全力で駆け込んだトレーニングルームは、しかし整備中で使用不能だった。

「マジか……」

 思わず闇の書事件の折にクロノが口走ったセリフを吐く。あの時は“……マジだよ”なんて答えたっけ。
 なんて、まだ過去にし切れない日々のことを唐突に思い出し、記憶に浸る。

「そういえば、シグナムたちに出会ったのはあの時だったっけ」

 もう四年前になる闇の書事件。当初は対立していた彼女たちと、まさか背中を預ける仲間になるなんて思いもしなかった。
 歳月の経過をしみじみと感じてしまう。

「今じゃ管理局戦力の主軸なんだもんなぁ……」

 彼女たちが管理局に入った当初に今の姿を想像しろと言われても……無理な話だろう。
 当時、闇の書に恨みを持つ局員は多かった。それも“反闇の書派”とでも言うべき派閥は古参の幹部たちが大多数所属していた。
“闇の書”からは解き放たれたと言えども、彼女たちが闇の書の尖兵として蒐集を行っていたという事実が消えることは無い。
 逆恨みのような事件も起こったし、彼らの黒い感情を利用して起こった事件もあった。
 まぁ、それがヴォルケンリッター排斥派の一掃にも繋がったわけだが。

「その分仕事が増えたんだもんなぁ」

 本日クロノが士官学校に出向いているのも、管理局の人材不足に少しでも歯止めをかけるためである。もうそろそろ卒業を迎える若き士官候補生たちに、艦船を預かる提督が直々に稽古をつけようというのであるから……今までの管理局の歴史で言えば、異例中の異例である。
 正直な話、今の管理局は人材不足だ。上も現場も。まぁ、それでもなんとかやっていくしかないわけだが。
 さりとて、問題は深刻である。

「ってゆーか、脳裏に過ぎったのって全部現実逃避だよね」

 彼の目の前に横たわる現実は、管理局の未来でもなければ雲の騎士たちでもなく、閉鎖中のトレーニングルームの扉だった。
 ご丁寧に『今日は利用できません』の張り紙まである。

「うーん、困ったなぁ」

 久々に全力で走ったから少し疲れたし……お腹もすいた。
 いったい何時になっているのだろう? ふと気になってポケットを探るが、目当ての物が見つからない。

「忘れちゃったかな、携帯?」

 最後に見たのは眠る前。机上に置いた時だった。
 起きたあとは部屋の時計で時刻を確認したし、その後はすぐに休日の過ごし方について耽っていた。
 更によくよく思い出してみると、起床したのも今さっきでまだ朝食すら摂ってない。

「お腹すいたなぁ。何か食べるか」

 とりあえず、部屋に戻って携帯電話を回収しよう。
 それから食堂に向かって……今日は何を食べようかなぁ。
 そんなことを考えながらユーノは部屋へと戻っていった。
 彼が立ち去った3分後に高町なのはがその場を通りかかったのは、不幸と言うか、お約束と言うか。









 不幸と言うかお約束と言うか、業務に忙殺される局員たち。
 本局のトランスポーターにやってきた高町なのはは、忙しなく働く彼らを目にした。もっとも、それは局の組織体系が大きく変わったここ一年は、もうさほど珍しくなくなってしまった光景。
 こういう状況を見ているとのん気に休暇なんてしていていいのだろうかと疑問に思ってしまうが、まぁ、休暇なのだからしょうがない。
 見かけた知り合い数人に軽く挨拶をしつつ、なのはは食堂へと向かう。
トランスポーターは本局の外周に沿うように設置されていて、食堂は中心部に位置する。必然的に食堂に辿り着くまでにはいくつかの施設の前を横切ることになる。
 今回なのはが使ったトランスポーターは局員が平時に使用するもので、食堂までの道には娯楽施設と生活施設への入り口が多数存在する。
 なのはは、『今日は利用できません』の張り紙があるトレーニングルームを横目に見ながら真っ直ぐ食堂へと向かう。食堂までは一本道で、曲がり角で誰かとぶつかるなどというイベントは起こるはずもない。
 だからこそ、のんびり歩いていたなのはの横から切羽詰った悲鳴が飛び込んだ。

「どいてどいてどいて〜〜〜っ!?」
「え゛……?」

 完全に油断していたなのはに回避行動は不可能で、横合いから突っ込んできた声の主と衝突してしまう。それでも少女でも武装局員の維持を見せて咄嗟に魔力で足腰や腕を強化して突進してきた人を抱き支た。
 抱えた腰はほっそりとしていて、どうやら女性のようだ。
 なのはは、とても息苦しい思いをした。
 最近急に伸びた始めた身長、その頂点、つまりは顔の位置に丁度彼女の胸があって……こう、苦しい。
 息と、ふくよかな感触に受けた彼我の戦力差に絶望したショックの影響で。
 確かに! 自分は友人達の中で一番胸がないけどまだ中学一年生なのだからこれから将来が……あ、でもお母さんって控えめだよなぁ……。
 そんな悲しい未来に心の中で涙を流しつつ、武装隊の訓練で培った強靭な精神力でもって意識を現実へと引き戻すなのは。

「ご……ごめんなさい……。あれ、なのはちゃん?」

 どうやら自分を知る人物らしい。
 そう思ってよくよく記憶を掘り返してみれば、この舌っ足らずのような喋り方をする女性には心当たりがあるような……。

「……マリーさん?」

 そう。自分の相棒が最も世話になっている人物、マリー。
 顔を上げてみれば、確かにフーレムの無いタイプの眼鏡を掛けた女性局員マリーその人であった。

「えーっと」

 ひょこっと顔を傾げてみれば、彼女の後ろに開きっぱなしの扉が見える。
 確かあそこは装備科の仮眠室のはずだ。

「ね、寝ぼけてたんですか?」

 とりあえず思い当たったことを言ってみる。
 よく観察しないでもマリーが起き抜けだということは一目瞭然だ。
 髪の毛は跳ねてるし、服はしわだらけだし。

「あ……あはは……」

 肯定とも否定ともつかない曖昧な笑みを浮かべるマリー。
 その仕草が逆になのはの言葉を肯定と取らせる。

「にゃはは……」

 まぁ、装備科は管理局の中でも多忙を極める部署の1つ。自分も世話になっていることだし、多少のことは大目に見ることにする。
 そう決めたなのはは、居住まいを正してマリーに言った。

「お昼、一緒にどうですか? 食堂の無料券がまだ残ってるんですよ」
「本当ですか? じ……実は今月は物入りでお金が無くて……」

 マリーのデバイス好きは局でも有名な話で、新しいデバイス関連の商品が出るとすぐに手を出すのも有名な話。自室がデバイスの部品で溢れかえってしまったので仮眠室で寝泊りしているという噂もある。
 そんな噂を知っているなのはは、苦笑いしながらマリーと食堂に向かっていった。









 今日のマスターはどうも運が足らないような気がする。高町なのはの胸元に輝く宝玉、レイジングハートはそう思った。
 クラスメイトには置いてけぼりにされ、ユーノは連絡が繋がらず。
 食券は、期限が切れていた。

「なのはちゃん、本当によかったの?」
「あ、あはは……」

 誘った手前、結局マリーの分も奢ったなのは。軽くなったサイフを前にすると、苦笑いしか出てこなかった。

「ま、まぁ……いつもお世話になってますから」

 そういえば結構中破以上をしてますよね、私。一年ほど前のことを思い出して何とも言えぬ気分になるレイジングハート。
 心なしか鮮やかな紅が暗くなった気がする。

「なのはちゃんとフェイトちゃんは無理するからね〜」
「うぐ……っ」

 なのはは、にこやかに痛い所を突かれて喉が詰まる思いをした。
 事実なのでレイジングハートはフォローをしない。
 愛する主のためとは言え、やっぱり……その、乙女の身体に傷がつくのは……その、あの人に見っともない姿を見せるのは恥ずかしいというかはしたないというかその……。

「あれ、どうしたのレイジングハート?」
《……黙秘権を行使させていただきもらいますっ》
「? 日本語おかしいよ、レイジングハート……?」

 紅さを増してピカピカと明滅するレイジングハートに気づいたマリーが声を掛けた。
 なのはははてな顔を浮かべているが、マリーはにやりと笑う。

「あ、なのはちゃん。今日ってお休みでしょ? 今日の内に簡単な整備くらいはしてあげよっか、レイジングハート」
「あ、お願いできます? 実はこの前ちょぉおおおおっと無茶しちゃいまして」
「ちょっと?」
「うぐ……っ」

 記憶を掘り返すと、フルドライブモードでのカートリッジフルロードショットを三度続けて行った気がする。
 なのはは言葉を失ってしまい、誤魔化しの笑みを浮かべることにした。

「にゃ、にゃははは……」

 今日は苦笑いしてばっかりだ。表情を引きつらせながらなのはまそんなことを思う。

「まぁ、いいわ。なのはちゃんが当たるのはAランク以上の任務だもんね」
「はう〜……ごめんなさい」

 しゅんとなってうなだれるなのは。
 そんな彼女に、マリーは柔らかな調子で喋りかける。

「ううん。なのはちゃんとレイジングハートは頑張ってるよ。私たちじゃできないことをやってるんだもん、無茶しちゃうことだってあるのも仕方ないよ」

 柔和に微笑むなのはより幾分か年上の女性は、くしゃくしゃと彼女の頭を撫でる。

「ただ、なのはちゃんじゃできなくて、私にはできることがある。それがデバイスの整備だから……そういうことは任せて、ね?」

 最後にウィンクをして、なのはの頭から手を引き戻すマリー。
 撫でられた当人は嬉しいやら恥ずかしいやらそんな気持ちがごっちゃになった表情を浮かべている。

「だから……ね。レイジングハート、任せてもらえないかな?」

 最終的に惚けたような表情になっていたなのはは、マリーの言葉で我に返った。
 そして、元気良く頷く。

「はい! お願いします、マリーさんっ!」
「はい、お願いされました」

 ふにゃっと微笑むなのはと、にこりと微笑むマリー。

《お世話になります、マリー》

 レイジングハートも折り目正しく言った。

「ええ、よろしくレイジングハート」

 マリーもにこっとして言葉を返して……

『今日の整備室は貴女とバルディッシュで貸切よ♪』

 究極に底意地の悪い声で念話を送ってきた。
 念話使えたんですか、マリーさん。

《……な、なんのことですか》

 その念話に、念話で返すレイジングハート。

『整備室の監視カメラって最高級の音響システムを使っていましてねー』
《も……もういいですっ!?》

 今度からバルディッシュに話しかける時は念話を使おう。そう心に誓うレイジングハートだった。

「またね、レイジングハート」

 そんな会話は露と知らず、レイジングハートをマリにー渡すなのは。
 表情にはマリーへの信頼が満ちた笑顔を浮かべている。

 マスターァッ!?

 レイジングハートの心の奥底からの悲痛な叫び声は、心の中だけに留められたことにより伝わることはなかった。









 食堂の前に見知った女性が2人いた。
 1人はマリー。今年で……確か二十歳になるはずの、装備科の職員である。いつもほわんとしていて柔和に微笑む様は癒しの欲しい男性局員達に人気だとか。
 そしてもう1人の女性は……っというか、どう見ても少女は。

「それじゃ、明日取りに行きますね〜」
「はい、待ってます」

 栗色のサイドポニーが揺れる、笑顔が最高に輝くそれは太陽のような暖かさで見る人の心を優しくしてくれるぽかぽかしたな陽射しのようで、胸はないけどけれどもその身体は武装隊所属とは思えぬほど華奢で柔らかそうで最近どんどんと女性らしさを増していっている。胸はないけど。
 彼女の名前は高町なのは。彼女達を見る少年はユーノ・スクライア。
 どうやら、ようやく彼と彼女は遭遇できたようである。

「さてと……どうしようかなぁ」

 マリーを見送ったなのはは、どうやら手持ち無沙汰といった様子である。その様子を見取り、ユーノは迷わず声を掛けた。

「や、なのは。久しぶり」

 そういえば、顔を会わせるのは一週間ぶりかもしれない。

「ユーノ君?」

 なのはは、にぱっとした上機嫌な笑みを浮かべて振り返った。
 しかし、何かに思い至ったようで、突然ぶすっとした表情に変化する。

「え……? あの……なのは……?」

 当然たじろぐユーノ。
 心当たりを探ると、残念ながら見つけてしまった。

「そ……そうだ、何度か連絡くれたみたいだね、なのは」

 しどろもどろになりながら、何とかそれだけを言うユーノ。
 対するなのはは余計に不機嫌な表情になり、

「出てくれなかったよね、ユーノ君。いつもはすぐに出るのに」
「ちょ……ちょっと、携帯忘れちゃって……」
「本当に?」

 ずずいと詰め寄ってくるなのは。そこには有無を言わせぬ迫力があり、ユーノは思わずたじろいでしまう。知らず知らずのうちに表情は引きつっていた。
 電話にすぐ出なかったことを怒っているのだろうか……?
 けど、彼女ってそんなに狭量だったっけ……?
 何だか最近こういうことが多いような気がする。
 もしかして自分は彼女に嫌われてしまったのだろうか……?
 そんな考えが何度も脳裏を過ぎっては消えていく。

「う……うん。本当……本当だよ……!」

 曖昧な返事をすると確実に鬼神が降臨する。生物的本能でそう悟ったユーノは、気合を入れて返事をする。
 だが滑稽にも、首は壊れた機械に似た上下運動を繰り返していた。

「じー……」

 半目になってユーノの情けない姿を睨むなのはだったが、切羽詰った彼の様子に納得したのか満足したのか退いてゆく。

「いいよ。ユーノ君だから信じてあげる」

 そして今度は、ひまわりのような笑顔を見せる。
 彼女の豹変振りに処理能力を超えてしまうユーノ。

「あ……わわ……あわわわわわ」

 両手をばたばたさせてあたふたするユーノの鼻先についと指が触れる。

「ユーノ君、お昼食べた?」

 にっこり微笑んでそう言う彼女からは、先ほどの鬼気のようなものなど微塵も感じない。彼女から普段感じるのはこちらのような穏やかさだ。
 その雰囲気に安心したのか、冷静さを取り戻して頷くユーノ。

「ううん、まだだよ。なのはは……?」
「私は食べちゃった」

 がくっ、と肩を落とすユーノ。もう食べてしまったなら……昼食に誘うことも出来ないよなぁ。なんて、思いながら。

「それじゃ、一緒に行こうかユーノ君」

 ずるずるとなのはに食堂へ引っ張られるユーノ。

「え? へ!? えぇえええっ!?」

 状況が分からず困惑するしかないユーノ。
 そんな彼に振り向いてなのはは言う。

「デザート、まだ食べてないんだ。だから……ね?」

 彼女の笑顔は、最近見た中で一番のものだった。
 気が軽くなり、思わず軽口が零れる。

「あれ。でもダイエット中って言ってなかったっけ?」
「…………」
「いた、いた、いたたたたっ!? いた、いたたたたたた抓ってる、抓ってるよなのはぁっ!?」

 2人の会話は、騒がしい食堂の喧騒に吸い込まれていった。











戻る   小説トップへ   次へ

inserted by FC2 system