決戦の日までもう一週間も無い。自然、特訓は熱が入っていった。
 キャロが立てた新たな指針を元にこれまでより激しさを増した修行が行なわれている。

「ほら、考えるのはいいけど足を止めちゃいい的よ!」

 はっとして靴裏を預けていた木の幹から跳躍するエリオ。直後、多数の誘導弾が彼が居た場所を叩いた。
 また、安心する暇も無く頭上から――こちらはキャロの手による――誘導弾が迫ってくる。エリオは呼吸を放棄して高速機動魔法を展開した。
 手元のストラーダから魔法発動の電子音が響いた瞬間、エリオ・モンディアルは光になった。

『そうは言っても難しいんですよこれ!』

 新たな足場と見定めていた木の幹に先回りしていた誘導弾を愛槍で弾くと、やはり呼吸する暇も無く――なのに、律儀にも返事だけは念話で返しながら――エリオは跳んだ。猿でもここまでは不可能だろうと思われるほど軽やかに木々の間を跳び続けた。
 この訓練が開始されたから約十分。エリオの足は一瞬たりとて地に着いていない。

「難しいことに慣れるための修行でしょ! ―――やるわよ、キャロ」
「はい!」

 キャロが胸の前で両手を交差させると足元に魔法陣が展開した。彼女の手の甲に装着されたケリュケイオンが魔力光を放っている―――ブースト魔法だ。
 ブースト魔法の対象はティアナ。キャロの桜色の魔力光がティアナのクロスミラージュを包む。
 ティアナが手にした二丁のクロスミラージュから連続して都合十二発の排莢が行なわれた。じゃらじゃらと鳴り響く金属音のやかましさは、そのままティアナにプールされた魔力の恐ろしさだ。
 無数の弾丸が中空に浮かべられた。面制圧すら行なえそうな驚異的な数だ。

「ちゃーんと避けないと痛いじゃ済まないわよ?」

 カチン、カチン、と。二度ほど軽い音がした。クロスミラージュの引き金が搾られた音だ。
 それはまるで知人に出会えば挨拶するような気楽さを感じさせる音だったが、引き起こす現象は地獄だった。

「うっわー。ティア、容赦無いなー」

 スバルが思わずそう零していた。もしも天球に輝く無数の星が一斉に落下したとすれば、それはこんな光景になるだろう。
 相変わらず木々の間を跳躍しているエリオは世界の終わりを見たような気がした。
 迫り来る物は隙間無く詰められた無数の魔力弾だ。随分と無茶なシロモノだ。だが、この程度の困難は打ち破らなければならない。―――エリオ・モンディアルは『男』だと証明するためにはこの程度を苦にしてはならない。

「―――よしっ!」

 覚悟を決めると、エリオは初めて大地に降り立った。足の裏でしっかりと地面を噛み―――ストラーダの穂先を地面に突き刺す。
 無手となった両腕は空手家のような構えを取らせた。逃げはしない。両の拳で魔力弾を迎撃するのだ。

「紫電一閃ができたんだ。だったらこれくらいはできて、」

 小さな小さな破裂音が鳴った。それは電気が空気――絶縁体――を破った音だ。
 エリオに幼いながらに鍛えられた両の腕が電気を纏っている。見る者が見ればそこに高密度の魔力が集められていることが分かるだろう。

 ―――エリオ・モンディアルは「魔力変換資質・電気」を持つベルカ式魔導師である。

 ベルカ式魔導師のほとんどの魔法は魔力を肉体や武器に付与して強化することを目的に生み出された―――魔力操作の技術だ。特に魔力変換資質を持った魔導師に取って、変換した魔力を何かに付与して打撃として撃ち込む術は基本であり全てだ。
 紫電一閃とは『至った』魔力操作の技術であり、奥義である。紫電一閃が使えるのならば――それを打ち出す時には劣ろうが――対象物体に魔力付与を行なうことも可能だろう。
 もっとも、準備から発動まで一瞬である紫電一閃とこれからエリオが行おうとしている迎撃としては魔力を保持していなければならない時間が圧倒的に違う。―――が、そこはガッツだ。

「これが、できるならッ!」

 昼間の流星を睨むと、エリオは拳を振り上げた―――!





     ◇     ◇     ◇     ◇





 ぼこぼこに顔を腫らしたエリオは足場を見失って落下した。顔面から。
 もはや何とも言えない残念な感じになったエリオの姿に周囲から溜め息が漏れる。―――可愛い顔が台無し、である。

「ったく。その見っともないツラを治療してこい! 前、よく見えてねーだろーが」

 呆れの混じった声を上げたのはヴィータである。修行の第二段階を行なうために手伝ってもらっていたのだ。
 ヴィータは中空に浮かべていた鉄球でできた誘導弾をしまうと、のろのろと起き上がったエリオのほっぺをぐいーっと引っ張った。

「ちなみに、口答えはナシだかんな? あたしは『あたしの指示に従う』って条件で手伝ってんだ。つまりどうすればいいか、分かるよな?」
「……はい。医務室に行ってきます」
「ん。よろしい」

 やや気落ちした様子のエリオが医務室に向かって行った。本人は走ろうとしているのだが疲労の溜まった身体では上手くいかずよろめいてしまっている。見かねたキャロが手を貸しに向かおうとしたが、

「やめとけ。自分の足で走らせな」

 ヴィータに機先を制され動けず終わった。
 キャロは何か言いたげに口を動かすが、

「お前はあいつがもうちゃんとした『男』だって分かっちまってるんだろう?」

 結局、何も言えず引き下がるしか無かった。

「……しっかし、まあ」

 エリオの背が隊舎に消えるのを確認してからヴィータが困ったように言う。その困惑はエリオの無茶な挑戦やキャロの内心に起因していた。
 それなりに色々と知っているヴィータとしては今の状況は何とも言えないものだった。

「あー、なんだ。エリオはバカだな」

 言葉に窮したあげく、そんなセリフが口を突いて出てきた。言ってみると、それこそが今回の件の真理であると思えてくるから不思議だ。
 ちらりとキャロを見る。彼女は何も言おうとしなかった。

「まー、今回はバカですよね」

 代わり、でもないが。ヴィータの発言に同意したのはティアナだ。ただ、そんな憎まれ口を叩きながらもここ一週間エリオを姉のような目で見守り――時に厳しい訓練を課している――のがティアナだ。

「ああ。まあ、バカは一人じゃないんだけどな」
「へ? どういうことですか?」

 言ってしまってからヴィータははっとした。ティアナはエリオの事情しか知らないのだ。
 冷や汗を流しながら必死に言い訳を考えるヴィータ。

「うーん……」

 そんな迂闊なヴィータと、何故かキャロを交互に見て。ティアナは、何故か納得したように頷いた。
 苦笑いを浮かべると、言う。

「やっぱりそういうことですか?」

 ヴィータはもう逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。ティアナは聡いのだ。少しのヒントがあれば自力で答えに辿り着いてしまう、なんて想定してしかるべきだった。
 観念したヴィータはしゅくしゅくと頷く。
 そして、キャロに謝った。

「ごめんな」

 謝罪を受けたキャロは首を横に振った。許さない、という意思表示ではない。『ヴィータ副隊長は悪くありません』というポーズだった。
 キャロは口を開く。

「ティアナさんならすぐに分かっちゃう、って思ってましたから。だっていつも私達みんなのことを見てくれてますもの」
「あー、いや? え、ここは照れればいいのかしら……?」
「ティア大好きー!」
「あんたにんなこと言われても照れんわ!」
「わきゅん!?」

 これまで会話にまったく入れなかったスバルさん決死の発言を飛び蹴りで封殺するとティアナさんは改めて真面目な会話に戻ってきた。

「おかしいって思ってたんです。私達が自主練を開始してもヴィータ副隊長達は何も言ってこなかったじゃないですか? それどころか最近の訓練は少し軽くなってます。まるで今回のことに合わせたみたいに」
「……合わせたからな」
「ですよね。それに、なんて言うか、ストレートで聞いちゃうとあれなんだけど……」

 ティアナは軽く咳払いをした。
 そして改めて――真剣な表情になって――キャロに告げる。

「キャロ。あんた、エリオのこと好きよね? 家族としてじゃなく一人の男の子として」

 その問いの返答までには数秒の沈黙があった。その数秒の間にキャロが泣き出しそうな顔になり、流れてきた雲に遮られて陽が翳った。
 数秒の沈黙を破ったのは小さな声だった。

「―――はい、大好きです」

 声を大にして言えない心の奥に隠してしまった気持ちだった。





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