平日の昼下がり、海鳴町の自然公園を歩く少女と少年がいた。どちらも中学生くらいだろうか。少女は少年よりもやや背が高く、近所にある私立聖祥大付属中学校の制服を着ている。 少年の言葉に頷く度に揺れる少女の栗色の髪は、サイドポニーにして緑色のリボンで纏められていた。楽しそうに笑う姿は正に無邪気な少女のようで、けれども時折見せる横顔に大人びた色が混ざる。しかし、少女の顔立ちにはまだまだ幼さが残っていた。 少女の名前は高町なのは。 「ちょっと話は変わるんだけど、ユーノ君って髪伸びたよね〜。書庫のお仕事が忙しくて切りに行く暇もないのかな?」 少女の言葉に照れたたのか、人差し指で頬を掻く少年。彼の名はユーノ・スクライア。 金に近い色合いを持った髪や黒色ではない瞳などから、彼が日本人でないということがすぐに分かる。 傍らを歩く少女より小さいとは言えども、この年頃の男子としてはそれほど低いとも言えない背丈である彼は、少女には及ばぬが髪も長い。 鮮やかな色彩を放つその髪は少女の髪を束ねるリボンと同じ色をしており、少年の瞳とも同じ色だ。いかにも人畜無害そうな顔立ちをした少年は、幾分か間を開けながら言葉を紡いでゆく。 「えっと……なのはにさ、誕生日に貰ったリボンを……使いたくて」 恥ずかしそうに。いや、実際恥ずかしいのだろう。 まだ幼い顔には朱が差し、それは見る人が見れば少年も少女に見えることだろう。 対する少女の方は喋りかけた時の笑顔のまま固まる。4秒ほど経過してから少年が口にした言葉を口の中でもごもごと反芻するように言ってみた後、ようやく彼の言葉の意味を飲み込めたようで、納得顔をした。 「って……あ、あはは……そうなんだ……」 そして少女は赤いリンゴになる。 子猫のような鳴き声を上げながら油の切れたロボットのようにぎこちなく歩き出した。 ただそれは少年も同じで、恥ずかしさに耐え切れなかったのかどこかそっぽを向いたように歩いている。 風が流れ、会話が止まる。 2人の歩くすぐ横には冬の透き通った海が広がっていて、これは海鳴町名物の1つになっている。どんな名物かと問われれば、デートスポットだ。 幼子たちの小さなカップルから、長年連れ添った老夫婦まで。四季折々に違った色をつける自然公園の植物達のおかげもあって、この公園は一年を通してカップルの居場所であり続けている。 今日に限って言えば何故か人がまばらにしかいないのは……ユーノとなのはにとっては好都合だったかもしれない。クラスメイトに見られれば冷やかしの種になることは間違いなかったから。 広場で遊ぶ子供たちの声がやけに遠くに聞こえる。 暦の上では春を迎えたと言っても、頬を撫でる風はまだまだ冬のそれ。空調が効いている本局勤めのユーノは、長袖を着てはいるが薄着で、身体に当たる冷たい風に身を震わせた。 そうすると少女が何かに気づいたように口を開き、彼の服装をさっと眺めた後に言う。 「もしかして寒い?」 なのはが着ている制服は、冬服だ。流石私立と言うべきか、防寒対策はしっかりとされていて、身体をすっぽりと覆ってしまうコート込みで冬服なのだ。朝方ならばマフラーや手袋が必要になることもあるが、今くらいの気候なら過ごしやすいくらいだ。 今年から使うことになったこの中等部の制服を、なのはは気に入っていたりする。 「うー……ん。そうだね、ちょっとだけ」 この服装は失敗だったかなぁ……。そんな呟きを残しながら苦笑いするユーノ。 少し厚めの生地を使用しているズボンはともかく、薄手の生地でできている上着はこの気候の中に身を晒し続けるのは辛かった。 何かないかと思考を始めたなのはは、意外とすぐに思い当たる物があり、鞄の中に眠る何かを探しながらユーノに声を掛ける。 「ユーノ君。えっと……これ、使って?」 なのはがユーノに手渡したのは、毛糸で作られた幅広の長方形だった。四つの角にはこれまた器用に毛糸で作られた球体が取り付けられている。 人の首に巻いて寒さを凌ぐために作られたこれは、一般的にマフラーと呼ばれるシロモノである。コートの色に合わせたのかベージュを基調としているそれは、どうも商業用の規格製品とは思えない出来になっている。 ……もしかして手編みなのだろうか。 高町なのはは決して不器用な娘ではない。いや、器用な部類に入るだろう。少々抜けてる所はあるし、運動も苦手だが、手先の扱いは上手かった。小さな頃からちょくちょく翠屋の仕事を手伝っていたからかもしれない。 最近では繊細で綿密な芸術性を要求されるケーキのトッピングなども手伝えるほどになった彼女の手は、女の子らしいことなら大抵のことはこなしてしまう。 家庭科的なことでの失敗談を聞いた記憶としては、うっかり料理の上に醤油とソースと塩と砂糖とタバスコを一斉にぶちまけてしまったという話だけだ。食べ物は粗末にできないと泣きながら完食したという話と共に覚えているので間違いない。 とは言え、本当にそれくらいだった。 「あ、ありがとう」 受け取る時に一瞬だけ触れた彼女の指先は冷たかった。そういや、手袋も何もしてないもんな。 そんなことを思いながら、受け取ったマフラーを首に巻いてゆく。やっぱり、暖かい。それに何とも言えぬ心地よい甘い香りがするような気が……これは、何の匂いだろう……? 「ど……どう?」 触れ合った瞬間にさっとぽけっと手を引っ込めたなのはは、頬を朱に染めながら尋ねた。もしも第三者が見れば、彼氏にマフラーをプレゼントした姿に見えるかもしれない。 問われたユーノは、にこりと微笑んだ。 「ありがとう。暖かいよ、なのは」 「そ……そっか。よかった」 安堵の溜息をつくなのは。その光景に、ユーノが抱いていた予想は確信に変わる。 そう思うと言わずにはいられなくなって……2秒も待たずにユーノは口を開く。 「もしかして、手作り?」 なのはの顔が赤リンゴから完熟赤リンゴへとクラスアップする。どうやら図星らしい。 最近、こうやって真っ赤になる彼女を良く見る。こう、何と言うか。楽しい。 「う、うん。お母さんみたいに上手くはできなくて……でも……その……お気に入りで、毎日使ってるんだ」 「へー。毎日かー」 どうやらこのマフラーは彼女が毎日使っているらしい。 それを自分は身に着けているわけだ。 「…………」 このマフラーから感じた甘い香りって、もしかしてなのはの匂い……? 「ユ……ユーノ君……?」 今度はユーノが真っ赤になる番だった。 自然公園を出て、少し細い道に入る。この奥に最近開店した団子屋さんがあるらしい。なのはは一度行ったことがあるようで、その時のことを話していた表情はとても幸せそうだった。 きっと、とっても美味しい団子なのだろう。首に巻いたマフラーに確かな暖かさを感じながら歩くユーノは、隣を歩く少女の笑顔が一番好きだった。 実の所を言うと甘味は苦手な部類に入るのだが……彼女の誘いを断らなかったのは、そういう理由からだった。 「もうちょっとだよ、ユーノ君」 よほど団子が楽しみなのだろう。いつもよりも少しはしゃぐなのは。冬だというのに足取りも軽やかだ。 見ているだけでこちらまで微笑ましい気持ちになった。もしかしたら、彼女は天使か何かなのかもしれない。 そんなことを思うと、ユーノは笑い出してしまう。 「へ? ど、どうしたのユーノ君?」 当然ながらユーノの内部事情を知らないなのはは、急に笑い出した少年を不思議そうに見つめる。 少々、心配の色も混じっているか。 「ヒミツ。これはちょっと言えないから」 ユーノの返答になのはは頬を膨らませる。怒っているようなのだが、どうも可愛く見えて仕方がない。 それがおかしくって、ユーノの笑いは止まらない。 「むぅ……」 なのはの顔が段々と不機嫌になってゆく。けれど今回は天の神がユーノを見捨てなかったのか、団子屋が見えてきた。 「あ、なのは。お団子屋さんってあれ?」 機を逃さぬと、古風な造りをした店を指差すユーノ。まるで時代劇に出てくる団子屋そのままの姿を取ったその店は、軒下に据えられたベンチ――ユーノの知識ではそうとしか呼べない、赤い布を敷いた木造りの長椅子――に老人たちが座っていた。 「……うん、そうだよ」 上手く誤魔化されてはくれなかったようで、まだふてくされ顔のなのは。 しょうがないとばかりにユーノはサイフの中身を確認した後に、言う。 「ボクが奢るから……ね?」 ユーノの提案にしばらく逡巡したなのはだったが、彼の顔を見て口を開く。 「じゃあ、甘えちゃおっかな」 それは、とても良い女の子の笑顔だった。 今日で来るのは2回目だけれど、やっぱりここのお団子は凄く美味しい。 知らず知らず心が弾んでゆくのを感じながら、3本目の串を置くなのは。 「……ふぅ」 ユーノもお茶が気に入ったようで、老夫婦と一緒に熱いお茶をゆっくりと飲んでいる。 「本当に何も食べなくていいの、ユーノ君?」 「あ、うん。まだあんまりお腹空いてないから」 「そっか」 最後の団子に手が伸びる。なのはの頼んだ団子には餡子が絡められていて、頬張ると口いっぱいに幸せな甘さが広がる。あんまりにも美味しいので、どうしても頬が緩んでしまう。 「可愛い彼女さんですねぇ」 そんななのはを見て、おばあさんがユーノにそう言った。 「あいや……残念ながらボク達は恋人とかじゃないんですよ」 苦笑いしながら答えるユーノ。 「んん……んーっ!? んーんーんーっ!?」 「って、なのはっ!? は……はい、お茶!」 ユーノからひったくるようにしてお茶をもぎ取り喉に流し込むなのは。団子は流れたが代わりに灼熱感が喉を焼く。 「って、これ熱いのだった……。み、水貰ってくるよっ」 跳ねるように立ち上がり店の奥へと駆けてゆくユーノ。その後姿をなみだ目になりながら見送るなのはに、お茶が差し出される。 「冷めちゃって温いお茶だよ。どうぞ、お嬢ちゃん」 柔和に笑うおばあさんに頭を下げてからお茶を受け取り流し込むなのは。まだ喉の奥はひりひりと痛むが先ほどよりは幾分かマシになった。 「お嬢ちゃんはちょっとおっちょこちょいなんだねぇ」 無邪気な笑みを浮かべるおばあさん。なのはは、恥ずかしげに苦笑いをする。 「なのは、これ!」 どう切り出そうか? それを悩み始めたなのはの耳にユーノの声が飛び込んでくる。ユーノの手に持たれたお冷を受け取ったなのはは、ごくごくと飲み干した。 「…………あぅぅ、まだ喉が痛いよぅ」 こればっかりはしょうがなかった。 「ごめんね、なのは。ボクがうっかりしてたせいで……」 俯いてしまうユーノ。彼のその様子に慌ててフォローを入れるのはなのはだ。 「わ、私だってユーノ君と同じ立場だったらきっと同じことしてたよ! えっと……だから、あんまり気にしないで?」 「で……でも……」 ユーノ・スクライアという少年は責任感が強い。プレシア・テスタロッサ事件の折もそうだったが、彼は自分に非がある行動を取ってしまった時はどこまでも自責の念に駆られ贖罪のために何でもしてしまおうという気質がある。 まぁ、だからこそ彼と高町なのはは出会えたとも言うのだが。彼の責任感の強さは好ましいと思う反面、それが行き過ぎることがなのはは普段から心配だった。 「坊主、そこは素直に受け止めておく所だぞ?」 どう答えよう。思考の海にダイビングしかけていたなのはの耳にそんな声が聞こえてきた。もちろん、ユーノにも聞こえたようだ。 「女が許すと言っているんだ。だったら、これ以上ぐだぐだ言うのは情けないってもんだぜ」 それは今まで黙っていたおじいさんの言葉だった。彼の顔に刻まれた皺は深く、それは歩んできた果てしなく長い年月を表していた。 十年そこらしか生きていないユーノよりも、多くの経験を積んでいるのだろう。 「けど……なら、どうすればいいんですか」 自分より遥かに年功じゃに問うユーノ。その目は真剣そのもので、だからおじいさんも真剣な目付きになって答えてくれた。 「簡単さ。笑わせてやればいい」 「へ……?」 張り詰めた空気が無くなり、緩く笑う老人。 「申し訳ないって思う気持ちの分だけその娘を笑わせてやるといい。困らせちまったような顔よりも……笑顔の方が断然良いだろう」 にっ、と笑う彼の表情は、年齢よりもずっと若々しい。もしかしたら見かけよりも若いのかもしれない。 もしくは、それが外見に表れる内面の若々しさ、というやつであろうか? 「えっと……」 なのはを見る、ユーノ。 その顔は……ちょっと悔しいけど、老人の言った通り困ったような顔だった。 「ユ、ユーノ君……」 何て言えばいいのか分からない。そんな表情を浮かべている。どうしたものかと考えあぐねるユーノだが……。 ふと、閃いたことがあった。 「な、なのは」 ただ、本当にやっていいものだろうか……? 緊張した面持ちで彼女の名を呼ぶ。 「う、うん」 ユーノの緊張が伝わったのか、なのはも少し緊張している。 そんな初々しい2人の姿を笑顔で見守る老夫婦。 「すいませーん! カキ氷くださーい!」 ユーノは、何故かカキ氷を注文した。 「カキ氷? 何味にしやすー?」 「この、“甘くないオレンジ”お願いします!」 「甘くないオレンジ? お客さん、度胸あるねぇ。よっしゃ、気に入った! ちょっぱやで作るから待ってろよ!」 店の奥から氷を削る時のガリガリという音が聞こえる。だが、それも3秒ほど。本当にちょっぱやで作ったカキ氷がユーノの前に出される。 「へいお待ちど!」 鮮やかなオレンジ色のシロップが掛かったカキ氷。ユーノは覚悟を決めた戦士のような表情をしてスプーンを握り―――。 「ユーノ・スクライア、行きます!」 カキ氷を全て一気に口の中に流し込んだ! 当然襲い掛かるカキ氷頭痛に悶絶するユーノ。さらに、また何か別の要因があるのかちょっと泣きそうな顔になっている。恐らくはシロップの味。一体如何なる味をしているのか“甘くないオレンジ”とは。 「く……うぁあああああっ!」 それでもどうにか耐え切り、なのはの目の前に立って一言。 「ふ……冬にカキ氷はもう 時が凍った |