決戦前日、昼前。フェイトはエリオ達が昼食を摂るため引き上げた訓練場に足を運んでいた。何かを思ってのことではなく、自然と足が向いたのだ。
 誰かを訪ねてのことではなかった。
 機動六課での雑務や懊悩のことがあって久しぶりに訪れた訓練場は、まあ変わるはずも無いのだが相変わらずで、あちこちに訓練の跡が見えた。
 フェイトは訓練場を見渡した。目ぼしい物などありはしないのだが誘われるように奥へと進み、

「あ、フェイトさん」

 そこで彼女と鉢合わせてしまったのは―――必然、だったのかもしれない。
 小柄な身体をバリアジャケットに包んだキャロがいた。服は土埃で汚れており訓練の激しさを想起させる。彼女は休んでいたのだろう。
 キャロは腰掛けていた小岩から立ち上がるとフェイトに会釈をした。

「あれ、キャロはご飯を食べに行かなかったの?」

 キャロは小さく頷いた。その表情には疲労の色が浮かんでいる。彼女は笑顔を作ろうとしたが、それは弱々しいものにしかならなかった。
 その儚げな表情がフェイトの心中に不安を呼び起こす。

「大丈夫? 辛いならシャマルのところに連れて行くよ……? だって、」

 その言葉を口にすることは一瞬だけ躊躇われた。本当にそうなれているのか、まだ疑問だった。
 けれど、だからこそ、思いは言葉にして伝えなければならない。二十年近い人生の中で多くのことを学んできたフェイトだが、『思いは言葉にしなければ伝わらない』ということは彼女の心に強く根ざしている言葉だった。
 意を決してフェイトは口を開く。

「私はキャロのおかあさん、みたいなものだから」

 どっ、と。背中から、硬く握り締めた拳から、汗が噴き出た。何でもないはずのセリフを言うだけでここまで緊張してしまうのは――拒絶されてしまうことが恐ろしい言葉だからだ。
 場には沈黙が訪れた。キャロは何も応えてくれなかった。返答に窮しているのか、答える気が無いのか、無言を貫いている。
 フェイトの胸は心苦しさに締め付けられた。

「―――いまさら、何を言っているんですか?」

 胸に矢が刺された。そんな錯覚があった。
 キャロの瞳にはへばりついた汚泥のように混沌とした感情が浮かんでいた。息が、詰まる。
 だが、

「みたいなものじゃなくて、おかあさんですよ!」

 一転して清涼な風が吹き抜けた。人懐っこい笑みを浮かべたキャロからは一瞬前の印象なんて繋がるはずもない。そこには心の底から自分が言った言葉を信じている、という確証を抱かせる真実の笑みがあった。
 だからフェイトは困惑した。この変わりようは何なのだろう……?
 聞いてみなければならないと思った。今と、前と、どちらが真実なのだろうか。それを知らなければならない、と思った。
 だが、フェイトの言葉がキャロに伝えられることは無かった。

「でも、エリオ君は違うみたいです」

 驚愕は言葉にならなかった。それどころか膨れ上がって胸を痛いくらいに圧迫してくる。キャロは、なにか、フェイトがまだ認められないことを既に認めてしまっている。やっと出来掛けてきた――擬似的な家族という――1つの関係を砂上の楼閣と化してしまう悪夢が入った箱をもう開けてしまっている。
 フェイトはキャロがそこから先を言ってしまうのではないかと恐れた。自然と足が退っていく。
 キャロが、怖い。

「どうしたんですか、フェイトさん?」

 キャロはあくまで笑顔――まるで仮面のような――のままだった。キャロが足を踏み出す度にフェイトが退く。十歳近くも年下の少女を前にしてフェイトは完全に圧倒されていた。
 フェイトは逃げ続けた。キャロから逃げ続けた。だが、やがて背に障害物の存在を感じる。もう下がれない。
 キャロの白い手が伸びた。するするとフェイトの首筋に向かうように伸びていった。思わず息を飲む。

「フェイトさん…………」

 キャロのほっそりとした白い指先がともすれば手折れてしまいそうなフェイトの首筋に触れた。軽く動脈を圧迫されている。息苦しい。
 言葉は言葉にならず喉に突っかかり――まるでキャロの指先に抑えられてしまっているかのように――口にすることができない。金魚のように唇を開閉させるだけだった。
 ぞくり、背筋に悪寒が走る。
 未だ能面のような笑顔を崩さぬままのキャロは怯えるフェイトに……言った。

「ごめんなさい」

 あっけなく。それだけ告げると、あっけなく逃げ去ってしまうキャロ。
 呆気に取られたフェイトが去り行く背を見つめているとすぐに建物の向こうに消えてしまった。
 後には状況の理解ができず困惑したフェイトが取り残される。
 胸に手を当てると鼓動は早鐘のようになっていた。

「キャロ、どうしたんだろう……」
「女の子には色々あるものなんだよー?」
「うっひゃぁっ!?」

 溜め息混じりの独り言に返事があり、フェイトは口から心臓が飛び出るんじゃないかと思うくらい驚いた。見ればいつの間にかなのはが傍にいた。
 まっこと忍の技である。いや……御神の技?

「うんうん。そんなに驚いてくれると忍び寄った甲斐もあるってものなの」

 意地の悪い笑みを浮かべているなのは。もしかして彼氏ができてからこの親友は性格が悪くなったんじゃないかなあ、とフェイトは思った。
 何しろ、そもそもの原因を作ったのはこの親友ではなかったか?
 そう思うと、いくら温厚なフェイトでも腹の一つくらいは立てようものだ。

「フェイトちゃんが膨れっ面になっても可愛いだけだよ?」

 しかし効果は無かった。

「はー……。なのはは何を知ってるの?」

 観念してうなだれたフェイトはそう訊ねた。いくらいぢわるでも基本的には友人思いのなのはである。何も無しに一連の行動を取っているとは思えない。
 何か裏があるのだろうと思って投げた問いは―――意味ありげな笑みを返されてしまった。

「フェイトちゃん。キャロもエリオも、もう子供じゃないんだよ」

 フェイトはなんだか振り回されてるなぁ、と思った。この騒動の当初から誰かが定めたレールの上を走っている気がしてならない。
 もっとも、その誰かは分からないのだけど。

「まあ、大人でもないんだけどね」

 この、くすくすと笑っている親友が口を割ってくれればどんなに楽だろうか。そんなことを考えながら、フェイトはがっくりと肩を落とした。
 疲れた様子のフェイトを見ながら、なのはは楽しそうに言う。

「フェイトちゃん、エリオのことまだよく分かってないんじゃない?」

 それは、エイミィに言われた言葉の延長線上にあるもののように思えた。

「……エリオがすごく優しい子だってことは知ってるよ」

 エイミィに言われた言葉の答えすらまだ見つかっていない。だから、こう返すだけで精一杯だった。
 改めて自分の考えが至ってないことに気づき落ち込むフェイト。そんな彼女にアドバイスを告げるよう、なのはが言う。

「にゃはは。男の子にあるのは優しさだけじゃないんだよ、フェイトちゃん。男の子にはみんな、どうしても折れない何かがあるの。その何かをプライド、折らないって決意を意地って呼んで―――二つ合わせて男の世界、なの」
「初めて聞いたよ、それ」

 訝しげな目線を受け、なのはは誤魔化すようににゃははと笑った。とりなおし、告げる。

「今度カラオケで歌おうか、ルパン。――それはさておき、エリオも男の子なんだよ」

 本題はそれなのだろう。
 だが、エイミィに『エリオは男の子かどうか?』と問われたばかりだし、エリオ自身もそう思われることを嫌っていた。
 エリオは男の子なのだろうか?
 疑問はそのまま口を突いて出る。

「でも、エリオは自分のことを『男の子じゃありません、男です』って」
「微笑ましいよね」

 笑みを浮かべてそう言うなのはに、なんだか負けた気がした。肩を落とす。

「なのはまでエイミィみたいなことを言うよ……」
「にゃはは。私、彼氏いない暦零年だし。フェイトちゃんと違って」
「そこは突っ込まないでよう!?」

 そういうセリフを自然に言えるなのはと自分を見比べて、本当に自分は経験が足りないんだな、と。実感するフェイトだった。





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