〜前回までのあらすじ〜

八神はやてはクロノ・ハラオウンに想いを寄せている。
少女は自身の初恋を家族に打ち明けた。
それが悲劇の始まりだった。
シグナムは羞恥心に目覚め、
シャマルは女王様に目覚めた。
暴走機関特急少女ヴィータは奮戦するも、
脱線事故によりリタイアしてしまう。
紆余曲折の末、ザフィーラに出番が無いままその3が終わった。
そして今回も出番が無いという噂のザフィーラ。
彼の出番は―――金髪義妹に奪われるっ。

〜あらすじ終了〜





「これのどこがあらすじだ……ッ!」

 虚空に向けてブレイズカノンをぶっ放つクロノ。表情には、濃い精神的疲労が浮かんでいた。全ての原因は訓練室で起こった惨事である。
 一部例外高町なのはを除けば比較的被害無く使われていた訓練室。
 しかし、訓練室の中心で物語の登場人物的に言ってはいけないことを喚くクロノの周りは、どうみても凄惨だった。鋭い刃物に引き裂かれた痕や、重量系の武器で叩かれたような陥没。それに、高温を浴びたことによる融解が見られる。
 訓練室は修繕が必要になるだろう。
 監視カメラにはきっちりと犯人たちの顔が記録されているので、修繕費の請求はきっちりと彼らクロノとヴォルケンリッターに届くだろう。

「ま、まぁ。落ち着かないか、ハラオウン執務官」
「君が言うのかっ!? 原因を作った君が……ッ!?」

 シャマルに拘束を解いてもらっている途中のシグナムがどうどうとクロノを宥めに掛かったが、失敗。
 母親が大らかなせいかそれなりに高い順応力を持つクロノだが、根は生真面目なのでそろそろキャパシティを超えてしまったらしい。
 取り乱す様はみっともないが、普段は彼が押し殺している年相応らしさが前面に押し出されていて、これはこれで可愛らしいのかもしれない。

「まだまだ若いですね、クロノさん」
「君は年増だよな」
「なぁあああんですってぇええええええっ!」

 鬼神降臨。
 おばさんにおばさんと言ってはいけません。

「シャマル、すまない」
「はうぅっ!?」

 しかし、鬼神は烈火の将式延髄チョップによって2秒で硬い床の上に沈められた。
 ハイライトの消えた瞳でぴくぴくと痙攣する姿は何か連想してはいけない事後を連想してしまいそうだった。

「ええいっ、それもどれも政府が悪いんだ! 政治が悪いんだ! 働いたら負けかなって思ってる! いや思ってたまるか!」

 シャマルのことは後々考えるとして、クロノのことはどうしたものかと思案するシグナム。彼は誰がどう見ても錯乱状態で、順序立てて行為に至った理由を説明しても聞き入れてくれなさそうだった。
 1度、落ち着かせる必要があるだろう。

「……やはり延髄か」

 ごくり。唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。
 シグナムは、悲壮な覚悟が伴う決意をした。
 烈火式延髄チョップを放つべく、片手を振り上げる。
 ―――ハラオウン執務官。ぷるぷるしてもらいます。
 だが、シグナムは行動を現実のものにすることができなかった。

「―――クロノ君!」

 訓練室に飛び込んできた最愛の主の声が、シグナムから行動を奪ってしまったのだ。










 話は冒頭に遡る。
 家に自分だけを残して消えてしまった家族が残した暗号。一枚の紙切れに書かれたメッセージを前にして、八神はやては首を捻っていた。
 暗号は、大きく2種類に分けることができる。
 1つは、解読に知識を必要とする暗号だ。一般教養あるいは専門知識によって解ける類のものである。このタイプの暗号は解読に必要な知識を持ち合わせていないと解くことができない。例を上げれば、答えが『レイジングハート』である『高町なのはのデバイス』という暗号は、レイジングハートが高町なのはのデバイスであるという知識がなければ絶対に解くことができないのである。
 1つは、解読に発想を必要とする暗号だ。固定観念にとらわれない柔軟な思考を要求されるこのタイプの暗号は、誰でもが解読できる可能性を持つ。しかし、誰も解読できないかもしれない暗号でもある。易しいものでは解読のためのヒントが記されていることもある。
 さて。八神はやてを悩ませている暗号はどちらに属していたのだろうか。

『ハたラたオたウたンた執た務た官たをた試たしたてたきたまたすた』

 やたら『た』が多用された一文。傍らにはたぬきらしきぬいぐるみが置かれている。
 恐らくは発想型の暗号。たぬきはヒントなのだろう。

「たぬきさん……たぬきさん……たぬきさん……うーん」

 はやてはどう解いたものだろうかと、うーうー唸っていた。
 彼女が小首を傾げる度に、昨年12月に起こったあの事件の時から少しだけ伸びた柔らかな茶髪が揺れた。
 悲しい事件を経て少しだけ大人びたはやては、以前よりもすらっとしたように見える。車椅子を降りて自分の足で歩くようになったからかもしれない。
 雪のように白かった肌は、今はほんの少しだけ小麦色になっていた。

「うー……わからへんよぅ……。たぬきさんは、哺乳綱イヌ科タヌキ属に分類される肉食獣。体長は50cmくらいで手足は短く身体はずんぐり。いぬさんの仲間なんよね」

 はやては、知っている限りのたぬきに関する事項を並べ立てていく。
 ヴォルケンリッターが残した暗号を解読するには、彼女は聡明で博識すぎた。
 文学少女は伊達じゃない。

「そや、すずかちゃんに聞いてみよ」

 はやての表情に明るい花が咲いた。図書館で知り合った少女、月村すずか。小学校に行かなかったはやてに久々にできた友達で、彼女とは文学の話でよく盛り上がる。
 物知りの彼女なら、きっと答えかそれに近いものを教えてくれるだろう。
 はやては受話器を手に取り、小学校に入学してから数の増えた電話番号登録者名簿の中から月村の文字を探した。
 目当ての名前はさほど時間が掛からずに見つかった。
 しかし、通話ボタンを前にしてはやては動きを止めてしまう。

「あとはボタンを押して……ううぅ、やっぱりまだ慣れへんよぅ」

 はやてには、昨年の事件まで友達らしい友達がほとんどいなかった。まだ両親が生きていた頃に仲良くなった子もいたが、彼らが小学校に入学する頃には疎遠になってしまっていた。
 八神はやてにとって、友達とはつい最近できたとても大切なものだった。そのせいか、こういうふとしたことでとても緊張してしまう。
 電話そのものに慣れていないわけではない。病気のことでよく世話になった石田医師とは何度も電話でやりとりをしていた。けれど、相手が友達となると話は別だった。
 一応、友達に電話を掛ける経験はそれなりにある。それでも、“友達に電話を掛ける”という行為は、今でもはやての心臓を煩いくらいに鳴らせることであった。
 緊張がある。掌がじっとりと汗ばんでしまう。
 でも。それ以上に、こそばゆくて嬉しかった。

「でも、押さんと始まらんもんね。や……八神はやて、行きます〜っ!」

 自分が、こんな“普通”のことができるなんて。
 思ったこと、一度も無かったから。

「す、すずかちゃん早くでてぇ〜……」

 勇気を出してボタンを押せば、当然のことながら呼び出し音が鳴る。電話口にすずかが現れるのを待つはやて。
 ほんの僅かな時間なのに、緊張するはやてには、何時間も経過しているように思えた。

「もしもし?」

 はやてにとっては永遠に等しい、実際には十秒にも満たない時間。
 相手を待つ緊張の時は、涼やかな声によって打ち破られた。ばくばく動いていた心臓のせいで火照った身体が、電話口の向こうから聞こえてきた声によってゆっくりと冷めていく。
 落ち着きと思いやりを持ったすずかの声を聞くと、はやてはいつも安堵するのだった。

「あ、すずかちゃん? あああ、あ、あたし、八神はやてですっ」

 ただ。電話口だと、気恥ずかしさがぶり返してしまう。危うくセリフを噛みそうになってしまった。
 すずかの密やかな笑い声が耳に届いた。

「わ、わ……笑わんといてよぅ……」

 すずかの笑い声は不快になる要素を一切持っていなかったが、気恥ずかしくなる要素はたっぷりと持ち合わせていた。
 そろそろはやての顔からは火が噴き出てしまうかもしれない。

「ごめんね、はやてちゃん。まだ電話は慣れないみたいだね」
「うんー……早く慣れへんとだめやと思っとるんやけど、中々」

 はやては、しょんぼりと肩を落とした。

「はぁ……どうもだめやね、あたし」

 もう1度。自身を卑下する言葉と共に力無く肩を落とした。
 はやての脳裏には、昨夜の夕食であった光景が蘇っていた。

『あたし、クロノ君のこと……好きになってもうたみたい……』

 大切な家族だったからこそ告げた言葉だった。叶うことなら応援して欲しかったし、祝福して欲しかった。
 けれども。想いを告げた時に彼女たちが見せた表情は……。

「誰がどう見ても反対って顔なんやもんなぁ……」

 渋い顔をしていたシグナムに、険しい表情をしていたシャマル。ヴィータは今にも泣きそうで、実際泣いてしまった。
 狼の姿ですまし顔をしていたザフィーラだけは内情を読み取れなかったが、少なくとも全面的に肯定という様子ではなかった。

「はやてちゃん?」

 すずかの声がはやてを回想の世界から現実に連れ戻す。はやての耳に飛び込んできたすずかの声は、随分な心配の色を含んでいた。

「わっ、わっ、ごめんなすずかちゃん。心配かけてしもて」
「いいよ、はやてちゃん。だって、友達だもん」

 すずかは優しい。
 初めて出会った日から、はやてはずっとそう思っていた。
 今日もそう思うこととなった。

「だから、ね。お話を聞かせて欲しいな」

 ……それは、思わず泣き出してしまいそうな言葉で。

「え、ええよ。そ、そんな迷惑かけられへんもん!」

 でも、咄嗟に口を突いて出てきた言葉は遠慮だった。
 ずっと独りで生きてきたはやては、誰かに頼みごとをするのがとても苦手だった。
 しかし、すずかにぴしゃりと言われてしまう。

「よくないよ、はやてちゃん!」

 おっとりとしていて、普段はみんなから半歩引いた場所で微笑んでいるすずか。
 その彼女が、珍しく語気を強めて喋っていた。

「独りで抱え込むのはだめだよ、はやてちゃん」
「で、でも……」

 なおも渋るはやてだったが、続いた言葉に言葉を失ってしまう。

「わたし達、友達でしょ? だから……ね。話して、はやてちゃん」

 すずかが口にしてくれたありふれた言葉が嬉しかった。

「……うん」

 堰き止めた涙のダムは、呆気なく崩壊してしまった。





「……そうだったんだ」

 30分ほどが過ぎた。込み上げてくる涙と止まらない嗚咽に何度も中断させられながらも、夕食時の顛末を話した。
 もちろん、はやてがクロノのことを好きだということだけは伏せておいた、が。

「そっか、そうなんだ」

 それから、30分ほど。
 今度は、クロノの話をした。
 楽しかったこと、拗ねてしまったこと、嬉しかったこと。
 それらを、すずかは嫌な声1つ出さずに聞いてくれた。

「ね、はやてちゃん」

 会話が途切れたふとした瞬間に。
 はやての心の間隙を突くようにして、すずかは言った。

「クロノさんの所に行かないの?」

 はやては、長電話中に用意したお茶を噴き出した。
 テーブルがびしょびしょになってしまった。

「す、すずかちゃん〜……」
「あ、ごめんね。でもね、はやてちゃん」
「うん」

 台布巾で噴き出したお茶を拭き取る。はやては、被害がテーブルだけで済んだことに安堵した。
 もしもカーペットに飛沫が及んでいたら後始末がとても大変だっただろう。
 粗相の処理を終えたはやては一息つき、もうほとんど中身が入っていないコップに口を付けた。

「クロノさんのこと、好きなんでしょ?」

 そして落とした。

「すーずーかーちゃーんーっ!?」

 幸いにしてコップは割れていなかった。
 落としたコップは気に入っていたものだったので、はやては安堵の溜め息をついた。

「ご、ごめん。何か落ちる音がしたけど、大丈夫?」
「あ、うん。それは大丈夫やったけど……お気に入りのコップやったからびっくりしたんよー?」

 落とした時は心臓が止まるかと思ってしまった。

「えーっと、さっき言ってたクロノさんに買ってもらったコップ?」

 ……心臓が止まるかと思ってしまった。

「何でそないに鋭いのすずかちゃんっ!?」
「なんとなくだよ」

 電話口からひそやかなひそやかな笑い声が届いた。
 恥ずかしさで死んでしまいそうだった。

「はやてちゃん」

 ふと。
 穏やかだったすずかの声に急に張りが生まれた。
 雰囲気が変わったすずかの声に、はやては自然と身構える。

「う……うん?」

 何だろう?
 真面目な話なのだろう。
 はやては、真剣に受話器に耳を傾けた。
 ややあって、すずかが口を開く。

「クロノさんの所に行ってきなさい」
「なんでやねんっ!?」

 はやての突っ込みにすずかはしれっと答える。

「だって、きっとシグナムさん達はクロノさんの所にいるよ?」
「え、えー!?」

 驚きの声は、当然ながらはやてのものだ。「なんでー!?」なんて言うはやてにすずかは落ち着いた声で語りかける。

「ねぇ、はやてちゃん」
「う、うん……」

 すずかの声があんまりにも真剣になっていて、気圧されてしまいそうだった。
 受話器を握る掌がじっとりと汗ばんでいる。
 はやては、緊張している。

「あのね」
「…………」

 一字一句も聞き漏らさないように、すずかの声を聞き取ることに集中した。
 すずかが溜めを作るせいで生まれる沈黙が、もどかしい。

「…………」
「…………」

 そろそろ沈黙に耐え切れなくなりそうな自分を誤魔化すために固唾を飲み込むはやて。
 ごくりという音がやけに大きく聞こえた。もしかしたらすずかにも届いているかもしれない。

「あれはね……」

 すずかが、ようやく口を開いた。
 当人も知らない内にはやての背筋がぴんと伸びる。

「はやてちゃん!」
「は、はひぃっ!?」
「あの手紙は“た”を抜いて読むんだよ。だからたぬきさんなの」
「そーゆーオチなんっ!?」

 脱力してずっこけた。
 テーブルに思いっきりぶつけた額はじんじん痛かった。

「や……やるなぁ、すずかちゃん」
「ふふふ」

 この優しく聡明な友人に、今度から“一筋縄ではいかない”という形容を付け加えてしまいそうである。
 そう思った瞬間だった。










「………―――っちゅーことがあったんやー!」
「いや、そう言われても分からない……。と言うか何も言ってないだろう君っ!?」
「むー。読者さんには伝わったからええんや」
「そういう発言はいい加減にしないか……ッ!?」
「ええよ」

 はやてが訓練室に飛び込んでくるなり漫才を始める2人。
 夫婦と付かない所がはやて的には残念だったりするが、それはこれからゆっくりと馴染ませていけばいい。

「むっふふふー。クロノ君が今度の休日、あたしと付き合ってくれたらOKしたげる」

 はやては、小悪魔チックな笑みを浮かべていた。
 すずかの“一筋縄ではいかない”がはやてに力を貸したのかもしれない。

「……三日前も同じ約束をしなかったか?」
「へ? あ、あれ……そやったっけっ!?」

 しかし、反撃を受けた悪魔は退治されてしまった。悪魔が祓われれば、あたふたと顔を真っ赤にした素顔のはやてが現れる。
 傍目にも微笑ましかった。

「なんだ……覚えていなかったのか。そうか」
「わーっ! わーっ! タンマ! タンマ! タンマ! わんすもあぷりーずですっ!」

 何でも無い用に言い捨てるクロノに慌てるはやて。
 ポカーンとしながら見つめるシグナム。
 時折上がる呻き声が生存報告のシャマル。
 むくりと起き上がるヴィータ。
 黙って訓練室の修繕をしているザフィーラ。

「むーっ。クロノ君が悪いんやっ! いつも釣れない態度取るから……」
「僕は魚じゃないんでね」
「それならあたしが釣られた魚だとでも言うんかクロノ君はーっ!」

 ポカポカとクロノの胸板を叩くはやて。
 そんなはやての反応に笑っているクロノ。
 当初の目的を思い出し始めたシグナム。
 そろそろ魂が戻り始めたシャマル。
 焦点の定まりきらぬ瞳で辺りを見回すヴィータ。
 来訪者に気づき訓練室の扉を開くザフィーラ。

「ええもんっ。釣られたのは事実やもんっ。だからこうしてやるーっ!」

 クロノに抱きつくはやて。
 咄嗟に抱きしめ返すクロノ。
 頭に角が生えるシグナム。
 表情が黒く歪むシャマル。
 般若再びヴィータ。
 鬼気に中てられ硬直するザフィーラ。
 クロノとはやてを殺人可能な視線で睨みつける来訪者、フェイト。

 訓練室に、冷たい緊張が走った。






あとがき

 いつの間にかいるザフィーラは訓練室前で待機(他人が訓練室に入ってこないよう見張っていたとも言う)していて、主はやてが訓練室に押し入った時に中についてきたらしいです。
 登場描写すら省かれるザフィーラ涙目。

  いや。ザフィーラ好きですよ?

 今回はちょっと息抜き的な話で折り返し地点です。
 あとは3回を使う戦闘パートになります。
 ただでさえややこしかった状況が、はやてさんとフェイトさんの登場でますますややこしくなります。
 ハリセンとか唸る気がしなくもありません。

 では、これにてさらばっ。
 模擬戦をしよう! こと模擬しよの第二カード。最後までお付き合いいただければ幸いですっ。





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