そして時は動き出す。 ぽかーんと口を空けていたなのはは俯き、何をするかと見守っていた老夫婦は若さゆえの過ちに涙し、原因であるユーノはなのはの様子におろおろする。 大惨事だった。 「え、えっと……え、えーっと……」 やってしまってから思う。滅茶苦茶寒いよ、今のギャグ。 ユーノ・スクライア。彼は運勢と共にギャグセンスも無かった。 「…………」 見ればなのはは小さい肩を震わせている。あまりにも寒いギャグで怒らせてしまったのだろうか? 「……って、なのはっ!?」 なのはが、荷物を引っつかんで駆け出して行ってしまう。運動音痴にしては意外に早く、武装隊の訓練の賜物なのだなぁと一瞬思ったが思考を急速転換。 彼女を追いかけようとして……気づいてしまう。まだ団子代を払っていないことに。 ユーノは急いでポケットからサイフを取り出すと、勘定を済まそうとして、 「行ってこい。見物料だ、団子代くらい払っといてやるよ」 おじいさんがそう言い、おばあさんが頷く。 「あんな良い子、いまどきいないよ。坊や、逃がしちゃだめだよ?」 そんな見ず知らずの人に……。とも思ったが、この状況だ。 好意に甘えてしまうことにした。 「ありがとうございます! いつかお礼はします……また、このお団子屋で会いましょう!」 最後に思いっきり身体を曲げてお辞儀をし、なのはを追い駆けるユーノ。 老夫婦は笑いながら金髪の少年を見送った。 もやしになってた自分と常に訓練をしていたなのはでは大きな開きがある。 公園を突っ切り、市街を突っ切り、なのはたちの学校を横切り、それでも彼女に追いつけず、ユーノは焦った。 必死に彼女を追いかけ、どうにか追いついた時にいたのは深い森の中だった。いや、追いついたと言うか……彼女が走るのをやめたのだ。 「なの……は……?」 恐る恐る彼女の名前を呼ぶ。ユーノには彼女の行動の真意が分からなかった。 怒らせてしまったかも、という怯えもある。 なのはは、俯きながら振り向いた。 「…………」 木々に覆われ光の射さぬこの森の中はうすら寒く、薄暗く。薄着のユーノには寒さが容赦なく突き刺さってきて、走って熱された身体が急激に冷えていった。 しかし、何よりも彼に突き刺さるのはなのはの様子だ。どうしていいかがまったく分からなかった。 「……ユーノ君」 なのはの声にびくりと震えるユーノ。何故なら、彼女の声には色というものが無かったから。 思わずあとずさってしまいそうになるが、男として逆に一歩を踏み出す。彼女を逃がすなという老夫婦の助言が背中を後押ししてくれた。 そして。彼女に言葉を掛けようと口を開こうとして、 優しい風が、ふわりと頬を撫でた気がした。 身体は春の陽だまりの中にいるように温まり、頬は真っ赤になって熱さを上げてゆく。心の中は穏やかに揺れ、心臓は激しい動悸を訴える。 だって彼女が―――高町なのはが微笑んでいるから。 「えへへ。驚いた、ユーノ君?」 今度は悪戯が成功したのを喜ぶような、無邪気に嬉しそうな表情になる。 いいや。悪戯が成功したのだ。 「……うん」 ほうけたような表情をして頷くユーノ。彼女の笑顔は不意打ちで、反則だった。 けど……。どうしてこんなことを? そう言おうとして開きかけた口は彼女の言葉に遮られる。 「ありがとね、ユーノ君」 ありがとう……? 自分は彼女を怒らせたのではなかったのか。 そんな疑問は再び開かれた彼女の口から発せられた言葉に吹き飛ばされる。 「大笑いしそうになっちゃってね。……それが恥ずかしくてここまで来ちゃったんだ、ごめんね」 にゃはは、と。彼女が困った時や苦笑いする時に出す口癖と共に謝るなのは。つまりは、だ。……高町なのはにはどうやらあのギャグは大うけだったらしい。 そういえばなのはってちょっと天然入ってるもんなぁ。 非常に失礼なことを思いながら納得するユーノ。何にせよ目的は達せられたわけだし、いいだろう。 「それでね、ユーノ君」 悩みかけた少年に少女の声が掛けられる。少年はもちろん悩むのをやめて彼女の言葉に耳を傾ける。 「この先に、この前見つけた秘密の場所があるんだ。まだ誰にも教えてないんだけど……。ね、一緒に行かない?」 そう言ってユーノに歩み寄るなのは。対するユーノは少し考え込んでしまう。 果たして、女の子の秘密の場所とは如何なる場所なのか。 きっと、男には想像もつかぬ神秘に満ちた秘境なのだろう。それも、まだ誰にも教えてないと言う。そこに、フェイトでもアリサでもすずかでもはやてでもなく自分が誘われているのである。 ここは行くしかないだろう……ッ! 「うん!」 そんな思考を辿ったユーノは元気良く頷く。 彼の返答に花が咲いたような笑みを浮かべ、なのはは彼の手を取って歩き出す。 「この先を真っ直ぐ行ってねー」 ……って、手? 彼女の体温が直に伝わってくる。彼女の柔らかさが掌を通して伝わってくる。彼女の方は何ら気にした様子が無く、もしかしてこれが自然体なのなのはっ!? なんて絶叫を心の中で上げるユーノ。 実際に口にしなかったのは、かなりがんばったと思う。 「とってもいい場所なんだよー」 何にせよ、2人は森の奥深くへと進んでいった。 嘘、ついちゃった。 秘密の場所に向けて歩くなのはは、心の中で呟いた。 ずしりと重い何かが胃を圧している。 嘘、ついちゃった。 もう一度同じ言葉を呟いた。 高町なのはという人間は正義感が強く、正直者だ。曲がったこと、理が通らないことは嫌いだし、嘘なんてものは好きになれそうもなかった。 けれど、使ってしまった。 だって、あれは笑えないよ……ユーノ君。 急に走っていってしまったのは、笑顔を作るための時間が欲しかったからだ。秘密の場所は、たんに無意識にそちらに向かってしまっただけである。 ダメだよ、センス無いよユーノ君。いつも私に気づかないくらい夢中になって本を読んでるのに、どうして、そういうセンスが身につかないの? あぁ、そういえば彼が読むのは遺跡関係の資料本や論文が大半だったっけ。 だからと言って嘘はいいのだろうか? 嘘は。 だって、嘘なのだ。虚を口にすると書いて嘘なのだ。虚はからっぽで、だから何でも詰め込めるけど、その行為は全て虚しいだけだ。 中身の詰った真実ではなく、ただ軽さのみがある嘘。 人と真正面からぶつかり合って分かり合うタイプのなのはには、嘘だけはどうしても許容することができなかった。少なくとも、今までの人生ではそうだった。 けれど今日、なんのためらいもなく使ってしまった。 ……どうして、だろう。 繋いだ手を通して伝わってくるぬくもりは、温かい。自分が魔法の世界に入るきっかけをくれた少年は温かかった。 彼といる時間は嫌いじゃなかったし、彼のことは好ましいと思う。 彼はきっと―――大切な人。 大好きな母や父や兄や姉のように、大好きな親友達のように、彼もまた大切な人。 嘘をついたのは、大切な人を傷つけるのが嫌だったから。 嘘をついても……いいのかな? あの場で笑えず固まってしまったままだったら、一生懸命になっていた彼のことをきっと傷つけてしまっていた。 そう思っての行動だった。結果は……多分、良い方に転がったと思う。 まぁ、いいか。 一度だけ振り返った。彼は笑顔を見せてくれた。それだけで、胃に乗っていた重りはどこかへ行ってしまい、悩みが吹き飛んだように思える。 私ってこんな単純だったかなぁ。そんなことを思いながら―――あの場所に足を踏み入れた。 彼を連れてきたかった秘密の場所に。 「ここだよ、ユーノ君」 傍らの彼からは、感嘆の声が上がった。そこに広がっていた光景は―――― |