寝付けなかった。時計を見れば日付が変わる1時間前。明日は大事な決戦だというのにこれではいけない。 けれど目を閉じて暗闇に身を任せても意識が落ちてくれない。身体の芯が妙な熱を持っていて眠りに付くことを許してくれない。 きっと興奮していて、また緊張しているのだろう。 数時間掛けても眠ることのできなかったエリオは観念して掛け布団を横にどけると、ストラーダを手に隊舎の外へ繰り出した。 ここ二週間特訓を重ねた訓練場へ出る。この時期の空気は冷たく、凍えはせずともすぐに身体が冷えてしまう。エリオはストラーダを起動させるとその柄をしっかりと握った。 もう身体によく馴染んだ型を始める。初めてストラーダを手にした日からずっと繰り返し練習してきた型は目を瞑っていても性格に舞うことができる。槍術における全ての基本を盛り込んだ型はフェイトに教わったものだ。 物心付いた頃からフェイトの世話になっているエリオにとって、ほぼ全ての『始まり』はフェイトに起因する。自分らしく歩めるようになったきっかけも、魔導師を目指した理由も、フェイトだ。 初めて愛情を教えてくれた人だけはフェイトではなかったけれど、その人から裏切られたエリオに愛を感じさせてくれた人もフェイトだ。彼女に出会わなければ人間らしい感情を取り戻すことはできなかっただろうと、エリオはいつも思っていた。 もしもフェイトに出会わず研究所に居続けたなら、果たして自分は今まで生き続けられただろうか。残念ながら否だろう。実験動物として酷使されやがて衰弱して死んでいただろう。 そうでなくても心が壊れ獣の変わらない動物になっていただろう。 狂犬だったエリオを人間に戻してくれたのは、フェイトだ。 フェイトの存在がエリオ・モンディアルという人間の根幹を形成している。それは、既に半身に近かった。 ―――もしも愛しているかと問われれば、是非無く肯定するだろう。 実のところ、恋愛感情なのかどうかは分からない。胸が疼くような想いをすっ飛ばして、息をするように大切だと断言できるところまで成ってしまっていたから。 もしかしたら家族のように、本当の母親のように思っていて、今回のことは反抗期がもたらしたものかもしれない。 自分ですら分かっていないのだから、答えを得ることはできないのだが。 「勝たないとね」 全身を使って――これを貰った当初はずいぶんと重かった――ストラーダを軽く振り抜く。空を切り裂く小気味の良い音が夜闇に鳴った。 愛槍は手に馴染んでいる。己の手足の延長と表すには至らないがほとんど身体の一部のようなものだ。 その感触が自分の努力の成果を表していて―――喜びに気を緩めることなく型を続けた。 「前に進まないといけないって、そんな気がするんだ」 身体が充分温まり型も一通りを終えると槍を片手に直立した。大きく深呼吸をして、振り返る。 木の陰に小さな影が隠れていた。キャロだ。 「眠れないの?」 エリオが問いを投げかけるとキャロは木陰から出てくる。躊躇いがちに首肯してそれきり目を伏せた。 沈黙が訪れる。女性の扱いになれていないエリオにはいくぶん居心地が悪かった。他愛ない話によって口火を切ろうとするがその話の種すら思い浮かばない。口内で無意味な言葉を唸らせるだけだ。 そんなことをしていたらキャロが顔を上げた。ふいに、エリオの胸がどきりと鳴った。彼女は―――瞳に、悲壮感を湛えていた。 「エリオ君はフェイトさんのことが好きなんだよね?」 今にも泣き出しそうなキャロは、嘘を許すような目をしていなかった。エリオは自分の胸中を探った。 フェイトに恋愛感情を抱いているかどうかは、正直なところ分からない。けれど、愛している。だったら答えは肯定だろう……か? 悩んだ末にエリオは首を縦に振った。 そもそも―――男に見られてないと知った時に胸を襲ったあの気持ちは、そう思っているからこそではないか? 「うん。だから、男に見られてないって知って―――」 胸を締め付けたあの気持ち。心を絶望感で叩いたそれを最も正しく形容する言葉を探す。 それは意外と簡単に見つかった。 「―――悔しいって思ったんだ」 悲しみでも怒りでも憤りでもなく、悔しい。 認められていないということが、取るに足らない人間だと思われていたことが、悔しい。 大切に思っている人だからこそ、そう思われていることが悔しかった。 「そっか……。そうだよね。好きな人にそんな風に思われてたら辛いよね」 悲痛な面持ちのまま、キャロが頷いた。 もしかしたら彼女もまたエリオと同じなのかもしれない。認めて欲しい誰かにそう思われていないのかもしれない。 だとしたら、彼女の表情はエリオへの同情によって歪んでいるのかもしれない。 「うん。だからがんばるよ。『僕は男だ』ってフェイトさんに認めてもらうんだ」 エリオははっきりと言い放った。そも二週間前に自分がどうするかなんて決めていた。 戦い、勝ち取るのだ。望みを得るために挑むのだ。 固い意志を見せるエリオ。彼に、キャロは控えめに訊ねた。 「……ところで。エリオ君にとっての私って何って聞いていいかな?」 しばし考える。キャロとの付き合いは機動六課に入ってからだ。 当初はぎこちなかったが、今では旧来の友人のように……いや、それ以上に気の置けない中だろう。 それを形容すべき言葉を、エリオはきちんと知っていた。 「家族だよ」 ただ、そう言い切ってしまうのは躊躇われた。 「妹みたいなもの、かな……。僕なんかがこんな風に思っちゃ迷惑かな?」 端的に言えば、エリオは自分を卑下していた。『自分なんかが』、その言葉が呪いのように彼を縛り付ける。 言い変えれば、その呪いを振り切ってでもフェイトに思いを伝えようとしたことがその気持ちの強さを言い表していた。 不安そうなエリオを慰めるようにキャロが口を開く。 「ううん、そんなことないよ。そう思ってもらえててすっごく嬉しいから」 「そっか。ありがとう、キャロ」 「がんばってね、エリオ君」 ことさら笑顔を 「―――ううん、おにいちゃん」 エリオは、ストラーダを取り落とした。 「ぶふっ!? え、ちょ、キャロッ!?」 「あはは、冗談だよ。……うん、冗談、だよ」 キャロは――どこかが陰があるように――笑うと、エリオが取り落としたストラーダを拾い上げた。顔を赤くしたエリオにストラーダを差し出し、言う。 「勝ってね」 エリオはストラーダを受け取ると力強く頷いた。 「うん、勝つよ」 |