、そして何より精神力である。
 もしも、達人同士の勝負に決着がつくのであれば。それは、片方の精神力が切れた瞬間である。
 要は、詰る所、勝負とは気力の比べあいなのだ。
 さて、では究極の意地っぱり同士が戦えばどうなるか?
 片や、一本芯が通る故に己の誓いに意固地となって折れぬ女性。
 片や、自らに課した目標を絶対に挫けずに果たす頑固な少年。
 女性は、将として数多の戦場を駆け、その度に打ち勝ってきた誇りを持ち。
 少年は、自身の才能により否定された未来に反発し、そして勝ち取った意地を持つ。
 その2人の闘いに終わりは来るのか?
 見守るシャマルには、永遠に終わらぬように思えた。

「執務官、貴方の体力は底無しか……ッ!」

 愛剣を握りなおしたシグナムがクロノを睨みながら言った。
 砲には近く剣には遠い、中距離という間合い。シグナムはここから先に間合いを詰め切れずにいた。
 焦る気持ちに心が焦れる。

「そのセリフ、そっくりそのまま君に返すよ。シグナム」

 相対するクロノも、右手に握る相棒を改めて握り直した。クロノはクロノで思うように距離を取れず困っていた。中距離からシグナムを抑えるには威力を犠牲にした速射撃魔法を用いるしかなく、決定打を作り出せなかった。
 時間にすれば僅かに3分。しかし、打ち合った数は既に五十数合。相手に有利な距離を取らせぬために互いが攻め続けた結果だった。

「戦場に出れば、日の出から日没まで戦い続けることもありました。この程度は慣れたものです」

 荒唐無稽なようでいて、シグナムの言葉は事実だった。騎士として彼女と共に戦い続けてきたシャマルがそれを良く知っている。
 だがしかし。同時に、完全に真実というわけでもないこともシャマルは知っていた。
 何故ならば、クロノほどの使い手はそうそういなかったのだ。
 それこそ、シグナムが“慣れた”と言えるほど多くの交戦経験は無い。

「そうか。なら僕は、君の慣れを超えなければならないようだな」

 ふいに訪れる互いの硬直。攻めあぐねて隙を探す刹那の時間。
 停滞を破って先に動いたのはクロノだった。S2Uの先端に青い光が灯し、何かしらの魔法を発動させる。
 半瞬以下遅れ、ほぼ同時にシグナムもカートリッジをロード。蒸気に包まれて排出された空薬莢が中を舞った。

「スティンガー――――」

 クロノの手元でS2Uが回転する。蒼光の尾を引くコアが真円を描いた。

「レヴァンティン―――………ッ!」

 レヴァンティンに無数の亀裂が入り、シグナムが剣を振り上げると刀身はばらばらになった。
 否、それらは一本の強靱な鋼線に繋がれた連結刃になっていた。
 鋼を切り裂く魔刃の鞭。レヴァンティン“蛇腹剣形態Schlangeform”である。

「―――スナイプ!」
《Schlangeform》

 S2Uから蒼い斬環の三日月が飛翔し、鋭い長槍と化した刃鞭が空を裂いて迎え撃った。
 蒼刃は槍刃の下に潜り、すぐさま急上昇した。槍刃を跳ねるべく先端を叩き上げたのだ。
 軌道を高く反らされた槍刃は無理な軌道を選ばず、弧を描きながら滑り落ちた。
 叩き上げた蒼刃は直角を半分に割る軌跡を残し、連結刃の中腹へ急降下を仕掛けていた。

「私を直接叩きはしないのか、執務官!」

 シグナムが手元を揺らし、レヴァンティンの長く伸びた刀身が左右にぶれた。蒼刃がターゲットの奇動に追随し損ない、無様にも床を貫いて埋没した。
 レヴァンティンを狙い続けたのはクロノの失策だった。圧倒的優位に立ったシグナムはそう思った。
 シグナムが一方的な攻撃をクロノに浴びせ掛けられる今を見逃し、彼に態勢を立て直す時間を与えるなどという勝負への冒涜を犯す彼女ではない。
 無意味に床に消えたスティンガースナイプの結末とは異なり、レヴァンティンの刃は高速で床を這いながらクロノに襲い掛かる。それこそ、獲物を喰らう蛇のように。

「そうすれば、それこそこっちがやられていたさ。生憎と、僕は自身の能力に自惚れてはいないんでね」

 この後に及んで憎まれ口を叩くクロノ。彼は回避しようともせず、魔法を放った時と変わらぬ高く杖を掲げた姿勢のままでいる。
 口ではああ言いながらも、内心では諦めたのだろうか。
 いや、それはありえない。
 とある可能性に行き当たり、シグナムの背筋を氷刃が滑り落ちた。
 シグナムが、彼らの対決を見守るシャマルの目にも分かるほど、焦っていた。彼女は慌てて攻撃を放棄し、後方へ大きく飛び退った。

「スナイプショット―――………ッ!」

 シグナムの視界を左右に分かつ蒼光が下から上に飛び上がった。彼女は、咄嗟の判断で正解を選んでいた。蒼光は、彼女の鼻先を掠めていた。
 訓練室の床を突き破って寸前までシグナムが居た場所に現れた蒼光は、床に沈んだスティンガースナイプだった。レヴァンティンを狙っていたのはこの奇襲を行うための陽動だったようだ。
 蒼光はシグナムを捉える損ねたと見るや、すぐさまUターンし追撃を行う。ご丁寧にも、床面から跳ね飛んだ時を倍する速度で、だ。
 最初から最高速で攻めなかったのは、シグナムを追い詰めることが目的だからだろう。いやらしいと噂されるクロノの戦術は、本当にいやらしかった。

「弁償物だぞ執務官……ッ!」

 愚痴を叫びながら半身を捻り、もはや蒼い閃光となった魔力刃を躱すシグナム。レヴァンティンを蛇腹剣形態にしていたことが災いした。刀身が分かれた剣では防御を行えない。
 クロノの猛攻は止むこと知らず、今こそが機とシグナムを攻め立てた。

「シャマルへのお仕置きを床代の弁償ということにするから、平気さ!」

 なんて理不尽な。事の元凶シャマルは、心の中でそう呟いた。
 口に出さなかった理由は、言えばお仕置きが追加されるからだ。
 それはそれとして。
 クロノとシグナムの勝負は、クロノの勝利に向かって流れが傾いていた。
 中距離から遠隔操作の魔力刃でシグナムを攻め続けられるクロノに対し、シグナムは回避で手一杯になってしまっている。
 今まで直撃を受けていないシグナムの技量は賞賛すべきものだが、敗北してしまえば彼女への賞賛は辛酸に変わりクロノへの賞賛となるだけだ。

「……なるほど」

 今の彼女の言葉は、二重の納得。
 1つは、床代。
 もう1つは、先ほどのクロノの言葉。

「確かに、私の慣れなど超えてくれたな。貴方は……」

 言うのと同時に、シグナムがバランスを崩した。襲い来る魔力弾を無理な姿勢で回避したのだ。
 この機会にとどめを刺すとばかりに、額を狙った急襲が飛来する。左足を宙に浮かべたままのシグナムは、右足を屈して魔力弾をやりすごした。蒼い光が頭上を掠める。クロノが驚愕の表情を浮かべた。

「だから私も超えよう。私の限界を―――………ッ!」

 クロノが第2撃を放つ前にと、シグナムは屈んだ姿勢から片足一本で床が爆ぜるような飛び込みを見せる。地を滑るような低空姿勢で前方へ突っ込んでいた。狙うはもちろんクロノ本体だ。
 無理な姿勢から始めた無茶な機動に身体が悲鳴を上げる。大腿部と腰部が特に酷い。
 だが、身体の要求を呑んでいてはクロノには勝てない。
 シグナムは強靱な精神力で苦痛を捻じ伏せ、大気の壁を打ち破る高速でクロノに迫った。
 接近する刹那に愛剣へ命を出し、形状を剣に戻すことも忘れない。
 狙うは必殺。勢いを乗せた鋭い一撃。

「そうなる前に叩くさ」

 高速で一直線に突っ込んでくるシグナムに対し、迎撃の準備が整わないクロノは横滑りして逃げの姿勢を見せた。しかし、シグナムは突撃軌道に微調整を加えて正確に彼の動きに追従する。
 クロノの表情が僅かばかり曇った。シグナムは、それを焦りと感じ取った。
 レヴァンティンが柄からカートリッジを排莢する。刀身に炎が走った。

「やれるものならな!」

 彼我距離、残り約8m。

「……後ろのそれは無視していいのかい?」

 シグナムの頭上を掠めて躱された蒼刃が、クロノに向けて駆ける彼女を追いかけていた。
 しかし、遅い。

「あれが届くより先に、私が貴方を叩き伏せる」

 彼我距離、残り約5m。

「……そうだな。君の方が魔法よりも疾い」

 クロノが呟くのとまったく同時に、シグナムが剣を振り上げ始める。

「このタイミングなら貴方は新しい魔法を使えない。一縷の望みを賭けた誘導弾も私に追いつけない。この勝負、いただきます」

 彼我距離、残り約3m。

「……そうだな。今から新たな魔法を使うには遅すぎる。それも真実だ」

 彼我距離、残り2m

「ならば―――………ッ!」

 彼我距離、残り1m。
 レヴァンティンの刀身とシグナムの腕の長さを考えれば、この1mという距離は必勝の間合いだ。突撃の勢いを斬撃に乗せ、音を遅らせる剣速で愛剣を振るった。
 とたん、刃がクロノに届くまでの刹那をやけに長く感じる。とめどのない考えがシグナムの脳裏を駆け巡った。
 シグナムが渾身の力を込めて振るうレヴァンティンは魔力の炎を纏っており、仮にクロノが高速で防御魔法を割り込ませたとしても、防御魔法を砕いた上で彼を叩き潰す自信がある。激しく燃える烈火は眼前の敵を必ず討ち滅ぼす。
 もちろん、カウンターや回避は不可能だ。
 故にこそ、必勝の間合い。勝利を約束された距離。クロノは敗北から逃げられない。
 しかしながら、引き伸ばされた刹那の中でシグナムはとあることに気づいてしまう。
 彼女は失策を悟ることになる。

「けど、僕の勝ちだ」

 敗者への道を転がり落ちていたはずのクロノが、勝利の笑みを浮かべていた。
 その瞬間にシグナムは理解してしまった。
 敗北から逃げられないのは自分のほうだった、と。

「ディレイドバインド。忘れていたかい?」

 突撃の勢いも、凄まじい剣速も、必勝の間合いですらも。
 突如として現れた拘束の鎖によって、全て無意味にされてしまう。
 初めから読まれ、誘導されていたのだ。
 クロノは新しい魔法を使ったわけではない。緒戦でシグナムが避けたディレイバインドに彼女を誘導したのだ。
 彼には分かっていたのだろう。始めはディレイバインドが避けられることも、終盤でシグナムが熱くなって突撃を敢行し、ディレイバインドの存在を忘れてしまうことも。
 初めから掌の上で踊らされていたのだ。

「あの時の顔とセリフは……演技だったのか」

 思い出すのは、仕掛けたバインドを看破された時のこと。魔力弾を躱された時のこと。追い詰められた時のこと。
 それぞれにおいて、確かに彼は拙手を悔やんだ顔をしたし、そういうセリフも吐いていた。
 それに騙されてしまった。

「あぁ。言っただろう? “僕は自身の能力に自惚れていない”って」
「なるほど。足りぬ力は頭で補うのが貴方だったな」
「その通り」

 負けたというのに、シグナムはどこか晴れやかな表情をしていた。
 ここまで相手の思い通りに戦いを持っていかれては、悔しいの一言を出す気も起きない。完膚なきまでの敗北は己の未熟さをよく教えてくれて、いっそ清々しいほどに気持ち良かった。
 だがしかし、納得できないことも存在していた。
 そもそも、納得できないことを確認するために戦いを挑んでいた。のだが。

「で、だ。僕が勝ったんだから、理由を聞かせてくれないか?」

 理不尽にも“簀巻き”という情けない状態で有無を言わさずに連れてこられた挙句、本気の模擬戦。
 クロノは、表情に怒りこそ浮かべていなかったが、バインドに縛られたシグナムに訝しげな視線を送っていた。
 真実を教えろと、視線が言葉以上に語っている。

「……あぁ、それなんだが」

 微かに顔を伏せて、シグナムが口を開く。
 約束は約束だ。騎士は約束を違えない。
 しかし、彼女は事情の説明を行うことはできなかった。

「クロノ―――………ッ!」

 突如乱入した赤服の騎士に阻まれて強制的に中断させられたからだった。





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