まだ恋愛なんて考えられない。フェイト・テスタロッサ・ハラオウンがそう言うと、高町なのはは意地の悪い笑みを浮かべるのだった。
 逃げ場は――無いことは、ない。込み合った食堂だ、いつでも逃げ出すことはできるだろう。
 だが、今逃げたところでいずれ追及を受けることが予想できるわけで。

「ほ、ほんとだよ?」

 結局、フェイトはしどろもどろになりながら念を押したのだった。

「ふーん。へー。ほー。にゃはー」

 なのはは相変わらず意地悪な顔をしている。フェイトの背筋に冷や汗が流れた。この――恋人ができたばかりの――親友は最近意地悪なのだ。
 こと恋愛事に関しては追及の手を緩めることは無い。まあ、ミッドチルダの適齢期真っ最中の年頃としては色恋沙汰に興味を持ってない方がおかしいのかもしれない、が。
 執務官として人々が不幸に遭わぬために日々精力的に活動しているフェイトにとって、『恋人』という単語は縁遠いものだった。

「ほんとーにそうなのかなー? 気になってる人っていないのー?」

 ずずいっと詰め寄ってくるなのはから離れるように背を反らしつつ、フェイトは記憶の検索を開始した。一応、気になる男性がいないかチェックし直す。
 検索時間、十二秒。該当者零。

「うん、いないよ。ほら、私ってあんまり同じ場所にいないから仲良くなる人ってそんなに居ないんだ」

 艦船付き執務官だったクロノ・ハラオウンとは異なり、フェイトは特定の船に所属しているわけではない。今では機動六課に在籍しているが、それ以前はジェイル・スカリエッティを追いかけて東西を奔走していたのだ。
 自然、プライベートを共にする男性など作れようもない。

「ふーん。なら、フェイトちゃんの1番仲の良い男の子はエリオになるのかな?」
「え? う、うん。そうだね」

 エリオ―――エリオ・モンディアル。とある経緯を経てフェイトが引き取った少年だ。
 両親に捨てられ実験動物として扱われていたエリオをどうしても見捨てることができなかったフェイトは、数年前から彼の母親代わりになっていた。
 エリオは、出会った頃の荒み模様が嘘のように素直で優しい少年に育っている。彼が『魔導騎士になる』と言い出した時は心配から猛反対したが、今ではフェイトを助けてくれるほど立派になった。スカリエッティとの最終決戦で彼が駆けつけてくれた時のことを思い出すと嬉しさから笑みが零れてしまう。―――エリオは、フェイトにとって誇らしい少年だった。
 確かに、エリオとの付き合いは長い。彼以上に多くの時間を共有した異性と言えば既婚者の義兄くらいだ。

「でも、エリオと私じゃ九つも年が離れてるよ」
「それは、エリオはまだまだ子供ってことかな?」
「そういうわけじゃないけど……」

 言葉に詰まるフェイト。困惑した彼女の表情と―――何かを、見つめて。飛び切り小悪魔な笑みを浮かべたなのはが口を開いた。

「にゃはは。エリオって女の子みたいに可愛いもんね」

 ふと、フェイトの脳裏にスバル達に遊ばれて女装させられていたエリオの姿が甦った。
 その姿は確かに可愛らしく、フェイトは首を縦に振ってしまった。

「う……うん。そうだね」

 思えば、フェイトの運命はこの瞬間に決定したのかもしれない。
 そう。エリオに悪いと思いつつ、フェイトがおずおずとなのはの言葉に頷いてしまったこの瞬間に。

「―――ッ。そう、ですか」

 カシャン、と。食器を載せたトレイが落ちた。音源はフェイトの背後だ。
 はっとして振り返ったフェイトが目にしたものは、表情を凍りつかせたエリオだった。
 知らず、胸に鈍い痛みが走った。

「あ、その、盗み聞きしてごめんなさい! 失礼します……ッ」

 勢いよく頭を下げるとエリオは走り去った。フェイトは反射的に腰を浮かし―――非難の目線を親友に浴びせた。
 なのはは悪びれた様子無く床に落ちたトレイを指差し、続いて遠ざかるエリオの背中を指し示した。

「片付けは私がやっておくからフェイトちゃんは追いかけたら?」

 逡巡し―――フェイトは、エリオを追いかけた。
 なのはがその背にひらひらと手を振るが、彼女は気づかなかっただろう。
 フェイトは一心にエリオだけを追いかけていた。

 ―――だから、フェイトは気づかなかっただろう。

 フェイトを見送るなのはが申し訳なさそうな顔をしながら謝罪の言葉を呟いていた、などとは。
 なのはは、親友の姿が見えなくなるとひどく落ち込んだ顔をして床に落ちたトレイを片付け始めたのだった。





     ◇     ◇     ◇     ◇





 エリオは、思ったよりずっと速かった。フェイトが魔力まで行使して本気で走ってもすぐにエリオに追いつくことはなかった。
 そんなことにエリオの成長を実感して場違いにも嬉しくなるが―――少し、困った。
 それでもなんとかエリオに追いつき、彼の腕を掴んだ。抵抗を予想していたが、エリオはあっさりと歩を止めた。
 その予想外の行為がフェイトの行動を少しばかり遅らせ、エリオに舌戦の先手を打たれてしまう。

「フェイトさん。僕は男です」

 ずきり、胸が痛んだ。考えなしに親友の言葉に同意してしまったことは、家族のように大切であるはずの少年を傷付けてしまっていた。
 非はフェイトにある。だからフェイトは謝罪の言葉を口にするが、

「ご、ごめんね。うん、エリオは男の子だ―――ッ!?」

 息が詰まった。エリオに形容し切れない煮立った感情を込められた瞳で射抜かれ、言葉が喉に詰まってしまった。
 初めて出会った時の野獣のような瞳に似た―――けれど、もっと理性的かつ感情的な眼光に射竦められたフェイトは二の句が告げない。

「僕は男です、フェイトさん。女性ではありませんし……」

 エリオの腕を掴んでいたはずなのに、いつのまにかフェイトがエリオに腕を掴まれてしまっている。ぐいっと、お互いの呼気が聞き取れるほどの距離まで引き寄せられた。
 近づいたせいでエリオの眼光の強さをよけい感じてしまう。

「男の子でもありません」

 ―――よく、分からなかった。
 エリオは男性だ。それくらいフェイトも分かっている。けれど、『男の子』ではなくて『男』だとはどういうことだろう?
 年齢で言えばエリオはまだまだ子供であるはずだ。
 なのに、どうして?
 分からないからフェイトは言った。

「でも、エリオは男の子だよね……?」

 確認するようなか細い言葉を受けてエリオは―――どこか泣き出してしまいそうな声で答えた。

「違うんです。僕は男なんです、フェイトさん……!」

 エリオの叫ぶような主張が廊下に響き渡った。だが、それでもフェイトはエリオが何を言わんとしているか理解できなかった。
 これでは平行線を辿ったまま押し問答を続けることになってしまう。
 困ったフェイトが――エリオの瞳に気圧されて――視線を反らすと、見知った顔が見えた。

「エリオ、そこまでにしておけ。テスタロッサが困っているだろう?」

 その静かな声によって我を取り戻したのだろうか、エリオはフェイトの手を離すと数歩下がった。なおも表情に複雑な色を浮かべてはいた、が。
 何はともあれ助けられたフェイトは第三者、シグナムに軽く頭を下げた。

「あ、いや。頭は下げない方がいいぞ、テスタロッサ」

 が、小首を傾げることとなった。

「テスタロッサ。お前は、エリオが何を言おうとしているか分からないのだろう?」

 シグナムの言葉の糸が読めぬまま頷くフェイト。彼女の肯定に満足したのか、シグナムは視線をエリオに移し彼の肩に手を置いた。
 そして、諭すような口調で語り掛けていく。

「エリオ。お前の主張はもう数年しない内に聞き入れられるだろう。それでも、今すぐ認められたいか?」

 シグナムの問いに対してエリオは迷わなかった。間髪入れずに首肯をすると、今度は強い意志を湛えた瞳をシグナムに向けた。
 フェイトとエリオ、二人を知るシグナムは言った。

「戦え」
「はい……?」

 唐突なセリフにフェイトは唖然とした。

「だから、戦え。エリオと本気の勝負をするんだ、テスタロッサ」
「え? ど、どうしてそんなことに……?」
「それでいいか、エリオ?」
「はい」
「エリオはそれでいいんだ!?」

 困惑するフェイトをよそに話はとんとん拍子に決まっていく。

「介添人は私がやろう。場所は外の訓練場でいいな。期間は……そうだな、二週間後がいいか」
「はい、それでかまいません」
「うむ。場所の予約はしっかり捻じ込んでおくぞ」

 エリオもシグナムもフェイトの話を聞いてくれる様子は無かった。

「にゃはは、がんばってねフェイトちゃん」
「いつのまにかなのはもいるし!?」

 音も無く忍び寄った親友にまで言われる段になって、フェイトはようやく観念した。
 こうして、フェイトには不可解なまま二週間後の模擬戦決行が決定されたのだった。

『これで良かったんだな?』
『はい。ありがとうございます、シグナムさん』
『いや、私は構わないんだが。…………キャロのやつも難儀なものだな』

 突飛な出来事にうろたえていたフェイトは、当然のことながらシグナムとなのはが交わしていた念話に気づくことなどなかった。





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