青天井に果ては無い。見上げればどこまでも高く、広い空がある。溜め息は青に呑まれて消えた。柄にも無く、理由わけも無く、自分の小ささを実感した。
 いいや、振り払う。
 戦いの場に出たのだから勝利以外の全ては邪念だ。思考の騒音ノイズだ。消し去らなければならない。
 古今東西、ありとあらゆる戦いにおいて『迷えば負ける』とは絶対の法則だ。実力が遥かに勝っていたものが迷いの隙を突かれて敗れた例は歴史上にいくつも転がっている。ましてや、地力で明らかに劣っている自分は迷えばどうなるか。結果は火を見るより明らかだ。
 転じて、ほぼ絶対の法則として『空気を呑めば勝つ』というものもある。
 エリオ・モンディアルは愛槍を握ると会場をぐるりと見渡した。ただただ頭が働き出さないよう身体を動かしてごまかしただけだ。
 訓練場は結界魔法に覆われている。戦闘の影響が周囲に及ばないよう配慮された結果だ。結界の周りには見学者達が並んでおりキャロの姿もそこにあった。
 不意に、胸が痛んだ。
 余計なノイズが走り始める思考を叱咤するよう頭を振った。
 今は集中しなければならない。眼前に立つ、エリオが知る中で最強に最も近い魔導師の一人に。

「ルールの確認だ」

 澄んだ声は立会人、シグナムのものだ。彼女は結界の外から――エリオとフェイトの模擬戦をダシに賭けを行っていた整備員の連中をしばき上げて用意させた――マイクを使い紙に書かれたルールを読み上げる。

「無制限一本勝負。先に降参するか魔力切れになった方が負けだ」

 シグナムはエリオとフェイトを見やった。エリオは平静を装おうとしていたがどこか胸中に乱れがあるように見える。そしてフェイトもまた何かしらの悩みを抱えているようだった。幾度と無く彼女と模擬戦を繰り返してきた身だからこそ、分かる。
 フェイトは戦いに集中できていない。

「エリオ、本当に戦うの……?」

 恐る恐る訊ねるフェイト。彼女の中ではまだ戦いに向かう意思が決していないのだろう。魚の小骨が喉に引っかかっているような、そんな顔をしていた。
 対するエリオはきっと彼女を睨むと、言い切った。

「戦います。勝って、フェイトさんに伝えたいことがあるんです」

 その強い意志を感じさせる言葉はフェイトを戸惑わせた。シグナムは感嘆の溜め息を零した。謀ったか天然かは今一分からないが、エリオが彼女を呑んだのだ。
 実はそうなるようキャロが根回ししていた、などという事実は―――ある。

「そっ……か。うん、そうなんだね」

 やがてフェイトは何かに納得したように頷いた。彼女の胸中にはエイミィに授けられた言葉が蘇っており――即ち、模擬戦が終わった後に訪れるかもしれない何かの存在の示唆である。
 その何かは分からないが、何かがある、ということだけはこれではっきりした。戦いが終わればそれを知ることもできるだろう。
 フェイトの悩みが1つ消えた。

「準備はいいか?」

 エリオとフェイト。飛天の槍騎士と閃光の魔導師は同時に頷いた。彼ら闘気が張った表情に満足したシグナムが、こちらもまた頷く。
 彼女は、高らかに宣言した。

「勝負―――始め!」

 結界に覆われたはずの訓練場に渦巻く風が現れた。いいや、観衆にはそのように見えた。
 高まっていく相対した二人の闘気が激突し、逃げ場を求めて渦を巻いたのだ。それぞれデバイスを握った手に入りそうになる余計な力を努めて抜いて、相手の気勢を呑まんと呼吸を計り、謀った。
 互い相手の呼吸を盗んでじりじりと間合いを詰めて行く。半歩見誤ろうものなら即座に首が飛ぶぎりぎりの見極めを行なう中で精神は磨耗していった。心の疲労が綻びを生む。まだ全ての懊悩を払拭できていないフェイトが僅かに、ほんの僅かばかり大きく息を吐いた。呼吸のためにほんの数ミリだけ胸が下がる。
 その瞬間、吐息すら感じ取れる距離にエリオの顔が迫っていた。
 高速移動のスピードに乗った体当たりを受けよろめくフェイト。両足が宙に浮く。衝撃に押し込まれた肺が酸素不足に喘いだ。瞬間的に全身の筋肉が硬直して、易々と追撃を許してしまう。ストラーダをバットのように振り回したエリオに殴り飛ばされ訓練場の端、結界に激突して止まる。
 更なる追撃を警戒してすぐさま立ち上がると、しかしエリオはストラーダを持った手をだらりと下げ佇んでいた。
 エリオは――温和な彼からは想像もつかない怒りの仮面をひっ被り――睨む。

「本気で闘ってください、フェイトさん。何を悩み、何を迷い、何を考えているんですか? それとも、僕なんかの相手は思索の片手間で務まるものなのでしょうか? だとしたら―――こっちにだって、考えがあります」

 咄嗟に反論できず口を開閉させるのみとなったフェイトを見やりつつ、エリオはストラーダに設けられた2つのリミッターを一気に解除した。どちらかと言えばスマートな意匠だったエリオの愛槍は、いくつもの姿勢制御用推進機構を展開して一気に物々しくなる。エリオの魔力変換資質を最大限に生かすための姿、Unwetterformである。
 風が吹いた。それは緒戦のような渦を巻いたものではなく、高気圧帯から低気圧帯に流れるような、高い闘気の持ち主が低い闘気の持ち主へぶつける闘気の風だった。
 完全に戦士のそれに変貌したエリオの眼に睨まれ、フェイトは後退った。もしも相手が犯罪者や幾度となく模擬戦を繰り返してきたシグナムであったら彼女は果敢に立ち向かっただろう。
 だが、身内のよく知る――温和な――少年のそれには説明できない恐怖を抱いた。強さ、弱さ、とは別次元の。認めるか、否か。そんな恐れだ。
 それはフェイトが懊悩の答えに辿り着かない限り解消されることは無い―――だろう。

「この二週間、フェイトさんに勝つためにずっと特訓してきました。その成果が、これです!」

 いきおい、エリオはストラーダの穂先を地面に叩きつけた。数個の薬莢が吐き出され、目も眩むような雷光が弾ける。耳をつんざく轟音が鳴り響きもうもうと土煙が立ち込めた。遅れて、がらがらと何か重い物が落ちる音が断続的に鳴り、やがて止んだ。
 フェイトが、観衆が、シグナムが息を飲んだ。
 土煙が晴れていく。そこに土埃を被り、相変わらず佇んでいるエリオがいた。だが人々の視線は彼ではなく、彼が愛槍で叩いた地面に注がれていた。
 地面は吹き飛び深く抉れ、周囲に土塊が転がっていた。

Unwetterformを使えば広範囲用の攻撃が使えます。それを、拡散させず一点に絞るようにしました」

 ティアナ達との訓練で使った必殺威力を持った魔法である。その衝撃は言わずもがな。キャロの発案で既存の魔法に手を加えたものだが、中々どうして―――フェイトの目を覚ますには充分だったようだ。
 ストラーダに最大限まで蓄積させたエネルギーを全方位に向ければ範囲攻撃になる。これにはエネルギーの解放に指向性を持たせ破壊力を引き上げた。絶句したフェイトを見ればその威力は折り紙つきだ。もっとも、この魔法の真の価値、、、、は別のところにあるわけだが。それを教えるようなことはしない。
 エリオは言葉を失ったフェイトにストラーダの穂先を突きつけた。

「僕は本気です。そして、本気で闘わない人に負けはしません」

 フェイトにとって勝敗そのものに興味は無かった。むしろ、彼が勝った方が分からないことの多くが解を得られるだろうと思っていた。―――負けてもいいと。端的に言えば、そう思っていた。
 だが、ここにきてフェイトはその考えを改めようとしていた。
 それは、エリオの言葉が彼女の闘争心に火を点けたから。ではない。

「フェイトさん。貴女を、潰します」

 エリオが、軽蔑の目線を向けていたからだ。それは不可視の刃となって彼女の胸を貫いた。
 たった一つの物事が彼女の精神をすり潰そうとしていた。エリオに嫌われた、ただそれだけのことがフェイトの胸をひどく痛めつけた。
 エリオが近づいてくる。
 フェイトの胸中に焦りが走った。どうすればまた好いてもらえるようになるか、ただそれだけを必死で考えた。
 出会ってから今日まで、荒れていた彼を引き取ってからその成長を見守り、スカリエッティとの最終決戦では助けられ、そして今日では自分に挑んでくるようになった、彼との思い出を全て振り返る。だが、そこから答えは得られない。
 何故なら、答えが入った引き出しはそこにはなく、この訓練場にあったのだから。
 ここは訓練場だ。
 自分達は闘っているんだ。
 彼は闘わないことに軽蔑していた。

 ―――だったら、闘い、こそが答えだ。

 気づいた時にはもう身体が動いていた。低く地面を滑るように跳ぶと戦斧バルディッシュの鋭い一撃を浴びせ掛けた。思わぬ一撃に防御が精一杯だったエリオは辛うじて愛槍を盾にすると、間合いを計るように飛び退いた。
 もう、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンに迷いは無い。

「そうだよね。ごめんね、エリオ。手加減はしない。私も全力でぶつかるよ……!」

 ふっ切れたフェイトは、大声で彼女、、の名を叫んだ。

「はやて! 私のリミッター、解除して……!」

 会場にどよめきが走り―――エリオの口元に笑みが宿った。





     ◇     ◇     ◇     ◇





 余裕綽々で場の流れを掌握しているようでいて、エリオの胸中はいくつもの焦燥に焦げ付いていた。
 フェイトは強い。だからこそエリオは精神的優位に立ち続けなければならない。予め取り決めておいた、、、、、、、、、、立ち回りは今のところハマっている。だが、以降通じるかどうかは分からない。それに、キャロが主になって考えてくれた作戦はこれからあえて、、、外していくつもりだった。今朝の会話を聞いていなければそんなことは思いもしなかっただろう、が。

「はい、それでこそフェイトさんです。謹んでお相手させていただきます……!」

 表面上は笑みを見せ、内心では浮かぼうとする恐れを必死に抑え付けながら。エリオは愛槍を構えた。
 まず、何を置いても勝たなければならない。これは二週間もの特訓に付き合ってくれた人々へのせめてもの恩返しであるし、どう考えても本気になった、、、、、、フェイトに勝利することが必要、、だった。
 緊張感が走る。
 フェイトが纏っているバリアジャケットは高速機動補助だけでなく防御面、、、も考慮されたImpulse Formインパルスフォーム。厚手の漆黒の生地や騎士のような外套は全て魔力によって編まれており、重装甲とは呼べずとも戦闘では十二分に用を成す。
 それでなくても高速機動を得意とするフェイトには攻撃を当てることすら困難なのだ。その上でしっかりとした装甲を持ったバリアジャケットを着込まれては、少なくともエリオはお手上げだった。手持ちの魔法の、攻撃力が足りない。
 エリオがフェイトに攻撃魔法を当てられるチャンスは1回か、あるいはよくて2回だろう。もちろん必殺の威力を持った魔法を叩き込むつもりではあった。
 だが、それなりに防御力を持つImpulse Formインパルスフォーム相手には、それをぶつけてもまだ不安が残る。だからエリオはフェイトの本気を引き出さなければならない。
 そう、高速機動戦闘のためだけに生み出され防御力を度外視した、、、、、、、、、Sonic Formソニックフォームを、だ。

「……うん。申請も通ったから、行くね」

 瞬間、フェイトを中心に凄まじい魔力の嵐が吹き荒れた。いくつもの魔力弾プラズマランサーのスフィアが浮かび、その牙をエリオに向ける。空戦S+に相応しい実力、そして魔力を取り戻したフェイトが発する威圧感に負けぬよう踏ん張るエリオ。
 リミッターを掛けた状態のフェイトが魔導師ランクAA相当。また、機動六課での訓練を経たエリオも魔導師ランクもぎりぎり陸戦AA相当。陸戦空戦の違いはあれど、額面上は互角の戦いだった。
 心乱れたフェイトの隙に付け入ろうとすれば難こそあれ不可能ではなかったし、実際にそうやって彼女を焚き付けた。
 しかし、彼女がリミッターを解除したことで均衡は呆気なく崩れた。

 ―――無理だ!

 そんな言葉がエリオの脳裏に踊った。リミッターが外れる瞬間まで、エリオの眼前にいた魔導師はただの強い魔導師だった。だが、リミッターが外れてみればどうか。その威圧感は、その脅威は、もはや人類という枠を超えた兵器だ。戦車を凌駕する火力と戦闘機を超越した運動性能を持った魔導師という名の超兵器だ。
 ただの人間がそんなデタラメな存在に敵うだろうか。いや、ない。
 逃亡、謝罪、土下座、そんな言葉が次々に浮かんでくる。踏ん張っていたはずの足が怯え、竦み、崩れようとしている。闘う前は決意に満ちていたはずの瞳が、その視線が彷徨った。

「―――ッ!?」

 そしてキャロと目が合った。彼女の目に果たしてエリオはどのように映っていただろうか。それは分からない。
 ただ、エリオには色を失いかけた彼女の瞳が―――腹立たしかった。それは彼女へ向かう怒りではなく、彼女をそういう風にさせてしまった自分への怒りだ。

「ストラーダッ!」
《Sonic Move》

 雷光が弾け、世界は色彩を失った。
 観衆の声も、風の音も、全ては引き伸ばされてリズムを失った。

「バルディッシュ!」
《Yes,sir! Sonic Move》

 灰色で雑音ばかりの世界。あらゆるものが緩慢に動作するその場所で、エリオと―――フェイトだけが疾っていた。
 勢い任せにデバイスを激突させ、旋風のように翻り、瞬く間に打ち合いの音を響かせる。彼らに遅れて吹き荒れた風が鎌鼬かまいたち となりて猛威を振るう頃には二人は戦場を変えより打ち合いをより激化させていく。
 全ての観衆が息を呑んだ。半球状の決闘場フィールド狭しと飛び交う二条の雷光、そして暴れる鎌鼬。目で追うことはできずともその激しさだけは肌に痛いほど伝わった。断続的に響き渡る甲高い激突音が耳朶をつんざく。彼らからすれば、それは結果の見えぬ勝負に思えた。

 ―――だが、エリオは焦っていた。

 エリオやフェイトが高速機動戦闘を行なうために用いた魔法《Sonic Move》。移動速度、そして知覚能力の拡大を行うこれには持続時間という制限があった。高速機動を維持できる時間はこの魔法そのものの熟練度に比例する。当然、エリオよりもフェイトの方が持続時間は長い。
 知覚速度以上の移動を可能とするこの魔法の相手は、さらに常軌を逸した知覚能力が無い限りは、同じ土俵に立たなければ相手は不可能だ。
 その、高速機動魔法の制限時間タイムリミットが近づいていた。

 ―――ストラーダがカートリッジを排莢する。

 カートリッジ内部に圧縮されていた魔力が弾け、エリオの魔力変換資質の影響を受けて変異した。それは電流となってストラーダを駆け巡りUnwetterformの特性によって増幅される。
 地面を抉ったあの攻撃魔法が来ると見てフェイトは身構えた。バリアジャケットの防御力と防御魔法の防御力、その二つを合わせてもそこまで硬くないフェイトは直撃を嫌がり、退く。追い縋るエリオを躱しながら、高速機動戦闘に入る前に展開しておいた魔力弾プラズマランサーを起動した。
 幾本もの雷槍がその牙をエリオに向ける。紫電を迸らせ、空を裂いて飛んだ。標的は、もちろんエリオだ。

 ―――選択の時が訪れる。

 キャロが立てた作戦ではプラズマランサーとエリオの魔法を激突させ、大爆発を起こして身を隠し態勢を立て直す手はずだった。作戦が立案された当初は本当にプラズマランサーを使われるか疑ったが、実際にそうなったとあれば彼女の正しさが証明されたも同然だ。その未来視じみた先読みに戦慄しつつ、だがそれは思考の端にやる。
 今朝の会話から類推していったことだが、おそらくキャロはフェイトの思考も誘導できるように根回ししていたのだろう。
 全ては、誰もが、彼女が描いたレールの上を走っている。
 だから、きっと。このまま彼女の策通りに動いてしまえば、現実が彼女の思い通りになってしまったら、彼女は…………以降、告げるつもり、、、、、、の言葉を受け入れてくれるだろうか。
 答えは否だろう。彼女の予想通りに進めば、その心は凍りついたまま溶けないような気がする。だから、覆すんだ。
 キャロが描いたシナリオ通りに進めばエリオは傷つくことなく勝利を得るだろう。フェイトに認められることも容易い、だろう。キャロが示した道を進めばそれらは確実だ。
 だが、それではいけない。
 フェイトに勝つより、認められるより、もっと大事なものがある。そして、それは自らの手で道を切り開いて掴まなければならない。

 ―――エリオ・モンディアルはキャロ・ル・ルシエの作戦シナリオから脱却する!

 接近したプラズマランサーを正面から盾で防いだ。防御魔法を支える腕が、軋む。動きを止めたエリオにフェイトは更なる追撃を加えるべく新たな魔法を射出した。カウンターを警戒してか接近する様子は無い。弾幕を張りエリオの高速機動魔法時間切れを狙うようだ。
 槍衾やりぶすまのように並べ立てられた新たなプラズマランサーを見て、エリオは笑った。特訓、、を思い出していた。
 フェイトがプラズマランサーを、放つ。面制圧を行なうようなそれにエリオは特攻した!

 ―――弾幕の隙間を縫い、駆ける!

 エリオ決死の疾走に流石に度肝を抜かれたのか、フェイトの思考が一瞬止まる。その間隙を突いて漆黒の魔導師に接敵したエリオは帯電したストラーダを横薙ぎに振るった。紫電が空気を焼き鼻につくオゾンの臭いが広がる―――が、それを感じ取るのは高速の世界から出てからだろう。
 圧倒的に暴利な威力を内包した愛槍による一撃は、しかしぎりぎり退ったフェイトに届かない。それどころか戦斧のカウンターを受け、よろめく。更に決死の覚悟で潜り抜けた誘導弾プラズマランサーがエリオに迫っていた。
 ストラーダに蓄積されていたエネルギーを防御魔法用に再構築し、障壁とする。エリオは無数のプラズマランサーを正面から受け止め―――吹き飛んだ。
 バリアジャケットの純白の上着はずたずたに引き裂かれ地面をバウンドする度に土埃に汚れ、結界に激突してようやく止まった。ショックで高速機動魔法が解除され、高速の世界から現実世界に引き戻された反動で感覚が狂った。
 ジェットコースター酔いに似た平衡感覚のぶれが脳髄を揺らす。込み上げる嘔吐感を無理に抑えつけるが、それで手一杯だ。高速機動魔法を少し長く使いすぎた。
 靴音が聞こえる。フェイトが歩み寄ってくる音だろう。彼女もまた高速移動魔法を解除しているようだった。
 勝敗は決したと、そう思っているのだろう。
 揺れる視界で観衆を見渡せばその思いはより強くなった。誰もが意外と呆気なかった決着に失望の溜め息を零していた。
 視線を彷徨わせてキャロを見つけると、彼女だけは困惑を浮かべていた。

「私の勝ちだね、エリオ」

 バルディッシュの先端を突きつけそう言い放つフェイト。彼女の顔は凛々しかった。それは己の勝利を確信した戦士の顔だ。
 誰もがエリオの敗北を認めていた。審判のシグナムがまだそう宣言していないだけで、エリオの負けは決定的だろう。
 誰もが、そう思っていたから。

 ―――誰にも悟られぬよう、エリオは哂った。

 腹の内で新たな筋書きシナリオを纏めていく。演じるのだ、逆転劇を。フェイトを、観衆を、キャロを欺き、呑んでみせる。
 ストラーダを杖変わりに立て、エリオは立ち上がった。感覚は取り戻している。神経の末端まで正常だ。
 大きく息を吸った。高らかに、叫ぶために!
 エリオの舞台が幕を上げる!

「おかしいとは、思いませんでしたか……!」

 ぴくり、フェイトが反応を見せた。思い当たる節があったのだろう。そうだ、だって、自分達はキャロのシナリオに乗せられて続けていたのだから。
 自分の意思に関係無く物事が進んでいく、当事者であるはずなのに蚊帳の外にいるような、奇妙な感覚。彼女は、それを感じていたはずだ。
 結末エンディングは見えた。あとは演じるだけだ!

 ―――さあ、全てをペテンに掛ける時が来た!!

 杖にしていたストラーダを握り直し――秘密裏に電力を蓄積させながら――両の足で大地に立つ。胸をしゃんと張り、弁舌を振るうべく両手を広げ、語る声は丈だかに!
 全ての注視がエリオに向いた。彼の言葉が何かしらの真実を語っていると、歩みを止めたフェイトの態度が証明していた。
 観衆をぐるりと見渡す。演説家のように、堂々と。
 一瞬目が合ったキャロは憔悴に近い動揺を見せていた。まず誰よりも呑みたかった彼女は呑んだ。
 大仰に息を吐き、間を生む。じれったいその仕草がますます聴衆の興味を湧き立てた。
 口を、開く。

「さて、そもそもどうして僕らが戦うことになったのでしょうか? その理由は? そのきっかけは、思い出せますか? 思い出せないなら語りましょう。思い出せたなら……訝しく思いませんか?」

 ここで、フェイトの真面目で素直な性格が幸いした。もしもなのはやヴィータが相手なら――当人には悪いが――問答無用でぶっ飛ばされていたかもしれない。
 エリオに言葉に聞き入ってしまったフェイトは二週間前を振り返った。きっかけはそう、親友の失言だった。「エリオって女の子みたいに可愛いもんね」というあの台詞。それを彼女はエリオが聴いていることを分かっているにも関わらずあえて口にしていたようだった。
 結果としてエリオは傷つき、そしてこの戦い結びついた。
 あの時は親友への恨みがましさに気づくことは無かったが。

 高町なのはは他人を傷つける言葉を使う人間だっただろうか、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 もちろん彼女とて万能ではないから失言はあるだろう。けれど、そう、、と分かってそんな言葉を言うだろうか?
 なのはについての欺瞞はまだある。彼女は何か事情を知っている様子だった。含み笑いすら見せてそれを否定しなかった。
 エリオの言葉を否定する材料が見つからない。それどころか肯定する材料ばかりを見つけてしまう。
 欺瞞の鎖はフェイトに絡みつき確実にその歩を止めた。
 彼女の態度に己の言葉は核心を引き出しつつあると確認しながら、エリオは続ける。

脚本シナリオを書き舞台を演出していた誰かがいました。その誰かの思い通りにフェイトさんも僕も動いていました。感じませんでしたか? 手足に括りつけられた糸に操られているようなもどかしさを。自分の意思と無関係に物語が進む苛立ちを!」

 いつのまにか、フェイトはエリオに突きつけていたバルディュシュを降ろしていた。彼の話に耳を傾けてしまっていたからだ。
 フェイト自身、その『誰か』が気になっていた。確かにその存在の気配だけは感じさせている、だれか。それは誰なのだろうか。

「―――しかし! そもそも、その誰かは何故シナリオを書いたのでしょうか? 何のために、何の目的で、何が欲しくて! そして、何故そのシナリオが僕らを誘導するほどの強制力を得られたのでしょうか! それは、決して僕らを落とし入れようとしたものではなかったからです……!」

 期待高まる聴衆の視線を感じながら、エリオは思った。クライマックスはこれからだ、と。
 舞台を最高に盛り上げるため、役者エリオは叫ぶ。

「そのシナリオは、ただただ僕らに幸せになって欲しいという想いによって書かれました……! だから協力者が現れました。だから、それは僕らを誘導できました!
 けれど、僕は彼女、、が描いた幸せは受け入れられないんです。だって!」

 エリオは大きく、胸よ裂けろとばかりに息を吸い込んだ。もしかしたら生涯で最大級かもしれない大声を上げるために。
 聴衆――ではなく、たった二人に通じればいいと願いながら。

「そこには幸せハッピーエンドを望んだ少女の幸せだけが無い!」

 息を呑んだのは、果たして誰だっただろうか。
 エリオは大仰に掲げていた両腕を下ろすと、振り向いた。驚きに目を見開いているキャロへ―――笑顔を向けた。

「大切な人のために我慢することなんて無いんだよ……? だって、君の大切な人も君が大切なんだ。僕もフェイトさんも君が大切なんだ! だから、君にだって幸せになって欲しいんだよ……!」

 どこか泣き出しそうにも見えるキャロに、エリオは続けた。

「君も一緒に幸せになろう。君の心を犠牲にしなくても幸せはちゃんと手に入れられるから! 君の作戦シナリオに頼らず僕がフェイトさんに勝てたら―――無理を押し通せたら、僕の言葉を信じて欲しいんだ!」

 キャロが返事をすることは無かった。だが、双眸に浮かんだ光るものが彼女の気持ちを雄弁に語っていた。
 力強く頷く、エリオ。

「フェイトさん!」

 エリオはフェイトへ向き直った。改めてストラーダを構え、突きつける。そこにいる少年は戦士の貌をしていた。
 強い光を宿した眼光は射抜くように鋭く、小さくも引き締まった肉体は力強く、キャロから見える背中は―――頼もしかった。

「僕は改めて貴女に決闘を申し込みます! 誰かの意思に操られたわけではなく、自棄になったわけでもなく、僕自身の願いを賭けて!」

 エリオとフェイト。二人の視線が交錯する。そこには火傷しそうな緊張感が走っていた。

「遺恨禍根残らぬよう、全力全開本気の勝負。受けてくれますか?」

 返事よりも早く甲高い金属音が響き渡った。エリオが掲げたストラーダにフェイトがバルディッシュを打ち合わせたのだ。
 騎士と魔導師、睨み合う。

「バルディッシュ」
《Yes, Sir. Sonic Form》

 フェイトが羽織っていた白い外套が弾けた。また厚ぼったい生地にように見えたバリアジャケットが布地面積を減退していき、またその生地を薄くし、袖なし裾なしの衣装に変わる。それは防御力を度外視した高速機動戦闘用バリアジャケットだ。

RiotBladeフルドライブ

 カートリッジを排出し、戦斧バルディッシュの形状が変化する。漆黒の刃部が持ち上がり先端のコアが柄頭側へ引き込まれた。漆黒の部品は鍔となり高密度の魔力で形成された雷光の刃が生まれた。
 観衆は美しき片刃の雷刃に見惚れ溜め息を零した。

「エリオ、キャロ、私はお母さんにはなれなかったみたいだね。二人のこと全然分かってあげられなくて、ごめんね。でも、そんな―――家族失格の私でも二人のためにできることがあるなら喜んで協力するよ」
RiotZamberリミットブレイク

 ただ一人、エリオのみが襲い来る恐怖と戦っていた。対峙した刃は銃弾やミサイルなどが比較にならないほどのエネルギーを秘めた兵器だ。間近にあるせいでありありと見てとれるその脅威が少年の胸中を波立たせた。
 フェイトは長剣バルディッシュの柄に、それを支えていた手にもう片方の手を添えた。すると剣は光に包まれ、まったく同じ意匠の新たな剣が現れた。二本の剣は柄頭から伸びる魔力ワイヤーによって繋がっている。
 双長剣RiotZamberStingerだ。

「本気で行くから―――、」

 フェイトは斜に構えると右手の剣を腰の位置、左手の剣を頭上に掲げ、それぞれの剣先をエリオに向けた。圧倒的な威圧感が少年を襲う。暴走すれば周囲一帯を消し飛ばしうる魔力の塊がただ少年を打ち倒すためだけに向けられている。
 その絶望的な魔力量さに眩暈を覚え―――歯を食い縛った。
 力量は遥かにフェイトが上。そして、心も平静を取り戻しているだろう。ならば彼女の太刀筋は鋭く迷いの無いものとなろう。戦場に臨む覚悟を整えたフェイトが相手だ。ごくごく一般的な戦術の教科書通りに考えればここからの逆転は不可能だ。
 彼我の戦力差が開き過ぎている。

 ―――だが、それでも場の流れを掌握しているのはエリオだ。

 そもそもソニックフォームとリミットブレイクを使わずともエリオ程度に勝つ地力を持ち合わせているフェイトだ。彼女は過剰な戦力を引き出された、、、、、、
 精神力をすり減らしてはいるが―――戦術上優位に立っているのはエリオなのだ。
 もっとも、それは薄氷の上に立つ優位だ。

「―――怪我、させちゃうと思う。ごめんね」

 彼女の謝罪の言葉が届く前にエリオは――ストラーダを介さずに――SonicMove高速機動魔法を一瞬だけ起動した。弾かれたように横っ飛び、直後旋風が頬を切った。同じく高速機動魔法を発動したフェイトの第一撃を辛うじて躱したのだ。常時発動にしない理由は――単純高速戦に持ち込んだ場合、高速機動継続時間で競り負けるからだ。
 続けて、エリオは移動する一瞬だけ高速機動魔法を発動して前後左右に跳ね回った。耳元で、背中から、袖から擦過音がする度にどこかしらが切れた。
 ただの一度でも飛び退く方向を誤ればその瞬間に敗北が確定する。気が触れたような絶叫でもしよう精神的負荷ストレスを捻じ伏せ、ぎりぎりの判断を続けるエリオ。幾度と無い襲撃を躱し続けられるのは――何のことは無く――そうなるようペテンに掛けたからだ。本気になったフェイトはその一撃一撃を必殺にしようと狙ってきている。肌を刺す――殺気に似た――闘気が彼女の狙いを教えてくれた。
 だが、いつまでも保てるものでもない。
 エリオは回避運動を行いながら、演説中もまこと密かに電気エネルギーを蓄積させていったストラーダの、そのエネルギーの溜まり具合を確かめた。
 フェイトに一度見せた地面を抉った大威力魔法。その真価は電気は蓄積できるものである、という性質に寄っている。時間さえ掛ければカートリッジの排出を――魔力を蓄積したと相手に見せず――発動準備を行なえることだ。ストラーダが、エリオの魔力変換資質「電気」を最大限活かすために設計されていることが幸いした。
 エネルギー充電完了は―――完了している。

「―――ッ、ァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 己に活を入れるべく吼える、エリオ。ストラーダに蓄積したエネルギーを失わぬため自己の魔力のみで高速機動魔法を発動する。世界から色が落ち、音は意味を失い、風すらも追い越して少年は疾った。高速の世界に突入した瞬間にフェイトの姿を捉える。
 二振りの長剣を携えた魔導師は高く上空からエリオへ急降下してくる所だった。

 ―――エリオは陸戦魔導師だ。

 フェイトやなのはと言った空戦魔導師と異なり――魔力を放出することで浮遊する初歩の魔法こそ使えど――自在に空を翔ることはできない。ひとたび高速機動魔法を発動すれば雷光となって天空を縦横無尽に闊歩するフェイトのような芸当は翼を持たぬエリオには不可能なのだ。
 実はそこにエリオがフェイトに勝てぬ理由がある。
 エリオも高速機動魔法を使用すれば地上を駆けることはできる。百獣の王より力強く、速く、走ることも可能だ。
 だがそれは平面的な動きでしかない。
 空戦闘魔導師はもちろん地上を駆けることができるし、それに加えて空までも我が物のように翔け回ることができるのだ。即ち、平面的な移動しかできない陸戦魔導師に対し、空戦魔導師は立体的な移動が可能なのだ。
 選べる戦場の差が陸戦魔導師を空戦魔導師に敵わぬものとしている。
 それを理解しているからこそ、フェイトは空中から攻勢を掛けるのだろう。
 戦術的観点による絶対の有利が選ばせた、行動。

 ―――それが薄氷を確かな足場に変えるとも知らずに。

 フェイトは空戦魔導師として天を翔ける。エリオは陸戦魔導師として大地を走る。同じ高速戦闘をスタイルとしてる両者の移動の違いによる戦術の差を用いてペテンに掛ける作戦はキャロが発案した、、、、、、、、ものだ。
 エリオは深く腰を沈ませ上空にフェイトを睨め付けた。互いの視線が交わる。フェイトはエリオが地上から迎撃するものと見たのだろう、高速機動を更に加速させ勢いを上乗せしてきた。まともに激突すれば――デバイスに纏った魔力量の差から見ても――エリオが敗れるだろう。

 だから、エリオは―――跳んだ。

 屈伸した身体のバネを解放し――身動きの取れない――中空へ躍り出た。格好の的になるその愚策はフェイトの表情に驚愕を走らせた。エリオが空中での激突を望んだのかと身構えるが、それを嘲笑うかのように少年は何もせずすれ違いフェイトのさらに上へ跳び上がった。
 慌てて地面すれすれのところでUターンを決め空中のエリオを向くフェイト。空を自在に飛べない彼では、フェイトと空戦で渡り合うことは不可能だ。
 あんな熱弁を振るった彼のしょうもない失策に――知らず失望を抱き――フェイトが天のエリオを見た、瞬間。

 怖気が走った。

 エリオの手には何も無い。太陽のように強く激しい光を――つまりは強大な魔力を――纏い輝いてる雷槍が、投擲されたそれの穂先が迫っていた。フェイトにあえて、、、地面を抉って見せた時とは比較にならない威力を秘めていることは明らかだ。
 フェイトは――回避不能と判断――咄嗟に飛行魔法や高速移動魔法を解除すると両足を地面に下ろし、踏ん張り、双長剣に込められるだけの魔力を込めて盾にした。ストラーダが内包するであろう破壊力を思えば耐え切れるかどうかは五分と五分だった。
 これに耐えれば空中にいて武器も無いエリオはフェイトに負けるだろう。
 もちろん、耐え切れなければフェイトが負けるだろう。
 思わぬ窮地に――根に戦闘狂の気がある――フェイトは知らず笑った。

「これがエリオの本気なんだね! 私、受け止めてみせるよ!!」

 叫ぶフェイト。輝く双長剣バルディッシュ。果たして穂先は―――、

「ストラーダッ!」
「へ?」

 激突の瞬間に背面のブースターを動かしたと思うとフェイトを避け地面に突き刺さった。

「……え? ちょ、お、っまっ!?」

 ストラーダは身に蓄えていたエネルギーを全て爆発力に変えて解放した。それは大地に縦横無尽の亀裂を生んだかと思うとずいぶんと深いところで弾け―――訓練場の地面が大爆発によって思い切り捲れ上がった。
 大小さまざまな土塊が高く高く舞い上がる。土砂が、土煙が、土埃が空に散らばり、その中にはフェイトの姿もあった。
 呆気にこそ取られたが幸いにして――フェイトが思うにエリオにとって不幸ながら――健在だった。
 防御力皆無のソニックフォームはほとんど身を守ってはくれなかったが、変わりに咄嗟に防御魔法を展開したバルディッシュが衝撃を防いでくれた。十年以上の付き合いになる頼もしい相棒に感謝をしながらフェイトは―――エリオの姿を探した。
 度々視界を遮る土砂を鬱陶しく思いながら周囲を見渡すと、求めた少年を見つけた。彼は舞い上がった大きな土塊の上に立ちフェイトを見ていた。当然ながらその手にストラーダは無い。

 ―――エリオの負けだ。

 思うに勝敗が確実でない直接対決を避け爆発によって倒す算段だったのだろうと、フェイトは当たりをつけていた。もちろんしっかりと防御能力が備わっているインパルスフォーム相手では不可能な決め手だが、防御力の無いソニックフォーム相手では爆発の余波で自分が昏倒した、という展開も十二分に予想できた。フェイトがこうして意識を保っていられるのは単にバルディッシュの機転に助けられたからだ。
 最初からソニックフォームを引きずり出してこの状況にまで持っていこうとしていたのなら――まあ、エリオが考えたのかキャロが考えたのかフェイトに知る由は無かったが――大した作戦を立てたものだと素直に感心し、しかし現実と照らし合わせると結局は失策だったと結論付け思考の端にやった。
 飛行魔法を展開する。高速機動魔法は――リミットブレイクの負荷がそろそろ辛く――起動しなかった。空中戦ならどうあってもフェイトが勝つ。故にエリオの負けだ。
 手中のバルディッシュを握り直しいざエリオに攻め込もうと前に出た瞬間、土砂が視界を遮った。出鼻を挫かれたたらを踏み、長剣で土砂を切り払って改めてエリオを見やると、

 そこにエリオの姿は無かった。

 勝利を確信して緩み掛けていた――ああ、知らず緩んでいた――思考が警鐘を鳴らす。説明できない悪寒が走る。理由も突拍子も整合性も無く―――敗北の予兆が背筋を撫でた。
 探す、悪寒の理由を探す。考える、思考する、考える、思考する。時計の秒針が二度音を鳴らすよりも早く答えを得られたのは僥倖か、それとも遅すぎたか。
 意識せず考えの外にやってしまっていたことが急激に大きな意味を持ち悪寒の原因をいよいよ確信させた。
 エリオが笑っていたのだ。土塊の上でフェイトを見やっていたエリオは、敗北が確定的になったエリオは、勝者の笑み、、、、、を浮かべていた。

 ―――視界の端に雷光が映った。

 雷光は舞い上がった土塊を蹴り空を駆けていた、、、、、、、。場違いな思考が脳裏を過ぎる。エリオ・モンディアルは陸戦魔導師だ。彼の高速機動魔法は空中では使えず地上でのみその使用が可能となっている。
 だがそれは誤った認識であるという思考がフェイトに走っていた。
 エリオの高速機動魔法は足場さえあれば、、、、、、、どこでも使えるのだ、と。
 だが、エリオはデバイスを持っていない。ならばどの道自分を打ち倒す手段は持ち合わせていないはず、という言葉が頭に踊った瞬間、

「ヤァァアアアアア―――……………ッ!」

 掛け声は先に聞こえただろうか、後に聞こえただろうか。フェイトの懐深くまで潜り込んだ雷光が――いいやエリオが――右腕を振り上げていた。彼の腕には大爆発を巻き起こしたストラーダが纏っていたものと比べても遜色無い密度の魔力が通っていた。紫電が弾けて―――きれいだな、とフェイトは思った。
 魔力を肉体や武器に付与して強化することを目的に生み出された魔法。ベルカ式魔導師の基本にして奥義。フェイトの好敵手シグナムが得意とする秘儀、紫電一閃。
 そういえばエリオは自分以外の人からも学び、そして強なったんだなあ、なんて呟き。それの威力を身を持って体験しているフェイトは防御魔法を展開する隙間すらないこの至近距離で、防御力を持たないソニックフォームになっている自分が直撃を受ければ気絶するだろうな、と思った。
 紫電を纏った拳が迫る。敗北が訪れるまでの僅かな時間、フェイトはこの戦いのことを思い返していた。
 思えば初めから終わりまでエリオに振り回されていた。たくさん驚かされた。
 落ち着いて思い返せば―――彼の姿は格好良かったかもしれない。実力差がはっきりとしている自分に挑み、こうして勝利までしてしまうのだから。
 何より、自分達の幸せのために戦うと言う彼の姿が、台詞は、すごく嬉しかった。
 だからこの敗北に悔いはないなぁ。なんて、思い、

 ―――だが、いつまで経っても彼女が殴られることはなかった。

 それどころか空中で器用に態勢を入れ替えたエリオはフェイトを抱えるようにして着地すると降り注ぐ土砂から彼女を守るように防御魔法を広げた。
 数十秒の時が過ぎ空にあった土砂や土塊が地面に落ち切った。それまでずっとエリオはフェイトを庇っていた。
 地面に降ろされると困惑したフェイトは訊ねる。

「勝たなくていいの……?」

 それともフェイトが負けを認めたと思ったから彼は拳を振るわなかったのだろうか。
 エリオは静かに首を振った。

「これから勝ちます。さっきのは、ずるなんです」

 彼の言葉の意味がよく分からなかった。フェイトが小首を傾げると、エリオは一度キャロを見てそれからフェイトに向き直った。

「僕もフェイトさんも高速戦闘を行なう魔導師ですが、その戦い方は異なります。戦法の差異からくる認識、、を騙してフェイトさんに空中戦を挑もう、というのがキャロが立てた作戦でした。フェイトさんをたくさん驚かせて隙を作れば勝負になるって」

 実際、まんまとその策に嵌ったフェイトにしてみれば苦笑い――は出ず――素直な彼女は関心するばかりだった。
 キャロの成長を感じて喜ばしく思い、だがはっとする。

「キャロが考えた、ってことは……?」
「はい。だからこの方法では勝ちません」

 キャロが考えた作戦に頼らずフェイトに勝つこと。それが、エリオがキャロに約束した、彼のことを信じてもらうための条件だった。
 エリオは笑う。

「キャロの作戦は奇策を組み合わせた奇襲です。タネが分かっている人には通用しません。これで手の内は全て明かしました」

 即ち、キャロ由来の作戦は使い切った。

だから、、、、これから勝ちます」

 それは威嚇するようでもなく威圧するのでもなく、ただただ澄んだ声だった。心の底からそう信じきった純粋な言葉だった。
 エリオは問う。先ほどと同じ問いを、再び。

「遺恨禍根残らぬよう、全力全開本気の勝負。受けてくれますか?」

 その言葉が耳に届いた時、フェイトはエリオが『男の子』なのか『男』なのか、その答えを得たような気がした。
 破顔する。返事は決まり切っていた。

「うん。戦おう、エリオ!」

 言い放ち、双長剣バルディッシュの背を合わせるフェイト。二つの剣はまるで元々一つのものだったように――いや、事実一つだ――刀身が、鍔が、柄が合体した。幅広の刀身は長大化しバルディッシュは大剣RiotZamberCalamityとなった。
 一撃に重きを置いたフェイトの奥の手だ。

「はい! よろしく願いします、フェイトさん」

 片やエリオはフェイトから距離を取るとストラーダを構えることもせず素手の両手で構えを取った。
 エリオの両腕には魔力が付与されており、どちらも紫電が踊っていた。

「ストラーダはいいのかな?」
「ええ。キャロが納得できるくらい不利な状況で勝たないと行けませんし、そもそも土砂の下に埋まっているでしょうから探すのも骨ですよ。この決闘に勝ったら掘り起こすことにします」
「ふふ。もう勝った気でいるんだね、エリオは」
「違いますよ?」

 風が渦を巻く。激突した騎士と魔導師の闘気が逃げ場を求めて暴れている。息を呑む観衆、高まる緊張感。知らず―――エリオの勝利を願う、キャロ。
 交錯した視線は火花を散らし開戦が秒読みに入ったことを告げていた。

「僕は勝つ。ただそれだけです」

 戦いの火蓋が切って落とされた!
 二人は同時に高速の世界に突入する。エリオは勝利目掛けて一直線に駆け、フェイトは迎え撃つべく大剣バルディッシュを振り上げた。音より速く風より疾い、けれど光に僅かばかり届かない二人の挙動は―――フェイトが先んじていた。横薙ぎに大剣が振るわれる。高速の切り払いは背後に衝撃波ソニックムーブを生みながら小さな騎士に喰らい付いた。

 ―――いや、エリオが喰らい付かせた。

 エリオとフェイトの彼我距離は約三歩。少年は力強く踏み込むと迫る大剣に片腕を叩きつけた、、、、、。凄まじい圧力がエリオを襲った。高密度の魔力を刀身にした大剣の一撃は耐え切れるものではない。小柄なエリオならコンマ一秒の後に衝撃に負け吹き飛ばされるだろう。明らかな愚策だ。
 だが、今日のフェイトは一見して愚策に見える行為を勝利に繋げるエリオを見続けてきた。故に手は緩めない。両の腕に力を込め踏み込んだ足に体重を乗せ捻転する腰をより捻り、大剣よ光速を越えろとばかりに振り抜く。
 エリオの腕とフェイトの大剣の激突。それによる停滞は僅かにコンマ一秒。

 ―――だが、そのコンマ一秒こそエリオが求めた勝機。

 腕を大剣にぶつけた瞬間、エリオは地を蹴り中空へ身を翻した。激突の停滞から僅かに振り遅れた大剣は少年を捉える機会を永久に失う。浮遊魔法の要領で空を蹴ったエリオは大剣を振り抜いて硬直せざるを得ないフェイトに肉薄していた。
 エリオとフェイト、二人の視線が交錯する。どちらもが結末に納得したように笑みを浮かべていた。

「――――、――!」
「――、――――!」

 終わりが訪れる直前、互い高速の世界で音にならない会話を交わした。
 そして、魔力を纏ったエリオの拳―――紫電一閃がフェイトの水月に突き刺さった。

「勝負あり!」

 蒼天の下、審判シグナムの声が響き渡った。小さな騎士の勝利に誰もが心震わせ言葉にならない興奮を歓声に変えた。
 天を割らんばかりの歓声の中、ただ一人――感情が声にならなかった――キャロが熱い涙をあとからあとから溢れさせていた。
 キャロの様子に気づいたティアナが、その涙をそっと拭った。





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