決戦の日が近づいていた。翌々日には本番がやってくる。エリオの仕上がりは上々一歩手前と言ったところで、万全とは言えないまでも悪くはなかった。おそらくフェイト相手に――そう、あの強力な魔導師相手に――勝率は一分九分だろう。一割も勝利の目があるのだから今のエリオとしては充分だ。
 あとは、その一割を全力で手繰り寄せるだけだ。
 十度戦って一度勝てるなら最も大事な決闘にその一を得ればいい。

「午後の特訓はこれでお終いよ、エリオ! ―――私にアレができればあんたの勝ち、いいわね!」

 ティアナの双銃が力強く突き出される。二つの銃口は違わず十歩ほど離れた距離に立つエリオに向けられており、槍を手に立つ少年は鈍く光るクロスミラージュを見つめていた。
 からっ風が吹き木々を揺らす。
 エリオは三人に囲まれていた。一人はティアナ、一人はスバル、一人はヴィータである。彼はそれぞれ殺気に近い闘気を立たせた彼女達を見渡すと愛槍に魔力を這わせ始めた。乾いた空気に紫電が弾ける。
 その、耳障りな音が火蓋を切った。

《ShootBarret!》

 四つの影が同時に動いた―――!
 クロスミラージュから魔力弾が機関銃のように撒き散らされ、エリオの退路を塞ぐように青の魔導師と紅の騎士が飛び込んだ。赤髪の騎士見習いは一瞬にして三方からの脅威に襲われる。最も恐るべきは魔力弾の雨だがこれを避ければ左右から迫る青か紅の餌食になってしまう。かと言って弾丸の雨を強行突破できるものではない。
 足を止めて迎撃するなどは――最終目的を思うに――選ぶべきではない。
 よって、エリオは――デバイスを介さず――高速移動を可能とする魔法を起動させると弾丸の進行方向に疾った。粘液のようにまとわりつく空気を破って少年は光になる。音ですら置き去りにするエリオに追い縋れる弾丸は存在せずその全ては遠ざかる少年の背を見送らざるを得なかった。
 スバルとヴィータが彼に追撃を掛けられない距離まで離れる。そして息を吐く間も無く切り返した。しっかと握ったストラーダからばちっ、という音が響く。
 エリオは雨のような銃弾のすぐ傍を駆け抜け紅の騎士に迫った。銃弾の向こうでは目標を見失ったスバルがたたらを踏んでいるのが見えた。
 一対多の中に生まれた一対一の好機である。
 とっくに制限時間の過ぎた高速移動魔法を無理に持続させながら雷光のような素早さでエリオは駆けた。彼に気づいたヴィータが鉄槌を振り上げるが構わず勢いのまま身体をぶつける。体躯の小さなヴィータはたまらず吹き飛んだ。続けて得た好機を逃すまいとエリオは地を蹴る。だが勢い勇んだ跳躍は粘りつく空気に絡め取られひどく鈍重になってしまった。
 高速移動魔法が途切れたのである。
 高速の世界から現実の世界に――無理の反動付きで――引き戻されたショックで感覚が揺れた。焦点がぶれ像がぼやける。平衡を保てなくなり膝から崩れそうになった。

「こんなものォォ―――ッ!」

 雄たけびがふらつくエリオの耳朶を打った。ぎょっとして振り向くと弾丸の雨をものともせず突っ込んでくるスバルがいた。右手に装着したリボルヴァーナックルが排煙を噴き上げているところを見るとカートリッジをいくつかロードしたようである。
 立ち向かう――か、逃亡せねばならない。
 だが感覚が狂ったままのエリオでは歩くことすらままならない。仕方なしに帯電したストラーダを庇いながら、多少魔力で強化した左腕を盾にして殴り飛ばされた。スバルの拳は重く衝撃は身体の芯まで届き、肺中の酸素が無理矢理に吐き出される中で一瞬だけ『諦め』の二文字が浮かんだ。
 そのすさまじい拳圧はエリオの身体をかち上げた。
 小さな身体が中空に投げ飛ばされる。

 ―――そして、視界いっぱいに夕焼けが広がった。

 緩んでいた拳を握り直し、萎え掛けていた心を叱咤する。器用に空中で回転すると着地ざまに両足を駆使して跳び上がった。追撃を掛けようとしていたスバルの拳が地面に突き刺さった。スバルに一瞬の硬直が生まれる。
 エリオは動きを止めたスバルの肩に足を乗せるとそれを足がかりに大きく前方へ跳んだ。遠くで何度も引き金を絞る音がしたからだ。彼の着地に遅れてスバルの頭を弾丸が掠めた。
 急襲を回避したエリオは鋭く呼吸を済ませると横っ飛びに転がる。間一髪、鉄槌が地面を砕いた。吹き飛ばされた復讐に燃えるヴィータだ。
 さっ、と。エリオは周囲を見渡し状況を確認した。目の前には瞳に炎を滾らせるヴィータ。その奥には硬直から立ち直り――踏み台にされてこちらも怒っている様子の――スバル。そして左手の遠くに銃を構えたティアナ。
 これ以上この三人の相手を続けられるかどうか考える。答えはすぐに出た。否、だ。
 続いて、エリオは右手のストラーダを見た。これだけは離さぬとばかりに握り締めていた愛槍は――空気が焼け付くほどの紫電を迸らせていた。
 視線を戻したエリオはきっとティアナを睨んだ。ヴィータやスバルは油断無く彼の挙動に注意を払っている。エリオが攻勢に出る――予め示し合わせた――時が来たのだ。
 じゃりっ、靴裏が地面を滑る音がした。
 四人は、弾かれたように動き出した。
 エリオはヴィータを躱してティアナの下まで辿り着き、魔法をぶつけなければならない。それが決められた勝利条件だからだ。また、ヴィータの突破に手間取れば飛び込んで来るスバルとも闘わなければならなくなるだろう。
 ぶん回してきたヴィータの鉄槌を大きく跳び退って回避したエリオは、今再び――やはりデバイスを介さずに――高速移動魔法を発動した。脳髄に鈍い痛みが走るがこれを無視して、疾る。
 しかしエリオの行動を予期してた三人は緒戦のような鈍重な対応はしなかった。既にスバルはエリオの予想進路上に駆け込んでおり、ヴィータは鉄槌によって鉄球を打ち出しエリオを狙った。ティアナも銃弾をばら撒きこれを牽制とした。
 三人の対応はどれも早く、行動は速く、迅速と言って良かった。

 ―――だが、だが。高速を超えて光速の世界に足を踏み入れたエリオにとって、それらは緩慢が過ぎた。

 鉄球は雷光に追い縋ることは無く、スバルは駆け抜ける疾風を捕らえられず、ばら撒かれた銃弾は牽制にもならなかった。
 何者にも拘束されることのない雷光が高く高く天に翔け上がった。恐ろしいほどの電荷を溜め込んだストラーダが眩く輝き、夕陽に染まった空を白く染めなおす。
 天空を戦慄かせる雷光を見上げて―――ティアナ、ランスターは思った。

「あー……。死んだわね、私」

 直後、雷撃は大気を引き裂いてまっすぐにティアナへ落ちていったのだった。





     ◇     ◇     ◇     ◇





 エリオは、ヴィータが浮かべたいくつもの鉄球をぴょんぴょんと跳び交い続けていた。右手にはストラーダを握り先ほどの特訓のように帯電させていっている。一応、今日の特訓は終わったのだが、いわゆる一つのクールダウン中だった。
 鉄球はふよふよと浮いていて不規則に動く。それの軌道を見極めながら跳び移る訓練は少々難しかったが、これは既にコツを掴んでいたのでさほど苦労はしない。
 やがて、満足したエリオは地に降りた。ストラーダの穂先を地面に突き立てると溜め込んだ電気エネルギーを解放する。
 小さな炸裂音と共に土煙が舞った。

「いい感じだね、エリオ」

 近くで彼を見守っていたスバルがタオルを投げ渡してくれた。柔らかな布を受け取ると流した汗を拭った。
 キャロが立てた作戦を遂行するために必要な技能は一通り揃った―――と言うより、習得が容易な手段でキャロが作戦を組み立ててくれた。
 あとは当日まで練習を重ねるだけである。

「はい。みなさんのおかげです」

 エリオはにこやかな笑みを返した。邪気の無い晴れやかなものだ。

「あはは。この調子でがんばろーねー!」
「はい!」

 和やかなやりとりをしている彼らを遠巻きに見守る目が四つ。何かに悩んだ様子のヴィータと、ぐったりしているティアナである。
 彼女達は目配せし合うと苦笑いを浮かべた。

「どうなると思います、ヴィータ副隊長?」
「エリオが負ければ現状維持、だろうな。勝ったら……ちょっと、よくわかんねえ」
「あはは、そうですよね」

 笑顔を浮かべるエリオとスバルを眺めながら――二人は、溜め息を零した。

「キャロのやつ、結末をどんな顔して受け入れるんだろーな」

 ぽつり、ヴィータが呟いた。
 今日の特訓にキャロは参加していない。体調が優れないと言って通常の訓練を終えた後は部屋で休んでいた。

「……どんな結末になってもあの子がちゃんと笑っていられるように手助けくらいはするつもりです」
「ん。そっか」
「はい」

 決意を秘めたティアナの横顔を眺めるとヴィータは言った。

「ティアナは頼れる姉貴って感じだよな」
「……か、からかわないでくださいよ!」

 顔を赤くしたティアナに、ヴィータはくすりと笑みを見せるのだった。





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